シンとルナマリアと???のターン。
この時期のディオキアはかなり冷え込むという話を聞いていたが、案外そうでもなかったのか。或いは今日が特別だっただけなのか、シンにはどちらか分かりかねるが何とも過ごしやすい穏やかな天気となったディオキアは実に散歩日和だった。もし予定通りバイクでツーリングができていればどれだけ気持ちよかった事か─────いや、これ以上は考えるまい。今更だし、何より隣で歩いているルナマリアに失礼極まりない。
とはいえこの空気は、さしものシンとて気が滅入りそうだった。宿舎を出てから会話らしい会話はなく、唯一言葉を交わしたのはこれからどこへ行こうかというシンの問い掛けと、まずは近くの浜辺に行ってみたいというルナマリアの回答。その一言ずつだけだった。
しかし最初に行きたいのが浜辺とは。また街にある服やら何やらのお店を回りたいという答えが返って来るとばかり考えていたシンは、少し面を喰らった。海など地球に降りてから嫌というほど見たろうに─────と鬱々とした思いが過った直後、シンは横目で日の光を浴びて輝く黒海を見遣ってから思い直す。
─────海って、こんなに綺麗だったっけ?
かつての故郷を襲った者達は海の向こうから現れた。ミネルバに乗って地球に降りてからも、海中からの攻撃に警戒しなければならない。シンにとって海とは、敵を覆い隠す陰でしかなかった。しかし今、煌びやかに光を反射するあの海はどうだ。
ルナマリアは、あの美しく輝く海を見たかったのだろうか─────?
十数分程歩いた後、二人は浜辺へと足を踏み入れる。ザシッ、と砂を踏み締める音。シンにとっては懐かしい感触だが、ずっとプラントで暮らしていたルナマリアにとっては初めての感触だ。オーブやカーペンタリアでは行かなかったのだろう、おっかなびっくりに足を進めるルナマリアの姿に思わずシンは笑みを零した。
「…なによ?」
「いや、別に」
ルナマリアの鋭い聴覚がシンの笑みを正確に捉える。不満げに振り返るその姿さえ微笑ましく感じ、シンは込み上げる微笑みを押さえられないまま頭を振った。その表情から何を思われているのか、言わずとも察したのだろう。ルナマリアは唇を尖らせながらソッポを向いてしまった。
「ごめんって。もう笑わないから」
「言いながら笑うの止めてくれる?」
謝るシンだが、謝りながらも微笑みが収まらないシンにルナマリアが返す。ツン、と顔を背けて勢いよく歩き出すルナマリアだが、ちゃんと前を向いていなかった彼女が砂に足を取られてバランスを崩す。
「ちょ…っ、バカッ!」
ルナマリアが転倒する前に慌てて駆け寄り、自身の身体を割り込ませてルナマリアを受け止める。驚いた顔で呆然とシンの顔を見上げるルナマリアを離してから注意する。
「足下には気をつけろよ。貝殻とかガラスとか、そこら辺の道路で転ぶのとは訳が違うんだからな」
「…うん、ごめん。ありがと」
ムキになって何か言い返されるかもと思っていたが、思いの外素直に聞き入れたルナマリアにまたしても面を喰らう。…本当に今日はどうしたのだろう?なんて疑問に思うシン自身、いつもの自分ではないと自覚はしているのだが。やはりルナマリアも変に意識をしてしまっているのか。
今度はちゃんと前を向き、足下にも気をつけながら歩くルナマリアの隣で、シンは眼前の海面へと目を向ける。二人の前には、宿舎からでは遠目にしか見えなかった輝く海面が至近距離に広がっていた。ミネルバの甲板から見るのとは違う、オーブで見たものとも違う。同じ海なのに、見る場所が違うだけでこうも違うものなのか─────。
「ねぇシン。朝の事だけど…、ごめんね」
「え?」
美しい海に魅せられていると不意にルナマリアが口を開いた。彼女が口にした謝罪の意味をすぐには理解しきれず、シンは目を丸くしながら彼女を見遣る。そして、ルナマリアの謝罪が今日の朝のいざこざについてだと悟ったシンは、あの混乱を思い出しながら返した。
「いや、あれは悪いのは俺だし…」
「でも私があんな風に出しゃばるべき事じゃなかった。私がシンに触られた訳でもないのにあんな風に怒って─────自分でもよく分からないんだけど…」
全面的にあの件で悪いのはシンなのだ。それは前提として、自分にも謝るべき事はあると冷静に振り返りながらルナマリアは謝罪を続ける。だがルナマリアも最後にぽつりと語っていたが、何だってあそこまで怒っていたのか、一番分からないのはそこだった。
他の誰でもない、ルナマリアがそれを分からないというのだからどうしようもないのだが。理由を問い掛ける言葉を呑み込み、シンは彼女の次の言葉を待つ。
「ごめんなさい」
「…分かった。いいよ」
謝るべきなのは自分だという思いは変わらないが、ここでそれを言っても堂々巡りをするだけだろう。ならばここは素直にルナマリアの謝罪を受け取る方が建設的だ。シンが頷いて返すと、ルナマリアは少しの間じっとシンの顔を見つめてから穏やかに微笑む。
「よし。なら、これでお終い。あ~、スッキリしたぁ~!」
その言葉通り、心の底からスッキリしたのだろう。大きく伸びをして、空気を胸一杯に吸い込みながら弾ける笑顔を浮かべるルナマリア。その姿を見て、ようやくいつもの彼女に戻ったと安堵する。宿舎を出てからずっと感じていた気まずさが、ここに来て一気に晴れたのだった。
「しっかし、綺麗よね~。ミネルバの甲板から何度か海は見たけど、まるで別物みたい」
「─────うん、俺もそう思う」
ルナマリアの何気ない言葉に返事をしながら、自分と同じ風に感じていた事をほんの少し嬉しく思ってみたり。やっとシンとルナマリアの間に普段の二人の空気が流れ始めた、その時だった。
「…ねぇシン、あれ」
ふとルナマリアの声が冷たく潜まり、同時に小さくどこかへ指を差した。細い指が向けられた方へ視線を追えば、そこには二人の男と一人の少女が立っていた。
自分達と同じく浜辺を散歩しにでも来たのだろうか、と思ったがどうも様子が可笑しい。というより、男二人が少女へ言い寄っている様に見える。シン達がいる側から少女の表情は見えないが、詰め寄る男二人の顔に下卑た欲望がハッキリと見て取れた。
「…ルナ」
「うん、分かってる」
他人の面倒事に首など突っ込みたくないが、目にしてしまった以上無視する訳にもいかなかった。ルナマリアも同じだったらしく、言わずともシンが何を思い、何をしようとしているのかを察して頷いてくれた。
「ねぇねぇ、何とか言ってよ。あ、大丈夫。金なら俺が全部持つからさ」
「別に怖い事なんてしないから、俺達と一緒に行こうぜ?」
最早定番ともいえる誘い文句。第一、人を騙すつもりならこの男達はもう少し演技というものを覚えておくべきだ。どれだけ優しい言葉を掛けようとも、その顔では騙されついていく人など誰もいまい。
「…行かない。海、見たいから」
哀れというべきか─────少女にとって、自身を口説く男達の事など眼中になかったらしい。ぼう、とした口調でそれが男達をあしらう為の言葉か、或いは本心からくる言葉か判断がつかないが、流石に男達についていくという選択はしなさそうだ。
「海?そんなのより俺達と一緒にいる方が楽しいって!」
「ほら、こっち来いよ」
しかし相手が女の子と一人となれば気が大きくなるものなのか、男達は全く気にする素振りも見せず、あろう事か少女の腕をとって無理やり連れて行こうとする。
腕を掴まれた少女が驚き、やや素早く振り向く。それを見たシンは、流石にまずいと感じ砂を蹴って駆け出す。
「何してるんだッ!」
「────あ?」
鋭く発せられたシンの声が響き、ようやく男達はシンの存在に気付いた。言い寄られていた少女も振り返って、声を発したシンの方を見る。
ウェーブが掛かった金髪に、青いドレスを着た少女─────どこかで見た事があるような、という既視感を今は忘れ、シンは男達へと向き直る。
「嫌がってるじゃないか。断られたなら大人しく帰れよ」
「…なんだよ、ガキ。関係ねぇ奴が出しゃばってくんじゃねぇよ」
「そうそう。大人しく帰った方がいいのは君の方だよ?そうしたら痛い目見なくて済むからさ」
完全にシンを舐め腐った口調で見下す発言をしてから、男達は不意にシンの背後へと目を向ける。そこにはシンについてきたルナマリアがいた。彼女の姿を見た男達は、更なる獲物の登場に嗤いを濃くする。
「ねぇ、もしかして後ろの子って君の彼女?可愛いじゃん…、君には勿体ないよ」
「だな。おーい、そこの君も俺達と一緒に─────」
好き放題言う片割れの台詞に同意しながら、男がシンの横を通り抜けてルナマリアへと手を伸ばす。直後、シンの手が素早く動き、ルナマリアへと伸ばされた男の手首を掴み取った。
「汚い手でルナに触るな」
男の手首を掴むその手に力を込める。途端、男から悲鳴が上がるがシンは力を弱めない。
シンは怒っていない。理由は分からない。ただ、男が下卑た顔をしながらルナマリアを見て、その手を伸ばしたのを見た瞬間、シンは無意識に男の手を掴んでいた。
「いてぇ、いててててッ!?このやろっ、離せよ!」
男が力任せにシンの拘束を剥がそうとするが、コーディネイターの力がガッチリと男の手首を掴んで離さない。悪態を吐く男に対してシンは無言のまま拘束を続ける。
「テメェッ!いい加減にしやがれ─────!?」
そのやり取りを見ていたもう一人の男が痺れを切らして動き出す。拳を握ってシンに向かって振るうが、遅い。素人同然のパンチに当たる訳もなく、前触れなく拘束を解いてから振るわれる拳を躱す。シンの拘束から逃れようと必死に力を込めて腕を引いていた男が、突然解き放たれた事で無様に砂浜に倒れ込む。その姿を見ないまま、シンは拳を振るった勢いのまま前へと突っ込む男の懐に入り込むと、そのまま背負い投げで砂浜へと男の背を叩きつけた。
「ガッ─────ハ!?」
二人の男が違った体勢で、並んで倒れ込んでいるのを冷たい目で見下ろすシン。少しして痛みから立ち直った男達は、自身を見下ろすシンと視線が交わり、怖気づいた様にびくりと体を震わせる。
数秒の硬直の後に、男達は不格好に立ち上がったかと思えば、そのまま悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
どこまでも絵に描いたようなチンピラだったな─────等と思いながらシンは振り返り、そして先程あの二人に絡まれていた少女と目が合った。
「あ─────」
「…?」
近い距離で少女の顔を見て、シンはようやく思い出す。この少女に自分は一度会った事があると─────割と最悪な経緯で。それも、今朝のあのアナンヤに仕出かしてしまったあれと同じ分類の。
アーモリーワン事変が起きた当日、つまりミネルバが出航したその日、シンはこの少女と会った。といっても言葉を交わした訳でもない、混雑の中ぶつかってしまっただけなのだが─────その際、この少女の胸を触ってしまった事は胸に秘めておく事にする。流石にルナマリアは勿論、この話を聞けばハイネにも幻滅される事間違いなしだ。
「シーン?」
「あ…、いや!別に何でもない!ないったら!?」
「…何よ、そんな風に慌てて。良かったわねー、可愛い子に恰好良い所見せられて」
ルナマリアにジト目を送られ、脳裏に過るのは当然朝の出来事。事実、目の前の少女に見とれていた自覚があっただけにルナマリアに対する罪悪感はハッキリしていた。
─────何で自分はルナマリアに罪悪感なんて抱いているのだろう?
そんな疑問は一瞬にして流れていき、シンの意識は少女に歩み寄り声を掛けるルナマリアの方へと向けられる。
「大丈夫だった?怪我とかしてない?」
「…」
ルナマリアの問い掛けに、少女は無言でただ頷くだけ。少なくとも、服の袖やスカートの裾から露出した肌に傷は見当たらない。少女の無言の返答通り、本当に怪我はしていないのだろう。
「…一人で来てるの?」
付き纏う男達は追い払い、少女に怪我もない。それで良かったと立ち去っても良かったのだが、何というのだろう。少女の纏う雰囲気が、浮世離れした服装と相まってどこか放って置けなかったのかもしれない。年の頃はシン、ルナマリアとそうは変わらない筈なのだが表情、素振りがどうも幼く見えてしまう。
だからだろうか、ルナマリアは少女と目を合わせながら続けて問い掛けた。少女は変わらずぼう、とした様子でルナマリアを見つめてから頭を横に振り、口を開いた。
「ネオ、アウル、スティング…一緒に来た。
あのチンピラ二人以外、周囲に人が見当たらなかった為少女一人でここへ来ているのかと思いきやそうではないらしい。だが一緒に来たという、恐らく数は三人の仲間達は少女を置いて別の場所へと行ってしまったのだろう。
見た感じの少女の年齢からして、一人にしても問題ないと判断するのは自然とは思うが─────。
「そっか…。あっ、アタシ、ルナマリア。こっちは、シン」
思いついた様にルナマリアが名乗ると、ついでといった感じで指しながらシンの名前も少女へと教える。
「ルナマリア…、シン…」
最初にルナマリアの方を見て彼女の名を、そしてシンの方を見て彼の名を反芻する。その様子を見たルナマリアが微笑みながら頷いた。
まるで幼い妹を世話する姉のようだ。初対面だというのに、少女の警戒心の薄さもそうだがルナマリアの人柄もまた他人との間の壁を薄くさせるのだろう。初対面とは思えない微笑ましい光景にシンの顔も緩む。
「ねぇ、ステラ。ここにいて、アイツらが戻って来ないとも限らないし…私達と一緒に行かない?ステラの仲間の事も探さなきゃ」
微笑ましく見守っていたら、ルナマリアが思わぬ事を言い始めた。しかし彼女の言う通り、一度追い払いはしたがあのチンピラ達が未練がましく戻って来る可能性はないとはいえない。もしその時、シンとルナマリアがその場にいなかったら─────今度こそ少女が連れられ、酷い目に遭う事だってあり得る。
「一緒?…ルナマリアと、シンと?」
「うん。…どうかな?」
首を傾げながら確認するルナマリアと、少し後方で返答を待つシンと、少女は再び交互に見遣る。やがて少しの間ぼうっと、恐らく答えを考えていたのだろう少女は顔を上げ、真っ直ぐにルナマリアを見ながら小さく頷いた。
「一緒なら…ステラ、行く」
パッ、とルナマリアの表情が明るくなった。
「ありがとうっ!なら、行こっ」
ルナマリアが手を差し伸べ、少女がその手をおずおずと取る。するとルナマリアは少女の手を引いて歩き出し、少女も一瞬驚いた様子を見せながらも、握られた互いの手を暫し見つめてから何を思ったのか、小さく笑みを零す。
「シン!」
「あぁ、今行く!」
呼び掛けられ、シンも続いて足を踏み出す。思わぬ同行者を加え、デートという形ではなくなったがルナマリアと少女の楽しそうな顔を見ていると、ハイネの命令なんてどうでもいい事のように思えて来る。
それでも胸の中で一縷の残念さを覚えながら、それの正体を今は分からないまま、シンは早足で前を歩く二人─────ルナマリアと少女、ステラの背中を追い掛けるのだった。
次回、ユウとフレイのターン。