ルーミアだけど、どうやらめっちゃ強いらしい   作:ポンデーニュ

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第2話「初恋はお月様」

ぽたりぽたりと、どこからか水が滴り落ちる音が聞こえる。あるいはその音はぴちゃりぴちゃりかもしれないし、ぽつんぽつんかもしれない。感じ方はそれを捉える者によって異なるだろう。

 

目の前の女の子はこの音をどう聞いているのだろうか。そもそも耳に入っていないかもしれない、私との距離はせいぜい5mくらいなのに、まだこちらに気づいてる様子はないからだ。周囲のことを把握する余裕すらないのだろう。

相変わらず体育座りで、肩を震わせて俯いている。時折聞こえる嗚咽は、彼女の涙を地面に与えることしかできない。それはちょうど、私の真後ろあたりで落下する水滴と変わらないようだった。

 

私は、困惑していた。

動悸が速くなる、息が詰まる。

心臓が脈打ち体の熱を上げていく。

 

私がここまでに至ったのは、何もコミュ障だからではない。いや、そのことも原因の一つなのかもしれないが、しかしもっと大きな理由で、私はこれまで生きてきた中で一番の感情の高鳴りを経験している。

 

思えばここまで近くで人間を見た事はなかった。いつもは遠目で、妖怪特有の視力を用いて彼ら彼女らの動きを追うだけだった。

だからこうして、至近距離で人間を見て私は初めて自分のこの感情を知ったんだ。

 

……食べたい、という感情を。

 

ああ、こんなに心が昂るなんて…こんな感覚は初めてだった。

初めて人間の存在を知った時も、目に見える生き物を見た時も、自分がルーミアだと知った時も、青空を仰いだ時も……どれも儚く小さく思えるほどの大きな大きなこの気持ち。

 

食べたい、ああ!食べたい!

一体どんな味がするのか、''それ''を噛み砕いた時に何を感じるのか、''それ''が喉を通る時は何を考えるのか……その全てが知りたい!!!

 

「ふ……ふふ…」

 

思わず声が漏れる。新しいこの気持ちに声が漏れた。

生唾を呑み込む、それはこの気持ちを反芻するのと同じようだった。

 

一歩一歩、人間に向かって近づく。

その度に心臓が跳ね上がりそうになる。警鐘とも冒険の旅路を知らせる教会の鐘とも言えない、真っ黒い鐘の音が頭の中で鳴り響く。

それは私に食べろ!食べろ!食いつくせ!と呼びかけるようだった。

 

「……!」

 

途端、目が合った。

私と人間はこの時、時間が止まったかのように見つめあっていた。

互いの瞳が揺れる、彼女の怯えきった瞳が一際揺れる。

 

「だ、だれ……?」

 

人間は今にも消え去りそうな声を絞り出した。

 

私ははたと、目の前の女の子を注視した。

涙で赤く腫れた瞳を見て、そして彼女の息遣いを感じて、私は我に返った。

 

私……私は今、人を食べようとした…?

この私が…?人を食いつくそうとしていた…?

 

急に恐ろしくなって、私は女の子から目線を逸らした。

今の頭の中から響いた叫びはなんだ?

私は今、本当に何をしようとしていたんだ?

 

そしてまたしても静寂。あの水滴の音と、私と彼女の小さな小さな吐息だけが環境音だった。

 

「あ、あなたは……う、うぅ……うわぁーん!」

 

「え、ちょ…!」

 

女の子はたどたどしく立ち上がって、ふらふらと私に飛びついてきた。

私は先程までの感情と、この奇妙な現象に棒立ちになってしまい、なすがままに抱きつかれてしまった。

 

「うぅ……うえーんっ……ぐすっ」

 

「えっと……?」

 

彼女の背丈は私より少し小さいくらい。

私の胸に頭を押し付けて、ぐずぐずと泣きじゃくっている。あの奇妙な帽子は左手で持ちながら、両腕を私の背中に回して。

 

そもそもなんでこんな所に人間がいるんだ?

何度も考えるが、まだこの世界には高い知能があってなおかつ人型の妖怪は生まれていないはずだ。

しかしこんな人の住む地域から離れた洞窟に、女の子が一人でいるというのもやはりおかしい。どうもおかしい。

 

ああ、もうおかしなことだらけで頭がパンクしてしまいそうだ。こんなことならいつも通りにまずい魚でも食べていればよかった。そしてゆらゆら揺れる水面を見て一息でもついていればよかったんだ。

 

「ぐすっ……うぅ……」

 

彼女は未だに震えている。私を同じ人間の女の子だと思っているのだろう。

未だに鼻をすするそんな様子を眺めていたら、私はさっきまでのあの得体の知れない感覚も忘れて、思わず抱きしめ返していた。

背中を優しくさする。ゆっくりゆっくり、あやすように、とん、とんと叩いてやる。

 

私の初めての人間との接触は、どうやらかなり奇妙なものになるみたいだった。

 

##########

 

「えっと……落ち着いた?」

 

「…………」

 

彼女はコクリと頷く。

私が食べようとした女の子はようやく落ち着いたようだ。

ゆっくりと引き剥がしてその場に座らせる。

 

ぺたりと座り込むその姿は、なんだか美しいように思えた。綺麗な白髪が、この薄暗い洞窟で印象的な絵画のように映えている。

 

こんな時どんな話をすればいいんだっけ?

まずは何から始めるべきか、好きな食べ物とか?

いやいや、まずは嫌いな食べ物だろうか?

う、うーんなんだっけ、どうすればお話ってできるんだっけ?

 

可愛らしい動物に出会った時はいつも………あ、そうか!まずは挨拶だ!

 

「こ、こんにちは!」

 

「……え?」

 

ああまずい!やってしまった!

いきなり無理に明るくしようとテンションを上げすぎたのが間違いだ、こんな暗闇の洞窟に私の素っ頓狂なヘンテコなセリフが反響するだけじゃないか!

 

「あ、ああごめん間違えた!こんにちはじゃなくって、えーとえーと…こんばん……いや違う違う!」

 

馬鹿みたいだ!ああ恥ずかしい!

 

「ふふっ…」

 

しかし、そんな私の奇妙な様子を見て、彼女は笑ってくれたようだった。

下品な笑いじゃない、そこに一輪の花が咲いたような、天使が吹くフルートのような声だった。

 

「あははっ」

 

私もなんだか笑った。なぜだか自然とすんなり笑ってしまったのだ。

 

――ぐー。

 

可愛らしい音が聞こえる。彼女は恥ずかしそうに俯いた。

 

「あ、お腹減ってるの?」

 

「う、うん…」

 

再び、コクリと一頷き。でも今度は話して、自分の口からも伝えてくれた。

そうか、お話っていうのはこういうことなんだな。

 

私はポケットから魚の干物を取り出して、彼女に与えた。いや、今あるのはこれしかないからしょうがないのだ。こういうのは保存が効いて良いのだから。

牙の鋭い魚だったが、これが結構いけるのだ。歯ごたえもあるし噛めば噛むほど旨味が私を満たしてくれる。塩味もちょうどよく漬け込んでいる。

……きっと人間でも食べられる……はず?

 

女の子は少し躊躇したがやがてかじりついた。

思いの外硬かったのか、歯でホールドしながら干物を無理やり引っ張って引きちぎっていた。んーんーだの言って少し可愛かった。

やっぱりお腹が空いていたのか、その後はムシャムシャと口に入れていく。

 

さて、どうしたものか。

なんだか色んなことが起こったせいで、私もついぼーっとしてしまう。

お昼寝でも決め込んでぐーたら過ごしたい気分なのだ。

 

「あ、ありがとう……」

 

食べ終わったのか彼女は律儀にお礼をしてくれた。ぺこりと可愛らしく綺麗な真っ白な頭を下げて、なんだか今度は庇護欲をくすぐられた。

食欲だったり庇護欲だったり…もう私はどうなってるんだ。

そういえばルーミアは人喰い妖怪だったか、ようやくその本性が人を前にして顕になったということだろうか。

 

「う、うーん……」

 

私は思えば自分のことをよく知らなさすぎる。

あの弾幕だってそうだし、そもそも地球があんな状態から存在してるなんてまともじゃない。

闇という概念が私なのだと勝手に決めつけていたがそれも憶測に過ぎない。もしかするとこの宇宙を破壊するために生まれたのかもしれないし、本当は存在してはいけないものなのかもしれない。

 

「あ、あの……あなたはどうして、ここに?」

 

「ん………え?」

 

暫く時間のかかりそうだった思案を中断して、私は女の子を視認する。

 

「どうしてって……う、う~ん。

君こそ、こんな所にどうして?」

 

「え、えと………私……私……うぅ……」

 

ああ、また泣きそうになってしまった。

ダメだな私は、もう人との付き合い方が全くわからない。

 

「ああ、ほら泣かないで。また干物あげるから、ほら」

 

「うぅ……」

 

干物はそこまで要らないのかもしれないが、私はこれしか交渉手段を持ち得ないのだ。

 

側までよって、頭を撫でてやる。彼女はまた私の体に身を預けた。

 

「え~~っと、君のお名前は?」

 

やっぱり自己紹介をするのが良いだろう。ちょっとずつお互いを理解していく為には、まずは互いの名前から知らないと……多分。

 

「私……ぐすっ、私は*∴≠Å。*∴≠Åっていうの」

 

「………ん?え、なんて?」

 

全く聞き取れない。何これ?

ちなみに言語は彼らの生活を見ていくうちに理解できるようになったが、こういう風に発音の仕方すらわからない単語や文字も多いのだ。

 

「*∴≠Å。八意*∴≠Å…だよ」

 

「………ヤゴコロ……ヤゴコロ?…八意!?」

 

未だに名前は分からなかったが、一つ確かに聞こえた。

……ヤゴコロ、八意と!

 

「え、永琳じゃん!」

 

「………え、えーりん?

だ、誰?」

 

 

生まれた時から私は、特別な人間だと言われてきた。物心着く頃にはそれを当たり前と受け入れてきたし、特に疑問なんて持っていなかった。

 

家にある沢山の本を読んで、人の役に立つことをしなさいとお母様は言う。

八意の名を汚さないような、そんな立派な人になりなさいとお父様は言う。

 

私はただ、「はい」と言って二人の言うことを聞いてきた。別に本を読むのは嫌いじゃなかったし、自分の姓を汚すようなこともしたいとは思わなかった。

 

数式やこの世界の法則なんかを勉強するのも楽しい。この時だけは、自分は特別なんかじゃない、大きな仕組みの中で動いてるちっぽけな歯車の一部だと思えたからだ。

 

私は勉強が得意だったらしい。一度覚えたことはすぐに応用できるし、通っていた学校ではすぐに教師や教授を追い抜いた。

国一番の天才を家庭教師につけてもらったが、特に新しく得られるものはなかった。お父様やお母様も解けないような数式だって、少し考えればすぐに解は出た。それを周りの人は褒めたたえ、私はそれに口だけの感謝を伝える。こんなことがずっと続いた。

 

私は友達がいなかった。とりわけ、無機物であれば沢山いる。我が家の図書館に存在する本は全部そうだ。彼らは私の欲求に素直に答えて、知識という裏切らない道理を進んで教えてくれる。

 

でも、それ以上のことはしてくれなかった。知識をこちらに与えるだけ与えれば、後は知らんぷりで他人事のように本棚に収まる。私はなんだか、その度に捨てられたような、拒まれたような感覚に陥った。

 

ある日私は、普段は優しい年配の家政婦達の目を盗んで屋敷を抜け出した。

やたらと大きな庭園を抜けて、少し歩くと人通りが多くなってくる。そうした人の波に感動して、漂流すまいと船を漕ぐ。もうすこし南の方に進むと石造りの噴水があるんだ、だいぶ前に、まだ親の目が厳しくなる前に連れて行ってもらったことがある。その時の水が描く螺旋模様と、七色の虹が、私は時折夢にまで出てくるほど好きだったのだ。

 

噴水のある広場までたどり着く。

小さな翼竜が空を舞い、その間噴水は影に包まれた。あの鳥は春の象徴だ、いつの間にか冬が終わっていたのだと、季節の到来と私の知識に感謝を告げて、私は噴水に駆け出す。

 

周りには同年代の子供達が追いかけっこをしていた。

 

「あ、あの!私も、ま…混ぜて」

 

「いーよ!」

 

私はすんなりみんなに加わって特に意味も無いはずのかけっこや、かくれんぼをした。

これをした所で得られるものなんて、せいぜい自分の体力の限界を知ること位のはずだけれど、だけど私は心の底から楽しかった。

ようやく、私はあの、空飛ぶ翼竜になれたのかもしれないと、そんな自由で楽観的で馬鹿みたいな心持ちだった。

 

一際こんな私にも仲良くしてくれた女の子がいた。彼女は綺麗な緑の瞳と青髪が美しく、青空の象徴のような子だった。まるで空そのものが、こうして地上へと降り立ったかのようにも錯覚する程だった。

私たちはイオンのようにくっついて、笑いあった。一緒に走って芝生の上で寝っ転がって雲の数を数えたりした。

 

私が水蒸気の仕組みと雲の生成について話すと、彼女は楽しそうにそれを聞いてくれた。

私が美しい数式の話をすると、やっぱり彼女は嬉しそうにそれを聞いてくれた。

 

そうしてまた広場を駆け回っていると、私は何かに躓いて大きく転んでしまった。

右足の膝は皮が破れてしまって血が出てしまっている。

 

驚き慌てる彼女に、大丈夫、これくらい平気だと伝えていると、広場中に大きな声が響き渡った。

 

「お嬢様!大丈夫ですか!?」

 

私の家の兵士達だった。

勝手に抜け出した事で、こんなにも多くの人が私を探していたのかと…その労力が注がれたことに対して謝罪をしようと思っていると、兵士達はさっきまで遊んでいた女の子を捕え出した。

 

「貴様!この方を八意家長女と知っての行動か!?」

 

「な、何!?や、やめて!」

 

彼女は叫ぶ。しかし抵抗虚しくあっという間に拘束され、電流を流されて失神した。

私はここまで呆然としてしまい、声すら出なかった。

 

「ちょ、ちょっと!やめ、やめて!」

 

どうにか頑張って喉と口を使役して声を上げたが、こんな小さな音では何も伝わらなかった。

 

「やめて、やめてよ!その子は悪くない!」

 

ようやく悲鳴に似たような叫びが出るが、兵士たちは「大丈夫、大丈夫ですよ」と言って傷の手当てをするばかり。

 

私は彼らに連れられて、屋敷へと返された。

両親に再会して私は二人に抱きしめられた。

 

「心配したのよ」

「もう大丈夫だ」

 

そんな中身のない言葉を告げられて、私は全てを話した。

優しくしてくれた女の子がいたこと。その子が何故だかいじわるな兵士たちに連れていかれたこと。

 

すると両親は顔を見合せて言った。

 

「そりゃあそうだろう。家の大事な娘がこんな怪我をしたんだから」

 

私は分からなかった。もう一度、ゆっくり、丁寧に説明した。

 

「いい*∴≠Åちゃん?

あなたは特別なのよ、そんなあなたが怪我をした。だったら誰かが責任を取らないといけないの。あなたと一緒にいた、あの肉屋の娘がそうなのよ」

 

私は泣いて、泣いて、あの子を自由にしてあげてと叫んだ。

そこにはなんの論理も理屈もない、ただそう叫んだのだ。

どんなに話しても、何を言っても無駄だった。

そのうちこの話をする度に叱られるようになって、私は全てが叶わないことを知ってまた泣いた。

 

結局、あの子は家族共々店を失い、家を失い…やがて行方が分からなくなった。

私が、全てを奪ったんだ。

 

 

 

私は夜の星空が好きだった。

無限に広がるそれらは、私に大いなる探究心と好奇心を刺激してくれる。

とりわけ月が好きだった。

届きそうで届かない未知の塊、どんなに手を伸ばしてもたどり着けない。そんなもどかしさは、どの本でも味わえなかった。

 

私はきっと、月に恋していたんだろう。

恋も友情も何も分からないが、一つハッキリと言えることは、私の初恋はお月様だってことだ。

 

結局、私は自分も何も分からなかった。

唯一美しい夜空も月も、この重大でクソッタレな問題への解答にはならない。

 

私は全てが嫌になった。

前より厳重になった警備を抜け出すのは容易い、今度はこの人の住まう地域から抜け出そうと考えた。

 

八意家はかつて国の中で大きな内乱が起きた時にその危険性を憂慮し、外へと脱出する秘密のルートを持っていた。

私はそれを使って外へ出て、走って、走って、走った。

朝早く、朝日が昇る。その朝日に追いつかれることすらなんだか怖くて、走って走って、口の中が鉄の味でいっぱいになっても走った。

 

やがて視界はぼやけ始め、視認性が悪くなった。

足元すらまともに見えない状態で、私は洞穴に落ちてしまった。

 

薄暗く、不気味な洞窟の底で、私はもう戻れないのだと把握した。

だったらせめて、最期はここにいよう。

ここなら少し、地面の亀裂から空が見える。最後くらい愛する月を見ながら終わりたい。

 

そんな風にやけに淡白と、詩人のような考えを持っていたが、やがて涙が溢れてきた。

私は結局、なんのために存在し、なんのために生きてきたのか。

どうして月には届かないのか。

私は…本当は死にたくないのではないか。

 

止まらなかった。涙が出て、溢れて、私は自分で自分を絞め殺したくなったけど、でもそんな力も勇気もなかった。

 

私は、最後まで孤独だった。

その時、足音が聞こえた。

前を見やると、そこには私と同じか少し年上くらいの、綺麗な女の子がいた。

 

##########

 

「そっかぁ…永琳も大変だったんだね」

 

「だ、だから…私えーりんなんて名前じゃないよ」

 

私は、もしかするともうとっくに死んでいたのではないだろうか?

この不気味な洞窟で、私は一人の少女と出会った。

彼女は金髪で、あまり見なれない顔立ちをしている。服装も奇っ怪だ。

 

ならばきっと、これは私が死の寸前で見ている幻覚か、あるいはまた、死後の夢の中なのか。

 

しかし、どちらにしても、私は訳が分からなくなって彼女に抱きついていた。

ふわりと香る優しい夏花の匂いと、この柔らかい感じはとても安心した。

 

「いーや、君は永琳だよ。紛うことなき永琳さ!」

 

「そ、そう…かな?」

 

えーりんという意味は分からなかった。

だけど不思議と悪い気はしない。なんだか私は、本当にえーりんな気がするのだ。

 

「そーなのさー」

 

ひゅーひゅーと夜風が吹く。この洞窟内にそれは入り込んでおいて、不規則な鳴き声を共鳴させていた。

 

いつの間にか地上の地面から差し込んできた陽の光はなりを潜めてしまい、微かな月明かりが洞窟の中を照らしていた。

 

「じゃあ永琳、お家に帰らないとね」

 

「え?」

 

彼女はそういうと、優しく私を離して立ち上がった。

 

「うん、やっぱり夜は調子がよくて良いねぇ。ほら、手を繋いで」

 

差し伸べられた綺麗な手。

こんな女の子がそもそもなんで外の世界にいるのか、さっぱりわからない。

やっぱりこれは死後の中での夢なのだろうか。

 

手を受け取る。やわかくて、すべすべしていた。

 

「じゃあ、手、離さないでね」

 

「えっと…?

……わっ!!」

 

私と彼女の体が宙に浮いた。

自分でも訳が分からない。足が地面にぴたりと着く感覚が無くなったと思ったら、本当に私は浮いていたのだ。

比喩でもなんでもない、間違いなく私は浮いている!

 

「な、なにこれ!ど、どうなって…」

 

「じゃあ、ここから抜け出さないと」

 

ゆらりゆらりと私は彼女に引っ張られ、そのまま浮いた状態で移動した。

地面が勝手に流れゆくこの感覚に、私は心が軽くなった気がした。

いや、違う。宙に浮いたから軽くなったんじゃない。私の心は、きっと誰かにこうして頼って、引っ張ってもらうことで軽くなったんだ。

 

「ふふっ…そっか」

 

思わず笑ってしまう。こんな常識では考えられない出来事でも、もうそれ自体はどうでもよかった。

私は、楽しかったのだ。

 

「よっと」

 

勢いが増し、私たちはあっという間に外へと出た。

ふわりと地面に着地すると、さっきぶりの地面と足とが接触する感覚が味わえた。

 

「じゃ、帰ろっか。

この辺で一番近いのはやっぱあのあたりの国かな」

 

彼女はなおも平然と言ってのける。

私は思わず言ってしまった。

 

「ね、ねぇ!これって……これって夢なの!?」

 

死後の世界で見る、脳が死んだ後に何らかの作用が働いて生じる夢だとしか考えられなかった。

妖怪ならまだしも、人間が浮くなんてありえない話なのだ。

 

「え……う~ん」

 

彼女は暫し考え込んで、私の頬に触れた。そして…。

 

「痛っ!」

 

頬をつねった。ジリジリとした痛みが脳にまで伝わる。

 

「ね、痛いでしょ?なら夢じゃないよ」

 

「………ふふふっ」

 

確かに痛覚が生じる訳が無い、死んでから痛覚が作用する必要が無いのだ。

 

「そっか、そうだね!きっとそうだ!」

 

「そーなのさー」

 

これは現実、夢じゃない。

ああ、なんて楽しいのだろう。こんなにもワクワクとするのは月を見る時以上だ。

 

私はこの世界の全てが愛おしく感じてしまった。

今ならこんな自分ですら、なんだか愛せるような…そんな躁のような気持ちだった。

 

まだこの世界にはこんな不思議があって、そしてこの目の前の女の子は、きっと私を助け出してくれる答えそのものなのだ!

そう考えると、私は嬉しくて…ただただ嬉しかった。

 

 

 

その時だった。

私は目の前で全てがぶち壊された。

 

綺麗な金色の髪を揺らして微笑んでいた彼女は、周りの大木と共に、そして轟音と共に消え失せた。

 

「きゃああああっ!」

 

私は何が起こったのか理解出来ず、その風圧で吹き飛ばされる。

 

すぐに正面を確認する。

 

恐竜と妖怪の中間のような、火を吹くドラゴンが…私の目の前にいた。

あいつは知っている、生物の中の頂点。生態系の王者だ。

 

………ああ、そうか…やっぱり私は、ダメなんだ。

どこまでも孤独で、月には届かない…そんな、そんな人間なんだ。

 

私はもうじき死んでしまう。きっと体は燃え、引き裂かれ、無惨にむごたらしくなるんだ。

だけど、そんなことよりも、私は結局、最後まで孤独で誰とも分かり合えずに、そして消えていくんだというその事実が怖かった。

あの時の噴水での女の子も、宙に浮ける不思議な女の子も、結局名前すら知らずに、私のせいで消えてしまった。

私がこの人生でどうにかしたことなんて、せいぜいそうやって人の人生をめちゃくちゃにすることだけ。

 

もういい。さっさと死んでしまおう。こんなしがらみからにげてしまいたい。

 

 

 

ああ、せめて………どうか、どうか最後に、月を………。

 

 

 

………。

……。

…。

 

月は、見えなかった。運良く残っていた大木が邪魔し、それがちょうど月を隠していた。

 

そうか………これは、きっと、私の罪なんだ。

どうか死んでからは、幸せな夢を見られるように…。

どうか、安らかな世界へと旅立てますように…。

 

 

 

目をつぶり、'''終わり''の時を待つ。

 

けたたましい音が響き渡る。

ドラゴンの声が、耳をつんざく。

衝撃が地面から伝わる。

きっと、これで、私は………。

 

私は………。

………。

……あれ?

 

目を開いた。

 

そこには、あの金髪で、赤く美しいルビーのような瞳をした少女がいた。

死んだはずの彼女は、ドラゴンの首を持って…ただ佇んでいた。そこで、ただ立っていた。何をするでもなく、そこに居た。

 

あの怪物は、木っ端微塵だった。血や臓物があたりに飛び散っている。もはや動くなんてありえない。

 

「え………な……んで…」

 

彼女と目が合う。

 

「あ、良かった!怪我はない?

こいつ昼から鬱陶しくってさぁ…」

 

そして彼女が駆け寄る。

しゃがみ込んだ私のために、彼女もしゃがんで目線を合わせる。

 

「ん…見たところは大丈夫そうだけど、どこか痛くない?……あ、さっき私がつねった頬っぺ以外でね」

 

夜でしか輝けない、虫たちの合唱が聞こえる。

そして夜風が私の顔をくすぐった。

 

「あ、あなたは……何者なの?」

 

「え、私?私は、闇を操る妖怪のルーミアだよ」

 

先程まで月を隠していた大木はいつの間にか姿を消していた。きっとさっきの衝撃に巻き込まれたんだろう。

そうして顕になった月が、その月明かりを、ただ忽然と私たちに照らしていた。

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