この目で見るまで真実は確定しない。
「先生は、シュレディンガーの猫をご存知ですか?」
全面ガラス張りであることが憎らしいシャーレのオフィスにやって来たのは、未だに夏を謳歌している浦和ハナコだ。水着(?)の上から私のシャツを羽織るというマリーあたりには見せられないようなトンデモファッションに身を包んでいる。
ハナコがデスクに座る私へ問いかけるために前屈みになると、彼女のたわわな胸がゆっさと揺れた。地球の重力ってこのためにあったんだね……。
「開けてみるまで箱の中にいる猫の生死は分からないっていう思考実験だっけ?」
確か観測理論というヤツだ。
箱の中に猫と、一時間に一回猫を殺す毒ガスの出る装置を一緒に入れて、三〇分放置する。六〇分のうち三〇分しか経っていないのだから、猫が生きている確率は五分五分であるというもの。
「先生は猫が生きていると思いますか?」
「んー、生きていて欲しい、かな」
「ふふ、では早く開けてあげないとイケナイですね」
彼女の手が椅子に腰掛ける私の膝を撫でる。
「ところで、私はこのシャツの下に、ちゃんと水着を履いていると思いますか?」
ハナコは私の膝に触れていない方の手で、水着の上から羽織ったシャツの裾を持ち上げる素振りをしてみせる。シャツの上側は大胆にボタンが開け広げられているので、上にビキニタイプの水着を着ているのは確かだが、下はどうか? ハナコだしなあ……。
ハナコが下を履いているか、いないか。観測しなければ確定しない。
これもまた──
「シュレディンガーの水着ですね♡」
ぴらぴらとシャツの裾を振って挑発的な彼女はとても楽しげに見える。
「ちゃんと履いてるよね!?」
「さあ、どうでしょうか? 気になるなら、確かめてみるしかないですね。ほら、早く確かめないと結果は刻々と変わってしまいますよ」
私の手を掴み、シャツの裾の方へ持って行く。
シャツに手が触れるすんでのところで、
「エッチなのはダメ!!」
と割り込んできた叫びによってハナコの手が止まる。
私が先生を続けられるのは君のおかげだよ。止めてくれてありがとうコハル。
あわや辞職、というところで間一髪現れた下江コハルに最大限の感謝を脳内で伝えながら、稲妻が如くシャツの裾へ伸びていた手を引っ込めた。
イイところたったのに、と口を尖らせるハナコをコハルが引っ張ってシャーレの更衣室へ連行していった。
「そんな格好してないで、ちゃんと着替えて!」
コハルちゃんが着替えさせてくれるなら……などと賜るハナコに顔色をコロコロと変えながらも、コハルはなんとか彼女をひとり、更衣室へ押し込んだ。
私は空調が効いている筈なのに汗が流れていた。ポケットをまさぐってハンカチを取り出し、額の冷や汗を拭う。
「な、なんてもので拭いてるの!? 先生!?」
なにやらコハルが頭の翼をパタパタしながら飛び上がった。
「なにって、そりゃあハンカチで……」
そう言いながら手元を見ると、そこにはピンク色の布っきれ。拡げてみると、それは逆さ富士の様相を呈していた。
そう、まさしくそれは、ハナコが履いているべき下の水着に相違なかった。
その後、ハナコから私宛に洗濯済みの私のハンカチが送られてきた。
なんとゲーム中のSDモデルは履いていないことが観測されているそうです。