ピリリリリ、ピリリリリ
「あ、ごめん、ちょっと電話に出るね」
ミユはそう言って、自分のポケットからスマホを取り出した。
「はい、もしもし?あ、お兄ちゃん。どうしたの?」
どうやら電話の相手はアキラだったようで、しばらくミユは電話越しにアキラと話をしていた。
(……アキラか)
よく考えたら、もうしばらく彼に会っていない。ミユとは時々電話することがあったけれど、アキラとは本当に、話すことさえしていない。
アキラは今、児童相談所に勤める地方公務員だ。いつもかなり忙しそうにしているし、仕事の内容も大変そうだという話をミユからよく聞く。
だからそんな彼に、私が私用で連絡をいれたりするのは、単純に迷惑だろうと思っていた。だから彼と関わることが最近なかった。
「……うん、そうそう。この前話してた子のことで、みんなで集まってるの。うんうん、そうだよね、私もそう思う」
それゆえに、アキラと今話ができているミユのことが、ひどく羨ましく思っていた。
(もしアキラの仕事が落ち着く時期があったら……会いに行ってもいいのかしら?)
会えるのであれば会いたい、というのが本音だけど、なかなかそれは口にしずらかった。私が会っていいんだろうか、ミユが不快に思わないだろうかと、そんなことを思ってしまうからだ。
「え?ほんと?お兄ちゃん、こっち来るの?」
そんな時、ミユが電話越しにそんなことを口走っていた。その瞬間、私はミユの隣にいるメグミと目があった。
「大丈夫?忙しくない?うん、うん……そっか。じゃあ私たち、席で待ってたらいいかな?」
「……………………」
……アキラがここに来る?まさか、本当に?
「うん、うん、はーい。じゃあまたね」
ミユが電話を切ってポケットにスマホを入れたところで、私は彼女に問いかけてみた。
「アキラが来るの?ミユ」
「うん、そうみたい。私、実は優奈ちゃんのことについてお兄ちゃんに相談してたんだよね。そしたらお兄ちゃんも、この件に加わりたいって言ってて」
「……そう、やっぱりアキラは、アキラのままなのね」
「舞は、お兄ちゃんと会うのいつぶりになる?だいぶん会ってないよね?」
「そうね、もう半年かそこらは会ってない気がするわ」
ミユへ私がそう答えていると、隣にいた佐藤が腕を組んだ状態で私に言った。
「意外……というとなんだが、お前にしちゃ控えめな行動だな。てっきり俺は、何度も明のところへ押し掛けてるもんだとばかり思ってたぜ」
「そこまで私もバカじゃないわよ。アキラやミユに迷惑がかかってしまうことは十分に理解しているし……そんなことをしているほど、アキラも私も暇じゃないのよ」
そう、私には自分の身を粉にしてでも、罪を清算していかなきゃいけないのだから。
ちりんちりん
その時、喫茶店の扉につけられている鈴の音が、爽やかに店内に響いた。店員が入店してきた客に対して「いらっしゃいませー」と対応している。
私もミユも、そしてメグミも佐藤も、みんながその入り口の方へ目をやった。
「よお、みんな。お待たせ」
入店してきた彼……すなわちアキラは、いつまでも変わらない笑顔と柔らかい口調で、私たちにそう告げた。
「……ある程度の話は、俺も美結から聞いているよ」
ミユの隣に座ったアキラは、私たちに向かってそう告げた。
「流れを確認させてもらうが、まず優奈ちゃんの性的虐待について証拠を手に入れた後に、彼女を遠方へ連れていき、保護する。そして彼女の母親へ状況を報告して、父親の罪を発覚させると……そういうことだったな?」
「ええ、間違いないわ」
私がそう答えると、アキラは顎に手を当てて、目線を下に落としてなにやら考え込んでいた。
「どうしたの?お兄ちゃん」
「いや、そうだな……。その母親との交渉は、俺がやってもいいか?」
「え?」
「俺は児童相談所の職員だ、こういう報告作業は日頃からよくしている。それに、この『職員』という肩書きもいい。母親が俺の話を聞きやすくなるし、何より事の大きさを実感しやすい。まさか公的機関の職員まで出てくるなんて!?って、そういう風に思わせられるからな」
「なるほど……」
「ねえ、アキラ」
「どうした?湯水」
「優奈を匿う場所は、あなたの勤める児童相談所ではいけないかしら?」
「ウチでか」
「ええ、児童相談所は以外と受け入れていくれるケースが少ないけれど、アキラ、あなたから口添えしてくれれば、優奈も容易に施設で生活できるんじゃないかしら?あなたが参加してくれるなら、そういうことも可能になるはず」
「うん、確かにな。わかった、彼女が施設で住めるように根回ししておくよ」
「ええ、そうしてもらえると助かるわ」
「ただ、施設で暮らすにもデメリットがあってな。以外とあそこって何人も子どもが住んでてさ、もしかすると優奈ちゃんが落ち着きにくいかも知れない。歳の近い男の子とかがいたりするから、彼女も怖がる可能性だってある」
「なるほどね」
「だからそれは、優奈ちゃんに判断を任せよう。ウチがよければウチで、優奈ちゃんがそれは嫌だってなったら、ここにいる誰かの家へ居候って展開が望ましい」
その時、メグミがすっと手を上げて、アキラに告げた。
「その時は、私の家へ案内しましょうか?」
「メグちゃんちにかい?」
「はい、ウチなら母さんが家にいてくれてますから」
「そうか、メグちゃんのお母さんか……。確かにメグちゃんのお母さんなら、そういう話は快く受け入れてくれそうだな」
「ええ、きっとそうだと思います」
「わかった、じゃあもし必要な場合は、君の家を厄介になってもいいかい?」
「はい!」
……ここにいる者たちのお陰で、優奈を助ける算段がどんどんとまとまっていく。
やっぱり、彼らに協力を仰いでよかった。私一人では間違いなく彼女を助けられなかった。
(私がアキラたちに負けたのも、十分に納得がいくわね)
私は確かに優秀で、戦略を練るということに関しては他者よりも秀でているかも知れない。
でもそれは、結局お山の大将。
絆だとか仲間だとか、そういう類いの言葉はずっと嫌いで好きになれなかったけれど……少しだけ今は、そんな言葉も悪くないと思えるようになった。
……私たちは喫茶店から出たのは、もうすっかり夕焼け空になっている時間帯だった。
喫茶店の入り口の前で、私たちはぼんやりとその夕焼けを眺めていた。
「……なんか、久々だったな。こうして集まるのもよ」
佐藤がしみじみとそう呟く。アキラはそれに「そうだな」と言って返した。
「優奈ちゃんの件が無事に終わったら、またみんなで集まろう。今度はちゃんと、楽しい会合としてな」
「だな、藤田たちとかも呼ぼうぜ」
「ああ」
するとその二人の会話に、メグミが参加してきた。
「またカラオケとか行きたいですね。明さんたちの卒業式後に行ったカラオケは楽しかったな~」
「あ!いいねメグ!私もカラオケまた行きたい!」
「でもよー、その優奈ってやつは、カラオケとか大丈夫なのか?」
「あー……どうでしょう?もうちょっと仲良くならないと難しいかも」
「でもいつか、優奈ちゃんも一緒に行けるといいね」
「うん、そうだねメグ」
ミユとメグミと、そして佐藤の三人が優奈のことについて話している。それはとても明るい話で、言葉の端々から、彼女たちが優奈に対しての思いやりを感じる。
そんな三人の姿を、アキラと私はじっと眺めていた。
「……アキラ」
「うん?」
私は三人の方へ目を向けたまま、隣にいる彼へと声をかけた。アキラはアキラで、同じように三人を見つめている状態で私に返事をした。
「すまないわね、私のせいで迷惑をかけてしまって」
「『私のせいで』って、なんのことだ?」
「……ミユから聞いていると思うけど、優奈は、かつて私がいじめていた一人なの」
「……………………」
「彼女への償いがしたくて、私は今、みんなに協力を仰いだ。だから……間接的に私のせいでみんなを巻き込んでるってことよ」
「……なあ、湯水」
「なに?」
「お前のいじめをさ、肯定するつもりはないってことを前提に、話を聞いてくれるか?」
「ええ、もちろん」
「……お前は立派だよ、湯水」
「え?」
私は思いがけない言葉に驚いて、アキラの方へ視線を移した。彼はまだ三人の方を見つめ、横顔をこちらに向けたまま話を続けた。
「よく考えてみな?優奈ちゃんへの性的虐待が発覚したのは、誰のお陰だ?」
「……………………」
「……そう、お前だよ。お前が彼女へ謝りに行かなきゃ、きっと誰にも分からなかった。そうしたら、優奈ちゃんはどうなってたと思う?」
「どうなってたって……」
「望まない妊娠に、出産。そしてひょっとしたら、トラウマに耐え切れなくて自殺するか、あるいは父を殺すか……。ともかく、最悪の未来が見えることだけは確かだ」
「……………………」
「お前が昔のことを悔い改めて、頑張って一歩を踏み出したからこそ、優奈ちゃんを助けられるチャンスが訪れた。だからお前は立派だよ。誰が何と言おうと立派だ」
「…………アキラ」
「それにだ、湯水」
彼はふっと、こちらへ顔を向けてきた。その優しい眼差しは、いつでも何度でも、やっぱりアキラだと思わせてくれる。
私はそんな彼の眼差しに、思いもかけず胸がドキドキしてきた。
……ふふ、胸がドキドキだなんて、一丁前に「普通の女の子」みたいなワードが私から出るなんてね。彼の前だと、私はやっぱりただの女なのね。
「なんか、あれだなあ?お前らしくもないぜ?」
アキラはニヤッと口角を上げて、私にそう言った。
「私らしくない?」
「お前、前はもっとふてぶてしかったじゃんか。昔のお前だっから、迷惑をかけてごめんなさいなんて、絶対あり得ないだろ」
「まあ、それはそうだけど……」
「へへへ、天下の湯水様が、ずいぶんとしおらしくなったもんだなあ?ええ?」
「な、なによ!私だっていろいろ思うところがあるんだから!」
「はははは!そうかそうか!いやいや、なーに、お前もずいぶんと変わったんだなあ」
「……………………」
「いいんだよ湯水、もっとふてぶてしくていいんだ」
「え……?」
「人を助けたいと思ったら、迷っちゃダメだ。協力をお願いしたら迷惑をかけちゃうかも知れないとか、そんなこと思わなくていい。困ったことがあったら、誰かに頼って生きたっていい」
「……………………」
「お前はもう、一人じゃない。そうだろう?」
……私は、彼の言葉に胸が熱くなっていた。気を緩めると、思わず目から涙が出てきそうなくらい、私の中から込み上げてくるものがあった。
「……ありがと、アキラ」
「ああ、いいんだ」
「……ねえ」
「うん?」
「好きよ」
「……………………」
「大好きよ、アキラ」
「……ああ、知ってるよ」
アキラは頭の後ろを手で掻いて、照れ臭そうにはにかみながら、「ありがとな」とだけ返した。