ルーミアだけど、どうやらめっちゃ強いらしい   作:ポンデーニュ

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長い間お待たせしてしまい申し訳ありません。

二章完結まで隔日更新するつもりでしたが、少し厳しそうです。


第13話「Gone with the Flower」

花は咲き、やがて枯れる。

 

妖怪は恐れられ、やがて絶える。

 

神は崇められ、やがて消える。

 

人は生き、やがて死ぬ。

 

死は平等に訪れるのかしら。

私以外には、たぶんね。

 

 

諏訪子国(仮)の都から抜け出してもう数時間が経つ。きっと日付も変わったに違いない。

 

「……ここどこ?」

 

ルーミア、絶賛迷子中です。迷子のルーミアです。

数十億年生きてきたはずのこの星で、右も左も分からない状態です。

 

ああ、体を闇に包もうだなんて考えてしまったのが運の尽きだ。平衡感覚を失って、何も見えない状態のままぐるぐる回り続けたアレがいけなかった。

しかしあの技の習得を諦めるわけにはいかない。闇でぷかぷか浮いて木にぶつかった所を霊夢とかに見られて、「あんた何してんの」とか言われたいのだ。どうしても言われたいのだ。

これは今後の課題として、しっかりルーミアメモに記録しておこう(ルーミアメモには主にお気に入りの寝床スポットの概要が記録されている)。

 

それよりもまず急を要する課題がある。

どうにかしてゆかりんとの約束を守ることだ。

 

――ああっそうだ、じゃあ今夜見せてあげるよ!私の本当の強さ!

 

――はぁ、分かったわ、今夜ね。

 

ここで言う今夜というのは、つまり今のこと。

 

何が言いたいかって?

このままだと私は約束破りの嘘つきルーミアになってしまうってことさ。

 

「道に迷った時ってどうすればいいんだっけ?

……自分を見つめ直すとか?」

 

多分それは人生における道に迷った時だ。

自分探しの旅ってやつ。

 

「はぁ…」

 

滑空を中断すると、それまで流れていた暗い緑色の地形がピタリと止まった。

しかし思考だけは止めてはならない。私は考える妖怪なのだから。例えそれが、迷子のルーミアや嘘つきルーミアであったとしても、だ。

 

さて、こういうのは地形がヒントになるかもしれない。

何か特徴的なものから現在地を把握するってヤツ。古事記にもそう書かれている。

 

私は仕切りなおすように、周囲の景色を見渡すことにした。

 

「えっと、原っぱと、山と……山?」

 

あとは、山だ。

強いて言うなら、山だ。

どれもこれも特徴のない、木と草と、美味しい空気で包み込まれてそうな山だ。

 

なんだよこれ!

特徴も何もありやしない!無個性すぎる!もっと自分の色を出せ、出しなさい!

 

「……お?」

 

けれどそんな中に、どうやら一際目立つものがあるようだ。

 

勿論無能な山ではない。

それは山から視線を変えて、その麓の平野を一瞥した時によく映った。

 

黄色だ。

黄色が一面なのだ。

暗がりの中でも分かるくらい、黄色で一杯なのだ。

 

「あれは、向日葵?」

 

初夏を運ぶお花さんだ。

それが、そこだけが外界から隔離されたように、ともかく向日葵だらけなのである。カーペットである。とんでもない大きさである。

 

「む、何だか変な気配」

 

何かこう、入道雲がちょっと目を離した隙に消えてしまって、そこにはもはや青空だけが広がっているような、唐突な違和感。あるいは打ち解けない感じ。それがその花畑にはあった。

 

私はその絨毯から目を離して、周囲の山々や平原をもう一度一通り見渡した後に、また例の花達に視線を戻した。

 

妙な感じはやっぱりあるが、どこにでもある他の風景と比べると向日葵達は良く見えた。

 

「……行ってみよ」

 

こんな時くらい、お花に癒されるのも良いじゃないか。もうずっと飛びっぱなしで疲れてきたのだ。

お花に今夜の愚痴でも披露してやらないと気が済まない。

 

「ん~!」

 

近づいていくと、より麗らかな香りが鼻腔をくすぐった。

薔薇のように強い香りではない、まさにお日様。

 

「おお~」

 

それは実際に降り立ってみるとさらに強かった。お日様の下で日向ぼっこしてる時と同等位の幸福指数が、今の私の中には多分きっとある気がする。

 

同時に、夜の虫達の合唱も私を出迎えた。

どうも辺りいっぱいに彼らは潜んでいるらしい。

 

「わはー」

 

背丈の高い向日葵達は特に何も言ってはくれないが、私の髪と同じ真っ黄色なのだ。きっと歓迎してくれているはず。

私は向日葵の友達だ!

 

「こりゃまた綺麗」

 

しかしまあ、随分良く手入れされているらしい。

花びらの一枚一枚が、僕も僕もなんて言いたげの様子で、気持ちよさそうにのびのびと自己主張している。中心部のつぼみなんてそれこそ太陽だ。

 

ここまでお花に対して優しく丁寧に手入れができる人はきっとさぞ優しい心の持ち主なんだろう。あれだ、ペットは主人に似るみたいなやつ。

 

私は口を開かない無口な花達を眺めながら、向日葵の間にある小道を歩いた。

本当に広い。東京ドーム何個分とかの表記が可能なくらいだ。

 

 

 

「あら?お客さん?」

 

「お?」

 

そうして見とれていると、すぐ真後ろから声がした。

 

女性の声だ。お花みたいな柔らかい声だ。

すっきりとして、辺りに流れたその声の音色はちょうど向日葵と一緒だった。

 

なるほど、きっとこの向日葵達のお世話をしている人だろう。優しそうな声がその証拠だ。

 

 

 

……でも、変だな。

さっきまで後ろには、誰も居なかったはずなんだけど。

 

 

鈴虫の鬱陶しい声が脳裏に忍び込んできておいて、何か悪さをしでかそうと知恵を絞っている。そこまでして、一体なんの意味があるのかしら。

 

いずれにせよ、特段やることもない暇な夜。

 

椅子にもたれかかってなんとなく真横の窓を覗いてみた。くだらない星々が輝いているのがよく見える。

 

「……あら?」

 

そんな時何かが入り込んだ。

ふっと、向日葵畑に何かが湧いて出たのだ。

 

こんな夜分遅くに珍しい。

またどこか遠くの人間が畑を荒らしに来たのだろうか。

 

「はぁ、仕方ないわね」

 

私は立ち上がって、扉の横に立てかけていた日傘を持ち上げた。少し冷えた感触が伝わる。

それから扉に手をかけた。

 

「うるさいわね」

 

小屋を出ると、奴らのけたたましい音がより一層私を出迎えた。

それにどうしてか、鬱陶しい虫には鬱陶しい風と鬱陶しい月明かりが付き物だ。

私が優しい妖怪でなければ何もかも壊してやるというのに、その有難みさえ分からない愚図はさっさと頚椎を刎ねて自分から肥料になればよいのだ。

 

「いた」

 

そいつはすぐに見つかった。

 

夜風に揺れる向日葵を見ていた。無邪気そうに、どうやら子供のようだ。

人間の文化に対してはっきりと身につけている知識は少ないが、奇妙な出で立ちなのは理解出来る。

下賎の者には見えないが、かといって地位のある家の娘にも見えない。黒と白の装束に、赤い布が特徴的。異国の者だろう。髪の色がそれを示している。

 

妖力のようなものは感じられない。どうやってここまで来たのか、まだそれを判断できる程の材料は持ち合わせていない。

 

「……?」

 

何か違和感。こんな餓鬼が夜に一人でいるというのもそうだが、もっと根本的な所でそれを感じる。

 

まぁ、考えても仕方がないことだ。

 

丁寧に挨拶してやりましょう。

 

いつものように私は、すぐ真後ろまで気付かれずに歩いた。客人はまだ呑気に花達を見つめている。

 

花が揺れるのと同じように動くのは得意だ。誰にも気配を悟られない自信がある。そしてそれは、周囲に花が多ければ多いほどより格別に行えた。満月の輝きが蛇のようにうねって、しんしんと降り注ぐくらい、簡単に。

 

「あら?お客さん?」

 

大抵はこうして突然話しかけると、驚きか恐怖か、ともかく体を震わせて多少は面白い見世物になる。

 

「お?」

 

けれど目の前のは本当に馬鹿なのか阿呆なのか、全く動じる気配がなかった。

生存本能や防衛本能が、一切合切消えてしまっているのだろうか。

 

一泊置いてから、ようやく子供はゆっくりと振り向いた。

 

瞳が合う。

黄色い髪、白い肌、赤い瞳。随分と鮮やかな奴だ。

花だったら良かったのに、そう思った。

 

「……」

 

顔立ちは健康そうに思える。

唇はまだ熟れていない果実のように薄紅色で、先の発声以降開く様子はない。

 

「こんな所で、何をしているのかしら?」

 

「……」

 

返事はない。

それどころか途端に血液を抜かれたように動かなくなって、木偶の坊のように私を見つめてきた。

 

「子供が一人でどうしたの?」

 

「……」

 

「生憎嫌いなのよ、餓鬼は」

 

「……」

 

「あら、気でも失った?」

 

「……」

 

「おーい」

 

「……」

 

「なにこいつ」

 

「……」

 

表情に色や生気が感じられない。

これではまるで死体でも見ているようで気味悪い。

 

死体は嫌いだ。

死体になるまでは好きだ。

 

「どうやってここまで来たの?」

 

「……」

 

恐怖や警戒心で、体が氷のように固まるというのは知っている。少し前のもそうだった。

しかし、こいつがそうだとは何故か思えない。何か別の原因があるように思えた。

 

「何か言ったらどう?」

 

「……」

 

「はぁ、つまらないわね。さっさと殺してしまおうかしら?」

 

「……」

 

私は左手を頬に添えて、顔の重さをそれに預けた。そしてこいつがなんなのか考える。

 

遺憾にも結論は出なかった。

 

「もういいわ。貴女ってほんとに……」

 

ここで、異変に気づく。

 

厳密にはその異変は、私が発言している最中に既に発生していた。

 

「!」

 

月の明かりが向日葵の影をより長く伸ばし、その影が風に揺れて奴の姿を覆い隠した、その一瞬。

 

奇妙な息遣い、微かな粘膜の擦れる音……それらを理解する前に、視界を奪うような白い歯が大きく眼前へと迫っていた。

 

「は?」

 

何が起きているのか思考が追いつかない。

 

自分が攻撃を仕掛けられている、つまり目の前の人畜無害な子供が、私を殺そうとしているのだと理解したのは、歯が目と鼻の先に迫ってからだった。

 

「!」

 

回避を試みる。

もう間に合わない。

 

私は咄嗟に未だ頬を支えていた左腕をずらして、額に齧り付こうとする奴へとあてがった。

 

「っ!」

 

前腕部にそいつは噛み付いた。

腕に鋭い衝撃と湿り気が走り、白い袖が赤く染まる。鉄の匂いに息を呑む間もなく、何かが裂けるような生々しい感覚が頭蓋を揺さぶった。

 

「ぐ、ぐぐぐ……」

 

少女は肉に噛み付いたまま、獣のような呻き声を上げている。

 

なるほど、どうやら目の前のは人間でないようだ。

おまけに私を食べるつもりらしい。

 

食べられるのは趣味でない、どっちかというと食べる方が好きだ。

 

「なによ、随分なご挨拶じゃないかしらっ?」

 

私は自由であった右手で日傘を振りかぶって、腕に食いつき磁石のように離れないそいつへと思い切り叩きつけた。

 

「え?」

 

しかし、手ごたえがない。日傘が空を切る音がするのみ。くわえて耳障りな音も響いた。

後者は骨が軋むような、今まで聞いた事のない音。

 

どういう訳か、奴は私の腕に噛みついたまま軽やかに身を躱していた。

 

「!」

 

考えがまとまるの待たずして、視界が赤く染まる。

少女は打撃を避ける時に、私の腕の肉を大きく噛みちぎっていた。まるで魚の身を剥ぐように。

 

彼女はそれを咥えたまま、まるで空中で踊るかのように身を翻していたのだ。

 

「なんてやつ」

 

少女との身体的な接点がなくなり、私は咄嗟に大きく後退した。

 

月下で黒ずんだ赤が帯びる。

化け物からの追撃はない、ただ肉を貪るのに夢中のご様子。

 

今まで感じたことのない、思わず顔を歪めてしまいそうな刺激が、左腕を起点として身体中へと回った。

 

「へぇ、これが痛み」

 

まるで体の内側に薔薇が咲き、その棘が悪さをしているような感覚だと思った。

 

見るに、左腕は使い物にならない様子。ぶらりと力なく垂れ下がったそれは、骨が露出し、今にも崩れ落ちそうで、どくどくと絶え間なく血を流す以外に役割を知らないと見て取れた。

神経がやられたのか動かすことができない。指先を少し曲げる事さえ。

 

「どうかしら、私は美味しい?」

 

肉を飲み込む音だけが鮮明に聞こえる。

ご丁寧に、一緒に引きちぎった服の袖を時折吐き捨てながら。

 

「そんなに美味しいのなら、私も食べてみるんだったわ」

 

草が赤色に染まり、飛び散った血飛沫の幾らかは近くの向日葵に付着し気味悪く水滴を垂らしている。

少女は口や衣服を私の血で汚しているが、それは些細なことらしい。

 

「貴女みたいなの、初めて」

 

騒ぎ立てていた虫共の声は随分と静かになっている。

気まぐれな奴らだ。

 

「う~ん、そうねぇ……」

 

私は右腕で日傘を持ち上げて、肩で担いだ。

ちょうど良い重みが身体へ伝わった。

 

「睡蓮なんてどうかしら?

いや、貴女に合いそうな花を想像していたの」

 

今夜はきっと、いい夜だ。

 

##########

 

最初に何を思ったか、あまり覚えていない。

 

どうやって産まれたのか、それからしばらく何をして過ごしていたのか。その一切が分からない。

 

けれど、何かを殺すという動作そのものだけは、感覚として最初からあった。

攻撃をすれば血が出て、やがて死ぬ。

切り落としたり叩きつけたり、そのようなこと。

 

だから殺した。

目に入るものを殺していった。無作為に、とりあえず。

 

私は強かった。何よりも強かった。

傷を負ったことは一度もない。

この世界で一番強かった。とうとう私より強い存在と出会うことは叶わなかった。

私は残念ながら最強の妖怪だった。

 

誇らしいことではある。

生意気な人間も、獰猛そうな同種の妖怪も、調子に乗った神も、私の前では等しく弱き者に過ぎない。この点において、死は平等と言わざるを得なかった。

 

悲鳴を上げる姿は愉しく、逃げ惑う姿は滑稽で、どうにか抗おうとする姿は馬鹿らしかった。それをもっと見たいと、純粋に思った。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

別に憎しみがあった訳ではない。怒りも恐怖もない。生存本能だとかではない。

それ以外にすることはなかったのだ。

それだけがすることだったのだ。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

逃げる奴も立ち向かう奴も、皆惨殺した。

人も妖も神も男も女も大人も子供も。

賢い奴も馬鹿な奴も愚かな奴も勇敢な奴も臆病な奴も。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

難しい理屈も理論も何もない。

それだけ単純な方が、きっと殺される方も良いだろう。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

返り血で前が見えなくなって、周りが死体や何かの液体や臓物でいっぱいになってようやく、私は一息ついた。

血の匂いは生臭く、一人海の中で無数の波頭に溺れるようだった。

なのにどういう訳か落ち着いた。血そのものを好きだとは思えない、不潔で汚いし、見ていて不愉快だ。けれど心地が良かった。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

そうしている内に、これは最終的にどうなるのかと考えた。

つまり、殺してどうなるのかと、最も原初的な考えに至った。

何かをして、それに結果が付随する。であれば、この行為にも何か終着点があるはずだ。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

いつしか半ば作業のようになった。

決して愉しくなくなったとかいう話ではないが、特別目的や目標がある訳ではない。

 

殺して殺して殺して、また殺した。

 

ある時ふと思い立った。

結局の所、何も変わりがないのだと。

私がいくら殺した所で、明日世界が終わるわけでもなければ、何か納得のいく結末を迎えるわけでもないのだと。いや、そもそも結末なんてものは、私には存在していないようだった。

私は死ぬこともなく、完璧完全に意味のないことを、完璧完全に行うだけである。

私は残念ながら最強の妖怪だった。

 

殺して殺して殺して、そしてやめた。

 

それは、飽きたということかもしれない。

ただ単純に、気分でなくなったからなのかもしれない。

私にも定かではない。

 

ともかく、私はやめた。

殺さなくなった。

あくまで自分からわざわざ殺しに行くことをしなくなっただけで、目に入れば大抵は殺す。

だって殺すか殺さないかだったら、殺す方が明らかに良いのだから。

 

私は代わりに、花を育てることにした。

きっかけはよく覚えていないが、花が弱っていく姿を見ると心が痛んだ。普通、何か他人が弱って死んでいく様を見るのは楽しいものなのに、花に限ってはそうでないのが不思議だった。だから育てた。

 

成長し、種子を残し、そのうち枯れる。

花の結末は決まっている。私と違って、全てがそこへと収束している。

それになんだか、綺麗でいい匂いがした。

血の匂いより好きだった。そもそも、あれは生臭くって好かない。だれが好き好んで血まみれになるというのかしら。

 

長い間花と暮らし、様々な花を育てた。

今まで何かを殺していた時間が、花を育てる時間へと変わった。

結局の所それによって何かが変わる訳ではない。生活が以前より面白くなる訳でもない。

ただ、殺して殺して殺して、また殺していた時間が、水をかけて土を整えて、害虫を駆除(とりわけ馬鹿な人間を掃除することも含む)する時間へと変わっただけだ。

 

ひたすら決まった結末に向かっていき、自分より先にそれを迎えていく花を見るのは、殺すよりも派手ではないが、不思議と落ち着く。

 

花は私と同じようであって、同じでなかった。

成長し大きくなるという行為自体には目的がないように思える。種子を残すという大義名分は、どうも花にとってはあまり重要でないような気がした。この点においては、私と花は同じだった。

 

種子については興味深いものがある。

それによって生まれた新たな花は、前の花の一部とも取れるし、異なる別の花とも取れる。その概念は面白い。

 

されど、花は枯れる。それは避けられない事実。

 

私は花の揺れ方を覚えたし、花の生き方を覚えたし、花の咲き方を覚えた。さらに花の考えていることも分かるようになった。

 

私は花になれたと思った。

 

しかし私は枯れなかった。

 

枯れない花というのは美しいのだろうか。

それともただ気味が悪いだけなのだろうか。

 

ずっと考えている。

 

私には夢も目的も願望も、まして結末すらない。

別に悲観的にはならない。ただ「そうなのね」となるだけだ。

私は残念ながら最強の妖怪だった。

 

 

 

花は咲き、やがて枯れる。

 

妖怪は恐れられ、やがて絶える。

 

神は崇められ、やがて消える。

 

人は生き、やがて死ぬ。

 

死は平等に訪れるのかしら。

私以外には、たぶんね。

 

##########

 

鮮血は今も尚流れ続けている。

鋭い痛みからか、意識がぼんやりと、まるで微睡みに思える。腕を修復する心当たりはあるが、初めてのことで不確かである上に、敵にそんな隙を与えて良いとは思えない。

 

目の前の化け物は、やはり食っている。

もはや腕ではない肉の塊を歯を使役することで、小さくしたそれらを少しずつ口に含んでいって、その度に喉が揺れる。

 

こいつは、私を殺そうとしている。

いや、食べようとしている。

そしてどうも、それは実現可能であった。

 

星空が揺れている。

不思議と風はない、なのに向日葵は揺らいでいる。

 

もしかするとここで枯れ果てるということが、私には決して訪れることはないと思っていた結末なのだろうか。

 

「ううん、美しくないわね」

 

いや、それは納得できない。

私が求めた結末とは、枯れるとは、もっと壮大で綺麗で優美で、納得がいくものであった筈だ。

そうでなければ釣り合わない。

私の命と釣り合わない。

 

ならば私は奴を殺さなければいけない。いつもと同じように、殺らなければならない。

 

それに何より、ここで私が死ぬということは、私が負けるということだ。

 

「それはおかしいわね」

 

私は残念ながら最強の妖怪だった。

 

よってここでの死は世の真理に反する。

この金髪がどれだけ強かろうと、その真理が覆ることはありえない。

 

「ごめんなさいね、やっぱり貴女のことを殺した方が良いみたい」

 

「……」

 

「殺し合いってことよ、意味わかる?」

 

「……」

 

「いいわ、そっちからかかってきなさい」

 

「……」

 

「この世で誰が一番強いか、白黒はっきりつけてあげる」

 

「……」

 

「おーい」

 

「……」

 

「なにこいつ」

 

「……」

 

返答は全て咀嚼音で行われた。

 

今日は変な夜。

何もかもが変な夜。

 

加えて、私も変だった。

今私が抱いている感情は、どうやら久しぶりに心の底から愉しいと思えるものであったからだ。

 

しかし、そんな夜や私よりももっともっと変なのはこいつだ。

今も尚、貪り食う気味の悪い音が聞こえる。

がむしゃらに、ひたすら、奴の世界では奴と肉だけが存在しているようだった。まるでそれ以外は眼中にないかのように。

 

――私の事は眼中にない?

 

だから今も私を無視して、食べ続けている?

変ではないか?食べるなら、もっと大きい本体、つまり私をすぐにでも狙うべきではないか。

奴なら多分、それが可能だ。

 

「ぐ、ぐるる、ぐ」

 

奇怪な、獣のような声がした。

品性の欠けらもない声だ。

 

――これは使える。

 

こいつには、恐らく知性がない。頭がない。

 

だから今も、私本体という一番の食べ物を無視して目の前の短期的な利益に飛びついている。

こいつはきっと、考えられないのだ。思考できないのだ。

 

ここのあたりで、左腕からの出血が止まった。

本当に今の予測が正しいのであれば、あるいは…。

 

「物は試しね」

 

私は地面から植物を呼び起こした。

ここら一体の地は長らく私が住んでいる。私の手によって整備が施されていない土などどこにもない。

 

地中から伸びた芽は大きく背を伸ばし、やがて私の左腕へと到達した。

するするとそれらは肉と絡み合っていく。

 

「んっちょっと痛いわね」

 

植物は肉の内部まで入り込み、凹凸のある土をならすように形を整えていった。

結合し、腕の形を取り戻していく。色合いも緑から肌の色へと調子を合わせていった。

 

ものの数十秒で、腕は元の姿になった。異なるのは、袖がちぎれたおかげで直に肌が露出していることくらい。

 

「あら、案外すぐね」

 

私は左腕を取り戻したようだ。試しに何度か握って開いてを繰り返してみる。指先まで神経の糸が繋がったように、元のように動かすことが可能だった。

 

初めての事だったが上手くいった。

 

「本当に美味しそうに食べるわねぇ」

 

予測も当たった。奴は体を修復しているこちらに目もくれていない。肉を齧りとるのに必死だ。

 

「少しくらい、私にも分けなさいよ」

 

私は早速奴へと走り出した。距離は大股八歩程度。

今度はこちらから攻撃を仕掛けてやる。

私は日傘を握る力を強めた。

 

一歩二歩、近づくが未だに反応はない。

 

三歩四歩、怪物はようやく顔を上げて視線を肉から私へと向けた。なるほど、どうやらほとんど食べ尽くしてしまったらしい。

 

上手くいけば、このまま夢中になっている少女を意識外から一撃で仕留められるかとも思ったが、さすがにそう簡単にはいかないらしい。

 

私は走りながら右腕を引いて、少し重心が後ろへと後退する形になった。そしてその状態で日傘を構え、槍のように奴へと向け、思いきり投げる。

直線で、奴の心臓の辺りを貫通するように、力を込めて投げ捨てる。

日傘は空気を切り裂き、奴へと向かった。この距離と速度、避けられないはず、それが普通の相手なら。

 

しかしそいつはその槍を必要最小限の動きで避けてみせた。なんともないように、体を少し横へとずらすだけで。その動作を視認するのだけでも至難の業だった。

 

そうして日傘は対象を失い、奴の真後ろで地面へと突き刺さる。

 

認めたくないが、この反射神経は私より上だ。大体、普通避けられる速度ではないのだ。

 

「ふふっ、面白い」

 

けれどここまでは想定内。

 

私はその様子を見て直ぐに、先程修復したばかりの左腕を、今度は自らの手で切断した。

 

「っ!」

 

またしても痛みが全身に巡る。鋭い針が体内を循環してあちこち突き刺すような、ビリビリとした痛み。血が前以上に溢れ出る。

 

思わず倒れ込みそうになる刺激を堪え、私は切断した腕を右手で持った。

 

「ほらっ、美味しいんでしょうっ?」

 

その腕を、先程の日傘のように奴へと投げ捨てる。

 

奴はそれを凝視する。

宙に舞い、自身の元へとたどり着こうとしているそれを目で追う。馬鹿みたいに目を丸くして、口を半開きにして。

 

――計画通り。

 

化け物の意識を、身近な利益へ向けさせた。

金髪は釘付けになって、必死にそれにありつこうと体を動かし始める。

私はその隙に、奴の真横を滑り込むように素早く通り過ぎた。少女がちょうど、放り投げた左腕を手で掴み取った所だった。

 

地面に突き刺さっている日傘を引き抜く。

奴は私のことを意識の外へと置いている。

そして何より、真後ろからの至近距離での攻撃。

現状考えられる最も殺傷率の高い攻撃。

 

私は振り向きざま、背を向けていた化け物へと日傘を突き刺した。

 

「……はっ!?」

 

突き刺したはず。

 

目の前に広がるのは、夜風に揺れる向日葵畑。月明かりに照らされた、いつもの、平穏な夜の風景。

さっきまでの戦いは幻だったのか……そう思わせるほど、そこには何の変化もなかった。

 

「?」

 

化け物の姿は幻影のごとく消え失せていた。

日傘はまたしても空気を切っただけだった。

 

一体どこへ行った?

 

「!」

 

何か嫌な毛色を感じて右手側の向日葵達を視認した瞬間。

花の間から奴が躍り出た。

 

虎が茂みから飛び出すような突発性、しかし虎との大きな違いがある。

 

少女は宙に浮いていた。

そして尋常ではない速度で、こちらへと突っ込んできていた。

 

「っ!」

 

私は反射的に日傘を開き、奴へと向けて身を守るように構えた。

 

直後に、間に合ったかどうかを判別する時間すらない直後に、背骨に響く衝撃と、日傘を支える腕への振動が同時に巻き起こった。

そして意識が弾け飛んだかと思うと、私の体は宙を舞っていた。

 

星々が視界を流れる。地面が、夜空が、向日葵の影が、流れ流れて影が混ざり合うように過ぎていく。

私以外の全てが流転しているかのように思えた。

 

そうして次は、背からの、臓器を震わすような強い振盪が響き、息が詰まった。

肺から酸素が追い出され、思わず咳き込みそうになる。

私は背中から地面へ激突したようだ。

 

「なんてやつ」

 

辛うじて意識を保ち、体を起こす。

 

なるほど。

もしこの世界で私を殺すことができる存在がいるとしたら、それは間違いなくあの少女であろうし、あの化け物以外にそれが可能な存在はいないだろう。

 

猶更、私はあの金髪を殺さなければならない。

今ようやく、人生で初めて、明確な目的が誕生した。真の殺意というのは、このことを指すのかもしれない。

 

「ふふふ、たまらないわね」

 

少し息を整えてから周りを見渡す。ここは向日葵畑の中。

私に押しつぶされて、いくつかの花達は潰れてしまっている。

どうやらかなり遠くまで吹っ飛ばされたらしい。

 

日傘で奴の、まるで墜落のような突進を防ぐことは出来た。

しかし白い、模様のない傘は、持ち手の部分から先が大きく折れ曲がってしまった。支える骨も破損、それどころか見当たらない部位もある。もはや使い物にならない。

 

「残念ね、お気に入りだったのに」

 

今までどんな攻撃も無傷で防いだ私の日傘は、いとも簡単に壊れてしまったのだ。

 

「あいつは?」

 

起き上がり、向日葵に紛れて奴の姿を探す。

星と月の明かりが、その様子を滑稽に見ているように思えた。

 

「……いた」

 

月を背にして、月からの使者のように、奴は空高く宙で佇んでいた。ご丁寧に私が与えた左腕を抱えている。そして恐らく、私の姿を探している。

 

しかし今の私は花そのものだ。周りに花があるとき、私は花になる。それは気配を探る探らないの話ではないのだ。概念として、私は花になるのだ。

 

「どうしたものかしら」

 

そいつは向日葵の畑を頭を動かして見渡しながら佇んでいたが、やがてその動作をピタリと止めた。

そして何の因果か、持っていたかつて私の左腕だったものを途端に落としてしまった。

 

左腕は空から落下し、地面へとぶつかる。

 

「?」

 

一体何をしている?

途端に腕に興味をなくしたのか?

それを食べるんじゃなかったのか?

 

「先ずは修復が先ね」

 

私は観察を止め、失った左腕の再生を始めた。

 

地面から芽が伸び、私の腕へとそれが成長していく。

 

今度は先程と違い、腕そのものの再生をしなければならない。時間がかかるだろう。

 

「!?」

 

腕の断面へと植物が繋がろうとしたその時、轟音と地響きが巻き起こった。

 

身構える。

奴がこちらに気づいたのかもしれない。

 

しかし近くに姿はない。

姿は先程と同じ場所にある。

では一体今のは…?

 

「……は?」

 

なくなっていた。

少し先、遠くの畑一体がその場から消失…いや、地面諸共消えていた。

 

「一体何?」

 

すぐに奴へと視線を戻す。

金髪は手をかざしていた。その甲から、何かが弾き出されようとしていた。

 

「あれは?」

 

黒い、小さな塊のようなもの。掌の半分もないようなその小さな球体が、奴の手の先で作り出されている。

それが小石サイズになったかと思うと、やがて小石は地面に向かって放たれ、そのすぐ後に大きな音と揺れがまたもや始まった。

今度はさらに遠くの向日葵一体が消えてなくなっていた。その小石が放たれた先だ。

破壊というより、消えていた。その先にあったものが全て、消えていた。

 

「気味悪いわね」

 

化け物はその動作を繰り返し、そこらじゅうの向日葵を作業のように消し去り始めた。

 

私の位置が分からないから、ここら一体を吹き飛ばして見つけようとしているのだろうか?

 

「そう、少しは知恵があるみたい」

 

向日葵達を減らして、追い込み漁のようにして捕捉するという訳か。

 

急に頭が良くなったように思えるのは引っかかるが、いずれにしても先ずは再生を完了しなければならない。

 

私は修復作業を再開した。

植物は管を作り出して、元からそうであったように繋がっていく。

 

この間にも爆音と揺れは続く。

 

「……あら?」

 

しかし急に、そんな音と揺れが止まった。

体力切れでもしたのだろうか?

 

見ると、奴は同じように手を掲げている。仕草も体勢もまるで同じだ。

 

そして先のように、黒い弾が発せられる。

 

いや、そうはならなかった。

その弾は小石から掌の大きさになり、やがて頭と同程度の大きさになり、さらには体以上の大きさになり、留まることを知らず膨張していった。

 

今やそれは私のような目の良い妖怪でなくても分かるくらい、その場所にぽっかりと空いた穴のように、大きく存在している。

 

「それをぶっ放すつもり?」

 

冗談ではない。

小石の大きさであの威力、あれがここに落ちようものならどうなるか、畑どころの話ではない。

 

しかしおかしい。

そんなことをしてしまえば、奴の一番の原理であったはずの''食べる''という行いが出来なくなるのではないか?

 

この向日葵畑全体を破壊し尽くして、私も破壊してしまえば、食べるどころの話ではないはずだ。

あの威力を考えれば、恐らく私の体は残らないほど消し飛ばされるだろう。

あいつは一体何を考えているんだ?

 

そんな考えを知ってか知らずか、''それ''は膨張し続けた。

大きく大きく、歯止めが利かないほどに。

 

奴はやはりそれを解き放つらしい。

私諸共、この辺りを消し去るらしい。

 

「まずいわね」

 

私は再生作業を中断した。

そして体を地面へと…。

 

 

 

何か大きな音がして、そこで私の意識は途切れ去った。

 

 

「なんだか嫌な夜、うさ」

 

『兎跳ねるのを止めること、即ち、月が降る夜』

 

こんな格言があるとかないとか。

良い事言ったもんだよ、兎道を良く表している。考えた兎は天才だ。

 

ま、私なんだけど。

 

「ふぅ、なんだか疲れちゃった」

 

竹林はまだまだ先。

早いとこ、この大陸から持ち込んだ新種の人参達を皆に届けないといけない。

背中の風呂敷で包んだ人参の重みで、今にも押しつぶされそうだ。ただでさえ私の体は小さいというのに。

 

「私って、ほんと親切兎」

 

旅なんてもう懲り懲りだった。

 

けれど私は本当に優しい兎さんだよ。

中々手に入らない希少人参の存在を知った子兎達に、あんな瞳でお願いされたら断ろうにも断れないさ。

 

「……ん?なんの音?」

 

そんな風に歩みを進めていた最中、遠くから音が聞こえた。形容しがたい不思議な音。

 

しかもその度に地面が揺れる。私の耳もゆさゆさっと揺れる。

敢えて例えるなら、何か大きな物が地面に衝突したような音だろうか。隕石だとかそういう類の。

 

「ま、もう変なことには関わらないって決めたんだ。あんなのはこりごり……」

 

――ドッガーーーーンッ!!

 

「わあああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

情けない声を出してしまった。

兎は実に臆病なのだ。

 

それに今回ばかりは仕方がない。

今まで経験したことのないような揺れ、数百年前に経験した大地震と同じ規模か、もしかするとそれ以上のが、耳を切り裂くような音ともに巻き起こったのだ。こんなの誰だって驚くうさ。

 

「な、なんだ?何が起こってんの?」

 

心臓がビクビクして、体の節々が痺れていく。

 

辺りをキョロキョロと見渡す、木々たちも揺れて葉を沢山落としている。

 

私は今林の中にいる。ここを抜けた先の平原には小川が流れていて、そこを辿って山に入り、さらにその先の森を抜ければ竹林にたどり着くのだ。

 

しかし問題は、先程の音と衝撃は、この林を抜けた先の平原の方から聞こえたということだ。

 

「今度はなんなんだよぅ」

 

ゆっくりと慎重に、風呂敷を背負いながらうんしょうんしょと歩いて行く。

そのうち私はようやく林を抜け出した。

 

「へ?」

 

驚くべきことに、その先には件の平原はなかった。

それどころか付近の森も山も、その全てが消滅して、残ったのはぽっかりとこまのように空いた大穴だけだった。

 

「なにこれ」

 

これが先程の揺れと音の原因?

何が起きたのだろう?

やっぱり空から、何か落ちてきたのだろうか。それこそ街がひとつ落ちたみたいな感じだ。空の上には宮殿でもあるのだろうか?

 

「……ん?」

 

その時だった。遠くの地面がなにやら割れ始めた。ひびを作って、ひとりでに亀裂が入り始めたのだ。

地中から何かが出てくるように。

 

「な、なんだぁ?」

 

私は飛び跳ねて木の影に身を隠した。

そして耳をぷるぷるさせながら頭だけ出して見ていると、穴から何か植物が出てきた。

 

根のような芽のような、複数のそれらは大きな触手のように、赤い花を咲かせながら地へと飛び立つと、お互いに絡み合って何かを作り出そうとしている。

 

「んぇ?」

 

初めての様子に、私は目を細めてそれを食い入るように見つめた。

 

全く、私の悪い癖だ。危なそうなものだったり変なものには近づかないのが一番だってのに、いざそういうのを見つけてしまうと気になってしまう。

 

あの神を消し飛ばした化け物、ここずっとの不眠症の原因と遭遇した時もそうだった。

 

「あれは……?」

 

星と月の光線は、その摩訶不思議な何かに降り注いで膜を作り出している。その内側では植物が舞い踊るようにお互いを絡み合わせている。

 

私は恐怖心と野次馬的感情で板挟みになりながらも、克明にその様子を見つめた。

 

やがて絡み合った植物はある形を作り出した。

それはちょうど人型のようで……うん?

いや、人型そのものになった。

 

緑色をしていはずの茎や赤い花々はやがて肌色へと変色し、そして……。

 

「女の人?」

 

それは人になった。

 

いや、人なわけがない。

あんな人間がいてたまるか。

 

その周りの地面だけは続々と草と花が生えていき、ついには絨毯のように敷き詰められてしまった。出来上がった女は意識を失ったように突然倒れ込み、胎児のように膝を抱えて、絨毯の上で横向きに倒れ込んでいる。

 

「なんなんだ一体」

 

そこそこ長い年月を生きてきたって言うのに、ここ最近は初めて見る奇妙な現象が多すぎる。兎には堪えるものばかりだ。

 

「……あ」

 

女はむくりと起き上がった。

一糸まとわぬ体が、月明かりに照らされた。

 

髪色はあの植物と同じ緑色、瞳の色も緑色、こちらに向けるそのまなざしは……え、こっち見てる?

 

「まずった!!」

 

私は急いで回れ右をした。

そして走り出そうとしたが、しかし、足元の小石がそれを邪魔した。

 

私はつっかかって、転んでしまったのだ。

 

「わぁっ!」

 

どたんと音がして、顔が土だらけになる。そして風呂敷の中の人参達が重くのしかかる。

 

「ぎゅっ!」

 

転んだことによるあちこちの痛み、そして人参の重みによる圧迫感で、私はより一層訳が分からなくなった。

 

「うぅっ!」

 

とにかく体を起こして、すぐに走り出さないといけない。

 

私は体制を立て直して起き上がろうとした。

 

「どこへ行くの?」

 

「ひゃい!」

 

すぐ真後ろから、声。

それに驚いて、また私は転んだ。

 

「わぁっ!」

 

どたん、二回目。

 

風呂敷が衝撃で解かれて、辺りに人参が沢山転がっていった。

 

私は倒れたまますぐに振り向いた。

 

「ひっ」

 

居た。

あんなに遠くにいた女が、すぐそこにいた。

じっと、私に突き刺す視線を携えて、瞳が見下ろしていた。素っ裸で。

 

「えええっと、こ、こんばんは?」

 

私は震えた声で告げた。

 

とにかく、挨拶から入ってみよう。

おかしな奴だが、言葉が通じれば案外なんともないかもしれない。

 

「こんばんは」

 

返してくれた。

声色は穏やかで、落ち着いている。

 

登場の仕方と見た目ほどやばい女ではないらしい。

一先ずは安心、だろうか。

 

「驚いた、知性のある兎さんと会ったのは初めてよ」

 

「あ、うん」

 

「う~ん……兎の肉はあまり好きではないのだけれど」

 

「へ?」

 

「仕方ないわね、贅沢言ってられないわ」

 

どうも前言撤回の必要があるみたいだ。

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