さくらみこの受難は加山係長からの指示だけではなかった。それは掘り下げていけば組織全体の問題でもあったのである。
話の一部を聞いていた戌神ころねは「そりゃ移籍するレベルだわな。」と感想をつぶやいた。
「だって放られたようなもんだもん。」
「やっぱそう思う?」
.6年目を迎えてもなお、基本的な業務から少し毛の生えたことしか与えられず、フブキと共に歯痒い思いをしていた二人にとって、今回の役割は朗報だった。しかし、作業のいろはも知らない彼女らにとって事件の詳細はおろか、捜査資料の申請方法すらまともに教育を受けていなかったのである。
捜査の第一歩を踏む前に、公にはされていない情報が記された財団支部の捜査報告書を入手する必要があったのだ。
「そこが難所なんよ。」
全てを見通したようなころねの言葉に、彼女は「さすがころさん。元同僚」と称賛を送った。
本来申請には支部独自に付けられた各事件の名称が必要であった。その為世間一般で通っている名称では意地の悪い資料担当者にあたってしまうと、申請書の再提出を何度も食らってしまい時間ばかりが過ぎてしまうのである。
先ほどフブキから来た電話では、珍しくイラつきを隠せていない口調で一向に進まない書類申請の経過報告を告げられた。「大丈夫ですよ!」と言っていた白狐の面影は、今はもうない。ころねはそのことを聞くと「変わらんね。」と吐き捨てるようにつぶやいた。
「みこ、移籍を考えようにも推薦書を書いてくれる人が周りにいないんだよね…」とため息交じりにみこが呟いたのは、相棒のフブキには密かに書いてくれる人がいるのを知っているからであった。自分一人だけ置いて行かれるのではないかと言う不安が脳裏をよぎる。
「別に不思議じゃねーよ。」ころねのこの呟きは、支部には彼女を評価してくれる人物はいない、と言う意味だったが、当の本人には違う受け取り方をされてしまい慌てて訂正する羽目になった。
「フゥン…。言うじゃない。ぶった切らなくたっていいじゃん」
「あ!違う違う!!みこみこ!!!みこみこも頑張ってるよ!でも周りに味方がね…。」
そういって彼女は思い出したように一枚の名刺をみこへと渡す。
「伊東クン覚えてる?」
忘れるはずのない同校の仲であり、35Pである。
「アイツがね。この前会った時これをみこみこにって。何かあったら連絡してって。」
「へえ」とそれを受け取るとそこに「後方支援所」と書かれていることを確認する。それをしばらく見つめ、懐かしい名前に昼間にもかかわらずノスタルジックな気分になる。
「ちなみにころさんとこに助けを求めたらどうなんの」
フン、と得意げに胸を張ったころねは自信満々に答える。
「そりゃもう秒よ。支部よりも詳しい情報を3つも4つも持ってくるでな。」
ただ、これはあまりお勧めしないと彼女は付け加える。
「ん、どして」
なんとなくだが、みこにはころねの答えが分かるような気がした。
「アイツらが図に乗るだけだからよ。」
アイツらとは、上位職の者たちである。仮にも過去にお世話になった人たちの事を忌々しく表現した事、その主語がみこ達の上司の事を指していることが分かったことに、みこは思わず吹き出してしまった。
以上がみこの口から語られたマンダリンまでの道筋である。言い終わると同時に彼女を心配した伊東が帰ってきたのだが、丁度その頃みこはデザートの桜餅を頬張っていた。
「おっせえよ!オメエ!!」とがんつけられた伊東は自身の杞憂が終わったと肩の力を下ろし、本心を悟られないように負けじと言葉を返した。
「お!でぶちじゃん。」
「久々に会ってそれはないだろ…」
大きな瞳はクリクリと、少しダメージをおっている所もみこらしい。ほぼ丸一日外で調べものをしていた伊東は既にある程度の情報は耳にしているらしく、みこに対しては同情よりも彼女の立場が危うい事をそれとなく伝えた。
「支部の上位職たちはみこちに責任を負わすつもりはないみたいだけど、なかなかに迷走している感じだったよ。人事まで動いているらしいし、事案の原因について調査が進められてるみたい。」
「いい事じゃん」
「よくねーよ。消えた人員探すのと同じリソース割いてどうして消えたのか調査してるんだぜ。」
「ん?」
「どうして二人だけで行かせたのか。人選についてとか。情報共有とか。加山さん相変わらず他人事みたいに振舞っているそうだぜ。」
迅速さと正確性に欠いた組織であると志村が口を挟む。そのまま在籍すれば、加山のような人間になってしまうだろうと彼はみこに告げた。
「今までそうして過ごしてきたんだし、その結果加山さんみたいな人材が誕生したんだ。きっと変わらないだろう。」
もし、みこに部下ができたら彼女もいつかそんな人間になってしまうのだろうか。
「あそこは皆夢を植え付けられて成長させるのさ。全体を見渡せないのに自分が要ればなんとかなる、してやるって。さしずめ昭和のできる社会人ってやつだよ。」
「粕谷さんもよく言ってたろ。昔は時間に余裕があってそれでも何とかなったけど、今はやることが増えすぎて昔の方法じゃ人は育ちにくいって。30までは経験したもの勝ち、でも現代じゃ35かもねって。」
粕谷さんとはさくら神社でよく時間をつぶす、なぞの多い高齢の男性である。伊東と呑み友の仲だそうだ。粕谷さんとフブみこコンビ、そして「V市女児行方不明事件」の当事者である三咲はさくら神社で顔を合わせる常連であった。
伊東はカバンから資料一式を取り出し、アリスが人数分印刷するまでの間、彼は何も見ずに事件の概要を説明し始めた。
この事件は新学期の始まる少し前に発生し、進学を控えていた三咲と言う少女の行方が分からなくなったものである。その原因は失踪か、誘拐か、あるいは事故に巻き込まれたか、様々な線で捜査が行われたが、未だ何も足取りをつかめていないのだ。
「当初迷子の線も考えて、行動範囲を一斉に捜索したそうですが空振りだったそうです。確か当時の捜査範囲の一つにさくら神社があったんだよな。」と伊東。
みこは「うん」と答える。
「よく遊んでたんだ。3人でよくね」鼻に重心を載せたような声で彼女は最後に会った時の事を話し始めた。
日中のさくら神社には多くの人間が行き来し、子供たちは広場や境内に設置された遊具で思い思いに遊ぶ光景がよく見れる平和な空間である。子供らは良く「みこ先生」「フブちゃん先生」と彼女らを親しみを込めて呼び、学校ごっこと称して大喜利をするのが日課になっていた。
その日、陽が傾き子供たちは各々の家へ帰るのに三咲だけは一人残って何か言いたげにみこ達の前から動こうとはしなかった。思えば少し前から彼女の表情が曇っていたと、みこは思い出す。
「三咲ちゃん、どうしたの?」
体を左右に揺らし、言いにくそうだがはっきりとした口調でみこに告げる。
「みこ先生はどうしてそんなにバカなの?」
「三咲ちゃん、チクチク言葉はやめようね」
少女とフブキはゲラゲラと笑う。
「ホントはね。4月になりたくないの。」
「えー?どうしてだい?」と思わずフブキが言う。
「赤いピカピカのランドセル買ってもらったじゃないの。」
「うー。もうここに来れなくなっちゃうから。」
「何かあるのかな?」
「ママがね。もっと年の近いお友達作りなさいって。」
グサリ、と二人の心に刃物が刺さる。
「それとね、お勉強たくさんするの。」
曰く、4月になり小学校へ入学したら塾にピアノ、英会話や水泳など習い事を大量に裁かなければならないというのだ。特に中学受験を見据えた勉強は子供である彼女の心をむしばむように重荷になっているようだ。まだ明日の予定すら建てられない三咲に数年後、または10年15年先の選択肢について、自力で空を飛び太陽系を突破するよりも難しい事だった。
「すげーな」とみこはつぶやく。
「みこは、公文が限界だったよ」
何のフォローにもなっていなかった。
三咲はまだ、何も考えずに遊びたいのだと言う。色んな人と関わり、明るい笑い声を周囲に響かせ、汗のかくまま体を動かし、至福に満ちた疲れと共に眠りにつきたいのだ。
「白上たちも勉強見てあげられるから、辛かったらもってきな。」と元気づけるとみこもそれに加勢する。
「みこはエリートだからね。小学生の問題なんてちょちょいのチョイよ」
「みこさん、北の反対はなんですか。」
「え、西」
「ん?」
「ん?なんですか?ふぶさん」
近くでその様子を見ていた粕谷さんが優しい口調で会話に入ってくる。
「お嬢ちゃんね。それは期待されているんだよ。」
「にぇ」とみこが代わりに同意するように答える。
「しかし、あれだね。年々子供に対しての投資が増えていくね。まいったなぁ。」粕谷さんはそう言うと三咲を眼鏡越しに見つめたのだった。
「以上です」と回想を終えるみこ。
調査局の面々には事件の資料がすでに配られており、皆、黙って考え込んでいる。沈黙を破ったのは伊東だった。
「え、北の反対が西ってマジ?」
「そこじゃねえだろうが。もっと核心についたこと言えよ。太陽だって西から上るでしょ」
「そりゃお前、バカボンの歌詞…あ!ちびまる子ちゃん世代か!」
「伊東、そんなんだからモテないんだぞ」
「うるせえよ。パンツ緩々巫女。」
ライブおめでとう!
行けてないけど、CD買ったよ