望月弥生(もちづき・やよい)─────二年生
夜桜雪(よざくら・ゆき)───────銀狼隊
宿題は終わらない
「あれ、早いね~。待たせちゃった?」
夏休み半ば、八月中旬の昼前。私、
羽織を脱げばもっと涼しいなんて言うのは野暮です。
とはいえ、日差しも湿気も全盛のこの夏真っ盛り。どうしてそんな暑い中、わざわざ外出しているのかと言えば。
「気にしないでください。私もついさっき来たところですから」
このちっさくて可愛らしくて、同級生でも関係ない敬語が似合う銀髪の女の子、
「それで、弥生さん」
煩わしい色んなものから解放される夏休み。それは学生の特権だ。しかしその反面、学生だからこそ、一つ重大な物に縛られることになる。私が雪ちゃんを呼びつけた理由でもあるそれは――
「実際、宿題はどのくらい残ってるんですか?」
――夏休みの宿題、だ。
「え、えーっと……七割くらい……?」
雪ちゃんは、少し黙った。というより、呆然としていた。
まあ、もう終わらせたらしい優等生の雪ちゃんは、宿題を早く片付けないことへ想像が及びづらいんだろう。
しかし、雪ちゃんは一つ咳払いをしてから。
「まあ、去年に比べればそれなりに良いペースですよ」
と、微笑みがちにフォローしてくれた。
「うぅ~……ありがとう」
そう。去年に比べれば、たしかに進んでいるのだ。なにせ、去年の夏休みは最後の一週間まで一切手をつけていなかったのだから。その時も雪ちゃんや、他の人――お兄ちゃんにも泣きついたっけ。
「分からないところは教えますし、今日で大半終わらせちゃいましょう」
優しくそう言ってくれる雪ちゃんの笑顔は、本当に可愛い。
と、そんな話をしているとバスがやってきた。予定より一本早いが、まあ宿題に取り掛かれる時間が伸びたと考えよう。
「さあ、行きましょうか」
「うんっ。行こう行こう」
この時、私の頭の中は、勉強後に飲む約束のフラペチーノのことでいっぱいだった。だから、気付かなかった。さっき概算した、宿題の残量。それは、一つの問題集が忘却された上での計算だったこと。故に、実際には宿題の残量は九割にも上ろうとしていること。そして、後にそのことに気付く雪ちゃんのこと。
雪ちゃんが怒ったら――めちゃくちゃ怖いこと。
「ふぅ~~~……やっと落ち着いたあ……」
夕方。図書館での缶詰めを終えて、私と雪ちゃんは近くのカフェにやってきていた。夏休み、商業施設の近くでもあり、大型チェーンなのもあって、お客さんはいっぱいだったけれど、なんとかテラス席が一組分空いていた。
雪ちゃんの前にはアイスコーヒー、私の前にはキャラメルフラペチーノが並んでいる。頭を使った後は甘いものに限る。
「なんとか、良いところまでは終わりましたね」
「うんっ! ほんっとありがとう雪ちゃん」
問題集のことを完全に忘れていたと気付いた時、声だけを抑えた雪ちゃんの雷には肝を冷やしたけれど。とりあえず今日は他の物を終わらせて、問題集はまた後日。ということになって決着した。
雪ちゃんは教えるのが上手くて、宿題の進み自体は本当にスムーズだった。おかげで、宿題の残量は三割を下回ろうかというところまで進んだ。
持つべきものは可愛くて優等生な友達である。
「そういえば、一つ気になっていたんですけど」
「ん? なに?」
「どうして、こんな時期から宿題を終わらせたいなんて言ってきたんですか? 焦る時期でもないですし。弥生さん、いつも最後まで溜め込むタイプなのに。」
そうだけど。私だって計画的にやりたい気持ちくらいはあるよ。
まあ実際、今回は別の理由があるんだけど。
「お兄ちゃんを探そうと思ってさ。夏休みでもないと無理だし、そんなことしてたら宿題やる時間無くなっちゃうでしょ?」
「それは――なるほど」
と、雪ちゃんはすこし意味深に頷いた。銀狼隊として、雪ちゃんは雪ちゃんでお兄ちゃんと関わりがあったわけだから、それなりの感慨があるんだろうな。
「ま、そう思ったのはついこないだで、何も分かってないんだけどね~。不知火先輩も連絡取れないらしいし」
「あの二人、仲良かったのに。意外ですね」
「むしろ、仲良いからこそなんじゃないかな。私にも連絡先教えてくれてないし」
これはちょっと不遜だけど。まあ妹だし。
「ふむ……」
少し考えこんだかと思えば、雪ちゃんは私の眼を見据えて。
「弥生さん。それ、私も協力していいですか?」
それこそ、私には意外だった。応援くらいはしてくれると思っていたけれど、まさか協力の申し出なんて。
「仕事の合間にはなっちゃいますけど……」
「いや、それでもありがたいよ。雪ちゃんが協力してくれるなら」
意外は意外でも、嬉しい誤算だ。
「それじゃあ、微力ながら、力を貸させていただきますね」
戦闘部だから、強さばかり印象的だけど、雪ちゃん調べ物だって人並み以上に上手い。銀狼隊の施設だって使えるかもしれないし。これ以上ない提案だった。
「けど、どうして?」
「言いたいことがあるんです。どうしても」
「告白?」
「んッ」
雪ちゃんは話の合間に口に含んだコーヒーでむせ返った。
「ななな、なに言ってるんですか!」
「いや~私としては、雪ちゃんならいいと思うけどさ~」
「違います! 違いますから!」
顔が真っ赤だった。雪ちゃんの被る帽子がピクピクと震えていて可愛い。
「あっははは、冗談。冗談だよ」
「全く……」
雪ちゃんはむくれて、またコーヒーを一口。
「まあそれに……」
「ん?」
「やっぱり、兄妹が別れたままなんて、寂しいじゃないですか」
それは、素直な笑みだった。
「――うん。ありが」
「ッ、危ない!」
突然、雪ちゃんの眼が、きっ、と鋭くなったかと思えば、机も飛び越えて押し倒された。というより、覆いかぶさられた。
次の瞬間、すぐ近くで爆発音。直後に熱と風圧。
「く……ッ」
何が何だか分からない。キーンと甲高い音が耳の中で反響している。けれど――いや、だからこそ鮮明に。雪ちゃんの、苦痛に歪む顔が間近に見えた。
「怪我は、ありませんか」
自分の痛みなんてお構いなしに、雪ちゃんが言う。
「う、うん。私は……けど」
雪ちゃんの頬には赤が線を引いていた。帽子も吹き飛んで、狼の耳が晒されていた。
私が雪ちゃんの傷を見つめていたら、雪ちゃんは柔和に微笑む。まるで、怯える子供をなだめるように。
「このくらい、私は大丈夫です。弥生さんはすぐに避難を」
私の上から立ち上がって、雪ちゃんはカフェの店内――爆発音のした方を向く。私も反射的にそちらへ視線が向いた。
そこでは、カウンターの前で一人の男が頭を抱えていて。他のお客さんや店員さんは倒れているか、怯えているか。
男が何かぼそぼそと言っているのが分かる。だが、まだ耳が本調子じゃないからか、それともか細い声なのか。何を言っているのか分からない。
「銀狼隊です。即刻、両手を挙げて膝を付いてください」
今日は非番だと言っていた。だからこうして出かけているわけで。必然、雪ちゃんは武装していない。そもそも、武器を隠し持てる恰好でもない。
つまり、雪ちゃんはその小さな体一つで、たった今爆発を起こした犯人の前に立ちはだかっているのだ。
「……め、がって」
少しずつ聴覚が戻ってきて、犯人がぼそぼそと何を言っているのかわかるようになってきた。
「……めや……って……なめや、がって……舐めやがって舐めやがって舐めやがって」
完全に、飛んでる人だ。話なんて通じそうにない。けれど、雪ちゃんは構わず、警告を続ける。そうしなければ、銀狼隊であっても武力の行使ができないのだ。
「もう一度だけ警告します。両手を挙げて、膝を付きなさい。でなければ、力づくであなたを拘束します」
「舐めやがって――銀狼隊? とか、そんなの知らねえよ。ガキは引っ込んでろよ!!」
ぼそぼそ喋っていたかと思えば、突然、男は怒鳴る。両手を挙げるんじゃなく、雪ちゃんに向ける。一見降伏の姿勢だけれど、その掌には、炎が灯っている。
「交渉決裂、ですね」
冷たく言い捨てれば、雪ちゃんは床を蹴る。両手の炎は恐らく爆発の火種。こんなところで長々と戦闘を演じる気はない、と。雪ちゃんは男の動きを封殺することを選んだ。
「ふ――ッ」
男に肉薄するほんの一瞬のうち、雪ちゃんの手は銀毛に覆われていた。男が何かを言おうとするよりも早く。雪ちゃんの拳は男の腹を撃ち抜く。
「うッ、おぇ――」
嗚咽交じりに後ろに吹き飛ぶ男の腕を掴み取り、雪ちゃんは背後へ回る。
「皆さん今のうちに避難を! 動けない方も連れて!」
そこで、私もようやくはっとした。
雪ちゃんが守ってくれた分、私はまだ冷静だ。だったら、パニックに陥りかけている他の人を逃がさなければ。私は銀狼隊じゃないけれど、そのくらいはできる。
「みんな早くっ! ここは危ないから!」
二度の声掛けで、人ははけ始めた。
中には、雪ちゃんの耳を見て嫌な顔をしている人もいたけれど、気にしない。それを私が嘆くのはお門違いだから。
「舐めんじゃねえ舐めんじゃねえ舐めんじゃねえ舐めんじゃねえ……」
男がまた何かを呟いていた。雪ちゃんは店内を見ていて気付いていないけれど、離れて見ている私だから気付いた。
男の掌に、再び小さな炎が灯っていた。
「ッ、雪ちゃん!」
「もう遅ェよ!!」
男が怒鳴る。みるみる炎は光を増していく。直感で、それが爆発の予兆だと分かった。
雪ちゃんは既に手を離していて、まだ人が残っている側に回っていた。自分を盾にしてでも、民間人をこれ以上傷つけないように。
だめだ。そんなの、許せない。
人とは耳が違う。たったそれだけで、嫌な顔をするような人たちのために――友達のことを侮辱するような人たちのために、友達が傷付くなんて、絶対許せない。
私は銀狼隊じゃないけれど――夜桜雪の友達なんだから。
イチかバチか。それでもどこか確信を持って、私は手を伸ばした。
「死ねッ! ……は?」
男は意気揚々と手を伸ばし、雪ちゃんへ炎を向けようとしたけれど、しかし灯った炎は忽然と掻き消えた。
中学の理科でやった、二酸化炭素で密閉した炎のようだった。
「もう、あんたに能力は使わせない」
「テメェもかよ――ッ」
私は男へ告げる。男は怒りに満ちた目で私を睨む。私へ、全意識を向ける。
その隙を、銀狼は見逃さない。
「はッ――!」
雪ちゃんが一息に男の懐へ滑り込み、低姿勢から振り上げた蹴りが男の顔面を撃ち抜く。もはや能力すら使っていない。それでも、一年以上銀狼隊で鍛えられた少女の蹴りは、衝動的に暴れただけの男よりも、遥かに強い。
「が、ッは――」
男は大きく仰け反って、後ろへ倒れ込んだ。もう動きそうもなく、完全に気を失っているのがここから見ても分かった。
「はぁ――ふぅー……」
雪ちゃんは大きく息をついて、ポケットから携帯を出し、電話をかけ始めた。
「戦闘部の夜桜です。――はい、その爆発の件で。ちょうど居合わせたので、もう鎮圧しました。警察だけ呼んでいただければ大丈夫です。――いえ、たまたまですから」
話しから、相手が銀狼隊なのは分かる。非番なのに。と、謝られでもしているのか、しばらく電話先の相手をなだめてから、雪ちゃんは電話を切った。すると、今度は私の方に駆け寄ってきて。
「ごめんなさい、助かりました」
男の炎が消えたこと。それが私の能力だと既に察しているらしかった。
「いいんだよ、友達だもん」
「弥生さん……」
「それに、こういう時は『ごめん』じゃないでしょ?」
雪ちゃんはすこし目を点にして呆気に取られていて、それから嬉しそうに笑った。
「ええ、ありがとうございます。弥生さん」
結局、男はただの衝動的な犯行でしかなかった。
攻撃性の高い能力を持ったゆえに、人間関係でそれなりに苦労していたらしく、友達連れやらカップルで賑わっているカフェを見て許せなくなったらしい。
そんな理由で平和な休日を潰されたのかとむかつくけれど、そんなことはどうでもよかった。
「私の宿題、爆発しちゃったんですよ! 教科書も問題集もノートもプリントも!」
「分かった、分かったから。話は充分聞いてるわよ」
あの日、図書館で必死にやった宿題は、爆発で粉々だった。だからって、新しく教科書と問題集を買ってイチからやろう! なんて気持ちにはさすがにならず、先生に直談判しに来ているのだった。
「私の部屋来てくださいよ! 残ってるものはそれで分かりますから!」
ここまではやったと正直に言っても、証拠がないのだから証明にのしようがないと思って、必死に弁明する私を、先生がこれまた必死になだめていた。
「大丈夫だってば。夜桜さんからも話は聞いたし、その分の宿題は提出免除してあげるから。だからもうそんな大声出さなくていいわよ」
「ほんとですか!!!」
「大声出さなくていいっての……」
やったことが無駄にならなくてよかった。新学期のためにと、粉々になった教科書類を新しくもらって、帰るのは少し大変だったけれど。文房具も新しく買わないとだが、しばらくは雪ちゃんが余っているのを貸してくれるらしい。
何はともあれ。これにて一件落着だ。
そして、さらに数日後。
「うう~……こんなの将来使わないよ……」
「こんなのもできなきゃ何もできませんよ」
雪ちゃんのお叱りは今日も厳しい。
残り少しの宿題を、今日こそは絶対に終わらせようと、私は雪ちゃんの部屋に来ていた。同室の子が出かけていてちょうどよかったらしい。
うんうんと唸りながら問題集とにらめっこする私に、雪ちゃんは厳しい態度と打って変わって、優しい声音で微笑んだ。
「お兄さんを見つけるんでしょう? こんなの、早く終わらせましょう」
大変だったのに、雪ちゃんはその約束を覚えていてくれた。
そういえば、爆発のせいで言いそびれてしまったんだ。
「――雪ちゃん」
「はい?」
「ありがとうね」
今日は隠していない狼耳が、ぴくっと跳ねた。可愛い。
「ええ。一緒に頑張りましょう」
「うんっ!」
ただの私の目標が、友達との約束になった。それがすごく嬉しくて、心強かった。私の及ばないところで、お兄ちゃんが居なくなってから、胸のどこかにずっとあった寂寞が、その時初めて晴れたような気がした。
「よーぅし、終わらせるぞー!」
夏休みの宿題も、寂しい孤独も。
ようやくこの二人をちゃんと書けたぜ……。可愛い。
深夜に突発で書き上げたので、添削できてません。誤字とかあったらこっそり教えてください。
僕は朝ご飯を食べます。