T社の巣への観光及び発明家としての業務ビザを使い倒した休日が終わり、休日にやっておかなければらない予定はあらかた片付いた。仕事に関しては……やるべきことを確実にこなせば起伏なく一日が終わる。
"ラブ"を身にまとい、E.G.Oウェポンは"不調和"を用いているわけだが。2振り製造できたうち俺の使っている方は、妙に刃が長大なのだ。形状はどちらもホンルが使っているような偃月刀なのだが、橙色の刀身が、俺の方だけ2メートルを優に超えている。鯨に近い状態の時と相性がいいというのもあって、サイズ感もそちらに寄ってしまったのだろうかと考えていたが……
「もしかして、鯨包丁?」
ようやく、前世の知識に辿り着いた。19世紀のアメリカに近いだろうU社では見られなかったので、今に至るまで思い至ることはなかったが。
鯨包丁。その名の通り、鯨解体用の包丁だ。形状としては薙刀や偃月刀に近く、鯨の皮剥ぎや頭部の切断といった大掛かりな作業に用いられる。刃渡りは1メートルくらいで、刃幅は……10cmとかだったはず。それが、前世においてクジラを解体するために必要な包丁の大きさだ。
では、それを大湖の鯨のスケールに変えてみると……どれほどの大きさが必要かは、"藍色の老人"の銛穿ちクロスボウや様々な鯨を見れば容易に察せられるだろう。巨大な橙の刀身に、闇色の柄。鯨を捌くためのものであるからして、人間を両断することはもっと容易いだろう。手で保持しきれるのかに関しては、ハーロットの袖から糸を作り出して巻き付けている。こんな持ち方をしなければいけないことからして、明らかに人の手で扱うようなものじゃないが……だからこそ、幻想体を相手にするにはちょうどいいのかもしれない。
訓練というものは、定期的に開催されるからこそ訓練なわけで。こと合同指揮訓練においては、俺が他の職員と顔を合わせる数少ない機会だ。
"陰"はともかく、"溶ける愛"の担当として愛着作業を実施しているから、感染防止のために廊下と部屋ひとつが事実上の専用区画になっている。翼の備品なだけあって広々と寝転がれるソファーから離れるときが、最近は多くなった。
管理人からしても、せっかくの5級管理職なので色々とギフトがあった方がいいと判断したのだろう。新人教育や職員の死亡で手が足りなくなった時以外にも、他の部署の幻想体を担当する頻度が高くなった。
俺が就職して一年半くらい経っていて今更と思うかもしれないが、本社の管理人Xが優秀過ぎるだけだ。TT2プロトコルによるループや時間操作、
エルフ先輩と同じく、頭には桜の簪。この手には、懲戒チームの隔離幻想体である"風雲僧"の数珠を持っている。最近の合同指揮訓練では、情報チームに新しく入った"ラ・ルナ"のブローチを手に入れた。クリフォト抑止力下とはいえ、ギフトによっては考え方が少し影響されそうになる。もちろん実際に影響されることこそないが、他者の自我を借りるというのがどういうことかは、こうして多くのギフトを得ることでより実感できた。
それはさておき、作業するにあたって最も気が乗らない幻想体は何か。そう問われたら、俺は"小さな王子"を挙げるだろう。O-04-66が割り当てられているこれは、管理が面倒というのもあるが……
「青色に、遠い宇宙から来た……星の王子様」
思い出すのは、青いマフラーの少年だ。外郭の彼方に関連する可能性の高い彼も、星の王子様にまつわることをダンテへ話していた。まあ、彼の場合は色んなモチーフがごった煮になっているっぽいが……これは考えても答えが出ないことなので置いておこう。
マスクを着けて部屋に入れば、そこに巨大なキノコがあった。指示されたのは洞察──今回は、室内の浄化だ。床に積もった胞子を掃除し、適切な温度や湿度に保つ。胞子を大量に吸い込まないなら、確かに大きいだけのキノコでしかない。それに、わざわざ感染したいとも思えないし。
……なんで、この一度きりの作業でギフトが付いたのかは知らない。幻想体を真に理解することなんてできないから。
隣人や同僚の罠にかけられ裏路地の夜に放り出されるとか、情報の不明な幻想体の初期観測に抜擢されるだとか。そういった覚悟の必要な絶望よりも、突発的な事故の方が往々にして命を脅かすものだ。
どういうことかというと。突如として鳴り響く第二段階トランペットと廊下の明かりの揺らめき、隔離室から抜け出す"陰"。ついさっき気分を良くさせてきた数十分後にこれだ。橙の紐が巻き付いた、単眼の黒魚が宙を泳ぐ。
「とりあえず、鎮圧開始」
他の部署が阿鼻叫喚になっていないことから、他の幻想体──おそらくは"陽"の返却を忘れていたのだろう。精神汚染の軽減と、装着中に感じる暖かさや心の澄む感覚。管理職からしても、危機感を覚えないというのが罠だ。まして、精神汚染の対策をしなければならないのはランクの低い職員だし。作業によって新しいギフトを付与させるために着けさせたのだろうが……
「──間に合う?」
幸いにも、ハーロットの炎が"陰"を束縛し、移動する速度を低下させては鎮圧してを繰り返しているが……"陰"と"陽"は同時に倒さないと復活してくる。どのみち片割れが来れば終わりだ。""溶ける愛"のE.G.Oを原型にしているだけあって、ブラックダメージは軽減できるけれど。また時間が敵になってしまっている。そんな中、スピーカーに放送開始前のノイズ。
「緊急連絡です! これより60秒後、情報チーム及び福祉チーム内を封鎖。ウサギチームが派遣されます。当該部署の職員は、直ちに上層へ避難してください!」
アロナックスの声。今までと違い、僅かに必死さが混じっている。それもそうだろう。ウサギチーム──R社第4群。煙戦争で猛威を振るった傭兵部隊だ。時間加速がかけられた孵化場での、オリジナルを含むクローン同士での殺し合い。それによる戦闘経験と任務中に損失した人員の容易な補填が、戦闘特化の傭兵企業として翼となった要因の一つだ。ウサギチームの場合、筋力を増幅させる施術によるアドレナリンの分泌が、同時に自分たち以外の敵と民間人を区別できなくさせる。要は、幻想体だろうと職員だろうと無差別なわけだな。
まあ、それはともかく。俺の端末に表示される指示は、鎮圧作業のまま変化していない。……ウサギチーム到着までの足止めが役割か。俺が"陰"の足止めを放棄すると、ウサギチーム到着より先にあれらの幻想体が合流を果たすだろうし。
「57、58、59……」
"陰"の放つ波動を可能な限り受け流し、炎での足止めを繰り返す。対象を無力化しても、"陽"の方が無事なので一時的なものに留まる。鎮圧指示は出たままだ。この時点で、上層への退避は間に合わないが……
「60秒」
アラートとも違う、橙の光。"陰"が目指していた扉はウサギの描かれたバリケードが封鎖していた。管理人は、被害を確実に抑えることを──つまり、俺を捨て駒にしてでも陰と陽の合流を防いだわけだ。判断を責める気はないし、俺も妥当だと思う。あの龍が出てきたときの被害がどれほどになるかは計り知れない。あとは、俺が生き残るだけだが……
「草を食む時間だ!」
「齧れ……喰らえ!」
有り余る弾丸と翼の戦闘部隊を前に、どこまで捌き切れるか。まあ、やるだけやってみよう。
管理人
そろそろ幻想体の管理に慣れてきたので、ギフトによる職員の強化を図り始めた。ツール型の返却時間管理ミスを起こした。
ウサギチーム
ウサギが草を食みに来たぞ!