ソードマンの聖杯戦争 作:永谷
日の光は届かない。それはこの部屋が造られた時から決まっていたことだろう。
窓は無く、唯一の外界との繋がりは階段を上った先。だと言うのに薄ぼんやりと室内を見渡すことが出来るのは何故か。答える者はない。何故ならこの部屋を訪れた時点でそのような他愛の無い疑問など消えうせる。
キィキィと蟲の鳴き声が。ザワザワと蟲が蠢く音が。グチャグチャと蟲が擦れる音が。
部屋の主の命なのか、意思なのか、到底理解することも理解しようと言う気力も沸かないが、無音を保っている室内にいると言うのにいるだけで息を吸えば喉から、吸わなくとも耳から足から指先からとあらゆる所からジクリジクリと犯されていく感覚をこの部屋への訪問者は感じていた。
「来たか、ライダーよ」
訪問者は部屋の主の呼びかけに無言で持って応えた。
その反応に何がおかしいのか、口元に走った皺を更に濃くし、随分とすぼまった肩と背が揺れる。思わず顔を歪めてしまいそうになる老人の反応にも、ライダーは何の反応もせずに見下ろしていた。
「呼んだのは他でもない、桜のことじゃ」
「……」
「恐らく近い内にお主と遠坂の娘、それと衛宮の子倅が戦うことになろう」
それはもう、避けることの出来ない戦闘。サーヴァントとして呼ばれた時より決まっていたこと。それに対して恐れを抱くことは無い。
これは聖杯戦争。戦争なのだ。ならばどれほど不利な状況になろうとも、戦いの駒として呼ばれたからにはそのことに恐れを抱くことはない。
「戦闘は学校ですることになろう、その時桜がおれば……どうするじゃろうな」
「………用件を」
「ほっ、そう急くでない。主から言付けて欲しいのよ。桜に戦場にくるなとな」
「?」
ここに来て初めて反応らしい反応を返したライダーに間桐臓硯は「なあに」と言葉を続ける。
皺が濃く刻まれた表情から、仕種から、声色からその真意を読み取ろうとしても窺い知ることは出来ない。
「聖杯に選ばれ、お主を召喚したことに期待をしたがそれが外れただけのこと。
不出来でもアレも可愛い孫娘じゃ、無駄死にをさせる気はないのでな」
「…………分かりました。シンジは?」
「心配要らぬ。慎二には既に伝えてある」
「なんと?」
「カッカ、信用がないのお。桜には聖杯戦争を降りさせる、後はお主に任せようとな」
その伝達役にライダーを少し自由にさせてもらうことを条件にな、と告げる臓硯。
ライダーはしばらく考えるように黙っていたが今度は質問もなく従順に頷いた。
「……分かりました。それでは出かけて来ます」
「うむ、頼んだぞ」
(信じた訳ではありませんが、サクラがこの戦争を降りられるのならば……それが一番でしょう)
桜の中に埋め込まれた蟲たちによって桜は自分の意思に反して聖杯戦争に参加している。
蟲に命令を送る臓硯が許可したのならば桜は何事も無く聖杯戦争を降りられるだろう。
勿論……間桐臓硯の言葉が本心からのものであれば、の話だが。
裏があることは分かっていても、その裏で何を考えているのかが分からない。
だが、サクラはマトウのただ一人の後継者だ。だからこそゾウケンがその身を案じるのもおかしくはない。
(それだけならいいのです、それだけなら……)
霊体化したまま空を跳ねる。
漆黒の姿は勿論、その苦悩する表情は見えないがライダーは歯噛みした。
彼女の頭には最初から自分がどう使われるか、捨てられるか、など自身を案じることは無かった。
一目マスターであるサクラを見た時から、そしてこれから訪れるであろう最後まで。
最後、と考えてライダーは更に眉間の皺を濃くした。
(私には最後でも……サクラは続くのです……あの日々が)
ライダーは聖杯戦争が終わればそれまでだ。
しかし間桐桜は違う。彼女はサーヴァントでもゴーストライナーでもない生きている人間だ。
現在生きていて、これからの未来もある。それがライダーには心配でならなかった。
『エミヤ、シロウ……』
サクラの唯一の想い人。その名を声無き声で呟いてみる。
学校で襲撃した時は悪くは無かった。それでも安心して任せられない。
どうしたものかと考えている内にサクラが通う学校へと到着する。
学生らしき人間達が幾人も校門を通り、学校を後にしている。既に授業が終わって下校しているのだ。
慌てて流れていく人ごみに目を向けるが目当ての少女の影は……あった。
周囲の人間は複数人で帰っているのが多いのに、サクラは一人で歩いていた。が、その足は速い。
駆け出してはいないが、今にも駆け出さんばかりだ。表情を見れば、行動を見れば直ぐに分かった。
―――エミヤシロウのことを考えているのですね。
思わず口元を緩めてしまう。人通りが少し少なくなった頃、声を掛けようとして……やめた。
もう少し。そう、もう少しだけあの少女の少女らしい姿を、表情を見ていたかった。
******
色彩鮮やかに冬木の町を彩り照らす太陽から、ベールのようにささやかに、でも確実に夜へと続く薄い幕を空がゆったりと重ねていく。
遅い時間ではないのに、陽が落ちるのが早いからか商店街に訪れる人々の人数は少し減ったように感じる。それはとても些細な変化だが、毎日この商店街を通る桜の目には分かりやすい変化だった。最近では士郎たちが通う学校の方でも遅くまで残るような活動は自重する様呼びかけていた。桜の所属する弓道部も例に漏れず、早めに練習を切り上げ帰宅するよう言われていた。
(おかげで早く先輩の看病が出来る)
店先に並ぶ品物を覗きながら歩く桜の足は軽い。でものんびりする気はないのか行動は素早く、商店街に来るまでの道のりで、今朝の記憶にある冷蔵庫の中身と相談しながら考えていた夕食と明日の朝食の材料を次々と選び抜いていく。
「え……?」
早く帰らなければ先輩が夕食の準備を始めてしまう、そう思った桜は必要な物だけを買い終えると足早に商店街を抜けようとした。が、視界の隅に映った長い薄紫の髪を見たような気がして立ち止まる。
「ライダー?」
確かめようと視線を向けても、名前を呼んでみても応えはない。ただ消えたであろう先は夕陽の光が届かない建物と建物の間、闇とは言わなくとも今いる場所よりも暗いことだけが分かる。一拍の間その場に立ち止まっていた桜だったが、意を決したのか既に決めていたのか建物と建物の間にその身を滑り込ませた。
桜SIDE
建物と建物の間に一歩踏み込めば一気に暗くなったような気がした。でもまだ夜ではないからぼんやりと目の前に続く通路や、建物に取り付けられた換気扇、青いポリバケツなどが見える。でも、後ろの商店街の喧騒とは打って変わり凄く静かで、別世界に投げ込まれたようで少しだけ怖じ気づく。
「ライダー……?」
人なんていないのが分かっているのに左右をキョロキョロと見回してしまう。時折上を見てみるが、建物と建物の間で切り取られた狭い夕空が覗けるだけだった。
もしかして私の見間違いなのかな……先輩のこととか、学校に張られている結界のこととか、聖杯戦争のことを気にしすぎて、唯一その話が出来るライダーに甘えてしまっているのかもしれない。……都合のいい時だけ相談に乗ってもらおうだなんて、私は本当に……。
「サクラ」
「ッライダー!」
「お久しぶりですね、何か変わりはありませんか?」
短く自嘲の息を吐いたところで上から聞き覚えのある声が降ってきた。私の名前を呼んだ声に勢い良く顔を上げれば口元に笑みを浮かべたライダーがこちらを見ていた。私を気遣う言葉に思わず泣きそうになる。
「ライダーこそどうしたの?!まさか兄さんがまた何かしたの?」
ライダーは兄さんの傍にいる。私が呼んだのに、私が聖杯に選ばれたのに、マスターの役割を兄さんに任せて、兄さんをライダーに押し付けてしまった。兄さんに預けたことによりライダーが十分に力を発揮できていないのを分かっている。私が呼んだのにマスターとしての役割をこなさないばかりか、ライダーの優しさに甘えて迷惑を掛けてしまっている。だから少しでも……間桐桜に出来ることなんてほんの少しのことだけれど、ライダーに何かお返ししてあげたい。それが出来ないなら掛ける迷惑を軽減したい。
「いいえ、シンジのことではありません」
「でも、ごめんね……ごめんねライダー。謝ったって仕方ないって分かってるけど……謝ることくらいしか出来ないから……。私が呼んだのにちゃんとマスターになってあげれないばかりか、戦いも兄さんも押し付けて……」
「サクラ」
少し困ったように笑ったライダーに抑えきれず謝罪の言葉が口を飛び出していた。言いたいことがぐちゃぐちゃで謝らなきゃいけないことばかりを羅列していく内に鼻の奥がツンとしてきた。視界がじわりと歪んだ所で伏せがちだった顔を完全に伏せてしまう。そこにライダーが私の名前を呼んで思わず肩を跳ねさせてしまった。
「私はあなたのサーヴァントです。戦いは私の役割でサクラには関係のないことです。それにシンジのことも気にしないで下さい。私は気にしていません。あと今日ここにこうしてきたのは別の用があるのです」
「別の用?」
「はい、ゾウケンからの伝言です。
―――『戦場に来るな』と。」
「戦……じょ、う?」
「はい、近い内に校内で戦闘が行われます。その時にサクラがいると問題が発生する可能性があります。なのでしばらくの間は学校へ行かないようにしてください」
「ライダーは大丈夫なの?だってライダーは」
「大丈夫です。安心してくださいサクラ」
嘘だ。と思った。
ライダーと兄さんがやっていることを姉さんは勿論、先輩だって許さないだろう。
今聖杯戦争がどういう状況になっているか分からないけれど、校内で戦闘が行われるということは、私を遠ざけようとするということは、ライダーが誰かと戦うということだ。相手なんて分かってる……先輩と姉さんだ。
安心させようとしているのか口元に笑みを浮かべているライダーを信じられないと言う目で見てしまったのだろう、ライダーは口元に浮かべていた笑みを消して少しだけ不機嫌な声で言った。
「サクラ、私も能力が制限されているとはいえ、列記とした英霊なのです。そう簡単にやられはしません」
「だ、だって……」
「サクラ、大丈夫ですよ。何の心配もいりません。命の危険があれば戦闘から離脱する術もあります」
問うように見上げれば頷きで返された。
「私よりもサクラ、あなたの方が心配です。ゾウケンは何かを企んでいる……気をつけてください。
………………それと、何かあれば……いえ、何でもありません」
「?」
「それではサクラ、くれぐれも体調には気をつけてください。あなたの元気な姿を見れて良かった」
「ライッ―――!」
ライダーが去ったであろう方向に目を向けてもそこには影も形もなかった。制服が汚れるのも構わず、というよりもそんなことも考え付かないまま呆然としてペタリとその場に座り込む。
ライダーは戦闘から離脱する術がある、といった。それは本当のことだろう。ライダーは私に嘘は吐かない。でも術があるからといって本当に離脱出来るかは別問題なのだ。セイバーとアーチャーの二人相手にやすやすと逃げ切れるはずがないと私は思う……恐らくライダーも。
「……らいだー」
私は貴女のサーヴァントです、とライダーは言った。次いで貴女の味方なのだと。
嬉しかった。救いのなかったあの家の中でライダーが私の救いだった。……そんな彼女が消えようとしている。
「セイバー……」
先輩との日常を奪ったばかりか、先輩の命を脅かし、今度はライダーの命を脅かそうとしている。
ジワリ、と暗い感情がせり上がって
「っっく……!」
キチキチキイキイ身に埋め込まれ、既に体の一部と化しているであろう蟲が蠢く。まるで煮えたぎるような暗い感情に呼応するようにザワザワと身を苛む。息を止めて、コンクリートに固められた地面に指を立てて溢れ出ようとする衝動を押さえ込んだ。外からの痛みと内からの衝動にしばらく動けずに座り込んでいたが、なんとか押さえ込むことができたことにほうと息を吐く。
でも、顔は上げない。上げられない。
「……は、は、……どうして……修行もしてないし、最近は蟲も大人しかったのに……」
熱の篭った息を吐き出して自問する。魔力を使うことなんてないのに、身体は魔力が足りないと喘いでいる。自分の身体のことなのに分からなくて押さえつけるようにギュゥと身を抱きしめる。
「……先輩」
このままじゃ帰れない。こんな状態で先輩の家に帰ったら心配されてしまう。
壁を背もたれにして寄りかかる。冬の空気に冷やされたそれはとても心地の良い物だった。
桜SIDE END
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