作ってから僅かに脳をよぎったけれど、人差し指の指令の特許を侵害したとしてA社から警告状が来ることはなかった。もし来たら大笑いしつつ、博覧会の賞金をA社に納めてもよかったが……
いつもながら、後始末こそが都市では一番手間がかかる。今回の場合、発明品の特許絡みの問題だ。特にこの『モダンタイムス』は、あと数年後に不具合を起こす可能性がある。
というのも、"夢の洗濯屋"のような場所型のねじれや、ねじれによる環境侵蝕──憂鬱に起因する水が分かりやすいだろうか。そうした変化によって、地面に伝わる振動は急に変化する。人差し指の指令ならともかくとして、持ち主の周囲の振動しか拾えず、パターンの振り分けしかできない『モダンタイムス』じゃ全く新しい振動パターンに対応できなくなる可能性が存在している。なので、これが確実に動き続ける保証期間は光の種が蒔かれるまでだ。
多少の誤差なら振動パターンの振り分け時に修正可能だったり、そもそも周辺にねじれがいる状態だとこれが判断を下すまでもなく危機的状況だから文句を言う前に死ぬだろうだとか、安心できる要素は考えればいくらでも出てくるが、それは慢心する理由にはならない。これで莫大な額の違約金を払うのは、そういう事例が発生してしまう時点で評判への瑕疵になるし。
加えて、特許についてだ。博覧会に出品したので先んじてT社の特許庁に登録はされているが。俺がT社に住んでいないことから、特許侵害や販売許諾に関連する事態に完璧に対処できるとは言い難い。特許関連のルールは面倒だ。特許戦争の事例をいくつか引いてみれば、どれだけ頭が痛くなるかを理解できるだろう。
こういう時に役立つのが、公証事務所だ。雇用者の契約文書を作るのが仕事だと思っておけば、とりあえずは問題ないだろう。
T社限定で効果を発揮する発明品だから、T社地区を管轄区域にする公証事務所が望ましい。ウーフィ協会の発行しているパンフレットや、それこそフィクサー事務所のカタログから公証事務所のページを読めば分かるだろうけれど、自分の住んでいる区域以外の公証事務所へ依頼することもできる。今回はT社限定の事柄だ。よって、多少なりとも金額は上乗せされるがT社の事務所に依頼すべきだろう。
博覧会の会食で分かったが、かなりの人間が『モダンタイムス』に関心を示している。重要度は相当だ。
T社にある公証事務所のうちどこへ依頼するかという話だが、T社直属の一級事務所が候補として思い浮かんでいる。問題は、そこが数年後に機能不全に陥ることくらいか。……契約締結時にウーフィ協会を通せば、履行に問題ないだろう。
そんなわけで、またT社の巣にやってきた。今回の目的地は、この地区にある公証事務所──杖事務所だ。
翼直属の一級事務所に依頼するのにはかなり高額の依頼料がかかるが、
「おや、お客様ですね! バダ君、お茶を!」
客と断定したのは、発明家賞受賞で新聞に顔が載ったからだろう。機会を伺うのなら、知っていてもおかしくないか。
「発明品の特許に関連する公証の依頼をしに来た」
必要な書類を鞄から出す。博覧会への出品届や発明家賞を受賞した証明書、特許庁から届いた権利書などの必要な書類は全て持っていている。流石にT社から俺の家に戻ってってのも面倒だし、郵送も不確実性を伴う。なので、こうして鞄に全部入れてきたわけだ。
「えぇ、発明家賞を受賞されたことも存じ上げておりますとも。いや~、博覧会に出品する方はいても、そのうち何人が権利のことを気にするのか!」
スマートフォンやタブレットを想起させるディスプレイの顔に、笑顔の顔文字が表示される。ネモ、あそこからビーム出すのか……
「T社の区域でのみ効果を発揮する以上、権利関係はT社の定めるところとなる。だから、私の住む巣じゃなくてT社の公証事務所に依頼したい」
「心配ご無用です! 我々の事務所はそうした依頼をどれほど扱っているかは、夜を明かしても説明するには足りません!」
そうして、依頼費の話に移り変わる。といっても、相場の金額に加えて区外からの追加料金を払うということだが。得られると推測される利益こそ相応の額ではあるが、作成する書面自体に面倒なことはない。巣の状況が変わる可能性も考えて入れている免責事項などに関しても、依頼している以上万全を期すのが当然だろうというだけだし。
そんなわけで、数日もすれば公証の作成が完了したと連絡が来る。あとは、T社内の工房事務所や企業と契約を結んで製造許諾の契約を結ぶ。
杖事務所で公証を作成し、ウーフィで契約を履行させる。これで、L社が折れても当面の収入は安定するわけだ。
翼が折れれば、5級職員というブランドも朽ち果てる。俺は、発明家やフィクサーといった肩書をいくつも確保しているが……翼の最高等級職員ほどの好印象ではないだろう。その前にやっておくべきことの一つを片付けられてよかった。今回、すんなりと依頼できたのもそうした翼の羽としての信用があるからだろうし。
高ランクの工房や、翼ならずともそれなりに名のある会社からは、法務担当を通して契約の内容確認が来たりする。実際の事例においてどう適用されるかなどのそれらは、杖事務所が仲介となって返答された。これも利点の一つだったりする。煩わしいことを、契約故に信用できる専門家に委託できるというのは。
「契約者双方が行う契約への立ち合いを開始します」
ウーフィ協会内、契約室。静謐で冷たい雰囲気の漂うそこに入ってきたフィクサーが告げる。
「立会人は南部ウーフィ協会3課所属、エレイン。今から私の聞く全ての声と、あなた方がやり取りする全ての活字は互いに有利・不利に働くことがあり。事前にウーフィ協会を通じて受け付けたこの契約書は直ちにその効力が発生し、契約不履行または契約進行などの業務妨害に対しては……」
エレインと名乗った彼女の持つ長柄の斧の先が、部屋の床に打ち下ろされた。
「契約に基づくウーフィの立ち合い業務の遂行として、契約書に書かれた通りの処刑が行われることを告げる」
立ち合いの際の定型的な宣告ではあるが、それだけでも空気が引き締まるのを感じる。
「分かった」
「……分かりました」
契約を結ぼうとしている工房の代表は、それに気圧されるタイプだったのだろう。わずかに気が逸っているのを感じる。
「一つ目、契約要旨……」
契約検討はつつがなく進む。というより、契約書をちゃんと読んでおけば妨害しようとは思わないだろうが。
「──それはおかしいだろう!」
あぁ、どうしてかは今から分かるか。契約を締結するか検討するために、いくつかの企業や工房から質問されていた条項の部分で、眼前の彼は声を荒らげる。どうやら、思っていた解釈と違ったらしい。とはいえ。
「この一度のみ、立会人である私は警告義務を有します」
「ウーフィ協会は、相互間に問題がないことを確認した契約書としてこれを受理しています。よって、契約履行の瞬間を違えることは執行妨害と見做し、適切な処罰を行うと警告します」
こればかりは、事前に確認しない方が悪いだろう。契約書の作成を杖事務所に委託した以上、委託された側は依頼人に有利になるように契約書を作るだろうし。
「……了解、しました」
目の前の彼は、悔しそうに顔を歪めている。まあ、執行妨害の罪に問われるということは、ウーフィと敵対するということだ。正当な理由がない限り、それはフィクサーにとって大きな汚点となる。それくらいは理解しているのだろう。
それからは、契約の締結とその段階での義務履行を確認。ここで行われる手続きは全て終了した。
「──立ち合い完了。契約に伴う義務履行も確認しました。双方、契約室より退出してください」
そうして契約は締結。俺は金が得られるし、あっちも……まあ、本来想定していたよりは少ないかもしれないが、十分な利益を得られる。ウーフィの彼女も、契約が履行されたので実績になるし。全員がプラスの収支になる形で終わったわけだ。
どうしようもない状況ならともかく、後先考えずどうでもいい所で怒りに任せて命を落とすのは見たくないから、一度目の警告で冷静になってくれてよかった。そもそも、ウーフィを雇ったのはL社消滅以後のためなので、ここで面倒事に陥りはしないだろう。……そういう意味では、数年後に働いてもらうことになるかもしれないが。
こうしてフィクサーを雇用して改めて実感したこととして、一級事務所や協会を利用するのはかなり金がかかる。その分だけ得られるメリットも大きいが、発明家賞で得た黒字分は容易に吹き飛んだ。
給料と支払われる特許使用料で回収できるので懐が来月まで痛くなる程度だが、あくまで翼の5級職員だからの話。翼が折れたら、ここまでのことはできないだろう。
南部では発明家として、東部ではフィクサーとして知られ始めているわけだが。翼が折れてからどうするかを、そろそろ真剣に考え始めるようになってきた。労働時間はともかく、福利厚生的な面ではK社の研究職が安牌なんだが。それと、名が売れているという意味ではT社の特許庁に属するのもあり。
……紫の涙がネック過ぎる。一度姿を見せただけで、ずっと脳裏に過ってフィクサーの選択肢を刻み付けられた。
元から憧れはあるし、趣味も兼ねていた諸々が実益として更に反映され始めたのも便利ではある。ただ……折れた翼の羽がフィクサーになった際に、成功できるかどうかは微妙だ。実力はともかく、所属する事務所からの待遇はいいとは言えない。これはユーリちゃん絡みの前世知識ではなく、都市で生きる中で聞いたいくつもの話として。
だから、迷っているわけだ。
ネロ
杖事務所を見てみたかったから依頼した側面もある。T社直属なのもちょうどよかった。特許絡みに強い事務所なのもあって、発明家が得られる特許使用料として高水準の額を得られるようになっている。その分、依頼料もかなり高かったが。
杖事務所
知っての通り、ネモネモォ……のいる一級事務所。T社直属で支援を受けている。
今年の発明家賞受賞者からの依頼として実績になるし、担当区域外からの依頼なので追加料金も得られた。