外を見るとすっかり夜がふけていた。それもその筈でとうに当番の生徒は帰らせたし、シャーレの戸締りもしている。
それでもシャーレに居るのは楽しい楽しい残業のお時間だからだ。楽しすぎて毎日やっちゃう。
そしてその残業もようやく終わりが見えてきた。あとひと踏ん張りだ。
ふぅ、と息をつく。
「だいぶお疲れのようですね、先生」
ふと後ろから声がかかった。ふわふわと優しい声音。
「セリナ?」
振り返ると柔らかな桃色の髪をした生徒が心配そうに私を覗き込んでいた。
トリニティの天使、救護騎士団の鷲見セリナだ。
「はい。私、セリナですよ。先生には救護が必要です。たくさんのお仕事でストレスが溜まっていませんか?」
言われてみると確かに寝付きが悪かったり集中が続かなかったりするような気がした。
「それはセロトニンが不足している所為なんですよ」
「へえ、どうすればそのセロトニンを増やせるの?」
尋ねてみると、セリナはその質問を待っていたと言わんばかりに話し始める。ふふん、とちょっぴり自慢げだ。
「セロトニンは陽の光を浴びたり、適度な運動をしたり、といった行為で分泌されるんですよ」
セリナはところで、と前置きをして続きを話しだした。
「先生、今日が何の日か知っていますか?」
「えっと、今日は山のひ──」
「そうです。八月九日はハグの日です」
彼女は有無を言わせず、話を続ける。
「セロトニンは人との
……ですから、一緒にハグをしましょう、先生。
ストレスは人の判断能力を低下させる。この時の私は正常な判断が出来ていなかった。そのために、通常であれば先生として断るべき彼女の提案を受け入れてしまった。
「ハグはセロトニンの他にオキシトシンという愛情ホルモンの分泌も促進されるんです。さあ先生、そこで膝立ちになってください」
言われた通りに膝立ちになる。セリナと向かい合うと目線が彼女より低くなった。少しばかり新鮮な気持ちである。促されるまま両の腕を広げると、セリナにきゅっと抱き寄せられる。
ふわりと甘い香りとアルコールのような薬の匂いがした。
私も彼女の胸元へ頭を埋めて抱き返す。人肌の温もりに包まれて、左の耳元が彼女の息遣いで湿気を増す。
彼女の小さな手が、私の髪を梳かすように私の頭を撫でてくれる。
あたたかい。
誰かに抱きしめられるなんて、何時ぶりだろう。
互いに自然と抱きしめる力が強くなり、ふたりの密着度が上がってゆく。触れ合う部分がみるみる暖かくなった。
ちょっぴり鼻の奥がツンとしたのは内緒だ。
「先生、どうですか?」
「すごく良い。これはオキシトシンもセロトニンもドバドバだよ」
そのまま暫く抱擁は続いた。
……またお疲れの際には、救護に来ますね。
その後、多数の生徒にオキシトシンハグを求められることになるのはまた別の話。残業万歳と思ったのだった。
ハグネタが多いのは、きっと私が疲弊しているのでしょう。