文豪と、ある男の記録   作:匿名

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人間陶磁器

 

 御子柴は、毎朝、登庁をすませて(しま)うと、それはいつも七時半過ぎなのだが、朝の閑散とした静かな、職場で、缶コーヒーをあおり本を読むことが例になっていた。そこで、彼は今、”知人からの贈り物”として、古風に蝋で封のされた手紙を持っていた。

 

 

 

 

 

 頭の良い彼は、()の頃では、数々の仲間に、頼りにされていた。

 

 彼のもとには時々、脅迫まがいのモノも届くのだった。

 

 今朝とても、読書にとりかかる前に、()ず、悪戯か、不満による抗議の文に目を通さねばならなかった。それは(いず)れも、()まりきった、詰まらぬことしか、書かれていないものだった。兎も角も、今の、甘ったれた彼の脳味噌には丁度の良いものだった。

 

 先ず、彼の手に届く範囲の目に付いたモノから手に取ってゆく。三通の薄い封書と一葉のはがきには彼を応援するような事が書いてあった。にやりと口元をゆがめながら、次を眺めれば、原稿が入っているらしき厚い封書が残っていた。別段、こんな厚いものを送ってくる輩がいないとも一口に言えないが、これより、幾ばくか薄いものは、これまでにもあったことだった。

 

 長々しく面倒なものだと見当はつけていたものの、表題丈でも見ておいてやろうと、珍しく気の向いた彼は、封をきって、その紙束を抜き出した。

 

 それは、奇妙なもので、表題も署名もなく、久方振りに友と手紙を交わすような言葉から始まっているのだった。ハテナ、此れは誰からかの手紙だったのか、そう思って、二行三行と目を走らせる内に、彼は得体のしれない、気味悪いものを感じていった。そして、持ち前の探求心が、彼をして、先を読ませていくのであった。

 

 

 

 桜の花弁が散ります此の頃、いかがお過ごしでしょうか。

 

 空気も、ぬるい春の風に相成りまして、その外套も邪魔になって了ったことでしょう。ですが、(たま)にはそれを引っ張り出して、版行(はんこう)のように成った花弁を踏み歩くのも、又、趣あるものかと思うのです。

 

 貴方様の方では、少しも御存じのない男から、突然、此様な不躾な御手紙を差上げる罪を、どうか、その寛大な御心で御許しいただけると恐縮の至りでございます。

 

 こんなことを申上げますと、貴方様は、さぞかしびっくりなさる事で御座いましょう。

 

 私は今、此の封書にて、私の犯してきました、奇妙な罪を告白したく、送った(まで)でございます。はてさて、面白可笑しく荒唐無稽な御話しをするわけでもなく、此等(これら)はすべてが本当、本物の変わらぬ事実で、私の背負うものなのです。

 

 私は、数ヶ月の間、人間界の闇に紛れて暮らして参りました。勿論、此の事が、表に流れているということは決してありません。()し、何事もなければ、私はその、薬のように心地の良い闇に浸かっていたことでしょう。

 

 ところが、近頃になりまして、ふっと私の心に罪悪感が芽生えたのです。此れをどうして懺悔しないでいられましょうか!ただ、かように申しましたばかりでは、御不審に思召(おぼしめ)す点もありますでしょうから、どうか、最後まで御読みいただければと思う次第で御座います。そうすれば、何故、私が罪を告白しようとなったのか。又何故、此様な御手紙を貴方様に聞いていただかねばならぬのか。それらが(ことごと)く白日の下に晒されることでございましょう。

 

 さて、何から書き初めたらいいのか、何もかもが世にも奇妙なことであるので、表の明るい表現を使うには、少々筆の鈍るのを覚えます。ここで躊躇していましても意味などございません。事の起りから、順を追って、書いて行くことに致しましょう。

 

 私は生まれも、顔も、脳味噌も、何もかもが貧相で御座いました。日々を食つなぐ金はパートタイマーの母が、やりくりをして、今時、売れない陶磁器職人に凝り固まる父はただの穀潰しにも劣る虫ケラでございました。私のかわいいかわいい弟は、私よりも何十倍も綺麗で、脳味噌の方も大変優秀で、愛される存在だったのです。当時の、ちっぽけな世界しか持たぬ私には、ソレが大変醜く歪んで見えておりました。出来の良い弟に親は手をかけない筈がございません。おおよそ全ての物事が弟中心の物語になっておりました。

 

 私の専門は、様々な陶磁器を作ることでありました。エェ、あの忌むべき父と同じ虫ケラになってしまったのです。ですが、私の作る陶磁器は、不思議なことに、どんな依頼人にも気に入られて行ったのです。商会も、きっと気に入るということで、上物の註文を(まわ)して()れておりました。そんな上物の註文になりますと、どうしても、細かい要望が来るというものです。持ち手を、美しい細工を、見劣りのしないものを等等がありまして、とても素人には理解できえぬ苦々しさと苦しさが要るのでございますが、その思いをした丈け、納得のゆく品が出来上がり、言いようのない得意な気持ちが溢れるのでございます。僭越ながら申しますと、その得意な気持ちと言えば一端の芸術家が立派な作品を完成した時のモノと比ぶべきでないものと存じます。

 

 一つの陶磁器が完成しますと、私はそれを上等な布切れの上に置いて、何時間もひたすらに眺め続けるのです。溝に捨てたような職人生活であっても、これだけは何とも()いえぬ喜びを感じるのでございます。アァ、どのような高貴なお方がこの陶磁器を御使いになるのだろう。きっと、大きなお(やしき)のふかふかな絨毯の上で、こぼさぬようにと気を使いながら優雅に紅茶を飲むに相違ない。陶磁器の置かれる机の上には季節の花が良い香りを撒き散らしながら佇んでいるのだろう。そう、妄想に耽っていますと、何だかこう、本当にお邸にいるような気がしてくるものです。隣にはきりりとした秘書が立って、美しい絵画を壁にかけ何時でも眺めるのです。ほんの一時でも美しい妄想に身を委ねるのでございます。

 

 私の儚い夢は、いつも、いつの場合にも忽ちにして、近所の五月蠅い野良犬や、酒臭くなった父の怒鳴り声、母の金を乞うやかましい声に、醜い現実がワーッと現れるのです。現実に帰った私には、お邸も秘書もなく、そこにポツネンと取り残されたような陶磁器しかないのです。ですが、それもいつかは、私達とは違う世界に連れ去られて了うではありませんか。

 

 私は、そうして一つ陶磁器を完成させるごとに、言いようのない空虚な気持ちに苛まれるのです。いやあな、いやあなその気持ちは月日を過ごすとともに膨れ上がり、耐えきれないものになって参りました。

 

 「このまま続けて、父のような虫ケラに成るのならば、いっそ、死んで了おうか」私は、ごく真面目に、そう思うようになりました。その日その日に変わる湿度を気にしながら、粘土をこねくり廻し、何度も何度も同じことを考えるのです。「だが、死んで了うくらいなら、なにか、もっと…」そうして、私の腐りきった思考は、段段恐ろしい方へ、向いて行くのでありました。

 

丁度その頃、私は、嘗て手掛けたこともないような、陶磁器の紅茶食器の製作を頼まれて居りました。紅茶食器はB町の、とある高貴なお方への贈り物として、本来ならば、高名な職人が作るものでしたが、私が雇われていた商会が運動して、良い腕の職人がいるということで、一つ註文を取ったものでした。それ丈けに、私も、恥ずかしながら気合が入り、製作に没頭いたしました。

 

 ですが、ふと轆轤を廻しながらすばらしい考えが浮かんで参りました。悪魔の囁きとはああいうことを指すのではあるまいか。それは実に奇怪千万で、非常に無気味な事柄でした。でも、その不気味さが私を魅了したのでございます。

 

 紅茶食器を作っていた手をとめると、早速、私は嘗ての友人のもとに訪れました。彼は、幼い頃いつも白色の服を着ておりましたが、久方振りに訪れますと(からす)のようにまっくろに変わっていたのです。私は、彼が裏社会という仄暗いものの一員になったことを知っていましたから、求めるものがおそらく手に入ると見込んで訪れたのでございます。

 

 エェ、他でもなく、私の求めていたものは美しい黒髪の女性の屍体でございます。その屍体で紅茶食器を作ろうと、美しい命を陶磁器に変えて、私の子供を送り出そうと思ったのです。そのためには、醜い男でも、幼い子供でも、女性でもなく、美しい黒髪の女性がいいのだと。驚くことに友人は、あっさりと、快く引き受け、報酬はどうするかと聞けば、酒でよいと言ったのでした。真逆、ここまで快く引き受けるとは、思ってもいませんでしたので、私は心をそわそわとさせながら、その日は仕事場へ帰ったのです。

 

 屍体が届いたのは、それから三日あとのことでございました。被せられた黒い布を取りますと、そこには、私の望んだ美しい屍体が寝ていたのです。私は、暫くの間、青白くなった彼女を眺めてみたり、固まって冷たくなった肌に触れ合ったり、さらさらとした髪を梳いてみたりしておりました。

 

 その時は、何とも甘美な時間を過ごしたものです。古くなった蛍光灯の下、彼女と戯れるのは実に魅力的でしたが、私にはやらねばならぬことがありましたので、後ろ髪を引かれる思いをしながらも製作に取り掛かったのは、今でも思い出すことができるほど、強い思いでございました。ですが、私は生憎と、屍体を捌くなどという芸当はやったこともないですから、慎重に事を進めたのでした。骨を断ち切るための鋸と、肌と肉を抉り取る包丁、黒髪を切る鋏、彼女を穢れさせないためのブルーシート。この他にも、彼女を収めるためにあらゆる小物を用意致しました。何せ、私は彼女を陶磁器に生まれ変わらせるのです。当時の私は、その興奮に身を任せ、寝る間も惜しみ、製作へと従事いたしました。この御手紙を書いている今でさえ、あの鮮やかな興奮が狂おしいほどに思い浮かぶのでございます。

 

 包丁を入れて、綺麗に剝ぎ取ったその肌は、革にするための下処理に苦労したものです。皮を洗い、毛を抜き、生皮の中のコラーゲンと、鞣材を結合させ、革として最低限使える程度にするのでございます。そうしましたら、美しい皮膚をそのままに、自然乾燥をいたします。自然乾燥は、天候に左右されやすいのですが、その時は、晴れが続いておりましたゆえ、中中、良い仕上がりでした。塗装は、染料仕上げで完成でございます。本来の肌のように日焼けもすれば、シミもできてしまう、それでいて、透明感と本来の肌感が味わえるのです。次から次へと溢れる赤黒い血液はそのままにかき集め、特別な薬品もございませんので、冷凍保存いたしました。美しい黒髪は、丁度良い長さに切り、絵筆にいたします。少々筆先が固いものの、書き心地は驚くほどに良いものでした。残った肉と骨は、遺体を焼くように、折鶴をその胸に乗せ、窯で焼いたのです。酷いにおいが致しましたが、元元、酷いにおいがするところでしたので、誰もかれもが気付くことはありませんでした。残った骨は、擂鉢で粉々に砕いて、骨粉にいたしましたのですが、どうしてか、綺麗に残りました蝶形骨だけは擂ることができず、今なお、私の机の上に居座っております。

 

 小さくなった彼女は、今か今かと、陶磁器になるのを待っているようでございました。レディを待たせるのは紳士にあるまじきことではあるまいか。思ってしまえば行動あるのみで、擂った骨は粘土に練りこみ、嘗てないほどに精密な紅茶食器を形作り、彼女を焼いた窯でじっくりと、じっくりと焼いたのでございます。思い返せば、あの時の私ほど、仕事が捗ったことはないでしょう。

 

 焼き終えた紅茶食器をそっと、手に包んでみれば、きいんとした冷たさが伝って参りました。手に這う小さな血管から心臓へと、じくじくと冷たさが蝕んでくるのでございます。ですが、乙女の恥じらうような温かさもほんのりと感じるのです。私は次に、黒髪で作った筆を手に取り、血で薄めた染料を毛に染みわたらせ、血管のように繊細な、美しい絵を、私の感じるままに描くのでございます。

 

 私は、いつも上等な布切れの上に置いて眺めると前にいいましたが、今回ばかりは何も致しませんでした。それはまごうことなき私の子ですから、どこへ連れ去られて了っても、私を呼ぶ声が聞こえるのです。後に残りました、革は、小さなソーサーとして彼女を守るのです。

 

 やがて、私の愛おしい子は、連れ去られて了いましたが、B町のお邸での珍事をささやかに伝えてくるのでございます。お邸の使用人が私を割ろうとなさったとか、御主人が私を気に入りなさって、それはそれは豪華な御机に坐っているのよ、だとか。何日も何か月も、聞いているうちに私はつい、嬉しくなってしまって、会いたいと、我が子のいるお邸を訪ねたのです。

 

 そこの御主人様は、お優しい人で、かの紅茶食器を作ったものだと名乗ると、お邸の中に招き入れてくださったのです。見たこともないような装飾電燈があり、私の心は、うきうきとして、早速聞いたのでございます。

 

 「アァ、あの紅茶食器はいかがでしたでしょうか。今もなお、使っていただけているのでしょうか。」目をしばたかせながら、聞きますと、御主人は知人に譲ってしまったとおっしゃったのでのこございます。なんということでしょう。我が子はここにいなかったのです。既に、連れ去られて了っていたのです。私は、先ほどまでのうきうきとした気持ちは、跡形もなくなり、ただただ、あの空虚な気持ちがのこるばかりでございました。お優しい御主人様は突然うなだれた私に、気を使ってくださり、親切にも譲った先の御方を、教えてくださったのです。譲った先の御方も立派なお邸に住んでおりまして、さらには有名な小説家でありましたから、行方を知るのは容易いことでございました。

 

 私には、愛しい子の声がまだ聞こえるのでございます。御本のたくさんある書斎で、今度の御主人様の御子息が私を使っている、紅茶食器なのに温かいコーヒーを注がれているのだと、嬉しそうに話すのでございます。

 

 貴方様は、無論、とっくに御悟りでございましょう。その我が子は、他でもない、貴方様が使っているのでございます。あなたの御父上が、友人からの譲りものとして、もらい受けた紅茶食器は、私の愛おしい子なのです。

 

 一生の御願いでございます。たった一度、私にお逢い下さる訳には行かぬでございましょうか。一言でも、愛おしい子に声を掛けさていただけないでしょうか。私はそれ以上を望むものではありません。そんなことを望むには、余りに薄汚れた存在に御座います。どうぞどうぞ、世にも奇妙な男の、切なる願いを御聞き届けくださいませ。

 

 今、あなたがこの手紙をお読みなさる時分には、私は心配の為に青い顔をして、お邸のまわりを、うろつき廻って居ります。

 

 若し、この、世にも不躾なお願いをお聞き届け下さいますなら、どうか書斎の窓にお気に入りの、その御本を置きくださいまし、それを合図に、私は、貴方様のお邸のインターホンを鳴らしましょう。

 

 

 

 そして、この不思議な手紙は、ある熱烈な言葉を以て結ばれていた。

 

 彼は、手紙の半程まで読んだ時、既に恐ろしい予感の為に、真っ青になって了った。

 

 そして無意識に立上がると、気味悪い紅茶食器の置かれた書斎から、逃げ出していた。手紙の後の方は、いっそ読まないで、破り捨てて了おうかと思ったけれど、どうやら気懸かりなままに、小机の上で、兎も角も、読み続けた。

 

 彼の予想はやっぱり当たっていた。

 

 これはま、何という恐ろしい事実であろう。彼が好んで使っていた食器には、名も知らぬ女性の屍体が入っていたのだ。何の気なしに使っていたソーサーも本当の人の皮だというのだ。

 

「クソッ、気味の悪い…。それに誰がこんなことを…」

 

 彼は、背中から冷水をあびせられた様な、悪寒を覚えた。そして、いつまでたっても、不思議な身震いがやまなかった。

 

 彼は、あんまりのことに、焦ってしまって、これをどう対処すべきか、頭の中で考え始めようとするのだった。どうしてどうして、そんな気味悪いことが出来るものか。そこには仮令、本来の形がなくとも、屍体が紛れもなく混ざっているのだ。そして、何よりも、黒い鴉である。黒い鴉と言えば…

 

「おーい、手紙じゃぞー」

 

 ハッとして、振り向くと、それは、今届いたらしい封書を持って来たのだった。

 

 彼は、無意識にそれを受け取って、開封しようとしたが、ふと、その上書を見ると、彼は、思わずその手紙を取り落とした程も、ひどい驚きに打たれた。そこには、さっきの無気味な手紙と寸分違わぬ筆癖をもって、彼の名宛が書かれてあったのだ。

 

 彼は、少しの間、それを開封しようか、しまいかと迷っていた。が、とうとう、最後にそれを破って、ハラハラしながら、中身を読んでいった。手紙はごく短いものであったけれど、そこには、彼を、もう一度ハッとさせた様な、奇妙な文言が記されていた。

 

 

 

 突然御手紙を差上げます不躾を、幾重にもお許しくださいませ。私は日ごろ、貴方の推理を拝見させていただいている者でございます。別封お送り致しましたのは、私の拙い創作でございます。お楽しみいただけたのならば、これ以上の幸いはありません。ある理由のために、原稿の方は手紙を書く前に投函したものですから、既にご覧いただけたかと拝察致します。如何でございましたでしょうか。もし、この作品が貴方に感銘を与えたとすれば、嬉しいことこのうえありません。

 

 原稿には、わざと省いておきましたが、表題は「人間陶磁器」といったところでしょうか。

 

 追伸:私の暇つぶしに付き合わせてしまい、申し訳ありません。

 

 

 

 

 

工藤先生へ、小目汚し失礼します。  P.N Shiba.

 

 

 




『人間椅子』江戸川乱歩 1925年初出
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