皆さんはいかがでしたか?
プラント最高評議会議長の執務室内。電燈が少ないのか、それともこういう意匠なのか。少し暗い部屋で、現在の議長であるギルバート・デュランダルは報告書などに目を通している。
地球軍の新型モビルスーツの計画書、強化兵士計画…それら一見すれば頭が痛くなるようなモノばかり並ぶ資料を、特に意に返さずに記憶していく。
元は優秀な遺伝子研究者であった彼は、ぶっ続けのパソコン作業や徹夜仕事などは朝飯前だった。しかし、三十代に入ってからは多少の体力低下を自覚しているのは秘密である。
議長としての仕事量はあまりにも多く、普通の人間ならば渋面を隠さずに愚痴を漏らしながら処理をするほどであろうが、彼はどことなく笑みを浮かべて淡々と軽やかにこなしていく。
彼が、いつもより少しばかり嬉しそうな理由はコレであった。
『ロゴス』の主要メンバー全員の特定が完了したこと。そして、それと関連した国、企業、産業…それらについても粗方は調べ終わっていた。
『ロゴス』をいつ、どのように討伐するか。
そのタイミングや方法は慎重を期す必要がある。
なぜなら…それは、地球圏、いや宇宙圏をも巻き込む動乱と恐慌が生まれかねないからだ。
故に…今は公表できない。あと一つ。あと一歩だけでいい。何か大きな事が生じれば…
「慎重に事を運ばねばならないな…」
デュランダルは独り静かに嗤う。
その暗い瞳はどこまで見通しているのか。
☆
シンは『ガイア』のパイロットと思しきステラという少女を回収し、独断でミネルヴァに搬送した。
どうやら警備兵を強引に振り切って、ミネルヴァの医務室に無理やり連れ帰って来たようだ。ミネルヴァは最新の宇宙用戦闘艦。搭載されている医療設備や、採用されている軍医のレベルはかなりの高度なものとなる。採血検査はもちろんのこと、人工呼吸器、心肺補助装置、透析機械。X線やCT検査といった放射線検査、集中治療室、更には手術室も完備されている。
宇宙域にて負傷した兵士は、暫くの間大きな病院に行くことができない場合も多い。そういった際に、しっかりと艦内で治療が受けられるようにというのが最近の戦艦のトレンドであった。
駐屯地の簡易的な医療用テントではなく、ミネルバに帰還したということは…シンはその潤沢な医療設備に頼ろうと考えたのだろう。
しかしその行動はあまりにも危険すぎた。
搬送されてきた少女は病室で混乱とせん妄のためか、ひどく大暴れしたようだ。今は、鎮静剤を打たれて眠りについている。
血液、尿のデータ、全身CT検査が施行される。データはどれもめちゃくちゃで、データ表は赤色で示された数字の羅列だった。普通の状態ではないことが容易にわかる。CT画像検査は、医師の説明によると内臓の位置、大きさがめちゃくちゃになっているらしい。
彼女は今鎮静剤を繋げられ、静かに眠っている。四肢と体幹は拘束具に繋がれており、まるで囚人のようだった。
シンはそんな痛ましい様を見て、医務室からテコでも動きそうにもなかったが、ステラの治療をしっかりと行うことを、アスランやグラディスが軍医に命じて、漸く医務室から出ていくことに同意した。
シンの行動は完全に軍規違反である。一歩間違えればミネルヴァどころか、この駐屯地全域を危険に巻き込んでいた可能性もあるのだ。
現在シンは懲罰房に入れられて拘束されている。グラディスやアーサー、アスランは今後のシンの処遇について議論していた。
グラディスの、シンへの対応は適切であるといえる。寧ろ…即射殺でないだけ、遥かに温情なのかもしれない。
三人は懲罰房の分厚い扉を隔てて、シンに語り掛ける。懲罰房内はあまり照明が明るくはない。また、壁面の色も濃いグレーがかっており、何となく陰鬱として雰囲気を助長している。本当は変わらないだろうが、体感温度も少しばかり低く感じるようだった。
つまりは薄気味悪く、不気味な空間である。
「シン。艦長として、私は貴方を罰する義務があります。しかし…弁明の余地も与えたい。なぜあんなことを?」
「…だってケガをしていたんですよ!あのまま放置したら…死んでしまうかもしれなかったんです!」
「貴方のやったことは軍法『5条2項』に違反…『11条6項』に抵触しています。それを承知の上での行動、ということよね?」
馬鹿げた行為であるとグラディスはシンに詰め寄る。少し意地悪な言い方ではある。
当然、シンは軍法など暗記もしていなかったが、この行為が規律に違反していることは流石に知っている。しかし、それでも彼は助けることを選んだのだ。
「はい…あの子が…死ぬのが嫌で…」
グラディスに尋ねられ、シンは彼女について語る。ディオキアの港で初めて会ったこと。戦争孤児であること。
「…でも、あの子は『ガイア』のパイロットです。それを、お分かり?」
「…わかってます。でも…自分は。また同じ選択をする時が来たら、きっとまた同じことをすると思います」
グラディスは大きなため息を漏らす。全く反省の色が見られない。しかし。シンがこの艦から戦力としていなくなるのは困る。だがこのような明確なな軍機違反を見過ごすこともできない。
メリットデメリットを天秤にかけて…じっくりと処遇を考えねばならない。
「艦長、私から提案があります」
突如、今まで沈黙を貫いていて来たアスランが神妙に語りだす。アスランは、シンとグラディスの会話をじっと聞いていて、何かを考えているようだった。
「シンは確かに重大な軍機違反を犯しました。しかし…シンの力がミネルバに必要なのも、また事実です」
「だからと言ってシンだけ処遇を甘くしたら…この艦の規律が乱れるわ。それだけは避けたいの」
「だったら…私がシンを監督します。反省が見られるまで…とことん。
それでどうでしょうか?」
「そんなの…隊長がする必要はありませんよ!艦長!俺をさっさと処罰して下さい!」
二人がわーわー言い争いっているのを尻目に、グラディスは頭痛が止まらなくなってきた。歳をとると、こういう若者のエネルギーが羨ましくもなり、そして時折鬱陶しくも感じてしまうのが…辛いところである。
「…貴方のことは信頼しているし、能力も信用しているわ。わかりました。議長に掛け合ってみます。返答が得られるまではシンにはこの部屋で反省してもらうわ。いいわね?」
シンは渋々納得したように返事を。
そしてアスランはやはり何処か遠くを見て、ゆっくりと返した。
「はい。よろしくお願いします…」
☆
グラディスは艦長室に戻り、即座にデュランダルへのテレビ電話による謁見を試みる。幸運なことに、少し後からかけなおすとの返事をいただき、その十分後ほどにグラディスの部屋に電話がかかってきた。
「やあ艦長。元気そうでなにより」
デュランダルが何処となく嬉しそうな様子でモニター越しの会話をしている。
しかし、最前線にいるグラディスにはその様な余裕はあまりなく、厳しい口調や表情にならざるを得なかった。
「…議長。ご無沙汰しております。実は、連合の強化兵士について…」
グラディスは整然と得られた情報を開示する。そして、それによりシンが重大な違反を起こしたことも、誰かに忖度をするのではなく事実のみを伝えた。
「ふむ…それが本当ならば、連合の非道なやり方は到底見過ごすわけにはいかない。とりあえず、ミネルバは明朝出航し、得られた資料と被験体を運んでくれ」
「明朝、ですか?しかし…」
現在時刻は二十一時。明日の九時頃に出発するとしても、たったの半日しかない。
「ああ。無理を言っているのは承知だが、先程上がってきた報告書には、ミネルバの修繕は粗方完了していると記載されていた。モビルスーツの修繕については…『セイバー』がまだ終わってはいないようだが、それも整備兵を増員させるように人事を回しておく。
なんにせよ、件の被験体が何時まで生きているのかわからないし、場合によってはプラントの病院に搬送する必要があるだろう。迅速に対応して欲しい。
シンの処遇については…グラディス艦長とアスランに任せよう」
「…わかりました。では今からすぐに、クルーに出立の準備を開始させます」
グラディスがら通話が切られるまで敬礼を続ける。立場が上であるデュランダル側から回線を切られるまで待っていたのだが…
「ああ、それとタリア。私から個人的に、一つだけ頼み事があるのだが…」
そのあと数回会話の応酬をして、通話は切れた。
グラディスは執務室で静かに考える。
確かにミネルバの修繕は殆ど終わっている。やろうと思えば明朝にでも出立できるだろう。しかし、技術班が其方に人員を多く割かれたせいで、『セイバー』の修繕はまだ途中段階であり、完了していない。
『セイバー』はザフトモビルスーツの中でも最新鋭の機体。代わりとなる予備パーツや、そもそも触れる技術スタッフが致命的に不足していた為であった。赤い騎士を完全に復活させるためには、プラント本国に戻るしか方法はないのかもしれない。
「…とりあえずは、ミネルバの発進準備ね」
今から各所に電話をするのは忍びないのだが、これも命令なので仕方がない。とりあえずアーサーを呼び、共に出発のための準備を開始する。故に、シンの面倒を見ることは叶わなくなった為、先程アスランから提示された通りの処遇となった。
☆
明朝九時。突然の出港となってしまったミネルバであったが、全ての準備は滞りなく進み、予定通りに駐屯地を出立する。
クルー達は夜鍋の作業でクタクタであった。そもそも、戦艦の出発を半日で終わらせるなどとは、まあ殆ど無理難題に近いのだからそれを無事にやってのけた優秀なクルー達はしばらくの間ゆっくりと睡眠を取って欲しい。
勿論、艦長であるグラディスはまだ眠る事が許されていない。とりあえず眠気まなこで死にそうな顔をしていたアーサーを先に休ませて、彼が起きてから交代をする予定なのだが。アーサーは六時間は起きては来ないだろう。
彼女も当然寝不足で、シャワーも浴びる事ができていない。今朝の肌のハリは今世紀最悪であった。憂鬱な気分をなんとか心の奥底に隠して、普段通りの振る舞いでブリッジにて艦員に指示を出す。
ミネルバは現在、太西洋を南下している。これも議長から送付されてきたルート通りの進行だ。とりあえずは予定航路に入った為、少し安堵してしまった。仕事がなくなってしまい、そうなると、途端に眠気が強烈に襲ってくる。
眠ることは許されていない為、根性だけで覚醒し続ける。
ミネルバはもう直ぐ、クレタ沖入ろうとしていた。
☆
オーブ軍空母『タケミカヅチ』ブリッジ内。
そこではオーブ軍と地球軍が合同で、ザフト軍最新鋭艦ミネルヴァへの、追撃作戦を練っている。
参加者の中で一番声が大きいのは現オーブ臨時代表であるユウナ・ロマ。彼は自信たっぷりといった様子で、作戦の立案をしていた。
「間違いなく!ミネルバはここ、クレタ沖を通ってジブラルタルへ向かう!」
クレタ島。ギリシャの南に位置する同国最大の島であり、古代ミノア文明が栄えた土地で、クノッソス宮殿をはじめとする多くの遺跡を持つ。温暖な気候や自然景観から地中海の代表的な観光地でもある場所だ。
その大島とユーラシア大陸を挟み込むように北側ルートをミネルヴァは選択するとユウナは自信満々に告げている。
「しかし…クレタ島の南側からのルートを選択する可能性もあります。このように迎え撃っては…こちらを選択された際に確実に補足ができません」
全くその通りである。ミネルバがどちらのルートを選択するかなど、現在のオーブ軍が掴んでいる情報からは判断する事が難しい。殆ど五〇パーセントの賭けになってしまうのは目に見えており、オーブ軍一佐であるトダカは、素直にこの作戦を受け入れることはできなかった。
「だ…大丈夫だ!ミネルバは、確実に北側を通る!わかったのなら、お前らバカの軍人は、僕に従っていればいいんだ!」
ユウナがここまで自信満々なのは、『ブルーコスモス』の盟主でもあり、『ロゴス』の一員でもあるロード・ジブリールから独自に情報を得ていたからであった。勿論、この事実はオーブ軍人には知られるわけにはいかないが、彼ら軍人は所詮馬鹿であり、勘づくことはないだろうと鷹を括っている。
その事情を知ってか知らずか。地球軍司令官であるネオ・ロアノークは、ユウナの太鼓持ちの様に彼を囃し立てる。
「流石…聡明なオーブ軍総司令官殿。では、オーブ軍にはクレタ沖の北側でミネルバをじっくりと待ち伏せしていただきます。我々地球軍は、ギリシャ本土とクレタ島に軍を配置し、オーブ軍とミネルバがぶつかった後で、挟撃するように出撃致します。もちろん、名誉ある一番槍は…!」
「当然!我々オーブ軍が担う!わかったら、貴様達はさっさと配置につかせろ!」
ユウナは地球軍司令官から、自身の立案した作戦に太鼓判を押されて気分がよさそうだ。意気揚々と、オーブ軍人達に命令をしていく。
軍議はこれにて閉廷となった。
☆
ネオ・ロアノークは地球軍駐屯地に戻り、一息つく。幾ら同盟中とは言えども、他国の戦艦に土足で入るのは気が張るのだ。
司令官室に座り、ゆっくりとコーヒーでも飲むことにする。
このうざったらい仮面を外して、ソファに投げ捨てる。コレを外す時はスッキリするな、といつも思う。
どうやら医師曰く、先の大戦に地球軍兵士として参加した彼は、戦いの中で脳に酷くダメージを負っているようだった。それ故に…二年以上前の事を、あまり思い出すことができなくなっている。
覚えていることは、自身の名前が「ネオ・ロアノーク」であること。そして、地球軍兵士としてモビルスーツに乗って戦っていたこと、くらいであろうか。まあ言ってしまえば、エピソード記憶障害だ。障害されたのはエピソード記憶だけであり、手続き記憶など読み書きやモビルスーツ、モビルアーマーの操縦にはあまり不便はないのは、不幸中の幸いであった。
しかし、依然として過去の自分を思い出せないことまた事実。そして、このセンスのない仮面をつけていなければ命が危ない、というのが医師の判断である。ネオは別に自殺志願者でもないので、言いつけ通り仮面を外す時は医師の前でのみ、と言うのを徹底しなければならないのだが。
彼の忘れてしまった生来の性格がズボラなのか。それとも、もう生きる事自体ががどうでもよく思えてきたのかは定かではないが、時折一人の時はこっそりと仮面を外している。幸いな事に、気づく範囲では変わりがなく、これでシャワーを浴びた日にはとてつもなく気持ちが良かった。
しばらくゆっくりと過ごしていると、嫌な相手ーージブリールからテレビ電話がかかってきたため、慌てて仮面を付け直して対応する。
『ネオ、どうだった軍議は?』
ジブリールは相変わらず飼い猫を撫でて、高そうなワインを飲みながらセンスのかけらもない金色の装飾が施されたソファに腰掛けて電話をしてくる。
この中で、ネオが羨ましいと思うのは猫だけであった。
「まあ、大方予定通りですね。ユウナ・ロマが自らクレタ沖を提案してくれたので」
勿論ネオは地球軍、引いては『ファントムペイン』の背後にいるジブリールから、彼からユウナとの繋がりや、ミネルヴァの航路については程度聞き及んでいた。元々からクレタ沖に誘導するつもりであったが、ユウナ・ロマが最初から其方を提案してくれるのだから、乗らない手はない。
『アイツは手柄が欲しいだろうしな。ちょっとエサを与えると嬉しそうに尻尾をふる』
ジブリールは、自らの掌の上で踊るユウナのことが、嫌いではなさそうだった。まあ、愛玩動物程度には考えているのかもしれない。
『兎に角…近頃のファントムペインは不甲斐なさすぎる。命令というものには、当然全て意味がある。一つとして、失敗は許されないのだ。
次こそは…結果を出してくれよ』
そう言われて一方的に回線を切られる。突然すぎる終了に、敬礼が間に合わなかった。まあ、敬意を表すべき相手でもないので良いだろう、とネオは独りごちる。
「結果を出してほしいのなら、もうちょっとマトモな援軍を寄越してくださいよ…」
ネオは少し情けなく呟く。こういう態度は部下の前では決して見せることは出来ない。大佐と言えども、彼のような最前線に出る兵士に戦場を選ぶ権利や人事権はない。
中間管理職故の…悲しい心情である。
☆
オーブ郊外。潜伏しているのは拉致されたはずのオーブ代表、カガリ・ユラ・アスハとその一味たち。彼女らは独自でかき集めた資料を元に、次々と現オーブ政府への対抗組織を形成しつつあった。
その中にはオーブの若者から老獪の政治家。オーブの信頼できる軍人たち。さらにはメディア関連などにも手回しは完了しつつある。
それも、カガリの存在と、ラクスの存在。そして何よりも…オーブという国を思う一人一人の想いの積み重ねであった。
「しかし…こんなにも地球圏には、『ロゴス』と密接に関わる産業が多かったなんてなね」
バルトフェルドは溜息を漏らしている。一同も、口には出さないが同じ気持ちであった。
『ロゴス』は唯の軍需産業複合体ではなかったのだ。それは、戦争だけではなく、地球の経済、政治、産業、医療、文明…有りとあらゆるものの陰に潜んでいる。
端的に言うと、『ロゴス』と関わりのないグローバルな企業は、殆ど存在しないのだ。
軍需産業複合体というものは、あまりにも巨大すぎる『ロゴス』の、一つの側面でしかない。言わば『ロゴス』は…この世界の『資本』そのものであるといっても、過言ではない。
「それでもまだオーブが『ロゴス』関連の企業や産業の影響が少ないのは…ひとえにウズミ前代表や前の五代氏族の政治手腕と言えるのでしょうね」
ラクスは、調べれば調べるほどに、湯水のように出てくる『ロゴス』関連団体の数に辟易としながらも、それを自国に入れずに独自に発展してきたオーブの手腕に舌を巻かざるを得ない。
もっとじっくりと、ゆっくりとカガリに政治を継がせることができれば…オーブはこんな事にはならなかったのに、と意味のない仮定をつい考えてしまう。
それは、きっとカガリも同じであろう。現に、彼女は『ロゴス』の名前を知っていても、その実情を全く知らなかったのだ。オーブの為政者が全員『ロゴス』を知らないわけはない。つまり、カガリの耳には意図的に伝わらない様に、手回しされていたという事に他ならない。
「しかし…ただ『ロゴス』や『ブルーコスモス』と政治家の癒着を示したとしても、安全保障条約に加盟している今…連邦からオーブに侵攻されては話にならない。タイミングが…」
カガリは必死に考えている。現在のオーブ。そして、未来のオーブを想って。
国を取り返すのならば、できるだけ万全の準備をして行わねばならない。しかし悔しいことに…現状ではあと一つほど、何かピースが欠けているという印象であった。
☆
ミネルバはクレタ沖に入った。シンはアスランの助力もあり、拘束を解かれて以降は、医務室で眠るステラのそばにじっと座る日々を送っていた。
見るからに元気がなくなり、ミネルヴァクルーも心配しているのだが、彼はそれを意に返さず、ずっと彼女のそばに寄り添っている。
側のテーブルにはピンクの携帯電話と、ステラから貰ったピンクゴールドの貝殻が入った小瓶。
それとステラを交互に見ては、ステラの様子が変わらないことに落ち込む。
ステラの容態は芳しくはない。寧ろ、徐々に悪化しているのが素人目にでもわかる。医師曰く、一定期間毎に特殊な処置をされていたのではないかとの事であるが、現状プラントの医療技術でそれを解明することは難しいとのことであった。
故に彼女は、発熱時は解熱剤を。痛みを訴える時は鎮痛剤をと。対症療法だけしか施されていないというのが現実であった。
抜本的な解決はプラントでは難しいというのが…医療に詳しくないシンにでも、わかった。
自分が彼女のためにできることは何だろうとシンはずっと考えている。
彼女を守ると約束したシン。今、苦しんでいる彼女に何もしてあげることができない自分が、嫌いになりそうだった。
「シン…食事は摂ったのか?」
シンはここ数日、食事をまともに摂ってはいないし、睡眠もあまり取れてはいない。
自覚はしていないが、少し痩せている。それに力もあまり入らないし、思考力も落ちている気がする。
上司であり隊長でもあるアスランが、シンを心配して語りかける。アスラン程の鈍感な男から見ても、最近のシンはあまりにも元気がなかった。
「いりません。それに、アスランも俺に構わなくて大丈夫です」
「俺はお前の監督役だからな。それを聞き入れることはできない」
静かな時が過ぎていく。二人の間に特に会話はない。でも、前までとは違って、緊張感のある沈黙だ。張り詰めた空気。それを演出しているのはシンか、それともアスランか。
「シン…いつまでそうやって、無駄な事をしているつもりだ?」
「っ…ムダって…アンタは、一体何なんだよ!」
「無駄だろう。そうして彼女のそばに座っているだけで、ウジウジと下を向いて。結局何もできていないじゃないか」
アスランにはシンの彼女を想う気持ちが痛いほどに伝わってきた。だからこそ、アスランはシンを放置することができない。
「そんなこと…」
…そんな事、シンが一番よくわかっている。彼は何もできていない。でも、そんな事を言われても…しょうがないじゃないか。だって、シンには医療の知識もない、ただ、そばで祈ることしか…彼には赦されてはいないのだ。
ステラを守りたかった。守ると約束した。それなのに…シンは何もできず、ただ立ち尽くすことしかできない。このまま彼女は…死ぬ。あのバレエダンサーの様な元気な姿は、二度と見ることができない。
「俺は…俺には何もできないんですよ!そんな事、わかってます!」
「俺たちはミネルバのパイロットだ。お前がいつまでもそんなに腑抜けていて、また攻撃を受けたらどうする!」
「そんな事…アンタが戦えばいいでしょ!」
「シン!甘ったれた事を言うな!お前がミネルバを守らなければ…誰が皆を守るというんだ!」
『セイバー』の修繕は大方終わっているが、まだ完了はしていない。そんな状況でシンがこの様子では、先のような大規模な作戦を仕掛けられたミネルバは、ほぼ間違い無く沈むだろう。
そうなれば、全員ここでなす術もなく死ぬのだ。
シンの両肩は、それこそステラを含めた…たくさんの命を背負っている。
「お前のしたいことはなんだ!お前が今、本当にすべきことは一体何だ!」
「アンタに…そんな事!アンタは俺に考えろ考えろって!そればかりで!結局、俺に何も教えてくれない!」
シンにはわからなかった。自分のすべきことが。自分のしたいことが。そういうよくわからない事をあまり考えない様にしてきたから。
最近アスランに感化されて、少しだけ考え始めたというのに…ステラと再会してからというもの、何も考えが纏まらない。
ずっと堂々巡りだ。もう訳がわからなかった。
アスランはそんなシンを殴る。わからずやで、ウジウジ悩む彼を。思いっきりグーで。シンはアスランからの突然の暴力と痛みに、動揺と困惑を隠せない。
「殴るなんて…!」
「お前がここまで甘ったれただとは思わなかったんでな…
本当に大切で、本当に大事な物があるなら!
俺なんかに頼らず…自分で考えて、自分の力で守り抜くんだ!」
アスランから正論を掲げられ、シンは逃げるように医務室から駆け出した。アスランの言っていることは、理屈では正しいと理解していた。
それをわかった上で。何も言い返せない自分も、何もできない自分も。そんな自分が許せなくて。
シンは情けなくて情けなくて。泣いてしまいそうだった。
☆
アスランがシンをぶん殴ってから数刻後。
アスランは頭を抱えた。シンに言い過ぎたし、やり過ぎてしまった。
自分でもまさか手が出るとは思わなかった。完全に頭がオーバーヒートしてしまった。
…それだけ、シンを放っておけなかった。彼には元気を出して欲しかった。
アレでは完全にパワハラ上司だ。しかも最後。シンは涙を流していた様に見えた。
「謝らないとな…」
シンの行き先は、大方自室であろう。彼が今、人目がある場所に赴くとは考えにくいからだ。
シンを追いかけようとするとシンが座っていたイスの側。そのテーブルの上にピンク色の端末とピンクゴールド貝殻が入れられた小瓶置かれているのが見えた。
「シンの忘れ物、だろうか」
届けてやろうと思い、その二つ手にしようとした。まさにその瞬間、ミネルバが大きく揺れる。その大きさは大地震さながら。姿勢を制御できず近くの壁に寄りかかる。恐らくは砲撃を受けているのだ。ピンクの携帯端末が落下し二つ折りの端末が開く。
《コンディションレッド発令!『インパルス』、『ザク』は出撃準備をお願いします!!》
第一次戦闘用意の艦内放送。どうやら、想定外の奇襲を受けたらしい。モビルスーツ部隊は修繕の終わっていない『セイバー』を除いて全員出撃命令が下る。現在も、ミネルバは轟音と共に…艦内は大きく揺れ続けていた。
しかし…アスランは戦闘が始まっていても、動くことができない。
ただ呆然と眼を開いて、そのピンクの携帯電話の画面から、待ち受けの写真からーー眼を離すことができない。
意識をそれにすべて、吸われてしまったようだ。自分が、正常に呼吸をしているのかも定かではなくなる。目がぐるぐると回り始める。喉が熱い。身体が震えているのを感じる。
『俺の家族は…アスハに殺されたんだ!!』
『すごい…もう完成しちゃった!』
「マユ…」
そこに写るのは、かの少女。
アスランがかつてオーブで出会い、共に過ごした小さな命だ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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