ショット=ビーツヘルム──────《人外狩り》
長瀬創(ながせ・はじめ)────────刑事
椛野穂咲(かばの・ほざき)──────銀狼隊
添木番(そえぎ・ばん)────────銀狼隊
天峯此見(たかみね・このみ)─────銀狼隊
響枷颯(ひびかせ・そう)───────銀狼隊
猿渡百合(さわたり・ゆり)──────銀狼隊
狗我山大牙(くがやま・たいが)────銀狼隊
運命とは常に唐突なもので、それに動かされた展開はいつもご都合主義的に訪れる。それ自体に抗いようはなくて、ただ訪れたものへの選択を迫られる。その先にあるのが答えや救いであったとしても、それには必ず悔いと痛みが伴うものだった。
銀の狼に手を取られた春の日がそうだったように。
黒の因縁と相対峙した夏の日がそうだったように。
赤の炎に身を呑まれた秋の日がそうだったように。
青の桜から顔を背けた冬の日がそうだったように。
その度に、自分の非力を噛み潰し、世界の非情に打ちのめされる。
風が吹く。大学での用を終え、事務所への帰り道。傾く陽が照る橙の街道で、望月はその男を見た。車道を挟んだ道を、向こう側から歩いてくる男。
日本人離れした高身長。実際、鼻筋の通ったその顔つきは日本人らしくはない。赤いレザーのセットアップが住宅街には不釣り合いで、硬い生地の上からでも分かる鍛えられた肉体は鋭い威圧感を放つ。何より、歴戦の肉食獣のような、研ぎ澄まされた
一目で分かる。その男が
構える身体で、逡巡する。
彼の危険性は理解している。いずれ戦うことになるなら、何も起きていない今のうちに先手をとるべきなんじゃないか。
逸る思考に、感情が後ろ髪を引く。
彼女の見せた表情と、楽観的な空想にも近い理想――このまま何も起こさず、ただ旧友と再会してくれたら。
「……いや」
だからこそ、むしろ――
「オマエが
前へ傾きかけた体を、しかし対向からの声が付き返した。
刹那の動揺。続く行動を遮るように、狭間の車道を車が過ぎる。次に向かいが見えた時、男の姿は消えていた。
ただ一つ。言葉尻に浮かべた、薄い笑いの残影だけを残して。
耳をつんざく高音。銀狼隊本部施設内のいたるところに取り付けられたスピーカーから鳴り響く警鐘は、管轄区域内において大きな異能犯罪が発生したことを意味している。
『都内数か所でテロ発生。全て同一の異形の群れ。行動可能な隊員は直ちに対応してください。場所は――』
オペレーターによって位置と概要が告げられれば、各自が専用端末から作戦参加を表明する。緊急を要する事件への対応を迅速にするため、先々代の幹部が取り付けた遺産と言うべき警報システムが、この日もその役目を果たしていた。
「私出てくる」
「僕も行くよ。数要るでしょ」
「悪い、俺は別件」
「そっちも頑張ってー」
まだまだ新人の隊員同士のそんな会話があちこちで聞こえ、出撃を決めた隊員たちは自然とエントランスに集まった。号令などはなく、施設を出るならそこが正面というだけ。しかし、戦場へ赴く者たちにとっては大きな意味を持つ。
背中を預ける仲間と、別の戦場を託す仲間と、最後かもしれない顔合わせ。そして、最期にせぬための、無言の誓い。
瞬きの間にそれを済ませて。少年少女はそれぞれの戦場へ駆けだしていく。
「各自、回線はオープンで大丈夫。生存を最優先に動いて」
今作戦の司令塔を担う、現幹部たる少女が無線機を通して全隊へ指揮をとる。部下たちの先頭を征く。部下たちの道標となるために。道標とした炎を追うために。
「先輩!」
そんな彼女へ、快活な少年が並走しつつ声をかけた。
「今回は、おれが先輩を守りますからね!」
力強く拳を握りつつ、そんな風に笑う後輩に、少女は微笑ましさを抱く。
今回は、と限定するのは、以前の戦いで攻撃から庇ってもらったことを指しているらしい。その際、少女は軽微だが傷を負ったため、素直な彼がそれを気にするのは仕方のないことかもしれなかった。
しかし、その青臭い泥臭さが、なんとも後輩らしく気持ちがいい。
少しだけ可笑しそう笑みを零してから、
「うん。頼りにしてる」
彼の熱意に応えるように、揺るがぬ信頼を乗せ、少女は頷いた。
同時刻。望月の携帯が鳴った。
「長瀬さん、どうし『今どこいる! 動けるか?』
デジャブ。頭にキンと響くものを振り払う。
「落ち着けって。どうした」
『都内の数か所でテロだ、銀狼隊は既に動いてるが、手が足りねぇ』
宥められて尚、焦燥を拭えきれない様子の長瀬と裏腹に、望月は揺るがず冷静に答える。
「分かった。俺の近くは何とかするから、他に人回すよう隊には連絡してくれ」
そうして簡潔な会話で電話を切り、間もなく相互送信される位置情報を確認する。テロ発生地点は全部で七か所。うち二か所がすぐ近く。
方角を確かめれば、二、三歩踏んで、足にぐっと力を込める。
血管を熱が巡る感覚。やがて足裏を介し、それは外界へ。靴を焼き落として炎が噴き出し、望月の身体を空へ突き上げた。
「あっちだな」
上空から状況を改め、近場の内、黒煙の上がる一方が最優先だとあたりを付ける。
炎の推進力を指向、火力を上げて加速。一息に現場へ飛ぶ。二度瞬く内に現場上空へたどり着けば炎を鎮め、落下する間に敵と周囲を見定める。目標は三体。機械的な容姿。鼓動や呼吸の様子がなく、何かの絡繰りで動く人形だと断定。長い腕に反し脚は貧弱そうで、機動力はないらしい。
民間人はほとんどが逃げのび、広い道の半ばが開けていた。
「加減の必要はねぇな」
口角が吊り上がる。敵は無機物、民間人とは距離があり、巻き込む心配もない。全力を出す必要も無いが、変に気を遣う必要も、また無い。
頭の中ではすでに、三体の敵を手早く倒す軌道が組まれていて。イメージとの寸分の狂いもなく、望月の肉体が躍動する。
着地と同時。撃鉄に打たれたように、望月の足元で炎が爆ぜた。全身を吹き飛ばす推進力。真っ直ぐに、絡繰人形へと肉薄する。
先に一体へ、肩から胴を切り裂く、上段蹴り。
次ぐ一体へ、回転に乗せ、正中を射抜く、後ろ回し蹴り。
足から再度炎を蒸かし、二体を焼きつつ離れた最後の一体へ。炎を灯した熱拳で以て、鳩尾を貫いた。
「よし、次」
息をつき、次の現場へ。後処理は警察に丸投げして問題ないだろう。
次の現場は目と鼻の先。二、三秒飛ぶだけで到着した。
「今度はでけぇな」
こちらには、先の現場にいた三体にくらべ、遥かに大きい。地面から頭まで目算、十メートル強。重い体を支えるためか、脚も強靭そうだ。
「まあ、やることは変わらねぇ」
足により強く力を込める。火力を強く、炎を細く絞り、推進力は爆発的に上昇。巨大な人形の頭部へ、空を裂き、駆ける。
加速。加速。加速。
亜音速へ至る加速の果て、翻り、衝突する。
「――ッ!!」
ぱん、と破裂に似た轟音が響く。空には炎の線。途中で途切れ、火花が散る。人形の巨頭があった位置には、伽藍の空気と、落ち切らない瓦礫だけがあり、火花と共に風に舞う。
突き抜けた先、人形の背後には、背中合わせの形で望月が。突き出した蹴り脚をそのままに、道路へ落下、着地。振り返り、人形を見上げる。
蹴り貫かれた勢いのまま、倒れ込んでくるだろう。と、周囲の被害を考えて、受け止めるつもりで身構えていた。しかし。
「……そういう感じね」
――人形は、依然として直立していた。
だけでなく、変わらず駆動し、望月の方へと振り返る。
頭部を失くして尚、人形は活動を停止してはいなかった。
「不死身……なわけじゃねぇよな。それなら修復が組み込まれてなきゃおかしい」
尤も、無機の人形なのだから、そもそも死ぬことも生きることもしないのだが。
思考。先の現場では、三体の人形は問題無く活動を停止した。自分が去った後に動き出したのならその限りではないが、それならば現場の処理へ向かったはずの警察から連絡が入るはず。その可能性は除外して構わない。だとすれば、倒す方法に特定の条件があると考えるのが自然か。
三体を倒したときの共通点。目の前の巨大人形との違いから仮説を並べ立てる。
仮説一。高熱による焼却が弱点。――却下。*1
仮説二。個体によって倒し方が異なる。――保留。*2
仮説三。体内のコアを破壊しない限り倒れない。――可決。*3
「だとすれば…」
重ねて思考。単純な造りから、コアが移動する線は除外。先の三体の致命傷はそれぞれ、肩から胴、正中、鳩尾。どれも体の中心。より正鵠に、上半身の正中線上。人体であれば、
「つまりはギリギリ逸れたわけか。はっ、運のいい人形だな」
自嘲気味に笑い飛ばし、意識を思考から外へ。
人形が、動く。
人間二人分はあろうかという巨腕を望月へと振り被る。その動きは、ただでさえ単調だが、頭部を欠いたそれは、より乱雑で、正確さにも欠けている。頭部はコアでないため、動けこそするが、感覚器も中枢器官も、その多くを担っているのが頭部だったのだろう。
機械的であるを支える部位が、生物的中枢という、矛盾。
生物的中枢を欠き、機械的な正確性を失うという、破綻。
歪な構造を纏めた人形は酷く精巧だが、それは繊細すぎる。
単純な大振り。激昂した人間のような、無作為で考え無しの直情的な攻撃。一切の精細が存在しないそんなものは、殊、望月朔兎を相手には、
「――ははッ」
鬼が笑う。綽々と、人形の動きのすべてを目で追いかけ、その全てを、悪辣に嗤う。
インパクトの直前、跳躍して躱せば、地面を打った拳の上に着地。一息に巨腕を駆ける登る。肩口から大きく踏み切り、足裏で炎が爆ぜる。人形が前のめりに体勢を崩すと同時、望月はその背後へ高く飛び上がる。
巨大なアームハンマーは、一転、望月が再び攻勢をとるための足場へと成り下がった。
手首を揃え、開いた手を前方へ構える。熱が奔り、火花が散った。高熱を湛えて掌が赤らみ、
「潔く、倒れときなッ!」
噴き出す炎が、一閃。一直線に、人形の胴を貫いた。
人形の体勢が崩れ、落ちる。土埃と轟音をあげて、うつぶせに倒れ込んだ。
「すぅ……、はぁ」
深く息をつく。しかし、のんびりする時間は無い。ここも後に到着する警察にまかせ、次の現場へ行かなければ。長瀬に啖呵を切った手前、格好がつかない。何より、時間が経った分だけ、被害は拡大していくのだから。
戦いが終わったと見て、野次馬が寄りだしたが、実際、人形はもう動かない。気にする必要もないだろう。
「さっさと次に……ん?」
方向の確認のため、周囲を見渡せば、今し方倒した人形が目に入る。否、正確には、貫いた銅から上る、青い光帯が。
「あれは――」
立ち上る光に、望月は見覚えがある。ついさっき、見たばかり。
倉波が実践して、見せてくれたばかり。
「魔力…ッ!」
いくらなんでもそれは、タイムリーが過ぎるだろうが。
急いで人形に駆け寄り、傷口を覗き込む。奥には、貫いたままに地面が見えていたが、その半ばあたり。やや左半身に寄った――人間であれば、ちょうど心臓がある位置に、橋を架けるように水平に残っている
それは剣だった。全長は大型ナイフほど。短剣と呼ばれる類のものだ。
無骨な造り。素手で持っても切れない鈍らだが――それは確かに
その
つまりは、これが《魔剣》。――魔剣遣い。
キーン、と、冷たい音がする。
見れば、それは望月が手に持つ魔剣から聞こえていた。
キィーン、と。耳鳴りのように、それは響く。徐々に大きく、五月蠅く。
そして光を増す。音と共に増長する様は、それが何を起こすのかを容易に想像させた。
「…まずい」
規模は未知数だが。しかし、周囲には既に野次馬が集っている。こんな仕掛けを施す奴の意図を考えれば、巻き込まないなんて楽観ができる訳もない。
「今すぐ離れろ! 爆発するぞ!」
声を張り上げて警告する。しかしただの一般市民、素人。反応は見られても即行動に移せるほどの冷静な判断力を持っている者は少ない。中には逃げる者もいるが――ほとんどは困惑、焦燥。良くても恐怖。
そう、民衆は素人。一般人。無能力者。
魔剣遣い。――人外狩り。能力者を、狩る。なら、無能力者は?
能力者に対するが前提の牙。それが、無能力者に剥かれた場合。
そんなもの、まず助からない。
まずい。まずいまずいまずい。
こんな人だかりの近くで爆発なんてすれば、何人巻き込むかも分からない。
逡巡。できるだけ高く飛び上がるか?いや、しかし。やはり規模が読めない。魔剣が宿す光は白みだし、既に臨界点に達しつつあると察せられた。時間は、もうない。
耳鳴りがする。
「くそっ、渋ってる場合じゃねぇな…!」
魔剣を上へ、高く空へ投げ飛ばし。望月もまた追い縋って跳躍する。
「ふーぅ……」
深く息を吐き、思考を晴らす。刹那の間に集中を済ませた。
ごお、と音を立てて炎が噴きあがる。望月の全身を飲み込まんばかりのそれは、太陽とすら重なるほどに雄大であり、煌々と輝き揺れる。
胸の前で両手を十字に組む。掌を合わせず、飽くまで向い合せて。
雄々しく燃ゆる炎が、静まっていく。否、勢いはそのままに、中心に引っ張られ収縮していく。引っ張られる先は、向かい合う掌の隙間。収縮し、圧縮されていく。やがて、手の内にすっぽり収まるほど小さな球体となって。
同瞬。魔剣の輪郭は白光に包まれて霞み、望月の眼前を舞いながら臨界を告げる。
「《
切り取った一節。焔を足元へ。今望月が立つ空中、空間、世界の断片へ、叩きつける。
解放、膨張、拡散。
解ける。融ける。熔ける。
視界の全てを、赤が塗りつぶす。
緋。火。陽。緋色。火蝕。どこもかしこを、どこまでも続きすべてを閉ざした焔と、同色の結晶だけに包まれた赫世界。焱世界。
――望月朔兎の、《世界》。
そこに、望月の姿はない。或いは、
赤の他に何も無い世界でただ一つ青白く輝く剣が、内包した光に耐え切れず、決壊。爆発した。
それを揺らめく焔の中から眺め、世界の外へ及ばなかったことへの安堵を零し、世界の維持を手放した。赫が散り、夕焼けの橙が入り込む。再び形を成した望月が、霧散していく赫の中から、現界へ降りつつ、ふら付く頭に手を添える。
簡易的に
魔剣。――魔剣遣い。
「それじゃあやっぱり、さっきの男が、
と。望月が地に再び足を着いた時、携帯が鳴る。
「望月、そっちは無事か」
相手は長瀬。別の現場の処理を終えたタイミングだろうか。
「壊した人形が爆発してな。幸い怪我人はいねぇが、そっちにゃデカいのがいたろ」
向こうの報告に胸をなでおろす。倒すだけして後処理は丸投げしたが、長瀬がこの調子なら先の現場も問題ないだろう。
「ちと苦労したが、問題ねぇ。爆発の処理はしたから、次に移る」
「そんならこっちに来てくれ、至急な」
「はいよ」
通話を切って――腹に響く轟音が鼓膜を打つ。それは絶えることなく鳴る。風切り音。打ち合う音。弾ける音。聞き馴染む異質。異能のぶつかる、戦闘の音。
「――銀狼隊」
音の鳴る先、少し離れた中心街の方を一瞥し、呟く。懐かしむように、想起するように。
しかし今は、そちらじゃない。
逃避するように、次の現場へと空を駆けた。
「先輩、何ですかあいつ」
少年が頬に冷や汗を伝わせる。その睨む先、赤い革服に身を包む男が、倒れた大人形の上に立ち、気怠そうに顎を上げてこちらを見下ろしている。
「分かんない。外人さんっぽいけど」
暴れていた人形たちの拘束を終えた少女が、身構えて警戒しつつ男に向かい合う。
「なるほど、オマエたちが《銀狼隊》か」
男が薄く笑う。
「1、2……6
仲間たちを男はこれ見よがしに指さしで数え、肩を跨いで自身の背後に手を回す。その手が握ったのは、虚空から覗く得物の柄。
「まずい! 全員構え――」
男の動きより僅かに早く少女が声をあげ、まるで他人事のように少女の耳に響いた。
続くのは、胸に走る熱。
「先輩……ッ!」
「へぇ、中々」
瞬きよりも速く少女の懐で、得物――無骨な直剣を振り下ろしていた男が、感嘆の息を漏らす。
それは沁みついた生存本能と反射。後ろへ足を引き、僅かに体を逸らした。結果、確実に命を絶ちに来た刃が、僅かに致命を逸れて肩から脇腹へと、体内を抜けていった。
「く――ッ…」
苦悶が漏れる。しかし、それでも少女は膝をつかず、毅然として男を睨む。
「てめぇ、何しやがるッ!!」
傍らの少年が咆えた。周囲の隊員たちも同様、男への敵意が増長する。
「何、って? オマエらを狩るのさ」
一身に受けて男は挑発を返し、更にその口角を歪めて笑う。それが開戦の火蓋を切り、少年少女は男へ殺到した。後ろ跳びで間合いを取る男を、傍らに立っていた少年が追い立てる。
「逃がさねぇよッ!」
異形に肥大する右手を横に薙ぎ、男へ叩きつける。即応して直剣でガードを構えるが、しかし宙に浮いたままで、勢いは殺せない。
巨大な腕を振り抜かれるままに投げ飛ばされ、その先には他の隊員四人が陣を成す。
「合わせんぞ!」
光。槍。岩石。それらを一方向に束ねる一陣の風。
数多の異能が、無防備な男の背中へと殺到、衝突。余波が押し寄せ、あがった土煙に男の影は飲み込まれた。
風に乗り、土煙が晴れる頃。見えるのは倒れた男の姿であると予見した。
しかし――
「流石、戦い方は弁えてるらしいな」
そこに男の姿はなく。余裕綽々の声だけが響いた。
「ッ、後ろ!」
同時。先行し集団と離れていたがために、唯一それに気づいた獣の少年が叫ぶ。隊員が応じて振り返るより早く、一人の苦悶が響く。連携において、風を飛ばした少年が、側頭部からの衝撃に倒れた。
「危なかったぜ、実際」
少年少女が振り返った先。片足を振り抜いた姿勢のまま、男は立っていた。倒れた少年は意識を飛ばしている。
二年、
連携の要を、一斉射撃において攻撃を束ねた風使いの少年であると見て、男は真っ先にそこを狙ったのだ。
「くそっ、得体の知れねぇ…!」
誰かが恨み言を零した。
初手に見せた俊敏さといい、攻撃を凌ぎ背後に回った方法といい。テレポートでもなければ説明のつかない動きをして、消耗らしいものもない。少年少女らが慣れ親しんだ戦い方にならない。明らかに異能を使っているのに、異能戦を拒絶され続けているような違和感。それでいて、司令塔や戦術の要を確実に狙ってくるクレバーさ。
未知。その一言に尽きる印象に、百戦の影だけが覗く。
「そら、かかってこいよ。
得物を持ったままの手で招くように、再度、男は少年少女を挑発する。
「何体いんだよ、これ」
獣の少年が恨み言を漏らす。
小隊の一人が倒れたのが見えた。早急に合流しないといけないのに、それを阻む無数の影。
「投げ飛ばされる一瞬で仕込んでったのかな。なんて抜け目ない…ッ!」
幹部の少女が口惜しそうにぼやき、少年と背を合わせる。
男が吹き飛びざま、無数の短剣をばらまいた。それが、周囲の土で肉体を形成しだし、無数の絡繰人形へと変貌した。
「体のいい足止め……さっさと突破するよ」
「もちです。ってか、先輩なら全部まとめてやれるんじゃないですか」
「普通ならね…けどこいつら雑に処理したら爆発するし」
「ああ、そういやそうだ…」
「二人で叩けば道くらいすぐ作れるよ。鎖骨は断たれてるけど、私は元々蹴りメインだし――」
「先輩って、おれより馬鹿なんすか?」
「えっ」
後輩の心底呆れた声。
少女の首から下を見ればその理由も一目瞭然。肩から脇腹にかけて、なんとか致命傷を免れた刀傷が走り、利き手側の鎖骨と共に筋肉や靭帯も断たれている。少女自身の能力で、なんとか止血だけはできているが、当然に、激しく動いていい訳がない。
「前衛は全部引き受けるんで。援護と……向こう見るの、お願いしてもいいですか」
向こう。とは、離れてしまった他の隊員達のことだろう。自分の状況だって手一杯だろうに、意識を仲間へも向けた発言に、少年の成長を感じつつ、少女は頷く。
「分かった。他の事は引き受けるよ――手綱は私が握るから、好きに暴れて」
先輩への信頼。それが、少年の鍵を開ける。
「了解! ――ッ、が、アァッ!!」
電流のように、激痛が全身を駆け巡り、少年の骨格が組み変わる。全身の骨が再構築され、それに引っ張られる形で筋肉が変形する。
疾駆に長けた内曲がりの脚。岩すら穿たんばかりに鋭利な爪。肉を喰い千切ることに特化した鋭い牙の並ぶ口。しなやかな鎧となる毛皮が生え、耳と鼻はその感覚を拡張して伸長。そして、獲物への執念にギラギラと光る、黄金色の瞳。
少年の能力――獣化。本人のイメージに従い、動物の性質を発現させる。獅子から鳥類、爬虫類や魚類に至るまで。少年が明確にイメージできる限り、種類に制限はない。
数多の獣の中で、殊近接戦における少年のお気に入り。それが――狼。
隊が名を冠する銀狼とこそ、少年は最も波長が合った。
全身が全身、狼の特徴を現し、しかし大元の骨格は人間のまま。二本の脚で地を踏み、駆ける。
「ガ――ァッ!!」
唸り、咆え、銀狼は絡繰人形の群れへと飛び込む。剣のような爪が胴を貫き、心臓部たる魔剣を破壊した。
半端に破壊した場合、心臓部の魔剣が爆発する。
メカニズムまでは分からないまでも、男が現れる前からそれは発覚しているため、少年は一撃一撃で、確実にそこを捉え、破壊していく。
「ッ、しまっ――」
が、多勢に無勢。雑に薙ぎ払うことのできない条件があるなかで、四方を人形に囲まれれば、数の暴力に抗えない。しかしそれを抑えるのが少女の役目。
鞭のようにしなる
「ふー…危ない危ない…。――気にせず進んで。守れるから」
「うっす!!」
信頼を背に雄々しく応じ、迷わず前を見る。しかし、その梯子を外すように、少女の声が続く。
「ッ、ごめん、一瞬隙間空けて!」
迷わずそれを聞き届ける。数体の人形から魔剣を抜き取り、別の人形へ投げつける。
やがてそれが爆発すれば、有象無象の群れに道が開ける。周りの人形が押し寄せ、その道もすぐさま狭まっていくが、
「オッケー充分!」
束の間開いた群衆の穴。その先の男へ、少女は使命のように手を伸ばした。
「来なくても、こっちから行くぜ」
踏み出す男の顔に、悪辣な笑みが浮かび――それが、後ろへ弾けた。血は流れず、ただ仰け反る。男を射ったのは
陣から離れ、現在足止めを食っている、初めに斬られた少女。今戦闘における、彼らの司令塔。現銀狼隊幹部の放つ、不殺の弾丸。植物と炎、二つの相反する属性を混合した妙技。
それは意図的に、著しく殺傷性を欠いている。しかし瞬間的に、脳漿をぶちまけるように男の意識を散らせた。
「あなたの方が、よっぽどバケモノでしょう」
そして、苦境の中で抗う仲間の作った隙を逃すほど、ここに集った狼は愚鈍ではない。
始めに動いたのは短い黒髪の小柄な少女。小隊最速の尖兵たる槍遣いが切り込んだ。刹那の失神から覚めた男は、剣の鎬で槍を逸らし踏み込むのに合わせ、肘を少女の腹へと突きこんだ。
肘打ちを跳躍で躱し、地面についた槍を支点に男の頭上を越し、後ろへ回る。
「合わせて!」
「分かってらぁ!」
拳に岩石を纏う大柄の青年が応じ、槍遣いの少女と呼吸を合わせる。
背後からは槍、前方からは岩石の拳。挟み打つ突きが男を襲う。突き同士が交差する頃、しかしそれらが穿つのは空のみ。
「ッ、ハ――!」
猫のようにしなやかな動きでそれらを回避しつつ、男は青年の懐へ飛び込む。顎への掌底が脳を揺らし、鳩尾に肘。下がる顔面へ膝を叩きこむ。
「…がッ……」
「この…っ!」
青年が怯む間、男の背へ再び槍が迫る。それを難なく剣で弾きつつ、男は少女との間合いを詰める――が、槍を離した左掌から
「お前は中々悪くねェな」
横へ逸れて躱しつつ、男は笑む。どこまでも余裕綽々。多勢に無勢なくせして、戦いを楽しんでいる。
眉根に皺をよせてそれを見つつ、少女が青年へ声をかける。
「まだ動けますか?」
「誰に聞いてんだ、それ」
「重畳。けど、一旦下がりますよ」
淡泊に告げ、槍遣いの少女が跳躍で後退する。
「は?――うおっ!?」
困惑に振りむくが、反射的に身を避けた。影すら消える程の真っ白な光と、掠めた岩を赤らめる熱が、男へ向けて真っ直ぐに放たれる。
「あっぶねぇな!俺に当たったらどうすんだよ!」
「ごめん、トロい奴の巻き添えまで気にしてられないし。当たってないじゃない」
青年の憤慨に、光の主たる少女は淡々と、裏腹に信頼を添えて答える。
岩を焼くほどの熱光線。常人であれば気絶では済まないが。
「ちと眩しいな」
男はしかし悠然とそれに向かい、剣を光へ翳す。刹那、刃が青い光を放ち――白と青が衝突、交錯する。青が白を掻き分け、男から左右に逸れて彼方へ。
「うっそぉ」
場違いに緩い声音の光使いの少女だが、その眼は離れず男を映す。
「多分、さっきの連携抜けてきたタネもアレだよね。面倒だ」
「近接での決定打を狙った方が良さそうですね。私が出ますから、後方支援を頼みます」
「任せてー」
「そっちは響枷先輩を」
「おう」
手短に打ち合わせを済ませ、それぞれが配置に散る。
槍遣いの少女が歩み出て、男と向かい合う。少女の瞳に慄きはない。右手の長槍に加え、左手には、長柄の剣とも見える短槍。
長短一対の
自然体の構えから滲む習熟にそれを察し、男は笑みで返す。
「良かったのか? 前衛減らしちまって」
「むしろ重畳。こちらの手勢が揃うまでの束の間ですが、お付き合いを」
「そんなら――
薄い青。直剣が空を横薙ぐ。
「なにを……」
不可解に眉根を寄せ、次ぐ光景に否応なく理解すれば、瞠目する。
男の左手が、直剣が裂いた
「ッ、空間の切断……!」
驚愕、困惑の端に、納得の念が浮かぶ。それなら、と。
それなら、テレポートじみた移動にも説明がつく。なんてことはない、本当にテレポートしているだけのこと。
詳しい理屈までは分からない。裂かれた空間が元に戻る時に引っ張られるのか。はたまた切って開いた口から空間の隙間を通っていくのか。どちらにしたところで脅威は変わらない。打ち合いが成立した以上、それほど小回りの利くものでもないとアタリをつける。
しかし不可解だった。こちらをバケモノと呼ぶ言動から能力者ではないだろう。異種族らしい特性も見受けられない。だとすれば、やはりタネは剣の方か――しかし、ただの無能力者とするには、身体能力が高過ぎるし、何より速すぎる。
得体が知れない。
思考して得た回答は、初めと変わらぬ印象でしかなかった。
「怖じけたか?」
少女の瞠目に、男はただ不敵に、悪辣な嗤いで応える。
「まさか」
より攻撃的に、二槍を構え直す。
「ここまでやりがいのある戦闘は初めてです」
「イイね。イカレてんな、オマエ」
そして男も二刀を構える。
それぞれの使い手が、それぞれの得物を、それぞれの手に。
右手に長槍。左手に短槍。
右手に直剣。左手に曲剣。
向かい合い、睨み合う。
永遠に拡張されたような刹那の間が過ぎ、
「――ッ!」
少女が地を蹴った。
牽制を込めた長槍の横薙ぎ。男が仰け反って躱せば、短槍の突きがそれを追う。
「ハッ――」
一笑。
曲剣が短槍を絡め取り、男が一歩踏み込む。カウンター気味に、直剣を少女へ振るう。それを長槍を回して石突側で弾き、男の胴を蹴飛ばして後ろへ下がる。
男が再度、距離を詰めようと踏み込んだ。しかし、それを阻む光球が眼前に一つ。反射的に後退し、その奥を見やる。
「まるで熱い一対一みたいで、ヤキモチ焼いちゃうな~」
緊張感を欠いたような緩やかな調子で、後方に構えていた光使いの少女が声を挟む。
「私もいるの忘れないでほしいんだけど」
光球が点々と、その数を増やす。
「ちゃんと頼ってますよ」
「そう?良かった」
短いやりとり。槍遣いは駆け出し、それを光が追いかける。
「イイね。まとめてこいッ!!」
高揚で応じ、男も踏み出す。
剣と槍が打ち合い、続けて鍔迫る。
「はァ、ッ!!」
少女の口から気合いが迸る。しかし、
「やっぱ、軽ィな」
男が力をこめれば、易々と均衡は崩れ、弾かれる。
技は互角か、槍遣いがやや下。素の身体能力では丸きり敵わない。打ち合いの成立は、遠心力によって振りかぶる威力が段違いであることと、間合いを取りやすいこと、
「ふぅ――ッ!」
すかさず少女が長槍を振るい、男が曲剣で受ける。
「同じ事を……、ッ!」
再び槍を絡めとり、引き寄せる。男の重心が後ろへ傾いたその一瞬を逃さず、少女の側から槍を押し込み、手放す。それは合気にも似た、力の流れを読んだ崩し。膂力で敵わないのなら、むしろその不利を利用する。非力ながらに武術を修めているのなら、むしろ大前提だ。
少女の思惑通りに後ろへ反って体勢を崩した男へ、光球が殺到する。
「同じ轍を踏むほど」「こっちは二流じゃないよ」
「ッ、ハハ」
光線となって降り注ぐ光に悠然と笑い、右の直剣を振り上げる。男の正中を捉えかけた光が両断され、出力を保てずに霧散した。
そのまま光速ではないにしろ、全てへの対応は不可能。多少の手傷は妥協。有効なダメージとなる、身体の芯を捉えた光だけを取捨選択し、切り裂いて掻き消した。
光の攻撃はそれにより、有効打とはならずに終わる。しかし、その対応のため、男は体勢を立て直すのにタイムラグを強いられた。そして、最速を謳う槍兵は、その刹那を逃さない。
男の直上へ跳躍。短槍を逆手に構えて握りしめ、
「――ッ!」
落下と全身の力を乗せた下突きが、杭を打つように男の胴を狙う。
「チッ……」
男は横へ転がって躱すが、僅かに槍が脇腹を掠め、初めて血を流した。そして――躱した先を狙う影がまた一つ。
「オォォォォォォォッ!!」
岩石が象る巨腕が、雄叫びとともに男へ叩きつけられ、地面を抉る。
紙一重で避けて抜け、男は
戦闘へ割り込んだ岩使いの大柄な青年が、槍遣いと並び立つ。
「遅いです」
「悪かったって」
軽口もそこそこに、二人は再び構える。その後ろで、光使いの少女が前方へ手を翳す。
「隙間は埋める。好きに動いて」
「「了解」」
声を合わせ、二人は駆けだす。
線を逸らしてジグザグに、左右を入れ替えながら男へ迫る。直前まで動きを読ませず、男との間合いを詰め、その後を多量の光弾が追随する。
「ギアを上げてくるか」
尚も笑う。前衛の二人がどこから攻めてくるとしても、追随する光がその隙間を埋めてくる。足止め中の二人もそろそろ合流するだろう。一人は手負いだが、モタモタしていれば部は悪く成り続ける。――焦らず、飽くまでも平静に、決着は急ぐ。
「遊びはここらが潮時だな」
男が虚空を切り裂く。
手の内を知る槍遣いが叫ぶ。
「テレポートが来ます。備えて!」
傍らでそれを聞き、青年が身構える。
「アホ。真っ向勝負はお開きだっての」
男が空の隙間へ飛び込み、姿を消す。そして次に現れたのは、
「ッ!――
悟った少女が名を呼ぶ。即応し、光使いは光剣を背後へ振り抜き、斬撃を追い立てるように光の波が男へ押し寄せた。
「近接もいける口か」
短剣で光波を受け止め、男は感心するように呟く。
「あんまり舐めないでよね――……まじ?」
光使いの少女は得意に言うが、しかして瞠目する。
男の握る短剣が、光波を
「イイ光だ。返すぜ」
縦に振り抜いた短剣から、少女がしたのと同様に光波が放たれた。
「く、っそ……」
己の光に身を焼き裂かれ、光使いは後ろへ倒れ込んだ。
「ロハでやられる、ほど素直じゃ、ないよ…っ!」
最後に、少女は裂かれた胸に手を添える。そこから急激に膨れ上がる光の意味を、また男は理解する。
「ッ、ハハ……マジでか」
笑いが引き攣らせて、逃れようと後ろへ跳ぶ。しかし、光の速さには敵わない。
膨張する光はやがて、男の仕込んだ人形と同様に。自身へは追い打ち。しかし、仲間へは追い風にならんと。苦し紛れの痛み分けだ。
光が男を捉える。白熱の爆発を遺し、光使いの少女は意識を手放した。
二年、
「ありがとうございます、先輩」
仲間の作った決死の隙を逃さぬが最速の尖兵たる努め。その矜持と自負で以て、槍遣いの少女は自爆に巻き込まれた男へ迫った。
まだ体勢は崩れたまま。今なら――勝てる。
駆け、地を蹴って跳びあがる。爆風に吹きとばされ、背中から地面に転がった男、その直上へ。
「獲った――ッ!!」
二槍を逆手に握り、全身の唸る力と落下を乗せ、渾身の下突きを放つ。――しかし、流れたのは少女の血。
地に背をつけたまま、身を捻った男の脇腹を掠め、二槍は突き立っている。未だ堅く槍を握る少女の両腕は、しかし肘まで繋がってはいない。筋肉が絞られているからか、断面から血は落ちず。男が振り抜いたままの直剣にもまた、血液は付着していなかった。
血肉を置き去りにするほどに。最速を背負う槍遣いの、渾身の一撃を上回るほどに。カウンターざまに振り抜かれた男の剣筋は、速かった。
「あ、ぁ…」
ぽつり、と少女の声が零れる。愕然と、未だに現実の情報を処理しきれない目で、自身の両腕を。肘のやや下できっぱりと断絶され、心臓が押し出すままに血液を流し続ける腕を、力なく見下ろす。そうする以外の手など、全て断ち切られてしまっていた。
「ぅ、あ――」
声が、毀れる。
呆然と、一歩一歩後ずさり、糸を切られたように膝をついた。
「あぁ…ぁ、ッぅあぁああぁあぁぁああああぁあぁああ」
張り裂けるような絶叫が、悲痛に響く。
痛い。痛い、痛い、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
熱い。熱い、熱い、熱い。熱い熱い熱い熱い熱い。
――寒い。気持ち悪い。
弱い。弱い。勝てない。負ける。殺される。
徐々に鮮明になっていくそれらが、ただ一人の少女を塗り潰していく。
虚しく揺れる両肘。貧血による寒気、吐き気。
自身の無力。仕留めると確信し、結果両腕を落とされた、絶対的な敗北。
膂力の敗北。技術の敗北。戦略の敗北。意志の敗北。
槍を握る腕は落とされた。槍を振るう矜持は地に堕とされた。
少女にはもう、戦う意思など――しかし。狩りとはそこで終わらない。
男が立ち上がる。ゆらゆらと、直剣だけを片手に、膝をつく少女へと歩いていく。
「――
ようやく追いついた青年が名を呼び、少女と男の間を割って立ち塞がる。
少女は立たない。立てない。友の決死の隙を逃し、自負を砕かれ、矜持を切り捨てられ、もはや、生への執着すら、折れている。
青年は理解する。
目の前の男が、ただ強いのでも、ただ自分たちに勝つのでもなく。
本質的に、
光使いにはその光を返し。最速の槍遣いにはその最速を嘲笑って矜持を折る。その者を支える意思――心を、殺すのだと。
「ソイツを護るか? 殊勝だな」
皮肉に、青年は答えない。護り損なっているなんて嫌味は、とっくに自分に打ち付けている。
男は新たに短剣を抜いた。刀身からは、甲高い音が響いている
「――来いよ」
口火を切られ、青年は岩石を纏う腕を振り下ろす。男がそれを短剣で受ければ、揺れた岩石が粉々に崩れ去った。
「振動、だな」
触れればそのタネは明らかだった。所謂、高周波ブレードや超振動ブレードと呼ばれるSFの産物。振動により、分子を分解させて物を切る。それを拡張すれば確かに。触れた岩石くらいは粉砕できるだろう。短剣から機械的な様相は見受けられないが、やっていることは同じなのだろうことは、なにより短剣から響く甲高い音が証明していた。
「それならそれで、やりようはあんぜ」
青年が右足を強く踏めば、地面がせり上がり、腕へと合流していく。腕が岩石を纏った巨腕と化し、それに加えて丸い岩石を握り込めば、背中へ大きく振りかぶった。
「オォォ――!!」
全身のしなりを全霊で込め、岩を投げる。同時、追随して走り出す。走りつつ、青年が腕に纏う岩石が全身へ広がっていく。やがて岩のフルアーマーとなって、先を往く投擲された岩石と並ぶ、二つ目の岩石弾となって、男へ向け突進する。
「脳筋が。イイね、気に入って来たぜ」
悠々と笑い、一つ目の岩石を短剣で砕く。体を浮かして衝撃を殺しつつ、青年の突進は甘んじて受ける。だが、それこそ青年の狙い。
青年は男の背中へ腕を回して抱えれば、そのまま走り続ける。狙いを悟った男は嗤う。
「なるほど、他二人からオレを遠ざけようってワケね。殊勝殊勝。今更すぎる以外はな」
自爆で倒れた少女に両腕を落とした少女。もはや再起不能の彼女らに頓着する理由は男になく、青年の引き剥がしにも抵抗せずに応えてやった。
充分な距離ができたと見れば、振動する短剣で鎧を砕き、するりと青年の腕から脱出する。
「さて、もうそろそろのんびりする時間もねェんでな。さっさとケリつけようぜ。いや、オマエは時間稼ぎの方がいいのか?」
「そんな寒ぃ真似しねぇよ。てめぇは俺がブッ飛ばす」
青年は最低限の岩を纏い、ファイティングポーズをとった。静かな怒りに、頭は澄んでいる。戦略的には、足止めされている二人の合流まで時間を稼ぎ、三対一に持ち込むのがいいだろう。あの二人となら、たとえ片方が手負いとて勝算もある。しかし、それを許せない怒りが、青年に決断させる。
――後輩二人を痛めつけられて、自分は時間稼ぎに甘んじるのか?
――あの二人を斬った男に、自分の護りは通用するか?
どちらも否。戦略をおいて、戦力的に、時間稼ぎは叶わない。自責と分析。その両方で、護りに徹する策は否決される。
なら、攻めるしかない。
攻勢を続けたほうが、いくらか時間稼ぎにもなるだろう。合流する二人のためにも、少しでも弱らせておきたい。何より――俺は自分とこいつを、許せない。決死の土俵に立たないことなど、許されない。
「タイマン買えや、チクショー」
「面白ェ。乗ってやるよ
「――長瀬さん、どういう状況だよこれ」
望月が三つ目の現場に到着したとき、そこの騒ぎはすでに解決まであと半ばといったところだった。その渦中には長瀬がおり、武装した部下を引き連れていた。
警察の部隊は、コミックで描かれるような無能ではなく、ちゃんと強い。殊警視庁直下の部隊に至っては、全員が無能力者でありながら、異能事件を解決できるだけの実力を持っている。それは要因は、荒れた治安の首都を取り締まっていることから、積み上げている実戦経験が桁違いだということに尽きるだろう。
そんな優秀な警察が、半ばまで解決に進んでいて尚、解決はできかねているらしく、場は膠着していた。
「よう望月、待ってたぜ。ただの木偶なんで、抑えること自体はできてんだがな。グレネードは使えねぇし、小銃じゃあ心臓部までは破壊できねぇ。決定打に欠けるこっちとしては、抑え続ける以外にやることがなくってな」
見れば、確かに盾を構え、人形の群れを民間人から遠ざけること自体はできている。けれど、それだからといって民間人の存在を無視できないのが、グレネードを使えない理由だろう。小銃にも同じことは言えて、使用しずらいだろうし、慎重に使っていては破壊しきれないジレンマか。
「いや――民間人に被害が出てねぇだけ上等も上等だろ。壊しは俺がやる。避難に人回せ」
盾陣から歩み出て、手近にいた人形の胴を打ち貫いて、心臓部ごと破壊する。それは言葉よりも雄弁に“決定力の参戦”を告げ、状況は急速に解決へと向かう。
「オォォオオオオオ!!」
「ッハハハハハハハ!!」
岩を纏う拳を見切って躱し、軌道を逸らして捌きつつ、空いた隙に男は短剣を突き出し青年の鎧を砕く。砕かれたそばから岩を纏い直し、青年は攻め手を緩めず、拳を打ち蹴りを振り続ける。
辛うじての拮抗。綱渡りの膠着。男の余裕は崩れず、気を抜けば致命を取られる。極度の緊張の中で、青年の頭はしかし冷静なままだった。
男の余裕は変わらないが、遊んでいる様子もない。男の方にも、決定的にこの膠着を崩す札は持ち合わせがない。或いは、持っていても使えないのだ。
なら、状況を悲観する必要はない。辛うじてでも、厳しくとも、膠着を続けられるのなら、問題はない。動きの大きさから、体力の消耗はこちらがやや激しいが。男には連戦の蓄積がある。その均衡が、仲間の合流までもってくれることを祈りながら、青年の拳は止まらず放たれ続ける。
しかし、その祈りが叶うほどに戦いは甘くないと、青年は知っているし、男はそれを示す。
拮抗の隙間、男が後方へ強く飛び退る。
「チッ――」
青年が歯噛みする。――やはりそうくるか。
すかさず追い立てるが、男がそれを許さない。
「
逆手に持ち替え、短剣を地面へと突き立てる。ビキビキと音を立て、路面に亀裂が走った。岩をそうした時よりも大味に、青年の立つ地面は崩壊する。
砂塵が舞い、視界が曇る。
「厄介だな、だが、そりゃ俺の土俵だぜ」
青年が両腕を広げ、自身を取り巻く物に意識を伸ばす。通常なら地面から切り離して操るのに体力を使うが、男の手で態々切り離してくれたのは好都合。それらは砂や岩石に変わりないのだから、操って武器にして見せる。
「――分かってるよ」
男の声。あまりにも唐突すぎるそれに、青年の思考は不意を突かれた。砂塵の向こうにあったはずの男の姿。それが、
刹那の瞠目の後、取り戻した冷静な思考が理解する。それは先刻、光使いの少女にやったの同じ瞬間移動だ。同じことには常に警戒していた。距離を取ったとなれば尚の事。しかし、二度瞬間移動によって背後をとられて仲間が倒される光景を見ている青年にとって、その警戒は背後へ偏っていた。
だからこそ、正面に現れたことに動揺し、刹那の隙を晒した。
最速を矜持とする少女を上回る男に対し、それは永遠に等しい。
「くそ――」
青年は悟っっていた。既に振り抜かれようとしている短剣を躱す術はないと。刹那の隙が無ければ、あるいは岩石で鎧を形成するのが間に合っていたか。短剣の振動が破壊するだろうが、しかし身を躱す猶予くらいは作れただろう。それは己の不覚であるし、意識の隙をつくった男を賞賛すべきだとも言えるだろうか。
走馬灯のようにそんな思考が巡り、自身の首が切り離される光景を幻視した――そして、青年の信頼した仲間とは、期待した後輩とは、そうした幻こそを裏切ることのできる男だ。
「ゥガァァ――!!」
聞き覚えのある咆哮。次に青年の瞳が写したのは、ずり落ちていく視界ではなく、男が短剣を握る左腕に、深く牙を突き立てる銀狼の姿だった。
「ぐッ……間に合わせてきたかッ!」
痛みに苦悶を漏らし、男が圧されて仰け反り、短剣を取り落とした。
体勢が崩れたと見て銀狼は男から離れ、青年の傍らに二足を降ろせば、少年へと姿を戻す。
「ギリギリなんとか、生きてますよね、先輩」
「俺がゾンビか幽霊に見えんのか? おかげで生きてるよ、助かった。椛野は」
「二人の応急手当を済ませてから来ます」
「……そうか」
「百合の
「ああ」
「っし――ぶっ潰す!」
少年は身を屈め、再び銀の人狼へと変化し、地を蹴った。低姿勢で迫る少年へ、有効な受け手は少ない。初めに攻撃を受けた男は、少年に膂力で敵わないことを承知していたし、だからこそ足止めしていたのだから。そのくせ、急所は体勢で隠されている。熟練の経験か、或いは野性の本能のようなものか。
男は迎撃に蹴りを振るい、
「ふぅ――ッ」
少年がバックステップ気味に足を止め、男の蹴りを空振らせた。
「…ガァアア!」
そしてすかさず再び突進。両腕を広げ、抱えるように男へ飛び込む。
「コイツッ、器用な真似を!」
片足を振り上げた姿勢をそのまま拘束する少年の腕。押し相撲にすらならず、片足立ちの不安定な姿勢で突進を受けることを強いられ、ほんのひと時、男の動きが完封された。少年の足が進むままに、後方へと押されていく。少年をどかそうと男は直剣を構えるが、それを塗り潰すように、巨大な影が二人に落ちる。
「ッ!? オマエら、まさか――」
「我慢比べといこうぜ、クソ野郎ッ!」
少年が悪戯っぽく笑い、人間的に歯を食いしばった。
二人へ迫る巨大な影――後方で構える青年の、規格外に巨大化した岩の腕が、一切の躊躇いなく振り下ろされ、轟音が響く。
能力で獣人と成る彼は、小隊の中でも突出して耐久性が高い。普段から模擬戦を頻繁にするからこそ完全な信頼がそこにはある。――即ち、この程度の攻撃なら少年に問題はない。
加減はしていない。単純に、少年の耐久性が桁外れなのだ。男にも同じ事であるはずはない。
「狗我山!」
自重に耐え兼ね岩石は砕けたが、同質量の瓦礫と砂塵が舞い、視界が悪い。獣の少年の名を呼び、人影がそれに答える。
流石にノーダメージとはいかないらしいが、少年は多少顔をしかめる程度。衝撃からか、男の拘束は解けていて、距離が少し空いている。
「ッッ、ハハ……流石に、イカレすぎだろ」
全身の痺れを押して苦々しく乾いた笑みを零すその態度を、少年らは捨て身まがいの作戦への苦し紛れの悪態ととらえたが、その認識は充分でないと、遥か後方から一気に近付いた足音に気づかされる。
どこまでも速い足音が、数歩の内に一気に近付いてくる。
「猿渡さん!ダメだって!」
それは既に足音に追い越された後方からの、現幹部の少女の声。
「本物の
男が畏れすら乗せて叫ぶ。
その足音の主たる、槍遣いの姿への戦慄は、もはや必至だった。
「このまま寝ていられるかッ!!」
同級生が同じく戦うというのに、自分だけ敗者で留まれるほど、少女のプライドは呑気でなかった。矜持を堕とされたというのなら、我が身を槍としてでも取り戻す。
少女の激情に歪む眉根だけではなく。止血のため両腕に巻かれた枝の隙間から突き出す二槍。には、赤い血が滴り続け、その様相はもはや齢十六の少女ではなく。やがて槍そのものの攻撃性を以て、飛び上がった。
「うあぁ、ああぁっぁあああ!!!」
張り裂けた喉で絶叫し、未だ満足に動けない男へ突き進む。片方を剣の鎬で流されたが、一槍は確かに男の腹を貫いた。
覚悟すら絶する激痛が、少女の全身を駆け巡る。
少女の能力は、身体から二本まで槍を生成すること。触れていなければ消滅し、そうなれば新たに同じ槍を生成できる。しかし、腕を落とされ槍を握れなくなった現状、槍の生成を中途で押しとどめ、腕の断面――骨に直結させることで支え、振るっている。
ただそうしているだけで常に疼くような苦痛があるというのに、それで剣と打ち合うだとか、人の身体を貫くだとか。そんなものは、自分の骨で殴るのと同じこと。ただ痛いどころじゃない。
ショック死したって、何も不思議はないのだ。
「ぐっ、くく……」
事実、強靭な精神を備える少女も、とっくに限界を迎えていた。本来なら、腕を落とされた時点で飛んでいた意識を、応急処置で繋ぎとめ、残りは男との勝負に対する執念と、無力な自分への怒りのみで体を動かしている状態だった。
一撃を決めたのみで、その意志力すらも、使い尽くした。
「これ、で……申し訳くらい、は…立ちますか……」
二槍は灰となって消え、少女の腕は枝に包まれて塞がれた。
男の眼前に倒れ、意識は泥濘に沈んでいく。
そこで――槍遣いの出番は終わった。
一年、
「侮ったぜ…見直してやる」
見下ろして一瞥だけ寄越し、未だ立つ敵へと視線は向き直る。
槍に貫かれた傷は深い。けれど、咄嗟に反応できたことで、致命は免れた。消耗は強いられるが、このくらいなら、自己修復の範疇だと割り切れる。
「そろそろ、終わらそうぜ、銀狼隊」
「言われなくても、そのつもりだよ。《人外狩り》」
戦線に復帰した幹部の少女が男を見据えて言う。
「《人外狩り》――やっぱりあいつが…」
青年が呟く。警察と連携する段階で、その名自体は聞いていた。手の内までは図りかねているらしかったが。言動から、そうだろうと予想はしていた。しかし――そうだと確信を持てば、いかにも納得がいく。能力者ではない。だけれど、能力者や異種族に追随し、集団を相手取って尚余裕綽々と、互角を上回った戦い。そのくせ、隠そうともしない
むしろ確信を持たなかったこと自体が不思議だ。
「やっぱ名くらいは通ってるか……ま、そういうこった。オレは、オマエらを狩る」
「中二くせぇセリフのたまうなよ。ミイラとりがミイラになるなんて、ザラだろ」
獣の少年が歩みだしながら答えた。
「覚えたてか? そういう得意なセリフは、勝ってるほうが言うもんだぜ」
男――人外狩りが挑発的に返し、両者の距離は縮まっていく。
「前は張る。背中は頼んだぞ」
「…うん。任せて」
少女の越えに不甲斐なさが浮かぶ。本来なら、自らも共に前に出たいところだろう。基本スタイルからして、少女は近接向きなのだから。前に出て戦う方法がないでもないが、その手札をを切るのはこの期に及んで尚、軽率といえるほどの諸刃の剣だ。
「一気に仕留めるぞッ!」
「応ッ!!」
前衛二人が合わせて踏み込む。人外狩りは笑って応え、二人の初撃を弾く。間髪入れず、少女の放つ枝が隙を突きに迫り、線を逸らして躱すが。
「チッ――」
躱した先に軌道を曲げて再び迫る。単純な飛び道具なら弾くか躱すで終わり。だが、柔軟な動きをする触手となれば、対処は容易ではない。
――やはり、厄介すぎる。
初っ端に頭を撃ってきたのもこいつか。だとすれば、炎についての警戒も必要になる。少年と合わせて足止めした判断は正解だったといえるが、それを破られた現状の分の悪さもまた際立った。
僅かな焦燥が走り、それが男を追い詰める。
直剣が空を裂き、男が飛び込む。
「っ、ワープくるぞ!」
青年が危機を察知して、背後の少女へ声を向ける。何度も見せつけられた手口。今回も彼が狙うのは、攻撃の届かない後衛。
「何回見たと思ってんの」
しかし、人外狩りの凶刃は少女へ届かない。
少女の周囲を檻のように取り囲む枝が腕を絡めとり、その動きを封じたのだ。
「しくったな、コイツァ……」
察したが、既に遅い。
複数の枝が男の体に巻き付き、宙へ持ち上げた。
「私、今結構ちゃんと怒ってるから」
冷たく告げ、腕を振った。それを合図として、樹々が躍動する。大きく振りかぶり、男を地面へ叩きつける。
「ぐォ…は――ッ」
また持ち上げては叩きつける。振り上げて、叩き落す。
それに数多の枝が男の体に殺到し、嵐のように五体を殴りつける。やがてそれが止んで拘束へと移行すれば、眼前には青年と少年が、それぞれの巨大な拳を構えて迫る。
「オォオオオオ!!」「ゥガァアアア!!」
男は為すすべなくそれを受け、弾けた木片とともに後ろへ吹き飛ぶ。すかさず二人は追随し――両足を地に着けた人外狩りが左腕を空へ翳す。
「正真正銘、本気でやらなきゃやべぇな」
虚空より、
その形は鍵に似ていた。研がれた刃が湛える鋭利さが、辛うじてそれを短剣たらしめている。
その短剣が放つ異様さは、これまで人外狩りが出したもののどれとも似つかない、絶対感。
「まずい――」
少女の内から警鐘がつんざく。
「
焦燥にかられて叫ぶ。
前に出る二人は元よりそのつもり。少年が姿勢を低く、より獣らしい姿へ、より疾走に適した形へ変化し、駆ける。青年よりも進み出て、男へと飛び掛かった。岩石の拳がそれを追いかける。
男もまた前傾してみせ、短剣を振りかぶった。
その腕をまた止めようと、狼が大口を開けて牙を剥く。しかし、その牙が砕くのは空のみ。それに追随する拳もまた同じで、両者とも空振りに終わる。
そこにいるはずだった男は、一メートルほど奥へ。振りかぶった短剣を、自らの胸に向けた。
正面から攻撃を合わせて止めるということは、動きに予測を立ててその位置を合わせるということ。それを逆手にとって、人外狩りは攻撃するフリをしてみせてから後ろへ跳び退き、ミットを大きくずらしたのだ。
二人の妨害から逸れた刹那の間に、男の狙いは完遂される。
「
自身の左胸に突き立てた
男から青の霧が立ち上る。それが能力には類さない異能の正体であると、青年が思考し、少年は直感し――そして、戦慄する。
青が赤へ。より猛々しく凄みを増す。やがて勢いをそのままに男の内へと収束する。それが示す確かな変質は、人外狩りの絶対感を少年少女へ叩きつけた。
「オマエはもう――」
男が地を蹴った。少年を横をすり抜け、青年の眼前へ、瞬きの内に迫る。
「ついてこれねェよッ!」
短剣が青年の肩に突き刺さり、仰け反らせる。抵抗しようと腕を上げるが、それを意に介さないほど速く、人外狩りの直剣が鳩尾を貫く。短剣が胸を裂き、左右を鎖骨が断たれ、そこで腕の力は完全に抜け落ちた。
「ごは…ッ、ぐぐ……オオォォ…!!」
血を吐きながら、決死の力を振り絞り、男に足をかけて前へ倒れ込む。少しでも男の動きを封じる。その狙いを嘲笑うように、男の手が青年の顔面を掴みとり、逆に後ろへと倒れこませた。
「ぅ、あッ――」
一息のうちの重傷、トドメをうつ後頭部への衝撃に、青年の精神はその活動を手放した。
三年、
「くそ、てめぇいい加減に――」
「遅ェって」
少年が踏み込もうとした出鼻をくじくように、人外狩りは目の前に立っていた。文字通り、目と鼻の先に触れんばかりの零距離。次に続く動きの全てを否定する間合いに、少年がたじろいだ一瞬、男が少年の腕を絡め取り、背後へ振り向きざま投げ飛ばす。
「うおっ――ぐぇ」
少年の身体を、束ねた枝で受け止め、少女が苦く笑う。
青年の容態は急を要するだろうが、それで焦っては容易に全滅する。人外狩りの何が変わったのか、詳細には分からないが、身体能力の全般が二段階は向上したのだと解釈するのが妥当だろう。
「添木くんは私が援護がてら回収して応急処置しとく。あいつのことお願い」
「うっす…!」
――今の意識じゃダメだ。スピードのギアを全開にしろ!
少年が自らに言い聞かせてイメージを固める。己の最高速、その意識を振り切ったトップギアへ。狼の二足を唸らせ、駆け出した。炎を纏う数本の枝がそれに追随し、人外狩りへ迫る。
「イイね、ついてこい!」
男が少年へ向け跳んだ。短剣を前面に構えて突こうとするのを、少年が辛うじて躱す。
多獣混態――狼、熊、大猩々。
肥大化した骨格、五指の先に巨大な爪を持つ腕を、振り被る。男の胴を掴んで離すまいとし、
多獣混態――蛇、蟷螂。
鞭のようにしなるもう片腕が拘束した男へと迫り、その先端から伸びた鎌を突き立てんとする。
「これじゃァ、まだちと甘ェぜ」
跳ねるように胸を反らして、腕の拘束を弾き、すり抜けるように懐へ入り込む。鎌が空振り、伸ばした両腕が人外狩りへ隙を晒した。
男は拳を握るが、それを遮って燃ゆる枝が突き刺さる。すぐさま後退し、男のいた位置に枝が突き立った。地を這って、男の足元から再度狙い、枝が生え伸びるが、掴み取って男は枝の伸びるままに高所へ登っていく。
「ふぅー……」
よりイメージを洗練する。より小回りの利く、より機動力のある、格闘に適した変態。
――先輩なら合わせて地形を整えてくれる。もっと立体的に戦闘を組み上げろ!
多獣混態――鷹、狼、蝗。
基盤は人狼の骨格。背から大翼を広げ、猛禽の爪を備え、複雑に発達し跳躍に特化した脚。
「ハッ。
人外狩りが嗤い、備える。感じ取ったのだ。正真正銘、ここからが本気の戦いだと。
「ガァァァァアアアアア――」
唸り、浮かばぬ月へ咆える。高らかな狼の叫びが響いて、人狼は跳び上がった。追随する枝の数々は、林立する樹木にも似て、二人を中心に聳える樹林と化す。
「立体戦か、面白ェ。獣のくせして頭は回るな」
男は枝を踏んで駆ける。隙あらば身を捩って襲ってくる樹々を中を、まるでも森林浴でもしているような余裕をもって潜り抜け、少年へと迫った。
「アァアアッ!!」
猛禽の足で枝を掴んで支点とし、回転を伴った少年の爪が男を迎え撃つ。
それを、こちらもまた枝を掴んで回転し躱せば、その勢いのまま蹴りを少年へ向ける。
「ふ――ッ!」
羽ばたいて蹴りを躱し、落下を翼で加速さえて男へ蹴りこむ。
男が迎撃に直剣を振りかぶり、その右腕を枝が絡めとった。
「チッ――」
少年の蹴りが直撃し、枝をかき分けて地面へと落下していく。
「うッ、ぐぁ――!?」
しかし、顔をゆがめたのは少年も同じ。蹴り終えた足首はあらぬ方向へ捻転していた。
地面で立ち上がる男を見下ろし、睨む。蹴りへの対処を諦めたその刹那、衝突の瞬間に身を捻り、少年の足と衝撃を分散したのだ。人間離れしすぎた反応速度。全てのギアが上がったのだから、それも必然か。自身の油断を戒め、少年は残った片足で枝に立つ。
「鳥の足なんざ、むしろよっぽど折りやすい。その形態を選んだ時点で、足技は捨てるべきだぜ」
薄い笑いの剥がれぬ顔で少年を見上げ言う。
挑発的な意図を少年は流すが、やりづらさには歯噛みする。
「そら、もっぺん行くぞ」
男が林立する枝を蹴って駆け登り、少年へ刃を振るう。辛うじて躱し、爪を向け、それを弾かれては男の蹴りが腹を打つ。それをつかみとって投げ飛ばし、枝へと預けて握った拳を顔面目掛けて放った。
「ぶッ――くそ、真面目に厄介だなアイツ」
口の中を切ったのか、血を伴って毒づく。
しかし、枝の動きに癖は見て取れてきた。そろそろ、見切れる。
体を反らして拘束を緩め、すりぬけて枝から脱出。すかさず迫った枝の槍を切り落とし、足場を見繕って周囲に視線を回す。
「あ? どこ行った」
獣の姿がない。逃げるわけはないが、上空に飛んでいるわけでもない。戸惑う男の
「ッハハ、裏かッ!」
少年がいたのは男の立つ枝の裏側。枝を猛禽の爪で掴むことで逆さにぶら下がって死角に入り、意識の隙を狙って足へ牙を突き立てたのだ。
混態追加――鰐。
少年の顎がより長大、かつ凶悪な形へ変態する。
それは、地球上で最強の咬筋力を持つ、鰐の顎。人間離れした身体能力を持つ人外狩りであっても、その嚙みつきを解くのは容易ではない。
「ウゥゥ――ァ!!」
唸り、全身の筋肉を捩じる。鰐の得意技とされる、デスロール。最凶の
「くッ――畜生が」
初めて、男の表情から笑みが消え、痛みに歪む。
どれだけ身体能力が高かろうと。どれだけ防御術回避術に優れようと。肉を嚙み千切る痛みは平等に襲い、意識を鈍らせる。
肉を千切ると同時に枝から離れ、少年は空に翼で留まる。顎を狼に戻しつつ男の肉を吐き捨て、人外狩りと睨みがかち合った。
「やってくれたな、
辛くも嗤いを取り戻して毒づく。肉を抉られた傷口からは、赤い霧がのぼっている。
「日本じゃあ、大して知られてねェんだろうが、オレたち魔術師はこの程度の傷なら魔力で治せる。オマエたちがどんだけオレを削ろうが、大概意味は無ェのさ」
少年は一瞬瞠目するが、しかしそれを分析で払う。顎を人に戻し、男へ返す。
「半分ハッタリだろ、それ。確かに、百合のつけた傷も治ってるみてぇだけど、消耗自体はしてる。魔術なんて実在するとも思ってなかったけど、要はMPみたいなもんで、上限はあるんだろ?」
男は答えない。
「それに、抉った肉は戻らねぇか、少なくとも再生に時間がかかるみてぇだな」
男は嗤う。ある種自嘲ともとれる笑みを、少年は図星と解釈した。
まるで不死身にも見える絶対感。しかし、弱みはあるのだ。
「これで片足同士。条件はフェアだぜ、《人外狩り》」
羽ばたき、飛び回る。枝を蹴って跳び回る。尋常ならそれは翻弄のための動き。しかし、殊この相手に対しては、同じ土俵に立つという意思表示だ。
「勘違いすんじゃねェ。飽くまでも、
同じく、枝を蹴って樹林の隙間を駆けまわる。
軌道が交わるとき、人外狩りの刃を少年の爪が弾き、少年の牙を人外狩りが躱す。
両者の戦力が拮抗し、追随する枝が、わずかに少年へ軍配をあげる。だが、その援護をいつまでも許すほどに、人外狩りとは暢気な男ではない。
枝での追撃。その隙間を縫って、種子が男へ放たれる。完全に不意をついた種子の弾丸。男は頭を傾げるだけの動作でそれを躱した。
「――当たらなくなってきた…!」
少女は歯噛みする。枝の動きに、男が適応し始めていた。鞭打が空振る。拘束に捕まらない。隙を縫って放つ種子を弾かれる。満足な足場とならない揺れる枝木には刹那しか触れず、跳躍の勢いだけを足場として少年と拮抗するのだ。完全に適応されたとき――拮抗は崩れる。
一定のリズムすら持たせず、努めて不規則に動き枝の動き。しかし、それをするのは飽くまでも少女の意思だ。その深層には、少女の癖がある。見切られているのはそれだ。
癖を抑えることはできる。だが、そうすれば少年の動きを封じることにもなる。惑いの合間に、戦いは致命的に進展する。
「ァぐ…ッ!」
人外狩りの剣が、少年の片翼を裂いた。墜落しかけるのを、猛禽の爪で枝を掴んで防ぐが、そのタイムラグは決定的だ。
「ッ、ハハハ!」
高らかな嗤い。枝を蹴って少年の背後から、残る片翼も斬り落とす。翼を失った少年が、空中に留まる術を失くし、地面へと墜落していく
少年の獣化は、どの変態も本来の骨格をベースとする。背中の翼は、肩甲骨を延長して発現させたもの。どれだけ柔軟に変化しようと、欠損を治すことはできない。失った部位は不可逆だ。
「――ッハ」
そして、人外狩りが枝の動きへ適応を済ませる。勢いを増す枝の追撃、種子の射撃を、流れるような自然な動きで躱しきり、男は樹林を駆ける。
――まずい。ダメだ、それだけは。
自身の内でつんざく警鐘のままに、少女は駆けだす。時を刻むほどの間もなく少年へ迫る人外狩りの凶刃に、絶大の脅威を認めて。
ダメだ。それだけは絶対に許せない。ただでさえもう、自責で膝を折りそうなほど、仲間が倒れてきている。その上、最も未来のある少年が倒れるのを、目の前に居て許すなんてことは、絶対に看過できない。見過ごせない。その子と私の命の価値なんて、秤にかけるまでもないというのに。
抑えていた自責が頭を埋め尽くす。今にも吐き出しそうなほどに胸に圧し掛かるそれを、払いのけることもせず抱えて。
人外狩りの脅威に負けて、少年を前に立たせた選択。自身の身を可愛がった選択。その後悔を背にして。
ずきり、と傷が疼き血を吹く。止血が緩んだか、それはいい。それに足を止めることに、もう私は耐えられない。
捨て身だからやめろ、と添木は止めた。けれど、ここで使わなければ――少年を助けられなければ、私に明日を生きる価値はないのだから。
枝が少女の身体を這った。締め上げる痛みがして、それから折れた骨が傷む。けれど、動かせる。鎖骨が折れて動かせないなら、腕を引っ張ってやればいい。脚が追い付かないなら、無理矢理回してやればいい。それでも足りないなら、炎で体を飛ばせばいい。止血が緩むのなら、焼きつけてでも塞げばいい。
痛みに意識が飛ぶのなら、いっそ飛ばしてしまえ。無我であっても、身体は動くのだから。
「ッッ……」
苦痛に歪む意識に、最後に同年の五人が頭に浮かぶ。
――ごめん。みんなに、また心配かける。
大事に蓋をして、心に仕舞った。
「ァァ――ァアア!」
もはや霧散した意識のまま、少年と人外狩りの間に滑り込み、立ち塞がる。
一瞬の慄きを払って、人外狩りが少女相対峙する。
「どいつもコイツも、正真正銘の
振るう刃を少女の身体から伸びる枝が弾き、身体の振りを伴った蹴りが男の鳩尾を打ち抜く。
「ゥ、ぐあッ――」
嗚咽がせり上がり、呼吸を見失う。少女の膂力ではない。鍛えているにしても常軌を逸する威力。ムエタイに近い身体裁きに加えて、自身の肉体を度外視にした枝による身体操作。一挙手一投足に苦痛を伴う、捨て身というのも憚る、自傷じみた格闘だ。
そして、人外狩りの反応速度を上回る蹴速。
――コイツも、土俵に上がってきた。
理解し、男の口角が吊り上がる。
「存分にやろう」
挑発的な手招きで、本来のスタイルを取り戻した少女を迎える。
一撃喰らい、男は察していた。眼前の少女が放つ蹴りは、自身の刃にも匹敵すると。
男が直剣を振り下ろし、線を逸らして躱せば、そのまま跳んで踏み込み、膝を男の鳩尾へ打ち込む。短剣の鎬で受け止め、蹴り上げて一度離れれば、斬り上げて少女を追撃する。
「――ッ…」
少女が剣を踏みつけ、動きを止めた。一瞬の硬直に、頭、首、鳩尾へ順に蹴りを叩き込む。
「ゥ――ッ、ハハ。やってくれんじゃねェか」
せり上がるものを飲み下し、男は嗤う。
二刀の剣術と、それに並ぶ蹴り主体の格闘術。立体地形も度外視の、超近距離戦闘。
未曾有のスピード感で、剣と脚が交錯する。
横薙ぎ。後退、膝蹴り。逸らし、下段突き。押さえ、後ろ回転蹴り。屈み、足払い。跳んで、正中三段蹴り。喰らい、片足を掴み取る。残る足で蹴りのけ、サマーソルトキック。両腕で受け、投げ飛ばし。垂直の枝に着地、飛び三日月蹴り。ガードを上げて受け。開脚、回転絡め取り、腕ひしぎ十字固め。倒されつつ、腹へ短剣の下突き。
「――ッッッ!」
「ッ、は……マジ、か…コイツ…!!」
肺が圧されて息が詰まる。背中の強打と万力じみた締め上げが、更に男の呼吸を塞ぐ。同時に、腕が軋む。腹を刺されて、内臓だって捉えているのに、緩まない。むしろ、それをバネに絞めを強めてくるのだから、人間じゃない。
肘だけでなく、肩まで軋んできた。このままじゃまずい。関節が外れても骨自体が折れる線は薄いが、なにより、その後に肉を捻じられるのはまずい。超近接型二人を片腕で相手にするのは、流石に無理がある。
空いている右腕で振りほどこうにも、既に枝に絡み取られていて動かせない。
「ク、ッソがァ!!」
短剣を捻じる。固められていて手首しか動かないが、既に刺しこんでいるのだから肉を抉るくらいはできる。
「ご、ッぷ…――ァッ!!!」
内臓がズタズタになるのを生々しく感じ、どす黒い血を吐きながら、それでも絞めは緩めない。これで仕留める。もう、これ以上決着は長引かせない。その決意だけが、肉体に力を満たす。
全身を巻く枝に炎が灯る。自身すらも薪に焼べ、男を炎へ巻き込んで。
ガチン、と男の短剣に確かな手応えが響く。鍵型の刀身が肋に掛かった。
「いい加減――」
そして、渾身の力を腕に込める。赤い霧が皮膚の隙間からあふれ出し、
「離れろォッ!」
少女ごと、腕を横へ振りぬいた。
「ァ――…かは、っ」
聳える枝に体の前面から衝突する。内臓が揺れ、圧し出された呼気とともに再び血を吐き出す。それでも立とうするが、手足に力が入りきらず崩れ落ちる。ただでさえ無理矢理体を引っ張ってうごかしていて、さらには決死の力を込めた絞め。とっくに筋線維はズタズタな上、骨など何本砕けているかも知れず、戦意すら飛びかけるダメージに、枝の操作すら覚束ない。
「はァ――はァ――」
外れかけた関節を戻しつつ、男が立ち上がる。短剣にひっかかった
「ハッ、ハハハ……これで、ケリだな」
乾いた嗤い。人外狩りは、直剣を振りかぶった。
三年、銀狼隊 幹部 戦闘部管轄、
「……ッ」
警察と共闘して人形の群れに対処していた望月の耳にも、街の中央からなる激戦の音は聞こえていた。尤も、そちらには銀狼隊の戦力が厚い班がいるとのことで、特段気がかりでもなかったが。
この数分間、一際強く音は轟いていた。し,かし、その音が静まった。
胸騒ぎ。いや、予感というべき焦燥が胸を打つ。ただの決着ならばそれでいい。銀狼隊が負けたのだとしても、今の望月はそれ自体に関与する立場では、ない。
ただ、妙な違和感だった。自分が行かなければならないのだという感覚。呼ばれているような感覚。存在を請われているような、感覚。それは、ここ三年間、よもすれば心の隅で求めていたような、懐かしい感覚。忘れかけても手放せずにいた、青い感覚。
――隊長。
聞き覚えのある、過去の声。幻聴、だろう。あるいは記憶のリプレイだ。自らそれらを手放しておいて、今更すぎる。
――望月隊長。
懐旧に紐づいて、
――望月隊長、助けてくれ。
「ああ、ったく……情けねぇったらねぇ」
資格なんて、端っから誰も、求めちゃいねぇだろうが。
「行けよ」
壮年の声。傍らにいた長瀬が、視線も向けずに言った。
「民間人もはけた。充分だ」
望月朔兎に、炎が灯る。
「恩に着る」
望月の影は消え、炎だけが空へ尾を引く。遅れて、風が吹き抜けた。
「――」
本格的に体が動かない。心臓くらいは動き続けてほしいが、それも、じき断たれる。
せめて――。諦念を紡ぎかけ、それを晴らす咆哮が駆けてくる。
「ゥガァァァアアア!!」
「ッハ! もう翼も無ェだろうが!」
振り向きながら嗤い、男は獣を迎えた。牙を短剣で受け、押されながらに振り払う。両者が左右へ分かれて飛び、獣の少年は少女の傍らにその身を置く。
木陰になっていて、近付くまでその詳細は見えなかったのだろう。ただ危機だと察知して、飛び込んできたのだから大した感覚だ。普段から、少年は大雑把なようで繊細な感受性を備えている。
そして、その鋭敏な瞳が、少女を認め、瞠目する。
「先、輩……」
さっきもそうだ。おれは毎回毎度、遅すぎる。天峯先輩が倒れて、百合の両腕が落とされて。添木先輩がやられかけて、それでやっとの登場だ。それで今度は、先輩が――椛野先輩が死にかけて、それでやっと。
「……狗我山くん」
自責に沈むのを、椛野先輩の声が遮った。
「喋んないでいいです、止血だけして待って――」
「逃げて。君なら、三人くらいは抱えられるよね?」
「――は…?」
一瞬意味を測りかねたそれを、咀嚼して理解する。
――三人、とは、百合と天峰先輩に、添木先輩か。つまり、それは……。
「椛野先輩を、置いてけ。ってことですか」
離脱は分かる。けれど、それは――最も慕う先輩を見捨てろと、そういうことか。
「あんたを置いて、おれだけで…」
「そう。君だけでも行って皆を医療部に引き渡して。うちの医療部は凄いし、番くんも助けてくれるよ。多分、猿渡さんの怪我も、腕さえ回収すればなんとかなると思う。天峯さんの火傷は、もしかしたらあと残るかもだけど……手遅れって程じゃなかったし、大丈夫」
まくしたてるように椛野先輩は言う。言っていることは概ねその通りだろう。けれど、その声は今にも途切れそうで、まるで転びそうになりながら走っているランナーを見ている気分だ。
「待ってください、そうじゃなくって……そんじゃあ、先輩はどうするんすか、そんな怪我。ただでさえ危ねぇ怪我だってのに、捨て身の札まで切って、今にも死にそうじゃねぇかよ――ッ」
「……そうだね」
今にも死にそう。まさにその通りだ。酷く眠い。鈍っていた痛みが戻りかけていて、話すだけでも精一杯だ。視界が明滅して止まないし、さっきから寒くて仕方ない。
けど、なにせ決死の切り札なのだから。なんとか私が人外狩りを倒せば、って、必死だったんだから。必ず死ぬと書いて、必死。元より、その覚悟はある。
――なんて、ちょっとかっこつけすぎだけど。
「でも…ううん。だから、置いてって、って。助けられる三人を助けて、って。そう言ってる」
だからこそ、毅然と言わなくちゃいけない。
葛藤だろう。あとは焦りか。ただ、悲しいのか。狗我山くんの顔が歪んでいくのが、すごく生々しかった。今にも泣き出しそうな瞳は、十六の少年としても、少し幼く見えるだろうか。
どうか、そんな顔をしないで欲しい。
分かっている。君は、きっと私の命を背負ってしまう。
本来私だけが負うべきそれを、君はずっと背負っていってしまう。
それを抱える苦しさを、私は解っている。
遺された者の悲しさを、私は知っている。
護れなかった悔しさを、私は覚えている。
それでも毅然と、精悍に彼を逃がさなければ――しかし、どうしても滲む口惜しさは、私が未熟な証か。誰よりも繊細な感受性を持った少年が、それを見逃すことなんて有り得ないのに。
「……いや」
だから、狗我山は強がった。疲労に踊る脚を叩いて封じ、怖気た気持ちに喝を入れて。
「おれが、こいつをなんとかします」
「ちょ、バカっ…そんなの――」
「だから。ちょっと休んだら、先輩が皆を運んで離脱してください。死に体に無理させちゃいますけど、頼みます。できるだけ早く応援呼んでくれると助かります」
椛野の言葉を遮って、狗我山は無理に言葉を繋いだ。一瞥、椛野の方を振り返り、年相応の穏やかな笑みを見せた。
「――」
刹那の葛藤を挟み、椛野は残りの集中力を割いて狗我山の折れた足を枝で支える。
背にして頷き、狗我山の鋭い視線が男を射抜く。
「覚悟は決まったらしいな」
人外狩りが悪辣に嗤う。
「ああ、タイマンだチクショー」
真正面から向かい合う。
「名を聞かせろ。覚えて帰ってやる」
「
「ショットだ。ショット=ビーツヘルム。イイね、そうでねェと張り合いがねェ」
不思議と頭は冷静だった。後ろに先輩がいるからだろうか。しかし、だからこそ分かっていた。――多分、敵わない。それでも。
それでも、諦念はない。絶望はない。人外狩りの絶対感に、怯むこともない。澄み切った闘志だけが、静かに燃えた。
拳を握り、左腕を前に構える。
多獣混態の負荷には耐えられない。底の見えた集中で使えるのは、狼だけだ。
筋疲労が酷い。翼を断たれたせいで、肩甲骨は半ば割れている。折れた足は立っているだけで激しく痛むし、男のものか自分のものかも分からない血の味が口にこびりついていた。
満身創痍。傷の痛みを、全開の脳内麻薬で誤魔化しているだけで、ダメージがでかいのには変わらない。でも、今は構わない。足首に巻き付いた枝のぬくもりだけで、今は充分すぎる。
――これがあれば、おれは戦える。
「ガァアッ!」
大きく踏み込み、爪を振るう。ショットが後退で躱したところへ、飛び込んで牙を剥く。
「くッ――っハハ、さっきより痛ェな」
獣の顎を肩で受けて、苦悶を漏らしつつもショットは嗤い、足を引いた。
「お返しだッ!」
そして、全身を捻じるように、狗我山の体を投げ、地面に叩きつける。
「かはッ、ぐ……ああぁあ!!」
すぐさま立ち上がり、ショットに追いすがる。それもいなされ、腹に掌底が入る。
見えない。勝つヴィジョンが、全く見えない。元々万全でやっと互角以下。それに椛野先輩の援護があって、初めて一手上回れるか。それも決め手はない。そんな実力差。敵うはずはない。けれど、せめて先輩が回復する時間くらいは。
そう望んで果敢に攻め立てるが、しかしショットの姿は露と消えた。
そうだ。これが、最も決定的だ。翼で制空をとって地形を駆使し、万全の足で駆けて、ようやく土俵に上がれるほどの、圧倒的な速度の差。翼を失い地形は活用できず、また片品の骨折で満足に走れもしない。ショットの方も足の傷は治りきっていないはずだが、この速度。この体たらくで、追いつける道理などない。
「ッ、くそ」
歯噛みし、辺りを見渡す。が、ショットの姿はどこにも捉えられない。初めに捉えたのは、耳を刺す風切り音。完全な死角だった。咄嗟に振り向くが、もう間に合わない。閃く凶刃を捉え、狗我山の頭に諦念が浮かぶ。訪れる死に、目を瞑る
刹那――熱が頬を掠めた。
覚えのあるような、優しい熱。足を支える枝の物にも似た、頼もしい熱。
「ナイスガッツ。かっこよかったぜ、お前」
知らない声だった。
「……うそ」
先輩の声が続く。その人を知っているのか。それは多分、おれも同じだ。
そっと目を開ける。
「後は任せときな」
大きい背中だった。右腕を狗我山に添えて、突き出した左手から伸びる炎が、ショットの剣を跳ね除けている。その眼光はまっすぐにショットを貫き、前髪を分ける右の片角が天を衝く。人外狩りとは別な絶対感を持つ青年だった。
――助けて、くれたのか。
状況は読めない。どうしてこの人が助けてくれるのかも分からない。けれど、ただ分かることは、この人なら大丈夫。そんな信頼だった。
「お前はそこの子連れて撤退しな。足怪我してるとこすまねぇけど、いけるよな」
狗我山が力強く頷き、青年は満足気に微笑んだ。
「男だな。頼んだぜ」
歩み出て、青年はショットと向かい合う。なんの不安もない。散々ショットの脅威を味わっていて尚、そう感じる。
眼を離し、倒れ込む椛野のもとへ。
「立てますか、先輩」
「ちょっと無理そう。お願いしてもいい?」
「勿論」
そっと彼女の身体を担ぎあげれば、揺らさぬように気を付けつつ、踵を返して走る。途中医療部へ連絡を飛ばし、搬送への協力も求めておく。
「先代……」
撤退の最中、椛野が呟いた。
――やっぱり、そういうことか。
静かに納得して、それ以上は何も言わない。
高まるプレッシャーを背に感じながら、振り返ることはせず、狗我山と椛野、及び小隊の面々はその場を去った。
「お前が、《人外狩り》だな」
「オマエが、《炎の銀狼》か」
「随分古い呼び方だな。望月朔兎だ。それ以上のことはねぇよ」
「過去に執着はないか? 虚飾だな。それなら、ここには来てねェだろ」
鬨の音を待つように、二人は睨み合う。
「まあ、それは否定しねぇ。可愛い後輩が身体張ったんだ。応えてやんねぇとな」
望月の拳が黒く金属質を帯び、炎が灯る。緩やかな動作で、脱力した拳を構える。応え、ショットが直剣と短剣を構えた。
しんと静まり、樹々の隙間から斜陽が差した。
猛々しい赤を湛える炎は勢いを増し、夕陽の中で輝く。
雄々しい赤に煌めく霧がより色濃く、木陰の中に揺らめく。
二人が同時に踏み込む。二つの赤が衝突し、交錯する。
「はい、というわけで。
今回、一切出番のない私、
ゲストとして、同じく微塵も出番がなかったぬいちゃんこと、
「出番なかったのが相当悔しかったのね……。能力者については私が解説するわよ」
「さて、それじゃあ早速、登場した魔剣についてざっくり解説するのです」
「まず、常にツェルが握っていた《空間を裂く魔剣》。これは、空間を切り、亜空間を通ってワープしたり、その亜空間の中に物を格納したりできるのです。この魔剣事態も普段は亜空間の中に収納していて、これだけは使用者が念じるだけで取り出せるのですよ。
銘を『トリカブト』と言って、ツェルが在学中から使ってたものでもあり、一番歴史のある魔剣でもあるのですよ。学園でのフィールドワーク中にツェルが発掘したものを、ずっと使い続けてる感じなのです」
「思い入れある一振りなのね」
「どうなのでしょうね。結構雑に使ってるので、お気に入りくらいの意味しかない気がするのです」
「また望月との共通点が……」
「さすがにツェルと似てるって悪口な気がするのです」
「結構えぐいこと言うわよね」
「そもそも望月さんってそうなのです? 物を特別大事にするってイメージではなくても、別に雑ってほどでも……」
「私の作った刀を何本もポキポキ折ってる頃があったから、その印象かもね」
「然るべきなのです……」
「続いては、傀儡の魔剣なのです。人形を出していた、量産型の魔剣なのですよ」
「これは特に名前とかはないの?」
「はいです。というか、基本的に魔剣に銘なんてつけないのです。魔術師が手慰みに作ったりとか、普通の剣に魔力が宿っていつの間にかそうなっている。みたいなのがほとんどなので」
「『トリカブト』は本当に特別製なのね」
「この傀儡の魔剣に関しては、特に言うことはないのです。魔力を通せば、周囲の素材を取り込んで体を作り、使用者の命令に従って働くだけなのですよ。活動が止まったりすれば爆発するのは、ツェルのアレンジなのです。
尤も、今回は大量使用が主だったので、簡単な命令を最初に与えて、それ以降は自動制御って感じだったのですけど」
「ただの有象無象ね。そこは望月に銀狼隊。特筆すべき問題にはならなかったわね」
「あくまでも足止めくらいの用途だったみたいなのですね。それ自体は果たせちゃった感じなのです」
「望月は転写世界も使わされちゃったしね。おかげで実際は消耗してて、後輩たちの前では強がってたけど、正直これからが心配だわ」
「それじゃ次、《光使い》さんへのカウンターに使用した魔剣。これは単純なエネルギーの吸収と放出ができるものなのです。純粋で高火力な光の能力者が相手だったから使えたものなのです」
「そこを分析できるのは流石ね。能力で出てくるこういうの、特異な性質なせいで道理が通じないなんてあるあるだし」
「やっぱり経験なのでしょうね。能力者専門で戦ってる以上、否が応でも能力に対する造詣も深まるのです」
「単純な戦闘力が尋常でないのに、それに加えて頭も回るっていうのは、相手する側としてははっきり言ってクソゲーよね」
「多種多様な魔剣を使い分けるスタイル自体、頭が回らないとやってられないと思うのです。言うて、ツェルはバトルIQが高いだけで、他は正直言っておバカなのですけど」
「ド直球に言うわね」
「そもそも、なんでもかんでも一人で抱えて勝手に一人で決断して、まず私に相談したり愚痴ったりするってことが浮かばない時点でどうしようもないのですよ」
「…………お互い大変ね。相手がバカだと」
「本当なのです」
「続きましては、《岩使い》さんに特攻だった《振動の魔剣》についてなのですよ。――といっても、これも特筆すべき何かはないのです。ただの高周波ブレードなのです」
「これは、物質系の能力者全般に、有利に戦えるわよね。朽羽くんとか、歯噛みする場面がありそうだわ」
「その人だったら多分ツェルは勝てないのです……」
「容赦ないこと言うわよね」
「強味としては、振動を波及させられる点なのです。規模はツェルの技量故なのですけど、岩の破壊もそれだったのです。地形破壊もできて、シンプルな分強い魔剣なのです」
「本来は、添木くんの独擅場にもできたんだけれど、それを機動力で突いてくるのは、やっぱり流石としか言えないかしら」
「最後は、やっぱり《鍵》なのです。これを外しちゃこの解説の趣旨から外れちゃうのです。
これは、普段抑えているツェルの魔力を開放するための、超限定的な魔剣なのです。それ以外の効果はなくて、魔力の開放をした後は、次にまた鍵を閉めること以外、ただの変な形の短剣なのですよ」
「そもそもなんで抑えてるの?」
「日常生活に支障が出るのですよ。魔力循環が強すぎて、うっかり物を壊しちゃったりするのです。あとは魔力の総量も膨大で、周囲の人間に影響が出ちゃったり。戦闘の終盤まで開放しないのは、ただの趣味なのです」
「それを出すまでは、どこまでも手加減なのね」
「ツェルの悪い癖なのです……《人外狩り》としては、戦う相手への敬意みたいなのも必要ないのかもしれないのですけど」
「それにしては、猿渡さんとの仕合だったり、狗我山くんの名前を聞くとか、武人みたいな仕草もするわよね」
「やっぱりイギリス人だからなのですかね」
「イギリス人が紳士だっていうイメージが廃れて久しいけれど」
「まあブラックジョークはさておいて。多分、《魔剣遣い》としての名残というか、元来のツェルの性格はむしろそちらなのですよ」
「業深ね」
「可哀相なのですよ~」
「……あなた、一話からの温度差酷くない?」
「ここは、トンチキ時空なのです。こっちでまでシリアスする気はないのですよ」
「そう……」(さっきのは充分シリアスっていうのは黙っておくわね)
「さて、それじゃあここからはぬいちゃんに能力者たちについての解説していただくのです」
「あれ、《人外狩り》の出してた剣ってまだあったわよね。曲剣とか」
「あの辺は普通の剣なのです。副次効果のない剣もないと、座りが悪い場面があるとかなんとか言ってたのです」
「なるほどね……」
「解説といっても、登場する能力者の能力とそれぞれの概要。あとは途中、望月の出した《転写世界》についてくらいかしらね。
というわけで、まずは。
「二つ持ちなのです? 炎と鉱物って、あまり繋がりがあるようには思えないのです」
「確かに能力を複数持つ能力者も中にはいるけれど、望月の能力は一つよ。それについては後で纏めて解説するわ。そして、彼は鬼と人間の混血、半人半鬼でもあるわ。高火力の炎、鋼鉄を凌ぐ硬度、人類と隔絶した身体能力を併せ持ち、元来の戦闘IQもある、クソゲーね」
「あ、やっぱり鬼さん入ってるのですね。角で分かりやすかったのです。けど、隠したりしないのです? 結構、慣れてないとびっくりするのです」
「まあ実際、高校入ったあたりだと帽子で隠してたわね。今はなんか、後ろめたいわけじゃないとかなんとか言ってたかしら」
「吹っ切れたのですね~」
「現銀狼隊のメンバーは学年順に行きましょうか。
まずは一年生二人。
変化の仕方は多種多様で、部位に限定した変化を始め、複数の動物を混ぜる
「頑張ってたのです~。彼は先輩のことが好きなのですかね」
「どうでしょうね。案外ただの憧れかも。むしろ次の同級生との方が相性いいんじゃないかしら」
「
単純な分、直接火力が少ないから、本人の技量に強く左右される能力ね。
狗我山くんとはよく張り合ってて、実際その実力は拮抗しているようだから、その技量の高さは伺えるわね。《人外狩り》相手だと、あまりにも真っ当な武器遣い勝負で、分が悪かったわ。
再登場の際に見せたスピードは覚醒の片鱗でもあるんだけれど……落とされた両腕をどうするかで、将来は大きく変わるわ。義手制作なら請け負うけれど、できればくっついてほしいわね」
「ツェル視点だと、多分この猿渡さんが一番怖かったのです。見てるだけで痛かったのですよ」
「いつの世代でも、滅茶苦茶な無茶をする子はいるものね……。今回の場合は、同級生の狗我山くんが戦ってるのに、って悔しい気持ちもあったんでしょうけど」
「続いては二年生。
「強いからこそ、真っ先に狙われたのですね……」
「強い能力だからって生身を鍛えてない負債ね」
「結構辛辣なのです……」
「まあ、真っ先に脱落したのに、最も軽傷って不甲斐なさは、きっと彼のバネになるわ」
「
「ガン効き構文なのです?」
「…………次。」
「無理矢理流したのです…」
「最後は三年生。
「
素のフィジカルは高いし、格闘スキルも上々。武器の扱いはぼちぼちだけどまあ実戦レベルではある。と、全体的に高スペックなのは流石三年生。スピードが今一つなのはネックだけどね。今度の戦いだと、特別速い《人外狩り》が相手で、相性が悪かったわ」
「むしろ、スピードで敵わないのに、よくここまで戦ったというべきなのです」
「そうね、追いつける他の隊員もいたから、遅い分重い攻撃をぶつけられたのは、流石の連携だわ」
「
能力を抜きにすれば、本人のスタイルは蹴り中心の格闘。今回で言えば、終盤以外ではそれを封じられていて、歯痒いなんてものじゃないわね。真っ先に彼女を狙う判断をする辺り、流石《人外狩り》ってところかしら」
「最初の深手は終始障害だったのですね」
「そうね。最後には捨て身の切り札を出したけれど、一つ調整を間違えば容易に命に関わる、捨て身というよりは決死、自滅覚悟の必死の札ね」
「その状態で更に激しい格闘戦を演じるのですから、無茶や無謀なんてレベルじゃないのですよ」
「さて、人物の説明はこのくらいね」
「ぬいちゃん自身の説明はいいのです?」
「私は本編で出る以外の情報は必要ないもの。能力も使ってないしね」
「それじゃあ、あとはあれなのですか」
「ええ。今回でいえば望月が出した奥の手。能力の最奥。《転写世界》について解説するわ」
「これが一番訳わかんないのです~」
「無理もないわね。そもそも、転写世界についてを話すには、能力のメカニズムについてを理解する必要があるわ」
「俗に言う能力。人間だけが持つ異能は、多くのことが未だに分かっていないけれど、一つ、能力者たちの体感によって測られたところがあるわ。
それが、能力者たちは個々に、それぞれ、特有の《能力の世界》を自分のうちに持っていることね」
「自分の中の世界……心象風景みたいなものなのです?」
「厳密には違うけれど、その認識でいいわ。能力の形、世界の様相は、本人の精神の変化にも影響を受けるものだからね。
そして、自分が持つ《世界》の一端を、現実世界に現したものが、よく見られる能力。
例として望月を挙げると、彼の《世界》は『全ての物質が炎で構成される』という理を持っている。
炎の能力は言わずもがな。その《世界》には『固体の炎』も存在している。鉱化や結晶もその一端ね。自分の肉体も炎で構成されていると解釈でき、その二つが混ざった結果、自身の肉体を鉱化させる能力として現れる」
「大元に個人の持つ《能力の世界》があって、一般的に呼ばれる能力はそこからはみ出した一要素。望月さんは一見二つの能力に見えて、土台になっているものは一つなのですね」
「流石、理解が早いわね」
「それじゃあ、転写世界の《世界》っていうのは、個人が持つもののことなのですね」
「ええ。転写世界。読んで字のごとく、個人が持つ《能力の世界》を現実にそのまま転写する技よ。全能力者がその可能性を持っているけれど、そのためには相当の習熟と、自分が持つ《能力の世界》に対する理解が絶対条件。
それに加えて、緻密な法則と絶対的な存在力によって成り立つ、堅牢強固な現実世界の片隅を侵食するだけの、《世界》の強度が必要になる」
「《世界》は精神とニアリーイコール。つまり、我の強さが必要なのですね」
「有り体に言えばそうね。
自分が産まれ生きている現実世界に反旗を翻すのと同義のそれは、相応の消耗を要する。望月のような充分に熟達した能力者でも、満足に使えるのは一日一回。二回目は能力を行使する脳に深刻なダメージを負う可能性がある。三回目以降は最悪、転写しきる前に脳が意識を強制的に落とすレベル」
「ほむ……けれど、そこまでして使う利点はなんなのです? 要は普段は一端しか発揮されない能力を全解放する。っていうのは、なんとなくイメージできるのですけど、実際どういう有用性があるのかはちょっと」
「そうね。利点は主に二つ。一つは、なみちゃんの言う通り、能力の全部を解放して使えること。もう一つは、自分が支配する世界に、敵を引き込めること」
「支配なのです?」
「ええ。そもそも、《能力の世界》っていうのは、自分の能力を理として成り立つ世界。自分の能力だから、当然自由に操れる。つまり、その中においては、世界の全てが味方をする。結果、絶大な優位性を持った環境に相手を引き込めるわけね」
「なるほど……それなら、ちゃっちゃと逃げちゃえばいいんじゃないのです? 転写世界から抜け出せば、関係ないのです」
「その通り。転写世界に引き込まれたら、まず戦闘は諦めて逃げるべきよ。逃げられるなら、って話になるけどね」
「無理なのです?」
「まず無理よ。
能力者が《世界》を転写する際、核を中心に現実世界を侵蝕して広げていくんだけれど、同時に《能力の世界》も現実世界からの侵蝕を受ける。世界の自浄作用なのか、現実の恒常性なのか、解釈は人によるけれどね。
世界同士の侵食は、ある一定の地点で拮抗してかち合う。それが転写世界の外殻になる訳だけれど、その地点を境に、こちら側は《能力の世界》、あちら側は現実世界。つまり、空間的な壁になる。言うならば世界の断層ね。
そもそも世界が違うから、物理的な方法で壁を破ることはどんな威力でも不可能。畢竟、転写した《世界》はそのまま、脱出不可能な檻となる」
「うええ……クソゲーなのです」
「ただ、脱出する方法がないでもないわ。考えられる方法は主に。一つは、こちらも転写世界を使うこと」
「相殺できるのです?」
「というより、侵食し合いになるわね。位置関係にもよるけれど、現実世界に侵食するのと同じく、転写世界同士で侵食し合うことになるわ。相手側の《世界》に穴を空けられれば、たとえこちらの《世界》を保てなくても、脱出はできるってわけね」
「なるほど。……でも、それって能力者にしかできないのです」
「そう。習熟した能力者と非能力者が戦う場合の、最も大きな格差はこれでしょうね。」