「にこ、る?」
アスランはその名を呟いた。何が起こったのか、まるで分からない。
スピリットも凍り付いた様に動きを止めている。スピリットもまた、アスランと同じくらい呆然としているかのように。
四散したブリッツの破片が、色を失ったイージスの装甲を叩く。
「あ、あぁ…っ」
何故─────どうして─────ニコルが死ななければならない?
あんなに優しい少年が、誰にでも分け隔てなく関わりを持てる心を持ったニコルが─────何故、あんな風に殺されなければならない。
『ニコル!?』
『馬鹿なァッ…!』
通信機から聞こえるディアッカとイザークの声で、アスランは我に返ったと同時に、否応なしに実感させられる。
爆発によって燃え上がる火─────つい数秒前までブリッツが立っていた場所には破片が広がり、その傍ではスピリットが立っている。
「ふ…ううぅぅっ…!」
声にならない呻きを漏らしながら、アスランはスピリットを睨みつける。
ニコルまでも奪っていった仇敵へ、PSを失った機体で襲い掛かろうとした─────その時だった。
「っ─────!?」
上空からスピリット目掛けて二条のビームが降り注ぐ。
呆然と立ち尽くし、動きを止めていたスピリットが突如その場から跳んで退避する。
直後、スピリットの傍らに舞い降りたのはハイペリオンだった。
ハイペリオンはビームナイフを抜き放ち、スピリットへと斬りかかる。
『アスランっ!撤退だ!』
「ミゲル…、だがっ!」
『ディアッカ、引っ張ってでも連れて行け!イザークっ!』
『…分かっているっ!くっそぉっ!!』
ハイペリオンがスピリットを引き付けている間に、デュエルとバスターから少し遅れて島へ上陸したゲイツから声が届く。
撤退を進言するミゲルに喰い下がろうとするも、アスランの言葉を掻き消すようにミゲルが捲し立てる。
─────冷静に判断をしている様に思えるミゲルの声にも、隠しきれない怒りが籠っている事に、アスランは勢いを削がれる。
ハイペリオンと交戦するスピリットの背後にはアークエンジェルが、上空からはスピリットを援護しに来るストライク。
状況は完全にこちらが不利。ならば、ミゲルが言う様に今この場は撤退する以外他はない。
奴に、一矢報いたいのならば。
『カナード!』
バスターに付き添われながら戦闘宙域を離脱する。続けてデュエルが、更に後方からはゲイツが。
殿を務めるハイペリオンへ向けてミゲルが声を投げ掛ける。
スピリットと撃ち合っていたハイペリオンは後退、一瞬、後ろ髪を引かれる様に動きを止めるも、すぐにアスラン達に続いて撤退を始める。
こうして、必ずやアークエンジェルを墜とすと意気込み仕掛けたザラ隊の戦闘は一旦終わりを迎える。
彼らの中で最も幼く、最も優しい─────戦いから最も程遠かった筈の、一人の少年の命を失い、敵に向けて背を向け逃げる事しか出来なかった。
撤退していく五機を見遣ってから、バーニアを吹かして島を後にする。
まず兄さんとフレイが乗ったスカイグラスパーが着艦して次にストライク、そして最後に俺のスピリットが着艦した。
スピリットのOSを閉じ、電源を落としてからコックピットを降りる。
「よっしゃあ!お疲れさん!」
機体から降りた途端、歓声に出迎えられる。
マードックさんが手を叩きながら歩み寄ってきて、俺の背中をバン、と叩いた。
「遂に一機やったって?」
「ブリッツだってな!すげぇよ、よくやった!」
─────よくやった。
彼らからすれば、その一言に尽きるのだろう。
ヘリオポリスで敵に奪われた機体が、しつこくしつこく、何度も襲い掛かって来た敵の一人を討った。
一軍人として、敵を討った功労者を労うのは当然だ。
─────違う。
殺すつもりなんてなかった。本当は救いたかった。
散々銃を撃ち続けて何を、と思われても、声を高らかに叫び出したかった。
そんな俺の気持ちを知らぬまま、口々に祝いの言葉を言いながら、整備士達は俺の肩や背を叩き続ける。
「ホント、ここんとこ凄いじゃねぇかよ!坊主─────じゃねぇか、少尉はよぉ!」
違う。違う。違う!違う違う違う違う!
何で、どうして!
俺という存在が散々事態を掻き回して、原作の流れから掛け離れた状況になりつつある中で、何故!
俺は、ニコル・アマルフィの運命を変えられなかった!?
俺を褒めるな!称えるな!吐き気がする!
殺してしまった─────救う事が出来なかった、この俺を!
「はいはい、待て待て。アンタらの気持ちも分かるがな、疲れてるパイロットを早く休ませてやらなきゃな」
周囲の人達の顔が全部歪んで見えて、今にもその場に蹲って吐き出したくなる衝動が限界に迎えそうになったその時、誰かが俺の腕を掴んだ。
振り向けば、いつの間にか傍まで来ていた兄さんが、心配そうに俺を覗き込んでいた。
兄さんの背後では、人垣をかき分けてこっちまで来ようとするキラとフレイの姿もある。彼女達もまた、兄さんと同じように心配そうな顔をしていた。
「ほらユウ、行こう」
「おーら、作業開始だぁ!まだ油断できないからな、急げよぉ!」
兄さんに腕を回され、まるで庇われるようにしてその場から離れる。
マードックさんが、未だ浮かれ気分から抜け切れない整備士達へ向けて怒鳴る声を背後に聞きながら格納庫から抜けていく。
「ユウ、大丈夫?」
後ろから追いついて来たキラが声を掛けてくる。俺の隣を歩くキラの更に向こう側には、フレイもまたこちらを覗き込んでいた。
何かを返す気力が湧かず、とりあえずキラとフレイの方へ振り向いて笑顔を向けた─────つもりだったのだが、直後二人の表情が痛ましいものへと変わる。
どうやら上手く笑顔を作れなかったらしい。
「アンタ…、本当に大丈夫?さっさと休んだ方が良いんじゃない?」
「そうかな?…そうかも。着替えたら一時間くらい寝てくるわ」
「一時間と言わず、もっとしっかり休んで来い。スピリットの事は整備班に任せるんだ」
疲れるだけならまだしも、それを周りの人達に心配される程となれば流石に休んだ方が良いだろう。
とりあえず部屋に戻って仮眠を、と思ったのだが、兄さんに強い口調で本格的に睡眠を取れと言われてしまう。
「いや、そういう訳には─────」
「上官命令だ。艦長と副艦長には俺が伝えておく」
「いや、流石にそれは─────」
「ユウ」
「あのね、自分で気付いてないかもしれないけどアンタ、凄い顔してるわよ。少佐の言う通り休んだ方が良いと思う。何なら、次の戦闘は私達に任せる?」
命令とまで言われ、それでも反論しようとするもキラとフレイに封殺されてしまう。
…でも、その気遣いはほんの少し嬉しかった。
正直、こうして歩きながら話しているだけでも、今すぐ倒れ込みたい気持ちで一杯だったから。
「…なら、お言葉に甘える事にするよ」
そう言うと、兄さん達は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
俺を気遣ってくれたのは嬉しいけど、何となく複雑だ。
そんなに俺は酷い表情をしていたんだろうか?…情けない。
輪から離れ、三人よりも先に足を踏み出す。
兄さん達が俺の背中を見つめていた事には気付いていた。
だけど、これ以上は限界だった。早く三人から離れないと、早く部屋に戻って休まないと、俺自身、何をしでかすか分からなかったから。
「くそっ!くそっ!くそっ…くっそォォォォッ!!」
未だパイロットスーツを着たままのイザークが、力任せに壁を殴りつけた。
その横ではアスランとディアッカが黙りこくったまま着替えている。
同じ室内にはミゲルとカナードも居り、こちらも暴れ続けるイザークを咎める事なく着替えを続けていた。
イザークは周囲のものに当たり散らし、やがてロッカーを乱暴に蹴りつけた。
弾みでロッカーの一つが開き、中に吊り下げられていた赤い制服が覗く。
「イザーク!」
遂にディアッカが声を上げ、その声を受けてイザークがハッ、と動きを止める。
先程自分が蹴りつけたロッカーが誰のものであったのか、我に返った事でようやく気が付いたのだ。
「─────何故、あいつが死ななきゃならん!?」
少しの間、ロッカーから覗いた、袖を通す者がいなくなった制服を見つめていたイザークが、アスランに詰め寄った。
「こんな所で!えぇ!?」
「…言いたきゃ言えよ」
「なにぃ!?」
ずっと無表情を通していたアスランが、突然体を振り向かせ、イザークの襟首を掴んで逆にその体をロッカーに叩きつける。
「言いたきゃ言えば良いだろう!?俺を助けようとしたせいで─────俺のせいでニコルが死んだと!」
憤怒の表情で相手を睨み、叫ぶアスラン。
彼の視線を至近距離で、真っ直ぐに身に受けたイザークは驚きの表情と共に悟る。
この中で最も、ニコルの死に打撃を受けているのが誰なのか─────当然だ。
事実、たった今アスランが言った通りなのだから。アスランがスピリットに追い込まれなければ、ニコルが飛び出してくる事はなく、彼が死ぬ事もなかった。
「っ─────!」
だからこそ、認められなかった。
アカデミー時代、自身が全身全霊を掛けて挑み続けて尚、絶対に届く事がなかったこの男が─────ナチュラルに後塵を拝し続けているなど。
自身が認めた強者が守られ、その果てに仲間の一人が死んだなど─────。
「イザーク!」
「アスランも、止めろ!」
ディアッカが二人の間に割って入り、ミゲルもまた、アスランの腕を掴んでイザークから引き離す。
「ここでお前らがやり合ったってしょうがないだろ!」
「ディアッカの言う通りだ。俺達が討たなきゃならないのは
「そんな事は分かっているっ!」
先程は怒りに呑まれてしまったが、イザーク自身、ディアッカとミゲルに言われるまでもなく分かっていた。
こんな所で仲違いをしている暇なんてない─────一刻も早く足つきを見つけて、そして。
「次こそ必ず、奴らを討つ!」
パイロットスーツ姿のまま、イザークは身を翻してロッカールームから飛び出していった。
ディアッカも、ニコルの制服を見遣った後、痛みを堪える様な顔で出て行く。
二人共、日頃はニコルに対して馬鹿にするような言動を繰り返していたにも関わらず、その死にはかなり動揺しているようだった。
いや─────動揺せずにいられる筈がない。ニコルはたったの十五歳だった。こんな所で、こんな風に死んで良い筈がなかったのに。
「─────」
その時、開いたニコルのロッカーからバサリと何かが零れ落ちた。
音に反応してアスランとミゲルが、着替え終わってロッカールームから出ようとしていたカナードがそちらへ振り返る。
床に散らばったのは数枚の楽譜だった。
ザフトの軍人であったニコルだが、同時にプロのピアニストでもあり、プラント内にある大きなホールでコンサートを行うなど、それなりに有名でもあった。
アスランは一度だけ、ニコルに誘われてコンサートへ行った事があった。
あの時はニコルの優しい演奏についつい眠気を誘われて─────コンサートが終わった後、ニコルから優しく咎められる、なんて一幕もあった。
「あぁ─────あぁぁぁァァァッ!!」
ザラ隊の中で─────否、もしかしたら、ザフトの中で誰よりも平和を願った優しい少年が、何故戦いの中で死ななければならなかった。
戦争が終わり、平和が訪れた先で、彼はきっとまたピアノを弾いて、数多くの人達の心に届く演奏を続けていた筈だった。
それなのに─────それなのに!ニコルの夢は、スピリットに奪われた!
「アスラン」
「─────分かっている。どれだけ悔やんでもニコルは帰ってこない。だから…、俺はっ!」
「俺もお前と同じ気持ちだ。だからこそ…、悔やむのは後だ。カナードっ!」
慟哭しながら蹲ったアスランの傍らに腰を下ろし、その肩に手を乗せながらアスランに声を掛けたミゲルは、不意に振り返ってカナードへと呼び掛けた。
カナードは二人に背を向けて今度こそロッカールームを出ようとしていた。
ドアが開き、外へ踏み出そうとした足が止まり、その背中にミゲルが続けて声を掛ける。
「お前もだぞ。とっとと切り替えろよ」
「…何を言っているか分からんな。この俺が、奴が死んだ程度で動揺しているとでも?」
「そうか。…次も変わらず出撃できるなら、俺は何も言うつもりはねぇよ」
「愚問だな。俺を気に掛ける暇があるなら、そこの隊長や他の奴らを気に掛けてやるんだな」
カナードはそう言い残してロッカールームを去る。
その背中を見つめていたアスランとミゲル、やがてアスランが口を開いた。
「ミゲル。今のは一体…」
「ん?あぁ…。俺も気にしすぎかも、と思ったんだけどよ。あいつ─────」
アスランは何故、ミゲルがカナードへ釘を差すように言葉を掛けたのか、理由が分からなかった。
まるで、カナードが自分達と同じようにニコルの死に打撃を受けているかのように。
「今にも泣きそうな顔してるように見えてな」
そして事実、ミゲルにはそう見えたのだという。
あのカナード・パルスが、傍若無人で、何者にも彼という存在を曲げる事が出来ない、正に唯我独尊ともいうべき男が、仲間の死を前に、泣きそうな顔をしていたのだと─────。
赤の制服に着替えたカナードは通路を歩き、割り当てられた自室へと向かっていた。
無心で歩く足を動かす─────いや、無心でいようとカナードは苦心していた。
ほんの少しでも気を抜けば、何度も脳裏に同じ光景が過るのだ。
スピリットのビームサーベルに切り裂かれ、四散するブリッツ。
ニコル・アマルフィが死を迎えたその光景を、カナードはストライクと交戦しながら目撃した。
─────バカな。この俺が…。
だからこそ、カナードは自分自身を信じられなかった。
─────カナード・パルスが…。
今、自分がこんなにも苦しんでいるという現実を。
─────たかが同じ部隊のガキ一人死んだ程度で、動揺しているだと…!?
いや、違う。自分がここまで動揺している理由は、ニコルの死だけじゃない。
カナードの脳裏に過るのは、ニコルの死の光景だけではなかった。
オーブに潜入をしていた時、カナードはとある人物と邂逅を果たした。
自身の目的、仇敵、生きる理由ともいえる相手─────キラ・ヤマトだ。
カナードはキラに会った事もないし、写真を見た事もない。
顔も知らない─────しかし、あの少女を見た時、カナードは直感し、そして確信した。あれが自分が憎み、殺したいと希った相手、キラ・ヤマトだと。
それと同時にカナードの中に衝撃が奔った。
─────何故だ…。何故、貴様は、ニコルと同じ瞳を─────俺と同類ではなかったのか!?
ニコルの瞳は穢れなく、どこまでも純粋で、いつか戦争が終わって平和が訪れるのだと、心の底から信じている─────そう語っていた。
キラ・ヤマトの瞳は、そんなニコルの瞳と同じだった。
奴の瞳も穢れがなく、純粋で、優しい光を灯していて─────何故そんな奴が、モビルスーツに乗って戦う事を選んだというのだ?
キラ・ヤマトが地球軍に所属し、ストライクというモビルスーツに搭乗していると知った時、カナードは歓喜した。
遂に奴が自分と同じ土俵にやって来てくれたのだと、憎しみに満ちた戦場へと舞い降りたのだと。奴もまた、この憎しみと死の螺旋に取り込まれたのだと歓喜した。
あの時、キラの瞳を見た時、それは違うのだとカナードは思い知った。
覚悟を決めた瞳をしていた。しかしそれは、相手を殺してでも自分が生き残るという生存本能でも、相手を打倒して上へと登り詰めるという競争本能でもない。
誰かを思い遣り、その誰かを守りたい─────そんな優しい覚悟が込められた瞳だった。
「っ─────!くそッ!」
拳を握り、壁に強く叩きつける。
ストライクを前にしたあの時、カナードはあの瞳に呑まれてしまった。
いっその事、こいつに殺されるのなら─────そんな風にさえ思ってしまった。
─────ふざけるなっ!目的を思い出せ!俺は…、俺は、キラ・ヤマトを超えて、
愛も希望も夢も、何もかもを捨てて、その為だけにカナードは生きてきた。
キラ・ヤマトという存在を超える─────その為だけに、カナードは自身という存在を高め続け、ここまでやって来たのだ。
─────今更ガキ一人が死んだ程度で揺れるなど、許されないっ!ここまで来て引き返すなど、許して堪るものかっ!
「この俺の憎しみが…、この程度で失われて堪るものか…!」
そう、カナード・パルスは許さない。決して決して、許さない。
自身を踏み台にしてのうのうと生きている