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「聖くんっ、どうしたんだね!?」
その声に続いてどんどんどん、という壁が叩かれる音がして俺は気がついた。どうやら、暫くの間呆けていたらしい。
鍵を開けて、トイレから出る。そこには血相を変えた唐巣神父がいた。たぶん俺の叫び声に気づいて、駆けつけてくれたんだろう。
「いえ、何でもないですから……お騒がせしてスイマセン」
「なんでもないって、顔が真っ青じゃないか!」
「大丈夫ですから」
そう言って、ふらふらと歩き出す。
「聖クンッ!? いったいどこに……?」
「ああ、そっか……」
とりあえず家に帰って寝てやりたかったのだが、そういうわけにもいかんのか。んぁー、なんか混乱してるな、俺。
「ひ、聖くん。君はとりあえず眠った方が良い。きっと今日一日色々とあったのだろう?」
「え、まぁ色々ありました。はい」
「……やはり、一度眠って落ち着いたほうがいいようだね」
妙に真剣な顔をしてそんなことを言う神父。ま、俺も考える時間が必要なんで構わないんだけど、可哀相な物を見る目なのが気になったりする。
……ちょっぴり傷付いた。
「聖くんの部屋は用意しておいたからそこで過ごすといい。布団とかの最低限の物も運んでおいたから」
「何から何まですみません」
神父に連れられてある一室に通される。フローリングに白い壁紙。小さな出窓が一つ。白いレースのカーテンがふわりふわりと風に浮いている。クローゼットの横には布団が畳まれて置いてあった。
どうやらここが俺の部屋になるらしかった。
「詳しい事は明日にでも話そう。とにかく、今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えます」
退室していく神父。感謝しながら畳まれている布団を床に引いた。
布団にもぐりこみながら、何で女のままになっちまったんだろう、と思案する。
文珠には永続性はない。姿を変える用途に使った場合大きさなどにもよるが、せいぜい十五分で効果は切れてしまう。
『女』を使った後に、『永・久・固・定』とか使えば永続も可能なのかもしれないが、使ったことも無いし、使う気もない。肉体に直接作用させる効果で、同時使用というのはリスクが大きいし、コントロールが難しい。
もちろん、今回も使っていない。それ以前に使えないだろうしな。
他に、文珠の効果が続いている間に何があったのだろうと考えてみるが……
温泉……? いやいや、肉体の固定を促す効能ってどういう温泉だ。可能性は無いとみていいだろう。
美神さんの霊波……? いや、霊波では既に成った文珠の効果に影響を及ぼす事はない。
使う前なら、強力な霊波になにかしら影響を与えられるかもしれないけど、文珠は既に効果を表していた。
他には――――世界移動、か? 仮説……そう、仮説に過ぎない。だけど考えてみても、いや、考えれば考えるほど俺の中で信憑性を増していく。
前提として、文珠は姿を変えるだけじゃなく実際に変化した状態での肉体も持たせるもんらしい。つまり今回、横島忠夫という存在は、肉体的には完全に女化していた訳だ。
元の世界では俺が文珠で姿を変えていても、世界には『横島忠夫が変化した、仮初の姿』という認識をされていた。つまり、女の姿も『横島忠夫という人間がいるからこその存在』だった訳だから、時間が経てば元の姿にも戻るわけだ。
けど、この世界は女の姿で現れた俺を、俺という一個の情報のみで認識してそれを元とした。
その時の俺という情報は、『女性の体』、『男の精神』、そして『俺という存在に含まれるひとつの文字』。
一つ目の『女性の体』。霊波で擬似的に持たせた肉体ではなく、変化している間は確かに『女性の体』だ。これはさっき考えた通りだ。
二つ目の『男の精神』。これは霊体を示していると考えていい。
この状態では、世界移動しても『女性の体』と『男の精神』が反発して……まぁ、やっぱり女になっていただろうけど、霊体と肉体に齟齬が生まれていたままの筈だ。
だけど、それに追い討ちをかけたのが三つ目の『俺という存在に含まれる一つの文字』。変化で使った『女』という文珠だ。
体の中に在った『女』という文珠が、俺という存在に『女』を付加し、強調させていた。だから男性である霊体よりも女性の肉体が優先されて、精神が体に固定された。さっきの霊視も、霊体と肉体が一致していたのはそういう理由が考えられる。
これが『模』とかだったなら変化は解除されていたのかもしれない。
今回、変化した姿に固定されたのは『模』という個の存在の矛盾を表す言葉ではなく、人体が持つ構成に含まれている『女』の文字だったからではないか。
伊達に、美神さんの下で19になるまで丁稚をしていたわけじゃない。色んなことに巻き込まれていれば、そりゃGS見習いなんてもんにもなるし、それなりに薀蓄も増える。一時期――ここ一、二年だけど――は我武者羅に霊能力を鍛えたりもしたしな。
それは置いておいて。合ってるか確かめようもないが、仮説が正しいとしたなら元の男の姿に戻るには文珠の複数使用で肉体を固定した後、その上から霊体を肉体に固定させる。
もしくは、今回みたいに世界移動なんかした時に、『男』の文珠を飲んでおくか。
…………どっちもしばらくは無理そうなんだけどな!
外はまだ明るいが、慣れない事を考えた所為か眠くなってきた。目をぱちぱちと開いていたけど、だんだんと瞼が落ちてきて考えることが億劫になる。
「っ!!」
そうしてうつらうつらとしていたが、思わず目を見開いた。
ちょっとまて、今気づいたけど精神が女の体に固定されたってことは、もしかして俺、心も女になるんじゃ?
…………ははは。いやいや、まさかな。なんか考えるのが怖くなったので、とりあえず今日はもう寝よう。
一度引いた眠気が、また戻ってきた。今度はそれに抗わず、ゆっくりと体を沈めていった。