ダーダネルスでの対オーブ、地球連合軍海戦を終えてミネルバはマルマラ海沿岸の小さな港、ポートタルキウスに横付けしていた。
先の戦いでミネルバは船体には損耗こそないものの多くの傷跡が刻まれ、更に弾薬も相当量を消費した。幸運にも死者はゼロだが怪我人もおり、少しの間ここで停泊し体勢を立て直す算段をタリアは立てていた。
「資材、物資はすぐにディオキアの方から送られてくるそうです」
「そう。…できるだけ急いで頼むわね。いつもこんな事しか言えなくて悪いけど」
「いえ。分かってますよ、艦長」
エイブスを始めとした技術スタッフが早速作業に取り掛かるのを見届けてから、タリアはもう一度ミネルバの船体を見上げる。
ミネルバに刻まれた傷跡は実に痛々しいが、それだけだ。あれ程の規模の戦いでこの程度で済んだのだから、良かったと思えばいい。そう思えれば、どれだけ楽だったか……。
あれが真っ当な戦いで、自分達の力だけで乗り切れたのであればそう思う事ができたかもしれない。しかし実際はそうではなかった。突如戦場に現れ、戦況を混乱させた謎の闖入者─────あれがなければ果たしてこの程度で済んでいたか。あの戦いでミネルバは更なる手傷を負い、人的被害だって出ていたかもしれない。そんな風に思えてしまうのが、タリアは腹立たしかった。
フリーダム、アークエンジェル、アストレイ─────あれらが明確に敵として自分達に牙を剥いてきたのであれば、こうも怒りも湧いては来なかっただろう。それでミネルバは沈んでいたとしても、飽くまでそれは自分達の力が足りなかっただけだと納得できた。
しかし奴らは偏りなく、両軍へ銃を向けた。ザフト、地球連合、そして所縁がある筈のオーブにも構わず。敵味方の区別なく、どちらにも最小限の被害のみを与えて戦闘を終結させた。それこそが彼らの望みだったのか……?
味方でもなく、敵とも分からない相手に守られた─────それがタリアの中でもどかしさと怒りを生んでいた。そして同様の怒りを抱いているのは何も、彼女だけではなかった。
ミネルバ艦内、クルーに宛てられたプライベートルーム……二人用の室内で一人ベッドに寝そべる少年、シン・アスカもまたタリアと同じ感情に身を燃やす人物の一人だった。
戦況は確かに苦しく、またあの時アストレイが介入していなければインパルスはガイアによって撃ち抜かれてシンの命運は尽きていただろう。冷静になって考えられるようになり、そうと頭の中では分かっていても感情は断じて納得しない。
─────クソッ…!
あの戦いから、シンは打ち消そうとしてもし切れない記憶の映像によって苛まれていた。あのアストレイに助けられたのもそうだが、それ以上に今の彼にとって苛立たしい
セイバーの援護をすべく、見ているだけでも圧倒されそうな戦いに割って入り、ゼノスの相手を請け負ったシンだったがその結果は燦燦たるものだった。経験した事のない機動力に任せた暴力に、シンはただただ翻弄され続けた。交戦時間は短く、突然地球軍側が撤退した事によって闖入者達も矛を収めた為に機体に目立った損傷はなかったが、あのまま戦い続けていればどうなっていたか。
─────やられていた…、やられていた!俺がッ!
結末は火を見るよりも明らかだった。動力の差はあれど、性能はインパルスの方が上の筈なのに。特異な機動力を持っているとはいえ、世間的にゼノスは型落ち機なのだ。それでもシンは敗れた。命を拾ったとはいえ、その事実は変わりなく、シンの心に強く刻みつけられる。
「…ッ」
限界だ。体を休めるべきと分かっていても、これ以上じっとなどしていられなかった。シンは一つの
強くなりたい─────何者にも負けない強さが欲しい。何者にも奪われない強さが欲しい!
シンの中で渦巻くのは原初の衝動。今の彼を形作る強さの渇望。アーモリーワンを出港し、ミネルバのエースとして勝利を重ねていく内、無意識に薄れ始めていた激情。
シンは自分が自惚れていたのだと自覚した。自分は強くなったのだと、守りたいものを守れるようになったのだと、この数か月間の内に思うようになっていた。だがそれは勘違いだった。
脳裏に過る異端児の影─────そして、舞い踊る黒と紅の軌跡─────自分はまだまだ弱いのだと思い知らされた先の戦い。強くなりたいという思いがシンの迷いを打ち消し駆り立てる。
目的地に辿り着くまでにそう時間は掛からない。艦内の同区画にあるのだからそれも当然だ。シンはとある人物の自室の前で足を止め、大きく深呼吸をする。迷いは消した、とはいえこれから話す相手が相手だ……どうしても緊張が奔ってしまう。
だが、決意は揺るがない。これからを戦い続けていく為にも、今のシンには彼女が必要だった。
扉の脇の呼び出しボタンを押す。そうして数秒後、スピーカーから小さな物音が聞こえてきた。
「…シンだけど、少しいいか?」
返答はない。ただ、スピーカーからは続けて音がしている。一定のリズムで連続して聞こえてくる音─────これは足音だ。
そうと気付いた直後、無機質な機械音と共に扉が開かれる。直後、シンの視界で滑らかに白銀が揺れた。
普段は束ねられている長い髪は今は解かれていた。それによって綺麗な銀髪が彼女の動きに合わせてふわりと揺れる様にシンは目を奪われて─────すぐに彼を鋭く睨みつける金色の目と視線が交わり我に返る。
「
アナンヤ・シェーシャ─────シンが迷いを抱きながらも尋ねたのは彼女だった。アナンヤはシンに名前を呼ばれながらも返事を返さない。どころか、自分は今不機嫌ですとでも言わんばかりに、イライラした空気を隠そうともしなかった。
何かあったのだろうか?それとも自分がここに来たせいか?アナンヤとの出会い方が最悪だったのもあって、後者の可能性が高そうなのが無性に悲しくなるし、ここから逃げ出したくもなる。
だが、シンにはこの場を譲れない理由があった。
「頼みがある」
「…頼み?」
表情こそ動かないが、短く返答があった。アナンヤがシンの話を聞く体勢をとったのを感じながら、シンはその場で勢いよく腰を折って頭を下げる。彼史上最も綺麗なお辞儀を披露できたという自画自賛を心の隅に置いて、シンは今この場にやって来た目的を告げる。
「俺に─────戦い方を教えてくれ!」
強くなりたい……なら、その為に最も手っ取り早い方法は何か。ただ闇雲に訓練をしても無駄だ。それでも今より強くはなれるのだろうが、シンが望む結果は得られないだろう。ダーダネルスでの戦いを終えてからずっとシンは考え続けていた。どうすれば、
答えは簡単だった。自分よりも強い誰かに……、あの領域に足を踏み入れている者に手解きを受ければいい。しかし単純な事とはいえ実現するのは至難。何しろ相手はアナンヤだ。ただでさえ性格は冷たく、他人を寄せ付けない。その上、教えを乞うのが訴えられたら負けるが必至の性接触を果たしてしまったシンであるのだから願いを受け入れる可能性は限りなくゼロに近い。
それでも、シンはどこまでも食い下がると決めていた。アナンヤからのどんな罵詈雑言を受けても耐える覚悟をしていた。全ては強くなる為─────自分の誓いを守る為に。
アナンヤへ向けて頭を下げ続けるシン。そんなシンを、彼女は微かに見開いた目で暫し見降ろし続けるのだった。
隠密潜水艦サッバーフはエーゲ海諸島にある島、カルパトス島付近の海中に身を潜めていた。ダーダネルスでの戦いから生還したユウは短い安息の時を過ごす─────なんて気分に当然なれる筈もなく、自室の椅子に腰を下ろし、腕を組んで頭の中を整理する。
アークエンジェルとフリーダムの乱入、そして何故かザフトに入隊してミネルバに配属されていたシュラ・サーペンタイン。考えなければならない事は余りにも多すぎた。キラ達を戦いから遠ざけたいのもそうだが、ユウに重くのしかかるのはシュラ・サーペンタインの存在だ。彼がザフトに入隊したその目的は?デュランダル議長とアウラが繋がっているのか?そうだとすれば、何らかの形で他のアコードと再び戦場で相見える可能性だって出てくる。
その時、果たして自分は彼らを退ける事ができるのか。前回、ダーダネルスでの戦いでは実に手酷く圧倒された。幸いにも機体に欠損はなく、修理にそう時間は掛からなかったが次はどうか。あの時だって、ゼノス……マユの助けがなければ今ここにユウは生きていなかったかもしれない。
─────目的、か…。十中八九、
ユウの中で浮かんだ理由の一つ、シュラがザフトに入隊した目的については根拠こそないが九分九厘の当たりはつけられる。恐らくだが狙いは、計画成就にとって邪魔になりそうな存在─────ユウの抹殺。その為に一度袂を別ったデュランダルとアウラは手を組んだのだろう。そして彼らの裏には間違いなく、奴が潜んでいる筈だ。
何の目的があるかは知らないが、世界を再び戦乱に陥れて何かを画策する輩─────
「─────」
ことり、と目の前のデスクに何かが置かれる音がして、思考にのめり込んでいたユウの意識が引き上げられる。薄く湯気を上げる小さな陶器が一つ。中身は紅茶だった。
「頼んでないが?」
「必要かと思いましたので」
「…助かる」
この紅茶を淹れたであろう人物、今は自身の斜め後ろに立っているメイド服姿のメテラと短い会話を交わしてから、白い指を絡ませカップを持ち上げる。カップの淵に口をつけ、中身を含めば口内に広がる心地の良い紅茶の風味と控えめな甘さ。ユウの好みに絶妙に合致している─────悔しいが、完璧だ。
「お前って本当、有能だよな」
「お褒め頂きありがとうございます」
メイドとしてもそうだが、メテラは実に有能だ。まだユウとムウがフラガの屋敷に暮らしていた時、つまり彼らの父が存命だった時も、彼女はアルに気に入られていた。
そう、あの父がだ。どこまでも絶対を求めるあの完璧主義者が、一度小さな粗相でも犯せば容赦なく処分を下していたあの人でなしが、メテラには処分は勿論 責すらしている所をユウは見た事がなかった。これがどれほど凄まじい事か、当時を知る者にしか分からないだろう。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「何なりと」
「何で俺の所に来たの?」
「─────」
だからこそ分からないのだ。アルにすら認められるほどの能力を持っているメテラが何故、こんな所にいるのかが。
いや、ユウとしては実に助かっている。メイドとしては─────ふとした時に舐めた口を利いてくる所以外は完璧だし、何よりモビルスーツの操縦をかなりの高水準で熟せるのは流石に驚かされた。宇宙でアコードの部隊と会敵した時、奴らを退かせる事ができたのは彼女の力も大きかった。
─────他にもっと良い生き方なんていくらでもあっただろうに。
一人でのし上がる事もできた筈だ。美人と称するに相応しい容貌と、静かで思いやりのある性格に惹かれる男もいるだろう。女としての幸せを掴む事だってできた筈だ。
メテラには様々な可能性があった。その資格があった。なのに彼女が選んだのは、ユウの傍についてくる事だった。それは、一体何故なのだろうと思う時は何度もあったが尋ねた事は今までなかった。
ふと、聞いてみようと思った。
「私は、ユウ様のメイドですので」
簡潔に答えが返ってくる。
訳が分からない。というか、答えになっていない。それを押し通す理由を聞いているというのに、それが分からない彼女ではあるまいに。
「……」
再び問いを投げ掛けようとユウは口を開きかけて、振り返った先でじっと見つめてくるメテラの瞳を目の当たりにして声を呑み込んだ。
結局、メテラがユウの下についてきた理由は分からないまま。ただ……メテラは強い意志を持ってここにいる事、そしてその意志にたった今、自分は負けたのだという事だけは分かった。
「それでユウ様。お決めになられたのですか?」
「は?…何が?」
「これからどうするのか、です」
「…」
本当に、このメイドは有能が過ぎる。過ぎるが故にこうして痛い所を突いてくる。思わず目を逸らしてしまう。
先程メテラはユウの問い掛けに答え、逆にユウはメテラの問い掛けに答えられない。この対比のせいで再び自分が負けた気がしてどうも悔しい。しかし浮かぶ考えなどなく、口ごもるユウを少しの間見つめてからメテラが口を開いた。
「進言を一つ、よろしいでしょうか?」
逸らした視線を戻すユウ。それを真っすぐ見返しながら、メテラは続ける。
「此度の件、一人で背負い込むには余りにも重すぎるかと」
「…」
「ユウ様は優秀です。並大抵の事であれば、他人の手を借りずとも一人で貴方は熟してしまわれる。…だからこそ、今貴方は手詰まりに陥っておられる」
「…引き摺り出せというのか、俺に。キラとラクスを。皆を」
「勘違いされています。すでに彼らは、彼らの意志で戦う道を選んでいるのでは?」
それはユウにとって決して選んではいけない選択肢だ。彼が今ここにいる理由。温かな場所から離れ、国を飛び出したのは全て、愛する人達を、大切な人達を守る為に。二度と彼らの手を血で汚させない為に、ユウは再び戦いに身を投じる事を決意したのだ。
しかし、ユウもまた分かっていた。すでに自分の願いは果たされない事に気付いていた。キラもラクスも自分で選び、定めた意志の下再び戦場に舞い戻った。ユウが考えていたのは、彼女達にどうやってオーブに戻ってもらうか─────だがそれは、彼女達の意志を捻じ曲げるのと同義でもある。
「我々に必要なのは、志を同じくする仲間かと考えます」
「…」
あぁ、何も言い返せない。何故ならメテラが言っている事は全面的に正しく、ユウが押し通そうとしている事はただの意地だからだ。
今まではそれでも、と意地を張り通してきた。自分の戦いが皆の安寧に繋がるのなら、この身がどれだけ傷つきすり減ろうとも構わなかった。だが、今は違う。自分が意地を通し続けようとするほど、今度はキラとラクス達が傷つきすり減る恐れがある。
それは、違う。絶対に違う。断じて許してはならない。それなら─────
もうユウの目に迷いはなかった。後悔はある。自身の無力さへの悔恨もある。それでも迷いは消えた。
立ち上がり、自室を出るユウ。その後をメテラが続く。向かう先はサッバーフの艦橋へ、恐らくアズラエルがいる筈だ。アズラエルが今、今後の方針についてどう考えているかは知らないが、まずは話を聞いてみる。そして、場合によっては……アークエンジェルとの通信を繋げてもらう。
オーブを出てから約一年半。長く、長く、ユウは一種の孤独感に苛まれながら戦い続けてきた。全ては愛する人達を守る為……しかしもう、自分一人の手には負えない所にまで事態は進んでしまった。これ以上は、全てが破滅に繋がる危険がある。
全てに納得した訳ではない。それでも、と叫ぶ自分が心の中にいるのも確かだ。それを押し退けてでも、ユウは力を貸してほしいと、守りたい人達へ希う事を決めたのだった。
「…失敗、か」
場所はユーラシア、この場所を知る者はほんの一握りで、この男の部下の中でも片手で数えられる程しかいない。
誰にも知られず、悟られず、以前勝手な行動をして肝を冷やしてくれた婆への折檻を終え、再び世界の情勢に目を光らせる男─────Dは、先程室内に入って来たアンドレアス・イロアからの報告を受けて失望の息を漏らしていた。
それは先日、
「えぇ。…
「…」
神妙に繰り返されるアンドレアスからの報告に、Dは再度小さく息を漏らす。
「忌々しい…。ユウにへばりつく紛い物めが…っ!」
吐き捨てるようにDが言う。その声に込められているのは、苛立ちを通り越して最早憎悪だった。
「しかし戦いは彼女が優勢で、追い込んでいたとの事。…やはりただ戦い、追い詰めるだけではダメなのでしょうか」
「…シュラには叶わず、
二年前─────あの第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦で、Dは確かに
あの時、あの紛い物は失敗作によって追い詰められていた。戦いの中で確かな命の危険を感じていた筈だ。故に、Dは同じ状況を作り出せば再びユウを起こせる、と考えた。その為に彼が用意したのが、
しかし結果は失敗。シュラは確かに紛い物を追い詰めたが、ユウが起きる事はなかった。それは一体何故なのか?シュラとあの失敗作、何が掛け違っているというのか。
─────
一つの可能性として考えられるのは、血筋。苛立たしいが、あの失敗作にも当然自身と同じ、
─────私が直接出向くべきか…。
自分以外の候補を一人思い浮かべて、Dは即座にその選択肢を打ち消す。所詮
ならば、自らが出向くべきかと考えて、Dはすぐにその選択肢も消す。まだ戦力が整っていない今、これ以上自分の存在が晒されるのは避けたい。ただでさえ、あの紛い物に
「D様?」
「…シュラは引き続きユウにぶつける。なに、私にはまだ時間はたっぷり残されている」
逸る気持ちを抑える。そう、慌てる事はない。今の自分にはまだまだ残されているのだから。
黙り込んだDへ呼び掛けたアンドレアスへ返事を返してから、自身の両手を─────張りのある自身の肌を見下ろしながら幼い口元に笑みを浮かべる。
そう─────死を目前にしていたあの時とは違う。
今の自分には時間が残っているのだ─────。