『月明かりの下で』短編   作:椒 朔月

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登場人物紹介

望月朔兎(もちづき・さくと)───《炎の銀狼》
ショット=ビーツヘルム──────《人外狩り》

不知火朱輝(しらぬい・あき)──────技師
倉波亜澄(くらなみ・あずみ)─────魔術師

添木番(そえぎ・ばん)────────銀狼隊
狗我山大牙(くがやま・たいが)────銀狼隊


妖刀と魔剣 後編 魔剣遣い

「急いでよ。間に合うかギリギリなんだから」

「わ、分かってるのですっ。急かされたら、できるものもできないのですよ」

 不知火朱輝(しらぬい あき)が急かすのに慌てて返しつつ、倉波亜澄(くらなみ あずみ)はわたわたと、魔術研究会部室の小さな床をいっぱいに使ってチョークを走らせる。

 ()が――《人外狩り》が来た。

 その報せを持って、不知火が研究室に駆け込んで来たのが三分前。銀狼隊が交戦しているそうだが、恐らく長くはもたない。そして、その次にぶつかるのは、恐らく――。

「望月さん……」

「あいつは負けないわよ、絶対」

 信頼を宿したその声は、揺るぎのない真っ直ぐなものだった。聞けば、銀狼隊とは不知火の後輩だと言う。後輩自慢なんて聞き飽きたし、この辺りに住んでいて彼らの実力を知らぬという方が無理のある話だ。そんな彼らをして、不知火は()()()()()()()と評した。実際に人外狩りを見たわけでもなく、ただ風の噂に聞いた程度の内容で、そう評価できてしまう。

 それは、銀狼隊の専門が能力者や異種族であり、魔術師ではないということ。

 そして、人外狩りの専門が、能力者であること。

 相性の問題なのだ。実際、不知火の評価は正鵠を射ているだろう。畢竟、それは不知火が正確に人外狩りを評価しているということで――望月への絶対的な信頼を口にすることの重みも、正しく理解しているということだ。

 まさか、旧知である望月の実力を見誤るということもないだろう。

「まあそれも、私たち次第かもしれないけどね」

 

 

 

 金属音。燃焼音。風切音。衝突音。摩擦音。

 凡そ生物と思えぬ異音が響く只中に、二人。

 両手に直剣と短剣を握り、赤の瘴気を纏う狩人――《人外狩り》ショット=ビーツヘルム。

 両拳を黒鉄と化し、赫の火炎を纏う片角の半鬼――《炎の銀狼》望月朔兎(もちづき さくと)

 二者一様に嗤う。

 一人は高揚に。一人は狂喜に。同じく嗤い、赫と赤が衝突する。

「どうしたどうした! そんなもんかよ銀狼!」

 人外狩りが鉄拳を捌き、直剣を振り抜く。

「ちッ――」

 身を引いて躱し、そのまま後退して距離を置きつつ、望月は逡巡する。

 ――実力は互角以下。しかし、得物の分相手が一歩上手か。特に右の直剣。姿が消える瞬間移動のタネも恐らくはこれだ。空間を裂く魔剣ってところか。このままじゃジリ貧だな。

 ここに来るまでに、望月はかなりの消耗を強いられた。その大部分を占めるのは、爆発処理に使った転写世界。簡略化したにしても、あれは負担が大きすぎる。体はともかく――特に脳への負担がでかい。外傷はなくとも、集中力は削られるし、動きも鈍る。長期戦になればもたない。

 ――連発はきついが、仕方ねえ。

 決着は急ぎ、尚確実に。そこまで至れば、あとは即決だった。どの道長期戦になれば消耗は避けられない。ならいっそ、一息に大きく消耗しても、最速の決め手を打つ。

 望月自身を中心に、炎が大きく爆ぜる。

「ッ!」

 即応し、迫っていた人外狩りは大きく後退る。

 ――得体の知れねえ高火力とくれば、大味に避けるよな。

 充分な間合いは稼げたと見て、したりと笑う。両手を胸の前へ、虚空の球を掴むように向かい合わせて。

「おい、人外狩り。見せてやんよ、能力者(バケモノ)の真髄ってやつを」

 あえて、土俵に乗って言った。そして、残る集中力を一点に集め、望月の精神は()()へ沈み入る。

 

 瞬間、炎がしんと静まり返る。嵐の前の静けさか。あるいは津波の前の引き潮か。

 

『――月が満ちる。』

 

 静寂を破る一声。それは世界への宣戦。

 異常を見て取り、人外狩りが地を蹴って駆け出す。望月のそれは、是が非でも止めるべきものであると直感したのだ。だが、最初に距離を取らせた時点で、その望みは断ち切った。

 

『地平を焼くは赤の焔。夜道に照るは赫の月。』

 

 静寂から帰った炎が、爆発的に勢いを増し、弧を描いて望月の手の内へと収束していく。その軌道が、人外狩りの接近を妨害し、望月の口が悠々と詠唱を紡ぐ。

 

『狼が啼き、咆哮は晩鐘を為す。』

 

 やがて手の内に全てが収まる。尚も炎は強まるのを止めず。塵ほども漏れず、煌々と燃え盛る。超圧縮されたままに、炎は火力を上げ続ける。

 猛る音は日没を、そして月の出を報せる咆哮であり、晩鐘。

 

『月下の鬼が、(かしこ)(かしこ)みも、暁へ(もう)す。』

 

 世界への宣戦を繋ぐ。月明かりを帯びる鬼でありながら、暁へと割り込むその厚顔を。世界そのものへと炎を灯す、分不相応なる大願を。

 詠唱の結びを予見し、炎が圧縮されているのをいいことに人外狩りが間合いへ飛び込む。が、しかし、既にそれは遅きに過ぎる。既に、()()()()()()()()

 

『地を溶かせ。天を融かせ。

  我が身を解かし、世界を熔かせ――ッ!』

 

 そして、解放する。

 自身の足元、その空間、世界の一断片へと叩きつけ、理外の炎は膨張し、拡散する。

 視界の全てを、赤が塗りつぶす。

 緋色の火蝕による陽食。望月を中心に、現実の一切合切を、赫き炎が侵し喰らう。

 それは、望月朔兎の能力。その本質にして真髄。望月朔兎の《世界》を、現実に写し出す。

 

 真紅の空に、燃ゆる満月が昇る、赫き十五夜。

 上も下も、右も左も、地平線の彼方までを赫が埋め尽くす炎の平原。

 木も、草も、土も、天も地も、或いは空気でさえも。何もかもが赫い炎と同色の結晶によって成る、赫に閉ざされた月夜。行き場のない、赫き炎世界。

 

 ――転写世界『鉱狼緋焔赫月(こうろうひえんあかつき)

 

 

 

 

「これが――」

 これが、望月朔兎の《世界》。

 全身を包む熱。肺が焼ける感覚。すぐさま呼吸を止め、思考する。

 なるほど、全てが炎で作られている。炎の草木、炎の大地。とくれば、炎の大気なのか。くだらないほどの矛盾だが、この()()ではそれが常識、理だ。だからこその《転写世界》。能力の最奥。

 常に全身を炎が覆っている。魔力で満たし、再生し続けなければ――否、再生し続けていても、少しずつ、身体が焼かれていく。

 魔力循環を偏傾。呼吸器と目に魔力を集め、再生を追いつかせる。呼吸は辛うじて回復し、視界を焼かれるのをなんとか防ぐ。それ以外のほぼ全身の再生がやや鈍り、幽かに燃焼は早まるが、それが致命傷となる前に、この《世界》から脱出する。

 転写世界からの脱出方法は主に二つ。

 一つは、自らも世界を転写し、穴を開けること。

 一つは、《世界》の核を破壊すること。

 能力者ではないショットがとりうる手段は核の破壊のみ。《世界》の核は多くの場合、能力者の肉体的器官に紐づいているが、しかしその望月の姿がない。

 転写と同時に離れ、身を潜めているのか。だが物の少ないこの空間で、どこに身を隠す。

 一瞬の戸惑いを、背後から突き入る熱が貫く。

「ごッ、ふ――」

「ようこそ、俺の世界に」

 

 

 

 全てが炎で成るこの《世界》において、望月の肉体もまた炎である。大気ですら炎であるため、その姿は消えたように見える。また、自在に元の形へ戻れるため、影打ちを防ぐ手段はない。

「気高い狼のすることか」

「お前が言うかよ、人外狩り」

 ショットは直剣を横薙ぎに振り返るが、望月はまた炎となって消える。直剣――空間を裂く魔剣。物理を無視して物を切るなら、炎もまた切れるだろう。しかし、炎とは本来無形。斬られる前に、身体を分断してしまえば、望月の肉体を捉えることは叶わない。

「チッ、バケモノが。無法もいいとこだぜ」

 愚痴るショットの数メートル前方に、再び姿を成せば、望月は拳を構えて見せる。

「終いにしよう。獲物を深追いすりゃあ、狩人だって狩られるものさ。特に、群れを離れた狼には気を付けろってな」

 笑って見せるが、側頭部には鈍痛が走る。この短時間で二度の転写。前回の簡易的な物とは違い、今回は全開の転写世界。それも一瞬ではないのだから、脳への負荷も相当。今に倒れてもおかしくはない。

 ――決着を急がねぇと自滅する。

 駆け出し、接近する度に肉体を炎へ熔かす。

 軌道は真正面からの突進。炎と同化しているから捉えられることはなく、肉体に刃が通ることもない。そうなれば、駆け引きは必要ない。ただ速く。抵抗のない炎の身体は、更に速く。亜音速まで加速する。

「ふゥ――」

 ショットが息を吐き、踵を返して駆けだした。

 望月よりはずっと遅い。が、初動の距離はアドバンテージとなり、空間を裂いての瞬間移動を挟んで、望月との肉薄を最大限遅らせる。

 ――打つ手はないとみて逃げるか

 だが、その先に逃げ場はない。あるのはただ、この《世界》と現実世界の境界だけ。そもそも世界が違うのだから、物理的な繋がりはなく、実質破壊不可能な壁だ。逃げたとしても意味はない。

 だというのに、ショットの疾走に迷いはなく、確信めいた目的を持って走っているようにすら見える。

 《人外狩り》とまで呼ばれる、対能力者の専門家。まさか転写世界やその性質を知らないはずもなく。逃げの無意味さもまた、知っているはずだ。

「二つの脱出方法、その三つ目さ」

 《世界》の端にたどり着き、ショットは右手を振り切って悪辣に嗤う。

 その先にあるのは、空間の亀裂。世界の軋轢。

 空間を裂く魔剣。それは、物理を無視して物を斬る。それが空間であるならば、世界と世界の隔たりでさえも、切り裂いてしまう。

 理解は早かった。しかし、既に手遅れだ。

 亀裂を起点に、均衡は崩れる。

 現実世界を侵食し転写された世界は、存在する限り現実世界から同じく侵食を受ける。それは現実世界が備えた自己再生力であり、自浄作用。常に相互に侵食し合い、それが拮抗し均衡が保たれた地点、それが転写世界の壁であり、世界の境界。

 その均衡が、一太刀の亀裂によって崩壊した。ショットの切り裂いた隙間から、現実世界の侵食は雪崩れ込み、一息に転写世界は陥落する。

 侵食の拮抗を突き崩すのは、能力者の脳を、現実世界の膨大な情報で直接叩くことと同義。処理中のコンピュータに、無限大の追加入力をするようなもの。

 能力者が自ら処理を手放すならば、既に世界から離れた脳に、崩壊のダメージは伴わない。

 世界の侵食と拮抗しきれず、徐々に崩壊するならば、脳へのダメージもまた緩やかであるため、致命的な負荷とはなりづらい。

 しかし、急激にそれを崩された場合は話が違う。

 本来は徐々に訪れるダメージを一気に喰らい、雪崩れ込む膨大な現実世界の情報に、脳の処理は間に合わない。

 それにより引き起こされるのは処理落ち、脳のフリーズだ。不随意運動を除く動作、思考を、電圧がかかりすぎたブレーカーのように、脳の安全機構が全てを強制終了する。

 

 飲み込まれる刹那、望月は世界の絶叫を聞いた。

 ヒステリックなその叫びは、異物を持ち込んだ者への、激しい怒号だった。

 

「オレは《人外狩り》。能力者(バケモノ)の真髄なんぞ、破り飽きて久しいぜ」

 動かない頭に、そんな嘲りが響く。鼻血が唇を伝っては滴る。体が動かない。否、正確には、

()()()()()

 能力を行使したり、身体を動かす脳の部位が停止している。あらゆる動作を、脳自身が否定している。

「ァが……ッ」

 停止した体に、熱に似た鋭い痛みだけが走る。喉元の異物感に、流血が応える。ズタズタと、鍵型の短剣が乱雑に筋を切り裂けば喉を離れ、胸、腹、脚を裂く。

 鍛えられた肉体も、練り上げられた強さも、そこに挟まる余地はない。無力のままに、無気力のままに、切られるままに切られ、やがて倒れた。

「ハァ……ハァ……思ったより消耗してくれてて助かったぜ」

 ショットが一本の短剣を取り出し、ゆるりと地面に落とす。

 周囲の土や石、枝が蠢き、短剣へと寄り集まっては形を成す。

 それは、輪郭としては航空機。特に、ヘリコプターに近い形状をしていた。しかし、所々に絡繰人形の特徴が見え、プロペラに当たる部分は四肢が成しているらしかった。

「じゃあな、銀狼」

 薄い笑いを残して、人外狩りはその場を去って行った。

 瞼にこびりついた男の嘲笑に歯噛みし、望月の意識は途絶えた。

 

 

 

 ――い。

 ――せん…い。

「先輩!」

 見知った声に、意識を引き戻される。

添木(そえぎ)先輩! 生きてますか!」

 瞼を開けば、不安げな顔で、懸命に自分の名を呼ぶ後輩の姿があった。

「う、ッあ……狗我山(くがやま)、か」

「目覚めたっすか!」

 もはや泣き出しそうな顔をぱっと明るくして、狗我山は一層元気な声で言う。

「っ痛ぅ……お前、傷に響くだろ」

「あっ、すんません」

 自身の胴に巻き付き傷を塞いでいる枝を見て、同年の少女を思い浮かべる。同時に、同小隊であった天峯(たかみね)猿渡(さわたり)のことも。

「他の奴らはどうなった」

「もう医療部に引き渡しました。他んとこで出た怪我人もいますし、車が足りねえってことで、怪我の重い三人だけ先に」

「そうか……」

 戦いの後で姿が見えない。一抹の不安も抱いたが、しかしそれは杞憂だったらしい。

「っつーことは、一応全員生きてんだな」

「まあなんとか、そうなりますかね」

 そう、死者は出なかった。しかし、負った損失が多大であることに、違いはない。天峯の全身火傷に、猿渡の両腕欠損。そして、この時添木に知る由はないが、三年間共に銀狼隊で戦っている者ならば、椛野がこの状況下で決死の札を切らない訳がないと分かっている。

 目の前の狗我山にしても、片足は折れ、肩甲骨を半損し、その他細かい傷多数。添木自身すら、両鎖骨を断たれ、頭蓋にもヒビが入っている。

 出血も酷いが、全員致命的な失血とならなかったのは、偏に止血に長ける椛野が、全員分の止血に気を回しながら戦ってくれたことに尽きる。こうして本人と離れた今ですらも、応急処置として巻き付いた枝が消えない辺り、未だに能力を行使し続けているのだろう。

 ()()を使ったのなら、意識など吹き飛んだだろうに。無我の中ですら、全員の命を取りこぼすまいと能力を発動し続けるとは。反射や習慣のそれか、あるいは単なる執念か。どちらにしても尋常でない。流石は我らが幹部、と。素直に称賛し感謝する他にない。

「に、しても」

 先に運ばれた面子ほどではないにしても。

「俺らもボロボロだな」

「っはは。すね」

 苦くではあっても、晴れたような澄んだ微笑で以て、狗我山は答える。

 《人外狩り》。あの脅威を前にして、彼の笑顔に陰りを落とさずに済んだのだから、御の字としてしまおう。今回、彼は誰の命も、背負わなくて良かったのだ。それだけで、今は良い。

 狗我山へ返す笑みに、一陣の風が吹き抜ける。

 見上げれば、歪なヘリコプターが夕空を駆けて行った。

「あれは……」

 自分も、そして狗我山や椛野は特に、対峙した絡繰人形と一致する特徴を多く持った外装だった。

「ショット……《人外狩り》、ですよね」

 それはあの男が乱用していたもの。とすれば、それに乗っているのが《人外狩り》であることはすぐに分かる。

「ッ、つーことは……」

 と、狗我山は何かに思い至ったように目を見開いて、遠くへ振り返った。その先には、今はほとんど崩れた、椛野の枝による森林が見える。

「おい、どうした」

 途中脱落した添木はその意味を測り兼ねる。

「助けて、くれたんです。俺は初対面でしたけど、椛野先輩が『先代』って」

 それで理解する。『先代』。椛野が口にしたのなら、その意味するところは恐らく――先代銀狼隊隊長 望月朔兎のことだろう。添木や椛野の代が学園に入学した時には、すでにその座を退き、学園を去った後だった。それからしばらく、銀狼隊は隊長不在の期間が続き、去年には学園に残っていた彼の妹も卒業していった。

 先輩たちから、何度となく話を聞いた。曰く、当時の戦闘部管轄と一二を争う実力を持ち、誰よりも前線を駆ける勇猛であったと。曰く、二年生での隊長就任は前例がなく、その逆境を意にも介さない、誰よりもカリスマのある人物であったと。曰く、任務においては不死不殺を厳令とし、誰よりも人命を重んじる人格者であったと。――中には、彼への悪態をつく先輩も多かった。戦闘馬鹿だとか、背負いすぎの阿呆だとか。しかしそのどれもを、先輩たちは晴れやかな思い出のように語り、その言葉には必ず、彼への尊敬と友好が滲んでいた。それほどに、望月朔兎という隊長の存在は、彼を知る代にとっては大きいもので。また代こそ被らなかった椛野すらも、彼を見上げるようなことを言っていた。

 その望月朔兎が、助けに入った。それは凄い話だが、現状を見て、手放しで喜べるようなものではないのだと、添木は固唾を飲む。

 かの先代隊長が、《人外狩り》と戦った。だというのに、その《人外狩り》は今こうして自分たちの頭上を飛び去った。それの意味するところは、つまり――。

 添木よりも早く同じ結論に思い至り、ようやく戦慄に心が纏まった狗我山が、恐る恐る口を開く。

「負けた、ってことかよ。あの人が」

 

 

 

「チッ、くそ――」

 絡繰ヘリの中で、ショットは舌打つ。

「流石、って言っとくべきか」

 それほど手こずるとも考えてはいなかった。しかし、結果としては相当の深手だ。

 銀狼隊――能力者と言え、所詮は子供の徒党。それくらいの認識であったが、まさかあれほどの闘志と執念を見せるとは。結果として、六人中一人として殺すことは叶わなかった。

 誰が特別、と論うことも難しい。躊躇いと意表を突いて、始めに一人落とせたはいいが、それからの持ち直しも速かった。初めに落とした少年とて、状況が違えば厳しかったろう。

 相性有利、不意打ち、戦術。それらが噛み合って、ようやくだ。

「強いて挙げるなら……」

 強いて、強敵を挙げるとするなら。最後の二人か。

 鎖骨を断ち、ギリギリ致命を免れただけの重傷を負いつつ、必死の技で対等の格闘戦を演じた少女。恐らく、格闘戦の最中においては意識すら吹き飛んでいただろうに。凄まじい練度と意志力。

 そして、

「――狗我山大牙」

 あの少年だけは、あの場で殺しきっておくべきだったと断言できる。あれで年少。あれで成長途上。能力から見ても、どれほど伸び代があるか、もはや計り知れない。

 こちらが格上と理解して尚、曲がらない闘志。若く青臭く、ただ実直に、誰かの為にと拳を振るえる純粋さ。

 まるで、過去の誰かを見ているようだった。

 肉を抉られた足も、外面こそは再生しているが、中身は依然ボロボロだ。立って歩けはするが、全開の動きに追いつくかは怪しい。再生して尚、幻肢のように痛み続けている。

「やってくれるぜ、マジで。しかし、《炎の銀狼》望月朔兎。ありゃ、あまりに生粋の能力者(バケモノ)ってとこか。総合的な実力は比べもんにもならねェが、その実、一番やりやすかった」

 しかし、奴は刀を使うと聞いていたが、それらしきものは見受けなかった。情報の誤りか。それとも、手放す理由でもあったのか。

「どの道、終わった戦いだ。銀狼隊にこそしてやられたが、一人の能力者(バケモノ)を狩るのに手間取る《人外狩り》でもあるめェよ」

 《人外狩り》はしたりと笑う。

 どの道、日本での戦いは終わった。再生に時間がかかるとはいえ、帰国する頃にはほとんど全快だろう。その後は多少休暇でもとろうか。そんな風に先を考えて、日本に帰っているであろう昔馴染みをおもいみる。

 ――挨拶くらい、してやればよかったか。

 そんなことを思い、すぐに払う。どの面下げて会おうというのか。学院に居た頃の自分とは、まるきり違うのだ。これほど血に塗れておいて、アイツと関わる資格など、あるはずはない。

「つまらないノスタルジーだな」

 アイツを置いて恩讐に逃避したのは、自分自身だ。

 思考を振り払い立ち上がる。速度を上げるため、操縦桿である魔剣に魔力を籠めようとしたその時。背後からの激しい衝撃が、後ろ髪を引き摺り込む。

「……オイオイ、冗談だろ」

 そこに在ったのは、火。

 このヘリは電子回路や燃料で動いている訳ではない。自然にそれが起こるなど有り得ない。ならば、その火は、赫く揺れる炎は――

 

 

 

 ほんの数秒遡り、地上。

 望月の敗北を悟った狗我山は、話を聞き知る添木よりも、一層驚いていた。

 それもそうだ。噂を聞いた程度にしか知らない添木と、実際にその背中を見、言葉を交わした狗我山とでは、その背中の大きさへの解像度が違いすぎる。それほどに、彼の姿は鮮烈であった。

 だからこそ、彼が負けるなど、考えてはいなかったのだろう。

 自分たちの対峙した脅威というのは、それほどに大きかったのか。

 その、胸に重くのしかかるような戦慄を、頬を掠めていく熱が吹き飛ばす。

 狗我山は、その熱に覚えがあった。

「ッ――先代!」

 続いて頭上を駆け抜けた炎の塊に、狗我山は叫ぶ。それに背中を押されるように、炎塊は歪なヘリコプターを追い、斜陽の空を駆ける。

 

 

 

「ッは、はは――」

 ヘリを揺らした、月を湛える銀狼は、悪辣に嗤う、鬼。

「……マジかよ」

 《人外狩り》は瞠目する。ジャケットの前ははだけていた。バラバラに焼け跡がついてぼろついたシャツやパンツの隙間から、刺して裂いた箇所を覆うように、爛れた火傷が覗いていた。まさか、コイツ――

「傷を焼いて……ッ!」

 黙して肯定し、鬼はただ不敵に笑う。

 改めて理解して、戦慄する。傷口を焼いて繋いだところで、破壊が治る訳ではないというのに。いや、むしろ出血を止められるだけで悪化しているとすら言える。だと言うのに、この短時間での追随から察するに、この鬼はそれを、迷いも躊躇いもなく実行している。喉の傷を焼いて塞ぐなど、気道を潰し、自らとどめを刺すことすらあり得ると言うのに。

 ただ、今ここで戦うために。

「オマエも相当イカレてんよ、望月ッ」

 笑みが引き攣る。

 『群れを離れた狼には気を付けろ』と、望月は言った。なるほど確かに。この執念は、笑えない。《人外狩り》は、一匹狼の逆鱗に触れてしまったのか――。

「望むとこだぜ」

 そうでなくては、狩りに意味などない。戦いを呈さなければ、真に意味などなくなってしまう。

 既に場は開戦を待ち、その火蓋を落とすのはショットの側。

 しかして、ショットは間合いを詰めるのではなく、窓の方へと一歩下がる。虚空から無数の短剣を抜き、放つ。その全ては、傀儡の魔剣。例の絡繰人形だ。

 一息の内に、機内は絡繰り人形に埋まる。怪力も高火力も知っている。しかしてこの状況。そうそうに次の手に移れやしない。

 火力に任せて爆破でもするか? だが、下にヘリが墜落するのはどうする。市街地を巻き込むことになるだろう。それを止めるにしても、そんな隙がありゃオレは逃げ果せる。

 その時、望月の右手が、強く、青く光った。

「ソイツは……!」

 勝手知ったる。ショットが何よりも、誰よりも理解している。

 望月の右手に握られていたのは――魔剣。

「は、ははは、はははははははははははははははははははははは――――!」

 高らかに鬼は嗤い、魔剣を高く振り上げ、床面へ叩きつけた。

 桁違いの出力だった。魔力循環の制御も操作もあったものではない。ただ、莫大な魔力をがむしゃらに放出するだけ。それだけで。否、だからこそ、その出力はショットが――《魔剣遣い》が使用する時よりも、明らかに――。

 ヘリだけでなく。そこを埋め尽くす絡繰人形の群れごと、一切合切、粉々に崩壊し、霧散。莫大な魔力に耐え兼ねた振動の魔剣もまた、粉微塵に割れ壊れた。

 そうして、ショットと望月、二人だけが、高高度の空に投げ出された。

 振動の魔剣。たしかに、狼に噛まれて取りこぼしたまま、回収し損ねていた。

「チッ――」

 自らの詰めの甘さに腹が立つ。或いは、それをさせなかった銀狼隊に対してか。

 後輩たちが決死で戦い勝ち取った功績と恩恵に背中を押され、望月朔兎は高らかに言った。

「――リベンジ戦と行こうぜェ! 《人外狩り》ッ!」

 

 

 

「ぬいちゃん、それは?」

 私が仕事を終えてすぐ、不知火は魔術研究会の部室を飛び出した。

 かなりの魔力を使い、消耗した体を押してついてきてみれば、不知火は屋上で、随分大仰な機械を抱えていた。

 全体的なシルエットは銃に似ているが、しかしそのごてごてと無数の機材を搭載した見た目は、とてもそんな、戦闘に使うための武器には見えない。

「本当はただ、なんでも弾にできるってだけの銃なんだけどね。さっき有り合わせを色々くっつけて、弾速と射程を伸ばしてたらこんな見た目になっちゃった。ま、ただの運搬機よ」

 言いつつ、不知火はその、過剰にも見える大きさの“ただの運搬機”を足元に一度置く。恐らく装填口であろう穴に、“弾”となる物をねじ込む。

「位置は分かってるのです?」

 私が聞けば、不知火はさっとポケットからスマホを取り出して画面を見せる。

「問題ないわ。昼間、携帯登録して追跡できるようにしといたから」

「え、ストー「本人に言われてやってるからね」

 食い気味な否定だった。この速度の返答は、それなりに自覚があると見える。

 だがたしかに、画面上には赤い点が明滅していて、場所を示しているらしかった。詳しい座標や高度を表しているのであろう英数字の羅列は、流石に専門的すぎて解読できなかったけれど。

「それに私は、あいつと同じ空を飛べないもの」

 そんな束の間の寂寞を垣間見せたと思えば、不知火はスマホの画面に視線を落とし、話題を引き戻す。

「ちょうど、真上ね」

 と、不知火は頭上を見上げる。

 夜の帳が見え始めたこの時間では、肉眼で捉えることすら難しい遥か上空。――この先に、望月さんが。

「ん……でも、元が銃なら、弾速が早すぎないのです?」

「それも大丈夫。配送先が望月なら、むしろこのくらい速くなくっちゃね」

 得意な笑みを見せたと思えば、不知火は白衣のポケットから耳栓を取り出し装着する。

 実際に望月が戦っている姿を見ていない私には、分からない感覚だった。

「耳塞いでてね」

 言われ、慌てて耳を塞ぐ。

 不知火はそれを横目に、銃口を上に向ける形で“運搬機”を足元に突き立てた。

 そして、どこから出したか長大なメガホンを構えつつ、“運搬機”の引き金に足を乗せる。

「はぁー……すぅ――」

 一度吐いてから、肺一杯に息を吸い込み、

 

『望月ぃ――!』

 

 叫ぶように名を呼び、全体重を懸けて引き金を踏み込む。

 瞬間、空気が揺れる。

 巨大な“運搬機”による反響と、それを突き抜ける、長大なメガホンによって増幅された不知火の呼び声が、そのままの速度を伴って、遥かな空へ飛んでいく。

 銃弾は音速を超える。“運搬機”に込めた“弾”は約一キロ。通常の銃弾とは比べるまでもない重量差だが、不知火が改良し、弾速を速めたというなら、そこは問題なく解決しているのだろう。だからこそのこの轟音。

 同時に発射していたら、先に届くのは弾の方だが。

 そのために、不知火は先に呼びかけ、ラグをつけて発射した。それなら、声が先に届くか、或いは同時だ。

「きっと、受け取って、くれるのです」

 それは、呟き零した切なる願い。

 確信めいた微笑みを湛え、不知火は頷く。

「ええ。望月がまさか、()()を取り損ねることなんて、有り得ないわ」

 不知火の言葉を証明し応えるように、空の彼方で、炎が高らかに轟いた。

 

 

 

 時を遡り、上空。

 望月は崩れるヘリを飛び出し、落下するショットを追随する。

 絡繰人形を出す直前、窓の方へ下がっていたのを見るに、ショットは元々ヘリから飛び降り逃走するつもりだったのだろう。そのため、ヘリが崩れてからも対応は早く、新たに虚空から抜いた魔剣に足を乗せ、空中で姿勢を立て直していた。

 魔剣を使用し、魔力を実感として知った今、望月にもそのカラクリは見て取れる。魔剣がショットから吸った魔力を空気中に放出し、ホバーボードのように浮いている。指向すれば、自在に空を飛び回ることも可能だろう。ヘリが壊れ予定からは外れたが、しかしそうであっても、このまま飛び去って逃げるつもりだろう。

「馬鹿、させねえよ」

 今ここで、地上まで沈んでもらう。

 元々飛行で望月朔兎から逃げ切ることなど、できるはずもない。

「ふゥ――ッ!」

 望月の足に、炎が灯る。落下の重力も乗せ一直線に、先を往くショットへ飛び降りる。

「逃がさねえぞ《人外狩り》ィ!」

「ぐォ!?」

 組み付き、無理矢理にホバーボードから引き摺り降ろす。主を失った魔剣は浮力を失って落下していき、乗り物を失ったショットもまた、組み付いた望月とともに自由落下を始める。

「テメェ望月この野郎!」

「ッははは! 地面までの落下デートと洒落こもうぜ!」

 ショットの表情には焦りが見えた。高度は既に雲の上。地上から数えておよそ二千メートルだ。如何に肉体を強化でき、また再生も可能だからと言って、ただで済む高さではない。

 それは望月も同じ。しかし、ショットと違い、望月は自分の能力で自由に飛行できる。ショットの立て直しが間に合わない低さまで落下してから、自分にだけブレーキをかければ済む話なのだ。

「くっそ、離れろッ!」

 望月が組み付いているから、戦闘は零距離に限定された。

 離れて炎を打ち込み叩き落とそうかとも考えたが、しかしそれには幾ばくか時間を食うし、そんな隙を晒してから能力を打ち込むのでは対応されて終いだ。何も持っていない今、能力で物体を飛ばすという対処も取りづらい。能力による炎だけでは、能力者との戦いを専門とする《人外狩り》相手には対処される可能性は高く、加えてカウンターを喰らう可能性すらある。

 そのため、膂力では上回る自負を持って、零距離での取っ組み合いを選んだのだった。

「離れねえよ! このまま堕ちろ――!」

 目算は概ね当たり、取っ組み合いに関しては望月の優勢だった。けれども、そこは《人外狩り》。膂力で劣る相手との戦いも慣れていると見え、完全な拘束で動きを封じることはできなかった。

「シィ――ッ!」

「っぶねッ」

 僅かに上体同士の距離の空いたその刹那に、ショットの短剣が振り抜かれる。脚をショットの腰に回したまま、反射的に上体を反らして躱す。だがそうして広がった距離を使い、今度は直剣が振り下ろされた。その直剣こそ、空間を斬る魔剣《トリカブト》。望月の転写世界を破った魔剣でもあり、鉱化を持っても防げぬものであると、これまでの戦いの中で望月も理解していた。まともに受けて防ぐ術はなく、望月はショットの解放を余儀なくされた。

 離れてショットが落下していくのを、また足の炎で追いかけつつ、歯噛みする。短剣の方は鉱化で受けられるものだった。しかし、零距離の攻防の中で挟みこまれたこともあって、無意識に躱してしまった。類稀な反射神経を持っていることが裏目となり、取っ組み合いは解かれたのだ。

「追ってくる前に、下の銀狼隊からインタビューでもしておくべきだったな」

 再び追い付いたところで、ショットが口を挟む。気付けば、ショットの左手に握られた短剣は、鍵型のものではなく、白く無機質な物となっていた。それが、望月の足元を通りすぎる。

「……?」

 訝しむが、考える前に足元の炎が消える。落下から指向性が失われた。そして、ショットの握る白い短剣には、赤い光が宿っている。

 その短剣のことを、望月は知らない。しかし、その光には既視感があった。

「そら。オマエの炎、返すぜ」

 ショットが短剣を再度振る。斬撃の軌道から飛び出すのは、望月のものと同じ、赫い炎。

「くッ……」

 吸収と発散。如何にも能力者殺し向きの魔剣だ。

 推進力のための炎だ。返されたとしても火力は取るに足らない。しかし、その推進力のためというのが、この場面では致命的。加えて炎が刹那の目眩しとなるのもまた、それに拍車をかけた。

 推進力を返されたことで、望月の身体は上へと打ちあがる。

 炎が晴れる頃、ショットは虚空から新たに魔剣を抜き、それで飛び去ろうと言う瞬間だった。

「く、っそ」

 自分の炎に、首を絞められている。体勢を立て直すのは一秒もいらない。けれど、そのコンマ数秒は、ショットにとって充分すぎる。

 

『望月ぃ――!』

 

 割り込んだその声が、一瞬、望月の意識を戦いから引っ張り出す。聞き馴染んでいて、どこか懐かしくなる声が地上から急速で迫る“何か”に気付かせる。

 その“何か”は直方体。途端に崩れ、漆黒が飛び出す。

 急上昇し、やがて望月の頭上へと。

「ッはは」

 掴み取り、笑う。

 曇りなき陽光に照らされ、黒き刃が妖しく紫の光を反射する、漆黒の刀。

 初めて手にしたというのに、取ってつけたような仮の柄が、()()()()()()()()よく馴染む。

 ――間に合わせてくれたか……!

「愛してるぜ、朱輝――!」

 黒き刃に赫き炎が灯る。掴み取った姿勢を構えとし、そのまま迷わず振り抜く。

「『緋焔』ッ!」

 斬撃とともに炎が空気を切り裂く。燕が飛ぶように、炎の斬撃が空を駆け、真っ直ぐショットを追い立てる。

「ッ――ハッ!」

 ショットは振り向き瞠目するが、しかし反応を間に合わせ、短剣を振って炎を受け、吸収する。

「これはさっき見せ――なッ!?」

 短剣で炎を吸収し終え、景色が晴れる。そして、

「ごッ、は……ッ」

 追随する黒い切っ先が、隔たりなく、ショットの鳩尾を貫いた。

 もはや為す術はなく、ショットは刀が投擲された勢いのままに、地面を急降下していく。

 先に炎を放ったのは、短剣――吸収の魔剣を使わせるため。望月は、刀に宿る推進力を吸収される可能すら考慮し、先にその容量を炎によって埋めた。望月にとっては半信半疑の賭け。しかし、その目論見は唯一といっていいほど正しく的を射ていた。事実、吸収の魔剣は初めの振りでエネルギーを吸収し、次の振りでそれを解放する。それには、目に見えた光や炎だけではなく、推進力といった見えない運動エネルギーも含まれる。そのため、ただ投擲したのでは、推進力を吸収され、むしろ刀が望月へ返っていた。

 僅かな情報からそれを薄くとはいえ見抜き、想定できたのは、望月が魔力を実感していたからであり、これもまた、振動の魔剣を銀狼隊の奮闘によってショットが回収できなかったことが繋がっていた。

 三年前に自ら手放した縁、自ら立った席であったというのに。ここに至って未だ、望月朔兎は銀狼隊を背に、戦っていた。隊長だった頃には背負い込み、今では背中を押されている。そこに、どれほどの違いがあるというのか。

 三年という月日が流れても、望月は未だ、銀狼隊の隊長として、あの月の下に居る。

 そして、落下するショットを追随し、此度の戦いの決着へと、炎の銀狼は空を駆けた。

 

 

 

 再び轟音が鼓膜を揺らす。大学構内の中庭からそれは響いていた。

「っ――なんなのです……!?」

 驚いてまた耳を塞ぐ。しかし、続く感覚が、その驚きも吹き飛ばし、身を締めた。それは、魔術師だけが持つ超感覚を激しく揺らすもの。

「この感じ――」

 その正体がなんなのか、私にはすぐに分かった。

 懐かしい。本当に懐かしい、魔力の響き。

 そして続く、更なる轟音。それは戦いの舞台が、上空からここに移ったことを示していた。

「どうやらクライマックスね。なみちゃん」

 不知火が悠々と風を受け、音の方を眺める。その言葉が意味するところもまた、すぐに理解した。始まろうとしている。戦いが終わる、その時が。

「……はいです」

 もう、目を逸らさないって決めたんだ。

 ――望月さんに勝ってほしいと願ったのは、ツェルに負けてほしいからじゃないのです。

 ただ、終わらせてほしいから。

 彼を止めるために、私は――だから、絶対に。

「ここで、どうなってでも終わらせるのです」

 胸から熱くのぼる覚悟は、そのまま、魔力を高め、今この時に最適な魔術を叩き出す。

 息を吸い、吐く。もう一度吸い、声を紡ぐ。

 

 

 

「ッぐ、はァッ――ゥ、オェ、ッはァ……はァ……」

 視界がホワイトアウトからようやく帰ってくる。何秒だ、いや、何分だって不思議じゃない。一体どれだけ気を失っていたのか。最大まで肉体を魔力で強化し、身を広げて墜落の衝撃を受けたが、しかし補いきれるものではない。着地した衝撃で刀は抜けて遠くへ飛んだらしいが、しかしこのダメ―ジはシャレにならない。意識を取り戻してから急速で魔力を循環させ、再生を始めるが。しかし、常人であれば全身が破裂し木端微塵になっているような大ダメージ。四肢こそ繋がっているが、内情はズタボロである。いくら優れた魔力循環と魔力操作能力を持っているからといって、まずは命を取り留めることを最優先にしなければ、息を保つことすら敵わない。

 もはや苦し紛れに笑う余裕すらない。怨嗟への昇華も、怨恨への転嫁も、怨讐への逃避も。笑えなければ、自分を笑えなければ、できない。

 《人外狩り》は狩人だ。狩人は、狩っているからこその。勝っているからこその、狩人だ。この腹の底から上ってくる嗚咽、どす黒い嘔吐感。これは、濃密で重厚な、敗北の――死の気配。久しく、そんなものは忘れていた。

 地に膝を付き手を付き、血反吐を吐いて苦痛に悶えるなど、本当にいつ以来だ。これほどの、()()()()()は。果たしては、《人外狩り》として生きると決めた――復讐に逃避し、アイツの手を振り払った、二年前のあの日以来。

「くそ、くだらねえよ」

 虚勢だと分かって、そう吐き捨てる。

『過去に執着はないか? 虚飾だな』

 自らが銀狼に行ったことを思い出す。全く、くだらない自虐だ。

 傷を抱えながら、ショットは立ち上がる。ひどい吐血と激痛。内臓が破裂したか。それも再生を始めてはいるが、内臓はその構造が複雑なために時間がかかる。落下の衝撃で千切れた腱や筋肉、骨はすでにつながった。回復しきったわけではないが、大丈夫だ、動ける。

 こうなれば本当にどうしようもない。魔力を再生に回し続けなければ、命すら危ない今、魔剣は使えない。地力の足で歩くしかない。こんな状態で、継戦など冗談ではない。

 あの鬼がおりてくる前に、ここを離れる。少しでも、無様でも。敗走しなければ自分は本当に終わる。

 《炎の銀狼》と呼ばれた、元銀狼隊隊長 望月朔兎。その隊長が必ず下す、絶対遵守の厳令は、不死不殺であったという。誰よりも人命を重んじ、それは銀狼隊の掲げる共生という理想を見据えたものであったと。しかし――あれは、そうではないだろ。

 戦って分かった。斬られて、突き落とされ、分かった。あれは、あの鬼は――人を殺せる側だ。いやむしろ、既に殺してるのか。そう思わせるほどに、彼の戦いは、その背後に苛烈な地獄を覗かせていた。

 無論、殺人鬼ではないのだろう。殺人の鬼などでは、全くないだろう。しかし、いざとなれば、躊躇いや倫理などを捨て置ける側。そして、『いざ』というなら、既になっている。ショットは彼の後輩を切り刻み、また彼自身を切り刻んだ。ヘリの中で見せたあの笑顔。人が落下すれば死ぬなどと分かりきっているあの高度で、躊躇なく、初めて手にする魔剣で以て、ヘリを崩壊させた、あの思い切り。あれが、本当に人命を重んじる人格者の見せる笑みなのか。

 自分のする笑いとは明らかに――否、案外、同じことなのかもしれない。

 いや、自分は確かに、ヘリから飛び降りる気でいたし、実際に飛行の術も持っていた。それを所作やこれまでの戦いから見抜いていたなら、殺意など持たずとも、ヘリを崩壊させる算段は立てられるだろう。あの高度だ、落下には相応の時間がかかる。その間に受け止めるくらいの余裕も、彼は持ち合わせているだろう。

 こんな思考に意味はない。どの道、ショットに望月朔兎の心の奥を覗くことなど、できるはずはない。

 全く逆反対の道を選んだ、彼の心など。最も近い人の心から目を背けた者に、見えるはずはないのだから。

 風を切る音がした。その音に混じって、微かな熱が、ショットの頬を撫でる。

「クソが。もっとのんびり降りて来いっての」

 実際にショットが気を失った時間は、ほんの数秒。目覚めてからも数十秒。落下から数えても、一分程度の時間しか経っていない。

 ショットの背中を打つ、再三の轟音。それが示すのは、戦いを運ぶ、鬼の到来。

「思ったより動けてんじゃねえか」

 落下の衝撃に、地面から浮き上がる刀を掴み取り、望月は緩やかに歩く。

「馴染みだろ、挨拶くらいしていきな」

 不敵に笑う望月の背後から、ハスキーに響く声とともに青い瘴気が立ち上る。

 

『――此処なる地に流れ漂う精霊よ。ここに、一つの約定を結ばん。』

 

 その声ほどに、聞き馴染みのある声はない。唯一といっていいほど、心に残っている声だった。

「……亜澄か」

 ショットは実際に目にしたことがなかったから知らなかった。ここは倉波亜澄が通う大学であり、魔術研究会(彼女の城)を内包している。

 地脈を使った魔術で、この場において、倉波は神々しいまでの力を持っている。

 

『四方を閉じよ。天井を閉じよ。』

 

 懐かしき、日本語詠唱。そのほとんどがヨーロッパを中心に発展した魔術は、その詠唱もまた、ヨーロッパ圏の言語に依る。それを、独自の解釈と意味の置換によって、倉波は日本語で詠唱を成立させる。日本で生まれた魔術であれば、その詠唱もまた日本語だが、倉波はどの文化圏で生まれた魔術であっても、日本語の詠唱で行使できる。前代未聞、唯一無二の才能である。

 第一言語による、異文化魔術の再解釈。それは、自身に最も適した形へのアレンジを可能とし、それによって行使される魔術は、圧倒的な強度を誇る。

 それを活かし、倉波は特に結界術や構築魔術を得意とし、それを衣服に落とし込む研究もしていた。そんな、感傷にも似て想起された記憶で、ショットは自身と望月を纏めて覆う()を見る。

 

『不倒の帳を降ろす。戦火の夜が晴れるまで――』

 

 奥の建物の屋上に、倉波の姿がある。それを遮るように、半透明の青が聳え立ち、四方から、そして上面から、青の壁が辺りを取り囲み。薄青色の立方体の中に、ショットと望月だけが残された。

 ――詰み、だな。

 魔力は再生以外に回せず、魔剣は使えない。魔剣を使えなければ、この壁を破ることはできない。否、魔術で作られた壁だ。それも倉波が地脈を使った代物。たとえ《トリカブト》が使えたとして、破れるかは怪しいものだ。

 第一、魔剣も使えぬ満身創痍で逃げられるほど、目の前の男は弱くも、甘くもない。

「そら」

 と、望月が無造作に左手を振って、何かを投げた。

「――トリカブト」

 落下の際に手放していたか。あまりの衝撃に、これを手放したことまで頭から飛んでいたとは。

 しかし、なぜ今、こちらにこれを寄越す。勝手に回収していれば良いものを。

「四肢が繋がってんなら、無問題だぜ」

「何、言ってやが……」

 望月の言葉の意味を、笑みの理由を測りかね、訝しんで。

 その怪訝に、温もりが一つ。

「これは」

 この、魔力は。

「亜澄……」

 じんわりと、全身に染み入ってくる。陽だまりのような、柔らかな熱。いや、それは錯覚だ。熱は持っていない。しかし確かに、あたたかい。

 魔力が潤い、急速に体の再生を助ける。

 ――魔力の、外部供給。

「このまま瀕死のお前をノして終わりなんて、つまんねえだろ」

 言って、望月は右手の刀を構えた。

「決着といこうぜ。《魔剣遣い》」

「はッ……」

 自然と、そんな笑みが零れた。その名で呼ばれるのも、いつ以来か。自然と笑うなんて、いつ以来か。

 そうだ。こんなものは狩りじゃない。オレなんかは、狩人じゃない。

 この手にあるのは、狩猟具じゃなく、魔剣。()()()()()

 

 この胸を焼くのは――鮮烈な、学院での三年間。

 

「何故、なのですか」

 それは、二年前の記憶。《人外狩り》の、第一歩目。

「何故、どうして、あの人たちを殺したのか、聞いてるのですよ」

 柄にもなく怒気の籠った彼女の声が、他人事のように耳の中を木霊していた。

「あの()()()を――って、そりゃあ違うぜ、亜澄」

 きっと、この時が初めてだ。心にもなく、誤魔化すように嗤ったのは。

「オレたちはさ、勘違いしてたんだよ。あれは人なんかじゃねえ。オレが殺したのは人じゃない、能力者(バケモノ)だ」

 倉波は、ショットの身に何が起きたのかを知っていた。日本に帰国してからでも、倉波はイギリスの魔術師たちの情報を、逐一仕入れていたから。そして、その悲惨さも理解できた。日本の大学に入るまでの間、倉波もまた、彼らの仲間であったのだから。

「でも、でも――」

 だから、倉波は何を言うこともできなかった。自分は、何もできなかった。関与すらできなかったのだから。無力とすら違う寂寞だけが、胸を襲って。ただ、差し伸べたい手だけが迷子になる。

「じゃなきゃよ」

 それに付けこむように、ショットは言葉を続ける。逃避だった。もう、残酷な現実を見られなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という、現実を。

「アレがバケモノじゃなきゃあ、おかしいだろ」

 倉波の手を、背を向けたまま乾いた言葉で振り払った。

 それが決別だった。決定的な、別れの言葉だった。

 オレは、アイツを置いて、独りで進む。

 この時そう決めて、もう後戻りなど、できるはずがなかった。

 何かを守るために、何かを果たすために、剣を振るうことが、その日以来、できなくなった。その資格を失った。自ら、手放したのだから。

 絶望して尚立ち続ける強さが、オレにはなかった。アイツに縋れる弱さが、オレにはなかった。

 アイツの理想を踏みにじって、アイツの優しさを振り払って、アイツの光から、目を背けて。

 オレは、暗闇の泥中を歩いた。鮮烈な光は、あまりにも眩しすぎて。それが照らす現実が、あまりにも醜悪で。両目が潰れてしまいそうだったから。

「じゃあな、亜澄。オレは、人外(バケモノ)どもを狩り尽くす」

 オレは、《人外狩り》の道を歩いてきた。なのに。

 

 だと言うのに――。

 

「本当に、世話焼きな女だな」

 微笑混じりに呟いて、望月と視線を合わせた。

「いいぜ――」

 ゆるりと、()()を構える。

 魔力が漲る。《人外狩り》としての赤ではなく、《魔剣遣い》としての青が、その身から溢れ、湧き上がる。

「オレは()()()、《魔剣遣い》ショット=ビーツヘルム。魔剣により魔導を進む者。来いよ、銀狼。最終ラウンドだ――!」

 それは、己との決戦を告げる、鬨の声。

 

 

 

「よし――上々ね」

 空から戻った望月の手に握られた黒刀を見て、思わず得意な笑いがこみ上げる。

 ショットを地に叩きつけた高高度からの急降下を経て、その刃には一切の陰りがない。鬼の手に相応しい一振りになったか。そんな感慨が湧き上がる。

 《黒月(くろつき)》。かつて、望月が銀狼隊の現役であった頃に振るっていた得物。

 ある()()を原型に、特製の合金を鍛えて作った、その頃の私の傑作の一つ。だが今にして思えば、あれは失敗作だった。望月の怪力や炎についていけず、毀れるし、曲がるし、折れる。

 若輩の私は、それについてよく望月に怒っていたか。

 今にして思えば、恥ずべき過去だ。

 使い手の要件を満たす武器を作れない私の力不足、技術不足を、望月に責任転嫁していただけ。望月には申し訳ないと思う。何より、完成させてやれなかった《黒月》に、謝りたいと思う。

 だから、私はずっと、望月の握る剣としての最適を追求してきた。怪力をものともしない、硬度と靭性。超高熱にも汗一つかかない、耐熱性。膂力と釣り合いの取れる、重量。重く硬いからこそ至れる、鋭利の極致。

 その全てを満たす、最高最上の一振り。

 銘を打つなら、《朔月(さくつき)》。黒よりも暗き新月こそ、あの鬼には近しいか。今度に限っては、倉波の魔術に頼ってだが。その倉波亜澄こそ、前代未聞、唯一無二たる稀代の魔術師。彼女が得意とする構築魔術による作刀ならば、そこにクオリティを下げる要因はない。

 元来、鬼には金棒と言うのなら、それに匹敵する刀で以て、望月(あなた)の強さに応えよう。

 友の力を借りつつも。しかし、

「――ようやく、少しは近付けたかな」

 望月朔兎に。或いは、自らの理想に。

 

 

 

 倉波の作った結界内で、外部からの魔力供給を受け、ショットは魔剣を握り、戦場に立つ。そして望月もまた、倉波の魔術によって一時の完成を見た妖刀を手に、それを迎える。

 《魔剣遣い》の帰還。それは、狩り狩られではなく、尋常なる戦いの始まりを告げていた。

 《炎の銀狼》望月朔兎は笑い、《魔剣遣い》ショット=ビーツヘルムもまた笑う。

 倉波亜澄によって作られた最後の戦場で、あらゆるものに決着をつけるため、赫を纏う黒の刀と青を纏う銀の剣が肉薄する。




 というわけで、『妖刀と魔剣 後編 魔剣遣い』でした。最終回ではありません。前中後編とくれば、その次には完結編が待っています。
 はい。あまりに時間が空いたし、話がちょうど区切りついてたのでここまでを後編にしました。ごめんね。
 次回は何がどうなっても最終回です。待ってて。

 中編の後書きも、ちゃんと完成させるから(2025/02/22)。

 弁明とかはこの辺にして。こちらの感想。
 まあ一番書いてて楽しかったのは、ボロッボロのショットですね。流石にボロボロすぎて、ガッツリしっかり負けちゃって、メンタルがかなり沈んで余計な思考をしまくってるんですが、伝わりましたか。少なくとも読みづらかった気がします。ごめんね。
 その次は、詠唱二つですね。これは本当に純粋に楽しかったな。
 戦闘と言いつつ、理屈こねこねが多かった今回だけど、最終回はきっちり戦闘を書きます。っていうかもう大分書いてる。
 前中後編ときて、倉波のプロフィールを怒涛の勢いで出してしまったという気持ちがすごい。実はめちゃくちゃすごいし、ハイテンションでまくし立ててたファッションもあれ、今度学会に発表するよってくらいの研究成果なんですね。描写してないけど今も着てるよ。
 この小説は元々ツェル波を書く話なのに、もちぬい要素も強くなっている。これは対比として意識してはいたけど、ちょっと予想外に増えてる。結構デカい感情持ってるよねこいつら。

 最後は真面目に。
 ここまで読んでいただき、そして約一年という期間が空いたにも関わらず、待ってていただき、本当にありがとうございます。
 また期間をいただきますけど、必ず完結させることを約束するので、もう少しだけお付き合いいただければと思います。
 それではまた、完結編で。
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