文豪と、ある男の記録 作:匿名
この街の常識には屍体が欠かせない!
これは信じていいことなのだ。何故って、こんなにも凶悪犯罪が起こるなど信じられないことじゃないか。私はこの異常が信じられないので、ここ数か月鬱になりかけていた。しかし、今やっと現実を直視することができた。この街の常識には屍体が欠かせない。これは信じざるを得ないことだ。
どうして私が昼飯を食べようとしたり、帰ろうとすると選りに選って私の担当の時に、疫病神のごとく凶悪犯罪なぞが発生するのか――あいつは笑って缶コーヒーを渡してきたが――そして私も無理やりに笑ったが――それもこれもやっぱり同じようなことが関係しているにちがいない。
まるで打ち切り間近のジャンプ漫画の敵のようにバッタバッタと尊き命が消えていくのである。それは、日本国内ではなく外国のような、また、悪の蔓延る世紀末のようなものなのだ。
アァ、今日もまた逝かねばならぬのだ。
あのむさくるしい、ねっとりとした、禍々しい職場に行かねばならぬのだ。昨日のうちに聞いていた音楽の余韻もすでに消えうせてしまっている。以前私を鼓舞させた酒も煙草も雑誌もただのじゃまな塊になっていた。雑然とした――それでいて位置は定まっている――塊をみまわせば足を外へむける。
「…行ってきます」私の一日はふかいためいきの挨拶から始まるのだ。
なんと悲しいことか。思い出さずに生きていたら楽だったものを、私は思い出してしまった。昨日、一昨日、一月前、私の心を重くしたのはままならぬ現実だ。この現実だ。
らんらんと光るネオン管、上戸と下戸の掛け合い、古ぼけた街灯。それらすべてが私に思い出させてくれやがったのだ。私のいままでの常識を完膚なきまでに打ち破ったのだ。
君、想像してみるといい。もしも凶悪犯罪が一週間の間に身のまわりで、あるいは、巻き込まれることが必ず一回はおこる世界に変わったとしたら。マァ、私のこのあきらめや苦痛が君にはわからないだろうが。
殺人事件はもちろん、強盗事件、誘拐事件、爆破事件、すべて身近におこるもの。死神やら悪魔がまるでとり憑いているかのような、命の減り具合。
そして街に住まう人々の危機感のうすさ。カルピスの原液1に対して冷や水を9入れるような、味があるようでないような、極めてあいまいなものなのだ。まったくもって腹立たしく不安なことだ。守るべき市民はこんなにも阿呆になりさがってしまったのかと、常日頃思いなやむのも仕方のないことだろう。
人身事故による人員オーバーの電車はいまにも私たちを振りおとしてしまいそうだ。真っ先におとされるのは私であろう。私の胸の近くに張り付いている桜の花弁と共におちるのだ。桜の木の下、根に頭を打ち付けて、放射状にひろがる枝をながめながら、そして、赤に溺れるのだ。恐れる必要などない。どろどろとチョコレートをとかすように甘ったるく、それでいて甘美なものなのだろうから。
ぴりりとケータイが鳴る。奇しくも、今こそ降りる駅なのだ。ふしゅーとため息をはくように電車が口を開く。ごみのようにはき出される人の中、じゃまにならないように私は立ち止まるのだ。
「もし、御子柴ですが。どうされましたか、不備でもありましたか。」
「あ、ええと、御子柴さん。高木です。そのー、なるべく早くきていただけないかと、その、思いまして…。」
「ええ、ええ、すみません。人身事故に巻き込まれまして、なあに、すぐむかいますよ」今日も変わらぬのだなと思いはじめる。果たして私に死神やら悪魔やらが憑いているのか、街に憑いているのか。はたまた―――少年に憑いているのか、全員に憑いているのか!アァ、この街の常識には屍体が欠かせない!
―――桜の木の下には屍体が埋まっている!そう、梶井基次郎はいった。まちがいではないかもしれないと私はつくづく思うのだ。改札を出たときに見える桜並木はそれほど美しいのだ。
そして、ここが、目立ちたがりの高校生探偵――身体は子供、頭脳は大人――のいる世界だということがそのことを真実にしていそうなものだ。
今こそ私は、あの美しい桜の木の下にはまったく本当に屍体があるのだと信じている。
『桜の樹の下には』梶井基次郎 1928年初出