夢を夢だと気付くのは、いつだって夢から醒めた後だ。
良い夢でも、悪い夢でも、夢の中ではそれを現実の様に感じてしまう。
私がああして先生に甘えられるのもそれが
それに、イオリみたいに先生の方から積極的に
だから。
さっきまで私が見ていたのは私に都合が良い、ただの夢だ。
頑張りたくない、甘えてしまいたい私の、醜い妄想。
どうせなら、あんな夢は見たくなかった。
夢は夢でしかなくて、現実にはなりっこないのだから。
幸せな夢と現実との乖離に溜息を
私はいつの間にか朝の支度を終えていた。
「めんどくさい……」
そう言いながらも、機銃を背負って学校へ向かうのだった。
***
「では委員長、私はシャーレへ行ってきます。イオリとチナツも出払っていますから、ひとりで寂しくなったときは連絡してくださいね。直ぐに飛んで駆けつけますので。ぎゅっと抱きしめて差し上げます。ぎゅっと」
「寂しくならない。早く行って」
まったく。アコはどうしてこう何かにつけて私を触ろうとしてくるのだろう。行政官としては優秀なのに玉に瑕というものだ。まあ、瑕と言うにはいささか瑕が大きすぎる気もするけれど。
それにしても、私も行きたいな……シャーレ。
生憎と言うべきか憎らしいと言うべきか、ことゲヘナ学園において風紀委員長の仕事は多忙を極める。暴力的な仕事の量に常人であれば──私とは違って普通の人であれば──とっくに忙殺されているであろう。
私は、普通じゃないから。
書類仕事だけならいざ知らず、ゲヘナの風紀委員は暴徒鎮圧も仕事のひとつである。私に求められているのは寧ろこっちの方だ。この
仕事さえ無ければ、私も先生へ会いにいけるのに。
そういえば、イオリがまた先生に脚を舐められたとぼやいていたっけ。チナツも先生と温泉旅行したらしいし。ふたりとも、羨ましい。私だって先生と温泉旅行へ行きたいし、脚だって……。
面倒だし、インスタントでもいいか。
マグカップを手に取ったところで戸を叩く音がした。都合三度のノック音。律儀なものだ。
一体誰だろう。イオリやチナツならこんな風にノックはしないし、先生は今頃アコと仕事中……そんなことを考えて茫としていると、ノックの返事が無かった所為か戸が開けられる。
「え、先生……?」
遂に気でも狂ったか。この場に居る訳の無い先生の幻影が見えていた。と言うか居た。
夢じゃないかしら。
「やあ、手伝いに来たよ」
「アコと仕事中の筈じゃあ……」
「あー、うん。まあ、仕事なら終わったんだよ」
先生は煮え切らない態度で言葉を濁している。まるで私に知られたくないことでもあるように。
しかし、今の私にとってそんなことは気にならない。
「アコは今どこに?」
「えっと、ちょっと野暮用があるみたいだよ」
野暮用。
取るに足りない用事。或いは仕事上のつまらない用事。この場合は後者だろうか。
「今から休憩するところ? 良かったらコーヒーを淹れるよ。ブラックだよね。そこに座って待ってて」
「態々先生が淹れなくても、私が淹れるわ。先生の方こそ座っていて」
互いに譲り合って譲らない。結局ふたりで淹れることにした。と言っても大してすることがある訳でもない。マシンに粉を二杯分測りとって水を入れれば後は数分もすればコーヒーが落ちきる。
「あとは待つだけね」
「そうだね、座って待っていようか」
先生はソファを指差す。風紀委員が使うこの部屋には対面できる様に三人掛けのソファが二台置いてあった。革張りの
「えっ……」
先生が驚いた様に声をあげた。どうしたのかと目を向ける。
「いや、ほら。折角こうして深く座ったんだし……。こっち、おいで? もっとヒナに甘えてほしいな」
先生は膝をとんとんと叩いてみせた。ここに座らないかと問いかけているのだろう。そういえば以前、先生の脚の間に座ったことがあったっけと回想する。
「じゃ、じゃあ……」
先生の膝の上へ遠慮がちにちょこんと腰掛けると、先生が私のお腹の辺りに腕を回して身体をぐいと引き寄せる。先生にもたれ掛かる形になった。
「お、重くない?」
「まさか、羽毛くらい軽いよ。こんなに小さな身体でいつも良く頑張っていてヒナは偉いなあ。よしよし」
そう言いながら、先生は私の頭を撫でてくれる。優しい手つき。私よりずっと大きな手だった。
「小さいは、余計……」
「あはは、ごめんごめん」
折角先生が頭を撫でてくれているのに、私の口から出てくるのは可愛げのないことばかり。
先生はさして気にした様子も無く、頭を撫で続ける。
「ヒナはさ、いつも頑張っているんだから、もっと人に、私に甘えて良いんだよ」
「私はそんな風に優しい言葉をかけてもらえるような人じゃない……。私なんか、先生に優しくして貰えるような人じゃない」
つくづく可愛くないと自分で思う。
「なんか、じゃないよ。私はね、ヒナだから甘えてほしいし、優しくしてあげたいんだよ」
「先生って、ロリコン……?」
「違うよ!?」
違ったらしい。
「だって、私、胸とかないし、背も小さいし、アコみたいにスタイルも良くないし、チナツみたいに可愛げもないし、イオリみたいに
「そうかもしれない。でもね、ヒナはとっても凄い子なんだよ」
大事なのは外見じゃない、と先生は続ける。人には人の良さがある、と。
「ヒナはさ、忙しいのに絶対にサボったりしないで学校へ行くし、私よりもずっと書類仕事も早いんだよ。なんてことは無いって君は思っているのかもしれないけれど、それって凄いことなんだよ」
「すごいこと……?」
「そう、凄いこと。ヒナは凄い子だよ」
当然のことをしているだけだ。学生なのだから毎日学校へ行くのは当たり前。書類仕事だって、アコの方がもっと早い。
「ヒナは頑張り過ぎちゃうんだ。なんでもできちゃうからね。もっと周りを見てごらん。しょっちゅう学校を休む子だっているし、なぜかひとつ上の学年のテストを受けて落第しかかる子だっている。それでもみんな、なんとかなっているんだ。ヒナはいつも頑張っているんだからちょっとくらいサボったって罰は当たらないよ」
もっとみんなを頼って、と先生は続けた。
「私はサボっても、良いの?」
「うん。流石に毎日はダメなだけどね」
「先生に甘えても、良いの?」
「私はヒナが甘えてくれたら嬉しいな」
「頑張ってない私を、嫌いにならない?」
「勿論。嫌いになんてなる筈無いよ」
私も、先生に甘えて良いんだ……。
先生が私の角を避けるように首元へ顔を
「ヒナって良い匂いするよね。好きな匂い」
「恥ずかしいから、あんまり嗅がないで……」
遺伝子的に相性の良い人からは良い匂いがする……らしい。年頃の女の子がお父さん臭い! って言うのと同じ原理だったりする。
「そっかぁ。ヒナは私に嗅がれるの、嫌?」
……ずるい人。そんなことを言われたら、断れない。
「嫌じゃあ、ない。
──でも、私だけ嗅がれるのは、嫌」
少しだけ甘えてみようと思った。
膝の上で上半身だけくるりと反転させて先生の首に手を回す。そのまま首の近く、先生の胸元に顔を
良い匂い。大人の匂い。
「ひ、ヒナさん?」
「甘えて良いっ言ったのは先生。ちゃんと責任取って」
「責任!?」
ふふ、慌ててる。かわいい。
「そこまでして良いとは言ってませんよ先生!」
バーンッ!
部屋の扉が乱暴に開け放たれる。
「あ、アコ!?」
驚いた。突然入って来たのは天雨アコだった。
「確かに委員長が幸せならOKです、とは言いましたけど。そんな、
それは差詰め修羅場だった。彼女はなにか誤解しているし、先生もわたわたしている。そして私も何故ここにアコがいるのかわからなかった。
「誤解だよアコ! 冤罪だっ! ノットギルティ!」
先生は慌てて無罪を主張する。けれど──
「その体勢のどこが無罪ですか! 有罪です! 死刑!」
私を膝の上に乗せて、その上抱き合っていたら、傍から見れば有罪なのも納得だった。どこからか、エッチなのはダメ! なんて言葉が聞こえた気がした。
こんな風に先生に甘えて、楽しく過ごせるなんてまるで──
「夢みたい」
私は少しだけ甘えて、サボる勇気を得たから。これは
夢は夢でしかなくて、現実にはなりっこない。そう思っていた。
けれど。
そう決めつけるのは早計なのかもしれなかった。
少なくとも私は、こうして先生に甘えられる様になれたのだから。
「アコさんっ! 話、話を! 聞いてくださいっ!」
……先生を助けなきゃ。
その後、私と先生は暴れるアコをなんとかなだめて、誤解を解いた。
アコは行政官として優秀だが、私のことを好き過ぎるのが玉に瑕……なんて言ったが、瑕というより大怪我なのかもしれない。
***
後日談というか、今回のオチ。
てっきりアコは
『シャーレへ行く』ことには変わりないので嘘は吐いていないというのが彼女の弁。
委員長が精神的にお疲れの様でしたので、先生を頼ることにしました、と言っていた。同僚に心配をかけている様では私はまだまだだと思ったが、もっとみんなを頼れと言われてしまったので、それは言わないでおいた。心配される前にちゃんと助けを求めないと。
先生を呼びに行った後は、先生が不審な行動をしないように扉の外で聞き耳を立てていたらしい。傍から見れば扉に張り付く彼女はさぞ不審だったことだろう。
聞いてたの!? と先生が驚いていたけれど、ここの扉はそんなに薄くないので、途切れ途切れにしか聞こえなかった筈だ。そうでなくては恥ずかし過ぎる。
「いやあ、まさかアコが私を頼ってくれるなんて思わなかったよ。てっきりアコは『ヒナ委員長を癒せるのは私しかいません!』って言って頼ってくれないと思ってたからさ。嬉しいなあ」
「そりゃあできることなら委員長の一番は私で在りたいですけど、委員長が幸せになれるなら、それは私でなくとも……先生なら、許してあげます」
「アコが、デレた……!?」
デレていません! 賭けますか!? なんて言って騒いでいる。先生もアコも、楽しそう。
「そこ、イチャイチャしない。先生は私の……、私の匂いが好きなの」
言いかけて、言い直す。それはそれでなかなか恥ずかしいことを言っている気はするけれど。
まだ私にはそこから先を口にできる程の勇気は無かった。まだ今は。
「ああ! ヒナ委員長が我儘に! 好き!」
「無敵じゃん……。まあでも、いつでも私に、私達に甘えてね。ヒナ」
今日から、私はちょっぴり我儘になることにした。
淹れたまま放置されたコーヒーがポットで冷めてしまっていたけれど、そんなことは気にならないくらいに。
了。
ヒナとはひたすらイチャコラするのが良いでしょう。そうあるべきに決まっています。
なので先生の変態性は封印しようとしました。
……が、抑えきれなかったので、ヒナも変態にして釣り合いを取りました(取れてない)。
劇中では先生はヒナを脚の間に座らせていたので、拙作ではちょっぴりパワーアップさせて膝の上に座ってもらいました。
膝乗りヒナ、かわいいよね。
あと、アコはヒナが幸せならOKですタイプだと思ったので、活躍してもらいました。