先ほどまでの騒ぎと打って変わって地下鉄の走る構内は不気味なほど静かであった。
まるで目に見えない何者かがこちらをじっと見つめているような、そんな気さえした。乗客たちを先頭車両へ避難させ、合流してきたエージェントたちに任せると、みこは一人伊東の元へと向かった。溝のわずかなスペースに小さな足を立たせ、電力の切れた車両を外からライトで照らす。
遠くで男のような悲鳴がこだました。一発の銃声と爆発音も同時に聞こえる。額から汗が流れ眉毛に止まり、塩分で目が痛くなる。
今の声は伊東のはずがない。だって最後部で奴を引き付け、みこ達に逃げる時間を稼いだのだから。
最後の車両の窓は大きく打ち破られていた。ガラスの破片に注意を払い、内部を覗くと真っ黒だった。
移動中の列車にもポータルが出現するとは予想外だった。
伊東はみこに乗客をできる限り先頭車両の方へ押し込み、電車から降ろすように叫ぶ。
「いいから先に行け!」ガタゴトと揺れる電車の音に、彼の声はかき消されそうになる。
35Pと共にグイグイと一般人を押し込む中、背後で配当が奮闘する銃声が聞こえた。その音も徐々に聞こえなくなっていく。奴を撃退したと信じたい。35P達も心配している。
すいちゃんに謎に買わされたキーホルダーは役に立っているだろうか。
しかし、今の車内の状況を見るに十分ではなかったらしい。
悲鳴のした方へ、グロック45を握りしめ向かう。
一つ前のホームに着くと、先にホームの安全扉によじ登った35Pは体を大きく動かし何かを伝えたい様子でこ彼女の方を見つめていた。
みこはフン、とホームに上がったので体中の筋肉が伸びきってしまい、即座に筋肉痛を心配した。
膝に衝撃を食らいながらホームに着地すると、伊東に歩みつつある黒い影を目視し、みこは有無を言わず「しねえぇぇぇ!」と叫びながら引き金を引いた。
電車から飛び降りた伊東は上手く受け身を取りゴロゴロとホームを転がる。筋肉、関節がうまい具合に衝撃を和らげるも、ところどころ強打しており次第に痛みが襲ってきた。背中の皮膚が裂け、じっとりと重い鉄分を含んだ体液が流れる。手にしたコルトを見つめるとフレームにひびが入っていた。
かすむ眼をしばかせ視界を確保すると、黒い影は体をこちらに向けていた。曖昧だが、頭はそっぽを向いているように見える。
その時誰かの悲鳴がスピーカーから流れてきた。演技とは思えない迫真の断末魔に思わず息をのむ。ピクリと動いた奴に警戒しすぎて、引き金にかけた指を引いてしまった。ドーンと言う銃声に少し遅れてコルトが手からはねるように吹っ飛んだ。
みこと35Pが駆けつけてきたのはその時だった。
彼女の肩を借りて起き上がるも小さな体ではバランスを崩してしまいそうだった。
みこの手が傷口に触れてしみる。すると反対の肩から大きな支えができて彼を担いだ。
不気味に思ってふと見ると、すぐそばに白い顔をしてサングラスをかけた全身タイツの男がいた。よく見ると首輪に猫耳を装備し、タイツ越しでも乳首が立っているのがわかる。
「あ、自分35Pっす。」
「え、しゃべった。」
「キメエ…。」 2人ともその容姿に若干引く。
TKBニキはもじもじと言いにくそうに顔をそらして伊東につぶやいた。
「…その…みこちはアイドルだから。あんまり触らないでほしいかな。」
「あ、ああ。ごめん。」
「言ってる場合か!」
こちらは騒いでいるのに奴は見向きもしない。伊東は万が一の為に錠剤を奥歯に押し込んだ。
「それ何?」とTKBニキ。
伊東はへへへ、と笑う。自信が足手まといになることを予測し、いざと言う時は振り向かないでくれ、と伝える。
予備の銃はある。まだ戦える。被害は3人より一人の方がいいのだ。
TKBニキはにやりと笑う。
「35Pは35Pを見捨てないのさ。」
「俺35Pだったのか。」
「みこちが良くノートに書いてた。」
「バラすんジャねーよぉ!ちげーよ!五目並びやったらみんな35Pなんだよ!新しい景色見させてやっからあきらめんな!」
フン!とみこは赤面しながら胸を張る。
同時に再びスピーカーが鳴った。少年のような声だ。
「待って待って待って!折れる!折れる折れる折れる!」
その声は悲鳴に変わった。
みこがつぶやく。
「何が折れたの?」
泣き声がホームに響くと奴はゆっくりと床に消えて行った。こちらに興味を失ったのだろうか。
伊東はペッと錠剤を忌々しく吐き捨てた。錠剤の中身は青酸カリであり、自決用に支給されているものだった。
スピーカーから鳴る音声はフブキ達の監視下に置いてある囮として職務を果たした牧野ものだ。腱を切られた彼はカメラ越しでもわかるほど気力を失っている。竹ノ内が合図をすると彼を固定していた器具が動き出した。
大腿骨を折る。その音と悲鳴が重要なのだ。
折れた音は生々しく悲鳴にも勝った。
囮とは、若い男の悲鳴と苦痛に満ちた表情の提供なのである。
「脚は2本ある。失敗したらもう一回できる。」
竹ノ内は冷酷だった。
しばらくしてもう一本を傷つけ始めるとカメラに大きな黒いシミが写った。
オールドマンだ。
悲鳴が絶叫に変わる。逃げようとバタバタしている様子を最後にフブキは顔を背けた。
隣でその光景を見ていた宮田は、息をするのも忘れたように茫然としている。
志村は歩みより、彼を見下ろすように言い放つ。
「次はお前だよ。」