雲に妨げられ月光が地上を照らすことのない薄暗い夜。制服姿のシドは林道の奥に一人その姿を表した。
この場所に見覚えは無いが、聞いたことがある。自分を拷問していた兵士が言うには、この場所の近くでアレクシアが誘拐されたのだとか。
シドがこの場に姿を表したのは、何者かによってこの場に呼び出されたからだ。拷問を受けたレイトとシドの元に手紙が届き、草木も眠るこの時間に、二人だけで来いとだけ記されていた。犯行現場に、誰も来ない時間帯に。誰が聞いても明らかな罠だと分かるお誘いだが、シドはその見え見えの罠に乗っかった。
本来ならばこの場に来る前にレイトと合流して二人で始まりを宣言してからこの場に来るつもりだったのだが、彼は遅刻のため同行していない。代わりと言ってはなんだが、シドのすぐ近くには七陰の第二席のベータが気配を消して待機している。招かれざる客人であるためその姿を見られるワケにはいかない。
犯行現場に来いと記された手紙、招待状の通りに来たのだがそこには何も無ければ誰も待ってはいない。手紙の主が待機しているとは思っていなかったが、ここまで何も無いと流石に拍子抜けだ。これならば遅刻している自身の右腕の合流を待つ方が良かったかもしれないと思い直してた時、人の気配が近付いてきたのを感じ取った。
接近する気配は四つ。視線をそちらに向けてやると、気配のした方向から何かが飛んできた。それをシドは片手で受け止めて、一瞥した。
「靴…?」
誰のモノかは分からないが、サイズから推測するに恐らくこれは女性用のモノだろう。
アレクシア王女誘拐の犯行現場に飛んできた女性用の靴、人のいない時間帯、この組み合わせが意味するモノが何か分からないなんてことはシドにはなかった。
「ようよう色男様よ。こんな時間に、しかもアレクシア王女の靴なんて持ってどうしたんだ?」
「あーあ。こりゃあバッチリ魔力痕跡残ってるなぁ。てことはやっぱり誘拐事件の犯人はシド・カゲノー、お前で決まりだなぁ?」
「もう一人の共犯者はどこ行ったんだ?」
「部屋から出た様子もなかったし、さすがに怪しいって気付いたんじゃねぇの?」
気配の正体は、シドを拷問した騎士団の兵士だった。二人の顔に見覚えはあったが、もう二人は初めて見る。レイトが遅刻したせいでどうやら四人共シドの元へ来てしまったらしい。
「あー…うん。予想してたけど、やっぱりこういうパターンなんだね」
若干の呆れを含んだシドの言葉に騎士団はその穢れきった内心を一切隠す素振りもなく、剣をブンブンと振りながらニヤニヤと笑ってシドにゆっくりと詰め寄るように近付いて行く。その様子にシドは言葉だけでなく表情にも呆れの感情が現れる。
「さーて、これで証拠もできたワケだ。逮捕だ逮捕…の前に、ついでにあの時の続きをやろうか」
「ここならいくら叫んでも誰にも聴こえねぇ。せいぜい良い声で騒いでくれよ?」
「もう一人の奴が来ねぇから二人分傷つけられても文句はねぇな?」
「好きに抵抗してくれて構わねぇぜ?その分俺らも仕方なかったって言い訳できるからよぉ…」
一人の兵士が剣を無造作にシドの右腕に当てて笑う。その兵士の姿も剣の扱い方も、とてもじゃないが王都の騎士団に属する者とは思えないお粗末なモノだった。
一方でシドの態度も剣を向けられている者、ましてや濡れ衣を着せられ絶体絶命の危機に陥る者の態度ではないことに四人いる兵士のうち誰一人として気付いていない。剣を当てられ、逃げられる状況にない。なのにシドは歪な笑みを浮かべる兵士よりも爽やかに、静かに微笑んでいた。
「さぁて…まずはこの右腕から行っとくか」
「いきなり右腕から?まぁ別にそれでもいいけど───」
「無事は保証しないよ?」
シドが小さく呟いた刹那、遠くから轟音が鳴り響くのと同時に兵士は右手と共に
「あっ……ああっ……あああああああああッッ!!!!」
後ろで見ていた兵士は全てを見ていた。だが何が起きたかを理解できた者は一人もいない。シドの右腕を切り落とそうとした瞬間に突如、構えていた剣が右腕、右肩と共に砕け奪われた。認識できたのはそこまでで、それ以上のことは何も分からなかった。
剣は破片どころか粉末状になるまで砕かれ、それに巻き込まれた腕の残骸もその場にはない。兵士の鮮血と鎧だけが辺りに落ちていて、視界に映る情報から読み取れるモノは何一つとしてなかった。シドと近くに潜んでいるベータを除いて。
「て、てめぇ…何をしやがった…ッ!?」
「見てなかったの?僕は何もしてないよ。ただその兵士が僕の右腕を狙ったワケだから、右腕が反撃をした。それだけだ」
「ッ!ワケの分かんねぇこと抜かしてんじゃね──」
二度目の轟音。同時に倒れていた兵士の上半身が消し飛んだ。その後ろにいた兵士に肉片と鎧の破片が飛び散る。先程と同じくそれを脳が認識するのに数秒の時間を要し、直後に情けなく悲鳴を上げた。
「うぁ……ああ……うわあああ───」
林道の中に三度轟音が響き渡る。今度は悲鳴を上げていた兵士の上半身が消し飛び、残っていた二人が連鎖して悲鳴を漏らし出す。何が起きているのか分からない様子の二人は、剣を構えるだけ構えてはいるが腰が引けている。
シドが何かをしている。だが何をしているのかまでは分からない。分かっているのは、次あの音が鳴り響いた時、どちらかが地面に散らかる肉片と同じ末路になるということだけだ。
「なんだよ…なんだ、なんなんだよぉおおおおおッ!!!」
「お、おい待て!俺を置いてくなッ!!」
一人の兵士が剣を投げ捨て、悲鳴に近い叫び声を上げながら逃げ出してしまう。自らに訪れるかもしれない死因すら理解しないまま散るのは嫌だ、草を摘むよりも簡単に命を散らしたくないと、兵士の思考は恐怖によって陰に塗りつぶされてしまった。
逃げ出した兵士は足がもつれて上手く走ることができない。全速力で走っているつもりなのに、全く速度が出ない。まるで夢でも見ているような錯覚に陥ってしまい、一刻も早くこの場から逃げ出したいのに前に進む速度はとてつもなくゆっくりで、両足は鉛のように重く感じる。
逃げ出した兵士の耳に四度目の轟音が聴こえた。その音に驚いて転んでしまい、完全に腰が抜けて立ち上がることもできなくなった。
後ろを向くと、置いていった兵士の胴体が霧散してその首が兵士の足元に転がってきた。
「ぅ…ぅ…ぁ………ああ、あぁ……ぁっ…あっ……」
恐怖に呑まれ、悲鳴も上げられなくなってしまった。筋肉が弛み、身体中から汗や涙といった水分が流れ出し、逃げようにも力が入らない。辺りを見回してもさっきまで命だったモノが汚らしく散らかっているだけで自身を助けてくれるモノは何一つ無い。
どうしようもない現実に絶望して泣き崩れる兵士の傍にゆっくりとシドが近付いていた。兵士はシドを見上げる。シドは兵士を見下す。目の前で人の命が簡単に散っているにも関わらず生徒の一人に過ぎないはずのシドの表情には感情らしきモノが何も無い。先程のような笑みも、恐怖に怯えることも無く、その表情はまるで能面でも見たかのように不気味以外の感想が出てこなかった。
自身を見下す田舎貴族の一生徒に対して何か一つくらい恨み言を言ってやりたかったのだが恐怖に呑まれた兵士は上手く言葉を形成することは叶わない。投げ捨ててしまったため剣は既に手元に無いが、仮にあったとしてもそれを構えて切っ先を向けるだけの余力はもう残っていない。剣も言葉も持ち合わせの無い兵士が唯一向けられるのは、惨めに慈悲を請う目線のみ。
だが眼前の死神は、その想いに答えるなんてことはしなかった。
「夜が明ければ…この場で遺体が見つかるだろう」
シドの声色が大きく変わった。先程までの柔いモノではなく、深淵から溢れ出たような腹まで響く声。それを発しているのは数日前に拷問を行っていた無力な生徒。そのはずだったのだが、目の前で兵士を見下す学生服の生徒は徐々に陰に呑まれ、気がつくとそこには漆黒を纏った闇が顕現していた。
「だが、何も危惧する必要はない……」
漆黒を纏いし闇、シャドウガーデンの盟主、シャドウは天に昇る月に向けて右手を掲げる。
「夜明けと共に、総ては終わるのだから……」
そして、無慈悲な一言と共に指を鳴らして轟音を轟かせるための合図をどこかに送る。
林道の中に甲高い音が響く。その直後に、肉も骨も鉄も巻き込んで命を奪う慈悲無き爆音が指を鳴らした音を飲み込んで轟き響いた。
爆音が鳴り響いた後に、恐怖に呑まれた兵士は遺言を遺す余裕も走馬灯を見ることも無く、その命を散らせた。
「………遅いぞ、ドレッド」
周囲に散らばる遺体の破片を歯牙にもかけずにシャドウは振り返ることなく背後から近寄る人影に声を掛ける。
「悪い悪い、道が混んでてな。だが、ちゃんと仕事はしてやったぞ」
「人の獲物を奪うのが仕事か?」
「ンな怒んなって。代わりに主役は譲ってやるからよ」
「当然。露払いは任せたぞ」
遅れてやって来たのは、シャドウも見たことの無い大型の銃を両手で携えたドレッドだった。遅刻したというのに悪びれる様子も無いドレッドと軽口を踏まえたやり取りを行い、この短いやり取りだけでこの後の行動が決められた。
合流のついでにシャドウはどこで何をしていたのかを訪ねようとするが、遠方より先程五度鳴ったモノとは異なる轟音が辺りに響いて耳に入った。これもドレッドによるモノなのかと一瞬訝しみ、仮面越しに目線を送るが両手を軽く上げて関与を否定した。どうやら関係ないらしい。
轟音の正体を探るために魔力探知を行おうとするが、それよりも先に背後から姿を隠していたベータが現れて心当たりを伝える。
「シャドウ様、今のは恐らくデルタが行動を始めた音かと」
「そうか…では我々も
「は、はい!」
「あ、ベータ。ついでにイータも連れてってやってくれ」
「……はい?」
ドレッドが唐突に姿の見えない第七席の名を出した。辺りを見渡すがそれらしき人影は見えないし、気配も無い。ベータもこの場にいない人物をどう連れてけと言うのかと苦言を呈したくなったが、よく見るとドレッドの背後に誰がいる。というかコートの中に誰かいた。
「……イータ?」
ドレッドのコートに向かって呼びかけると、ひょこっとイータが顔だけ出した。いないと思っていた人物がコートの中に隠れていた。
「イータ…あなた、そんなところで何を…?」
「ドレッドの銃…今日のは特にうるさいから耳塞いでた」
「ああ……納得できそうで微妙にできない…」
何とも言えない顔でコートの中からイータをつまみ出し、手を離すとぽてんと地面に落ちた。だがすぐにすっと立ち上がってドレッドの隣に移動してしまう。
隣に来たイータの背を押してベータの方へと押し付けると、ポケットから大きなマガジンを取り出して手に持つライフルにそれを装填する。それをイータに見せつけるように前に出しながらドレッドはこの後の行動を簡単に説明する。
「このままデルタに陽動任せてたら街全壊しそうだし、俺はデルタを抑えつつサポートに回るよ」
「相変わらず、一人で行動ですか?」
「まぁな。その方が楽でいいし、流れ弾の心配もしなくて済むし」
「集団戦でも冗談ですら一度も銃口を私たちに向けたことの無い人が何を言ってるのか…」
ベータの言葉を華麗に無視してドレッドは口笛を吹きながらのそのそと一人勝手にどこかへ行ってしまう。一瞬呼び止めるべきか悩んだが、シャドウとイータは彼を止めようとする様子がないので、二人に合わせてドレッドを見送った。
手に持っていた