デストロイは沈黙した。ベルリンの街には、本当の静寂と平穏が訪れた。
先ほどまでの喧噪は嘘のように。
『デストロイ』のコックピットがあった場所に近づく。すでに装甲には大穴が開いている。何の工夫もしなくとも、容易に彼女の元へたどり着けるほどだ。こんな穴が開いては、パイロットが無事であるはずがない。
「ステラ…」
美しい金髪の少女を見とがめる。人形のごとく美しい少女だ。美しいブロンドの髪は、純金よりも輝かしく、長くツヤのある睫毛は、少し雪が積もるほどであり、その美しさをより強調している。肌は不健康と言われても仕方ないほどに純白で、唇は少し乾燥し、その色は紫がかった生気の乏しい色調だ。
彼女に話しかける。彼女は動かない。彼女の上体を抱きかかえる。身体が弛緩しているのか、だらんと首をもたげ、こちらに目線を合わせてくれない。そもそも、全く反応もなければ、温かくもない。その辺のアスファルトと同じくらいの肌の冷たさだ。気づけば、雪が降っていた。天から降る白い粉は、彼女の血色のない肌に触れても、ただ肌の上にうっすらと積もるだけだ。溶けたり、水滴を創ったりはしない。
それが視覚的にも、彼女の体温が尋常の人間のそれではないことをシンに伝えていた。
ようやくだ。ようやく、彼女の命が既に喪われていることを理解した。理解だけはできた。こんな冷たい生きた人間がいるものか。
彼女を抱きかかえているだけで、触れ合う自分の肌が冷たくなるのだ。彼女は、既に物言わぬモノだ。人形の方が、もしかすれば幾分か温かいかもしれない。
「ステラ」
もっと君と話がしたいよ。
「ステラ…」
君の笑顔が見たいよ。
「ス、テ…」
君の美しい踊りを、もう一度見せてよ。
「………」
涙が出た。せき止めようとすら、思えなかった。
悲しいし、悔しいし、苦しかった。
嗚咽が出たし、手足が震えた。眼がしらは燃えるように熱く、喉は焼けたように乾燥し、体中に熱を帯びていた。
シンは自己判断で。。自分勝手の考えで彼女をミネルバから連れ出し、地球軍に返した。
そして傲慢にも、それで彼女を救えていると。そうやって…彼女を地球軍に返して、命をつなぎさえすれば。
いつかは彼女は幸せになれるのだと本気で思っていた。
いや、違うのかもしれない。彼女を救えていると…錯覚したかったのだ。
本当は、世界がそんなに優しいなど、ちっとも信じてはいなかった。ただ、そうやって盲信することにした。そう思い込まなければ、浮かばれないからだ。
…では、誰が浮かばれないのか。そんなこと、わざわざ口に出さずとも決まっている。
自分自身だ。
彼女が幸せを享受することができれば。それだけで、自分が救われた気がしたのだ。
あの日…戦争で、家族を喪った自分。あの日に彼は全てを奪われ、世界から見捨てられ、全くもって誰からも救われなかった。
そんな自分に、彼女を重ねた。そして、期待してしまった。
彼女が救われれば。彼女が、幸せになれれば。彼女が、笑顔で生きていけるのなら。
もしかしたら…自分も、いつかは幸福を享受できるのではないかという。
なんとも自分本位の考え方であろう。
心底、反吐が出る。
それに、結局のところは…責任転嫁だったのかもしれない。
シンは、ステラが目の前で弱っていく様をまざまざと見せられて、何もできない自分に心底絶望していた。
そんなシンが…自分でできることを考えた結果、彼女を連れ出すことにしたのだ。
でもそれは。ただ、彼女が目の前で死んでいくのが嫌だっただけで、本当は…
究極的には。彼女が自分の眼の届かぬところで死んでいたとしても、シンは残念にこそ思えど、ここまで悲しまなかったではないか。
いやはや、全くもって、自分勝手。身勝手な俺に巻き込まれた、かわいそうな、かわいそうなステラ…
自分のように不幸な少女だと思った。自分は救われなかったのだから、せめて彼女には救われて欲しかった。
そうすれば…もしかしたら…
自分も誰かに、救ってもらえるのかも――――――
この期に及んで、そんな自分本位な考えであったのかもしれないと。そんな自分が…どうしようもなく嫌になって。
そんな嫌で、悲しい、自罰的な考えが頭をよぎった。
『シン…ステラ、守る…』
その言葉を思い出す。約束だった。彼女を怖い世界や怖いものから、守り抜くと。
全くもって、その約束は果たせなかった。
でも。せめて。君はこの世から去ってしまったけれど、せめてそのあとくらいは。
ゆっくり、静かな場所で。穏やかに眠っていてほしい。
そう素直に思った。だから、彼女の屍体を抱えて運ぶ。
一歩一歩、噛みしめるように歩く。足先は冷たいのかどうかわからない。
足の指は全く感覚がない。それでも彼女を抱えて真っすぐに歩いた。
周囲の様子など、全く気にならなかった。彼女の最期くらい、自分の行動に責任と自信を持ちたかった。
それに、涙が止まらなくて。周囲がぼやけて霞んで何も見えなかった。
ゆっくりと『インパルス』に、彼女を抱えて乗り込む。そのまま、エンジンを無造作にふかし上げる。
ブースターが作動し、シンとステラを、誰の邪魔も入らないような静かな場所へ、誘ってくれた。
南瓜の馬車のような、魔法にかかったような。二人だけの逃避行だった。
『インパルス』はぐんぐんと加速し、ベルリンからほどほどに離れた湖へとたどり着いた。比較的浅瀬になっている湖畔に、愛機を着水させた。ここならば、『インパルス』が沈み切るほどの深さではなかった。
そのため、そのまま愛機の手をかざすだけで、鏡の如く澄んだ水面の直上に降り立つことができた。
美しい湖であった。澄んだ水は深淵を想起させるようで、どこまでも底がないことを想像させた。
静謐で澄み切った大気は、その場所が荘厳で、厳粛で、外界から閉ざされた空間であることに説得力を齎した。
周囲の深い森は、雪化粧によりその深緑を覆い隠されており、こちらにその色味を想像する優しさをくれた。
完璧な世界だった。何者の邪魔も入らず、酷い世界からは断絶された世界だった。ここだけに通ずる、独立した法則があるような錯覚を覚えた。
息を一息だけ吐いた。真っ白でカタチが想像できる吐息だった。それを見てここがあらゆる生物を拒絶する場であることが理解できた。
だから、すこしだけ安心することができた。
「……」
彼女との出会いと記憶を思い返した。
輝かしいオーシャンビューが世界を覆っている崖だった。
元気な踊りを見せてくれた。歌が上手だった。プロのバレエダンサーと見まごうほどであった。
それから、君は海に落ちてしまった。追いかけて飛び込んで、君を攫って。
それから、いろいろな話をした。
絶対に守ると。本気で約束したし、君に誓った。
でも、それは安易で傲慢な方便だったのかな。
俺は、嘘つきだった。君にも…自分自身にも。
だから…せめて最期の別れの時くらいは。本当の安らぎを、彼女にあげたかった。
「もう…大丈夫だよ」
ゆっくりと、両手に抱きかかえた彼女に語り掛ける。彼女は全く反応しない。
まるで、彼女の周囲だけ時間が凍てついて、止まってしまったようだ。
彼女の身体をゆっくりと、その水面に預けていく。
「もう何も…怖いことなんかない…」
湖の水は冷たかったが、とても凪いでいた。揺り籠の様に彼女を優しく包み込んだ。
「苦しいことも、ない」
手を静かに離した。彼女は、ゆっくりと、その身を沈めていく。ゆっくりである。落ちているのか、はたまた浮いているのか、わからないほどに。
「ここには、君を怖がらせるものは何もないから…」
もう、君とは、水面を超えて離れてしまった。それは別世界の住人みたいに遥か遠い。
人形のように美しい彼女は。まるで鏡の国のお姫様だ。
「誰も、君を虐めに来たりはしないから…」
俺の眼からみっともなく垂れる涙だけが、静かな水面に波を生み出した。
「だから…」
安心して。静かに…ここで。ゆっくりと。おやすみ。
静かだ。彼女は深い、光届かぬ水の底へと去っていった。後に残ったのは、惨めで哀れな一人の青年。
「君を守るって…言ったのに…!」
歯を食いしばった。唇は切れた。眼は飛び出しそうなほどに痛かった。
もう二度と、果たされ得ぬ約束を、今一度反芻する。後悔と懺悔と、寂寥感が、彼の胸に募っていく。
ずっと泣いていた。誰に手向けた涙かは、自分では判断がつかなかった。
ただ、申し訳なさと無力感で…心が押しつぶされそうだった。
暫くの間、『インパルス』の大きな手のひらの上で泣いていた。愛機の手掌には、雪が薄っすらと積もっていた。
それを見て、時間の流れをようやく自覚した。
世界は、シンが思っているよりもずっと。静かで、穏やかで、安らかだった。
でも、そんな場所でさえシンにとって優しいものではなかった。
…押しつぶされそうだった。
ずっと、こうしているわけには…いかなかったし…
彼女に何もしてあげられなかったどころか、逆に彼女をに不幸をもたらした。
そんな彼女を止めることも、守ることもできなかった自分。
自分の情けなさと、無力感とかで…頭がいっぱいだった。
だから…なんでもよかったんだ。ただ、新しい目標ってやつが必要だったのかもしれない。
でないと…こんな世界に、わざわざしがみついて生きている理由が、なくなってしまいそうだったから。
☆
ベルリンの街には、すぐさまザフト軍からの救援部隊が派遣された。
街には、身元が特定できない死体、特定できる死体がたくさんであった。
少しだけ、生きている人間もいたが、半数ほどはどこか怪我をしていて、その半数はその怪我により死亡した。残りの半分の、怪我をしていない人間も、その多くは家族や恋人を喪っていた。
ベルリンの前には、既に三都市が壊滅させられていたようだが、そんなことの詳細はミネルバで救援活動に励むグラディスやアーサーたちには到底知り得ぬことであった。
「こんな戦闘ばかり繰り返して…一体何になるのか、と思ってしまいます」
「議長が先の大戦と同じ轍は踏むまいと、融和を持ち掛けているのにこの有様だものね。
もう我々は何をやっているのか、よくわからなくなるわ」
討つべきものは、さっさと討ってしまえ。
地球軍との融和、共存、共栄などは決してできないのだ。
さっさと、この戦争を終わらせたい。
そんな風潮が、ザフト軍だけではなく、ベルリンの市民たちや、この惨劇を知る多くの地球の民にも蔓延し始めていた。
☆
「シン、何やってるの?」
同期のパイロットであるルナマリアが、シミュレーションルームに入り、シンに語り掛ける。どうやら、シンを探していたようだ。
シンは集中し切っており、返事が上の空になっている。そのため、その場に居合わせたレイが代わりに答えを出すことにした。
「見てわかると思うが、戦闘シミュレーションだ」
「アスランが少しだけ目を覚ましたからそれを―――これって…『フリーダム』じゃない」
シンはレイが部屋に入ってくる前から独り、モビルスーツシミュレータに籠りきりになっていた。
そこに映し出されているのは『フリーダム』の戦闘シミュレータだ。
これらは、今までにあらゆる戦場で記録された戦闘データを基に、AIを用いて精密に再構成された超高精度の戦闘シミュレーションである。
モビルスーツシミュレータは、何もあらかじめ機械にインプットされた疑似戦闘のみを行うものではない。
戦闘技術は一朝一夕で進歩していく。それは勿論敵も同じである。ならばとザフト軍は、敵味方関係なく、優秀な戦果を上げるモビルスーツのデータをビッグサーバーに保管し、それに誰もがアクセスできる環境を整えることで、各々の戦闘能力の向上を図ってきた。
実はシンの駆る『インパルス』のデータもインプットされているのは、シンはまだ知らない。
そしてこの技術が、ザフト軍人のモビルスーツ乗りの技術向上と、帰艦率の上昇に一躍買っていることは、説明するまでもないだろう。
シンはそれをひたすらにやり続けていた。ベルリンでの戦いが終わってから、ずっとである。
「あーくそ!また負けた…」
シンがヘッドホンを外して、苛立ちながら独り言つ。画面を見てみると、『フリーダム』に撃墜されたらしい。
記録をサッと見るに、どうやら五十回以上は撃墜されているようだった。
「アンタ、よくやるわね」
「…別に。暇だしね。それに、『フリーダム』が敵になったとき、俺がやらないと誰がこの艦を守るんだよ?」
その言葉に、ルナマリアはウっと言葉を詰まらせる。
現在、モビルスーツ部隊の隊長であるアスランは、まだ起き上がることすらままならない。時折目を覚ますが、鎮痛剤と鎮静剤が投与されており、すぐに気絶したように眠るようだ。
ルナマリアは左腕を骨折している。いずれは完治するだろうが、現状とてもではないがモビルスーツには乗れないだろう。
レイは身体にはこれと言って外傷はなく、『ザク』の修理も漸く完了するとのことで、戦線復帰の日は近いだろうが、今日すぐに出撃しろと言われてもそれは難しいだろう。
故に、シンの言葉は説得力が強い。現在、ミネルバのモビルスーツパイロットで出撃可能であるのはシンだけであった。
「でもさ、もう少し休憩とかしたほうがいいんじゃないの?」
「大丈夫だよ。自分の体調管理くらい、自分でできる」
シンはそっけなく、うざったそうにルナマリアの心配を振りほどく。シンがガキっぽいのはいつものことであるが、今回に関してはいつもより頑固であると、ルナマリアは察してしまい、少々面倒くさくなってしまった。
しかし、ルナマリアがわざわざシンを探して足を運んだのは、ルナマリアなりにシンを心配してのことである。ここまできて、何もせずに帰るのも変だな、と彼女は思い、何か暇つぶしができないか思索する。
「ハイハイ。わかったわよ。あ、そうだ!」
ルナマリアが、何かいいことを思いついたように、大きな眼を見開く。ルナマリアがこうしていい顔をしているときは、大抵が面倒ごとであることを、シンは知っていたため、嫌な予感がしてくる。
「だったらさ、私もアドバイスしてあげるわよ」
「なんだよそれ、要らないよ」
「人の厚意くらい素直にうけなさいっての!」
「別に頼んでないだろ!」
ぎゃーぎゃーと言い争い始める二人。思えば、二人が揃うといつもこうだ。精神年齢が近いのだろうか。二人とも、仲は良いのに、なぜか正面からぶつかり合う。
そんな二人が、嫌いではないレイは見かねて隣から口を出すことにした。
「シン。横からで悪いが…俺はルナマリアの案はいいと思うぞ。
自分では気づかない悪癖もあるかもしれないしな。俺も協力しよう」
「まあ…レイがそう言うなら…」
「ちょっと!なんでレイの言うことは聞いて、私の言うことは聞かないわけ?」
「ああもう!うるさいなー!さっさと次やるから、なんか文句あれば言えよな!」
そう言って、シンはシミュレーションに戻る。それを、横からアレだコレだと指摘して、三人の時間は経過する。
思えば、こうして同期三人で同じ時を過ごすのは久しぶりであった。
穏やかな時間が流れる。しかしこれは…人を殺すための練習をまだ十代の少年少女が和気あいあいと集まっているのだ。
その事実が、この世界の悲しさを思い出させた。
気づけばあっという間に数時間経過していた。ルナマリアはというと、
「…アスランのこと伝え忘れてた」
☆
アークエンジェル、医務室内。ここには、先のベルリンでの戦闘で、『フリーダム』に回収されたとある男性が治療を受けていた。
彼は捕虜という扱いであり、当然ながらその両手には枷がされているものの、それ以外の待遇は割と良いというのが、運ばれてきた男『ネオ・ロアノーク』の率直な感想であった。
先ほどから、カーテン一枚越しに、アークエンジェルの面々と思しき声がこちらについて議論を交わしているようだ。
なんでも、少佐だのなんだの、失礼な奴らである。
じっと待っていてもよかったのだが、目を覚ましてしまった以上、自分のことを話されているにも関わらず、自分が会話に入れないのに我慢がならなかったため、カーテン越しに声をかける。
「しっかしまあ、なんで俺なんかを連れてきたんだ?」
少し驚いたような反応の後、おずおずとカーテンが開かれる。そこには茶髪の青年と少女、あとは美人で胸のでかい女と、作業着を着た浅黒い肌の男。合計四人がいた。
ネオは当然の疑問を、アークエンジェルのそれらの面々にぶつけた。その口調は軽薄そのものであるが、眼光は一切の油断はなく、その真偽をしかと確かめようと試みている。
その中の、茶髪紫眼の青年が、ネオの言葉に返答する。
「僕はキラ・ヤマトと言います。『フリーダム』で負傷した貴方を連れてきました。貴方の名前を、教えてください」
「…いいぜ。俺の名前はネオ・ロアノーク。連合軍第81独立機動軍所属だ。
さっきから少佐とか何とか言ってくれてるが、俺はれっきとした大佐だぜ。ゆめゆめ、間違えてくれるなよ」
「ネオ・ロアノーク大佐、ですか」
それを聞いて、全員が暗い顔になってしまう。自己紹介をしただけでここまでムードを盛り下げることになるなど記憶は全て残っているわけではないが、恐らくは経験したことがない。否応にも焦りが勝りつい慌てて口を挟んでしまう。
「一体何が不満だってんだよ?」
「貴方は…記憶がないのでは?」
「…オイオイ!!そりゃ一体、なんでお前たちが知ってるんだよ?」
浅黒い作業着の男が、何かを理解したようでそれについて努めて冷静に答える。
「アンタのフィジカルデータをこの艦で取らせてもらった。保存されてるとある人物のデータが、ものの見事に百パーセント合致した」
「…てことは」
今まで閉口を貫いてきた女性が、ゆっくりと口を開いた。少しばかり、物悲し気に、声を震わせながら。
「私たちは以前の…記憶を失う前の貴方を、よく知っているのよ…
その人の名前は…『ムウ・ラ・フラガ』」
ムウ・ラ・フラガ。どこのどいつの名前であろうか。
その名を聞いてもあまりピンとはこないというのが、正直な感想であった。それに。
「…そうか。それは…」
どうしようもないことだった。なぜなら、そう言われたとしても、やはりネオには記憶がない。
彼にとっては、この四人は初めて見る顔ぶれであった。
それに、よしんば前の自分を取り戻せたとしても…
「俺は…どうしようもないクズだからな。俺に何を期待しているのかは知らんが、俺はアンタたちの記憶にあるようないい男じゃあないぜ…」
黒髪の純粋な少年との約束も違え。アウルとスティング、ガンダムを失い、多くの部下を死なせ。
あまつさえ、ステラをあの大量破壊兵器の一部品として戦場に送り出し、多くの無辜の民を虐殺したのだ。
こんな自分を知れば、きっとコイツらも大層幻滅することであろう。
故に、さっさと目の前から消えて欲しかった。こいつらの顔を見ていると…こんな風に落ちぶれた自分が、なぜかみじめに思えてくるからだ。
「わかったらさっさと出て行ってくれ」
一人にしてほしいと、言外に伝える。捕虜の言い分など別に従う必要はないのだが、どうやらこいつらはゲリラ兵というだけあって、規律もあまり厳しくないようだ。
すごすごと、今言葉を発した三人が部屋から出ていこうとする。
しかし、こちらをじっと見ている相貌がある。
小さな茶髪の少女はこれまで、一切口を開いてはいなかった。ただじっと、こちらを観察するかの如く。一挙手一投足を見られているような、いやな視線をネオに送り続けている。
その少女は部屋を出る最後まで油断も隙も無く、男を視界に捉え続けていた。
☆
食事の時間ということで、茶髪の少女がサーブをしてくれた。食事は普通の機内食といった内容だ。どこか懐かしさを覚える気もしたが、気のせいであろう。
持ってきてくれたのは、先ほど部屋に入ってきた四人のうち、独りだけ全く話さなかった少女だ。
少し気味が悪かったが、お礼は言わねばと思い、声をかけることにする。
「メシを持ってきてくれてありがとう、かわいいお嬢さん。
それから…聞きたいんだけど、さっきからこっちを見つめてどうしたんだ?」
ネオは努めて怖さが出ないように、声色と顔が優しくなるように話しかける。見たところ、相手は十代半ばくらいであろう。そんな少女が筋肉質の大男が声をかけられるだけでかなりのストレスになることは、言うまでもないからだ。
少女はゆっくりと、その唇を開き、透き通るような声でこちらに質問を投げかけてくる。
「おじさんが…赤紫の『ウインダム』のパイロット?」
「おじさんって…まあいいけどよ。そうだが…そういう君は一体…?」
おじさん呼ばわりは少々不服ではあったが、少女からすれば十分におじさんか、と諦める。話の要点はそこではない。
「『ストライク』について、どう思う?答えて」
ネオにはその質問の意図が全く分からなかったが、先ほどまで黙っていた少女が放ってくれた折角の話題である。メシの間くらいは付き合ってやろうと思い、素直に返答することにした。
「なんだそりゃあ…?正直に言えば、あんなにモビルスーツを手足の様に動かす奴は、初めて会ったぜ。
今まで俺が戦ってきた中でも、イチニを争うほど技術さ。それに…」
「それに?」
「それに、アイツは。自分の命を囮にすることを、全く躊躇わなかった。俺を殺すためだけに、自分の命を迷いなくベットしたんだ。頭のネジが二、三本外れてる野郎だぜ。ああいう奴を…」
『バーサーカーって、なんですか?』
『そりゃ何かの神話に出てくる…狂戦士のことだろ?』
頭の中に、知らない映像がフラッシュバックする。デジャビュの様なものか。
わからない。この艦に入ってから特に、ネオには似たようなことが多発していた。
突然頭を抱えて黙り込んでしまったため、少女に心配されてしまう。
「大丈夫?」
「いや…あんな奴を、バーサーカーって言うのかもなって…思っただけだよ」
頭の中の変なイメージはすぐに霧散した。
少し自嘲気味に素直に負けを認めた。そして、なぜ『ストライク』があれほど強かったのか、改めて冷静な分析を試みた。
あのパイロットは最後の切り合いまで短いリーチを見せつけるという、自分の命を秤にかけた駆け引きをしていた。
もし仮にネオが間合いなど測らずに、力業で決着をつけようとしていたら…勝敗は全くの逆であったろう。
そんなタラればを飲み込んで、素直にパイロットの腕を称賛することにした。
この年齢差の少女に虚栄を張る必要はないし、そもそも、自分はもはや捕虜の身だ。見栄という考えを持つことすら、空しいであろう。
少女はその答えに満足したのか、不満に思ったのかはネオからしたら定かではなかったが、暫くの間その言葉を反芻し続けているようだった。
「おじさんは記憶喪失ってやつなんだね」
「そうらしいな。それすら思い出せないから、証明は出来ないんだが」
「みんなの反応がそう言ってるようなもんじゃん」
それもそうか、とネオは不承不承に同意する。
「…記憶がないって、どんな感じ?」
「そりゃあ…そうだな。不安ってわけじゃあないが、自分の根幹を支えているもんがないってわけだからな。いわば、
「おじさんは違うの?」
「俺はなんつうか…そんなことを考える余裕とか暇があまりなかったからな」
そうなんだ、とそっけなく返すのは茶髪の少女。うんうんうなりながら、次の言葉を紡ぐまで、食事に手を伸ばす。
「…記憶がないひとが、なんで生きていけるんだろう…」
「手厳しいねえ、お嬢ちゃん」
「あ、違うの。気を悪くしたのならごめんね。
でも、記憶ってのは自分の一番の根幹でしょ?それがはっきりしない人はどうやって生きている実感を得るんだろうって。
…やっぱり、おじさんも記憶を取り戻したいとは思う?」
「取り戻せるもんならそうしたいかもな。でも…」
「“今”の俺がどうなっちまうのかって不安は、少しだけあるんだよな。
今こうして生きている俺も、クズなりに、懸命にやってきたんだ。例え…“前”の俺と違う道であったとしても。だから…」
ネオはステラ達三人や、自分の散っていった部下を思い返す。彼らは皆、ネオが記憶を失ってから出会った仲間達だ。そして…どいつもこいつも、こんなところで死ぬべき人間ではなかったと思う。
もちろんそれを裁く権利があるのはネオではない。神ですら、その権利は持たないなのかもしれない。
それでも…ネオは、ただ独り。空しく生き残ってしまっている。
「俺はやっぱり。今ここで生きてるんだ。やっぱり泥臭くても。みっともなくても。意地汚くても。
てことは…生きなきゃなんねぇのかもしれないな」
先に散っていった仲間の分まで…
最後のセリフは、口には出さなかった。我ながらクサいなと思ったからだ。
少女は、その解答に満足したようで、頷いてその言葉を咀嚼していた。そして、少し考えるそぶりを見せた後に実は…と皮切りにして再度開口する。
「実は、私が『ストライク』に乗ってるの」
「そりゃあ、何かの悪い冗談じゃあ…なさそうだな…」
衝撃の事実だ。『ストライク』のパイロットは、生半可なやつではない。勝手に、筋骨隆々な男を想像していたのだが…よもや小さき少女であったとは、全く思いもしなかった。
このような若い少女まで戦いを強いられているとは、世界とはなんと、残酷なのか。それを考えてしまい、またしても少し悲しくなり、頭がくらくらする。
「さっきの『バーサーカー』ってやつ。
…そんなつもりじゃあなかったんだ。気を悪くしたのなら済まない」
一体何を謝っているのかはわからなかったが、とりあえずネオは誤魔化すように謝罪の弁を述べる。しかし、当の少女は全く意に返していないようであり、
「ううん。気にしてない…それに…。それにね。
私もおじさんを本気で殺そうとした。ごめんなさい」
「それは…戦場で敵として相対したんだから、仕方ないだろう」
「私はおじさんみたいな正規の軍人さんじゃない。なのに中途半端な覚悟で、自分のわがままで、戦場に飛び出して。力を振るっている。
これは傲慢で、自分勝手で、わがままなこと。誰かにとっては、最悪な行為だと言われても仕方ないことだと思う」
「…」
「だからこそ…止まれないんだ。自分で決めたことだから。自分の信じたことを…最後まで。
こんなところで…そうだよ。止まれない。たとえ…」
「たとえ、お兄ちゃんが相手でも…」
そう言い放つ少女の顔貌は、誰よりも闇を孕んでおり、仮面の様に無表情だ。
その眼は全く光を灯してはいない。ネオを映しているようで、何も捉えてはいないようであった。
「君は…一体」
「ありがとう。おじさん。なんかちょっとだけ…マシになったよ」
先ほどまでの緊張を全て弛緩させる微笑みを湛えてそう言い残し、少女は医務室を後にした。
残るは金髪の男性のみ。彼女が場を掌握し切っていた。問答すべてが、彼女に全て操られていたような、そんな錯覚を覚えてしまった。そして、正直に言って全て手のひらで転がされたようだ。
少女の言を思い返す。一体、彼女は何を大事に生きてきたのか。そして、何を覚悟したのか…
そして、俺は一体、これから何を大事にして生きていくべきなのか…
「……俺は」
ネオは険しい表情を浮かべていた。しかし、それは辛さからのものではない。
どちらかと言えば、漸く自分の人生に向き合い始めた若者の様な困り顔である。
☆
デュランダルはプラント首都、アプリリウス市から全世界に向けての会見を開いた。
『私は、プラント最高評議会議長・ギルバート・デュランダルです…』
あらゆるメディアを通じて、彼は会見を開き、直接自身の言葉を。
『未だ戦火の収まらぬ訳。再び、戦争状態に陥ってしまった本当の理由を本日お話いたします。
各国の政策に基づく情報の有無により、未だご存じはない方も多いでしょう。…この酷い惨劇をご覧ください…』
そこに映るのは、件の『デストロイ』による蹂躙。ベルリンを始めとした、各都市の被害状況や、いつ撮影したのかも定かではない、実際にかの機体が暴れている映像も、まざまざと映し出されている。
『これは過日、ユーラシア西部の都市へ、連合の新型巨大兵器が侵攻した様子です。
この巨大破壊兵器は勧告もなく突如として攻撃を開始し、逃げる間もないまま三都市を焼き払い、尚も侵攻を続けました。我々プラントは、すぐさまこれの阻止に尽力しましたが、誠に残念ながら、多くの尊い犠牲を出す結果となってしまいました』
『侵攻したのは地球軍。攻撃されたのも、地球の都市です。なぜこのようなことになったのか。連合の掲げる目的は、ザフト支配下にある地域の解放ということですが…これが解放なのでしょうか。
…こうして、無辜の民を都市ごと焼き払うことが!』
『確かに我々の軍は、連合のやり方に異を唱え、ユーラシアからの分離・独立を果たそうとする人びとを、人道的な立場から支援してきました。こんな、得る物のない戦いだけの日々に終わりをつげ、平和な生活を取り戻したいと。戦場にはいかず、ただ愛する者たちと共にありたいと。そう願う人々を我々は支援しました』
市民の怨嗟、嘆き、慟哭が。わざとらしく映像に映し出されている。
映る全員が、敵は連合であると、プラントは正義の味方であると言い張っている。
わざとらしいプロパガンダであることには間違いない。しかし、この場合は事情が少々異なる。
なぜなら、本当に虐殺は行われているからだ。
『にも関わらず、和平を望む我々の手を跳ねのけ、我々と手を取り合い、対話による平和を模索したユーラシア西部の人々を、連合軍は全て焼き払ったのです…子供まで…!!』
『デストロイ』が破壊される映像が流れる。しかし、当然のことながらそのビデオには、『フリーダム』も『ストライク』も映ってはいない。うまく編集をして、さも『インパルス』が単騎で撃墜したかの如く演出をしている。
『なぜこんなことをするのです!!平和など許さぬと、戦わねばならないと!なぜ我々は、手を取り合って生きてはいけないのでしょうか!』
そして…デュランダルの隣には美しい桃色の髪をした女性が立つ。
舞台袖から歩いて出てきた彼の『ラクス・クライン』が、言葉をつなぎ始めた。
『此度の戦争は…確かに私共コーディネイターの、ごく一部の者が起こした悲しい惨劇から始まりました。それを止め得なかったこと、それにより起きてしまった、数多の悲劇を私共は決して忘れてはおりません。被災した方々の哀しみは深く、それが新たな戦いの引き金となってしまったことも、仕方のないことであったのかもしれません。ですが、このままではいけません。果てしなく続く憎しみの連鎖の苦しさを、私たちはもう充分に知ったはずではありませんか。』
『どうか眼を覆う涙を拭ったら、前を見てください。そして、相手の言葉を聞いてください。そうして私たちは安らぎと光の溢れる世界へ帰ろうではありませんか!
…それが私たちすべての人の、真なる願いであるはずです』
ラクスの言葉に、多くの人が感動を得ているだろう。それほどまでに、彼女の言葉には真に迫ったものがあり、人々を包み込む優しさと温かさがあった。
『…なのに、どうあってもそれを邪魔せんとする者がいるのです。それも、古の昔から…
自分たちの利益のために戦えと、戦えと…!そう囁き、常にわれらに武器を持たせ続け、敵を作らせ、撃てと差し示してきた存在…!このユーラシア西部の惨劇も、彼らが糸を引いているのは明らかです!』
『コーディネイターを排斥せんとするブルーコスモスも、彼らの作り上げたものに他なりません。
常に敵を作り上げ、世界に戦争を齎す…軍需産業複合体。諸悪の根源!』
『死の商人ロゴス。彼らこそ、平和を望む我々の真の敵です!!』
『私が心から願うのは、戦争が二度と起きない平和な世界です。従って、それを阻害する者。世界の敵、ロゴスこそを滅ぼすために戦うと、皆さんに宣言致します!!』
人民の歓声が響く。人々は、デュランダルの名を大きな声援とともに復唱する。
あらゆる民は、人種や生まれを超えて、正義の指導者に集結しようとしている。
そして彼らは盲目的に、全ての恐怖や混乱を、ロゴスのせいにするだろう。
短絡的な思考は、楽な思考である。水は低きに流れるように。人は、楽をしたがる。
無辜の民は、彼の演説に心酔していくことになる。
ロゴスの詳しい実体を知らない多くの民間人達は冷静に思考できないままデュランダルの発言を鵜呑みにする。「反ロゴス思想」に傾倒していく。
それは…この青年も例外ではない。
シンはデュランダルの演説を拝聴し、思わず震えてしまう。
シンは知ってしまった。この救いようのない世界を生み出している最悪の敵を。
そして、盲信してしまう。それを討てば…世界を救うことができるかもしれないと。
創られた絶対悪を滅ぼすことを、彼は独り静かに決意した。
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