普段と違う格好というのはテンションが上がるもので。今の姿は黒の装束と編笠だ。Q社に送り届けられる荷物を強奪した人間を追跡する依頼を受け、東部でよく見られる服装の様式に合わせることにした。
目的の物品は刀だ。なにやら妖刀の類と噂されているようで、よほど高い値が付いたのだろう。ヂェーヴィヂ協会を通さなかったのは、その刀を見つけた運び手もフィクサーとしての自負があったからだと思われる。……実力は足りなかったようだが。
追跡を始めたが、もとよりさほどの時間はかからない。いくら隠れ潜もうと、おおよその逃走経路には見当がついている。
「精神的な影響も……今のところ問題ない」
編み笠を少し上げて、頭に差した簪に触れた。"墓穴の桜"。福祉チームで管理していたこともあり、とても馴染み深いギフトだ。どのくらいの時間までなら、こうしてE.G.Oを扱ったまま行動できるかの検証でもある。元L社支部の職員で事務所をやっているのもあって、E.G.Oウェポンは切れる手札として持っていた方がいい。そのため、どれくらいの時間や使用頻度なら侵蝕の影響を受けないか、軽微で済むかなどの指標を作っておかなければならなかった。TETHに分類されているE.G.Oを使っているのもそのためだ。
扇という持ち運びやすい形状も都合がいい。大きな武器は次元鞄から取り出すのに、当然ある程度の隙はできてしまう。その点で、この武器は懐にいつもしまっておけるというメリットがあった。
それに、この幻想体には俺個人としても愛着がある。なにせ、元ネタはおそらく梶井基次郎の『桜の樹の下には』だ。日本文学ということもあって、記憶に残っている。
『桜の樹の下には屍体が埋まっている』という書き出しのフレーズだが、それだけしか知らないというのは些かに勿体ない。あの言葉の真意は、対価を望む心だ。
美しく咲き誇るのであれば、相応の惨劇がなければならない。そして、都市においてはそれが事実となる。ワープ列車が分かりやすいか。10秒で目的地に到着する列車という鮮やかな結果の裏には、致命的なまでの苦痛を内包している。……そういう点では、俺とこのE.G.Oの相性はけっこう良好だ。なにせ技術とその対価においては、数多くの翼の特異点を知っている。E.G.Oウェポンやギフトの力を深く引き出すための……『桜の樹の下には』から引用するのであれば、権利とでも表現しようか。どれだけの惨劇を記憶に持つかは言うまでもないと思う。なんなら、ワープ列車の一般席にも乗ったし。
そんなわけで、"陰"や"溶ける愛"はもちろんのこと、"墓穴の桜"もまた俺にとって相性がいい幻想体だったりするわけだ。文化的な背景も考慮するならなおのこと。
気配を消しながら、夜闇に紛れての追跡。どこまでも順当で予想通りの進行が続く。2時間も経たないうちに、対象を発見することもできた。葉を踏む音もさせず、竹林を進む。
「血の匂い……先を越された?」
翼からの直接依頼ではないとはいえ、ある程度の額は動いている。当然ながら、俺以外にも依頼を受けているフィクサーはいると考えてしかるべきであり……
「訂正。いた、と考えるべきだった」
東部らしい衣装を着たフィクサーたちは、血の海に倒れ伏していた。屍山血河の只中に立つは、同じく和装の男。妖刀を盗み出した人物と、顔や特徴は一致している。そして、その手には血を滴らせた刀。
「……なるほど、妖刀と見紛う」
E.G.Oウェポン。柄からして、"墓穴の桜"か。E.G.Oウェポンとして抽出される際の形が変化する場合もあるだろう。あるいは変異体かもしれない。
「血を……屍を重ね……」
E.G.Oなのだから握れば使い方が理解できるし、クリフォト抑止力下に無い状態で訓練無しに振るい続ければ侵蝕されて姿形が変わる。L社に勤務経験があればすぐに理解できるが、まだ翼が折れてから間もない現在ならそうした誤解が発生するだろう。
「咲かせん……!」
血の海に刀身を滑らせながらの疾走。刀が根の役割を果たしているのか、血を吸い上げては刀身に纏わせてリーチを伸ばしていく。
「制圧、開始」
俺は懐から扇──E.G.Oウェポンたる"桜"を取り出す。刃と言っても過言ではないほど鋭利な桜が舞い散り、扇を握る腕の動きに合わせて動く。
動きは手前から奥へ。風が枝葉を鳴らすように、ざあっ、と桜色が殺到した。
「アァァアァァ!」
刀に纏った血は鞭のようにしなり、花びらの一枚一枚を切り落としては前に進んでくる。ただ、まあ。幾百、幾千の花弁を自身に届かせることなく切り払えるかとなれば話は別だ。東部十剣や雲剣ならまだしも、この状態じゃどうしようもない。もはや人語を解することも発することもなく、獣のように吼えながら前へ前へと足を進めようとしていた。
「残念。近付けていれば、勝機はあったかも」
桜は足を切り落とし、手の腱を刻む。
移動中に先述した通り、このE.G.Oは対価を求める。つまり相応のリスクがあるわけで。極端に接近されれば自傷の可能性が存在していた。扇を振るって花弁を操らなければならない以上、近接戦闘中はそうした繊細な操作も難しい。
ある程度E.G.Oを侵蝕させれば、おそらくは心のままに動かすこともできるだろうが……今回の副目標にはそぐわないし。
──そう、侵食だ。血を吸うだけがあの侵蝕とは思えない。桜……それに、あの自身を顧みない突撃が意図的だとすれば。
「接ぎ木」
日本において最も多い桜、
「血を啜り、骨を伸ばし、肉を食む」
その巨躯は生えている竹を巻き込んでは圧し折り、べきりと勢いよく弾けたそれらが天然の弾丸として撃ち出される。避けることも"桜"で排することも可能だが、振り下ろされる肉塊の枝を躱すための余裕も残さなければならない。
無数の肉を纏い、桜の如く鮮烈な色の枝葉を伸ばす化物。接ぎ木によって加速度的に侵蝕の進んだ姿を前に、今の桜吹雪では火力が足りるか不安になってくる。ここまで大物になってくると、鯨を相手にするようなサイズになった"不調和"を取り出すべきだが。
直後、視界に辛うじて赤い線を捉えた。気配は全く感じず、痕跡とうっすらと起きた桜の揺らぎでようやく知覚できた程度。瞬歩。黒獣の卯が行っていたような、東部の戦闘技術だな。
幾重もの斬閃があの巨体に刻まれる。こちらへの攻撃の手が止むのなら、俺はサポートに徹しよう。足元を浚うように桜を動かし、死体を解体していく。枝葉は姿の見えない斬撃によって切り離され、こちらに振り下ろされることはない。樹の下にある屍体や落下した人体部位は、桜の波に沈んで消える。
桜のさざなみが足元を薙ぐ音。虚空に響くそれすら途絶えた数秒後には、侵蝕によって天高く伸ばされた人の接ぎ木は跡形もなく消えていた。残るはE.G.Oウェポンの刀を握った男のみ。
そして、ここまでの時間があれば相手の得物はだいたい類推できる。大振りにせざるを得ない腕の動きや刃渡りの小ささ、手数に重点を置いた戦い方から察するに、剃刀だ。そして、わざわざ剃刀なんて使うのは元ネタがある人間くらいだろう。影を踏ませず、気配も気取らさせなかったことからおそらくはシ協会。殺しに剃刀で文学となると……
「喜助。適切な管理方法は私が知っている」
……反応からして、当たっていたようだ。虚空から現れたとすら錯覚するように、彼は目の前に立っている。
「おや? バレちゃったっスか。じゃあ名乗りましょうか。東部シ協会2課所属。喜助っス」
いやー、知られてるとは思わなかったんスけどね。そんなことを言いながら、手に持つ剃刀をくるくると回している。
大振りな刃物ではなく、あのサイズで確実に殺すのにはどれほどの技量を要するか。推定される元ネタは高瀬舟。足るを知ることや、安楽死云々の話のはずだけど……あれは文章に違和感があるというか。正直、本当に自殺幇助で殺したのかは怪しいんだよな。まあ、文学的な話はともかく、
「それで、適切な管理方法というと?」
「前提として、それはL社の特異点に関連する産物」
こっちとしても、ある程度の情報を開示してその刀を回収する役割を譲ってもらわなきゃいけない。シ協会ということは、盗んだ人間の処理が第一だろうから交渉の余地はあるだろう。……割と貴重な情報なんだけどな。
とりあえず、交渉は成立。死体は喜助が持って行って、E.G.Oウェポンは俺が回収するという流れになった。去り際もそうだけど、瞬歩を使われるとマジで移動が見えない。あれで2課なのだから、1課なんてどれくらいの化物なんだろうか。
ともかく、依頼は達成。延々と接ぎ木による再生で遅延させられ、指先から桜の花が舞い落ちる程度の侵蝕こそあったものの、どれくらいの時間で侵蝕が始まるかのデータも取れた。結果としては上々だろう。
福祉チームとしての経験もあり、回収したE.G.Oウェポンは適切に保管した状態で依頼主に渡した。
こうしてシ協会2課のフィクサーと共闘のような形になったわけだが。場合によってはこのくらいの技量のフィクサーが、アンダーシャフト家に行く道中に襲ってくるのか? ヤバいな。
ネロ
"桜"は割とお気に入り。ただし、相性がいい分だけ他のE.G.Oより自傷の危険性を秘めている。
喜助
シ協会2課所属の、帽子を被ったフィクサー。瞬歩が得意。