隠密用潜水艦サッバーフは地球軍、ザフトの警戒網に引っ掛からないよう細心の注意を払いながら地中海の海中に身を潜めていた。
ディオキアでフレイとの再会を果たし、喜びを覚えるのも束の間─────地球軍に残るという選択をした彼女を案じず終わる日などない。ユウの頭の中では次々と舞い込んで来る世界情勢は端へと追いやられ、日に日にフレイという存在が大きくなっていく。
そんな状態でも、たった今舞い込んで来た情報を聞き流す事などできよう筈がなかった。
「オーブ海軍がスエズに向かっている!?」
自室で身を休めていたユウが艦橋に呼び出された直後、聞かされた話はそれだった。空母一隻に護衛艦六隻、更に出立した空母はあの
「どういう事ですか。オーブが何故、このタイミングで!?」
「僕も驚きましたがね。…ただ理由がこれなら、納得もいく」
「…?」
小さく息を吐いてからユウの問い掛けに答えたムルタが、一枚の写真を差し向ける。一体何なのか、怪訝な顔を浮かべながら写真を受け取ったユウの表情が、そこに映し出されたものを見てみるみる険しくなっていく。
「これは─────」
「どうやら我々は地球軍を甘く見ていたのかもしれないですねェ」
写真に捉えられたのは頭上から写し撮られた白亜の巨艦の姿─────誰に答えを示されなくともすぐにユウは状況を理解する。確かにこんなものが撮られたとなれば、さしものカガリも動かざるを得まい。
「アークエンジェル…!」
「僕の失態でもありますね。彼らの航海をサポートする手もあったというのに…」
オーブ国外へと出ているアークエンジェルの存在を地球連合が知り、それを要素としてオーブへ脅しを掛けたのだろう。今のオーブの国防態勢を鑑みれば、本格的な地球軍の侵攻に遭えば呑み込まれるのも時間の問題。
「アスハ代表へ、セイランを中心とした親地球連合派閥から糾弾が向けられているとも聞いています」
ユウよりも先に艦橋へと来ていたメテラからも言が向けられる。外部からの圧力だけでなく、内部統制の乱れ─────ただでさえ今のオーブ政府にはセイランを初めとした地球連合へ協力すべきと考える勢力が多くいるというのに。
「糾弾については上手く躱しているようですが」
カガリの身の危険というのはなさそうだし、その点についてはユウも心配してはいなかった。何しろ今のカガリの傍にはカナード、そしてアスランもいる。しかしその二人がいて尚、抑え切れない強い流れが生まれてしまった。
「オーブの参戦は避けられません。そして恐らく、この情報は彼女らにも伝わっていますよ」
「…」
ムルタからの声に対し、ユウはすぐに返事を返す事ができなかった。胸の中で生まれるユウの迷い。
彼女ら─────それがアークエンジェルに乗っているキラとラクス達である事は言われるまでもなく分かっていた。そしてこの情報を掴んだ彼女達が次に移すであろう行動も、恐らく─────。
「…ザフトは間違いなく艦隊を出す」
「えぇ。ぶつかるとすれば…、恐らくはここ」
広げられた海図のとある一点をムルタが指す。
あの時はアークエンジェルの乱入によって生じた混乱、更にはキラとフリーダムという圧倒的な力によって瞬く間に戦場は制圧され、地球軍、ザフト共に大きなダメージを負う痛み分けとなった。だがこの世界の戦いは果たしてどうなるのか、ユウにとっても全く推し量れない。
各陣営の戦力もそれぞれ変化している。地球軍側にはムウがいない代わりにフレイがいて、オーブ側には原作と違ってMIAにはならず帰艦したムウがいる。そしてザフト側にはアスランこそいないが、ディオキアでセイバーを加えたミネルバがいる。
「…アズラエルさん。針路をダーダネルス海峡に」
「…本気ですか?連合、ザフト両陣営に目をつけられれば動きにかなりの制限を受けると分かっている筈です」
「
ディオキアの偽のラクス・クラインのライブ会場付近でセイバーを目にしたあの時と同じ感覚を、ユウは感じていた。重大な何かを見落としている─────どれだけ考えてもその正体に辿り着けない焦燥感。ムルタの言う通り、このタイミングで表舞台に出るのは悪手かもしれない。しかしそうしなければならない、という強迫感がユウを駆り立てていた。
「…針路変更。ダーダネルス海峡へ向けなさい」
「─────ありがとうございます」
こうしてムルタが我が儘を聞いてくれるのは果たして何度目か。ユウの勘によって命拾いした場面が何度もあったからこその判断というのもあるが、ムルタ自身今表舞台に出る事への忌避感は強い筈だ。その上で提言を受け入れてくれた事へ、ユウは頭を下げて強い感謝を表す。
だが、どうしても引っ掛かる。原作知識という本来あり得てはならない知識を持っているユウだからこそ抱き得る違和感。それはディオキアで感じたものとはまた別の、もう一つの違和感。
原作では結婚式への乱入という騒ぎを引き起こしたが故にアークエンジェルがオーブを脱出した、という情報は世界中へ知れ渡った。が、その後の行方について地球連合は勿論、アークエンジェルを危険視していたデュランダルでさえ掴めていなかったのだ。それがこうも容易く、それも入念に注意と警戒を重ねた上で出航したにも関わらず、アークエンジェルの動向が漏れてしまった。
ザフトとの戦争に注視していた筈の地球連合が、こう言っては何だが気付ける筈がない。何しろあの時のオーブはすでに同盟に加入していた─────警戒を向けるべき敵国ではなかったのだ。それが何故、こうも早く…?
ふと、ユウの脳裏に黒い影が過る。常に暗躍を続け、世界を掻き回し、混沌へ落とそうとする。ユウ達が必死に追い続けて尚、掴めない黒い影─────
戦局の混迷─────それこそが目的だというのなら話は簡単だが、それだけではない気がする。分からない─────分からないが、薄っすらと背筋が粟立つのだ。Dという存在について考える度、言わんともし難い感覚に襲われる。まるで、ユウ・ラ・フラガという存在が、何かを通して観察されているかのような────
「っ─────」
「…ユウ様?如何されましたか」
「いや…、何でもない」
背筋に奔る強烈な悪寒。微かな身の震えを押さえ切れず、メテラに悟られ心配を向けられてしまう。すぐに頭を振って返答を返してから、ユウは広げられた海図へと視線を落とした。
D─────気にはなるが、今はとにかくこの身を包む焦燥感の正体を突き止めなければ。そして今頃ダーダネルス海峡へと向かっているかもしれないアークエンジェルの安全の確保─────最優先事項はこの二つだ。そう分かってはいるのに、どうしてもユウの脳裏を黒い影が過ってしまう。
─────オーブを出て、Dという存在を知り、常に奴の陰を追い続けて来た。その果てに恐らくDはフラガの血を引く人物であるという事までは掴めたが、再び勃発した戦争と、水面下でユウ本人ではなく周囲へ向けられる襲撃の手への対処。それらによってDの追跡は思うようにいかず、それ以上の情報にまでは届いていない。
手札を小出しにしながら世界を乱し、ユウの目を自身から逸らさざるを得なくさせる。それこそがDの本当の目的なのではないか─────心の隅でそんな事を思いながらも、今はどうにもならないというじれったさを抱えながらユウ達はとにかく先を急ぐしかないのだった。
オーブ軍空母タケミカズチの艦橋では、合流した地球軍艦隊の司令官が招かれ作戦会議が行われていた。顔半分を隠した異様なマスクを着けた地球軍の司令官はネオ・ロアノーク大佐と名乗り、その性別と若さを感じさせる声にトダカ達も驚かされた。
彼女と共にトダカ、そして副官のアマギは戦略パネルを囲んでいる。
「こちらの動きは当然ザフトに察知されているでしょう。あちらも動き出しているとすればこの辺り…、ダーダネルスで迎え撃つのが最良と考えますが、如何です?」
「…えぇ。私も同じ考えです」
タケミカズチを訪れた異様な少女指揮官は嫌に低姿勢だ。そもそも、こちらを呼びつけるのではなく自らがやって来る事自体がトダカにとっては不気味以外の何物でもなかった。形としてはオーブが請われて兵力を提供した立場なのだし、当然といえば当然なのだが─────地球軍の横柄さにこれまで慣らされてきたトダカ達からすると、彼女の慇懃さは意外だった。
「問題は
「そのようですな」
慇懃な微笑みを崩さないネオへ、トダカは簡潔かつ鋭く刺すように一言を言い放つ。傍らでギョッ、とアマギが自身へ振り向くのを視界の端で見て取るが、構わずトダカはネオの一挙手一投足に目を光らせる。
「だからこそ、私達が最もあの艦の恐ろしさを知っている。今回も数では我々が優っていますが…、断じて油断なさらないように」
「…了解」
挑発すら混じった一言に対し、ネオは気を害した様子を微塵も見せずにトダカに釘を差す。淡々と間近に迫った戦いにどうすれば勝利を収められるのか、ただその事だけを考え、トダカ達と共有する─────むしろ彼らが抱く地球軍人への尊大な印象通り、ここで噛みついてくれた方がやりやすかったかもしれない。
「海峡を抜ければすぐに会敵すると思いますが─────先陣は我らが。左右どちらかに誘い出しますので、オーブの方々は側面からザフトを叩いて頂きたい」
「ッ…」
ここまで来ると最早、夢現に取り込まれているのではないかとすら疑ってしまう。この戦いで一体どんな役回りをさせられるのかと内心身構えていたトダカは、ネオからの依頼に肩透かしを喰らう。
つまり彼女は、正面から敵と当たる役目を、最も損害を被るに違いない先陣を選ぶといっているのだ。オーブ側を先陣に引き摺り出し、盾代わりとして自分の戦力を守る事だって出来る筈なのに。若さ故の甘さか、はたまた甘い言葉の裏に思惑が潜んでいるのか─────表情を覆い隠す仮面越しでは、少女の内心は全く見て取れない。
「それとも、貴方方が先陣を買って出て頂けるのでしょうか?」
「…いえ。敵を良く知る貴女方の方が確実かと」
トダカの返答を聞き、ネオの口元が微笑む。仮面越しにでも滲み出る美麗な微笑みを味わう暇も余裕もなく、トダカは背筋に薄ら寒さを覚えていた。
軍人として服役してから幾十年という年月が経つトダカですらも、このネオ・ロアノークという年若い指揮官に底知れなさを感じさせる。まだマユとそう変わらない年齢だろうに、地球軍は一体この少女にどんな訓練を施したのだろうか。
だが、ネオにどういう思惑があれど本来参戦する義理などない他国の戦争で兵士の命が使い捨てにされるという事態は、少なくとも回避されたと見て良いだろう。そこに至る経緯がどれだけ不審なものであったとしても、多くの隊員の命を預かるトダカにとって第一に優先すべき事は、なるべく多くの生存者と共に国へと帰る事だ。例え戦いにおいてザフトに敗北しようとも構わない。勝ち負け以上に重きを置くべきものを心に刻みつけているからこその、若い指揮官に従うというトダカの選択だった。
この少女の掌の上で踊らされているのだとしても、無益な戦いに駆り出される羽目になった兵達が生き残る可能性が上がるのなら─────微笑みを崩さないまま戦略パネルを差しながら詳しい配置の案を説明するネオに向けるトダカの目に、決して油断の色は存在しなかった。
来る戦いへ向けてある程度の方針は固まった。オーブ側からの反対等はなく、拍子抜けするほどに呆気なくブリーフィングを終えたネオはJ.P.ジョーンズへと戻り、艦長へと話した内容を説明していた。
「…よろしいのですか?」
一頻りオーブ側とのブリーフィングにて決まったことについて説明し終えた後、艦長は静かな声で問い掛けてきた。
「何のこと?」
「わざわざ我々が危険な目に遭いにいかなくとも良いのでは、と申し上げているのです」
やはり突いてきたか、とネオは内心溜め息を吐きながら彼女へ鋭い視線を向けてくる艦長へと振り向く。
「オーブ軍を囮にした方がいい─────そう言いたい訳?」
「その方が我らの生存率は上がるでしょうな」
ハッキリとそう言った訳ではないが、ネオが定めた地球軍が前線へと押し出て、オーブが側面から敵を囲い込むという作戦に対して不満であると、艦長の態度からありありと伝わってくる。オーブ側の、トダカといったあの艦長もそうだが、このJ.P.ジョーンズの艦長もまた部下思いの上官らしい。
確かに一見、地球軍とオーブ軍の作戦上の立場を入れ替えれば、地球軍側の兵士の生存率は上がりそうにも思えるが─────いや事実、生存率は上がるのだろう。しかし彼女らに降りてきた命令はスエズの解放であり、生存ではない。
「簡単な話よ。自分の立場をオーブ側に置き換えて考えてみなさい。…戦う気なんて起きるかしら?」
「…いいえ」
「そうね。自国の益にもならない戦いになんて行く気にならないでしょう?それを無理やり引っ張り出されたのが彼ら。…戦意なんて皆無、そんな兵士を前線に置いてこちらの思惑通りに動いてくれるなんて思う?」
「…」
立て続けに質問を投げかければ、艦長は口を噤んで黙り込んでしまう。
ネオとしては少ないながらでも
とにかく、士気の低い兵士を前線に送り出すくらいなら、危険性が薄いという餌をチラつかせ少しでもこちらの思惑に乗せられる可能性を広げた方が勝率は高くなる─────というネオの判断だった。それに自国の理念を曲げてまで寄越してくれた援軍を盾代わりにしたなどと、あの女獅子に知られれば国同士の関係に影を落とすのは必須。
─────今更悪化する友好関係などないのかもしれないが、戦争終了後の国交に進んで悪影響を及ぼす事もあるまい。何より、オーブはネオにとって─────
「…何か反論はあるかしら」
「いいえ。その方が勝率が高いと考えた上での判断ならば、何も」
甘さを含んだ思考をシャットアウトし、艦長へそれ以上の申し立てがあるのか問い掛ければ、彼は頭を振りながら答える。ネオが年若いが故に、判断に甘さが混じっているのではと疑念が湧いたのだろう。地球に降りてからは別れたイアンであれば、そんな温い判断はしないと言わずともネオの真意を察してくれたのだろうが。
「─────彼はどうしてる?」
前方、ガラスの向こうに見える海原を見つめながら不意にネオの口が開く。
「今は技術班と共に機体の整備をしているようです。不審な動きは見られていませんが」
「そう。なら、いいわ」
要領を得ないネオからの問いが、先日上からの意向でこの艦に配属されたパイロットであると察した艦長が淡々と答える。一見、配属されたばかりの兵への上司からの気遣いに思える質問は、その実不自然なタイミングで、更にたった一人というこれまた不自然な人数でやって来たパイロットへ隠そうともしないネオからの疑念だった。
艦に積まれたモビルスーツの性能は見事なものだったし、それに搭乗するに相応しい腕を持つパイロットだというのも認める。だが不自然な程に、そのパイロットの名は
「…目の前の事で一杯一杯だってのに」
「…何か?」
「いいえ、何でもないわ」
苛立ちが籠った呟きは聞き取れこそしないものの艦長の耳にまで届いていた。視線を向けながら尋ねてきた艦長へ、即座にぴしゃりと返したネオは気が重くて仕方がない。
ミネルバを含めたザフト艦隊は難敵だというのに、同時に背後の心配までしなくてはならない。自ら選んだ道とはいえ、この仕打ちはあんまりではないだろうか─────。
この艦へ配属されてすぐ、初めての顔合わせであのパイロットから一瞬感じた下卑た視線を思い出しながら、ネオは内心で大きな溜め息を吐く。
戦いの場はすぐそこだ。その規模は恐らくかつてないものとなるだろう。そんな暇などないと分かってはいても、この沈鬱な気持ちはどうしても収まってはくれなかった。
次回戦闘に入るか、少なくとも出撃まではいく─────予定←