「アンタは…、誰なんだ」
絞り出すようにして、シンは目の前の男へと尋ねた。
顔の上半分を覆う仮面を身に着けているせいで感じる不気味さと、得体の知れなさに、警戒心を露にするシンに対して男は穏やかな笑みをそのままに答える。
「君とは一度顔を合わせた事があるのだがね。まあ、あの状況では忘れていても仕方がないか」
「は…、─────」
顔を合わせた事がある?こんな男と?
そんな覚えはないとハッキリ切り捨てようとしたシンは、その脳裏に忌々しい光景を過らせる。
突如巻き上がった爆炎によって家族と逸れ、一人取り残されたシンは砲火が飛び交う空を見上げていた。
そんな時だった。近くに人の気配がして、振り向いたその先に居たのは─────
「─────なら、アンタが、俺を…」
「流石にあそこに民間人を取り残していくのは心苦しくてね。敵軍の懐に連れて来てしまった事は、許してほしい」
男は一先ずシンが落ち着きを取り戻したと悟り、手を離す。
そして、自身の胸に手を置きながら再び口を開いた。
「ラウ・ル・クルーゼだ。面会に来るのが遅くなってすまなかった。何分、忙しかったものでね」
クルーゼと名乗った男は、シンの肩を二度、優しく叩いてから病室の奥へと入っていき、シンもそれに続く。
シンはベッドの中へと戻り、クルーゼはその脇に持って来たパイプ椅子に腰を下ろした。
「それで?」
「む?」
「俺に何の用ですか?何もないのに、こんな所に来る筈がないでしょう」
先程の錯乱状態から幾分か落ち着きを取り戻したとはいえ、クルーゼに対するシンの警戒は全く薄れていなかった。
自身の口調が無礼に値する事に自覚はあったが、仮面を着けた得体の知れない大人が何をしでかすか分からないというのが、シンからの視点であり、警戒を解かないのは至極当然の対応である。
そんなシンの態度にクルーゼは全く気にした素振りを見せず、穏やかな口調で返した。
「自らの手で救った命だ。その様子が気になるのは当然ではないかな?」
「気にされても困りますけどね。アンタらが攻めて来なければ、あんな事には─────」
シンからすれば、クルーゼという男はただ得体の知れない大人というだけではない。オーブに攻め込み、自分達の平和な生活を滅茶苦茶にした下手人そのものだ。
そんな相手から心配してやって来たと言われても、何も響くものはなく、むしろ湧いてくるのは怒りのみ。
「オーブのマスドライバーが連合の手に渡れば大事になる。それを防ぐ為にも、我々は行動に出るしかなかった」
「そんなの、アンタらの都合だ!地球軍だってそうだ!アンタらが来なければ父さんも母さんも、マユも死ななかった!」
「それもまた君の理屈なのだよ。シン・アスカ君」
鋭い視線を受けても意に介さず、笑みを浮かべたままのクルーゼにシンは苛立つ。
心を荒ぶらせるシンを諭すように、クルーゼは柔らかな口調のまま続けた。
「中立を謳っていたオーブだが、過去には地球軍と共同で新型の機動兵器を開発していた前科がある」
「それは─────」
クルーゼの口から出て来た話は、シンも知っていた。
ウズミ・ナラ・アスハの代表辞任─────その話はニュースに流れていたし、テレビの前で家族と一緒に驚いたのを今でも覚えている。
それでもその後のオーブはしばらく間、戦火に巻き込まれる事もなく、次第にシンの記憶から抜け落ちていった。
だが、地球連合と戦争をしているプラント側からすればそうはいかない。
オーブが地球軍に肩入れし、兵器を開発したという件は決して消えず、いつまた地球軍に肩入れするか─────或いは連合に与するか、分かったものではない。
「それは地球軍側からでも同じさ。オーブは要求さえあれば、プラントの支援も行っていた。味方でもなく、敵とも判断がしづらい。─────ある意味、敵よりも怖い存在だったのだよ。オーブという国は」
「…」
目の前だけでなく、常に背後にも警戒しなければならない状況が続けば当然、疲弊もする。
それが積み重なったと同時に、戦況の大きな変化も連なり、その結果起こったのが、先のオーブ侵攻だ。
「君の怒りは理解できる。当然だ。理不尽に愛する家族を奪われた─────だが、その怒りの矛先を向けるべきは、果たして我々なのかな」
「なに、を─────」
マスク越しにクルーゼの視線がシンの瞳を捉える。
その視線に縫い付けられるように、シンの身体が動かなくなる。吸い込まれるように、向けられるクルーゼの目から視線を離せない。
「我々は、自国を守る為に、自国の勝利の為にオーブを侵攻せざるを得なかった。地球軍も同じさ。そしてオーブもまた、あの国なりの正義に殉じて抗う事を選んだ」
「…」
プラントも、地球軍も、オーブも、何も悪くないと?
勝利の為?正義の為?ふざけるな─────ふざけるな!
「何が勝利だ…、何が正義だ…!その為に死んでいく人達の事なんて、何も考えないで─────!」
許せない─────赦せない─────ユルセナイ─────!
ドロリと、シンの瞳の中で何かが渦巻く。
それを見たクルーゼの口端が微かに持ち上がったのを、シンは気付かなかった。
「そうだな─────それでも、君の家族を殺したのは一体何なのかを突き詰めるのであれば、それは…」
怒りに拳を震わせながら、シンは自分ではない何かを見上げるクルーゼの方へ振り向く。
「世界、というべきかな」
「せかい…」
「あぁ。オーブという、この世界の中では揺り籠ともいうべき国に居た君には分からんかもしれないがね。外の世界では、君の想像を遥かに超える、醜い人間達が憎んで、妬んで、その身を喰い合っているのだよ」
虚空を見上げていたクルーゼの視線が、不意にシンの元へと戻って来る。
途端、シンの身体をまたあの感覚が包んだ。
仮面の奥のクルーゼの双眸に囚われたかの如く、シンの視線が再び彼の目に縫い付けられる。
「人は常に戦いを繰り返してきた。戦って、戦って、戦って─────その度に二度とこんな事は起こすまいと誓い、されど誓いは幾度となく破られ、人は同じ過ちを繰り返す」
「─────」
「裏切られた人間は憎しみを募らせ、世界に撒き散らす。積み重なった憎悪と殺意は人の命を奪い、そして大切な誰かの命を奪われた人は、また新たな憎しみを募らせる」
殺し、殺される。誰かが死ぬというのは戦いの中で起こる当然の出来事ではあるが、それは何も当事者達だけの問題ではない。
人には誰しも家族が、友は、或いは愛し愛される人が居る。そんな人を理不尽に殺されればどうなるか─────答えは今、シン自身が体現しているといっていい。
そうして積み重なった憎しみが、今の戦争に繋がっているとクルーゼは語る。
「なら…、それなら!どうすればこんな戦いが終わるんですか!?戦いを終わらせる為に戦って─────そんなんじゃ、いつまで経っても…!」
「それが分かれば苦労はしないさ。私も、早くこんな憎しみの連鎖は終わればいいと願っているがね」
どうすればこんな戦いが終わるのか─────自分の様な人が二度と生まれない世界になるのか。
話している内にそんな思考に至っていたシンへ、クルーゼが口を開く。
「すまないね、君とこんな話をする為に来たのではなかったのだがね」
「あ…、い、いえ…」
不意に謝られ、シンは思わず言葉に詰まる。
全く見ようとしなかった視点から世界を見つめた男の言葉は、シンの中で戦争というものの価値観を大きく変えた。
ここで目を覚ましてから今まで、ただオーブに攻め込んで来たザフトや地球軍を憎んでばかりいた。
だが、憎むべきはザフトや地球軍ではなく、戦争というシステム…この戦争の引き金となった、憎悪に満ちた人の歴史と世界─────話が大きすぎるばかりで、シンが受け止めるにはまだ幼なすぎたのかもしれない。
それでも、クルーゼと話をして、このままではいけないという事だけは分かった。
ただ戦い続けても、もっと多くの人が死んでいくだけ。もっと多くの憎しみが撒き散らされていくだけで、戦いが終わる事は決してない─────。
「さて─────私も忙しい身でね。実をいうと、明日にはプラントへ戻らなければならないんだ」
「え…!?」
「君の事はまた別の軍人に引き継いでいる。もし、オーブへと戻りたいのなら、そうなるよう取り計らってくれる筈だ」
もっと色々な話を聞きたかった。この人は、シンが知らない世界を知っている。
クルーゼは皆目見当がつかないと口にはしたが、少なくともシンよりは、戦いを終わらせる為の答えに近い場所に立っている。
「プラントにって、なんで…」
「直に地球軍が宇宙へ上がって来る。そうなれば、奴らの狙いは一つだろうからな」
「狙い、って─────」
地球軍の狙い─────一瞬その意味を図り兼ねたシンだったが、すぐにその答えに辿り着いて息を呑む。
宇宙に浮かぶ、砂時計型のコロニー群─────プラント。
一気に決着を着けようとするならば、地球軍が狙うのは言うまでもなくそこしかない。
「…クルーゼさんも戦うんですか?」
「無論だ。それが軍人の役目だからね」
自分でも何故、そんな事を尋ねたのか分からない。
出会って間もない人物を、それも仮面なんて着けた怪しさ満点の男を、心配する様な質問を。
「私の心配など、十年早いよ」
「心配なんてしてません!ただ、気になっただけで…」
「それは心配というのではないのかな?」
「違います!」
口元に手を当てながら、小さく笑い声を漏らすクルーゼを見て、シンの中で羞恥が湧いて来る。
「あーもうっ、さっさと行ってくださいよ!明日プラントに戻るんなら、準備とかあるんじゃないですか!?」
「くく…、あぁ、そうだな。ではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」
無礼としかいいようがない言葉遣い、態度に対してクルーゼは気にした素振りは微塵も見せず、微笑みながら立ち上がる。
「…」
自身の前を横切り、病室の出入り口へ歩くクルーゼの横顔を眺めながら、シンは思う。
─────この人、あんな風に笑うんだな。
初めて顔を見てから、話している間もずっとクルーゼが浮かべる笑顔に対して胡散臭さしか覚えなかった。
しかしたった今、彼が浮かべている笑顔は心の底から湧き出したもののように見える。
ただの感覚ではあるのだが、シンにはそう思えたのだ。
「…最後に一つ聞かせて欲しい」
「はい?」
扉の前に立ち、後は開けて外へ出るだけの所でクルーゼは立ち止まる。
そして、シンに背中を向けたまま彼は口を開いた。
「君は、理不尽に家族を殺したこの世界が、憎くはないか?」
まただ、とシンは思った。
先程までの微笑みとは打って変わり、またも吸い込まれそうになる視線を向けられながら、シンはクルーゼから投げ掛けられた問いの答えについて考える。
そんなもの─────決まってる。
「憎いです」
憎いに決まってる。余りにも突然に降りかかって来た戦火が、シンの家族を奪っていった。
実際に自分達に向けて砲火を放った、どことも知れない誰かも、侵攻してきたザフトと地球軍も、家族を守ってくれなかったオーブも─────全部、全部憎い。
「そうか。ならば─────」
「だけど、それじゃあダメなんだ。家族を奪われた俺が、俺と同じような人を生み出す様な事をしたら─────ダメなんだって思うから」
「─────」
こつ、と足音が聞こえて振り向くと、背中を向けていた筈のクルーゼがシンの方へと振り返っていた。
「…そうか。君は、そっちの道を選ぶか」
「クルーゼさん…?」
クルーゼはまた笑みを浮かべる。
その微笑みは、短い間であっても見続けた、どの笑顔ともまた別物の様にシンには見えた。
どこか寂しそうでありながら、それでいてどこか嬉しそうでもある。
なんでそんな風に笑うのか─────尋ねようとしたシンよりも先に、クルーゼが口を開いた。
「君の先の人生に、幸がある事を願っているよ」
「あ─────」
シンが何かを言う前に、クルーゼはそう言い残すと扉を開けて病室を去って行った。
去っていく背中に向かって伸ばし掛けた手に何も掴む事はなく、シンはそっとその手を降ろした。
「…なんなんだよ」
初めから最後まで、よく分からない人だった。
仮面なんて着けた怪しい男かと思えば、優しく微笑み始めて、最後には意味深な笑みを浮かべて─────いやでも、やっぱり怪しい人だった。
流石のシンでも、あの仮面は趣味が悪い事はハッキリと分かった。
「悪い人じゃ、なかったよな…」
まるで試す様な目を向けて来たのは気になったが、最後の言葉─────あれは本当に自分を気遣って掛けてくれたのだろうと思う。
ただ、会話の所々に感じられた陰─────あの人も、もしかしたら自分の様に戦争で大切な何かを失ったのだろうか。
それとも─────
「ラウ・ル・クルーゼ、か…」
この先、シンには選択を余儀なくされる。
それは彼が今後、どこで生きていくかだ。
クルーゼの言うようにオーブに戻るのか、それともまた別の場所で生きていくのか。
─────だが、オーブにはもう何もない。
オーブに戻っても、シンの家族はいない。大切に思う者は全て奪われてしまった。
それならば、いっそ─────
「…」
ぐるぐると巡る迷いは、中々シンの頭の中から消える事はなかった。
その迷いが晴れるのは、後にシンの元へとある一報が届いた時になるのだが、それは今のシンが知る由もないまた別の話である。
「─────私とは似ても似つかない少年だったな」
シンの病室を出て、廊下を歩くクルーゼは仮面の下で小さく自嘲の笑みを零しながら呟いた。
戦場の中で見た、憎悪と絶望に満ちた瞳を見て、クルーゼはシンをかつての自分と重ね合わせた。
自身の中に欠陥がある事を知った、アル・ダ・フラガに捨てられ、絶望と憎悪に囚われたかつての自分─────経緯は違えど、人類の競争によって全てを奪われた彼に、クルーゼは気紛れに答えを求めた。
『だけど、それじゃあダメなんだ。家族を奪われた俺が、俺と同じような人を生み出す様な事をしたら─────ダメなんだって思うから』
返って来た答えは、クルーゼの予想の斜め上をいくものだった。
自分と同じように、憎悪と絶望に囚われたものだとばかり思っていた。病床の上で、シンの瞳の中でどろりと、憎悪の色が渦巻いたのを見てクルーゼはそう確信した。
─────この少年も、自分と同じ権利を持っている。
そう思ったクルーゼを、シンは裏切った。
絶望はある。憎悪もある。だがそれ以上に、シンは優しかった。
自分よりも、どことも知れない誰かの為に、二度とこんな事を起こしてはいけないと、そう決めたのだ。
自分と似た経緯を辿りながら、至った結論は全くの逆─────微かな寂寥と、
「ふっ─────私の中にまだ、こんな気持ちが残っていたとはな…」
憎しみに流されるままの世界に絶望し切ったとばかり思っていた自分の心の中で、微かではあっても湧いてきた希望。
その希望の光の中で、
しかし、湧き上がった微かな希望の光は、クルーゼの中で募り続けた深い憎悪の闇に呑まれていく。
まるで、ちっぽけな人の命が、自然の荒波に呑まれていくかの如く─────。
─────審判しよう。そして見極めるとしよう。君
闇に呑まれ、消えていくかに思われた光は、確かにクルーゼの中で輝きを失わない。
湧き上がる感情に戸惑いを覚えながらも、クルーゼは残された少ない時間をどう使うのか、自身の決断を変えない。
どこまでも落ちていくのなら、最早誰にも憎しみの渦が止められなくなったその時は─────
─────滅べ。遍く何もかも、私が滅ぼす。
そんな世界に存在する価値はない。
前を見据えるクルーゼの双眸は凍える様に冷たく、どこまでも深い闇を携えていた。
シンとクルーゼ、この二人を書くのくっっっっっっっっっっっっっっっっそ程難しかった…。
この話の要点はつまり、六千文字くらい掛けてクルーゼの脳がシンによって焼かれていくというお話です。
なお、クルーゼが抱えた闇が深すぎて焼き切れてはいません。彼の脳を焼き切るにはまだ火力が足りなかった。