ケイエスミラクル育成シナリオのネタバレがあります。
ご注意下さい。


ルビーにひっぱたかれるまでのケイエスミラクルの心象風景を妄想したSSです。
若干のホラー描写や実馬の描写があります。
また、男トレーナーが登場します。
苦手な方はご注意下さい。

感想、評価など頂けると大変励みになります。
よろしければお願い致します。


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群青に羽ばたく紺碧の羽

 

「ん...」

 

目が覚めると、真っ暗な場所にいた。

どうやら寝転んでいるらしい。

それに、何かが、身体の上に乗っている。

柔らかくて、なんだか懐かしいような。

 

起き上がると、その柔らかいものは少しずれ落ちるようにして、身体から離れた。

布団。

多分、掛け布団だ。

じゃあ。と思い、その下にあるものにも触れてみる。

ベッド。

多分、病院の。

小さな頃から、何度も、何度も、長い間、ここで過ごしたんだ。

恐らく間違ってはいないだろう。

 

「おれ。何で、病院で寝てるんだっけ..」

 

疑問が口を付いて出る。

確か、自分はトレセン学園にいたはずだった。

いつものように一人でトレーニングをして..。

 

「あれ..?」

 

何だか違和感を感じる。

トレーニングをしてた..。はず。

でも何か、頭にモヤがかかったようで、記憶を呼び起こすことが出来ない。

 

そうこう考えている内に、目が段々と慣れてきて、辺りの様子を確認出来るまでになった。

 

「やっぱり、病室」

 

それも、いつもお世話になっている病院の。

間違えようがない、壁も、天井も、ベッドも。

あの病院のものだった。

 

「おれ、また倒れちゃったのかな..」

 

不安が、過る。

また、両親に、ごめんなさいって、言わせてしまうのかな。

また━━。

走れなくなってしまうのかな。

不安に押し潰されそうになる。

けれど、体調に問題があるようには思えなかった。

 

ならば、と立ち上がる。

自分で歩ける以上、ナースコールを押すのも気が引ける。

だから直接、先生に、いや、多分今は夜だ。

とにかく職員の人に会って、確かめるんだ。

幸い、病院の構造は把握している。

ナースステーションまでは直ぐにたどり着けるだろう。

 

そう思って、おれは念のためゆっくりと足を踏み出す。

もしかすると足に異常があったのかも。

そう考えたから。

 

でも、大丈夫だった。

特に痛みもなく、普通に足を踏み出せた。

 

「よし」

 

ふと、暗闇の中に沈む病室を見渡した。

 

「....」

 

構造的には四人部屋だけど、他には誰もいない。

まあ、よくあることか。

そう片付けておれは部屋を出た。

 

廊下も、殆ど灯りが付いておらず、真っ暗な一本道が、何処までも続いているようだった。

 

「...」

 

ただ、奥に、僅かに光が見えていた。

あれが恐らくナースステーションなはずだ。

そう当たりを付ける。

 

「ん?」

 

壁についた手が、壁とは異なる感触を伝えた。

 

「..ああ、プレートか」

 

病室のプレートに触れていたみたいだ。

真っ暗だけれど、文字はうっすら確認出来る。

 

『ケイエスミラクル』

 

おれの名前だけが、そこには書かれていた。

 

やっぱり一人なんだ。

そう確認しつつ、慎重に暗闇の中、歩を進めていくのだった。

 

廊下に窓はあるけれど、新月なのか月明かりも入ってこない。

消灯時刻の過ぎた病院は、暗い。

闇が光を圧倒しているものだ。

 

でも、こんなにも暗かったっけ?

 

おれは、久しぶりだから記憶よりも暗く感じているんだろう、と勝手に納得し、僅かに漏れ出る光を目指した。

 

どのくらいあるいただろう。

数分。長ければ五分近く歩いたんじゃないだろうか。

いくらゆっくり進んでいたからといってもそんなに長い廊下じゃないはずだ。

少し、慎重に歩いた程度で、そこまでの時間はかからない。

少なくとも、おれの知っているこの病院は。

 

でも、とにかくおれは、自分の容態の確認が最優先だった。

だから、気にもしなかったんだ。

 

「あの..夜遅くにすみません」

 

ナースステーションの明かりに入るようにして、おれは、顔見知りばかりのはずの、そこに声を向ける。

 

「どうかされましたか?」

 

声は朗らかだった。

急に明かるい電灯を目に浴びたせいで、顔は分からなかった。

聞き覚えのない声。

新しく入った人かな。

 

でも、服装は確認出来ていたし、ステーションには他にも、同じ服装の人達が二人程いるのが見えていた。

 

「おれ、どうして入院してるのか、知りたくて。さっき、意識を戻したんですけど、何でなのか覚えがなくって」

 

目を慣らしながら事情を説明する。

 

「お名前は?」

 

「あ、ごめんなさい。ケイエスミラクルです」

 

やっぱり新しく入った人なのか。

そう思いながら、漸く視界の戻った目を、応対してくれている看護師さんの顔へと向けた。

 

「え...」

 

顔が、なかった。

正確に言うと、頭部はある。

けれど、目も、鼻も、口も..なかった。

いわゆる、のっぺらぼう。

 

見ると、他のステーションにいる人達も、皆同じだった。

 

「◼️◼️さん。ケイエスミラクルさんって、何号室の?」

 

名前、と思われる部分だけ、激しいノイズみたいな音になって、おれの耳に不協和音を響かせた。

 

「404ですね。ケイちゃん。大丈夫よ」

 

知っている声だった。

いつも、おれに優しくしてくれている━━。

 

「ここには貴方を傷付けるモノは何もない。"時間"まで、ゆっくりと部屋で休んでいなさい」

 

いつもの、優しい声が、のっぺらぼうから響いてくる。

 

「え...あ..」

「どうしたの?」

 

何が、起きて。

思考が纏まらず、ただ、おれは立ち尽くすだけだった。

 

「歩ける?さ、部屋へ戻りましょう」

 

いつの間にか隣に来ていた"それ"に腕を握られ、先程歩いてきた廊下を、戻されそうになる。

 

「いっ..!」

 

腕に痛みが走る。

どうやら"それ"は、おれの腕を思い切り握っているようだった。

その痛みが、おれに判断を下させた。

 

「...ごめんなさい!」

 

いくら相手の力が強くても、此方はウマ娘。

しかし、普通に人間の腕をほどくよりも、はるかに難しく、かなりの力を入れなくちゃいけなかった。

 

腕を振りほどいたおれは、走り出していた。

 

「待ちなさい!!!」

 

元来たのとは反対の方へと。

声は同じでも、あれは、あいつは、あの人じゃない。

あんなに乱暴なことはされたことがない。

するはずがない。

優しい人だ。

 

じゃあ。あれは、何?

 

おれの走っている廊下は、ナースステーションの灯りに向かって歩いていたさっきとは違い、もう何一つ光のない空間となっていた。

 

なおも、追ってくる声が暗闇に響く。

 

「待ちなさい!」

「待ちなさい!」

「待て!」

「待て!」

 

あの人の声だったそれは、回数を重ねるごとに、乱暴になっていった。

そして、最後には。

 

「まあぁててええ!」

 

人間のモノとは思えない、嘶きのような声へと変貌した。

 

「はっ..はっ..」

 

何処までも続く廊下。

追ってくる、ナニか。

掴まってはいけない。

本能がただ、そう叫んでいた。

 

幸いにも、ウマ娘程には速くはないようで、数分もすると振り切ることが出来た。

とはいっても一本道だ。

直ぐに追い付いてくるだろう。

 

「何処か、隠れるとこは..」

 

そうだ。と自分の直ぐ隣にあった病室へと滑り込む。

正直、不用意な気はしたが、そんなことは言っていられない。

十数秒もすると、また、声が響き始めた。

扉を閉め、扉の小さな曇りガラスの死角に入るよう縮こまる。

 

「まぁあててええ!」

 

そのまま、何処までも続く廊下に、声は消えていった。

 

ドッと全力で走り続けた疲労がおれを襲い、その場にへたりこんでしまう。

 

「何が..ここは..」

 

荒い息を吐きながら、状況を整理しようと、辺りを見渡した。

直ぐにおれは、その行動を後悔することとなる。

 

「えっ...」

 

暗闇に、八つの白い目が浮かび、じっくりと、ねめまわすように、おれを睨んでいた。

しかも、うっすらと見えるその目が付いている顔は、頭蓋骨の形が分かる程に痩せ、身体も、黒ずみ、骨と皮だけだった。

 

おれは、動揺して、飛び出すように逃げる、なんてことも出来ず、ゆっくりと後ろ手で扉を開けて後退りながら部屋を出ることしか、出来なかった。

 

「でも、どうしたら..」

 

もしかすると、さっきのナニかが戻ってくるかもしれない以上、あれらと同じ方向に進むことは出来ない。

しかし、戻ったとて、再びナースステーションに戻るだけ。

そこには、同じナニかが陣取っている。

 

八方塞がり。

どうしようかと不安に包まれながら、思案する。

 

そして、どこか、無人の部屋でもあればそこに隠れていよう。

そう考えることとした。

 

慎重に、周囲の様子を確認しながら、耳も澄ませて、元来た方向へと進む。

 

やがて、十字路のようになっている場所へとたどり着いた。

さっきは、がむしゃらに走っていたせいで、気付けなかったのだろう。

とりあえず、挟み撃ちされるようなことはない、と僅かに安堵する。

 

でも、何も解決はしていない。

ここが何処なのかも、何故ここにいるのかも、まだ分からないままだ。

見た目は、いつもの病院だ。

でも、明らかにおかしい。

のっぺらぼうの看護師。

長い、長い廊下。

 

そもそも、電気が一つもついていない。

思えば、部屋を出た時に気が付いているべきだったのだろう。

今、新月だと勝手に思っていた外の様子を窓から見ると、そこには何もなかった。

月も、星も、街も。

ただ、闇に呑まれた虚空に病院が浮かんでいるかのような、そんな景色が広がっていた。

 

「出口は..」

 

口に出してはみたが、正直出たところでどうにかなるとは思えない。

虚空に投げ出されるだけだ。

いや、でも。もしかすると、出口は見えてる景色とは別な場所に繋がってるかもしれない。

根拠はない。

だけど、希望の見えない現状では、そう考えるしかなかった。

 

身体に異常のないことが、唯一の救いだ。

どちらに向かうのが良いかとか、そんなことは何も分からないけれど、ゆっくりしている暇もない。

おれは、何となくの直感で、右手に曲がることにした。

 

暫くまた、何の音もしない、暗い、暗い、廊下を進んでいくしかなかった。

 

キィ。

 

突然破られた静寂にドキリと心臓を跳ねさせ、周囲を見渡す。

すると、少し前に通り過ぎた場所に閉じられていた扉が、キイキイと揺れながら、開いていた。

まるで、おれを誘うかのように。

 

正直、怖い。

でも、このままでは埒が明かないことも事実。

おれは、ごくりと息を呑みながら、ゆっくりと扉に近付いた。

 

そーっと、中を覗く。

 

誰も、いない。

 

もう不思議なことだらけで、扉が勝手に空いたという事実は、すんなりと受け止めていた。

 

「...紙?」

 

扉の先の部屋は、正方形の無骨な空間で、用途も何も分からない、ただ真ん中に机が置かれているだけの場所だった。

そして、机には、紙が置かれていた。

 

『1991』

 

そう、殴り書き、というのだろうか、乱雑に大きく書かれているだけだった。

 

もう一つ、部屋にはモノがあった。

扉の向こうからでは見えない位置に、カレンダーがかかっていたのだ。

 

月めくりのようで12月のページが開かれていた。

年号は見えない。

15日の場所に、赤い丸がされている。

 

それはなぜだか、今までに見た何よりも、おれの身体を冷えさせた。

 

部屋を逃げるようにして出たおれは、また、先程と同じ方向へ向かっていく。

その間に、ふと思い出した。

 

自分の記憶が、曖昧なことを。

そうだ。何故か、倒れた記憶も何もない。

そもそも、一人でトレーニングをしていたかも怪しい。

全く自信がないのだ。

誰かがいた気もする。

そもそも、トレーニングなどしていなかった気もする。

 

何も、分からない。

ただ、それだけが分かっている。

 

そこから今度も、五分程進んだだろうか。

一方通行の廊下に、シャッターが降ろされていた。

 

「どうしよう..」

 

引き返して、さっきとは反対側の分岐に行くべきなのだろうか。

何かスイッチでもあれば、とキョロキョロ辺りを見渡すと、紙が、シャッターの近くに貼られていることに気が付いた。

 

チラシ裏みたいな質感の紙に、紫色の文字で、何か書かれている。

 

『青い鳥の、進むべき場所は━━』

その下に、小さく、別の文章があった。

『白鳥の羽ばたき一つでヒビ入る 蒼き小鳥の硝子細工 1206』

 

そして、如何にも、といったパスコードを入力する装置が、目の前に現れた。

 

「え...どうすれば..」

 

まさか、脈絡もなく書かれているこの数字が?

そんなバカなと思いつつも、他に思い付くものもないので、入力してみる。

 

ピピッと電子音が鳴ると同時に、モーターの駆動音が辺りに響き始めた。

 

「本当に開いた..」

 

驚いた。

というより、ここまで訳の分からない状況で恐怖に見舞われていたのとは正反対の、気の抜けたシステムに拍子抜けしてしまっていた。

 

「いや、でも、とにかくこれで先に進める」

 

気を取り直して、シャッターの向こう、なおも続く暗闇へと踏み込んだ。

 

青い鳥の進むべき場所は━━。

 

さっきの文字が、脳裏にちらついて離れない。

 

幸せを運ぶ、青い鳥。

 

おれは、恩返しをするために、生きている。

両親に、先生に、支えてくれた、皆に。

走らなくちゃ。

走れば、悪い子じゃなくなる。

走って、皆に、幸せを。

だから、こんなところ、出なくちゃ。

 

おれは、もっと走らなくちゃ。

おれの行く場所は━━。

 

ふと、気が付くと、そこは、見慣れた場所だった。

 

「先生の、診察室..」

 

目の前に、主治医の先生が使っている診察室があった。

ここは一階じゃなかったはず。

いや、今更だな。

階層がおかしいことくらい、何でもない。

 

おれは、扉をゆっくりと開けた。

何か確信があったわけではない。

ただ、無意識に、扉をスライドさせていたんだ。

 

「あれ。ケイちゃん」

 

ビクリ、と身体を震わせてしまう。

さっきの看護師のことを思い出したから。

顔を見るのが怖かった。

 

「どうしたの?何かあった?」

 

優しい声。

 

ピクリと耳が動く。

「きゃはは」

「こーら。大人しくしなさい」

喧騒。

病院に、音が戻っていた。

また、光にやられた目が、視界を取り戻していく。

 

そこには、いつもの優しい顔をした、先生が座っていた。

戻ってこられたんだ。

そう安心してボンヤリしてしまっていたが、先生の心配そうな声に引き戻された。

 

「大丈夫?ボーッとしてるけれど..」

「あ、ごめんなさい。何でもないんです。すみません。突然来ちゃって..」

 

「あの、先生..」

 

何を言えばいいのか、見たものを話したところで信じてもらえるのか、信じてくれたとして、余計な心配をかけてしまうだけなんじゃないか。

ぐるぐると思考が深みに嵌まって、言葉に詰まる。

 

「...大丈夫。ゆっくりで大丈夫よ」

 

突然押し掛けたおれを、追い出しもせず、丁寧に接してくれる。

やっぱり、優しいなあ。

 

「ケイちゃん。大丈夫。"時間"はたっぷりあるからね」

「あの..おれ、入院、してますか?いや、ごめんなさい。変な質問だって分かってるんですけど..」

 

何を言っているのかきっとこれでは分からないだろう。

おれは、何て聞くべきか、必死に言葉を探す。

 

「入院?ああ。違うよ」

「え?」

 

伝わったのだろうか。

なるほど、とでもいった声色で、先生はそう言った。

 

「入院じゃないよ。貴方は、帰ってきたの」

「え?」

「もう、何も心配いらないよ」

「あの..」

「ケイちゃん、貴方はね」

 

いつの間にか、また、音が消えていた。

 

「ずっと、ここにいていいの。いえ、いるんだよ」

「何を..?」

「貴方が外に出るのも心配だしね。それに、"ここ"なら、面倒をかけられることもない」

「先..生..?」

 

淡々と、優しい笑顔で、紡がれていくその言葉は、あの人が言うはずのない言の葉で。

いつの間にか、おれの頬は濡れていた。

 

「あ..」

 

顔が、消えていた。

 

「あああ!」

 

おれは、部屋を、扉を蹴り壊す勢いで飛び出していた。

違う。あれは先生じゃない。

分かってる。

 

面倒。

 

違う。違う。違う。

 

「ケイちゃん?」

 

また、声。

しかもこれは。

 

「父さん、母さん..」

 

嫌だ。

偽物だと分かっている。

でも、二人の声で、言葉で。

 

目の前には、おれの両親の姿があった。

 

「ケイちゃん。そんなに走ったら危ないわよ」

「そうだ。転んだら大変だからな」

「.....」

「ねえ。ケイちゃん。私達ね、考えたの」

 

ダメだ。

 

「もう、走らない方が良い」

「いえ、走らないで」

 

違う。

 

「ケイちゃんの気持ちはよく分かってる」

「きっと、元気に走ってる姿で俺達に安心して欲しいんだろ?」

 

何も言えない。

口が、動かない。

 

「でもね、ケイちゃんが、走ってるだけで、私達心配なの」

「病院で大人しく寝ていてくれた方が、安心だ」

「それにねえケイちゃん」

 

嫌が上にも思いやりを感じさせるいつもの二人の声音で、二人が言うはずのない、正反対の言葉がつらつらと、おれの脳に響いてくる。

 

「恩返しなんて貴方には無理よ」

 

思わず、二人の顔を見てしまう。

 

「おお なんとおろかなことか」

「しあわせをはこぶとりなどと なんと おろかなことか」

 

おれが視線を合わせたと同時に、二人の顔が、歪み始めた。

 

「よく聞くがいい ばかなとりよ 」

「おまえのからだが あおいのは」

 

声も、優しい二人のものから、掠れたラジオから漏れ出る音みたいに、荒く、乱雑になっていく。

 

「ただの ガラスで できているだけ」

 

聞きたくないのに、耳は音を拾ってしまう。

 

「おまえは なにもはこべやしない みんなにだなんて しあわせだなんて」

 

「ごめんなさい..」

 

勝手に口を付いていた。

 

「謝る必要はないのよケイちゃん」

「大人しく寝ていれば、それで良い」

「"時間"が来るまでね」

 

最後の言葉が聞こえる前に、おれはまた、駆け出していた。

 

ただただ、脇目もふらずに走っていった。

また、暗闇の中を進む。

頭に、さっきまでの、両親達、いや、偽物のはず、の声がこだましていた。

 

違う。違う。二人はそんなこと言わない..。

言わない..。

本当に..?

走りたいって、そう、ワガママを言ったのは、おれだ。

皆、おれが自分からやりたいと言ったことを、よろこんでくれて。

それで、皆、いっぱい頑張ってくれて、おれは走れるようになった。

本当に、父さん、母さんは、言わないのかな。 

どんどんと自分の中で何かが沈んでいくのを感じていた。

 

「━━━━!」

「━━━━!」

 

そんな中、こだまする言葉にかきけされそうな大きさで、自分の名を呼ぶ声に、おれは気付くことが出来なかった。

 

 

そうして、暫く走っていると、また、人影が見えてきてしまい、急ブレーキをかける。

 

「...」

 

おれが勢いよく走ってきてしまったせいで、此方の気配に人影は気が付いているようだった。

向こうに向けていた頭を、此方へと向ける。

 

「...あ..」

 

今の、今まで、すっかり抜け落ちていた。

どうして、あの人のこと、忘れてたんだろう。

 

「トレーナーさん!!」

 

思わず、叫んでいた。

 

そうだ。おれは、一人でトレーニングなんてしてなかった。

おれは、トレーナーさんと、二人で、スプリンターズステークスを。

そうだ。思い出した。

トレーナーさんが、おれのことを心配してくれて、それで、スプリンターズステークスへの出走がなくなって。

二人で、テレビで、レースを見てた。

そして、おれは━━━。

どうして、忘れていたのか。

 

ずっと頭にかかっていたモヤは、急速に晴れていっていた。

 

でも。

理性が警告する。

さっきまでのことを考えるなら、近付かない方が良いだろう。

でも。

それでも。

おれを走らせるって言ってくれたあの人なら。

きっと、優しいから、そう言ってくれたんだろう。

分かってる。

それでも、あの人は、あの人は━━。

 

止める理性をふりきって、おれは小走りでトレーナーさんへと近付いていった。

彼の顔がしっかりと見える位にまで。

 

「え..」

 

その表情は、おれが、今までに見たこともない、険しい、顔だった。

スプリンターズステークスの出走を止めたあの時のトレーナーさんも鬼気迫る表情だったけれど、今はもっと。

別人かと思うほどに。

 

「トレーナーさ..」

「来るな!」

 

怒鳴り声が、おれの耳を貫く。

 

「え..おれ..トレーナーさん..何か、怒らせること..しちゃい、ましたか..?」

 

心当たりは、ある。

スプリンターズステークスのこと。

それ以前も、トレーナーさんの忠告を聞かずに、レースに出続けた。

無理を言い続けた。

 

そして、おれは、多分、もう走れないことも。

それも、思い出していた。

ずっと無理をし続けてきたから、きっとピークは直ぐに終わる。

だから、もう愛想を尽かされてしまったのかなと、そう、思ったんだ。

 

 

「戻れ!」

「早く!」

「こっちじゃない!!」

 

違う。

おれに怒ってるんじゃない。

トレーナーさんの剣幕に、動揺したけれど、ようやく分かった。

怒声だけど、その中に、確かにあった。

心配している。

そんな、声色だった。

 

でも、どうしてそんな。

戸惑っているおれに、トレーナーさんは、なおも戻るように叫ぶ。

 

「早..く..」

「トレーナーさん..?」

 

トレーナーさんの腕や足、そして首が、突然伸びてきた髪の毛の束みたいなものに、拘束された。

 

「トレーナーさん?!」

 

駆け寄ろうとしたが、手で押し止められる。

 

「おいで。おいで。キミは、こっちに来ないといけないんだ」

 

気味の悪い声と共に、暗闇の中から、茶色っぽい黒が主体の四足歩行、ゼブラに近しいフォルムで、目は顔と思わしき場所に幾つもギョロギョロと蠢き、口は大きく裂けて、牙を剥き出しにしたナニかが現れた。

 

トレーナーさんは、そいつの尻尾に拘束されたらしい。

 

「今助けます!」

「来るなあああ!!!」

 

何が何だか分からなかったが、とにかくトレーナーさんを助けなくちゃと飛び出そうとしたけれど、その声が、さっきまでのどの瞬間よりも大きな声が、おれの足を止めた。

 

「俺は大丈夫!早く!戻れ!こっちに来るな!」

 

見捨てる訳には行かない。

そう頭では考えていたのに、足は勝手に元来た道へと動き出していた。

 

「ダメだ!止まれ!足!止まって!トレーナーさんが!」

 

だけど、戻ることは出来なくなる。

四足歩行の怪物が、此方へ向かって駆け出してきたのだ。

 

「何なんだ、あれ..」

 

もう、逃げるしかなかった。

おれを食べようとしているんじゃないかと思う程の大口を開けて、追いかけてくる。

 

「お前はこっちだあ!!」

 

そう叫びながら。

 

どれくらい逃げただろう。

いつの間にかおれは、最初に看護師から逃げた後に見つけた十字路に戻っていた。

ただただ、全力で、真っ直ぐ逃げていく。

つまり、最初に選ばなかった方の道へと駆け込んだのだ。

でも、もう、足も動かなくなりかけていた。

そしてまだ、怪物は追ってきている。

 

それでも、トレーナーさんが、逃がしてくれたのに、諦めて良いはずがない。

もつれる足を、動かし続けた。

 

だけど、限界は直ぐに訪れる。

 

もうダメだ。

追い付かれる。

そう、思った瞬間だった。

 

ズドオンという轟音が轟き、風圧におれは転倒させられてしまう。

不味い。立ち上がらなきゃ。

そう思いながら、背後を確認する。

怪物が追ってきているはずの廊下は地面が隆起するようにして、突き出した、黒鉄色の岩によって、塞がれていた。

 

「何が..」

 

そして、おれのいる場所が、病院の廊下じゃなくなっていた。

 

何処までも続く、青い草原が、眼前に広がっている。

美しく、澄みきった青空の真ん中に、全てを包み込むような、明るい、優しくて、安心感を覚える陽の光を、無限に降り注がせる太陽が。

そして、強いけれど、何処か、心地の良い風が吹き抜けていた。

 

怪物は黒鉄の岩に塞がれ、此方に来れなくなったようだったけれど、見るからに禍々しい、黒い煙のようなモノが、岩と通路の壁の隙間から漏れ出て、おれの方に迫ってきていた。

でも、それは向こう、おれの背後から吹いてくる風によって飛ばされていって、こっちに届くことはなかった。

風に飛ばされた煙は、奥へ奥へと飛ばされて、同時にどんどんと上空へと上がっていく。

そして、柔らかくも強い陽光に照らされて、焼けるようにして霧散していくのだった。

 

まるで、おれを守ってくれてるみたいだ。

 

優しい光に照らされて、柔らかな風に撫でられて、漸く落ち着いたおれは、ゆっくりと立ち上がることが出来た。

 

「気持ち良い..」

 

風を身体に受けて、深呼吸する。

そうしていると、おれの顔をふわりと、何かが撫でる。

 

見ると、いつの間に現れたのか、黒い毛並みをしたさっきの怪物と同じような四足歩行の動物が、おれの横に立っていた。

同じようなフォルムだけれど、目の数は二つ。口も、裂けてはいなかった。

風に、黒い鬣がたなびいている。

 

「君は...?」

 

見たこともない動物。

けれど、何だか、懐かしいような。

少なくとも他人のようには思えなかった。

 

その動物は、ブルルと、ロバやゼブラに近い嘶きを上げ、おれと視線を合わせた。

 

「乗れって..?」

 

意志が伝わってくるような、妙な感覚だ。

おれは、ゆっくりと、彼に跨がった。

すると、再び小さく嘶き、彼は、一気に駆け出した。

 

「速い...」

 

おれたちウマ娘と、同じくらいの速さ。

向かい風は、いつの間にか追い風となり、おれたちの背を押してくれていた。

 

ついさっきまで、おれの心を占めていた、恐怖とか、そういうのが、どんどんと、全部、消えていく。

黒鉄の岩の雄大さに、明るく輝く陽光の優しさに、吹き抜ける柔らかな風に包まれて。

そして、彼と共に草原を駆け抜けて。

そのおかげで。

 

そして、もう一つ。

彼が走り出してから、何処かから、おれを呼ぶ声が聞こえていたんだ。

 

「ミラクル!」

「ミラクル!」

 

何度も、何度も。

あれは、トレーナーさんの声。

そうだ、トレーナーさんの声が、ずっと、おれの名を呼び続けていた。

 

その声が、おれ(ケイエスミラクル)を前へと、進ませてくれていたんだ。

 

それから暫く、彼はおれを乗せて走り続けてくれた。

すると、青い空が突然赤く染まった。

前方を見ると、眩しい程に輝く、紅い光が、空を赤に照らしていた。

 

「何だろう、あれ」

 

普通、急に空が赤く染まれば、恐怖を感じるに違いない。

でも、今のおれは、さっきまで、おれを照らしてくれていた太陽と同じくらい━━もしかするとそれ以上の安心感を、その紅い光に感じていたんだ。

 

光の基、正体まで後少しと言うところで、彼が足を止めた。

そして、おれに降りるよう促す。

促されるまま彼から降りると、彼は、そのままくるりと踵を返した。

 

「どうしたの..?」

 

おれの呼び掛けに応えることはなく、彼は、元来た方へと駆け出し始めた。

振り返ることもなく。

 

あの動物が何かも、何故乗せてくれたのかも分からない。

けれど。

これだけは、分かる。

もう、会うことはないのだろう、と。

 

「ありがとう!!」

 

だから、おれは声を張り上げた。

せめて、お礼を。

 

「さようなら!」

 

せめて、お別れを。

 

彼はチラリと視線を此方に向け、一度だけ、高く嘶くのだった。

そして、もう二度と、此方を振り返ることはなかった。

おれは、彼の姿が見えなくなるまで見送った。 

そして、振り返り、紅い光の基へと、重い足を引き摺り、向かうのだった。

 

少しずつ、何かの形が、光の中に視認出来るようになってくる。

何で光の正体を確かめようとしているのか、おれは、深くは考えていなかった。

というより、気にしていなかった。

ただ、こうしなきゃいけない気がしていたのだ。

 

空を染める程に、紅く眩く輝いていたのは、真っ赤な、燃えるような、深紅の━━。

 

「ルビー...」

 

おれは、その紅い宝石に、ゆっくりと、手を伸ばして━━。

 

そうして、そっと、指を触れた。

 

 

 

 





パシャパシャとフラッシュの音が交錯し、ざわめきも聞こえる。

ゆっくりと目を開けると、高い天井に、豪勢なシャンデリア。
そして、それらの真ん中を遮るように、瞳に涙を浮かべて憔悴しきった様子で、おれを覗き込む、トレーナーさんの、顔があった。

「もう..一度」

頬に残る確かな、痛み(想い)を感じつつ、おれは、ゆっくりと口を開いた。

「おれ、走れるかな」

きっと、たくさん心配しただろう。
きっと、たくさん頑張ってくれたんだろう。
でも、トレーナーさんは、優しい貴方は、とても、とても、嬉しそうに笑って、力強く、大きく、頷いてくれるのだった。








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