多くの人が、一つの建物へ向かっていく。その足取りは様々だ。憂鬱で重くなっているものもあれば、いつも通りのものも。逆に、足を止めている人間は分かりやすい。これで大丈夫かと不安になり、仲間内で話し合う連中。あるいは、これ以上アイデアが出ないと壁に頭を打ち付ける者。
多様な光景を見ながら歩いていけば、薬指のギャラリーは目前だ。ギャラリーといっても、美術館や学校など構造は多岐にわたる。俺たちが用のあるここは、大学に近いだろうか。廊下──一般的な意味での廊下には、いくつかの彫像が並んでいる。……まあ、いくつかは口を縫い付けられた人間が中に入っているっぽいが。
アデリの先導で進んでいけば、いくつかの長椅子が備え付けられた空間に出る。広々としたそこは受付だ。いくつかの螺旋階段が上へ続いており、そちらに薬指の構成員が製作した芸術作品が展示されているのだろうことは推測に難くない。
アデリはここで足を止める。彼の作品を手伝ったわけで、団体作品として扱われるだろう。そのための手続きをしなければならない。
「ちょっと前の課題評価の時に、名前は伝えてる。受付で名前を出せば、対応してくれるはずだ」
アデリは椅子に座って、頭を抱え始めた。まあ、命が懸かっているのだ。不安になるのも分かる。
「薬指の保護を受けているアデリを手伝っている。ネロ。団体作品の手続きに来た」
さて、ここからちょっと面倒だ。薬指の保護を受けていない人間が、下絵の担当として保護代の作品に参加した。団体課題扱いになるわけだが、そもそもとして団体作品が提出されること自体が稀だ。協力して課題を作ると言えば人聞きがいいが、そこまで信用できる相手を見つけることがどれほど難しいことか。それに、組んだ相手の技量が劣っていれば、そのせいで自分も死ぬことになる。なので、基本的には個人作品になるわけだ。
まして巣に住んでいて保護代と無縁な人間が、何をトチ狂ったのか作品制作に肩入れし始めるとなると猶更だ。結果として、こうして受付で色々と同意書だのなんだのを書かないといけなくなった。
「評価の主体は我々の保護を受けている彼の方になります。貴女は落第による罰則こそ共有しますが、巣に住まわれている以上はこちらから提供できるものはありません。そのことは了承されていますか?」
当然、分かっている。メリットはないが、おおよその芸術はメリットを期待して描くものじゃないだろう。時間とメンタルを擦り減らして、そうしてできた作品も評価されるかは分からない。
それに、自分の作品に自信を持たずして何が
つまり、いつもと変わらない。俺が俺であり続けるために、全力を尽くした。あとはその結果を確かめるだけだ。
「問題ない」
その後は少々お待ちくださいと言われ、試験会場に行く前に時間を潰すことになった。近くの壁には、様々な絵がかけられている。見て回っていれば、階段から降りてくる足音。そちらの方に目を向ければ、白色のジャケットとパンツスーツを着た人物がいた。真っ先に視線を向けるべき指輪は、二つ巻き。
「……ドーセント」
「えぇ。作品解説も終わったので、久方ぶりの団体作品提出者を見に来たのですよ」
絵を見ている俺の隣に立ち、彼女は話を続ける。
「最初は愉快に思ったのですよね。三度目の再試験で、突如として素晴らしい作品を提出したものがいると。そして半年後、再びその者が傑作を作り上げました」
俺が協力したやつだな。その時はアイデアこそ出したが、作品の制作自体はアデリが一人でやった。なので個人作品といって問題ないだろう。
「ただ、彼自身は平凡なのですよね。半年に一回のあれらと違って、自分が生きることに目を向けたつまらない作品。切迫したそれは、泥中の蓮を見るスパイスにはなりますが……それ自体に価値はないのですよ」
アデリは保護代のために芸術をしているのだろうし、そこはいいとして。
「私は、あれらのテーマを考えた人物が見たかった。天性の才能とも違う、造詣と経験に裏打ちされた理論を持つ貴女が」
褒めてくれているのはありがたいのだが……極端な話、前世において絵画を見る機会は多かった。世界史や美術の教科書もだが、おそらくはサイゼリヤがその筆頭だろう。じっくりと絵を観察したことはなくとも、入店して目につく程度でも数え切れないほどの回数を見てきたはずだ。他にも、芸術に関連するアニメや芸術家のキャラクターだったり。ほら、アートデザインクラスのあれとか、ひだまり荘のあれとか。
まあ、何が言いたいかというと。そうしたあれこれが活かせる機会だったってだけだ。
「団体作品として、より深くかかわったのでしょう? 今までの傾向からして、下絵と素材といったところでしょうか。……久しく感じましたね。課題評価の時が待ち遠しく思うのは」
そうして、束の間の邂逅を終えて。アデリが立ち上がったのを視線に捉える。もうそろそろ、会場に入っておかなければならないのだろう。絵を脇に抱えて進む。
背後には、アリーナの観覧席のような場所。吹き抜けのそこは、二階や三階から見下ろせる位置取りだ。多くの人が並ぶ中から、前三列目の中央。つまり、列ごとに作品を評価するスチューデントたちが、最後に見る場所に立つ。作品を自分の前に置いて……身長の関係上、俺の後ろにアデリが立つことになるのか。なんか、いっそうちんまい背丈な気がしてきたな。
周囲は不安と切迫に包まれている。評価を緩く下してくれるよう祈る声。背後のアデリは……なんでこいつまで不安そうな雰囲気出してるんだ?
正面の壇上に、五人のスチューデントが立つ。その後、各列二人ずつの合計十二人が両端に。顔の片方を、キュビズムのような仮面が覆っている。立体派か。となると、その技法を専攻している人間相手に、事実上同じ土俵で戦うことになる。……上等だ。
「時間だ。課題評価を開始する」
意気込んだはいいが、俺たちの番が来るまで暇なので周りを眺めておこう。……初手で落第点が出て、その横の人がすごく震えている。二度目の落第であるので保護の中断。告げられた人物は、もう後がないと頽れて膝をつく。前の列を見れば、三度目の落第点で処刑される様子も見える。あ、逃げ出した。当然ながら、追いつかれて剣に突き殺されたが。
こうして傍観しているだけで止めようと思えないのは、アデリに迷惑が掛かるというのもあるが、作品が不出来なら死もさもありなんといった考えが俺の中にあるからなのかもしれない。絵画とは、自らの見つめる世界を表現したものだと考える。大袈裟に言えば、E.G.Oと同じだ。都市に向き合い、立ち向かうための自らの世界。それを評価という形でぶつけ合ったのだから、負けるならそれは死を意味するだろう。……そういう思想を持たないだろうアデリも、普通に顔を青ざめさせているが。
「待て待て待て……っ、さっきから全部落第じゃないか。食傷だとか、救済不能のゴミだとか言ってるが……」
後ろから聞こえる呟き。実際、横や前後の列も落第点が続出している。もしかして、今って課題の締め切り前だったりする? そうだったら、さっさと終わらせたいとばかりに評価も厳しめになるかもしれないが。……訂正。発展の余地があるってことでC+の人がいた。その次の人は評価Fだったけど。にしても、落第と聞いて絵を上塗りしようとする人、一定数はいるんだな。
さて、横の人間も落第で殺されたところで俺たちの番だ。せっかくだし、今回のコンセプトをおさらいしよう。
野獣派がどれだけ鮮烈な原色と大胆な筆致で描こうと、点描派が緻密な点の連なりで生動感を表現しようとも。絵画は完成した時点で時を止める。書き足されることはなく、その絵に対する画家の熱量もまた停止するわけだ。
だからこそ、遺灰という素材は合うんじゃないかと考えた。"死んだ蝶たちの葬儀"の観察記録にも、蝶はひどく冷たいと記されていた。
そしてT社の代表たるヒューバート曰く、苦痛をなくせる最も完璧な方法は、時間を止めることだから。付け加えるのであれば、ねじれ探偵においても、ペイル属性の青い息は停止をもたらす。よって、弔われた死者の遺灰はちょうどいい。遺灰と死、完成した絵画の静止。それらによる静謐こそが、この絵のテーマだ。立体派の技法を選んだのは、直感性に劣るため。つまり、絵に深く没頭させるためだ。絵へ思考を巡らせる。それはつまり、静けさの中に自身を浸すということであり。
──
スチューデントが眼前で静止し、二十秒ほど経過した。彼は微動だにせず、呼吸すら止まっている。鋭い呼気とともに息を吹き返せば、開き切っていた目からは涙が伝っていた。
上のフロアからも、視線が集中していたのだろう。一帯は静寂に包まれている。冷たい時間は、評価を下すためにスチューデントが口を開くまで続いていた。
「……これは、遺灰か」
以前にもアデリに言った通り、薬指の課題採点を突破するには二種類の方法がある。直感性に重点を置いて、十秒に満たない採点時間で作品を理解させ切ること。そしてもう一つがこれだ。傑作を以て、足を止めさせる。
「14区、孤独死の葬儀」
身長が高いのもあって、やっぱり見上げる形になってしまうが。相手の視線は絵画へ向いているので気にすることはない。単純に、もっと身長が高ければなってくらいで。名残惜し気に絵から目を離し、そのスチューデントは手元のクリップボードへ視線を移す。
「アデリ。団体作品の代表者か。そして、お前が共同制作者であるネロ」
そこからしばらくは、作品に対する議論だった。面として解体した事物の取捨選択に対する理由と比較。単一色の明暗を遺灰の堆積によって表現したことによる、鑑賞段階での意図しない立体感への検討。そうしたやりとりが作品の改善点を浮かび上がらせると同時に、採点を終えたスチューデントたちもまたこちらへ興味を示していた。
粗悪な作品を評価していた者たちが、こちらへ集まってくる。俺たちが最後といえど、現在は課題評価の最中だ。そのことに気付いたのだろう。彼は名残惜し気に紙へと評価を書きつける。手の動きを見るまでもなく、作品を一目見た時の様子で下される評価は察せられるが。実際に聞くことこそ、採点が返って来る醍醐味だろう。
「A+、この評価を与えるしかないだろう」
そうして、数多くの落第点と数人の合格点を輩出した課題評価は終わりを迎えた。並べられた絵は回収され、評価ごとに分けて運ばれていく。
「ネロ、お前は天才だよ」
「……? 天才じゃないと思う」
前世から引き継いだ経験や知識と、産まれた時から確固たる自我があったが故に得られた学習時間。それらによってこうして何とかしているわけで。アインやベンジャミンどころか、全ての翼に入社できるだろうと言われていたダニエルにも、純粋な才能という点では劣っているだろう。
「…………そう、なのか」
本人も自覚していない、鬱屈か? もしかして芸術家になりたかったりとか……いや、そんなこと一言も言ってなかったな。もちろん、俺が就職でのライバルになり得ると考えて伏せていた可能性もあるけど、それならわざわざ俺に依頼なんてしないだろうし。
再び会ったあのドーセントから、一応とばかりに薬指への勧誘はされたが。今の俺は翼の羽ということもあって断った。あっちもそれは分かっていたのだろう。作品を預かるついでに声をかけた程度のアプローチだった。
「作品解説はご入用でしょうか。巣に在住する団体作品提出者への保護提供は無いとは言いましたが、もとよりそのような者を想定していない故の対応ですから。貴女の作品がより良くなるのであれば、その投資として案内と解説を善意のみで行うことも、やぶさかではありません」
要は、無料でギャラリーの案内と作品解説を行うと言っているわけだ。……指と深く関わるのは後に響きそうではあるけど、これはとてつもなく興味がある。ありがたく提案を受けることにした。
「そういえば、名乗っていませんでしたね。これより貴女を案内いたします、
……へ? セネカって名乗った?
セネカ
薬指のドーセント。立体派に所属する女性で、ネロとは30cmくらい身長差がある。
アデリ
ネロからも友人とは思っていたし、なんか思うところがあるらしいのを気にしてはいたが。運命の人(名前的な)との出会いで全部吹き飛んだ。