ルーミアだけど、どうやらめっちゃ強いらしい 作:ポンデーニュ
八坂神奈子は神霊である。
神霊とはすなわち、人が死んで神となったもの。またはそれに準ずるものである。
この時代、国というのは須らく、神が直接的に、あるいは聖職者等を通して間接的に統治をしていた。
性質と法則から成り立つ科学が世界を支配する以前、崇拝と畏怖から成り立つ信仰こそが、まさに世界の全てであった。
人が崇め、神がそれに応えて利益をもたらす。つまり、妖や他の国からの安全を保証する。
神奈子もそうした国に生まれた。
大陸の、周囲を強国に囲まれた小さな国だった。
平凡な家の出の彼女は、一人の人間として不自由なく一般的な生活をしていた。農作物を作る家の手伝いをし、神を他の皆と同じように崇めた。そうした規則的な生活をして神を敬わなければ、祟りがあるとされていた。何か大きな災いが降りかかるとされていた。
ちょうど、洩矢諏訪子のように。
彼女にとって、生活とは農作業であり、人生とは家族とその周辺で完結するものだった。未だ薄暗い空の下で目を覚まし、畑を耕し、害虫の駆除をし、水桶を運んだ。あるいは近くの大河の水位を、克明にみつめていたりもした。
神奈子がそんな繰り返しの日々を送る中、彼女の国は領土を侵され始めていた。国力が数倍の、大きな力を持つ隣国だ。
そこまでの力量差がありつつ、未だこの国が滅ぼされていないのは、その土着的で特異的な信仰が、周囲の神々にとって、どこか不気味に思えたからだ。
ちょうど、洩矢諏訪子のように。
そしてこのことが、彼女の平凡な人生を変えた。
ある朝、徴兵の命が神奈子に下った。
男も女も関係がなかった。目が見えて、物を持って戦えそうな者は例外なく選ばれた。
知らせを聞いた神奈子の母は、持っていた白い陶器を地面へと落とした。
陶器は少しの間重力に従って空気を呑み込み、衝突して砕けた。
鼓膜を揺らす大きな音と共に、鋭利な破片が散らばっていく。
「もう元には戻らないわね」
一連の様子を見ていた神奈子はそう言った。
彼女は戦いにおいて、兵法において、どういう訳か類稀なる資質があった。
そういった家系でもない、そういった学問に触れたこともない。尤も、この時代家系なんてものや学問なんてものは一部の者しか存在を知り得ないものだった。大抵の人間はそうした概念すら知らずに死んでいくのだ。そんなものは人生の外にあるものだった。神奈子も例外ではない。
神奈子はこれまで「戦」というものを空想で考えて、いけ好かない戦略家を気取ったこともなかったし、そもそもそれまで興味関心を抱いたことすらなかったのだ。彼女にとっては、山の奥からやってくる雲が雨を降らすかどうか考える方が、余程大事なことだった。
ただ''最初からそうであった''ように、彼女には資質があった。初めて雪を見る幼児が、当然、興奮を覚えるのと同じで。
単なる徴集兵だった神奈子は、瞬く間に人間が辿り着ける最高の位にまで登り詰めた。
戦いを指揮させれば負けることはなく、ありとあらゆる策を用いた。攻勢防勢、籠城戦や包囲戦、どんなことでも相手の先をいった。
情報戦による錯乱や妨害、兵站の確保やその他後方支援、兵士の士気を高めるのだってお手の物だった。
ものの数十年で、小国は大国となった。
信じられないことだった。有り得ないことだった。
勿論一兵卒が国を主導する地位に辿り着くこと自体異常なことであったが、それ以上に考えられないことがあった。
この時代において、戦争というのは大抵神々による人や物を駒とした盤面上の遊戯なのだ。
ちっぽけな人間は大きな舞台を動かす小さな小さな部品にすぎない。アリがどんなに頑張っても地球の自転をずらすことができないのと同じように、人間というのは些細で取るに足らないものだった。
それが、そんな部品が盤面そのものを動かすなど、多少の例外はあれど有り得ないことであった。神奈子程のことを成し遂げた人間は、数万年単位で考えても他にいないかもしれない。
彼女の力はもはや人の域を超越しており、人々はそんな神奈子を英雄として称えた。
いつしかそんな声は、一神が集める信仰心と同等の段階にまで達していた。
人々にとっては、天と同じで手の届かない存在である神様よりも、同じ人間、それも二十に満たない少女が大きな力を発揮していた方が、生きる糧となり、勇気となり、目標となったのだ。
神は恐怖した。
一人の小娘が、何か大きな悪魔のように見えた。
自分を食い尽くしてしまうのではないかという、内なる疾患のように。
それからは早かった。
ある冬の終わり、神奈子は捕らえられた。なんの前触れもなく、忽然と彼女は地下牢へと押し込められた。石造り、ひんやりとした廊下を素足で歩かされ、そのまま押し込められた。
やがてすぐに、神によって神奈子は死刑に処された。
罪状はない。神が指示したことが死刑の理由になった。
人間であった神奈子が首を刎ねられる途中で見た景色は、白い雪がうっすらと空から降り注ぐ光景だった。
その雪が、いつぞやの白い陶器に思えた。
砕けて、元には戻らない、あの時の陶器に。
陶器と違って、雪は地面と同化するようだった。大きな音も鳴らず、ただ元々あった空には二度と戻らないということだけが、陶器と共通していた。
「何故なのか」
実際口に出した。
しかし言ってみると、それは別に大した疑問でないと気づいた。
全ての物事にそれなりの理由や理屈があると期待してはいけない。神奈子はそれを何となく知っていた。
されど人間、ところが人間。
八坂神奈子はその日、大きな悲しみを抱くこともなく死んだ。
民衆の一部は大きく反発した。
英雄の死に動揺し、反乱もいくつか起きた。
尤も、祟りの恐怖は健在であった為に、どれも小規模にすぎなかったが。
神は安心した。
虫けらみたいなひ弱な人間が、わざわざ神に反旗を翻す程に、神奈子は恐ろしい存在であったと再認識したからだ。芽がさらに成長する前に刈り取ることが出来たのだと、反乱の報告を聞く度に心底神は安堵した。
ものの数年で国は滅亡の危機に陥った。
何も神奈子の死による反乱が原因ではない。もちろんそれも小さな要因の一つであるかもしれないが、実際のところどれも直ぐに鎮圧されたのだ。
最大の要因は、神に国を治める力がなかったからである。
神奈子の力によって大国の地位を築いたのは良いが、そのような大きな領土を保つことが出来るほどの手腕を、この神は持ちえていなかった。それは長い間小国であったことによる経験のなさからかもしれないし、単に才がなかったからかもしれない。元より、土着的な力に頼る神には限界があったのだ。新たに獲得した人民とそれまでの人民との間には、祟りに対する認識に大きな差があるからである。
その隙を逃すまいと、周囲の大国が攻撃を仕掛ける。
神奈子の不在、内部の混乱。もはや時間の問題だった。
滅びつつある国。
野に放たれた火が一瞬で燃え広がる光景と、何ら変わらない姿があった。
それでも民の多くは抗った。屈服することなく、血を出そうが腕を切り落とされようが、ひたすらに武器を持って戦った。
愛国心なんてものではない。ただ祟りという後ろからの刃に、冷や汗をかきながら、懸命に前を向いていただけだ。
そしてまた、一部の民は神奈子を想った。
かつての英雄を唄い、考えた。
人々にとって、同じ人間であるのにとてつもない力を持っていた神奈子は、他のどんな神にも抱かないであろう特別な感情を向けられる存在だった。
それは、愛だ。格式ばらない純然たる、愛だ。
人々は神奈子を、八坂神奈子という一人の少女を愛していたのだ。
それは祟りなどという負の感情とは真逆の、暖かく、包み込むような想いだった。
祈り、信じ、仰ぐ。
神奈子に対して、国の英雄に対して、手を合わせて目を瞑り、彼女のことを想起した。
戦いに出れば負けを知らず、部下想いで民衆想いの、あの勝ち気な少女を。
同じ人間にである。それも既に死んだ、たった一人の人間にである。
それでもただ、あと少しだけと、祈った。祈り続けた。
やがてその小さな粒達は繋がり、天の川のように筋を作り出し、宙高く、どこまでも続いていった。
人知を、神力をも超えた、説明のつかない力。
心の想いと、人間の底知れぬ一途さと、そして。
ただ真っ直ぐ、愛の力。
霊として。
神として。
彼女は世界に舞い戻った。
八坂神奈子は、神霊として、復活したのだ。
彼女が目覚めた時、意識を取り戻した時、周りには数多の人々がいた。どこかの神社の跡地の中心で横たわっていた。かつて建物を支えていた御柱が、無造作に辺りに転がっていた。
長い眠りから覚めたばかりのようで、彼女の意識ははっきりとしない。しかし人々が、兵士が、民衆が、大きな歓声を上げていた。
ちょうど近くにいた一人の男が持っていた、伝統的な赤土を用いた陶器がそのどよめきと共に手から離れていった。
神奈子は周りの様子を見ずに、歓声も今置かれている状況も理解しようとせずに、その様子だけをただ見ていた。走馬灯のようにゆったりと落ちていく陶器を、ただじっと。
そしてそれらが、いくつかの破片となって割れていく。
散らばった破片は鋭利な刃物と化して、周囲に散らばっていく。
落とした陶器は元には戻らなかった。
少しだけ遅かった。
もう手遅れだった。
今からどうにか出来るような状況ではなかったのだ。
神奈子によって広がった領土はもちろん、兼ねてよりあった都までもが制圧されていた。
そして何よりも、祟りを恐れた人々の多くが、無駄な抵抗を続けて無駄死にしていった。実際、侵略国はここまでの抵抗を想定していなかった。
普通、国の敗北が決定的になった時、民は新たな神を受け入れるのだ。侵略国だって本来、その土地を支配して生産を増やす為に、必要以上の殺戮は望ましいことではなかったのだ。
どれだけ声をかけても、歩み寄っても、祟りに怯えて話を聞こうとしない沢山の人々を見て、神奈子は唇を強く噛んだ。
彼女が出来るのは、できるだけ多くの人を集めて脱出を図ることくらいだった。
物資も武器も何もかもが足りない、もはや亡国となった国の民を率いることだけだった。
国は滅びた。
領土は侵され、神は死んだ。
敵国側が殺したのか、それとも内部の混乱で死んだのか。定かではない。
民の半数が死んだ。祟りによって前へと突き出され、あっけなく死んだ。
残った民の更に半数が敵国に捕らえられたか、あるいは行方知らずとなった。
そうして残った四分の一の民を、神奈子は率いた。飢えと、敵の襲撃をはねのけて、ただ率い続けた。この先に何が待ち受けるのかもよく分からず、歩き、走り、前へ進んだ。
雲が前へ進むよりも早く、飢えが心を蝕むよりも早く、敵が追いつくよりも、早く。
やがて、彼女は大陸の端、今まで他の神が見向きもしなかったような土地に辿り着いた。この過程でさらに半数の人が死んだ。
開拓し、そこに部落を作る。
お世辞にも肥沃とは言えず、干ばつが激しい地域だった。
神奈子を敬い、ここまでついてきた人々はよく働いた。
特別な農具や農法を開発し、難しいとされた土地の開墾を成し遂げた。
やがて部落は街となり、街が増えて国となった。
八坂神奈子という神は、人間との距離が近かった。元々人間であったのも理由であったし、神奈子自身が他の神のように驕り高ぶるといった態度を、下々の人間に対して取らなかったというのも理由であった。人々にとって神奈子は英雄であり、神様であり、よき友であった。神奈子本人も、そんな民が好きだった。何千人もの名前を一人一人覚えるほどだ。
ちょうど、洩矢諏訪子のように。
それから数十年から数百年の月日が流れた。
神奈子を敬う人々から生まれた子供達もまた、神奈子を敬った。そうした世代が続いた。
神奈子の国の技術は大きく発展した。
この時代、人間の科学技術というものは、通常ほとんど発展しない。
第一に、する必要がないのだ。
技術が最も発展するのは、身の危険を守らざるを得ない時である。月の民がまだ地球にいた時代、神や神話というものは存在せず、人々は外界の動物や妖怪から身を守るために自分たちで何とかする必要があった。その危機感と義務が人間を動かし、とてつもない速度の技術進化が発生した。
しかしこの時代、神を敬い国の中で作物を作っていれば、基本的に心配はいらない。あとは神様が安全を保証してくれる。自分たちでどうにかする必要がないのだ。
第二に、神々は人間が好きにするのをあまり好まなかった。
あくまでこの世界における中心は神であり、人間はただの手段に過ぎない。牛や羊を子飼いにするのと同じだった。
そんな人間共が何か策をねって、頭を使って好き勝手やるのは、目に毒だった。そうした行為はよくないものとされ、国によっては処罰の対象となった。
神奈子の場合、彼女は元々人間だったし、それに人間が好きだった。神様としては異質だった。
そんな彼女は人々の好奇心に基づく知的活動を推奨し、自由にさせた。
人の知恵というのは弱々しく見えて、それが群となり、ましてや子への継承などといった世代間に渡るものとなると、非常に強力なものとなった。
新技術を発展させ、国は益々安泰となった。
小国はやがて、大陸の他の国と肩を並べる水準まで達した。
それから神奈子は大陸の国々との戦争を始めた。
この大陸全体を統一してやりたいという想いがあった。
他の神々は神奈子など眼中にもなく、所詮元々人間の弱小神であると高を括っていた。それよりも目下、周囲の国との''遊戯''の方が重要であり、長い間膠着した状態の戦争を継続していた。大陸の端でせっせと不毛な土地をどうにかしようと躍起になっている神奈子など、もはや眼中になかった。
蓋を開けてみると、神奈子は破竹の勢いで勝利を重ねた。
数千年以上続いた歴史ある大国であろうと、世界的に見ても類を見ないほどに強大な力を持つ神が治める国であろうと、神奈子の戦略と一致団結した兵士、それに他の国にはない技術が合わされば、敵でなかった。
しかし流石の神奈子も、十にも及ぶ神々全てを相手にするのには限度があった。
神々は例え勝利を重ねているとしても、神奈子という神霊を同列には扱っていない。
人間あがりというのは、神にとって格下そのものだった。
したがって、他の神々は神奈子という共通の敵を前に団結した。神霊などという馬鹿馬鹿しい存在に、根っからの神々が負けるわけないという、そうした共通認識があった。
これら全てを一人で相手にするのは骨が折れる。
神奈子はどうすべきか考えた。
結果として、大陸の統一は成功した。
しかしそれは神奈子による独壇場ではなく、あくまで神奈子を中心としてその下に他の神々がつくという形だった。
十分過ぎるほどの勝利だったが、しかしこれは砂上の楼閣であった。
他の神々が神奈子のことを同列だと思い直した訳ではないのだ。あくまで、その力に一時的に屈服し、従っているように見せているだけだ。
安定しているように見えて、大陸の土台は揺れている。いつ崩れ去ってもおかしくない。
大陸は内部からの混沌を孕んだ、時限爆弾だった。
神奈子は悟った。
まだ足りないのだと。
自分の力が足りないのだと。
ではどうすれば良いか。
あの時、自分の力が足りず、土着の神を超える存在になることが出来ず、処刑された。
そして今回も自分の力が及ばず、この大陸はいつ爆発してもおかしくない。
ならば、大陸だけではない、世界全てを統べる程にならないと、真の統一は得られないのではないか。
全ての物事にそれなりの理由や理屈があると期待してはいけない。神奈子はそれをよく知っていた。
神奈子は新たな戦いを始めた。
敵を世界に定めた。
どこから攻めるか、神奈子は考えた。
あらゆる大陸や国の人を招き(時には手荒な手段で拉致し)世界中の地域を探った。
その中にある島国の男がいた。大陸から近いが、海という自然の壁によって他の神々が侵略を諦めた場所だ。
男は酷い髭を生やした、風来坊のような姿だった。装束はみすぼらしく、体格も小さい。しかし堂々としており、瞳には強い光が宿っている。
この島はそういう場所なのかと、神奈子は思った。
聞くと、島国には東と西に一つずつ大国があるらしい。
東の方は博麗と言う。ここ数十年で周囲の国々を倒し、一気に大国へと落ち着いた。強い力を持つ神と、その下につく政治的組織によって整えられた基盤は、地理的にも統括機構的にも上手く機能していた。
「東方が博麗か。では、西の方は?」
神奈子はその島国をよく知る、現地の人物に尋ねた。
「恐ろしい国です。祟りがあるんです」
神奈子は眉を動かした。
「ミシャグジ様と言います。敬わないと恐ろしいことがおこるんです。ありゃ災厄ですよ、民の多くはそれを気にして生活してます」
大陸にはない訛りで男は話す。
その様子を神奈子は黙って聞いていた。
まず何をどうするか決めるのに、そう時間はかからなかった。
##########
「神奈子様……一体、どうされましょう」
いつも以上に強い太陽の光が、神奈子らを照らした。紫がかった綺麗な青髪が、少しばかりの風で小刻みに揺れた。
「……やはり、都を一気に攻め落とすしかないのでは?」
軍部の男が言う。
先の戦闘で右腕を失ったばかりであるというのに、一切動じていない様子だった。
「それは、できない」
「で、ですが」
「あの化け物に手を出すのは危険すぎる」
神奈子は昨日の夜に見た、あの空飛ぶ金の髪をした少女を思い浮かべた。
人畜無害そうな顔をしておいて、実態はそれとは真逆の悪魔のような少女を。
少女は山を消し飛ばした。そしてその向こうには本国からの、物資の補給地点があった。
補給線が絶たれたと考えた神奈子はすぐに撤退の判断を下した。戦争において、神奈子が冷や汗をかいたのは片手で数えられる程度のものであったが、これはその中でも一番ぞくりとしたものだった。
しかし結局、それは杞憂だった。
補給網は無事であり、特に何か大事が起きた様子もない。
「神奈子様、あの化け物…金髪の、あれはなんだっていうんです?」
「さぁ、分からない。アレは、きっと世に存在してはいけないものだ。アレに手を出しては、いけない」
思い出すだけでも、嫌なものだった。
「で、ですが、洩矢の神を打ち倒さない限り……」
実はこの瞬間も、諏訪の地域の至る所で反乱が起きていた。
祟りを恐れた民が、死も厭わずに立ち向かっていたのだ。
神奈子は知っていた。誰よりも知っていた。祟りというものは、最も人間を狂気に走らせるものなのだと。
これが、神奈子が都の制圧を急いだ理由だ。
元凶である洩矢諏訪子を殺さない限り、この国はかつての神奈子の出身国と同じ運命を辿ると知っていたのだ。
「あの化け物、追撃はしてこなかった、そうだな?」
「ええ、はい」
「恐らく、あの都周辺の土地柄が生み出した災厄なのだろう。土着というのはそういうものだ、だから離れられない」
「では、山を破壊したのは?」
「……分からない。補給の場所を、知っていたとは考えられない。であれば……」
「我が軍を狙わなかったのは?」
「あの馬鹿みたいな威力だぞ。都にも被害が出るんだろう。いわば諸刃の剣だ」
「成程、しかし腑に落ちない点が多すぎますね」
「そうだ。だから、攻められない。こんなことは初めてだ。アレにも恐らく制約がある。災厄というのはそういうものだ」
神奈子は空を見上げた。
いつも何かを考えて頭を動かしている彼女にとって、雲の流れを追っている時間だけ、考えなしでいられた。
「神奈子さま……撤退というのも…」
「それこそ出来ないだろう。あ奴らの気でも損ねたら面倒だ」
その時だった。
「か、神奈子様ぁ!」
兵士が一人、神奈子の元へと走ってきた。
「神奈子様、大至急、お伝え、したいことが!」
息を切らす兵士に、神奈子は落ち着くように伝えた。
その指示を受け、兵士は深呼吸をし、堰を切ったように捲し立てた。
「博麗の神が、ど、どうやら消え失せたようです!居なくなったようです!突然!」
博麗は、当初島国を攻める際に、諏訪と並んで第一候補となった国だ。
「消えた?」
「どういうことだ?」と先程まで神奈子と会話をしていた男が言った。
「は、はい。消え失せたらしいんです。足軽、博麗の都まで潜入していた足軽からの情報なので、間違いないです!」
「それは、何者かによって殺されたということか?」
「そこまでは、分かりません。大体、博麗の中でもこのことを知るのは極々一部の人間だけみたいです!情報が隠されているみたいで」
「それはそうだろう。自国の神が消えたなんて、そんなこと民に知られたら大騒ぎになる」
神奈子はもう一度空を見上げた。
やや曇り時、神奈子の心の内のようだった。
そして、思案する。
曇り空を睨みつけるようにして、思考する。
――諏訪各地の反乱。
このままでは諏訪の民が一人また一人と無駄な抵抗をして、命を落としていく。あの時のように、散っていく。
――金髪の化け物。
恐ろしい力と、形容しがたい恐怖。理解を超えた存在、手を出すのはあまりにも危険すぎる。
――大陸への撤退。
神奈子が統べている大陸の神々は、先の戦争の力を見て一時的に屈服しているからこそ統べられている。何も成し遂げずのこのこ帰っては、一体どうなろうか。
――博麗の神の消失。
原因は不明、もう少し探りを入れる必要があるだろう。しかし今、恐らく博麗に大きな力はないのだ、大きな柱を失った大国は、揺れているに違いない。
一つ一つの物事が結びつく。
そうであると仮定してみる、さらに仮定、もっと仮定、次に仮定。
見えてこなかった全体像から、霧の中から落し物を見つけ出すように、一つの道筋が浮かび上がる。
「諏訪より撤退する。これより、博麗への進軍を始める!」
♠
「はぁ……」
昼下がりと言ったところか。
もう夏も近い、太陽はより一層その熱を振り散らすことに専念しようと一生懸命だ。
「はぁ……」
右手には瑞々しく陽の光が反射した大河、そのさらに向こうは平原。
左手は穏やかな波頭が誘うように、なんだか踊っているようにうねる大海原。
ちょっと首を上げると、何も考えてなさそうなのんきな雲がぷかぷかと浮いているのが見える。私はそれよりも早く移動しているものだから、風が心地よく服の上からひゅんひゅんだ。
つまりわたくしめは、今海に沿って飛んでいるという訳であります。
「はぁ……」
溜息なんて似合わないような良い天気と景色、しかしそれでもこのルーミアは、それを続けないと直ぐにでも落下してしまいそうなくらいブルーなのだ。
「……あ」
見えてきた。
少し盛り上がった丘にある小さな集落。一先ずの目的地である。
私はとある事情(ぐるぐルーミア)によって迷子になってしまい、ゆかりんの元へと帰れなくなってしまった訳だが、電球が灯ったかのように突如名案を思いついた。
少し前の話だが、ある時に空を飛び回っていると小さな村に出くわしたことがある。その村は海のすぐ近くで、いかにも漁村といった感じだった。
家の外に干物が、木の枝で作られた干物ほしに干されていて、おまけに匂いも私がかつて好きだったやつにそっくりだった。
だからその時私はこっそり村に飛び込んで、拝借して食べてみたりした。塩味が少し薄かったし、硬さも不十分だったけど、なんだか懐かしかったね。
この時、村人に見つかって一悶着起きたのだが、長い話になる上に涙なしには語れないから、また今度にして貰おう。
さて、そんな干物村(仮)とこの迷子にどんな関係があるのかと言うと、私は干物村と頻繁に通っているあのいつもの村との位置関係を把握しているのだ。
つまり、干物村にたどり着けさえすれば、私は自分が今どこにいるのかようやく理解でき、迷子状態から抜け出せるというわけだ。
干物村に関しては海に沿って飛び続けてさえいればいずれ到着出来る。何せここは島国なのだからね、私にしては賢い考えだ……あれ、でも今ってまだ日本って大陸と繋がってるのかな?まあいいや、無事に辿り着いたんだしどうだっていい。
「はぁ……」
干物村(仮)の真上まで到達した。
人々は忙しなく、魚を捌いたり石を削ったり……お、あの男はお姉さんを口説いてるな。
ともかく人間らしい日常を謳歌していた。
私だってこれでいつもの村に帰れる。
みんなに会えるしゆかりんにだって会える。
きっと前の日常が返ってくるに違いないのだ。
けれど、ああ、なんてブルーなのだ。
私は殺してしまったのだ。
風見幽香を、殺したのだ。
あの狂気的でサディスティックな食欲に塗れた私は、人喰い妖怪になって彼女を襲い、しかもそれが運悪く夜だったものだから、さしものフラワーマスターにも手が付けられなかったというのだ。
「……」
どうしたものか。
やってしまったことは変えようがない。時の流れはただ、流暢に捲し立てるだけで、後は気にしないのだから。
この村は少ない人口だろうに賑やかそうだ。それぞれが意志のない軍隊のように一定のペースでゆらゆら飛び回る雲が、その穏やかさに貢献していた。
そんなどうでもいいことを考えて、憂鬱を忘れてしまおう。
「はぁ……」
そう簡単には忘れられやしないらしい。今の溜息なんて、ほんと意識してなかったんだ。
私はきっと、思い描いていた幻想の一ページを破り捨てたのだ。自分勝手な夢かもしれないが、それでもきっと私にとっては大事な事だったんだ。
まるで流れる雲の中に迷い込んでしまったかのように、干物村を後にする。
まずはゆかりんに怒られることから始めよう。
その後のことは、それから考えるんだ。
きっとまた、何の変哲もない、戦いもなければ神様方もでてこない、のんびりとした緩やかな日常が、待っているはずだ。
その時考えたらいい。
ゆっくり。
♠
「すまない、もう一度言ってくれ」
「はっ!八坂の軍は、東に向かって進軍しているようです!」
諏訪子にはもう訳が分からなかった。
追い詰められた都、そして防衛戦。最後の決戦。
現れた金髪の少女、内部からの破壊。国の滅亡。
しかし結末は、神奈子の撤退に終わり、そしてどういう訳か、諏訪の地からも離れ、真反対の地へと進軍していると言うのだ。
「これも、何かの策なのでしょうか?」
「……」
策……あそこまで追い詰めておいて、内部に悪魔を送り込んでおいて、そしてどうして侵攻を止める必要がある?神奈子は何を狙っている?
ルーミアによって崩壊した本殿から少し離れた、仮の住まいに諏訪子はいた。薄暗く、外から差し込む光の力は弱々しい。諏訪子の顔には光が当たらず、周囲に控えていた兵士達はその様子をどう伺うかで頭を捻っていた。十名弱の男、皆諏訪子の側近的な立ち位置だった。
諏訪子は頭が悪い訳では決してなかったが、ここ数日間休んでいないことによる疲労・過労に加えて、訳の分からない異常事態の連発によって、もはや何から考えていけばいいのかすら分からない状態だった。
「どうしたものか…」
頭を抱えそうになり、すぐに人の前であったことを考えて思い直す。
その時だった。
一人の兵士が疲労からか倒れそうになり、近くにあった伝統的な焼き物を落としてしまう。
焼き物は大きな音を立てて地面と衝突し、割れ、散らばった。
「す、すみません!」
「おい、お前何やってんだ!諏訪子様の前だぞ!」
「すみません!」
「別によい、直せばいい。そういうのは修復したらより強固になるんだ」
「お、お許し頂きありがとうございます諏訪子様!」
兵士が言い終わり、割れた破片を集めようとしゃがみこむのと、ほぼ同時だった。
「む!貴様、何奴!……ぐふ!」
部屋の外、見張りの兵士の声が聞こえた。
そしてその途端、外からの異常な気配を諏訪子は察知した。
神力だ。自身と同等かそれ以上の、神が放つ圧倒的な力だった。
それを放つ存在が、この部屋のすぐ外にいる。
「ま、まさか神奈子!?」
諏訪子は思わず立ち上がった。
周りにいた兵士達も声を上げる。
どうこうする暇もなく、扉が開いた。
そして来訪者の姿が露になる。
「諸君、はじめま…」
「曲者!切り捨てる!」
「諏訪子様を守れ!」
「諏訪子様、避難を!」
来訪者が言い終わるのを待つことなく、慌ただしく兵士達が動き出す。
半分が諏訪子の近くで控え、残りが侵入者へと襲いかかった。
「……全く、礼儀がなってないね」
来訪者は女だった。
屈強な男が鉄剣を振りかざすのにも全く動じない。
それどころか剣を手で掴み、砕いてしまった。
「な!?」
件の兵士が声を上げ、その他が襲いかかる。
「女に手をあげるってんだから」
次々と繰り出される剣撃。女は身を捩ってそれをよけ、一人の兵士に肘打ちをした。
「うぐっ」
兵士は倒れ、そのようなことを人数分繰り返した。
「うぐっ」
人数分のうめき声があがる。もう女の周りで立っている兵士はいなかった。
「さぁ、ようやくお話ができそうだ」
女は諏訪子に目を合わせた。
旧友との再会でも、宿敵との邂逅でもない、奇妙な目線で。
「す、諏訪子様、ここは、と、とりあえず我々に任せて……」
諏訪子は女の姿を凝視する。
やや白みがかった金の長髪。黒い冠に、緑の腰巻き。白の装束の上には、黒で縁取られた前掛けをしていた。
「お前、なんだ?どうやってここまで来た?」
諏訪子は声を低くした。
少なくとも、神奈子ではない。
しかしそれが事態をどう転がすのかは分からない。
そもそもこんな神力、今までどうして気が付かなかったのだ。遠くからでも分かる程度だというのに、部屋のすぐ外になってようやく気づいたなんて理解ができない。
「では、改めて。自己紹介から」
侵入者は諏訪子に近づいた。
兵士が反応するが、諏訪子がそれを制止した。
諏訪子の伸びた影が女にすれすれで当たるか当たらないかくらいの距離になって、侵入者は声を出した。
「私は摩多羅隠岐奈、後戸の神である!」
隠岐奈と名乗る女は、よく通る声だった。
「す、諏訪子様、こいつ、一体…?」
「……話を聞いてやろう」
「ふむ、洩矢の神は聡明と見た。私の判断に誤りはなかったのだな」
隠岐奈は自信ありげな様子だった。
諏訪子は顔を強ばらせ、目的を探ろうとした。
「質問に全て答えてもらおう、どうやってここまで来た?」
隠岐奈はゆったりとした表情で諏訪子の声に耳を傾けていた。
敵意はないように感じる。どこかゆったりと、まるで自分の家でくつろぐかのような表情だった。
「そうだな、トビラを使ったんだ」
「扉?見ればわかる、扉から入ってきただろう。言葉遊びをしているのではない」
「扉じゃない、トビラだ。少し前にここを偵察していた時に、密かに作っていたのさ。でも驚いた、トビラから出てきてみれば、本殿が崩壊していたのだからな」
隠岐奈はハキハキと話した。
屈折していない、真っ直ぐな言葉だった。
「……諏訪子様、とにかく他の兵士を呼んで参ります」
兵士の一人が諏訪子から離れ、部屋から出ようとした。
「待て、変に人を呼ばれるのは気に入らないね。面倒になる」
隠岐奈にじっと見つめられた兵士は動けなくなった。人と神、その圧倒的な力の差を、それだけで感じたのだ。
「そいつの言う通りにしていい」
「し、しかし、諏訪子様!」
「変な奴だが、敵意はないようだ。兵士達も殺していない」
先程肘打ちを受けた兵士達はただ伸びているだけであって、決して息絶えた訳ではなかった。
「そ、そうは言っても……」
「なんだい早速仲間はずれかな?私結構傷つきやすい神様なんだよ、秘神ってのはそうなんだよ」
「秘神にしては堂々としている。目的はなんだ?お前は……」
一番の疑問を投げかける前に、諏訪子は口を閉じた。
そして少ししてまた、開いた。
「……お前は、神奈子と、関係しているのか?」
隠岐奈はニヤリと口角を上げた。
そして人差し指を突き出し、諏訪子へ向けた。
「今度は私が質問する番だ!」
隠岐奈はなんだか楽しそうな様子に思えた。
「では答えてくれ。洩矢の神よ、お前は大陸から来た八坂の神を倒したいか?」
諏訪子は眉間に皺を寄せた。
どう答えるべきか、考えた。
本心か、それとも虚飾か、あるいは濁すのか。
少し間を空けて、言った。
「……ああ」
彼女が選んだのは、偽りのない本心だった。
小さな声だが、有無を言わさないような凄みがあった。
「よろしい!ならば協力してやる。私はその為にここへ来た!」
隠岐奈は今まで以上に声を張り上げ、堂々と胸を張り、手を叩いて瞳を輝かせた。
――どこが秘神だ。
諏訪子は思った。
一体何を考えているのだろうかと、相手の瞳の奥を探ろうとした。
神奈子を倒す。つまり、神奈子の敵?
目的は?方法は?そもそもそれも嘘か?
あらゆる疑問が諏訪子の脳内を駆け巡る。
それとはお構いなしに、隠岐奈は話を続けた。
「私はね、洩矢の神よ。''秩序''を求めているのだよ」
「……」
「この小さな島国の、ね。清らかな川の流れのような、秩序を。分かるか?諏訪子」
隠岐奈は初めて諏訪子を名前で呼んだ。
諏訪子は隠岐奈を見つめ、隠岐奈も諏訪子を見つめた。
敵対とも協力とも、憎悪とも愛情とも言えない奇妙な視線が交錯した。
「秩序?それがなんだって言うんだ」
「諏訪子よ、物事には到達点がある。秩序ってのは、あらゆる物事が目指すべき均衡なんだよ」
「均衡?」
「八坂が来るまで、この島は均整のとれた秩序を維持していた。砂浜に溝が生じても、どこからか砂が運ばれてそれが埋まるような、それくらい優れた秩序を有していたのだよ」
「お前は、それを取り戻したいのか?」
「そうだ、八坂の神を倒し、再びこの島に秩序を取り戻す」
「……よく分からない。その秩序とやらは一体なんなのだ?」
「そう焦るな諏訪子よ。具体的な話をしようじゃないか」
「さっきから曖昧なことばかりなのはそっちだろう!」
若干の苛立ち。
全体像が見えない話に諏訪子は声を張り上げた。
「ふむ、なるほど、さてなお前、結構かわいいな」
「は?」
諏訪子は目を見開いた。
同じ神様と、会話をしていると思えなかった。
「話を続けよう。八坂の奴、東へ進軍を始めたようだが、どこへ向かっているかは知っているか?」
「……」
知らない。神奈子が何をしようとしているか、全く見当もつかない。
しかし諏訪子は沈黙を選んだ。
「博麗だ。あの地へと向かっているらしい」
「なっ、お、お前、どうやってそれを知った!?全部話せ!知っていること!何もかも全部!」
諏訪子は再び声を張上げた。
この目の前の得体の知れない秘神とやらが、不気味で奇妙に思えた。
二人のやり取りをじっと見つめている兵士の間にも緊張が走る。
「まあまあ、そう焦りなさるな。ここからが本題だよ」
「何なんだお前は!」
「とにかく、八坂は博麗へ直に侵攻を始める。激しい戦いになるだろう」
隠岐奈は未だに笑みを浮かべたままだった。
それは悪巧みを考えているような笑みだった。
しかしその根源は完全なる悪意というより、悪戯を企てる子供のようなものに思えた。
「このままじゃあ秩序が乱されてしまう。今よりももっと、ね。恐らく八坂が勝つだろう。何せ博麗の神はもう……いや、この話はまだいいだろう」
「待て!全部話せ!お前の何もかもが信用出来ない!」
「うーむ、諏訪子は人見知りだな。……いや、神見知り、とでも言ったほうがいいかな」
「御託はもうたくさんだ!」
「まあ待て、とりあえず最後まで話を聞いてくれ。小さいのによく頑張ってるよ、諏訪子」
「ち、小さくなんかないぞ!」
兵士の何人かは心の中で隠岐奈に同意した。
「とにかく、博麗がやられるのも良くないし、そもそも八坂がこの島を荒し回るのも気分が良くない」
隠岐奈は顎に手をやって少しだけ間を置いた。
「そこで、私と諏訪子の出番って訳だ。博麗と激しい戦いを繰り広げている八坂軍を、後ろで私達が攻撃をする」
「攻撃?」
隠岐奈は自信満々と言ってのけた。
「つまり、挟撃作戦という訳だ!諏訪子よ、私と組んで、神奈子を後ろから攻撃しようじゃないか!決戦の地は博麗!あの地にて行う!」