読んでみたいというお声をいただいたので、一時の暇つぶしにでもなればと投稿させていただきます。
申し訳ありませんが、過去公開分以降の投稿は予定しておりません。
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渓流を見下ろせる絶好のロケーション。湯煙が立ち込め、素晴らしい景色を目下に眺められるそこは、逆に外から覗かれる事がないように崖になっており、入浴するには最高の場所だった。知る人ぞ知る穴場の温泉宿。ただ、少しばかり山奥というのが難といえば難かもしれない。
そんな露天風呂にしずしずと入っていく長髪の女性。身長はすらりと高く、プロポーションはモデルのように整っている。タオルで前を隠しているものの、薄布一枚では体のラインを隠しきることができずに胸のふくらみが自己主張をしているのがわかる。
女性は体を軽く流し、そのまま静かに湯に浸かる。彼女が浸かるその湯には既に二人の先客がいた。
「あっ、おキヌちゃんってば胸大きくなったんじゃない?」
「み、美神さん、やめてくださいよ~」
美神と呼ばれた女性はおキヌと呼ばれる女性の胸を手で揉みしだいていた。
……ぐびり。そんな音がどこからか聞こえてくる。
「ほら。人が見てるじゃないですか~」
「あ、ほんと」
そう言って美神はおキヌに伸ばしていた手を止める。
「……?」
新たに入ってきた女性を眺め、美神は首を傾げた。美神は、その女性をどこかで見たことがあった。だが、知り合いにこんな女性はいないのも確か。
……いったいどこかで見かけたのだろうか。見かけたとしたら遠い過去のことではなく、ここ数年のことだろう。なんとなく、記憶の上の方に残っている気がする。
そして、その他にも疑問点がある。美神やおキヌ、そしてアシスタントである横島が滞在しているところは山奥にある温泉宿。慰安旅行と題打ったそれは、美神除霊事務所の所長である美神令子の企画により行われたものである。
整頓、清掃、客の対応等の一般業務から、所員の食事まで作ってくれるおキヌ。決して口に出しては言わないものの、今では立派に右腕として働いてくれている横島を労ってのものだ。ちなみにシロは人狼の里へ帰省しており、タマモは事務所でひのめの面倒をみてくれている。
せめて足を伸ばせるようにと、この温泉宿は美神除霊事務所の貸切にした。他の客がいる風呂に入るよりは、ゆっくりできるだろう、そう思って。
貸切にした理由に横島の覗きの被害を出さないようにとの配慮も含まれるのだが。
ちなみにこの場にいない横島は、今頃客室でロープで縛られている――――だけでなく、その上から鎖で巻いて、鉄球をつけ転がっている筈だ。
行きのバスで美神にセクハラしてパンチを顎にもらい気絶。そしてそのまま連れてこられた横島は宿についても目を目を覚ます様子がないため、美神が念のために縛って放置したのだ。
酷いと思われるかもしれないが、あの男はロープで縛ったくらいでは抜け出してしまう。必要な措置であっただろう。
「貴女、私とどこかで会ってない?」
疑問をそのままにしては気持ちが悪い。そんな理由から直接問いかけてみる美神。
「い、いえ。初めてお会いすると思いますが」
問われたその女性は、声をかけられてから急に挙動不審になり、それまでこちらに向けていた顔を逸らす。
――怪しい。美神の横にいる、若干ニブイといわれているおキヌでさえ訝しげに女性を見ている。
「それに、この温泉宿は美神除霊事務所が貸し切っている筈なのだけど?」
「ええっ! それじゃあ他の女性客がいないってことすか、美神さん!?」
反射的にそう返すその女性。その言葉、口調に美神のこめかみが、ぴくりと動く。
ああ、そうか。美神はようやく思い至った。そう、あれはユニコーン捕獲作戦の時のこと。エクトプラズムスーツを使って女になった横島の容姿が、目の前の女と酷似している。
「あんた、やっぱり……!!」
「あっ」
美神のその言葉に、一瞬遅れて己の失敗に気づくその女性。いや、確かにその姿は清楚な女性であるが、中身は正反対。
「や、やってもーた!! 俺の悪い癖がーーー!!」
「よー、こー、しー、まぁぁぁぁーーーーーー!!」
美神から発される、地に響くような低い声。
「か、堪忍やーーー! 俺の純粋な探究心がわるいんやーーーーーー!!!」
その美しい女性の正体は、スケベだが霊能力だけはピカ一の男、横島忠夫だったのだ!
▽
長年の経験から敏感に感じ取っていた。これは、マズイ。美神さんの怒りは、いつもの比ではないと。
急に黙りこくってしまった美神さんに危機感を覚える。
「す、スンマセン!」
とりあえず頭を下げてみるものの、きっと効果は得られないだろう。恐る恐る見上げると、そこには無表情な美神さんの顔。
ヤバイヤバイヤバイ――――。本能が警鐘を鳴らす。こんな美神さんの対応を見たことがなかった。
思えば今日はやりすぎた。っていってもほとんどが俺の所為ではないんだが。
まず、美神さんが温泉に連れて行ってくれると聞いた時、「どうしたんですか!? 熱でもあるんですか!?」から続く暴言を吐いてしまった。その言葉に美神さんは顔を引き攣らせるだけで、怒らなかった。逆にちょっと怖かった。
でも、素直に好意で言ってくれていると読み取れなかった俺を、誰も責められないはずだ。普段の美神さんがあれなわけだし。
その後、「たまにはのんびり行きましょう?」と普段は絶対に乗らない電車に乗り、バスに乗って向かう道程。多くの乗客と、慣れない電車で美神さんはいらいらしていた様子だった。自分で言ったのに。その雰囲気に気圧されて、俺とおキヌちゃんはずっと黙っていた。
揺れるバスの中。当然唯一の男手である俺は、大きな荷物を足元に置いて、座っている美神さんとおキヌちゃんの横に立っていた。
段差を踏み越えた拍子に大きく傾いたバス。……と、足元を固められて体勢を崩す俺。その先には美神さんの胸があった。こればっかりはわざとじゃない。不機嫌な美神さんにセクハラするなんて、いくら俺でもやらん。……いや、すまん。やるけど、あん時は確かにそんな気はなかった。
最後の記憶は、美神さんの拳が下から凄い速度でせりあがってくる光景だった。
そんでこの覗きは俺の意思だが…………仕方なかったんやーー!
そこに風呂があったら男なら覗くだろ!? 覗かない男はムッツリかインポ野郎ぐらいのもんだろ!
俺だって貸切だって知ってたら文珠使ってまで忍び込まん! 確かに他の客がいないのは不思議に思ったが、覗きの計画を遂行するために全精力を傾けていたから全然気づかんかった。……やっぱり俺の所為な気がしてきた。
ってこんなことを考えている場合じゃない! なんとかしないと俺の命のともし火が、消されてしまう!
「お、おキヌちゃん」
縋るようにおキヌちゃんを見るも、反応はない。俺の胸部を凝視したまま、「私より、大きい……私より、大きい……」とエンドレスで呟いている。……駄目だ。援軍は期待できない。
突然、異常な霊圧を目の前から感じた。肌がぴりぴりと痛みを訴える。
その霊圧の先にいるのは、美神さん。気のせいか、その霊力の量はアシュタロスと戦ったときよりも多い。
続いて、聞き慣れたキンッという乾いた音。美神さんが、何処からか持ち出した神通根に明らかに容量オーバーしている霊力を流し込んでいる。普通は圧力に負け鞭状になる神通根が、どういうわけか高密度で圧縮されて真っ直ぐ伸びている。
大気が歪む。温泉からのぼる蒸気が吹き飛んだ。
「ひぃっ!!」
これは、死ぬ。流石の俺でも死んでしまう。にげ、にげろっ!
バッと反転。出入り口に向かってダッシュすべしと身体が勝手に回避行動を取る。
「どわぁっ!?」
……何故か目の前に美神さん。さらに霊圧が高まっていく。これはギャグキャラ特性をもってしても殺される……!
一も二もなく貯めてあった文珠に、いつでも使えるように持っていた文珠を全て吐き出す。文珠の中には既に文字を込めてあったものもあった気がする。
ここではない何処か遠くで、ほとぼりが冷めるまで隠れるしかない!! あああぁああああ! でも、転移先がイメージできないぃぃーー!
この際どこでもいい! あぁ、でも宇宙空間とかじゃ死ぬから、ここじゃないとこの、この世界なら何処でもいい!
「極楽に……」
小さく呟きながら、神通根を振りかぶる美神さん。
同時に文珠が光を放ち文字が浮かぶ。その数は六。
その文字、数に気づかないまま。死を目前に控えた俺は、異様なまでの集中力で文珠をコントロールしていた。
「逝ってこいぃぃぃーーーーー!!!」
振り下ろされる神通根。そして文珠が放つ光で、俺の視界は白く染まっていく。
……
…………
……………………………………
成功、した? でも、いつもならもう何処かに転移が終わっている筈だよな……。
辺りはなんとも言えない空間が広がっていて、文珠が浮いているだけ。
そこでようやく、目の前に浮かんでいる文珠の数に気がついた。と、同時に顔から血の気が引いていく。冷や汗が吹き出してきた。
『世』『界』『壁』『飛』『転』『移』
普段どこかに瞬間移動するときは『転移』の二文字で事足りる。字数を増やしたなら、その効果も変わってしまうのも当然。
今回、既に文字が入っていたのは『壁』『飛』。防御結界用に一つ、空中移動用に一つ。
そして、逃げるという意思が表れたのが『転』『移』。テンパった思考が反映されたのが『世』『界』だろう。
単純に文字の意味を繋げれば『世界の壁を飛び越えて、移動する』
「こりゃ、まずいな……」
そもそも、文珠は同時に四つまでしか使ったことが無いし、それ以上は使えなかった。なんで今回に限って、五つを飛び越えて六つを使えたのかはわからないが、拙いほうに転がってしまったようだ。
何にせよ……何処に飛ぶのか分からない。この世界ではない、何処かの世界に飛ばされるわけだ。もしかしたら天界に飛んだり、冥界に飛んだりしてしまうかもしれない。
……生きていけるところならいいなぁ。ムチムチのおねえさまがいるところなら言うことないんだが。
いや! もしかしたら天界でも冥界でも、おねえさまがいるかもしれん。それならそれでよしっ!
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その頃、露天風呂では……
「よぉー、こぉー、しぃー、まぁー!! どこいったーーーー!!」
「私より、大きい……私より、大きい……」
般若の形相で辺りを見回す美神と、呆然としたまま呟くおキヌの姿があったそうだ。