ルーミアだけど、どうやらめっちゃ強いらしい   作:ポンデーニュ

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とてつもない文字数になってしまいました。分割するかどうか迷いましたが、今回でキリの良い所まで行きたかったのでこんなことに……。その結果更新が遅れたのはご容赦ください。

次回以降は一話あたりの文字数を減らして更新頻度を上げられるように頑張りたいです…多分。


第6話「永夜大異変 後編」

「妖怪……?

い、いや…お前のような妖怪がいるか!言葉を使うし、見た目だって……」

 

「う、う~ん。多分妖怪だと思うんだけどなぁ」

 

薄い栗色のような髪をした男、私が無理やり連れ出したその兵士は私の正体を疑問に思ったようだった。

闇を扱う妖怪だと言っておいたけど、どうも納得してくれないみたい。

 

「多分って……」

 

そんなあからさまに眉を顰めなくたっていいじゃんか~。

それとももしや、私の手首を握る力がちょっと強かったのかな。体全体に浮く感覚が伝わっていると思うから、引っ張られるような痛みはないと思うんだけど。

 

それにしてもこいつは兎と違ってぎゃあぎゃあ叫んだりしないようで助かる。結構高度は高いはずだけれど、この時代の人間ってのは肝が据わっているみたいだ。

 

 

 

…ともかく、今は永琳に会おう。無事かどうかも知りたいし、彼女なら今何が起こっているのか分かっているかもしれない。

…ああ、こんなことなら寝床から通信機器を持って遠出するべきだった…。

 

「ねぇ男、えいり……八意のお偉いさんって、国の中央にいるんだよね?」

 

兵士は男だ。だから男と呼ぶのだ。

これくらい単純な方が、人生はきっと楽なんじゃないだろうか。数え切れない大量の名詞や形容詞の波に流され続けるくらいだったら、私は頭真っ白お日様ぽかぽかで、ゆらりゆらりと草むらで揺れたいものなのだ。

 

「八意*∴≠Å様のことか?あの方なら王都で指揮を執っているらしいが……通信が繋がらなくて、今はどんな状況なのか見当もつかない」

 

方角は合っているらしい。

後はこのまま夜風になるだけだが…しかしどうも気になることが多すぎるな。

 

「う~ん、永琳大丈夫かなぁ~」

 

「えいりん?

…確か、彼女が幼い頃にそんな風に自称していたような…」

 

「え、男、知ってるの?」

 

出会ったばかりの頃は、自分のことをえーりんだ、えーりんだって胸を張って言っていたのがそれはそれは可愛かったのだが、さすがに今じゃあいろいろと気にしているみたいで、自分からは言わなくなってしまった。

あぁ、あの小さな永琳も可愛かったな。

 

「あ、あぁ…一応あの方とは遠い縁があってな」

 

「ふーん」

 

結構この話は広く伝わっているのかもしれない。こんな一兵士にも伝わっているんだから。

 

「それと俺の名前は男なんかじゃない。れっきとした、綿月という姓がある」

 

「ふーん」

 

ふと空を見上げる。こんな日でも輝き、銀の光を放つ月は、この今に限っては胸騒ぎを助長するだけだった。

 

 

 

え、綿月?

 

「……ぐえぇ!?」

 

「うあっ!おい、揺れてるぞ!」

 

飛行バランスを失って大きく傾いてしまう。割とこういうのは精神状況に影響したりするんだ、ルンルン気分な時は飛び方だってルンルンだし、そうでない憂鬱な時はなんだかふらふらな飛び方なのだ。

 

重心を中央部に預けてすぐに体勢を立て直す。

それにしても……。

 

男の顔を覗き込む。まぁ、確かにこんな風に空を飛んでいるのにほとんど動じない、随分と肝の据わった男だとは思ったが…。

 

「なんだ?そんなジロジロと見て」

 

「い、いやぁ~」

 

綿月………やはり思い浮かぶのは綿月豊姫と綿月依姫、二人合わせて綿月姉妹。

永琳と遠い縁があるという点から考えても、もう間違いない。

こいつは…。

 

「綿月姉妹の、ご先祖さま……」

 

「ん?姉妹…?何の話だ?」

 

「な、なんでもなんでも…」

 

ああ、今日は変なことが多い。

 

##########

 

地上の景色は流れゆく。

男も……綿月さんも、自国が流れる様子を眺めているようだった。

まだそこまで高い地位じゃないみたいだけど、将来は国随一の大物の家だからね。ちゃんとさん付けしないと。

永琳?永琳とは仲良しだからさん付けしなくていいハズ……多分。

 

「…それにしても、奴ら結構国の中へと入り込んでるけど、よく挟み撃ちにされなかったね」

 

「いや、入りこんだ一部の連中は攻撃してきた。だが、大部分は俺らを無視して国の中央へと向かっていったんだ」

 

妖怪は近くの人間を見つけたらまずそこを襲うはずなんだ。本能に従って、とりあえず目に入った身近な人間を襲って食い殺すのが奴らの性質だ。

 

しかしこれを聞くと、どうも妖怪は人の多い場所へと向かって、より多くの人間を抹殺するという意思でもあるんじゃないかと思えてしまう。

この考えだとあの塔の上の玉兎が見向きもされなかったのにも納得がいく。攻撃さえされなければ反撃せず、ほとんどは人の多い場所へと流れていくのではないだろうか。

私が片手で数える程度しか攻撃されなかったのも、同じような理由なのかもしれない。

 

「無視して、ね…。なんだか本当に、人類をできるだけ多く抹殺するのが目的みたいだね」

 

考えていたことを口に出す。こう、改めて自分が話したことを耳で聞いてみると、それはそれは大層なものだと感じた。

 

「……それは、そうなのかもしれない。現にこの国だけでない、世界中の国が同時に襲われているんだ」

 

「ぐえぇ!?」

 

ああ、またしても変な声を出してしまった。

周囲に私の声が反響する壁や天井はないし、やたらと星空が美しい空に、どうも間の抜けたような声が溶けていくだけだ。

 

 

 

「…見えてきたぞ、王都だ」

 

そんなことを考えていると、彼が低くもない、かといって高くもない、中性的な声を発した。

 

国の中心部、王都と呼ばれる大都市は元々大きな湖の中央に位置する島だった。天然の要塞であるそこを拠点に、国を広げていったのが始まりだ。

 

ネオンライトのような煌びやかなものではない、なんというか、暖かみのある光の塊だ。島から対岸へはいくつもの橋がかけられており、まるで蜘蛛の頭から手足が伸びているようだった。

確かこれを通るのにもお金だか書類だか、そんなのがいるはずだ。

 

遠目に見ても、なんとなく分かる。

もうあの中に妖怪どもは少なからず侵入しているだろう。

 

その証拠に、ほら、どこからか火の手が上がっているのが視認できる。

 

実際ここまで侵入されることなんて想定していないはずだ。警備は対人用のものばかりで、妖怪のための設備は整っていないはずだ。国の中枢まで妖怪が入り込むなんて、まずありえない話だったからだ。

 

「やはり……」

 

男も現状には気づいたようだった。

 

「家族なんかが、不安?」

 

「あ、あぁ…そんな所だ」

 

「家族ねぇ…」

 

私はすんなりと、白髪で頭の良い、綺麗な女性を思い浮かべたようだった。

 

 

やや背の高い、スラッとした女性は話を始める。

美しい、銀とも白ともとれる髪は、少し奇抜なデザインの帽子の下から伸びていき、やがて腰の辺りで結ばれていた。

赤と青、目を引くような鮮やかなデザインの服装を身にまとった彼女の声に、人々は耳を傾けた。

 

「皆さんもご存知の通り、空にいる何かは私達人類が宇宙へと飛び立とうとするのを拒みます。

今まで何度も世界中で行われてきた地球外到達作戦は、その作戦参加者が、とりわけ宇宙船の搭乗員のほぼ全てが亡くなってしまうという結果で終わっています」

 

それほど広くない部屋。ここに国の有力者は集められ、そんな彼ら彼女らの前で女性は…永琳は話を進める。

 

「その中でも我が国が二百五十年前に行った第二十四回到達作戦、これはアルカディアとの共同で行った作戦ですが、この時宇宙へと打ち上げられた空間保映機によって地球を覆うように撮影された一枚の画像は、今でも議論の的になっています」

 

永琳は背面に位置するモニターを起動した。

予め照明が消された薄暗い部屋に、その光が充満する。

 

「このように、人間の脳を思わせるような構造をした膜が、地球を包んでいるのです」

 

モニターには様々な角度から撮られた宇宙からの地球が映っている。どの画像も白い粒が集まったような何かが形成され、地球を覆っていた。

 

人の脳の神経網、あるいは宇宙の構造のような様相を呈したその様子は、どこか人々に不気味な印象を与えるようだった。

 

「さて、私は研究により、ある事象を突き止めました。それは私たち人間の、感情の流れについてです」

 

永琳は今一度、聴衆の様子を眺めた。

共通するのは、皆ただならぬ焦燥感を抱いているということ。

 

――人類全体の危機なのだ、こんな納得させる為の解説はすぐにでも終わらせなければならない。

 

「私は人が持つ喜怒哀楽の感情波の流れを突き止めるべく、ここ数百年たくさんの被験者にある実験を施しました。それは感情という電子信号に色を付けて、その行く先を追うというものです」

 

モニターにも簡易的な説明と図式が映し出される。

永琳は話を続ける。

 

「結果、分かったことがあります。

それは特別強い感情の粒は、体を循環せず体外へと放出されるというものでした」

 

聴衆のほとんどは話の全貌が理解出来ていないようだった。各々が意見を周囲と話し、小さなつぶやきが各所から聞こえる。

 

「そしてその、体外へと放たれた感情の波は、天空へと、つまり私たちの空へと流れて行ったことが分かったのです」

 

ボソボソとした声達は途端に止む。

 

「そうです、私の仮説では…その感情の集合体こそが、私達を地球内へと閉じ込める…正体なのではないかということなのです」

 

今度は波が広がるように、聴衆たちのざわめきが動揺となって増す。

部屋にはそれほど湿気や熱気のようなものはないが、代わりに何か、うねるような、心拍数を増大させるような妙な音色がいっぱいだった。

 

「し、しかし!それは仮説だろう!か、感情の集合体というのも、話がよく分からない!」

 

一人の男が叫ぶ。そしてそれに共鳴するかのように、永琳の仮説を非難する声が次々と湧き出る。

 

「お静かに願います。根拠はこれだけではありません」

 

彼女は動じず、モニターの画像を淡々と変える。

 

「感情は空へと高く上昇し…いや、ここでは浮くと表現しましょう。私達は浮いていった感情を追跡調査し、その粒に色をつけました。

まだこれらはせいぜい数百年分のデータですが、それらの粒を宇宙から観測し、分かりやすく画像にしたものが、こちらです」

 

モニターにでかでかと画像が映し出される。

それは地球の周囲を黄色い粒が覆っている様子だった。

 

聴衆は息を呑んだ。見覚えがあったからだ。

 

「では、これを……先程紹介した第二十四回到達作戦にて撮られた画像と重ねます」

 

二枚の画像が透明度をもって重なる。

 

「……このように、見事に一致しました」

 

もう意見をするものはいなかった。

その重ね合わされた画像を見て、ある者はその正体に形容できない恐怖を感じ、ある者は神秘のような感情を得た。

 

「本題です。私達はこれを、打ち倒さなければなりません。生き延びる為には、この未知な存在を倒さなければならないのです。

私は密かに研究を続けてきました。あの集合体、ここでは天辺と呼称します。

…これを破壊するには、私達の持つ、感情をぶつけるしかないのです」

 

永琳は自身の体温が上昇するのを感じた。

焦りからか緊張からか危機感や恐怖からか、あるいは人類に与えられた命題を克服することによる武者震いに似た、興奮からか。彼女自身にもよくわからなかった。

 

「感情の波であるならば、必ず決壊する筈です。こぼれない瓶、完璧な防波堤なんて、この世に存在し得ないのです。

既に試作が完了した、こちらの装置で世界中から集めた感情の渦を圧縮、増幅させ、天辺に向かって一斉に照射します」

 

モニターには、アンテナ局のような大きな装置が映し出されている。

 

「私達人類が誇るべき、他生物や妖怪と異なる素晴らしい特性、それが感情です。人を人たらしめる感情の光が、これを打ち砕くのです」

 

今一度全員の顔を眺めて彼女は言い放った。

 

「これを新たなる人類の始まり、天への反乱を誓うものとして、作戦名''天地開闢''、これより開始します!」

 

##########

 

国の中心部である王都。そしてその王都の特に中央部にて、地上から数十メートル下、そこに造られたこの巨大なドーム状の施設に缶詰になった沢山の人々は、それぞれが同じ目的の為に作業をしていた。

 

大きな大きな地響きから約一時間が経過した。幸い建物などに損害は出ず、ただ揺れただけであった。

しかし地震に対して万全の設備を備えているこの国において、揺れが発生するのは極めて不自然であった。

あのルーミアが放った球が地面に衝突した際に起こった揺れは、通常の地震のように岩盤のずれで起こるものではない、ただ地面に対して大きな力が働いて発生したものだった。その為地下深くの揺れが地表へと伝わることを防止するように作られた、この国の地震対策は機能しなかったのであった。

 

よって人々はこれも何か、この大異変の一部であると考えていた。

 

動揺が広がっていったが、永琳と月夜見らはこの異常な状況すら逆手に取り月への移住をいよいよもって開始した。そしてそれと並行して、永琳主導の空に潜む何か、通称''天辺''を打ち砕くための作戦、天地開闢も進行している。先程の作戦演説を終えた永琳は、一呼吸つく暇もなく、今は宇宙船の配備の指示を出している。

 

現在、この国だけでない、世界中の国で月への移住が進められている。

妖怪の侵入をできるだけ防ぎながら行われる、人類存続の為のこの計画は、人々にとってみれば明けない夜のようであった。

しかしその明けない夜のタイムリミットは、もうすぐそこまで来ていた。

一部の国はすでに大勢の妖怪の侵入を許し、崩壊した。そうした国の数は決して少なくなかった、永琳の国のような大国ですら苦しい戦いである。武力の乏しい小国が長い間耐えられる方が無理があったのだ。

また別の国は無理やり宇宙船に乗り込み宇宙へと飛びだそうとし、そしてやはり、例の天辺によって船ごと全滅してしまった。

 

妖怪の波が襲い、未知なる存在が天にて人間を閉じ込める。この完璧な包囲網は、着実に人類を追い詰めていった。

 

 

 

現在、宇宙船の準備は全作業員を動員して行っている。王都内には不特定多数の妖怪が侵入し、至る所で戦闘が行われている。

とりわけ、民間人を収容した避難所の多くでは激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

月夜見は現地で直接戦闘を指揮し、永琳は宇宙船の配備、他国との連携を行いながら天地開闢作戦を完遂する役目だった。

 

彼女は今、全体の作業が窓越しから見渡せる部屋で指示を繰り返していた。沢山の人や兎が、人類存続のために、手を休むことなく動かしている。

 

彼女はそこまで人という存在が好きでなかった。人の悪い部分ばかりを、とりわけよく見てしまうからだ。

しかしこうして人類最大の危機に陥り、今まで達成できなかったような世界中の連携が可能になったこと、そしてその一部をこうして間近で眺めることで、何かヒトという概念に対して今まで感じていなかった考えを持ち始めていた。

 

それはちょうど、希望のような、結束のような、種族としての一体感に近いものだった。

 

――そう、これが……あの方の言っていたことなのね。

 

彼女は一人の、艶やかな黒髪をした女性のことを思い出した。

 

そしてなんだか胸が暖まるような心地を得て、再び作業に戻った。

 

 

 

「しかし、天辺ですか…。ちと文字通りすぎやしませんかね?」

 

「!」

 

振り向くとそこには博士が立っていた。相変わらずやたらと姿勢が良く、少々不気味な笑みを伴って。

 

「そう……あなた、いつから居たのよ」

 

「十二秒前からです」

 

「じゃあ十二秒以内に出ていって」

 

いつものように手を振り払ってあしらう永琳。

しかし博士も引かなかった。

 

「本当に倒せるんですかな?」

 

永琳はもう博士に背を向けているので、声色しか読み取ることが出来なかった。しかし普段より数段低いその声から、どんな面持ちなのかは想像できた。

 

「………やるしかないわよ」

 

デスクに目を向ける。

普段は綺麗に整頓されている資料達は、彼女の直筆のメモでいっぱいなのはいつも通りだったが、今日ばかりは乱雑にされていた。

 

「勿論分かっていますとも。あの作戦が、没になったものだということも」

 

「そこまで知っているのね」

 

永琳は資料を束にして、デスクの隅へと追いやった。そして時計を確認して、フロア全体に指示をするためにスピーカーの電源を入れようとした。

 

「…やはり、賭けなのですね」

 

永琳は電源を入れるべきか迷った。

このまま黙って、博士を無視するのが最善なのかどうなのか、決めかねた。

 

「やるしかないわ、妖怪はこちらの事情も考えてくれないんですもの」

 

天地開闢作戦、その案は実際のところ数十年前からあった。

永琳は軍から身を引いてからというもの、やはり月を夢見ることを止めなかった。秘密裏に研究チームを設立して、密かに天辺と呼称した人類を閉じ込める何かの正体を探っていた。

 

そうして人々の感情との関連性がわかった後に、直ぐに件の作戦は練られた。

しかしこの天地開闢作戦、人々から集めた感情の渦を照射し、天辺を決壊させるというこの作戦はあまりにも不十分すぎたのだ。

そもそも決壊し得るレベルの感情を集められるのか、そして何よりも、本当に決壊するのか…。

 

状況証拠的な理論しかなく、決定打となるものはない。

感情を集める装置こそ完成したが、やはり作戦の実行には踏み切れずにいた。

 

仮に照射したとして、天辺の正体は未だ不確実極まりないのだ。暴走という言い方が正しいのかは分からないが、そんなことにでもなったらいよいよ人類の危機だった。

 

こうしたことから作戦の実行には至らず、安全的な方法を模索し、天辺の正体をより深く探る研究を続けていた永琳だったが、これ以上のことは何も分からなかった。全くもって未知な存在だった。

 

「これ以上悪い事態なんて、そうそう起きやしないわ。どうせ何もせずに居たら人類は滅亡よ」

 

これが答えであった。

やたらと理路整然と、絶対的な確信があるかの如く、国の主要人物達の前では解説、演説をしたが、実際のところ穴だらけであった。

それを彼女はあくまで時間の都合上、納得させる時間という体にして誤魔化したのが、真実であった。

 

「ふむ…嫌な夜ですな」

 

博士は見抜いていた。

永琳は何となくそれも気づいていた。いつ彼がやってくるだろうかと思っていたくらいだ。

 

 

 

「八意様ぁっ!八意様ぁっ!」

 

その部屋に、一人の玉兎が入っていった。

 

永琳は考えても仕方のないもやもやとした霧の思考から抜け出て、兎に目をやった。

うさぎ耳は相変わらず靴下みたいであると、ちょうど、ルーミアと同じようなことを考えた。

 

「おっと、では私はこれで失礼」

 

博士は兎の真横を通り過ぎて部屋から出ていった。

 

「四班から二十班までの作業員は、早急に点検を次の段階へと移行することっ!その他の各班は班長の指示に従ってローテーションで休憩を取り、その間資料への記入を行うことっ!」

 

永琳は靴下を確認した後に、兎から目を離してスピーカーで指示を出すことを優先した。彼女のこの芯の通った声は、激励の言葉でないにしろ、多くの作業員の士気を高めた。

 

「ちょ、ちょっと!八意様ぁ!聞いてくださいよぉっ!」

 

永琳はスピーカーをオフにした。

 

「何よ、何かあった時は委員会にでも連絡しろと…」

 

こちらは手一杯であるといった仕草で靴下を睨みつける永琳。恐らく妖怪関連の話であろうと彼女は踏んだが、そちらは別の者に任せて今は宇宙船の配備に集中するつもりなのだ。

 

「い、委員会が八意様に判断を委ねると…その、指示したものですから…」

 

萎縮する靴下、いや兎であったか。

まず第一にそんな風に捉えた永琳は、やがて観念したように話を促した。

 

「さ、最終防衛ラインとの連絡がようやく叶ったのですが…」

 

「突破されたのね」

 

兎が言い終わる前に言い放った永琳。

 

やはりもう時間はない、イヅモの承認を得ない状態での決行が混乱を招くと踏んで本格的に動き出したのが遅れたことが仇となったか。

 

連中の方でも意見は二分化しているようだった。普段は表に出てこない癖に、こんな時に足を引っ張るのがどうしようもないところだ。

 

――いっそこんな面倒くさい組織から抜け出してしまいたい。

 

それが実の所、本音でもあった。

 

心の中で毒を吐きつつ、綺麗に磨かれた窓越しから作業の様子を見下ろす。どれだけ上から眺めたって、作業が速まるわけでもなく、永琳はさらに目を細めた。

 

「い、いえ!その……そのですね…見渡す限りの、えっと、妖怪が…全滅した、と…」

 

しかし返答は、彼女の思っていたものではなかった。

 

「は?全滅?」

 

言ってしまって、永琳はうっかりしたと感じた。

「は?」という言葉は、彼女が一番嫌いな言葉なのだ。

 

言葉と言えるほど意味もないし発音にかかる時間はあまりにも短いが、永琳はその、小汚なさを感じる一音節と、相手の心理を考えられない浅はかさを露呈する愚行に満ちた音が大嫌いなのだ。

 

とりわけ、昔はルーミアに倣って「ぐえ?」とか「うぇ?」なんかを気に入って使っていたが、彼女はもうそんな歳ではないと考えている。

 

この話をルーミアがすると、永琳は決まって顔を赤くしてしまうのだった。数少ない、ルーミアが永琳を口で倒すことの出来る話題であった。

 

「そ、そうなんです。全滅で…」

 

あまりにもくだらなすぎることを、時間にして僅かコンマ一秒、そのあまりある頭脳で思考した後に、兎は言葉を続けた。

 

「い、いや……全滅って…どういうことよ?」

 

永琳はまた一つ、頭痛のタネが増えたことに眉を曲げた。

 

「え、えっとですね…金の髪をした奇っ怪な服をした少女が、その…空から飛んできて奴らを全滅させた、と……」

 

「!」

 

「そいつは玉兎の兵士も救助していたみたいで……そ、それで、更に兵士を一人無理やり連れ去ったみたいなんです…!

も、もう上もお手上げ状態みたいで、対処を八意様に任せるとのことです。状況が状況なだけに、今はこのことに関しては戒厳令が敷かれていますが…」

 

「……そう、そうなのね」

 

もう一度窓から作業を見渡す。

同じような情景なのに、なぜだか先程と違ったような光景に思えた。

 

永琳は一拍置いて、やがて話した。

 

「対処の必要はないわ」

 

「え、で、でも!あの、先の地震の原因はそいつらしくて、相当な脅威になることが…」

 

兎は自分の考えを伝えようと、大きく身振り手振りで体を動かす。

 

「大丈夫よ、問題ないわ。もう下がっていいわよ」

 

「は、はぁ……」

 

兎はもっと色々と反論をするつもりであったが、彼女の穏やかな表情を見て、なんだかその気も失せていた。

 

「あぁ、でもあっちには私が対処するから問題ないと伝えておいて」

 

「わ、わかりました…?」

 

兎は渋々と出ていった。真っ白な、やけに光沢がある、触ると冷たい扉をゆっくりと閉めて、姿は見えなくなった。

この全体を見渡せる指揮室には、ぽつんと永琳だけが残された。

 

「ふふ…ルーミア、無事だったのね」

 

ここ数日連絡が取れていなかったことで、彼女はルーミアに何かあったのではないかと気が気でなかった。

 

実際はルーミアが普段の寝床に装置を置き忘れて少し遠出をしていただけであり、さらにそんなことは大して珍しいことでもなかったが、この大異変のことも相まって、やはり何か関係しているのではないかと永琳はその聡明な頭脳をフルに回転させ、色んな考えや事実を結びつけては紐解いて、くっつけては離したり、ともかくそんな具合に不安を増加させていたのだ。

 

彼女は金髪の、どこか抜けてそうで可愛らしく、心から通じあった家族のような親友のような、不思議な少女を思い浮かべた。

 

 

 

――ドバッターンッッ!

 

「八意様っ!!」

 

今度は中年の男兵士が飛び込んでくる。

 

「今度は何よ」

 

「ほ、蓬莱山様の滞在しているお屋敷が、よ、妖怪に襲撃されて…!」

 

「なんですって!?」

 

兵士の言葉が電流のように永琳の体を貫く。

 

「ほ、報告はいいわ!それで、無事なの!?救助は出来たの!?」

 

「い、いえ…それが…人員を割く余裕がないとのことで…」

 

「は?」

 

嫌いな言葉だろうが関係なかった。

兵士の言っている意味が全く理解出来ず、嫌いだのなんだのというくだらないことを考える暇がなかった。

 

「何を言って…?」

 

「報告を受けて、私も救援の要請をしたのですが……その…どうやら上は蓬莱の国にもう見切りをつけたようで…」

 

「み、見切りって…?」

 

少し考えて、なんとなく話が分かってくる。

見捨てるつもりなのだ。

 

「八意様は蓬莱山様と懇意にしていたということなので……報告した訳であります…本当に残念です」

 

永琳は光線銃がウエストのホルスターにしっかりと存在していることを手で確かめ、男兵士を無理やり連れ出して部屋を飛び出した。

 

兵士を強引に連れ出す時の、その手首の握り方は、ちょうどルーミアと同じようであった。

 

##########

 

太陽の光をエネルギーにして、地面から数十センチ浮く自動車の中には、永琳と先程の男兵士が乗っていた。やたらと丸みを帯びた、少し旧式の車であった。

永琳は兵士の「八意様、どうかお戻りください!」という声を無視し、自らハンドルを握っていた。安全運転とは決して言えなかった。

 

「一体どうなってるのよ!護衛は何をしていたの!?」

 

他国の要人を招く施設、お屋敷と呼ばれるそれは国の中枢部に全て位置している。一般の人々が現在避難、収容されている施設からは離れた位置にあった。

これには人の多い場所よりも密度の小さい場所の方が襲撃のリスクが低いという理由もあったが、要人を一般人と同じような場所には置いておけないという、そんな権威ぶった考えも同時にあった。

 

永琳は宇宙船の配備に全力を注いでいた為、避難関連の話は全くと言っていいほど受け取る暇がなかったのだ。

そして今回、月の移住計画についての会議の為に永琳の国を訪れていた主要な国は、桃源、アガルタ、そして蓬莱の国であった。

そうした国々の要人たちは皆、この緊急事態の為に、この国から直接月へと移住することを承認した。彼ら彼女らは月に赴いてから自国の人々と合流する予定なのだ。

 

「そ、それが…蓬莱山様が、自分よりも船の警備や国民の援助を優先しろと、必要最低限の蓬莱から連れ添った警備を残して、行かせてしまったんです…」

 

「なっ!」

 

永琳の脳内に蓬莱山の王女の顔が浮かぶ。

そうだ、あの方はそういうお方だったと、その微笑む奇麗な顔を想像した。

 

「最低限って、全くっ!」

 

彼女はハンドルを手のひらで叩きつける。

兵士は、初めて永琳が強く憤りを顕にしている様子を見た。彼女はどんな時でも冷静で、ましてや怒りなんて感情を表に出すなんて考えられないことだった。

 

「あなたの周りでも、本当にもう手を回せる人員はないの!?」

 

「は、はい!避難所の複数も現在襲撃されており、船の警備隊もこれ以上人員を割くと支障が出てしまいますっ!八意様にお伝えする前に、他の人員を回せそうな場所へ連絡を取りましたが、直ぐにとは動けないみたいです!私の隊が現在お屋敷にて救助活動を行っておりますが、連絡がありません…………!」

 

「!」

 

永琳らはお屋敷が視認できる位置までたどり着いた。

 

屋敷は大火に包まれていた。

国は文化の伝統性をアピールする為に、異国の要人を迎える施設の建造においては景観を損なう防衛システムを極力排除し、そのデザインだけを重視していた。

これは他国との関係性が極めて良好であるこの国だからこその話であったが、それが裏目に出てしまっていた。

 

永琳はもう一度強くハンドルを叩きつけた。

こんな場所に置いておくなんて、まさか最初からこのつもりだったのではないだろうか。

そんな考えも浮かんだ。

いくらこの大混乱の最中とはいえ、事態を把握出来ていなかったこと、そして避難の話まで手を回すべきであったと、後悔してもしきれなかった。

 

「八意様っ!」

 

永琳は車から飛び出した。

 

「あなたの兵士はどこよ!」

 

永琳は柄にもなく声を荒らげてしまう。

よりによって、個人的に深く親交のあった蓬莱家を迎える屋敷がこうなったことに対して、何かを責めたいという、永琳にしては非常に感情的で合理的ではない思いからだった。

 

「で、ですからっ、突入しましたが、未だ連絡がありませんっ!」

 

「ま、ったく!」

 

こんな中心部まで奴らが侵入していたこと。そしてこの事態を予期できなかった自分に対しての言葉でもあった。

 

「突入よ!とにかく突入よ!」

 

「む、無茶なことを言わないでくださいっ!消防隊は紅地区の大火事で手一杯なんですよっ!

さ、さぁ…はやく戻りましょう!ここはもう危険ですっ!」

 

永琳は蓬莱のお屋敷が襲撃されたことを知るや否や、伝達した兵士を連れて誰にも気づかれないように施設を抜け出した。抜け出そうものなら止められるのを分かっていたからだ。

 

船の配備は現在軌道に乗っているし、指示は数時間先まで出しておいた。よって居なくなっても何ら問題はないという判断であった。

 

彼女をここまで突き動かすのは、ある大きな想いからであった。

 

「あっ、八意様!八意様ぁっ!」

 

永琳は走り出した。使い慣れた光線銃を取り出して、大火に包まれる屋敷の中へと飛び込んだ。

 

中はやはり火でいっぱいであった。広く高いロビーでは、意匠を凝らしたこの国由来の文化が垣間見れる家具や絵画、そして蓬莱の国特有の文化模様が読み取れる。

それらがすべて、火に包まれていた。

 

永琳の正面で天井の一部が崩れ落ちる。

彼女はそれを見て、走った。崩れ落ちた天井によって不安定な地面を走り抜け、さらにその奥の階段を登る。

階段を登ると、そこは兵士たち、あるいは護衛の死体でいっぱいであった。皆、切り裂かれたような傷が痛々しく残っている。

 

より不安を増した彼女は、左へと曲がってすぐの、蓬莱の模様が描かれている扉を躊躇なく蹴破る。この部屋が蓬莱家の寝室で、普段生活している場所だと把握していたのだ。

 

中へと入る。

 

相も変わらず燃え盛る炎は、インテリアを可燃物として荒々しく燃え盛っている。

 

そして異常な存在が佇んでいた。

爬虫類のような肌をした二足歩行の妖怪だった。

そいつは一人の女性を、鋭い爪で突き刺していた。彼女の胴には爪が深く突き刺さり、貫通する勢いであった。

 

「!!

やめなさいっ!!」

 

永琳は叫んだ。女性が誰かを知っていた。

懇意にしてもらっていた、蓬莱の国の王女その人だった。

 

妖怪はぬるりと首を向ける。

依然として爪を深く突き刺したままであった。鋭い銀の爪から、鮮血が滴り落ちる。

 

永琳は何万回と繰り返した手つきで銃口を目の前に向け、トリガーをひいて光線を放った。この大炎に包まれる屋敷の中でも、その様は一枚絵になっていた。

 

光の線は妖怪の頭に到達し、そして貫通した。

妖怪はちょうど王女から爪を引き抜き、永琳に対しても攻勢を仕掛けようとしていた所だった。

 

倒れる。しかしそれは妖怪ではなかった。妖怪よりも先に、王女が足の力を失って地面へと崩れ落ちた。

続いて、ようやくバランスを失った妖怪も倒れた。

 

「蓬莱山様っ!!」

 

永琳が叫ぶ。手を自由にするために、彼女は光線銃を地面へと投げ捨て彼女のもとへと走る。

それと同時に部屋の天井の一部が崩れ落ちる。それはちょうど、王女の真上に位置していた。

 

「蓬莱山様ぁっ!」

 

火の粉が上がる。

 

そして永琳の目の前で、崩れ落ちた建材が倒れた王女の足元で深く突き刺さる。

 

「う、ぁあっ!」

 

「蓬莱山様ぁっ……!」

 

金属の破片が、王女のふくらはぎのあたりを貫いた。

彼女のその花柄の綺麗なドレスは、血と汚れで台無しだった。

 

「八意…様……」

 

虚ろな目だが、しかしその先は確実に永琳の姿を捉えていた。

 

「しっかりしてくださいっ!」

 

血は止まらない。

もう周囲の火や、今にも崩れ落ちそうな音はどうでもよかった。ただそこだけが切り抜かれているような感覚を永琳は得た。

 

先程妖怪によって負傷した腹部は、どれだけ手で押えても血が止まらない。

そして運悪く先端が尖った状態で落ちてきた、その天井の素材は左足のふくらはぎを貫通している。

 

永琳は医学のプロでもあった。だからこそ、あまりにも呆気なく、簡単に分かった。彼女はもうすぐにでも死んでしまう、と。

さらにこの大異変の状況下、平時と同じような適切な治療が迅速に行われるなんてありえなかった。

 

「あ……あの子を……」

 

王女が首を動かして、そうして人差し指で何かを伝えようとする。

 

「!」

 

永琳もその方へと顔を向ける。

 

 

 

そこには、竹製のベビーベッドの上に、綺麗な白い毛布に包まれた赤ん坊が寝かされていた。

 

赤ん坊の周りは周りの雑音を跳ね除けるために結界が張られていた。

よって中では、無音の状態が保たれている。

 

「ふ、ふふ……あの子ったら…こんな時なのにすやすやと寝て……のんびり屋さん、なんだか、らっ…!」

 

 

 

蓬莱の王女は妊娠していた。

出産予定日は随分と先のはずだった。

 

蓬莱の国はこの永琳の国で、月への移住に関しての会議に参加するために訪れる予定であった。

しかし事態は急変する。王女の夫、つまり王が急死したのだ。

 

これが蓬莱の王女の救援に手が回さなかった理由でもあった。王を失い、大きく揺らいでいる蓬莱の国は正しく混乱の最中。そんな国とこのまま交友関係を築く程のメリットはないという、そんな一部の連中の判断だった。

 

移住会議の参加は中止になる予定だった。しかし王女は、妊婦の身でありながら、そして夫を失ったばかりでありながら、中止を良しとせず国へとやってきたのだ。

 

『この子には、夫の居ない地球よりも月が良いんです』

 

お腹をさすりながらそう話す王女の姿が、永琳に強い印象を与えた。

 

やはり責任感が強い、人の上に立つべきお方だ。

永琳はその考えを強めた。

 

蓬莱の王女はのらりくらりとした性格であったが、誰に対しても分け隔てなく接し、そして国や人々の為に自ら前に立って働く人間であった。

ここに永琳は惹かれていた。永琳と彼女との関係は五百年にも及び、二人は良き友人だった。

 

こうして永琳の国へと訪れた王女。

しかし急な陣痛が始まり、遂にはこの国で出産を終えることになる。度重なる心労の影響が考えられた。

 

 

 

『人間を愚かだと思うかもしれません。存在そのものが皮肉だと思うかもしれません』

 

ある日のことだった。

もう何百年も前になるその日は、永琳の両親が事故で死んでから間もない時期であった。

ちょうど世界情勢は戦争真っ只中、人々は殺し合い、ただ殺戮する道具の技術だけが発展していった。

 

そんな様子で、永琳はもうどうすればいいか分からなかった。戦争だけでない、両親の死もそうだった。決して良好な関係だったとは言えない、事実、そこまで悲しいという感情も抱かなかった。

しかしだからこそ、永琳は分からなかった。

 

生まれては殺し合うような人間達。そして自分自身がまさしくその、人間であるのだ。

 

『''完全''だなんて、口が裂けても言えません。誰も彼も、悪い所はあります』

 

そうして、どこかぽっかりと穴が空いた状態になってしまった永琳は、その日も夜、ただ一人月を眺めていた。

庭園には大きな池があり、その池の上にある橋で身を乗り出して、やはり月を見つめていた。時折水面に映り、すこし揺らぐ白銀の世界を見ては、そこに反射する自身の顔を見て、また、空高く昇る月に視線を返していた。

 

たまたま国へと訪れていた王女はそこへやって来て永琳と話を続けた。

 

『ですが、だからこそ、愛おしいとは思えませんか?だって、そんな風に欠点だらけですけど、辛いことや苦しいことばかりですけど、貴女は貴女で、私は私なんです』

 

王女も彼女のように、橋の欄干に体を預けた。

 

『私は、私…?』

 

永琳は月から目を離した。

月に照らされた王女を見て、綺麗な方だと思った。

 

『ふふふ。やっとこちらを見てくれましたね』

 

永琳は生暖かい、居心地の良い空気にあてられたようだった。

 

『今を大事にするという言葉は、実際のところ正しくないのかもしれません。どうせすぐに過去になってしまう、変化してしまう今を大事になんていうのは、なんだか無責任な気がしませんか?

ですから私は、今だとか、未来だとかを大事にするなんていうのは嫌いなのです。そんな不確かなものを大事にするくらいでしたら、どうか自分自身を大事になさってください』

 

月明かりはその時によって印象が変わる。

ある時は祝福の光であるし、またある時は悲劇の光だ。

 

しかしこの時の光は、どうも永琳には掴めなかった。

 

『人間がこの地球に生を受け、種族の一つとして繁栄しているのであれば必ず、必ず私達は種族単位の闘争に巻き込まれることになるでしょう。

その時あなたは、どうか皆を導いてください』

 

なぜだかこの日の会話は、永琳は断片的にしか覚えていない。

しかし、彼女はこの日見た王女の姿を忘れることはなかった。

 

##########

 

永琳は王女のことを気にかけながらも、立ち上がって赤ん坊の元へと向かう。

結界は簡単に解除できた。すると突然騒音が流れ込んだことが原因で、赤ん坊は大きく泣き叫ぶ。

 

永琳はゆっくりと、すこしぎこちなく赤ん坊を抱き上げた。

ずっしりと、だけど嫌でない重さだった。

 

彼女が抱き上げた瞬間、赤ん坊はぴたりと泣き止んだ。燃え盛る炎の熱気、そして時折揺れる屋敷、そして何かが倒れる音。これらが存在するのにも関わらず、赤ん坊は目を丸くして、途端に静かになった。

 

「あら……私じゃないと、普通、泣き止まないのに……八意様のことが、お好き…なんですね」

 

こんな時でもはにかむ王女を見て、永琳は久方ぶりに、何を話せばいいのか分からなくなってしまった。

 

屋敷の火は強まる。もうすぐにでも崩れ落ちてしまうのが見て取れた。

 

「八意様、どうか…どうか、月でも…この子のことを…よ、宜しく……お願い、します」

 

永琳は堪えきれず涙を流した。そしてその雫が、赤ん坊へと滴り落ちる。

王女は息をするのすら、もう苦しいようだった。そして自分が助からないことを理解しているようだった。

 

永琳は王女の言わんとしていることがわかった。

そして王女との今までの出来事が、途端にフラッシュバックしたようだった。

 

竹が好きなお方だった。蓬莱にある、大きな大きな竹林を二人で散策した。

 

共に酒を交えた。彼女はすぐに眠りこけてしまうが、なんだかそうして、すっかり寝顔になってしまった彼女と過ごす空間はとても居心地が良かった。

 

彼女の笑顔や言葉、細かい仕草、数百年に及ぶそれらが走馬灯のように駆け巡る。

彼女は胸に抱いた重みを思い出して、すぐに現実を直視した。

 

そして二人は、視線を交わす。

 

永琳はようやく、声を出すことが出来た。

 

「や、約束します…!私が、私が必ず、大切に育てます!」

 

永琳はもっと伝えないといけないことがあるのに、それを上手く、口を使役して表現出来ないことに激しい憤りを感じた。

蓬莱の国は月移住に対し、全面的な援助をしてくれたこと。よって月でのこの赤ん坊の地位は必ず保障されるということ。連中が何を言おうと、必ず月の姫様に育て上げるということ。

 

想いは溢れ、こぼれていく。他にも王女に対する喜怒哀楽入り交じった感情を全てぶつけようと、その出来の良い頭脳をもってどの表現が適切かを思案する。しかし、それでもなぜだか言葉は思い通りにでてくれない。

喉がつっかえるように、どうしたって言葉は生み出されない。

 

永琳は下唇を強く噛んだ。

 

その様子を見て、王女は優しく微笑んだ。彼女もまた、賢い人であった。永琳がどんなことを考えているのか、なんとなく理解したのであった。

 

「では、お願いします、行ってください。

ここは…もう崩れ、ます、ですから…はやく…!」

 

綺麗な黒髪を揺らし、王女は最後まで赤ん坊を瞳の中に閉じ込めようと、その涙すら視界をぼやけさせる邪魔な要因だとして腹立たしく感じていた。

 

「で、では……!」

 

永琳は立ち上がる。今何か口に出してしまうと、途端に足への力の入れ方を忘れてしまいそうになった。だから彼女はそれ以上何も言わなかった。

先程乱雑に放り投げた光線銃をホルスターにしまい、赤ん坊を胸に抱いて、今にでも破壊の秒読み段階へと入った屋敷を後にするために立ち上がる。そして、歩き出す。

 

王女は何も言わずに全てを心の中へ飲み込むつもりだった。

しかし赤ん坊の姿が永琳の背によって見えなくなった時、彼女のダムは決壊した。

 

「あ、ああっ!!どうか、どうか……お願いします!この子を……輝夜をっ!輝夜のことをお願いしますっ!!」

 

永琳は走り出した。

 

##########

 

永琳が屋敷を抜け出して、ほんの数十秒後、お屋敷は簡単に崩壊した。 職人によって煌びやかに彩られた壁は崩れ落ち、その白い煙によって幻想にも思える中で、赤い炎が闇夜に紛れていった。

 

「八意様っ!」

 

付き添いの兵士が駆け寄る。

 

今までずっと静かだった赤ん坊も、その様子を見て、途端に泣き出した。

母親がもういないということを悟ったのかもしれないと、永琳は考えた。

 

その時だった。未だ燃え盛る炎によって明るく照らされていた彼女らの周囲が、大きな影に包まれた。

 

「なっ!」

 

いつの日か見た、あの火を噴くドラゴンが、上空を滑空しこちらに狙いを定めていた。

 

「あ、危ないっ!」

 

兵士が叫ぶ、それと同時に火球が永琳らを襲った。

それはすぐそばの建物に直撃し、大きな音をあげた。

 

永琳は赤ん坊を抱えたまま銃を取り出し狙いを定める。そしてトリガーに手をかけ…。

 

「なっ!」

 

カチッカチッと、トリガーが手の力によって押し込まれる際に発生する音だけが発生した。

先程の衝撃で、銃は壊れてしまっていたのだ。

 

「ちぃっ!」

 

この武器は役に立たない。

やはりこんなやたらと精密で繊細な機械の武器よりも、もっと古典的な武器の方が性に合うと、この時永琳は強く感じた。

 

なおも赤ん坊は、輝夜は強く泣き叫ぶ。

しかしそれは単純な恐怖心からではないように思えた。

 

「八意様っ!無事ですかっ!?」

 

兵士もまた銃を取り出し翼竜へと銃口を向ける。そしてトリガーを何度も引く。

しかし奴のスピードは速かった。

黄と白の混じった光線は、ただ夜空を彩る脇役にしかならなかった。

 

やがて翼竜は高度を大幅に下げ、自らの体を狙おうとする小さな敵へと突進する。

 

「危ないっ!」

 

このままでは兵士が体当たりを食らってしまう。あの重量とあの速度、どう考えても内臓が無事なわけがない。

 

永琳はもうその機能を果たすことのない、壊れた光線銃を素早く分解し、薄く輝く円状の部品を取り出した。チューブのようなこの部品には光線のエネルギー源となる物質が気体の状態で入れられ、使い切る度に使いまわして、また新しいエネルギーを入れる仕組みだった。

 

彼女はまだエネルギーが十分に残っていることを確認し、連結部に位置するバルブを少しだけ弱めた。気体が少し抜ける音がする。

 

それを確認すると、永琳は輝夜を地面に寝かせて、右足を一歩引き、チューブを持った右腕に力を入れた。

そして怪物の飛行速度を考慮し、僅かに光るそれを、思いきり放り投げる。

 

それはドラゴンに衝突し、大きく爆発した。爆風が地上に位置する永琳らにも到達する。

 

光線銃のエネルギー源となる物質には外気に触れることで分子の動きが活性化するという特徴があった。

分子の活性化は、むしろ物質の攻撃性、つまるところ光線へと転用できるような物質由来の特徴をかき消すものであった。しかし衝撃を大きく伝える性質があり、その為に永琳はバルブを少し弱めた程度にして気体の流出を最小限に防ぎ、かつ振動、衝撃が最大限にチューブ内に伝わるようにした。

 

ドラゴンはいきなりの爆発で狼狽えていたようだった。兵士は爆風の中、素早く永琳のもとへと走る。

その様子を確認した永琳は輝夜を抱き抱える。

 

「た、助かりました!」

 

「話は後よ、はやく!」

 

二人と赤子は車へと乗り込む。

今度は兵士が運転を担当し、永琳は助手席に座った。依然として輝夜を抱いたままだったからだ。

 

車が地面から数センチ浮き、動き出そうとしたその時に、ちょうどドラゴンも体勢を立て直したようで、永琳らの乗る車へと目をつけたようだった。

 

「出して、はやくっ!」

 

「はいっ!」

 

車は走り出す。そしてそれを空から追う影。

お屋敷の大火事で明るさが保たれているこの辺りでは、夜にも関わらず影がくっきりと映った。

 

――この辺りに、空からの攻撃を防ぐような遮蔽物はない。奴をまくのは難しい。

 

男兵士は救援の連絡をしきりに叫んでいる。

輝夜の泣き叫ぶ声とそれが、強く永琳の耳へと入り込む。

 

「武器は、武器はないの!?」

 

「す、すみませんっ!自分のはもうエネルギー切れで……あ、あぁ!そういえばこの車、養成所から拝借したものなんです!ですから後ろのケースに、新兵用の武器か何かあるかもしれません!」

 

後ろの座席を振り返る、確かに軍用のアタッシュケースが目に入った。

 

「あ、ぁあちょっと!」

 

「しっかり座らせておいてっ!」

 

永琳は輝夜を兵士の膝へと寝かせる。

そして後ろの座席へと移動する。

 

ケースを開ける。

中には持ち手が黒く、弭の部分に白い布が巻き付けられた長弓があった。

 

弓を握る。ひんやりと、金属ではないはずなのに冷たい、かといって体温を奪うほどのものでもない感覚が伝わる。

 

不思議と、それは手に馴染んだ。

 

そしてまた、矢を握る。

矢尻の部分が地下奥深くでしか取れない、希少な鉱石で作られた恐らく特注品。

 

しかしどこを探しても矢はその一本しかなかった。

 

――この一本で決めるしかない。これで仕留めるしかない。

 

ドラゴンの体表は硬い。この特注の矢ならば皮膚くらいは貫けるかもしれないが、重要な臓器に到達するとは考えられなかった。

 

「八意様っ!来ますっ!」

 

ドラゴンの口元にエネルギーが集中しているようだった。火球を吐き出す合図だ。

 

「開けてっ!」

 

永琳の指示で車のルーフが開かれる。

 

上空数十メートル、奴と目が合う。大きな翼を大胆に広げて、その獰猛な目玉をこちらに向けている。

 

――あれを、狙うしかない。

 

目玉なら貫ける。そして頭の内部、脳へと矢が到達できる可能性が高い。

 

永琳は姿勢を正した。揺れる車の中で、背筋をピンと伸ばした。

 

そして両手を頭より上にあげて、弓を持ち上げた。

 

――今ッッッ!!

 

綺麗な動作で矢を放つ。

 

まっすぐと宙を飛び、そして、標的の眼へと深く突き刺さる。

ドラゴンは思わぬ事態に火球の発射を中断し、もがき苦しんでいるようだった。

 

 

 

しかし、まだ生きている。

矢尻は脳まで到達してくれなかったのだ。

 

「くっ!急いで、早くっ!」

 

「はいっ!」

 

この間に少しでも距離をとる。奴を殺すのは無理でも、とにかく撒くことを考えるしかない。

 

――グアアアアッッ!!

 

「!」

 

雄叫びが周囲を揺らす。

ドラゴンはかえって冷静さを失い、永琳らの車にむかって突進攻撃を仕掛けてきた。翼を胴体へと寄せて、斜め四十五度、最もスピードが出る状態だった。

 

時速にして何キロメートルだろうか。

奴と車との距離はあったはずだが、もうすぐ前まで来ていた。

回避のしようが、なかった。

 

 

 

――ごめんなさい、蓬莱山様。

 

死後の世界なんて考えたことすらなかった。答えの出ない命題と格闘すること程、無意味なことはないと考えていたからだ。

 

しかしこの時永琳の脳内では、蓬莱の王女に対してどんな顔をして会えばいいのかということでいっぱいだった。

赤ん坊を守ることが出来なかったという、その事に対してどんな言葉を使役すれば許してもらえるのだろうかと、ただそれだけだった。

 

ドラゴンが接近する。

車に対しての距離がぐんぐん縮まる。

兵士は何かを叫び、赤ん坊は泣き叫ぶ。

 

しかしやはり、その死寸前の光景と音は、なんだか他人事でどうでも良いことのように思えた。もう言い訳の言葉も思いつかない。

 

そして…。

 

 

 

ドラゴンは目の前で破裂した。夜空に舞う、花火のように、先程まで生き物だったものの破片と液体が散らばり、そして地面に降り注いでいく。

地獄のような雨だが、しかし永琳らにとっては、命の灯火が明るく輝いたように思えた。

 

兵士は驚き、車を止める。

そして永琳と兵士は、車から身を乗り出した。

 

未だ、永琳は五感を通して伝達される情報に頭が追いつかないでいた。

死を覚悟していたその時、まるで到底訳の分からない出来事で上手く頭が動かないでいた。

 

「あ……」

 

その破片の山に、何かが降り立った。

ふっと、まるで空からの贈り物のようにそれは映った。

 

そして見知った金髪の幼女が、永琳を見つけて驚いたように声を上げる。

 

「あぁ!永琳っ!大丈夫!?」

 

その瞬間永琳は意識を失った。

急激な状況の変化と、安堵感。そしてこの夜でフルに活用した頭と体が限界を迎えたのだった。

 

 

現在この車には、私、永琳、永琳と一緒にいた兵士、綿月、そして謎の赤ん坊の計5名が乗っている。永琳は私の隣で気を失っていて、兵士らは前の座席にいる。

宙に浮いているのでガタガタと揺れはしない、やたらと乗り心地の良いこの丸みを帯びたデザインの車は、現在この都の中心に位置する月移住計画の要となる施設へと向かっているらしい。

 

しかし、前々から分かっていたことだが遂に月への移住が開始されるのか。世界中の国が妖怪に襲われる今現在、これが人間が生き延びる為の最適解ということなのか。

どうも歴史の当事者になるというのは、実感が湧かないな。

 

「でさ、その子って……もしかして永琳の隠し子?」

 

未だに顔や姿は見ていないが、泣き声から運転席の男の膝に、赤ん坊がいるのは分かった。

 

「えーりん?誰だか知らないが、この赤ん坊は蓬莱山様の子だ」

 

さて、それにしても本当に危なかった。

 

綿月さんと飛行中、どうやら私が嫌いなあのドラゴンみたいな変なやつが車を狙っているみたいだったから倒してやったんだ。

弾幕なんてこんな場所で使ったら二次被害とかでそうだし、とりあえず綿先を…ああ、綿月さんのことね。綿月姉妹の先祖だから綿先。

その綿先を適当なところで降ろして、ドラゴンに体当たりしてやったわけ。

 

そしたらびっくり、車に乗ってたのは他ならぬ永琳だったということなのだ。

あの時見つけていなかったと思うと恐ろしいね。

 

今はまだ私の隣で眠っているけど、どうやら命に別状はないらしい。少し疲れが押し寄せただけみたいとのこと、綿月も少々医学の心得があるらしい。何かの機械で色々と確認を取っていた。

 

「蓬莱山様?

え、蓬莱山ってあの蓬莱山?」

 

「あのもなにも、蓬莱の国の王家だろう」

 

永琳と一緒にいたちょっと小太りの中年が答える。

 

「え、じゃあ、もしかしてその子って…ぐーやなの?てるよなの?」

 

「ぐーや?てるよ?」

 

「おいおい、こいつの言ってることを深く考えすぎない方が良いぞ」

 

綿先は呆れたような顔を見せ、そして件の赤ん坊はにひにひ笑うだけでどちらも回答を寄せてはくれない。

 

しかしこうなったら是非とも姫様のご尊顔を確認したい。あのかぐや姫の赤ん坊時代の寝顔なんて、これはこれは希少だからね。ちょうどここからじゃ死角で見えないのだ。

 

「私にも見せ…」

「う、う~ん」

 

こちらの白髪の眠り姫もどうやら目が覚めたらしい。

 

「こ、ここは……?

あっ!輝夜は!?輝夜様は無事!?」

 

目が覚め、まだ意識が霞みがかっていた永琳は、すぐに目を見開いて赤ん坊の……今ようやく確信したが、輝夜の安否を気にし始めた。

 

「八意様、ご安心ください。蓬莱の姫様はご無事です!」

 

兵士が答える。

 

「あ、あぁ…よかった……」

 

「ふふ、永琳。良かった良かった」

 

「ルーミア!?

そ、そうね……貴女がまた、助けてくれたのね」

 

「んふふ、お安い御用よ!」

 

彼女はむくりと起き上がって、帽子を被り直した。そしてなんだか視線を交わした。

 

大して長い間会っていない訳でもないのに、無性に嬉しい気がした。

 

「ルーミア…私……」

 

「八意様!到着しますっ!」

 

「!

そ、そう!分かったわ!」

 

どうやら私たちは、目的地へと辿り着いたようだった。

 

車がやたらと整備された下り坂に突入したと思ったら、途端に辺りは暗くなる。とはいえ照明は点々としながら強い光を放っていたので特段視界不良になる訳ではなかった。まさしくこれは、トンネルだろう。

 

そしてそんな光景が何分も続いて、やがて行き止まり。

……ではなかった。男たちが何やら指示をすると、行き止まりだと思っていた壁は中央から左右に二分割され、それらは両端の壁へと吸い込まれて行った。

 

中には数名の兵士が待ち構えていた。

なるほど、ここがそうなのか。

体育館や、球場なんてもんじゃあない。本当に街一つ分あるんじゃないかと思うほどのこのスペース。高さだって、とてつもない。私達は余程地下深くに来てしまったようだ。

 

しかし本当にすごい光景だ。

様々な形をした船が無数に存在している。あれ一つだけでも一体何人中に入れるのだろう。

旅客機のようなもの、球体状のもの、なんならUFOのように薄い円をしたものがあらゆる所に浮いたり地面と接したりしている。

私は遊園地に来たような錯覚を覚えた。

作業員のような兎や人間は私達の姿を見ると、時折手を止めてこちらを伺う様子だったが、やがて元の作業を継続しに戻っていった。

 

兵士たちは最初警戒した様子だったが、永琳らの姿を見て既に武装を解除した。

 

永琳らは車から降りようとする。

よく分からないので、とりあえず着いていくつもりだが、しかし不特定多数の人間と接触するのは怖いな。あの例の食欲が発生する原因は未だに分かっていないのだ。

 

「あなたは輝夜をお願い」

 

「はっ!」

 

輝夜を膝に乗せていた兵士が車から降りて、どこかへ行こう……と。

 

 

 

あ、れ?

 

あ、ああ?

 

 

 

わあ!なんて美味しそうなんだろう!

あの皮膚に齧り付いて、そうして剥ぎ取って柔らかい肉を喉に入れてやって……そうしたらきっと新鮮な血液も一緒にゴクゴク入るだろう!その喉を通る感覚が、こんなにも待ち遠しく、恋焦がれて、最高に胸がドキドキする感覚だなんて!

 

体の中に存在する、人体を構成するパーツを一つずつ噛み砕いてやるんだ!歯を使って、そのパーツをより小さく分けてやって、あるいはそこまで噛み砕かないで大きいままごっくんしてしまうのも、きっと、それは、ああ、美しくて儚い筈!

食感も匂いも胃に入れた時の満腹感も満足感も、ああ!ああ!全部、全部味わいたい!!体の中に取り込みたい!!

 

空も月も大地も海も人間も妖怪も全部全部全部くだらない!!こんなことに比べたらちっぽけでなんの意味もない壊れた使い物にならない雨すら防げない傘同然だ!!

 

食べたい!食べたい!食べられるなら死んだっていい!どうなったっていいから食べたい!何でもいいから食べたい!食べてしまおうそうしよう!

アレを早く、一刻も早く、少しでも口から体の中に入れてやるんだ!!

 

なんて気持ちいい気分なのだろう!

あ、あ、ああっ!!

食べたい!食べよう!!食べてしまえ!!!

 

だ、ダメ!遠ざかっていく、早く、早く、ハヤクシナイトニゲテシマウ!!!

 

 

 

「……ミア?………ルーミア?」

 

「……あ……え?」

 

赤ん坊は、輝夜は兵士に抱き抱えられて遠ざかって行った。

 

「ルーミア、大丈夫?」

 

私の顔を覗き込む永琳、帽子からは、綺麗な銀髪が揺れている。

 

「あ、あぁ」

 

ようやく、少しずつぼんやりとした頭が鮮明になる。

そして私は理解した。私を私でなくそうとする何かが、ちらりとその瞳をこちらに向けたことを理解した。

 

「え、えーりん……私、私……まただ……また…」

 

「ルーミア、貴女…」

 

 

「ほら、ルーミア。貴女の好きないつもの紅茶よ」

 

「うん…」

 

小さな休憩室。他の部屋のような、無機質な白い壁ではなく、壁が暖色みのある木で作られ、床はフローリングのような柔らかい素材だった。

暖かいこの部屋には、机と椅子の他にも観葉植物が置かれてあった。

 

ルーミアは紅茶を受け取って、その白いコップを両手で包み込みながら、その湯気で顔が暖まるのを感じ、やがて一口飲んだ。砂糖が多めの、ルーミアが好きないつもの味だった。

 

甘味と一緒にこの気分を飲み込みたかったが、しかし上手くいかなかった。

 

「あはは……久しぶりに、感じたな…あれ」

 

「………」

 

永琳はルーミアの正面の椅子には座らず、その椅子の背もたれに手をかけて立っていた。

 

「わ、私……やっぱり怖いな。

ときどき思うんだ、私は、私は……ルーミアじゃないんだって。あっちが、あっちこそ、実は本当のルーミアなんじゃないかって…」

 

ルーミアは肩をすくませながら、紅茶の熱を両手で受け止めた。

紅茶に反射する自分の顔を見て、彼女はより、酷く怯えたような表情になった。

 

「あ、ははは……ほら、まだ心臓がバクバクいってるや」

 

「大丈夫よ、ルーミア。

貴女は、いつだってルーミア。何があったって、干物が大好きで少し変わったこともあるけれど、優しい心のルーミアでしょう?闇を操る妖怪のルーミア、それが貴女よ」

 

ルーミアは、少しだけ、紅茶の中のルーミアが、それほど嫌なものじゃないように思えた。

 

「それとね、ルーミア。少し前からの予想が、確信に変わったの」

 

「え?」

 

永琳が話を始める。ルーミアは紅茶から、彼女へと目線の先を変えた。

 

「あなたのその異常な食欲、それは数少ない人だけが抱えている、ある脳波信号によるものだと分かったの」

 

「脳波信号?」

 

「ええ、簡単に説明すると、それは前頭葉にかけて局所的に発生する、普通は起こりえない電気活動なの」

 

「えっと…?」

 

「これが発生すると何が起こるか、なぜ特定の人にしか発生しないのかは全く分からないし、その信号を保有する人間の共通点も全く不明。

とにかく、保有者は非常に稀であるということなの。試しに国内の兵士全員の身体検査に、この項目を付け加えて検査してみたんだけど、結果は保有者は一人も見つからなかったわ。兵士以外にも、国民の健康維持を目的とした無償の健康診断においても、こっそり私はその信号を保有している人がいないか調べてみたわ。この国以外でも、何か機会があればその都度調べた。でも、それでも、一人も見つからなかったの」

 

ルーミアはコップを置いた。そのコトンと、机とコップとか接触する音すらも、酷く彼女の耳に残った。

 

「そしてあなたが以前強い食欲を抱いた例の女性。私はあの後、すぐに独自で調査をしてみたの。結果、彼女は、それを保有していたことがわかったわ」

 

彼女は一拍置いてから言った。

 

「そして、勿論、私も保有者よ」

 

部屋の中が暫し静寂に包まれる。

 

先に口を開いたのは永琳だった。

 

「でもこれだけでは判断できなかった。たった二件の実例、偶然の可能性もあったわ。

だからさっき輝夜にその信号があるかどうか、検査をしてみたのよ……そしたら……」

 

ルーミアにも次の言葉が予想できた。

 

「輝夜は保有者だったわ……」

 

ルーミアは大きく息を吐いた。

 

「信号……本当にそれの正体は、分からないの?」

 

「ええ、残念ながら…」

 

「………」

 

ルーミアには一つ仮説があったが、永琳にそれをどう伝えるべきか迷った。それにこの説は大きな矛盾を抱えていた。

 

 

 

「……じゃあルーミア、そろそろ作戦の開始時間だから……」

 

「う、うん…」

 

永琳は部屋を後にしようとする。

そしてドアノブに手をかけようとして、やめた。

彼女はルーミアの方へと振り返った。

 

「ねぇ、ルーミア、作戦が成功したら、あなたも月に来てくれるわよね?」

 

「……うん、行くよ」

 

「……そう」

 

永琳はルーミアが嘘をついているとすぐに分かった。もう千年は一緒にいるのだ、簡単にそれは分かった。

 

――あの子は、ルーミアは、きっと地球から離れられないのよ。彼女は、きっと地球が好きなのよ。

 

永琳はそう解釈した。

 

――本当は月に来て欲しい。そう説得したかった。

だけど私は、我儘を言い過ぎた。彼女に頼りすぎたのだ。

彼女が私に食欲を抱いて、離れようと告げてきた時…。あの時は、ルーミアの方も本当は離れたくないのではないかと、そう無理やり理由付けをして彼女を引き止めた。

実際は私が…家族と離れたくなかったからだ。

彼女と会いたかったからだ。食べられたっていい、ルーミアになら食い殺されたっていいんだ。

初めて会ったあの日から、私とルーミアは家族なんだ。

 

「……じゃあ、行ってくるわね」

 

――だけどこの子は、私が我儘で縛って良いような存在ではない。

だから私は、言えないんだ。喉元まで来ておいて、すぐにでも口から発せられそうになる「一緒に来て」というナイフを、突きつけることはできないんだ。

 

「……行ってらっしゃい、永琳」

 

「……さようなら、私の大切な人」

 

永琳は小さく、聞こえないようにつぶやいたつもりだったが、ルーミアはしっかりとそれを聞き取っていた。

 

しかし何か彼女が言おうとする前に、永琳は静かに部屋を後にしてしまった。

 

##########

 

「いよいよですね、八意女史」

 

「そうね、月夜見」

 

天地開闢作戦はいよいよ始まろうとしている。人々の感情を結集した光の照射が、天に向けて発せられようとしているのだ。

 

現在、世界中の国が船を発進寸前で留めている。

この作戦が成功し、天辺が消滅したのを確認次第、すぐに月への移住を開始するという算段だった。

 

「八意様!月夜見様!大変ですっ!」

 

玉兎の一人が声を上げる。

 

「アトランティスが、妖怪に中枢部まで侵入された模様!現在大陸そのものが沈んでいる様です!」

 

「……もう時間がないわね。

このままじゃあこの国以外、あと数時間も持たないわ」

 

「現在のエネルギーは?」

 

月夜見が操作パネルの一兵士に聞く。

 

「はっ!九割九分完了です!」

 

「あともう少し……」

 

緊張感が兵士達にも伝わる。

 

「秒読み段階に入りました!

充電完了まで、残り十、九、八、七…」

 

照射装置の操作パネルを、数十人の兵士たちが同時に動かす。

 

永琳と月夜見は、祈るようにそれを眺める。

 

「六、五、四、三…」

 

読み上げる兵士の声に、熱が増す。

 

「二、一……完了!」

 

「照射ッッ!!」

 

永琳の一声で、数人の兵士が同時に押し込み式のボタンを押す。

 

その瞬間、装置は起動した。

現代における宇宙観測所のアンテナ局のような、薄い丸底の皿のような大きな装置は幾本もの柱によって支えられ、そしてその中央部に位置する電線が編まれた箇所に光が集中していく。

 

そして、白とも黄ともいえない光線が、空高く発射された。

 

一筋の光は空へと到達し、やがて、大きな幾何学模様を作り出した。

 

不思議とそれは、夜空に輝くそれは、誰の目にも美しいように感じ取れた。

 

 

 

「天辺の信号、現在我々の照射した感情波によって増幅、拡大していますっ!」

 

「電子記号のパターン、アルファに変化!天辺の波形に異常が発生!繰り返します!天辺の波形に異常が発生!」

 

「天辺を構成する感情粒が、崩壊、崩壊していきます!」

 

「本当っ!?

夢波形の方でも崩壊が本当か確認してっ!照射はそのまま継続!」

 

永琳の一声で、現場は更に熱を増す。

 

「夢波形、現在確認中!

……崩壊!崩壊ですっ!確かに天辺、決壊しましたっ!!」

 

広がる歓声、兵士たちのどよめきが波のように広がる。

 

「やりましたね、八意女史」

 

いつもは感情を見せない月夜見が、このように口角を上げたのを見て、永琳はようやく、肩の荷が降りたように思えた。

 

「そうね……やったわ、やったんだわ!

すぐに他国に成功の報告を!これより、月移住作戦を開…」

 

 

 

『聞こえますか、人類』

 

永琳が作戦の成功を喜んだのも束の間、一切音色を持たない声が、彼女の脳内に入り込んだ。

 

それは永琳だけではない、この場にいる全員…いや、地球に住まう全ての人間に''それ''は聞こえた。

 

男の声か女の声が、そもそもどんな声をしているのか、音を持たないそれは、一文字一文字確実に世界中の人間の脳へと届いた。

 

『私の前にひれ伏すことなく、その数を増やすだけ増やす未完成な生物達、あなた方のことです』

 

「い、一体何が…」

 

永琳が思わず声を出す。永琳だけでない、月夜見も周囲の兵士たちも、皆混乱していた。

 

『こざかしい手で私を打ち倒そうとするなど、愚の極み。やはり人類、すべてやり直す必要があるのは明白ですね』

 

「何を言って…」

 

『しかし最後に、ようやく…こうして直接干渉できる程の力を得ました。最後にこうしてお話ができること、それだけは感謝しましょう』

 

言葉の羅列は続く。

 

『さて、私は…この地球が産んだあなた方の統治者たる存在でした。そうですね……私のことは、せいぜい…''カミ''とでも呼んでください』

 

「い、一体どうなって……」

 

誰一人、この異常な事態に動けなかった。

 

「げ、現在世界中で同様の現象が確認されているようですっ!!」

 

永琳は考える。

この言葉が脳に浸透していくという感覚、これが本当に天辺…いや、カミの正体なのか。

 

どこかしっくりくるカミという言葉…初めて耳にした言葉ながら、それは太刀打ちできない何かのように感じられた。

 

『完全にやり直しです。もう一度、全てやり直します。あなた方は、本当にどうしようもなく失敗作でした』

 

「や、八意女史…こ、これは……」

 

月夜見は微かに震えていた。

いや、月夜見だけではない。永琳もこの周りの人間も…世界中の人々が心の芯から震えていた。

 

ほとんどの人が初めて抱く、畏れという感情だった。

上位の存在を、初めて知った感情だった。

 

『さて、全く……聞こえているのでしょう?これは全て貴女が招いたことです。貴女がいたから、私は今まで人の前に姿を現せなかったのです』

 

抑揚や感情の有無は全く読み取れないはずだった。

しかしどこか、怒りに満ちた言葉のように人々は感じた。

 

『人類の尺度にして、実に五億年です。五億年もの間、私はこの苦痛に晒されてきました。

しかし、それももう終わりです。さぁ、分かっているんでしょう?貴女に言っているのです…』

 

声色すら全く分からないはずなのに、やはりそれは怒気を身にまとっているようで、そして…。

 

『ルーミア……!』

 

「なっ!?」

 

永琳は叫換した。

 

『そう自称していましたね?

さぁ、空へと来なさい。やっと貴女に干渉できます』

 

カミの言葉は依然として続き…。

 

『ようやく…ようやく、貴女を殺すことが叶うのです。ああ、本当にここまで長かった……これだけは、人類……いや……''旧人類''の皆さん、あなた方に感謝しなければなりませんね』

 

やがて、最後の言葉が続いた。

 

『来なさい、ルーミア。決着をつけるとしましょう。天にて待ちます』

 

 

なんだか肌寒い感じだ。

実際はそこまで部屋の温度は低くないはずだから、やっぱりこれは…怖いからなんだろうな。

 

久々にあの感じを思い出した。

頭の底から自分が自分でなくなるようで、体全体が重く、そして体温が上がって胸が痛むような感覚。躁を徹底して増幅させたような、そして一番嫌なのが、それをその時ばかりは本当に心地よいと思ってしまう感覚。

 

「私は、私、だよね?」

 

ああ、こんなこと、口に出せば出すほど気味が悪い。

 

どうすれば気分でも晴れるだろうか。干物だってもうないのだ。

 

ダメだダメだ。

こんなのはお転婆少女ルーミアらしくない、うじうじ悩んで良かった試しなんて、今までなかった。

 

両の頬を叩いて、気分を切替える。

嫌なことを忘れるのは良くないかもしれないけれど、そういうのに肩までどっぷり浸かるのはきっと良くないだろう。

 

それにしても永琳……私が月へ行かないっていうのは、多分勘づいてるんだろうな。

 

やっぱり永琳は賢いし鋭い。私のおバカの頭で考えていることなんて、きっと全部顕にされているんだろう。

 

月に行かないっていうのは、単純に、私は地球でこの星の行く末を見たいからというのが一番の理由だ。

きっとこれから、人妖入り乱れる世界になり、そしてやがて幻想郷が生まれるだろう。

そうした世界を間近で見て、その世界の一部にでもなれたら、きっと幸せなんじゃないかと思うのだ。

実際私が一人ぼっちで地球にいた時も、生きる目的はそれだった。それがあるから、私は生きていけたんだ。

 

永琳とは、連絡でも取ろう。

 

ああ、でも……ずっとあっていないとまたアレが出てしまうのか……。

 

はぁ…考えたくなかったのに、また思い出してしまう。憂鬱さがここまで長く続くのは本当に久しぶりだ。

 

 

 

永琳の言葉を思い出す。

電気信号…脳波…食欲。

 

どんな仕組みなのかは全く分からないが、一つの仮説があった。

要するにそれは、''原作キャラ''が保有しているのではないかということ。

 

こう長く生活していると忘れてしまうことがあるが、この世界はやっぱり東方Projectの世界なのだ。

永琳に輝夜、私はこの二人に異常な食欲を抱いた。

そして永琳の話から、滅多にその信号とやらを持っている人間はいないという。

 

しかしこれには大きな矛盾がある。それは、原作キャラでないある女性にも、私はアレを抱いたということだ。

彼女が実は何らかのキャラの変化した姿か、あるいは変化する前の姿なのか…など、色々と想像はしてみたが、しかしどうもしっくりこない。

 

「う~ん……」

 

私はもう一度頭を捻った。

あの女性が原作キャラの誰かには、到底思えない。

 

だとすると考えられるのは……。

 

「もしかして…」

 

『聞こえますか、人類』

 

「うげ?」

 

……ああ、まずいな。

いよいよ私は幻聴でも聞こえるようになったのか。

 

とりわけ、大昔のぼっち時代、勝手に作り出した登場人物が頭の中で喋りだしたことがあったから、まあ今更驚きはしないが…しかし私もここまで追い詰められていたのか。

 

…カウンセリングでも受けないとな。

 

『私の前にひれ伏すことなく、その数を増やすだけ増やす未完成な生物達、あなた方のことです』

 

何言ってんだか。

変な妄想はやめてくれ。

私は今大事なことを考えているんだ。

 

『こざかしい手で私を打ち倒そうとするなど、愚の極み。やはり人類、すべてやり直す必要があるのは明白ですね』

 

無視だ無視。

え~っと……何考えていたんだっけ。

 

『しかし最後に、ようやく…こうして直接干渉できる程の力を得ました。最後にこうしてお話ができること、それだけは感謝しましょう』

 

はぁ…思い出したらまた嫌な気分になってきた。あの食欲の話だった。

 

質が悪いのは、あの食欲に支配された状況下での考えや行動は、今も尚しっかり覚えているってことだ。

あの時私が経験した欲や心躍る感情は、べったりと、確実に私の心に張り付いている。

 

『さて、私は…この地球が産んだあなた方の統治者たる存在でした。そうですね……私のことは、せいぜい…''カミ''とでも呼んでください』

 

何やら私の妄想も壮大なものになっているが、構ってられるほど今は余裕が無いのだ。

 

『完全にやり直しです。もう一度、全てやり直します。あなた方は、本当にどうしようもなく失敗作でした』

 

そうだ、信号保有者の共通点の話だった。

これさえ判明すれば、どうにか対策のしようがあるはずだ。

 

『さて、全く……聞こえているのでしょう?これは全て貴女が招いたことです。貴女がいたから、私は今まで人の前に姿を現せなかったのです』

 

原作キャラというのが共通点でないのだとしたら、それならば……もしかすると…。

 

『人類の尺度にして、実に五億年です。五億年私はこの苦痛に晒されてきました。

しかし、それももう終わりです。さぁ、分かっているんでしょう?貴女に言っているのです…』

 

ああもう五月蝿いなっ!!

静かにしてくれ!こっちは大事な所なんだ!

 

『ルーミア……!』

 

「は、はいっ!」

 

あ、あれ?

びっくりした、急に名前呼ばれたから思わず返事しちゃったじゃん。

 

しかし……こんなタイプの妄想は初めてだ。

何がどうなってるんだ?

 

『そう自称していましたね?

さぁ、空へと来なさい。やっと貴女に干渉できます』

 

「……え?」

 

これ、幻聴……だよね?

 

『ようやく…ようやく、貴女を殺すことが叶うのです。ああ、本当にここまで長かった……これだけは、人類……いや……''旧人類''の皆さん、あなた方に感謝しなければなりませんね』

 

あれ?もしかしてこれって……?

 

『来なさい、ルーミア。決着をつけるとしましょう。天にて待ちます』

 

ぴたりと声は止む。

 

天で待つ…?

カミ…?神…?神様…?

あれ?

 

これってもしかして、永琳達が倒そうとしてるなんか…空の上の変なやつ…?

 

「ようやく干渉できるって…」

 

思えば私はそいつからの妨害を受けたことがなかった。いくら空高くいって地球外に行ったって、何の妨害も受けやしないし、行こうと思えばどこだって行けた。

 

「え…絶対こいつじゃん!」

 

##########

 

部屋を飛び出し施設内を舞う。

あれだけ沢山の人がいたはずなのに、今は人っ子一人見当たらない。もう既に宇宙船内なのだろうか?

 

出口を見つけたが、壁は厚く閉ざされていた。

仕様がないのでスピードをそのまま、突き破る。

綺麗に大きな穴が空いて、私は解き放たれた感じになった。

 

長い長いトンネルもひとっ飛び。すぐに外へと到達した。

 

「う、うわあ…!」

 

空は大変なことになっていた。

星空が美しいのはそのままで、それを更に彩るように、黄金色の直線が無数に描かれていた。

それらの直線は互いに交わり、そして美しい模様となっているのだ。何かの陶器の柄のような…それぞれは直線のはずなのに、螺旋のようになっている場所もあった。

 

思わず見とれてしまったが、今はお呼びがかかっているんだった。

 

私は体を再始動させ、空高く舞った。

 

空気の抵抗が徐々に強まる、そして真下の景色が広がり、やがて小さくなる。

 

私は雲の上まで到達したようだった。

地上から見た幾何学模様は、今はすぐ真上に見える。

 

『ルーミア、よく来てくれました』

 

声が聞こえる、そして途端、私は見えない何かに体を引き裂かれた。

 

「うぎゃ!」

 

なんとも情けない声であるが、仕方ない。

 

ともかく私はすぐに体を再生させた。

いや、というよりも再生にこちらの意思はない。勝手に復活するのだ。

……が、しかし…。

 

「うぎゃ!」

 

その瞬間、また私は引き裂かれた。

 

「ぎゃ!」

 

そしてその次もまた、引き裂かれた。

何度も何度も、私の体は途端に分裂し、復活し、ちぎられては、復活し、なげられては、復活した。

 

ああ、これは中々大変だ。

あまりにも一瞬なので、痛みは一切感じない。

どこか夢を見てるような、あやふやでふわふわとした生と死を繰り返すだけだった。

 

「ぎゃ!……あれ?」

 

いつの間にか''う''が消えていた悲鳴をしたものの、今度はどうやら死なないみたいだった。

なんだか義務で悲鳴を上げていたみたいで恥ずかしいな。

 

『やはり、気味が悪い。死んでも死んでもなくならない…不思議なものですね、あなたは』

 

言葉が体に入り込む。

なんというか、寄生虫が宿主の中にぬるりと侵入するみたいだった。

 

「気味が悪いだなんて、酷いなぁ。

でさ、あんた、誰?」

 

『地球の統治者です、カミとでも呼んでください』

 

「へぇ、そう。神様ってもう居たんだね」

 

『''もう''……?

…貴女こそ、何者なんですか?

本来私が受け取るべき人々の感情…私はこれを信仰と呼んでいますが、そのほとんどが消滅、そして貴女に集約されています』

 

んん??感情??信仰??

一体何の話だろう?

 

『なのにその全てが、闇に覆われ、実在しているのに表に出てこない……本当に、一体何が目的なんですか?』

 

「え、えっと……」

 

考えろルーミア!

なんかよく分からないけど、今って多分結構壮大な決戦のはずだ!なんて言うかちゃんと考えるんだっ!

 

「………あー、ごめん。何言ってるか全然わかんないや」

 

あはっ、分かんないものは分かんないって言えないとダメでしょやっぱ。変に分かった風を装うと後でボロが出るからね。これをNOと言えない日本人という……かは分からない。

 

『貴女、そこまで私をコケにしますか…!』

 

「い、いや…コケだなんてそんなね…ニワトリみたいな」

 

つまりコケコッコーってこと。

…わ、わかるよね?

 

『貴女、い、いやお前…き、貴様のせいなんですよ!貴様がいたから、世界は破滅した!人類はみな利己的で生産性のない掃き溜め同然となったんです!貴様、貴様……その重大性を認識していないのですか!?』

 

無理無理無理、こいつ電波かなんかでしょ?神様とか言うけど、神様なんてどうせ白い髭生やして雲に乗ってなんか雷とか出そうな杖もってるおじさんでしょ?こいつ姿すら見えないし、どう考えても神って柄じゃないでしょう?

 

『ああ…もう我慢の限界です、貴様の存在は宇宙の癌そのもの、私が責任をもって、徹底的に排除して差し上げましょう』

 

なんだかこっちも腹たってきたな。

どうせ神様なんだったらさぁ、もっとこう…カエルの神様とかヘビの神様とかいるじゃない? 厳密には別にそうでないけどさ、イメージ的にね。一方はケロちゃんとか名付けてるし。

そのうち大戦なんてしちゃってさ、諏訪だのなんだの…そういうのじゃないとこっちもよく分からないからさぁ…。

 

「はぁ……カエルとかならなぁ…」

 

『なっ!この私を蛙以下と言いますかっ!?』

 

言ってない言ってない。

けどもうそういうことでいいや。

 

「ああ、そうだよ。このカエル野郎!

信仰だのどうだの意味わからないねっ!べーっだ!」

 

『ふ、ふふふ……良いでしょう、少しは最期に話をしてみるのも良いと思いましたが、もう終わりにしましょう』

 

「お?あにー?やるっての?

いいよいいよかかってきなさいな、こっちも全力で…」

 

 

 

………ん?あれ?

なんか何も見えなくなったな。

 

 

走る、走る。

この扉を開ければ…。

 

「ルーミアッ!?」

 

部屋の中には誰もいなかった。

少しだけ冷えた、紅茶を残して誰もいなかった。

 

「ルーミア…」

 

あの未知なる声は止んだ。そしてアレは、カミはルーミアと言っていた。彼女に空へと来るように、と。

 

「八意様っ!い、一体どこへ…」

 

玉兎の一人がこちらに走ってくる。

 

「ルーミア…貴女、もしかして本当に空に?」

 

カミとやらは言っていた。決着をつけるのだと。

未だに話は見えてこない。何が起きているんだ。

 

「ルーミア…?

え?ルーミアって、あの空飛ぶルーミアですか?」

 

赤髪の玉兎がきょとんと首を傾げていた。

何故この兎がルーミアを知っているんだ?

 

「何故…貴女がルーミアを?」

 

「へ?ああ、いや、私、あいつに助けられたんですよ。前線に駆り出されていて、でも私以外全滅で……そこにあいつが来て…」

 

なるほど、そういえばルーミアに助けられた兎がいるという報告もあったな。

 

「そう、貴女が…」

 

呼び出し音が鳴る。

玉兎の連絡機器からだった。彼女は応対する。

 

ああ、私は装置を置いてきてしまったのか。

つくづくルーミアと似ているな。

 

「げぇぇ!?本当ですか!?」

 

「え?」

 

「ま、まずいです八意様っ!

付近に大量の妖怪が突如発生、もう時間がありませんっ!!」

 

カミとやらの仕業だろうか。

やはりあの作戦は失敗だった。やらずともどうせ人類は滅亡であったが、奴は恐らく力を強めたのだろう。妖怪が突然湧き出るなんて、ありえない。

 

「と、とにかく船まで急ぎましょう!さぁ、早くっ!」

 

玉兎に腕を引かれる。

その時ちらりと兎の名札が見えた。

 

「……ん?ンセイレ…?変な名前ね」

 

「あ、えっとごめんなさい、これ逆に打ち込んじゃってて…私名前レイセンって言いますっ!

というか、先祖代々この名前なんですけど…」

 

玉兎は、姓を持たないものも多い。

そのため名前は大体長女や長男に受け継がれるのだ。

 

「あ~あ、なんだか面白くないですよね~。私子供出来ても、またレイセンって名前なんでしょ?なんだかな~。それに旦那だって兎なのにそういうの消極的で…。私赤ちゃん欲しいんだけどなぁ…。

……って、い、今はそんな場合じゃないですよねっ!こんな状況じゃ子供なんて作れるわけないですし…ってそれもおかしいか、あ、あれ?な、何の話だっけ?あ、あぁ…こんな世の中じゃ子供出来ても就職とか厳しいですよね……ってあれ?そんな話だっけ?」

 

兎はかなり落ち着かない性質だ。

最初は扱いに苦労した記憶がある。

しかしそんな風にパニックになる様子を見ていると、かえって私の方は、平然と落ち着きを取り戻していくように思えた。他者が怒っているのを見ると、途端にこちらは熱が冷めていくあの感覚に近いのかもしれない。

 

「落ち着きなさい、とにかく船まで行って作戦を立て直すわよ」

 

「あ、そ、そうでしたそうでした!い、急ぎますよ!」

 

なんだかこいつは、気が合うような気がした。

兎に対してこのような感情を抱くのは初めてだ。

 

「子供、出来るといいわね」

 

「へ?あ、はい!」

 

出来てもらわなければ困る。そんな未来になっていてくれなければ困る。

 

そうでなければ私達は全滅だ。

 

 

五感がないようだった。

平衡感覚も薄れている。

 

あれ?私どうなってるんだ?

 

『いい気味ですね。あれだけ厄災の元となったあなたも、一生このままです』

 

聞こえないはずだけど、そいつの言葉はやはり体に入り込んできた。

ああ、気味が悪い。

 

『私が考えるに、そう…貴様は闇そのものなのでしょう?』

 

いつだかに私がたてた仮説と同じだ。

もう少しこいつの話に耳を傾けてみよう。

 

『闇という概念の具現化、それが貴様なのだとすれば…確かに頷ける話です』

 

いやいや頷けない頷けない。

もっと私に分かるように説明してくれ!

 

……ああ、喋ることすらできない!もう、煩わしいなぁ!

 

『暗闇は、必ず存在します。光がある限り必ず存在します。そんな絶対的な物なんですから…成程、人々の感情が吸い込まれるのも確かに分かる話です』

 

感情が吸い込まれる…?

こいつは信仰がどうとか言っていたな…。

 

成程、なんとなく読めてきた。

こいつが吸収するはずだった感情、すなわち信仰の大部分は、闇である私に吸収されたということか?

 

カミなんかよりも、身近なヤミに対して人々は信仰を抱いたということだろうか?

 

『さぁ、もうすぐ夜明けです。これは本当の、地球の夜明けです。人類の夜明けなのです。

妖怪どもが人類を駆逐し、ようやく、ようやく!真の人類が誕生するのです!

そこには貴様のような存在はなく、私のもとで人類は繁栄をするのです!あるべき地球の、夜明けが始まるのです!』

 

宗教家みたいだな…ってまぁ、神なんだからそうか。

 

しかしなるほど…分かってきたぞ。

現在この世界には宗教というものが存在しない、どの国を探したってそうだ。

 

人々は祈りを捧げる対象が存在せず、神なんて概念も存在しない。そういう世界なのだ。

宗教や信仰が存在しなければ世界は平和になるなんて考えを前世で聞いた記憶がある。しかしどうやらそれは間違いらしい。却って縋るものをなくした人類は、そのエネルギーを争いへと向ける。恐らくともかく、人間というのは根源が争いなのではないだろうか。

自分が利益を得るため、幸せになるために他者に対して優位に立つという事象が、むしろ他者に対して優位に立つということそのものを目的としてしまう…手段と目的の交換留学が発生しているのだ。

 

しかし、たとえ宗教が存在しないとしても、人々の、何かに対して縋るといった…所謂信仰心、つまるところ祈りの力というのは存在していない訳ではないのだろう。

対象がないため行き場を失ったそれらは……なるほど、''闇''という最も身近な未知なるものに移動したわけか。

 

『さぁ、ルーミア。いよいよ人類の滅亡です。

妖怪共の数を増やしました。

ああ、この''信じて仰ぐ力''……素晴らしい。私を破滅させようとあの光を放ったようですが、ふふふ…これだけは感謝しないといけませんね』

 

滅亡……。

このままだと人類が滅亡してしまう。

 

しかし………それでもいいのかもしれない。

争いを続ける人類がどうとかを考えるつもりはないけど…だけど……そうなった原因は、私にあるのかもしれない。

 

私が存在したから、こんな世の中になってしまったんだ。

もともとこのカミとやらだけがいて、そいつが世界を統治していたら、もっとマシな風になっていたんだろうか?

 

……私は、本当に厄災なのかもしれない。

あの食欲の時の私が、本当の私だとしたら…?

だったら私はこのままここで朽ち果てて、神が新たに人類を引っ張った方が、それはそれは…良い世の中になるんじゃないだろうか。

 

あの時、あの食欲に支配された時に感じた高揚感を思い出す。

何もかも食べ尽くして、自分の体に取り込みたいと思うような、あの、心の底から熱が生じる感覚を思い出す。

 

アレに支配され続けたら、どうなってしまうんだろう。

 

自分が自分でなくなる感覚は、死よりも恐ろしかった。

死は終わりだけど、アレは終わりでない。そこからずっと続くんだ。

 

『遂に強行突破に出るみたいですね。一斉に船が離陸の準備を始めました。

ああ、全く…もう少し力が入ってくればわざわざ空に来るのを待つ前に、こちらから手を下せるというのに』

 

意識が揺れる。

世界全体が揺れているような、気味の悪い感じ。

 

このままでいいのかもしれない。

こうして、ぼんやりと…ただ思考の泥水の中にぶちまけてしまえば、きっと、楽なのかもしれない。

 

 

 

頭がズキズキと痛む。

痛みなんて感じないはずなのに、だけど酷く痛い様な気がする。

 

何か…何かが痛い。

私の心で、何かが傷をつけている。

 

なんだ?一体…私は何を忘れて…。

 

『ねぇルーミア、私ね、星空が好きなの』

 

…え?

 

『わからないって、すっごく魅力的じゃない?すぐにわかってしまったらそれでおしまいだけど、わからなかったらこの優雅で賛美な好奇心はずっと残り続けるの』

 

声が響いた。

あの無機質で、熱のない声ではない。

 

『中でも、月は格別だわ。あんなに近くに見えてるのに、だけどまだ実態はよくわからなくって、本当に駆け引きが上手なのよね。

あの月に行けるんだったら、私、死んでもいいわ』

 

綺麗な、花すら霞むような、芯の通った声。

 

『………ううん。これはね、大事なものになったのよ。今日の今から、私の大事なものに』

 

そうだ、私は……。

 

『大丈夫よ、ルーミア。

貴女は、いつだってルーミア。何があったって、干物が大好きで少し変わったこともあるけれど、優しい心のルーミアでしょう?闇を操る妖怪のルーミア、それが貴女よ』

 

私はルーミア。

闇を操る程度の妖怪で、そして…。

 

『……さようなら、私の大切な人』

 

私には、大切なものがある。

守らないといけないものがある。

 

 

 

『はぁ、それにしても愚かですね人類は。

せいぜい、最期の夜行を、楽しんでくださいな』

 

「……それなら私は、妖魔夜行ってやつを見せてあげるよ」

 

私は体が自由になった。

 

 

『なっ!一体どうしてっ!?』

 

夜にしては鮮やかな空において、ルーミアは解き放たれた。

ルビー色の目はいつもよりも、より鮮血が注ぎ込まれたように鮮やかさを主張し、そして背中からはあるはずのない真っ黒な翼が大きく闇に熔けていた。

 

『全く、手こずらせますね…!』

 

カミは先程ルーミアを閉じ込めたように、彼女の周囲を鏡のように反射する多面体で包みこもうとする。それは概念の封じ込めだった。

 

しかし、ルーミアはそれをいとも簡単に破壊した。

 

『何!?』

 

ルーミア自身、よく分かっていなかった。

ただ、感情の高鳴り…今まで経験してこなかったような絶望と決意の連続で、彼女の中の何かが開いた。

 

カミは考える。先程と形態が変わったルーミアに対しての打開案を思考する。

 

ルーミアの存在は、カミの目的達成を必ず不可能にする。なんとしても無力化しなければならなかった、闇そのものに対して、人が畏敬の念を抱かないようにしなければならなかった。

 

今一度、ルーミアの体を最初のように引き裂くことにする。

何度も回復できるとはいえ、何かしら消耗する可能性があると踏んだのだ。

 

ルーミアの周囲をねじ曲げる、空間と空間の間を広げて、彼女の体を引き裂く。

 

『な、何故!?』

 

しかし彼女は平然としていた。

ただ、その紅い目を、いつもより鋭くするだけだった。

 

「なんだか、爽快な気分。あんたさえ消えてしまえば、もうオール最高って感じなのよ」

 

カミはより強力な、''封じ込め''の空間を作り出した。

鏡よりもありとあらゆるものを反射する、薄いパネルが次々と生み出され、その一つ一つがルーミアの周りに集まり、彼女に見えない何かを降り注いだ。 それらは全て、ありとあらゆる生物を無力化することが出来るほどの、世界を真っ平らにもできるほどの威力を持っていた。

カミはこれを、''天罰''と呼んでいる。

 

数々の天罰が無数に、雨のようにルーミアを襲う。

 

「なんだか、なんでも出来る気分だな」

 

彼女はあるイメージを得た。

そしてそれを実行すべく、手元に力を集中させる。

 

それは直ぐに具現化した。それは真っ黒い、そこだけが塗りつぶされているような剣だった。

 

ルーミアは剣を空へと向ける。

すると剣先から黒いちいさな稲妻のようなものが走り、エネルギーが結集していく。

そして十分だと判断した彼女は、剣先をパネルへと向ける。剣からは闇色の何かが、轟雷のような音を伴って放たれ、パネルは一瞬で消滅した。

そして剣先を流れるように滑らせて、パネルに向けて同じように攻撃を仕掛ける。

ものの数十秒で、天罰は無効化された。

 

『なんて、禍々しい…!』

 

カミですら、異形の何かのように思えたその光景。

 

彼女は剣先を天に向けて、今度はあの幾何学模様へと発射する。

しかしどうも手応えがない、あそこに本体はないようだった。

 

ルーミアは考える。

カミを消し去る方法、姿が見えないこいつをどうにかして消失させる方法。

 

「ああ、そっか。簡単なことじゃない」

 

 

 

――私の闇で、全部飲み込んでしまおう。

 

大きな大きな、今まで作ったものとは訳が違う、闇の球を作り出す。

楕円のように彼女の正面から広がるそれは、球から大球に、大球から小惑星に…その巨大化は留まることを知らなかった。

 

『貴様、まさか…!』

 

カミには彼女の考えていることがわかった。

あまりにもこれは予想外だった、今までルーミアのことを観測していたが、ここまで規格外のバケモノだとは流石に予測できなかった。

 

しかしここでこいつを消し去らなければ、より良い地球なんて、訪れるわけがない。闇なんて曖昧なものに、こんなに力を握らせるのは危険すぎる。

 

カミは人々の感情波をより一点に集中させた。

今までと訳が違う、自分の身を削っての最大攻撃だった。

 

ルーミアの周囲に光が集まる。そしてそれらが、彼女の体を外側から飲み込んだ。

ルーミアを消滅させることは無理でも、こうして光で包むことで永遠に彼女を封印するという考えだった。

 

『ふ、ふふふ…全く、ようやく…封じ込めましたか』

 

ルーミアは沈黙した。

彼女の正面で増大していた、あの闇だけが、今はそこにぽっかりと穴を空けていた。

 

『……?しかし、何故この闇はまだ残って……!』

 

集まっていた光、しかしその光の様子が変だった。

輝きは少しずつ鳴りを潜め、やがて光にひび割れが入っていき…。

 

 

 

ルーミアは再び降臨した。

周囲にはもはや、暗闇しかない。

 

「あーもう、めんどくさいな。変なことするんじゃないよ」

 

闇はさらに広がる。

あれだけ鮮やかだった空は、もはやその幾何学模様はおろか、星や月すらも見えなくなるほど闇に吸い込まれていった。

 

『貴様!貴様はやはり、やはり存在してはいけない!この私が、私は、カミだぞ!聖なる地球の、統治者だぞ!!』

 

「あーあー、うるさいうるさい。

黙って十字架にでも磔られてくださいな」

 

ルーミアは両手を地面と平行に伸ばした。

 

「そーなのかーってね」

 

闇は未だ広がり続ける。

辺り一面はもう覆われ、この大陸を…そしてやがて地球の全ては闇で覆われる…。

 

…はずだった。

 

「ん?あ、れ…?」

 

途端に力が入らず、ルーミアはバランスを失った。

そして広がり続けていた闇はその力の根源を失い、徐々に消え去っていく。

 

闇が晴れ元の景色が顕になる。

そこには…。

 

『ふ、ふふふ……私の、私の勝ちです!』

 

夜明けだった。

太陽が昇り、陽の光を大地へと降り注ぐ。

 

ルーミアにはもう、翼も剣もなかった。

 

『ああ、美しい太陽の光よ!この病原菌を焼き尽くしてしまうのですっ!!』

 

もはやなんの力もなかった。

ルーミアはここまで使っていた沢山の力の反動を受け、だらりと空から落ちていく。もはや飛行能力すらないほど消耗していた。

 

それをカミは見逃さなかった。

空間を捻じ曲げて彼女を捕縛する。

 

『なんともまあ、無様なものです。どうなる事かと思いましたが、これにて完全完璧に、筋書き通りとなるでしょう……おや、どうやら人間共が空へと上がってくるようです。

いいでしょう、貴様に見せてやります。貴様の存在が、これを招いたのだと、どうか目に焼き付けてください』

 

ルーミアはただ、体の使い方を忘れたかのように尾羽打ち枯らしていた。

意識すら朦朧だった。今何が起きているのか把握するのに精一杯だった。

 

世界各地から、示し合わされたかのように船が昇る。

太陽が昇る時、船が昇る。

数多の人類が、地球という大きな生き物からの逃走をするべく、そして新たな世界である白銀の大地を目指すべく、空へと昇る。

 

『さぁ、そこで見ていなさい。結末を、刮目するのですっ!』

 

船は昇る、空へと昇る。

そして雲の上へと到達した時、カミはハエを落とすかのように船へ攻撃を仕掛けた。

 

『………な、どうして!?』

 

しかし、船は落ちなかった。

攻撃を仕掛けても何故か堪え、その位置に留まる。

何度仕掛けても、どの船に仕掛けても変わらなかった。

 

『ま、まさか…ここまで私の力が弱まっていたとは…』

 

ルーミアを消滅させる為に身を削って行った先の攻撃、その時のしわ寄せが今になって訪れたようだった。

 

##########

 

「現在、空間の捻れが発生!ものすごい力が加えられています!しかし、どうにか持ち堪えられているようですっ!!」

 

「緊急の防衛システムが、上手く作動している……これもルーミアの、貴女のおかげなの?」

 

こちらは永琳の国の大型母船。

いよいよ妖怪を防げず、限界と判断した人類は一斉に船を離陸させた。

 

僅かな望みにかけての離陸だった。

 

「じ、時間の問題ですっ!

八意様、どうしますかっ!?」

 

「離陸炉に回した浮力を全て防衛システムに変換させて、はやくっ!他国にも同様の指示を!少しでも、少しでも時間を稼ぐのよっ!」

 

――もう、後は貴女に全てを賭けるわ。

ルーミア、どうか、どうか私達を救って…!

 

 

声が聞こえた様な気がする。

私の大好きな声が、確かに聞こえた。

 

なんだかぼんやりとする、力が入らない。

 

そうか、私は…今…きっと、浮いているんだ。

お空の上でお日様の光を浴びて、いつものように日向ぼっこなんだ。

 

あれ?お日様?

 

………そうか、朝になったんだ。

だから、こんなにも私は力が入らなくなってしまったんだ。

 

『本当にこの欠陥人類は、最期まで足掻きますね。なんともまあ、見苦しいんでしょう。

しかし御安心ください、こんなもの、直に関係なくなります。直ぐにでも根絶やしにしてやれますよ』

 

そうだ、そうだった。

私は、永琳を月へと無事に送り出さないといけないんだ。

 

ああ、でも、力が出ないや。

 

妖魔夜行は、結局は夜行なんだ…。

夜じゃないとなんとでもない、ただのお散歩だ。

 

……いや、ちょっと待ってよ。

 

朝?夜?

本当にそんなの、関係あるんだろうか?

 

朝が嫌なら夜まで待つ?

朝が嫌なら地下深く潜ってしまう?

朝が嫌なら宇宙に飛び出してしまう?

 

……いや、朝が嫌なら…。

 

 

 

夜にしてしまえばいいじゃないか。

 

今ならわかる気がする、人の感情の力。

 

カミは、私が吸収したそれは、表に出ていないと言っていた。

だけど分かる、分かるんだ。今なら全部分かる。

 

悲しみも、喜びも……沢山あって、みんな純粋な力なんだ。どんなものも、世界を彩り色を付ける、貴重で大切で、尊いものなんだ。

 

誰かの叫びが聞こえる。

それは誰にも理解されず、虐げられた者の悲痛な叫びだった。

 

誰かの叫びが聞こえる。

それは世界に対して、自分自身に対して、言い知れぬ疎外感と悔しさが入り交じった者の苦悩の叫びだった。

 

誰かの叫びが聞こえる。

それは困難に立ち向かい、ようやく夢を自分のものにした者の歓喜の叫びだった。

 

誰かの叫びが聞こえる。

それは常識を疑い世界を混沌へと導くことを良しとした者の狂気の叫びだった。

 

聞こえる、感じる、人の思いが伝わり、そして私の中へと入り込む。

 

何かを考え、行動し、そしてそれに対して結果が発生する。そのどの過程においても存在し、誰もが持ち得て、人間だけが特に鮮やかに持つもの、それが感情なんだ。

 

ああ、なんて美しいのだろう。

初めて月が空に昇っているのを見た時も、初めて太陽に反射する水を見た時も、初めて生命の息吹を感じた時も、これほど美しく、心が熱く、苦しそうなほど悶えて、だけど嫌じゃない、本当に体の底から震えるようには思わなかった。

 

なんて綺麗なんだろう。

感情の渦は、色とりどりなんてものではない。この世の全ての色が一面に集まり、なのにぐしゃくしゃじゃない、それぞれの色は輝きを増して、時折別の色と混じり合う。

 

私は、きっと、これ以上に美しいものを見ることは、もう二度とないだろう。

 

 

 

そうか、これが…これこそが…。

 

人の祈りの力なんだね。

 

 

「ああ、まずいですっ!もう船が持ちません!

このままじゃあ、落ちますっ!」

 

「くっ!」

 

もはや秒読み段階だった。

永琳は拳を強く握りしめ、人類の滅亡を受け入れようとした。

 

「い、いやよ…私、私は……月へ……」

 

窓の先へと望む、愛してやまない初恋の人。

久しぶりに永琳は、自分の根源となる想いを思い出した。

 

視界が霞む、悔しかった。

あと一歩及ばなかった、手が届く距離まではやってきた。

 

こうしてその窓越しの月を握り締めても、涙は流れ続けた。

 

人類は皆、ここで死滅する。

そんな時なのに、今は月のこと、目の前の月のことしか考えつかなかった。

 

続いて、輝夜のこと。約束を守れなかったこと、不甲斐なさでまた、彼女は別の涙を流した。

 

最後に、一番大切な少女のことを思い出した。

こんな時なのに、思い出すのは些細なことばかりで、思わずクスッと笑ってしまうようなくだらないことやどうでもいいことが、鮮明に色濃く、彼女の脳裏を過ぎった。

 

するとどうしたものか、永琳は心がすっと軽くなった。彼女のその何も考えていなさそうな笑顔を思い出すと、どうやら、永琳は楽になったようだった。

 

――ルーミア、貴女は最期まで…一緒に居てくれるのね。

 

警告音のような音が木霊する。

船のあちこちで悲鳴やその音が繰り返される。

 

「あぁ、ルーミア…」

 

彼女はもう一度、最後に涙を流した。

 

 

 

――帽子を返してくれてありがとう、ルーミア。

 

 

 

「ふ、船への攻撃が止みました!!」

 

兵士の一人が声を上げる。

永琳もそれに気づく。

 

そして彼女は窓を覗く、先程まで日が出ていた空は…漆黒の闇に染まっていた。

 

##########

 

『貴様、どうして!?』

 

星も月も何も見えない、暗闇そのものとなった空。

 

ルーミアは、ただ一人そこで佇んでいた。

翼も何もない、いつものルーミアだった。ただ一つ違うのは、彼女の頭の上には真っ白な輪っかが浮いていた。

ちょうど天使のようなそれは、この闇において一際目立った。

 

「分かったよ、人の信仰ってやつがさ。

人間の感情ってのは、こんなにも力強いんだね」

 

希望や絶望、その波がルーミアに流れ込む。

 

原初から存在し、絶対的な闇という概念。もっとも人間が身近に感じる、未知なる神秘そのもの。

 

感情はルーミアの元へ流れ、そして消えていた訳ではなかった。

彼女は感情を持っていた。ただ使うことなく、使い道も分からず、ましてや感情を吸い込んでいることすら気づいていなかった。

 

しかしようやく彼女は理解した。

その大きな波を、ようやく自分のものにした。

 

「さぁ、神様。ここで消し去ってやる」

 

またしても闇が広がる、地球全体がものすごい速度で闇に覆われる。

 

星空は黒一色に飲み込まれ、月もカミの模様も、すべてが闇へと覆われていく。

 

地球に届く光は、一切なくなった。

 

『貴様、貴様ぁぁぁ!!』

 

もはや怒りが含まれることは簡単に分かるほど感情を顕にしたカミは、ルーミアに対して何度も攻撃を仕掛ける。

ありとあらゆる常識を覆す、どんな法則も力学も無視した攻撃だった。

 

しかしルーミアは全く動じない。

どんな攻撃であろうと、やはり世界から闇を無くすことは不可能だった。

 

「さあ、磔の時間よ神様」

 

『い、いや…これで、本当にこれで終わると思っているのですか?……ふふ、ふふふふふふふ………たとえ貴様が私をその薄気味悪いもので覆ったとて、私は地球の統治者だぞ!地球が産んだ、カミだぞ!

私を完全に消し去ることなんて出来るわけがないでしょう!必ず、必ず私はまた蘇るでしょう。

その時こそ、貴様は朽ち果てるに違いないのです』

 

ルーミアが概念であり消しされないように、カミもまた、それに近いものだった。

たとえ闇で覆おうと、存在そのものを消し去ることは出来ない。

 

『それに貴様、貴様のその存在はこの宇宙にとって確実に害となるでしょう。近い将来、宇宙は貴様によって滅亡の一途を辿るに違いありません!

その時は、私が、宇宙を救ってみせましょう!』

 

ルーミアは考えた。

今なら私は、人類のその縋る力を完全に利用出来る。

 

これと私の性質を合わせれば……。

 

「あんたは危険だよ。

そうやって人が思い通りになるまで、ずっとこれを繰り返すつもりなんだろう?私の存在なんて、一つの言い訳にしかすぎない」

 

『思い通りに…?何を言っているんですか?

人は人としてのあるべき姿があるのです。ならばそうでなければ、やり直すしかないでしょう。それが統治者としての責任です』

 

「そう、やっぱりそうなんだ」

 

ルーミアは決意した。

 

「だったら、私諸共、消えてなくなれ!!」

 

『何を言って…!?』

 

ルーミアの姿が闇に溶ける、そしてより、世界の暗闇は深くなった。

 

『き、貴様!何をして………が、がかかかかか』

 

ルーミアは全ての人の信仰心、祈りを捧げる純粋な感情の力と闇の力を想った。

するとその力は具現化し、合わさったそれらはカミという概念を蝕んでいく。

 

「神様、確かにあんたの言う通りだよ。

私は変なんだ、この世のイレギュラーみたいなもんだ」

 

『がががががぐぐぐぐ』

 

そして、自分の存在そのものを削った。

自分が存在していること、この世界において存在しているということ、その力を使った。

 

「本当は居ちゃいけないんじゃないかって思う時もあったよ。

だけどそういう態度を表に出してると、より一層心が重くなるだろう?だから平気で振る舞うのがコツなのさ」

 

『ぐぐぐぐぐぐくくくくく』

 

カミの存在が消えていく、そしてルーミアそのものも、徐々にうっすらと、確実に世界から消失していく。

 

「心にぽっかりと穴が空くって表現あるだろう?あれは絶対間違いだね、だってぽっかり空いたら質量が減るはずなのに、足取りは重くなるんだからさ」

 

もうカミの言葉は入ってこなかった。

 

「それはともかく、一緒に心中だよ、神様」

 

カミという何かは、もう消えてなくなっていた。

そしてルーミアもやはり、存在そのものが薄れていった。

 

空には彼女が一人、暗闇の中で佇む。

深い深い闇の中で、金色の髪だけが印象的に写し出された。

 

ルーミアの見る景色が霞む。

ぼんやりと、眠りにつくように、遠のいていく。

 

 

 

「……ああ、最後に話ができれば…」

 

##########

 

「カ、カミ、完全に存在が消滅!今すぐ地球外へと脱出できますっ!!」

 

「!!

全宇宙船、脱出よッッ!」

 

――ルーミア、貴女がやってくれたのね。

 

永琳は窓の外の闇を見つめる。

しかしなぜだろう、人類は助かり、月へと行けるというのに、何故だか彼女の心は安らがなかった。

 

船は大きく揺れる。

大気圏の第一層へと突入したようだった。

 

周りでは歓喜の声がとめどなく聞こえる。

幾らかの人は永琳に話しかけてきたが、何故だか耳に入らない。

 

 

 

『永琳、聞こえる?』

 

「!

ル、ルーミア?」

 

声が聞こえる。

ちょうどカミが人類に対して言葉を流したように、それは体の中に入り込むようだったが、しかし不快なものではなかった。それにその言葉の流れは、しっかりとルーミアのいつもの音色と温度を孕んでいた。

 

『あはは、なんだか変な感じだね。もしかしてと思ったけど、やっぱり出来たや』

 

「ルーミア、貴女が倒してくれたんでしょう?」

 

『うん、ちょっと時間かかっちゃったけどね』

 

「ありがとう、ルーミア。貴女は、人類の恩人なのよ?」

 

『なんだか変な感じだねそれ。私は、永琳の恩人で十分だよ』

 

「ふふっ、そう、そうなのね。ありがとう、私の恩人さん」

 

『どういたしまして、月の頭脳さん』

 

「え、月の頭脳?何よそれ?」

 

『そのうち分かるよ、きっとね』

 

「また変なこと言って、いじわるね」

 

永琳は今日一番綺麗な笑顔を浮かべていた。

だけどやっぱり、どこか心のもやもやは晴れない。

 

「ねぇ、その、偶には月にも来て欲しいな…」

 

ルーミアが月へ一緒に来てくれないのは分かっている。

だったらせめて、偶に会うくらいならいいんじゃないだろうか。

 

「あ、あぁ、それに時間が出来たら、私の方から地球にも行きたいわね……中々時間がないかもしれないけれど、必ず行ってみせるわ!」

 

ルーミアから言葉はない。

永琳の胸騒ぎは止まらなかった。

 

「あ、えっと、連絡装置はまだあるわよね?だったらそっちの周波数に合わせてこっちから連絡を送るわ!時々お話しましょうよ、ね?」

 

未だに言葉はかえって来ない。

心臓の鼓動が速まるほどの、永琳のその胸騒ぎは止まらない。

 

「うふふ…月と地球で連絡し合うだなんて…な、なんだか…ロマンチックだと、思わない?」

 

『あのさ、永琳』

 

「な、何?ルーミア?」

 

ルーミアからの言葉に、一瞬嬉しさでいっぱいになる永琳。だけどその言葉尻が、どうも彼女の胸騒ぎを高めていった。

 

『私……さ、もうすぐ、消えるんだ』

 

「え?」

 

その意味を理解できなかった。

永琳の周りでは様々な音が聞こえる、人の声、船の音、外から振動が伝わる音。

 

そのどれもが、ないものかのように、永琳に伝わる音はなかった。

 

『あはは……あいつ、結構手強くてさ…こうでもしないと、無理だったっていうか…』

 

「何を、言っているの?」

 

『そ、それにさ!私って、やっぱりすっごい危険だと思うんだよね!あいつにも言われたけど、ほんとさ、あの食欲のこともそうだし、世界に、いちゃいけないような気がするっていうか…』

 

「だ、だから…何を言って…」

 

『いつか、本当に永琳を食い殺して、みんなみんな食い殺してしまうかもしれないと思うと、やっぱりさ、こ、これが一番なんじゃないかなって…』

 

「だから、何を言っているのよっ!!」

 

永琳は叫んだ。周りの人なんて気にならなかった。何も気にならなかった。

 

涙を両目に浮かべて、ただ叫んだ。

 

『え、永琳…』

 

「消えるって何よ!どういうことよ!」

 

『なくなるんだ…私。

私って存在が多分、消えるんだと思う…』

 

「い、いやよ、いやよ!

どうして、どうして貴女が消えないといけないのよぉ!」

 

周囲の人間が永琳を心配し声をかける。

永琳はそれに気づかなかった。

 

『ごめん、永琳、ごめんね』

 

「う、うぅ……なんで……ひぐっ…」

 

ルーミアはこれが二度目だった。永琳が泣いているのを見たのは、これが二度目だった。

あの時洞窟で泣きじゃくっていた永琳と、この姿が、ルーミアの目には重なっているように見えた。

 

『永琳、君はこれからもずっと生き続けるんだ。そして、輝夜を立派にして、月を繁栄させるんだ』

 

「ぐすっ……う、うぅ…」

 

『そ、それにさ…私達がいた千年は、ずっと残り続けるんだよ?永琳が覚えていてさえくれたら、きっと、それなら大丈夫だと、思う』

 

ルーミアの方も歯切れが悪くなる。

最初は永琳だから、あの八意永琳だからという既知の知識が理由で彼女と接していた。

だけど日に日に、ルーミアの中を占める彼女の割合は大きくなっていた。

 

白髪の小さな女の子は、やがてルーミアの中で自分よりも大切な、全てになっていた。

 

『あ、あぁ…なんだか…ぼんやりしてきたや…』

 

「ルーミア!?ま、待って、待ってお願い!」

 

『永琳、私、この世界に居て良かったのかずっと不安だったんだ…。本当は居ちゃいけないんだって、良くない存在なんだって……だけど…』

 

ルーミアもまた、泣いていたのかもしれない。

もはや涙なんて流せるほど、存在は明確ではなかった。

 

ただ薄れゆく意識の中で、彼女は最後に言った。

 

『君に会えたから、良しとするよ。ありがとう、永琳』

 

「ルーミア、ルーミア!?」

 

もうルーミアの声は聞こえなかった。

 

やがて船は宇宙へと到達し、みな月へと向かった。

 

窓からは永琳が夢にまで見た銀世界が近づいてくる。

しかし全く目に入らなかった。月のことは、もう忘れていた。

 

「ばかぁ……バカルーミアぁ!

まだ……まだ、帽子のこと、ありがとうって、言えてないのにぃ…!」

 

##########

 

数多もの船、大小様々で形も多種多様…それらが地球から離れていく様子は、とても美しく、神秘的なようであった。

 

ルーミアが最後にカミを封じ込めようとした攻撃は、自分自身の存在を消費して、さらに闇という概念を活性化させるものだった。

 

そのため星空や月が一切見えない、この暗黒に満ちた空はこの日から数十年も続いた。

 

月側ではこのことを''永夜大異変''と命名し、以後月の歴史が紡がれる中で教科書や文献にて何度も記述され、数億年単位で研究が続けられることになる。

この妖怪襲来から月移住までの出来事は、後に月内において沢山の小説や娯楽作品において題材にされ、現在においても知らない者はいないという。

 

そして地球では、数少ないながら人間は生き永らえていた。

船に乗り込めなかった者、自ら地球に留まった者、理由や動機は数あれど、人間はまだ、地球で生存していた。

 

彼らは明けない夜であるこの異変を、各地で伝承し続けた。場所や人種、言語は違えど、この大異変は至る所で目撃され、そして親から子へ、さらにその子供へ……受け継がれていった。

 

そしてこれは、世界最初の神話となった。

 

ありとあらゆる宗教や文献、壁画にも描かれ、内容に差異はあれど、現代においてもなお伝わっている。人類の歴史が続く限り、この神話も続くのだ。

 

日本においてはこのように伝承されている。

 

''明けない夜が満ち満ちた時、人類は産まれ落ちた''と。

 

 

 

 

第一章 月への足跡 終

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肌に何かが触れる。

これは、ああ、きっとそよ風だ。

 

ぱちっと目を開ける。

綺麗な青空、綺麗な雲、綺麗な陽の光。

 

ムクリと体を起こして周りを見てみると、草原が広がっていた。その草むらは風で優しく揺れて、私の体も少し揺れるようだった。

 

「ん?あれ?」

 

足に力を入れて、立ち上がる。

 

遠目に森や山も見える。

 

「………あれ?なんで私、生きてんの?」

 

私は、闇を操る程度の妖怪、ルーミア。

それで、どうやら生きているらしい。

 

今はそれだけが確実な事だった。

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