ムルタ・アズラエル─────男がそう名乗った途端、隣のフレイがギシリと身体を固くさせた。
どうしてそんな反応をするのか分からず、キラは首を傾げる。
その名前が何を意味して、この男が何者なのかを知らないキラはただ、疑問符を浮かべる事しか出来ない。
「ふふっ…。ボクが何者か分からないという顔をしていますね。キラ・ヤマトさん」
「え?えっと…、あれ…?私の名前…」
「一応、アークエンジェルを見学するにあたって、クルー全員の名前は頭の中に入っていますよ。特にストライクのパイロットであり、コーディネイターである君の事は二度と忘れないでしょうね」
その言葉にフレイだけでなく、今は男─────ムルタの背後で畏まっていたマリューとナタルもまた、緊張の面持ちを浮かべながら身体を硬直させた。
ムルタは背後の二人に気付かれない様にそっと、視線をそちらへ向けると、面白がるように笑みを浮かべた。
それを見たキラは、口には出さず内心で思う。
─────あ、この人性格悪い、と。
それにしても、一体この人は何者なのだろうか。
マリューとナタルが畏まっている所を見ると、地球軍の中でも相当の高官、或いはかなりの発言力を持つ権力家─────そのどちらかであるのは間違いなさそうだけれど。
それに、
「あまり緊張しないでください、フレイ・アルスターさん。何も、アナタのお友達を取って食べようという訳じゃないんですカラ」
微笑みを携えながら言うムルタに対し、フレイは警戒心を微塵も崩そうとはしなかった。
それを少しの間見ていたムルタは小さく嘆息してから、「それでは、また後で」と言い残すとその場から去って行った。
先に歩き出したムルタをマリューとナタルが慌てて追い掛けて行く。
一体、何だったのだろう─────。そう呆気にとられるキラへ、フレイはムルタが立ち去った方向から視線を外さないまま口を開いた。
「キラ。あの人に気を許しちゃ駄目よ」
「えっと…。そこまで悪い人には見えなかったけど?」
「そんなのポーズに決まってるでしょう。…あの人はブルーコスモスの盟主。コーディネイターへの憎しみは一入の筈よ」
「え…?」
ブルーコスモスの盟主─────その一言に、キラは息を呑んだ。
反コーディネイター組織、ブルーコスモス。そのトップの男がたった今、自分の目の前にいた事。
そしてその人が、自分の名前を、コーディネイターである事を認識していた事。
キラ自身が知らぬ間に、様々な事が起きていたという事実に戦慄が奔る。
しかし、何故だろう─────。
先程キラも言っていたが、そこまで悪い人には見えなかった。
何よりフレイは
「本当に…あの人が?」
「えぇ。キラ、あの人が艦にいる間は絶対に一人で行動しちゃダメよ。私…私じゃなくてもいい。必ず誰かと一緒にいなさい」
最後に「何をされるか分からないから」と締めくくったフレイ。
─────あのムルタという人が、ブルーコスモスの盟主…。本当に…?
そうこうしている内に、医務室に軍医が戻って来て、何かを言われる前に二人はその場から立ち去る。
後々に、艦長と副艦長直々に説教が待っているだろう。その前から気分が滅入る話は御免だった。
先程までのやり取りを見て、呆然としていた若いザフト兵にはこれ以上構わず、キラとフレイは格納庫へと向かう。
現在、アークエンジェルは上層部より待機を命じられている。
激戦続きで溜まった疲労を取る意味での命令ではないかと聞いてはいるが、かといって、何もせずにサボっていろという訳でもない。
いつでも出撃の命令が出ても良いように、整備は必要である。
「「─────」」
「おや。思ったよりも早い再会でしたね」
ストライクとスカイグラスパー二号機、それぞれの愛機の整備を行うべく格納庫へとやって来た二人だったが、そこに居た思わぬ人物を見て固まってしまう。
マリューとナタル、艦長と副艦長を伴って格納庫の中を興味深げに見渡していたのはムルタ。
最初にマリューとナタルがキラとフレイの姿を見つけて固まり、その反応を見たムルタが振り返り、そして微笑みながら二人を出迎えた。
「機体の整備ですか?」
「えっと…は、はい」
「おい、せめて敬礼をしろ!」
「あー、いえ。正規の教育を受けている訳ではないし、そんな暇もなかったでしょう?気にしていませんよ。ほら、自分達の仕事に入ってください」
自分達を気遣う言葉を口にするムルタへ、ナタルから言われたのもあり、上手ではない敬礼をとってからその場を離れる。
キラはストライクの方へと、そしてフレイも二号機の方ではなくキラと一緒についてきた。
二人はキャットウォークへ昇るリフトに乗り込み、リフトが上へ上がろうと動きかけた直後、急ぎ足でムウがこちらへやって来た。
「おい、キラ…。大丈夫か?」
「え?…あ、はい。その、別に何もされてはいないので」
リフトへ乗り込んで来たムウが、キラの耳元で声量を押さえながら尋ねて来た。
一瞬、何の事かと思ったキラだが、ムウの視線が下の階層─────マリューと話し込んでいるムルタに向けられていた事から、自分がムルタに何かされた、或いは言われたのではないかと心配しているのだと気付く。
頭を振りながら何もされていないと伝えると、ムウは安堵の表情と、ほんの少し拍子抜けした様子で小さく息を吐いた。
「あの…、フラガ少佐も大丈夫ですか?その…、ユウの事…」
ムウが大人として自分を心配してくれた事に温かさを感じながら、しかしそれと同時にキラはムウの状態を心配に思う。
今、彼は以前と変わらない様子で振舞っているように見えるが、唯一の家族─────ユウを失ってからそう日は経っていない。
「バッカ、子供がそんな心配してんなよ。…それを言うならお前らの方こそ大丈夫なのか?艦長から聞いたぞ。随分と暴れたらしいな」
「「…」」
話が広まるのがかなり早い。医務室でムルタ達と会ってから今現在まで数分程度しか経っていない。
ムウの立場上、マリュー達が意識的に早く話を彼に広めたという事なんだろうが─────。
「…もう大丈夫─────とは言えませんけど、いつまでもこのままじゃいけないって思えるようにはなりました」
「…そうか。ならいいさ」
キャットウォークを歩き、ストライクへと近づいたキラは開いたハッチからコックピットへと乗り込み、キーボードを手元へと持ってくる。
ストライクのOSを起動して、ブラインドタッチでキーボードを叩きながら、画面に映されたコマンドを目に通していく。
その間、ムウとフレイはストライクのコックピットハッチに寄り掛かりながら中の様子を眺めていた。
二人共、それぞれの機体の整備があるのだろうが、にも関わらずキラの傍から離れようとしない。
格納庫に居座るムルタを警戒しての事なんだろう、と、その理由に予想を立てる。
「「っ…」」
そうしてキーボードを叩き続け、誰も言葉を発さない時間が少し続いてからだった。
ムウとフレイが同じ方向に目を向けながら息を呑む。
画面に集中して初めそれに気付かなかったキラだが、こつ、こつ、と作業員が歩くものとは質が違う足音が近付いてくるのに気付き顔を上げる。
「あぁ、すみません。邪魔をしたくはないのですが、近くでこの機体を見てみたかったもので」
「!!?」
ムウとフレイしかいなかった筈のハッチ付近にもう一人─────ムルタがコックピットの中を覗き込んでいた事に、キラは大きく驚愕する。
「アズラエル理事。我々に何か御用でしょうか?」
「んん?…そうですね。パイロットとして前線で戦ってきた君達三人の話を聞いてみたい、という気持ちはありますかねェ。あぁ、今すぐとは言いません。作業が終わり次第で構いませんし、本当に忙しいようでしたら、今日の所は諦めます」
「…申し訳ありませんが私も彼女らも、機体の整備で予定が詰まっております。そう仰って頂けて光栄ではございますが、時間をとるのは少々難しいかと思います」
「…そうですか。残念ですが、仕方ありませんね」
「…」
興味深げにストライクのコックピットの中を観察するムルタとムウが話し合う。
キラ達と話がしたいと言うムルタに、丁寧に断りの返事を返すムウ。
ムルタは携えた穏やかな笑みをそのままに、あっさりと引き下がった。
「私はいいですよ」
「はい?」
「なっ─────」
ムルタが目を丸くして、ムウは絶句しながら、フレイも驚いてコックピットの中から言葉を発したキラを見遣る。
「よろしいのですか?ボクが何者か、すでにアナタもご存じのはずですが」
「はい。…でも、私が見た事のあるブルーコスモスの人達と、貴方は違う─────と思うから」
以前、砂漠でユウ、カガリと一緒に物資に調達をしに行った時。
思わぬ形で砂漠の虎、バルトフェルドと遭遇し、そして彼と共にブルーコスモスのテロに巻き込まれた。
コーディネイターへの醜い憎悪を撒き散らし、荒ぶる感情のままに武力を振り回した彼らと、今キラの目の前にいるムルタ。
同じ組織に属し、同じ理念を抱いている筈。しかし、どうしてもムルタがあの彼らと同類とは、キラにはとても思えなかった。
「でも、私に何を聞きたいんですか?貴方の興味を惹く話が出来る自信はないんですけど…」
「先程も言いましたが、ボクが話を聞きたいのはアナタ方パイロット達です。アークエンジェルがアラスカに入港してから、アナタ方の戦闘データを拝見致しまして、是非話がしたいと思っていたんです。それと─────そうですね。これは完全に個人的な感情が入っているのですが…」
途中、ムルタの顔に微かに憂いの感情が見えた気がした。
そして、ムルタは少し間を置いてから続ける。
「スピリットのパイロット、ユウ・ラ・フラガ。彼の話を聞くのに、最も適任なのはアナタ方パイロットだと考えた次第です」
思わぬ人物の口から思わぬ人物の名前が出て来た事に驚愕し、キラ、ムウ、フレイの三人は一様に目を瞬かせ、顔を見合わせたのだった。
「あら、ピンクちゃん。いけませんよ?そちらは…」
微睡の中で、愛らしい声がした。
どこかで聞いた事のある声だ。耳の中から全身へ、そして心の中へスーッと染み込んでいく聞き心地の良い声。
─────ここは…?
ゆっくりと瞼を開ければ、そこは天国だった。俺にはそうとしか思えなかった。
四方には芝生が広がり、周囲には花が咲き乱れ、甘い香りが一息ごとに入り込んでくる。
そして、青い空をバックに、ピンクの髪を漂わせて俺を覗き込んだ、天使に見紛う程に美しい女の子が、にこりと微笑むのだ。
「まあ…おはようございます」
「…らくす?」
「はいっ。覚えていてくださって、嬉しいですわ」
彼女の名前を呼べば、ラクスは嬉しそうにふわりと頷く。
どうやらここは天国ではないらしい。ラクスが俺より先に死んでいるというなら話は別だが…、流石にそれはないだろう。
俺は─────生きている?
「おや、彼が目覚めたのですね?」
まだ覚醒しきっていない頭で考えていると、もう一つの足音が近づき、そして柔らかな男の声がした。
そちらに目を向ければ、黒髪の男性が盲人特有の探る様な足取りでやって来るのが見えた。
「はい、マルキオ様」
「驚かれましたか?このような場所で」
マルキオ─────そうだ。マルキオ導師だ。だけど、何でこの人が俺の目の前に立っているんだ?
…いや、待て。この景色には見覚えがある。広々とした庭に、その中心に据えられたサンルームらしいガラス張りの建物。
そして、ラクスとマルキオ─────そうか、ここは。
「皆さんは反対されたのですが、ラクス様がどうしても、ベッドはここに置くのだと仰って」
「だって、こちらの方が気持ちがいいじゃありませんか、お部屋より…ユウ?」
ここはプラント、クライン邸だ。
だが、ここに運ばれるのはキラの筈だ。それが、俺に成り代わっている…?
いや、クライン邸に誰がいるとか、そんな事はどうでもいい。
戦いは─────どうなった?キラは?兄さんは?フレイは?アークエンジェルは?
「くっ…、ぐぅっ…!」
「ユウっ!いけません、まだ寝ていなくては…」
「らくす…、おれは…」
心地よい空気に充てられて、なかなか定まらなかった思考と記憶がハッキリとし始める。
それと同時に、全身に痛みが襲う─────それに構わず、身体を起こそうとした俺を見て、ラクスが慌てて止めに入った。
「おれは…、いきているのか…?」
「…はい、ユウ。貴方は生きています」
「なら…、いかなく、ちゃ…!」
俺は、生きている─────!
であれば、行かなくてはならない。この命が未だ尽きていないというのなら、俺の役目は、使命は、贖罪は終わっていない。
この身が尽き果てるまで、戦い続ける─────それが俺の選択なのだから。
「ユウ」
不意にラクスに呼び掛けられる。優しくもありながら、声量こそ大きくないものの、確かな芯が籠もった力強い声で。
俺の行かなくては、という意志に反して動きを止める身体。
ラクスはベッドの上、俺の傍らに腰掛けると、布団をどかそうとしていた俺の手に自身の手を重ね置いた。
「─────」
直後、懐かしさすら覚える感覚が俺達を包み込んだ。
周囲の景色が消え失せて、俺とラクス、二人だけの世界が広がっていく。
時が加速し、二人の間に交わされる感情に言葉は要らず─────
「…ラクス、お前─────」
「…ダメ元でしたが、上手くいってしまいました」
気付けば周囲の景色は元に戻り、目の前でラクスは戸惑いと共に苦笑いを浮かべた。
俺とラクス、二人を繋いだ共感覚─────この感覚を味わったのは三度目だ。
一度目は初めて会った時、二度目はラクスを引き渡した時。そして、これが三度目。
「ユウ…」
「…」
ラクスは微笑みを収めて、まるで痛ましい何かを見る様な目で俺を見る。
その視線に耐え切れず、俺はラクスから目を逸らした。
あの感覚から抜けた直後から、何となく察してはいた。そして、今のラクスの表情を見て確信した。
俺の決意と覚悟を、ラクスはあの共鳴を通して感じ取ってしまった─────。
「わたくしを見てください。ユウ」
「─────」
ラクスから目を逸らした俺を、彼女は許してくれなかった。
俺の頬に両手を添えて、彼女自身の方へと向けさせられる。
ラクスは─────泣いていた。
「…なんで、泣いてるんだ?」
「分かりませんか?」
「…」
「目を逸らさないで」
何故泣いているのか尋ねれば、逆にその理由を問い返された。
…あぁ、分かるとも。さっきの共感覚で、ラクスから俺に向けられる感情を、嫌という程思い知らされたのだから。
だけどそれを知らないフリをしようとして、それをラクスは許してくれなくて。
「愛していますわ、ユウ」
「─────」
真っ直ぐ、彼女の眼差しを逃げられないまま受け止めながら、甘い声が染み渡っていく。
「一人で逝こうとしないでください」
「ラクス…。俺は─────」
「どうしてもというのなら、わたくしも連れて行って」
「そんなの!出来る筈がないだろ…!これは、俺が招いた事で、俺一人の問題なんだ…。だから、ラクスを巻き込む訳には…」
「わたくしは巻き込んで欲しいのです。貴方の戦いに」
「らく、す…」
引き締まったラクスの表情が柔らかく解かれ、ゆっくりと微笑みが咲き誇っていく。
「わたくしだけではありません。キラも…、ユウのお兄様も、ユウが大切に思う皆さまも、きっと同じ事を思う筈ですわ」
俺の頬からラクスの両手が離れる。
温かな感触が消え、物寂しさを一瞬覚えていると、今度はラクスの手が俺の髪に触れる。
「一人で背負い込もうとしないで。わたくし達にも一緒に背負わせてください。貴方の重荷を」
「おれは─────おれが…」
「ユウ」
優しいラクスの言葉が、心を覆い尽くした氷を溶かしていく─────。
覚悟と決意という名の仮面を剥がしていく─────。
溶かされた氷は雫となり、剥がれた仮面の隙間を通り抜け、そして涙となって零れだす。
「何も出来なかった…、救えなかった…っ!何も…、何もっ!」
「いいえ」
「ただ状況を混乱させて、悪くするばかりで!戦わせたくない人の力を頼らなきゃ、生き残る事も出来なくて!」
「キラが貴方を守ると決めたのは、キラ自身の意志ですわ。その選択を、他でもないユウが否定をしてはいけないと思います」
「っ…。俺は…、俺は─────」
俺の頭を撫でて、優しい微笑みを携え続けるラクスを見上げる。
目を覚ましてから初めて、ラクスの顔を真っ直ぐ見られた気がする─────そんな事を他人事のように思いながら、尋ねた。
「誰かを頼っても─────いいのかな?」
「勿論、是非」
問い掛けに、ラクスは間を置かず、即座に頷いて答えてみせた。
そんな彼女の返答と笑顔が嬉しくて、溢れる涙が意志に反して勢いを増す。
漏れる嗚咽が止められなくなり、遂に蹲るしかなくなった俺を、ラクスが優しく抱きしめる。
温かく、優しい花々に包まれながら、俺はラクスに身を委ねた。
ラクスは俺が泣き止むまで間ずっと、微笑みながら俺の身体を抱き締め続けてくれたのだった。
エンダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア(まだ早い)