時間が空いてしまい申し訳ない。
「見事に平穏ですね、町中は」
繁華街を抜けながら、ニコルは長い黒髪を揺らしながら前を歩くカナードへと声を掛けた。
なお、カナードからの返答はない。それどころか、聞こえている筈のニコルの声がまるで聞こえなかったかの如く、見向きもしないままただ歩き続けていた。
そんなカナードの姿を見ながら、ニコルは彼に気付かれない様に小さな溜息を吐いた。
オーブ国内へと潜入する方針を決めたザラ隊は、早速その日の深夜に行動を開始した。
彼らよりも前から潜入していた工作員の手を借り、アークエンジェルが匿われていると思われるモルゲンレーテ本社があるオノゴロ島への上陸に成功。
それからは二人一組に分かれて調査を開始─────したのだが、他のペアがどうなったかはともかく、このニコル・カナードペアについては、調査の進展は微塵もなかった。
そう簡単に情報が掴めるなんて誰も思っていなかった。勿論、ニコル自身もそう思っていたし、現在の状況も調査を始める前から覚悟をしていた。
それでも辟易しているのは何故か─────調査というものに全く興味がなく、行おうとすらしないカナードの所為である。
情報を集めようとしているのは主にニコルで、ではカナードは何をしているかといえば─────何もしていないというのが最早正しいまである。
ただニコルとオノゴロを歩き回り、周囲の景色を見回すだけ。そして時折、苛立たし気に表情を歪ませる。
同じ隊のメンバーとして合流したその日から、カナードは一度もニコル達と交流を深めようとしなかった。
それどころか、先日の国境付近の戦闘では、イザークのデュエルごとストライクを撃とうともしたという。
艦へ撤退した後のイザークの怒り具合は凄かったのを思い出す。アスランとディアッカが間に入りイザークを宥めながら、ミゲルがカナードと話をしていたが─────いや、あれは話とは呼べない。
ただミゲルの言葉をカナードが右から左に聞き流していた。ニコルからはただそれだけにしか見えなかったのだから。
「…はぁ」
調査を始めてからこれまで、ニコルとカナードの間に会話はない。
因みに何故ニコルがカナードと組む事になったかというと、
イザーク、ディアッカのどちらかがカナードと組めば仲違いし騒ぎになるのは目に見えている。
ならば、残るニコル、アスラン、ミゲルの誰かがカナードと組むしかない(カナードを一人にする選択は恐ろしくて取れなかった)。
そこで三人でジャンケンを行い、結果ニコルがカナードとペアを組む事に相成ったのである。
「ちっ」
「…」
それにしても、先程から何をそこまで苛立っているのだろうか。
現在、ニコルとカナードは人の往来賑わう繁華街の中を歩いているのだが、カナードは楽しそうに歩く人達の笑顔を見る度に、腹を立てているように見える。
「どうして、そんなに腹を立てているんですか?」
不思議に思ったのと同時に、ニコルの口からそんな問い掛けが突いて出る。
言ってからしまった、という後悔の気持ちと、直後にどうせ無視されるだろうという諦念の気持ちが湧いた。
しかし、そんなニコルの予想とは裏腹に、カナードは足を止めると振り返り、横目でニコルを睨みつけた。
「…この光景を見て、お前は何も思わないのか?」
「え?」
まさか返答があるとは、そして質問に質問を返されるとは思わず、ニコルは首を傾げてカナードへ碌な返答をする事が出来なかった。
カナードは数秒ニコルと視線を交えてから、前へと向き再び歩き出す。
そんなカナードを、ニコルは慌てて追いかけた。
「ま、待ってくださいっ。どういう意味ですか?」
「…」
ニコルは速めた足をカナードの隣で緩めて尋ねる。
そういえば、こうやってカナードと隣同士で歩くなんて初めてかもしれない、なんて心の片隅で呑気に思いながら、ニコルは続けた。
「僕には、幸せそうにしている人達がたくさんいる良い国に見えます。…貴方は違うんですか?」
笑顔の国民が大勢いる。それはつまり、平和という事ではないのか。
幸せで良い国、という風にしかニコルには見えない。しかし、カナードにとっては違うのか。
カナードには、この光景がどういう風に見えているのか─────尋ねるが、カナードは答えようとしない。
「…笑ってやがる」
「え─────?」
ニコルが諦めた、その直後だった。
平坦に聞こえてされど、確かに怒りが籠もった声が耳朶を打ち、ニコルはカナードの顔を振り仰ぐ。
「笑ってやがる。この国の外で何が起きてるか知らないまま、ヘラヘラ笑ってやがる」
「この世界では戦争が起きていて、人を殺して、人が殺されて、苦しんで、それを他人事だと考え眺めながら、こいつらは笑ってやがる」
「テメェの国の上層部は戦争の片棒を担ぐ真似をして、それの責任をとったつもりでいる馬鹿な元国家元首の言葉に踊らされる哀れな国民。…こいつらの笑い声は、俺にとっては嘲笑に聞こえる」
瞳には爛々と怒りの色を灯し、笑って雑踏を歩く住民達を睨みながら怨嗟の声を漏らしたカナードを、ニコルは息を呑みながら見つめる。
今にも彼らを殺さんと飛び掛かっていきそうなカナードに、ニコルは冷や汗を流しながらも、一歩二歩と足を進めてカナードの前に出る。
そしてニコルは、精一杯の笑顔を浮かべながら振り返る。
「僕は、彼らが何も知らないまま笑っていてくれて良かったって思います」
「─────」
ニコルが自身の言葉と反する返答をしたからか、それともニコルの笑顔に虚を突かれたか、カナードは微かに驚いた様に目を見開いた。
「…戦争なんて知らない方が、絶対に良いに決まってるじゃないですか。僕は、いつか世界中の人達がここに居る人達みたいに笑って過ごせる─────そんな世界の方がずっと良い」
「…夢物語だな」
「難しい事は重々承知です。ですが…、いつかそんな未来が来る事を願いながら、僕は戦います」
「…」
カナードが視線を向けてくるのを感じ、ニコルは首を傾けて視線を返しながら続けた。
「僕達の様に手を血に染める人を、これ以上増やさない為にも」
「っ─────」
その時、カナードの表情に明確に驚愕の色が浮かんだ。
それを見たニコルが不思議そうに首を傾げると、我に返ったカナードが表情を収めて前を向いて、歩くペースを速める。
「あっ、待ってください!」
ニコルの声にカナードは答えない。これ以上、ニコルと会話を交わす事もなかった。
だが─────
『僕達の様に手を血に染める人を、これ以上増やさない為にも』
─────綺麗ごとを。
弱いくせに、綺麗ごとばかり口にするこのニコル・アマルフィという少年は、カナード・パルスにとって嫌いなタイプだった。
その筈だった、のに。
─────叶う筈がない。
そんな綺麗ごとが実現する筈がない。
こんな醜い世界で、人の憎しみが渦巻くこの世界で、叶う筈がないのに。
ただ無知で、夢見がちで、その癖弱いガキ。
なのに、何故だろう。
カナードには、今のニコルがどうしようもなく眩しく見えてしまうのだった。
ザラ隊が結成されてから、最も長く会話をする事が出来た二人だったが、結局本来の目的であるアークエンジェルの発見は勿論、モルゲンレーテへ入り込む隙も見つけられなかった。
予め定めていた制限時間が迫っていた為、二人は集合場所である工場区へと向かうと、すでにアスラン達が戻って来ていた。
「どうだった?」
「ダメです。…皆もやっぱり?」
「…くそっ!あのクラスの艦をそう易々と隠せるとは思えんが…」
アスラン達の表情を見る限り、ニコル達と同じく情報収集は難航しているらしい。
「とにかく移動しようぜ。不審に思われちまう」
一所に六人、固まって立っていれば不振に思われかねない。
そう懸念したミゲルが進言し、彼らはフェンスに沿って歩き始めた。
周囲を見回しながら侵入経路を検討しつつ、不意にイザークがアスランへと問い掛ける。
「海沿いの警戒は厳しいな…。チェックシステムの攪乱は?」
イザークの問い掛けにアスランは首を振ってから、小型コンピュータの画面にシステムデータを呼び出しながら口を開く。
「何層にもなっていて、物理的には難しい。流石…というべきか」
「全く…厄介な国だねぇ、ほんっと」
アスランの返答にイザークは歯軋りし、その隣を歩いていたディアッカが辟易しながら呟く。
「システムに手を出すより、通れる人間を捕まえた方が早いとは思うが…」
「って、誰がそうだか分かんの?」
いっそ強行した方が早いのでは、とイザークが痺れを切らしそうになったその時だった。
「─────」
アスランが不意に顔を上げる。
どこからか、聞き覚えのある声が微かに聞こえた気がしたからだ。
『──リィ』
まただ。
今度はアスラン以外にも聞こえたらしく、彼らは足を止めて頭上を見上げる。
『トリィ』
「何だぁ?」
頭上を掠める小さな影。
メタリックグリーンの翼をはためかせ、小鳥のように見える小さな影が旋回した。
アスランが手を差し出すと、小さな鳥は再度鳴きながら彼の掌に舞い降りた。
「へぇ、ロボット鳥だ。…あっ、あの人のかな?」
ハッ、と顔を上げるアスランの視線の先。フェンスの向こう側から、作業服姿の少女が駆けてくるのが見えた。
困った顔で、時々何かの名前を呼びながら。
「…アスラン?」
ニコルの─────仲間達の声は、アスランには届かなかった。
フェンスの直前まで来た少女の目がアスランの姿を捉えた直後、アスランはゆっくりと足を進める。
目を見開き、驚愕を露にする少女─────キラに向かって。
「新しい量子サブルーチンを構築して、シナプス融合の代謝速度を四十パーセント向上させて、一般的なナチュラルの神経接合に適合するよう、イオンポンプの分子構造を書き換えました」
アストレイの試験場に、俺とキラは、今度は兄さんも加えて足を踏み入れていた。
そこでは、俺とキラが共同で改良した新しいOSを導入したアストレイのデモンストレーションが行われている。
今、俺がモニターの画面に映し出される映像を指しながらOSの構造について説明しているが─────そんな口頭の説明よりも、ガラスの向こうにあるモビルスーツの動きの方が雄弁に語ってくれていた。
「よくそんな事をこの短時間で!二人共、凄いわねホント」
エリカ・シモンズが先日とは比べ物にならない程に滑らかに動くアストレイを見ながら、感嘆の声を上げた。
「俺が乗ってもあれくらい動くって事?」
「えぇ、そうですわ。お試しになりますか、少佐?」
「え、いいのかい?」
「ダメに決まってんだろ…」
デモンストレーションを羨まし気に見つめていたムウがエリカに視線を向けると、エリカは屈託なく頷いてしまう。
いや、ダメに決まってんだろ。バカ、本当に乗ろうとすんな。シモンズ主任も兄さんを煽てないで欲しい。
俺の隣でキラが苦笑いしている。
こうして俺とキラが国家機密に触れている事自体異例で、相当グレーな事をしてるのに、そこに兄さんも加わって─────本当に大丈夫なのか、オーブは?
「ねぇ、ユウ。…大丈夫?」
「…何が?」
大人の会話を遠目に眺めていると、さっきまで苦笑いしていた筈のキラが話し掛けてきた。
瞳に気遣わし気な色を浮かべて、俺の顔を覗いてくるキラ。
…俺は何かしただろうか?
何でキラにそんな心配そうな顔をされているのか分からず、首を傾げながら聞き返す。
「何が、って…それは、その…。分からないけど…」
「分からないって…何だそりゃ」
盛り上がっている大人達を置いて監視ブースを出る。
後ろからキラが追い掛けてきた。そしてそんな彼女の肩に、ここまでついてきたトリィが落ち着く。
「キラこそ大丈夫なのか?昨日から殆ど寝ずに作業してただろ」
「それはユウも同じでしょ。…疲れてない?」
「別に。一日徹夜するくらい、慣れてるからな」
エレベーターに乗り込んで、キラと会話を交わす。
大学に通っていた頃は、レポートの作成やら色々と忙しくて、徹夜なんて珍しくなかったからな。本当に、一日徹夜するくらいはどうって事ないってくらいには、徹夜に慣れてしまった。
俺と比べてどうかは知らないが、多分キラも似たような感じだろう。ヘリオポリスのカレッジで、カトー教授に扱き使われてただろうし、俺と同じように徹夜に慣れていたって可笑しくはない。
「…」
「…なあ、さっきからどうしたんだよキラ?」
夜を徹して作業をしていたから、俺が疲れているのではと心配している。そう思っていたのだが、どうも違うらしい。キラの表情の色は、未だ晴れないでいた。
なので、もう一度尋ねてみる。キラは何を気にして、何を心配しているのか。
「ユウ…。あの─────」
俺が尋ねてから数秒、エレベーターが下層へと降り、音が鳴ったのとほぼ同時。キラは意を決したように口を開けて─────それと同時にエレベーターのドアが開き、その途端、キラの肩から突然トリィが飛び立った。
「あ」
「え…、トリィ!?」
勢いよくエレベーターを飛び出したトリィ、しかしキラはその場に立ち尽くしたまま動かない。
トリィが飛び立った方と俺と、交互に見遣ってまごついている。
「何してる!早く追い掛けるぞ!」
「う、うんっ!」
未だに動こうとしないキラに呼び掛け、二人一緒にエレベーターを飛び出す。
トリィはグリーンの翼を翻して工場の中を突っ切ると、空いたままだったハッチから外へと出て行ってしまう。
「トリィ…!」
焦ったようにキラが声を上げた。
俺達はこの敷地内から出る事を禁じられている。公的にはすでに出国している筈の身だからだ。
しかしトリィには翼があるから、フェンスもゲートも越えて出ていけてしまう。
「こらトリィ!」
キラの呼び声にトリィは答えない。翼を羽ばたかせ、トリィは尚も高く飛んでいく。
その様を、俺は駆ける足を動かしながら、他人事の様に眺めていた。
あぁ─────こんな事もあったな、と。
この後、キラはアスランとフェンス越しに再会をする。トリィが二人を引き合わせ、そして二人は更に深く葛藤するようになる。
葛藤は迷いを生み、迷いは弱さとなり、やがて悲劇となってキラとアスランに襲い掛かる─────
『トリィ!』
「っ、トリィ!」
敷地内に植えられた木立に視界が遮られ、トリィの姿を見失ってしまう。
しかし、すぐにトリィの鳴き声が聞こえ、俺とキラの視線が声が聞こえた方へと向けられる。
「「っ─────」」
直後、俺とキラが息を呑んだのは同時だった。フェンスを隔てた向こう側、そこに六人の少年が立っていた。
目深に帽子をかぶり、俺とキラが着ているものと似た作業服を身に着けている。
その内の一人が、こちらへ向かって歩き出した。
─────アスラン・ザラ。静かな物腰で、その手には緑の小鳥、トリィを留まらせている。
「…キラ」
アスランを視認したキラが、何も言わずに歩き出す。
俺の呼ぶ声は届いたのか、分からないままキラとアスランはフェンス越しに対面を果たす。
「…君の?」
「…うん。ありがとう」
俺からキラの表情は見られない。アスランはぎこちない表情でキラを見ている。
…キラも同じ顔をしているのだろうか。
フェンスの網目を抜けて差し出されたアスランの手から、キラの掌へとトリィが乗り移る。
その様子を眺めてから、俺はアスランの背後へと視線を移す。
銀髪に鋭い目つきのイザーク・ジュール。金髪に浅黒い肌のディアッカ・エルスマン。他の仲間と比べて幼い、ニコル・アマルフィ。本来、すでに命を失くしてこの場に居ない筈のミゲル・アイマン。
「…やっぱり」
あの機体、ハイペリオンが居た以上、彼もザラ隊に加わったのは明らか。それでも、この目で見るまでは心のどこかで半信半疑だったのかもしれない。
まさか、この場で出会えるとは思っていなかったのだろう。アスランと対しているキラを、信じられないといった様子で見つめているカナード・パルス。
そして─────
「…」
一瞬、キラの背後に居る俺を敵意の籠った目で睨みつけてきたアスラン・ザラ。
「昔、大事な友達に貰った…大事なものだから…。だから…、見つけてくれてありがとう」
「っ…そう」
「…それじゃあ」
キラが踵を返してこちらへ戻って来る。
トリィを胸に抱いて、その顔には悲しい笑顔を浮かべて、ゆっくりとした足取りで俺の所へと戻って来る。
「おい、行くぞ!」
アスランがキラに向かって、何かを言おうとした。
その直前、イザークが声を上げると、アスランは我に返ったように動きを止めてから、先程のキラと同じように踵を返す。
最後に俺とキラの方へと視線を向けてから、アスランは仲間の元へと戻っていく。
「…いいのか」
「…何が?」
「きっと、最後のチャンスだぞ」
「…いいの。決めた事だから」
これはキラにとっての最後のチャンスだった。戦いから逃れる事が出来る、最後の機会だった。
あの時、アスランにもう嫌だと言えば、きっとアスランはキラをここから連れ出し、戦いとは縁遠いどこか遠い所へキラを連れて行ってくれた筈だ。
しかしキラはそれを望まない。今自分が居る場所が、自分が選び取った道だからと。
どれだけ痛みを伴うものだと知っていても、それでもキラは俺の隣で戦う事を選び取ってしまった。
決意と覚悟に固まったキラの顔が、俺の心を抉る。
俺は弱いから、言えない。ここに居るなと、アスランの所へ逃げろと、俺の弱い心は口に出してくれない。
─────アスラン。
すでに目に見えなくなりそうな所にまで遠ざかってしまったアスランの背中を振り返る。
今からでもアスランが、キラに呼び掛けてくれれば、この子はアスランの手を取ってくれるだろうか。戦いがない場所を選んでくれるのだろうか。
─────醜いな、俺は。
結局、俺は弱い心のままで、キラにもアスランにも己の望みを打ち明けられず、自分の保身の為に大切な女の子を巻き込む道を選んでしまう。
あぁ─────こんな醜い存在は、消えて失くなればいいのに。
カナード君、ニコル君と繋がりを得てしまう&ユウ君が更に曇るの巻