ただ笑顔を撮りたいだけの少年が救世主として世界を救うまでのお話 作:ヒナニウム欠乏症
完走目指しますので、宜しければ今後も応援、宜しくお願いします。
夜。俺は腕の傷を洗い流すために流し場にいた。数日前に"演習"で負った銃の傷で、そこから滲出してきた黄みがかった膿を清めるためだった。以前膿を放置した結果酷い熱を出し、暫く立ち上がれなかった経験からの行動だった。あの時は、ここの職員に酷く怒られたものだ。
水に触れた傷が、俺の身体に刺激を走らせる。人の笑顔が俺の心の充足のためのエネルギーならば、俺の身体にとっての充足が、このような刺激だった。これを感じられる間は、俺は生きている。そう思えるのだ。
「なに、笑ってるのよ」
声がした。例の彼女だった。
「それ、滲みないの?」
だから良いんじゃないか。
「……本当に、そう思ってるわけ?」少女が俺の肩を掴んできた。「そんな歪んだ笑顔見せられて、はいそうですかなんて言えると思う!?」
鏡を見る。そこにあるのは俺の顔だ。俺の笑顔だ。彼らが俺に暴力を振るうときと同じような、
「……ッ、そんなっ、うちの親みたいな顔が! 正しいわけ無い……!」
彼女はそんな訳のわからないことを言うと、一歩、俺に歩み寄る。俺より頭一つほど背の高い少女は、俺の顔を両手で挟むように保持すると、俺の知らない表情を浮かべて、
「明日。うちが絶対に守ってあげるから。……ね?」
消えていく。暗闇の廊下の中に、彼女は消えていく。俺はただ、立ち尽くしていた。
何なのだ、あれは。
あの、表情は。
あんな柔らかい笑顔を、俺は知らない。
今までのどんな痛みよりも、刺激よりも、心地の良い感触が俺の全身を支配していた。流し場の蛇口を開けっ放しにしていたことに気付くまで、俺は未知の快感に、心と身体を支配され続けていた。
――歪んだ、笑顔。
鏡を、見る。俺は、俺の思う笑顔をしてみた。
あの笑顔を知った後に見た俺の笑顔は、どうしようもないほど醜く、歪んだものだった。
ぐしゃり、と。
俺の中の常識に、罅が入る音がした。
ぐらぐらと。身体が揺れていた。
「おい、クソ。お前足引っ張るんじゃねえぞ? 良いな?」
声がかけられる。昨日俺を殴り飛ばしていた少女だ。頭の上に灰色に近い色のヘイローを浮かべた彼女は口ではそう言いながらも、その顔には微かな笑みを貼り付けている。俺のする笑顔と同じ、三日月のような口の笑顔だ。俺は一睡もしていないことで動きを止めようとしている己の頭を振りながら、ひとつ息を吐いた。
「……何だって、お前みたいなのが一人部屋なんだよ、クソ」
傍から見れば、俺という存在は成績底辺なのに優秀者の証である個室を手に入れているエコヒイキ野郎なのだろう。実際俺も、何故こんな扱いをサれているのかはいまいち分かっていない。分かってはいないが、少なくともまともな理由では無いのではないだろうか。俺は昨晩から、そんなことばかりを考えていた。
はじめての経験だった。
自分の中の常識を、それまでの当たり前に疑念を持つという行為自体、俺にははじめてのものだった。
俺は、全てを受け入れてきた。そうしなければ、生きていけなかった。
だから、受け入れた。本能のままに、動物的に。それこそが正しい理なのだと思いこんでいた。
それを打ち壊したのが、彼女だった。赤いヘイローを浮かべた、赤髪ツインテールの少女。俺より頭一つほど背の高い、俺をいつも助けてくれる女の子。彼女は怒っていた。今なら何となく、分かる。彼女は、彼女の中の常識に照らし合わせて、俺の境遇を哀れんでいたのだろう。それは駄目なことだと考えたのだろう。
ならば、今俺に出来るのは、選ぶことだ。
どちらの常識が、俺にとって正しいものなのか。
そこまで考えて、俺は気付いた。彼女の名前を知らないことに。俺を変えてくれた人間の名前を、俺が知らないことに。
辺りを見回す。彼女はいない。既に、今日行われる演習は始まろうとしているのに、彼女がいない。俺は護身用のハンドガン――これでも両手で抑えつけなければ反動でひっくり返ってしまう――を抱えたまま、彼女を探していた。
しかし、時間は進んでいく。彼女がいないまま、演習の開始を告げる空砲が、空に向かって放たれる。
爆音が響き渡った。身体が、地面が、何もかもが揺れた。見れば、俺たちが暮らしている施設から、黒煙が立ち昇っていた。
声が漏れる。これはどういうことだというのだ。思わず俺は周囲を見渡した。そこで、違和感に気付いた。
誰も、動揺していない。唖然とした様子も、驚愕した様子も、喚き出す様子も、全く無いのだ。
「――これより、本日の"演習"の内容を発表します。このように現場で命令が変更されることも、少なくありませんからね」
施設の職員の一人であるロボット頭の男性は、それを当然であるかのように言い放った。
「標的は、本施設の最優秀成績者である『河駒風ラブ』。彼女を打ち倒し、ここまで連れてくること。……皆さんの手で、頂点を奪いなさい!」
歓喜の叫びが、空間を支配した。彼女が個室を持った、最優秀成績者であることを俺は知っていた。俺が知りたかった恩人の名前は、あんまりな方法で俺に齎された。
「いいねえ! アイツ、目障りだったんだ!」
鼠色のヘイローの少女が、ぎゃははは、と笑う。
「何が『弱い者いじめは駄目』だぁ!? 良い子ちゃんぶりやがってなぁ!」
「あいつがいなければ、俺が個室持ちだったんだ!」
「"サンドバッグ"でスッキリすることも邪魔しやがって!」
漏れ出てくるのは、少女――ラブへの不平不満だった。俺は見た。ここで少なくとも二年は共に過ごしてきた連中を振り向いて見た。
笑っている。
哂っている。
嗤っている。
舌舐めずりして、その暴力を向けることを心待ちにしている姿がそこにあった。
俺が何度も見つめてきた笑顔だった。
毎日のように向けられていた暴力に付随していた笑顔だった。
ラブのあの笑みと比べて、余りにも醜い笑みだった。
ああ、と。俺は理解した。理解できた。
――こんなものは、俺が望んだ笑顔では無い。
――彼女の笑顔は、俺の苦しみからは生まれやしない。
――こいつらの笑顔を、俺が許容してはならない。
俺は無言で、合図も何もかもを無視して、建物の中へと飛び込んでいく。罵声と絶叫と足音が乱れ飛び、俺に着いてくるように後から響いてきた。
「そこっ、待て、化け物!! 止まらんか!!」
職員の絶叫を無視して、俺は火薬の香りが充満する廊下を突き進んでいく。目指す場所は、この黒煙の発生源だ。
爆音がする。場所は、この施設の中枢、恐らくは、調理室だ。
ラブの名を叫びながら、俺は走った。幾度かぶつかった鉛玉の感触なんて、全く無かった。
「――そこまでだ、河駒風ラブ。とうとうやってくれたな」
がしゃぁん、と。空っぽの寸胴鍋が大破して転がっていく。食器が砕け、タイルが煤けひび割れたキッチンの中で、ラブは這いつくばっていた。ぽたぽた、と。その肩口からは真っ赤な雫が溢れている。
「どういう、ことよ。早すぎる……!」
ラブの表情は、苦痛と驚愕。完璧だった作戦を看破されていたことへの恐れが口をついた。
「ふん。お前たちのような連中を集めているんだ。部屋ごとに監視装置くらい用意してある」
「だったら……何で、私を止めなかったの……」
「何故って」ラブの動きを止めた職員の獣人は何でも無いように、「お前を潰すためだ」
「つぶ、す……?」
「誰かを庇ったりするお前が頂点に立っているせいで"選別"が進まなくてね。いい加減に、というところで、一石二鳥の案が出たのさ」
虎の獣人の男は、くい、と顎をしゃくるようにした。音がする。無数の足音が響いてくる。
「お前の心を折る。二度と"選別対象"共のカリキュラムを邪魔しないようにな!」
ラブの脳裏には、幾人もの彼女の敵の顔が浮かぶ。彼女の持つ常識から外れ、そして彼――リヒトで「遊ぶ」下劣な連中の顔だった。
「ふ、ざけ……!」
「選別する"軍人"に正義感など不要なのでね。その伝播を引き起こしかねず、尚且つ誰よりも強いお前は、端的に言って邪魔なのさ」
足音が、近付いてくる。ラブには、その足音は死神の呼び声にも聞こえた。どたんばたん、と。何かが崩れるような音が連続した。
「ああ、安心しな。死にはしないよ。ここで殺させちまうと歪むんだ。……それ以外は、全部やらせてもらうがね?」
「……ッ、あの子、は。写野リヒトは!」
「……心配して何になる? ありゃあ、サンドバッグだ。選別対象を選ぶ上で便利なね。それを邪魔するてめえが邪魔なわけ。おわかり?」
外道が、とラブは思う。そして、彼女は自分が情けなくなった。全て、彼らの手の上だったのだ。自分が消えれば、リヒトはどうなるだろう。戻るのだろう。痛めつけられることこそが世界の真理であり、そして正しい生き方なのだと信じ込んだまま、笑顔で、死ぬ。そうなるのだ。
終わるのか。何一つ、為せないままに。ラブは静かに目を閉じた。
足音が、辿り着く。
ガキィン、と。
金属が肉を叩く音がした。
そろそろ(オリ主)強化されるかな? どうかな?