『俺はクローンなんだ』
シンは独り、自室で膝を抱えて座っている。
友人は、平生と一切変わらぬ声色でそう告げた。まるでいきつけの喫茶店で、いつも頼むモーニングセットを頼む時のような気軽さであった。
俺はあまりにも突拍子もない内容に面食らってしまい、上手な切り返しができなかった。ただ呆然となり、返すべき言葉を忘失してしまった。しかし、そんな俺の反応などいざ知らずと言ったように、彼は軽やかに言葉を紡ぎ続けていた。
『クローン人間。文字通り人間の遺伝子をコピーして造られた模造品。それ故かな…生まれつき、テロメアが短いんだ。だから俺の寿命は…残り幾らかはわからない』
それはきっととても大切で、重要な事実であったろうに。自分の命としての根幹。生命としての根源。
それを彼は俺に言い聞かせた。
レイは静かなやつだけど、意外と喋るやつでもあるし。冷徹そうに見えるけれど、面倒見のいいやつだし。小さいことを気にしないようで…なんやかんや気にしいなやつだ。
それに引き換え俺というやつは。勉強もできない。他人に優しくもできない。思慮深くもない。
いつも余裕がなくて、焦っていて、イライラしていて、当たり散らしている。そんなことは…百も承知だ。自分がガキで、浅慮なのは知っている。それでも直情的になってしまうのは、俺が未熟なだけなのか。それとも、生来の気質のせいなのか。
そんな俺に、彼は自身の全てを開示した。呪われた出自を。…なぜ俺なのだろうか。俺は彼に何と言えばいいのだろうか。何をしてあげられるのだろうか。
『以前…訊いたことがあったな。醜い争いを続ける人間は…果たして幸せになる権利があるのかと。シン、お前はどのように答えたか覚えているか?』
いつのことだったろう。そんなこと、言われただろうか。そんなことは関係あるのだろうか。その時はよくわからなかった。ただ、彼に悲痛な様子はなかったことが、酷く印象的であった。
レイの相貌は優しく暖かった。声色は柔らかく、ゆとりがあった。だから、多分。大切なことだったのだろうと、今になって思った。
暫くじっと、部屋の壁を見つめていた。ふと、自室に備えられた鏡が見えた。
最近、自分の顔をしっかりと見れていなかった。ひどい顔つきだった。何がひどいかと言わせれば、まずは隈がひどい。最近はあまり眠れていなかったためだろう。血色はなく、唇はカサカサで、口は乾き切っていた。
戦った戦い続けた。戦って、戦って、戦って。そしていつか、平和が訪れることを信じていた。いや、今でも信じている。
でも、そんなふうには全く見えない顔つきの人間がただ一人、そこには座っている。
疲れて、疲弊して、やつれ果てて。そんなちっぽけな存在が、鏡越しに俺を見ていた。何もしていない俺を、糾弾しているようだった。
だから、そんな誰かを否定したくて。そんな弱い誰かに気づきたくなくて、膝の間に顔をうずめた。
耳は膝で塞がれたので、周囲の雑音は聞こえなくなった。視界は暗くなったので、俺を見ている人は誰もいなくなった。ちょっとだけ、自分の体温で温かみを感じた。
こうして、小さく丸まっていたら、少しだけ安心できた。
「…………マユ」
そして、彼と俺。どちらが人間らしいのか。そんな考えは…頭を掠めた気がしたけれど…すぐに霧散してしまった。
ここは静かで……酷く落ち着かない。
☆
L4宙域に死んだような静寂に包まれて浮かぶ研究用コロニー『メンデル』。C.E.68年に生じたバイオハザードの折、当コロニーは放棄された。加えてガンマ線の大量勝者により消毒されて以降、メンデルは完全な無人の廃墟と化している。
C.E.71年7月12日。本コロニーの内外にて、何者かが大規模な戦闘を行ったせいで、その余波により、僅かに残っていた施設は完全に沈黙した。
しかし…前述の経緯によって、超緊急で当施設は放棄された。そのため、電子データの消去は間に合ったものの、紙や現像された写真などの物理的な資料や情報については…未だに手つかずで残っているものある。
褐色に赤髪の青年は、懐中電灯の灯りのみを頼りにメンデルを探索する。棚に無造作に置かれた、埃が被った本をぱらぱらとめくっては、時折回収を繰り返している。
「…これは?」
置かれていた書籍の検索も一通り終わってしまい、一段落していた時。棚と壁の間に挟まり、放置されていたグレーの装丁のノートを見つける。そのノートは長い年月この場に放置されてきた暗く、静かな歴史が感じられる。表紙には持ち主の名前らしきものが記されているが、それが誰のものであった擦れきってしまい読むことができない。ページも所々千切れ、擦れて読むことは出来ないのだが…一つ知らない単語が彼の意識を引き付けた。それが何を意味しているのかは、そのノートからは終ぞ読み取ることができなかった。
ファクトリー内にて部下の運んできた資料を並べながらバルトフェルドは首をかしげる。このワードが意味するところは、彼には全く理解ができない。
「デュランダルの掲げるデスティニープランは一見すると世のために有益に思える…しかし、我々は忘れてはならない。人は世界の為に生きるのではない。人が生きる場所それが世界であるということを…」
「デスティニープラン…デュランダル議長は一体何をしようとしているのかねぇ…?」
目線の先には数多の資料が。どれもこれもが当時の遺伝子工学の最先端の研究と事業のことばかり。軍人でも、書類仕事の多い隊長を務めていた彼でさえ、思わず頭が痛くなるほどの文字量だ。それを一切休むことなく読み進めていくのはラクス・クラインその人。幼少期からの英才教育と、本人の資質の高さから、これくらいの書類仕事など片手間で彼女はこなす。
「デュランダル議長は…地球とプラントを纏めた新たな世界秩序を創ろうとしているのではないでしょうか。だとすれば…」
「だとすれば?」
腕を組み、凝った首をゴキゴキ鳴らしながら一休み入れているバルトフェルドに対して、彼女は一心不乱にデータの読み込みを進めながら会話を続ける。
「今の争乱も、そのための土台作りに過ぎないのかもしれません」
ユニウスセブン落下事件。ラクス・クラインの暗殺と偽物の擁立。ロゴスという存在の開示と反ロゴス運動の扇動。ザフト・対ロゴス連合同盟軍の設立。
そのすべてが…彼の目的に繋がっている可能性がある。
「……そりゃあ、陰謀論ってやつが過ぎるんじゃないかね」
「私もそう思います。そうであってほしいと…」
☆
「マユ!アスラン!無事だったんだな!!」
カガリがマユに抱き着いて、笑いながら涙を流している。
オーブに着いた二人既に清潔な服に着替えてリフレッシュが出来ているようだ。彼らはすぐにでもカガリに会いたがっていたようだったが、当のカガリがまずは身だしなみを整えてからにしておけと諫めたためである。
なにせ、マユは現在隻腕隻脚。残った方の腕も肘までしかないという有様で、その上薄着の病院服しかを着用していない女の子。
そんな状態で女の子をエスコートしてきたアスランにまずげんこつを一発かましてから、カガリはすぐにマユに予備の義肢と綺麗な服を用意させた。
マユは帰ってからすぐに、自室に保管してあった予備の義肢を装着してもらった。今まで使っていたものと同じ型だが、こちらは新品同様のため、今までよりも寧ろ見てくれは少し綺麗になったように思えて、少しだけ気分が晴れた。それに、手足が不足なく動くことがどれだけありがたい事か、再確認ができたとプラスに捉えることにした。しかし、四肢が自由に動くと言えども、まだまだ少女の域を出ない彼女は、年長者であるカガリの抱き着きを振りほどくことは出来ない。為すがままに、彼女の抱擁というよりは、捕縛に近い何かを受け入れるのみである。
「く…苦しいよカガリさん!」
「そうだぞカガリ。マユも重たそうにしてるじゃないか」
「重くない!…重いか?」
「……オモクナイヨ」
「マユ…無理するな。重いときは重いと…ぐぅ!」
カガリはアスランの腹に一撃を浴びせる。二人なりのじゃれあいかと思ったが、想像以上にアスランが苦悶の表情を浮かべ、額から冷や汗を垂らしており、それを観測したマユは少しばかり震えてしまった。
(こんなに力が強かったんだ…)
決して彼女には逆らわないことを心の中でひそかに誓う。
「…で。お前等はなんで帰ってきたんだ?」
その事情についてはアスランの方が詳しい。そう思ったマユは、黙って視線でアスランに発言を促した。アスランはこほんと一息ついて、ゆっくりと説明を始める。
「話せば長くなるんだが…」
アスランは語った。マユがデュランダルに捕まっていたことを。それを知ってしまい、思わず逃げ出してしまったこと。それだけではない。オーブを出て、ザフトに復帰してからのこと。今まで何を見て、何を感じたか。
「すまないカガリ。俺は…君を置いていった。焦っていたんだ。…ずっと」
「……私だってお前に言わなきゃならないことがある!」
「…聞かせて欲しい」
「私は…ユウナと結婚しようとした。国を守るために必要だと自分を勝手に追い詰めて…お前を裏切って」
カガリは殆ど泣きながら話している。もう懺悔に近い。泣きそうになりながら、アスランを裏切ったことを詫びた。それを直視しても尚、彼は決して怒ることはなく、ただ誰よりも優しい笑みを浮かべていた。
「…守りたかったんだろ?オーブを…大切な人たちを。…それに俺だってオーブを抜けた」
「お前はその前に一度ちゃんと相談してくれたじゃないか!」
オーブを出る直前。カガリ、キラ、ラクスには一応伝えておいた。特にキラとは、今後の連絡手段についても考えたかったためである。…しかし。
「あれは相談というよりは…宣言に近かった。あの時は…居ても立っても居られなかった。ユニウスセブンが落ちて、それがパトリック・ザラの遺志を継いだ残党によるものだと知って。父が原因で…またしても世界が混乱して…それで」
ユニウスセブンが落下したこと。それが父であるパトリック・ザラの呪いによって起きたこと。それにひどく衝撃を受けたこと。オーブを抜けて、戦場をたくさん見てきたこと。平和とはどういったモノなのか、ずっと考えていたこと。
アスランは遠くの空を見ながら語る。その表情は、誰にもうかがい知れない。亡き父を想っているのか、それとも…
ただ、アスランも顔を落とし、申し訳なさそうに語り続ける。
「カガリは国という重い責任を負って…毎日死に物狂いだった。俺も…何かしたかった。何か、平和の為に頑張る君の役に立ちたかった。何かできると…俺の力なら、何かできるのではないかと。そう思ってしまった。傲慢だな…」
「そんなことはない!お前はよくやっていた!私が…もっとしっかりやれていたら…」
「セイラン家がカガリを利用してオーブ内で地位を確立しようとしていたことは知っていた。まさか…ブルーコスモスとジブリールとまで繋がっていたとまでは想像していなかったが…まんまと罠に嵌められたということだ。俺も…お前も…」
ユウナたちは、カガリを政治的にも人間的にも徹底的に孤立に追いやり、自由な行動を決してさせないことで、彼女から正常な判断力を奪った。そして自分たちの陣営に絡めとり、文字通りお飾りの首相として傀儡に置こうとした計画は、もしかしたらジブリールが首謀者なのかもしれない。
そんな、今となっては詮のない事を思索する。二人は顔も合わせられずに、ずっとうつむいて黙ってしまった。
みんな平和を望んで。みんな自分のできることを精一杯頑張ろうとしているのに。どうして…うまくいかないのだろうか。それが悲しくて、そして何よりもこんなにも優しくて、他人を思いやることが出来る二人が。すれ違ってしまったことが、私はどうしても悲しくて、到底見逃すことが出来なかった。
だから…余計だと分かっていても、口を挟んでしまった。
「…で。結局二人は何が言いたいの?」
伝わってきたからだ。二人が、互いを思いやり過ぎているあまりに、言葉を選び過ぎてしまい、結局何も言えなくなってしまっていることを。
「私…そのユウナって人のことはあんまり詳しくないし。アスランさんのお父さんは…申し訳ないけど誰?って感じだけど。でも…二人のことは知ってる。二人とも、とっても優しくて、とっても大好き。誰かの為に頑張ってる二人が好き」
周りの人とか。誰かとの関係とか。そんな事なんて私は知らない。でも…二人のことはよく知っている。優しくて、健気で、勇気があって。誰よりも誰かを思いやっている二人だ。だから私はそれでいいのかなと思った。
「それに二人はこうしてまた会えた。だからさ、また仲良くしたいな。みんなで一緒に」
生きて再会することが出来た。それこそが最も幸せなことだと素直に思った。
私の纏まりのない話を聞いた二人は、顔を見合わせて苦笑した。呆れてしまったのかもしれないが、何よりも二人の表情がすっきりしたように見えて…彼らの役に立つことが出来た気がして、少しでも恩を返せた気がして。
とても嬉しかった。
「いつの間にか私たちにこんなに言えるくらい立派になって!!」
カガリはまたしても抱き着いてくる。しかし、今度こそその眼がしらには一筋の涙が溜まっている。それに気づかないふりをした。
「旅のお陰かな…?かわいい子には旅をさせよって言うでしょ?」
アスランも笑って、マユの頭を撫でていた。
「男子三日合わざれば刮目して見よ、とも言うな」
その表情は、つきものがとれたように晴れ晴れとしている気がした。
「私…女子だし」
「そうだぞ!こんなにかわいいのに!!お前の眼は節穴か!?」
「いや…例えなんだが…」
三人そろって、久しぶりにたくさん笑った。こんな日がずっと続いてほしいと心の底から願った。
☆
オーブ軍内閣府では、二十四時間灯りが点けられ、誰かが何かしらの任に就いている。
その中でも誰よりも政務を続けるのはカガリ・ユラ・アスハ。若さ故の体力にモノを言わせて、ほとんど休むことなく働き続けている。
「デュランダル議長がウナト・エマ・セイランとユウナ・ロマ・セイランの身柄の引き渡しを要求しているだと?」
「はい。つい先ほどデュランダル議長から正式な文言が送られてきた次第です」
デュランダルから突然の通達が入る。当然、場に居合わせたすべての人間に嫌な緊張感が走った。
『オーブ連邦首長国へと通達する。同国前代表ユウナ・ロマ・セイラン氏と、その宰相ウナト・エマ・セイラン氏。彼らは、世界秩序を乱す組織であるロゴスと密接な関係があったと推察される。現在我々ザフト・連合同盟軍は、ロゴスの一員であるロード・ジブリールの行方を追っている最中であり、彼らからの事情聴取を行うことを強く要求する。従って、両者の速やかな引き渡しを要望する次第である。貴国の賢明な判断を期待する』
「ユウナたちと司法取引を行うわけか…」
ジブリールの行方の手がかりの一つとして、ユウナたちを使うつもりだろう。しかし…
「ジブリールの遁走にユウナ・ロマ達が関与していると嫌疑がかけられているのでしょうか?」
「そうだろうな…しかし、ユウナ・ロマとウナト・エマの身柄は現在オーブ軍で厳格に管理されている。ロード・ジブリールの逃走を幇助することはかなり難しい。恐らくは…」
「オーブの弱みを握りたいのでしょうな」
ユウナがジブリールを手を組み、オーブ政府内での地位向上と勢力拡大に利用していたのは、カガリたちも証拠を抑えた純然たる事実である。しかしそれを他国に把握されることは、現在の世界情勢を鑑みるに少しばかりどころかド派手に痛い。
一時とはいえ代表であったユウナがロゴスと関係していたと世間に知られてしまえば、民衆様から手痛いバッシングを頂戴することはまず間違いないだろう。
「痛い脇腹を探って、我々を旗下に加えようという策なんだろうか…」
「ユウナ・ロマは臨時とはいえ一時はオーブ代表であった男だ。そんな彼がロゴスと関わっている証拠などをデュランダル達に掴まれでもしたら…」
そうなれば。それを交渉材料にデュランダルはオーブを同盟軍の旗下に加えようとしてくるだろう。
「幸か不幸かはこの際評価しかねますが。セイラン家はデュランダルの公開したロゴスメンバーリストには記載されておりませんでした。もしかすれば、彼らは確たる証拠がつかめなかったのかもしれません。しかし…ここでユウナたちをデュランダルに引き渡せば。それ即ち、生きた証拠を渡してしまうことに等しいかと存じます」
宰相の一人がカガリに進言する。しかし…カガリの直感はそれについてはもやもやとした違和感を覚えざるを得なかった。
「確かにその通りかもしれない。しかし…仮定の話だが。証拠をもっていながらあえてリストに入れなかった可能性もあるぞ」
「…交渉材料として残されたと?そうだとすれば…まさにオーブはデュランダルに首根っこをつかまれている状況というわけですか…」
「その可能性は十二分にある。まあどちらにせよ…ユウナたちを引き渡せばジブリールについての情報も得ることができる上に、ロゴスとオーブの癒着の証拠の裏どりもできる。一挙両得だろうし、二人を欲しがるのも理解できるな。
そして次は…それを世間に公開しないことを条件に同盟軍傘下に加わることを要求してくるかもしれない。プラントからの信用を取り戻すべく、誠意を見せよだのなんだの言われて…」
「我々がユウナ・ロマ達から情報を引き出し、それを開示することを妥協点とするのはいかがでしょうか?」
「それもきっと、何かしらの難癖をつけられて突っぱねるに決まっている。ロゴスと関与が疑われる政府の出す情報は信じるに値しないなんて言われてしまったら、私はデュランダル議長に手が出てしまうかもしれないぞ!」
「…大人しく引き渡すのが得策でしょうな。現在の彼らはどんな乱暴な手を使ってくるかわかったものではありませんから」
オーブを再び戦場とするわけにはいかない。ユウナたちを引き渡す事で、それを一時的にとはいえ回避できるのだ。時間稼ぎに過ぎないとはいえ、その間にもできることは山ほどある。そもそも、今のオーブ政府はまだ再生の途中に過ぎない。まだ完全に機能が回復し切っていない今、ザフト・対ロゴス連合同盟軍と事を構えることだけは、避けなばならなかった。
議論は十分に終えた。遂に、カガリに決断の時が迫る。カガリは神妙な面持ちで、言葉を紡いだ。
「ユウナたちは罪を犯した。しかし…その罪はオーブの法で裁かれるべき罪だ…」
「それはごもっともです。しかしカガリ様…」
「最後まで聞いてくれ。しかし…彼らを庇って万が一にでもオーブを戦場にするわけにはいかない。彼らも下級とはいえ氏族の末端だ。国のために生き、国のために死ぬ。それが…我々の使命だ」
「…では」
「ああ。デュランダル議長にお伝えしろ。二人の引き渡しに応じるとな。ただし…無事に取引が成立すれば、今後貴方たちがオーブへ立ち入ることは決して許さないともな」
☆
ジブラルタル基地のほぼ中央にあるデュランダルの執務室内は、頻繁に高官が往ったり来たりを繰り返しており、彼らの仕事量の膨大さがそれだけで伝わってくる。
「ジブリールの潜伏先は特定されました。捕縛したロゴスメンバーの尋問にあたっているチームの情報から、月基地の可能性が高いと推察されます」
「後は情報の裏どりが必要だからね。きっと、彼らはロード・ジブリールの潜伏先をよく知っているだろう。今こそ、世界の平和の為にオーブにも力を借りようじゃないか」
デュランダルはロゴスメンバーの複数人が、この状況で口裏を合わせる可能性が限りなく低いことなど、重々に承知している。そのうえでこの機会をしっかりと利用することにしただけなのだ。
返書を心なしか楽しそうに待っているのは、プラント最高評議会議長であるデュランダル。彼はたまった仕事を素早く、そして正確に片付けていく。
「議長。ユウナ・ロマ・セイランらの件ですが…オーブから連絡が返ってきました。二日後以降ならばこちらの都合に合わせていつでも引き渡しに応じるとのことです」
その返事はデュランダルにとっては少しばかり意外であった。オーブは引き渡しは受け入れない可能性のほうが高いとデュランダルは思っていたからである。
「迅速だな…ありがたいことだ。では…二…いや、三日後の正午はどうだろうか」
「二日後でなくてもよろしいのでしょうか?」
「三日で構わないよ。こちらにもいろいろと準備があるからね」
ジブリールの居場所の裏どりができる上に、オーブ代表であった人間からオーブについて知ることが出来る機会を得たため、それで良しとする。全てのことは想定通りに進んでいる。
「
☆
プラントの要望に応じると返答してから、早二日が経過した。オーブ政府は、突如として舞い降りたプラントからの面倒ごとに対処しつつも、政府機能を回復させるのに忙しい。高官の少なくはない人数を捕縛した折、彼らの抜けた仕事の穴は速やかに埋めなければならない。特に、ユウナ・ロマは軍事作戦において自ら指揮を執ることに執心していたようであり、指揮系統がめちゃくちゃになっている箇所がちらほらと見受けられた。彼がいびつに作り替えた箇所を現場軍人と相談を重ねつつ、綿密に調整していく必要がある。今はまだ世界で戦乱がひどい状況だ。一刻も早く指揮系統をしっかりと調整せねばならなかった。
「ここは第3班が賄えるはずです。海岸部の地上部隊は再編成が必要かと…」
「そうか…そちらは任せてもよいだろうか?」
カガリとアマギは現場指揮を託されている軍人と現在の人員リストをにらめっこしながらすり合わせを続ける。そんな最中、またしても彼らを驚愕させるニュースが飛び込んでくる。
「カガリ様!ファクトリーから緊急打電が!ザフト軍と思しきシャトルとモビルスーツに攻撃されている模様!!…最悪の場合は、基地を放棄し例の二機を宇宙から投下するとのことです!!」
「一体どうして、こんなことが同時に起きるんだ…?」
カガリは頭を抱えて唸る。しかし、弱音を吐いていても、何か事態が好転するわけではない。ふう、と一息で気分を落ち着けて、直ぐに状況の把握に努めた。
それに対して、マユという少女は。今日も今日とて忙しなく働く彼らに…何か手伝えることはないかと思ったことと、カガリとアスランがその場にいたたため、なんとなくお茶くみ係として居座っていた。
そんな茶係の彼女も、事態の深刻さくらいは理解できる。いくらキラが強いと言えど、それはモビルスーツに乗っていればの話だ。生身の彼が弱いとは決して言わないが、武装した兵隊にかなう道理などはない。
「キラの乗って行った小型シャトルは…武装は搭載していない。どうすれば…このままでは!」
こんなことが…同時に生じる。本当に偶然であるのかどうか。誰かが企んだことなのか。
もう少し時間をかけて、ちゃんとしたシャトルで彼を運ぶべきだったと後悔をする。しかしそんな後悔は何の役にも立たない。そんなことに今は時間を割いている暇はなかった。とにかく事態への対応だ。
完璧に対処しなければ…すべてを喪ってしまいかねない。大切な人も。大切な国も。何もかも。
カガリは額に脂汗を浮かべながら…必死に考える。逆転の一手は残っているのか否か。
「…私に考えがあるよ」
誰も発言ができなかった中で、ただのお茶くみ係であった少女が手を上げて場を制する。その場のほとんどの人間はそれに驚くのみであり、次に紡がれる言葉を待つのみであったが…唯一鋭敏に反応したのは…藍髪の青年。
待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべる少女。どうやら二人とも、考えは一致しているようで。
「奇遇だな、俺も同じことを考えていた。…カガリ、『アレ』を出すぞ!」
マユとアスランは、二人顔を見合わせてニヤリと笑う。その不敵な表情は、この場には似つかわしくはなかった。
☆
「ファクトリーの居場所が特定されましたか…」
ラクス・クラインが近くの宙域に備え付けれられたカメラの映像を見て呟く。モニターには暗い色調の『ジン』がサッと数えても十数体はうろついている。この巡回に気づかれず、この場を去ることは不可能であろうことを否応にも予感させられ、眉間にしわが寄ってしまう。
「偵察型の『ジン』…!コイツがつけられたようだな…」
「痛い!痛いです隊長!!」
バルトフェルドが部下であるダコスタの頭にげんこつを加える。彼らなりの戯れなのは重々承知しているので、ラクスも強くは言わない。しかし、軍人同士のじゃれ合いというものは加減が馬鹿みたいに強く、正直に言って心配になってしまう。
「…いえ。ダコスタさんの責任ではありません。恐らくはメンデルに網を張られていたのでしょう。私がうかつでした…」
メンデルにデュランダルについての諜報活動を頼んだのは、他の誰でもないラクス自身。彼の素性と研究テーマについての情報を仕入れたのは僥倖であったが、それの代償は決して安くはなさそうだ。
「しかし…タイミングとしては最悪だな。オーブが攻め込まれていて、ろくな支援も期待できない上に…ファクトリーの機体もまだ最終調整は終わっていない。攻め込まれれば守り切れないぞ!」
「三時の方角より戦艦…数は8!ザフト軍宇宙戦艦ナスカ級です!このままでは…間違いなく完全に包囲されます!」
巡回班からの報告。それは悲鳴混じりな様相である。間違いなく、このままじっと座しているだけでは死ぬ。そんなことは、誰にでも理解できていた。しかし、反撃の命令をする権利があるのは…この中では唯一、彼女のみ。全員が、彼女の声を静かに待つ。うら若くも、この一派のリーダーを担っている少女は、一切のうろたえも動揺も見せることはなく、ただ淡々とゆっくりと全員に命令を下した。
「エターナルの緊急発進の準備を。攻め込まれる前に出立し、少しでも有利な状況を狙います」
その声に唯一論じる権利があるのは、やはりこの男。エターナルの艦長を託されている、隻眼隻腕の軍人のみ。
「しかし…今のエターナルにはナスカ級一隻とだってやりあう戦力はないぞ!どう考えたって勝ち目は…」
「勝ちたいのではありません。守りたいのです。我々が出れば、ザフトは我々を追ってきます。その間に、ファクトリーの逃げる時間を稼ぐことができます」
「…」
事実上、当艦は殿となることを宣言されたに等しい。端的に言ってしまえば囮である。それも、あの数の戦艦を相手取って。殆ど、死刑宣告のようなものだ。
それを聞いても、艦員の誰も一切動揺を見せないのは、彼らの忠義心故か、彼女のカリスマ故なのか。
「いざとなれば降下軌道に逃げて、あの機体と資料はポットに入れてオーブへと投下します。だから…せめてエターナルは投下可能なポイントまで逃げ切ってください」
「…了解!エターナル緊急出発の用意!ターミナルには俺が話す!回線を回せ!!」
とりあえずの目標は決まった。それさえ決まれば、充分だと言わんばかりにバルトフェルドは大声で指示を回し始める。何かに集中している間は、漠然とした恐怖から逃れることが出来る。それを理解している彼は、艦員の心の内に秘められた不安や恐れを断ち切るために、あえて声を張り上げて、慌ただしく艦内全員に緊急発進の準備を始めさせた。
「しかし…キラはいつになったら来るのかねえ!!」
「……キラにはここから離れるように伝えて下さい。彼まで巻き添えになるのが…最悪な結末ですから」
ラクス・クラインは静かに目を閉じる。彼の顔を思い出し、少しだけ口角が上がってしまう。彼への思いを胸に秘め、ゆっくりと目を開き、現実と対面する。
『パワーフロー正常』『FCSオンライン。推力正常に作動。発進臨界』『エターナル発進後、ファクトリーはサイレントモードへ移行する』『エターナル…発進シークエンス稼働』『システムオールグリーン』
「偽装解除!」
バルトフェルドの一声で、エターナルの装甲に取り付けられていた岩の塊が崩れ落ちていく。それは、一つの宇宙艦。小惑星の表面に擬態した、特殊装甲がぼろぼろと剥がれ落ち、赤色の戦艦が全速力を以て飛び出す。
「エターナル、発進します!」
☆
オーブ軍隊機密貨物船。人一人運ぶには大きすぎるが、戦闘をするには心もとなさすぎるサイズのシャトル。その中で、キラはカガリから二つのピンチの情報を得る。
「エターナルが発進した!?それじゃあラクスは…!!」
『…落ち着けキラ。バルトフェルド隊長も出撃することになる。気持ちはわかるが…焦っていても仕方がないだろう』
「…でもこの船には…僕には。戦う力はない。せっかくここまで来たのに…」
もうファクトリーは目と鼻の先であった。隠密行動に気を遣い過ぎた余り、到着が数日遅れてしまったのが致命傷になってしまうとは全く予想していなかったわけだが…
キラは頭を回転させるが…キラの持つ手札では打開策はない。
「これで大丈夫とは言わない。しかし、…こちらから援軍を向かわせることになった。お前との合流は…このポイントだ。重力圏で、ランデブーはシビアなタイミングになるだろうが…お前ならできると信じている」
「なんとか調整して見せる!」
キラは早速キーボードを取り出し、大急ぎで計算を始める。独り言をぶつぶつと言いながらキーボードを叩くその様に、少しあっけにとられる。
『後は気合と根性だよね。キラさん』
「マユ!?もうオーブへ!?…まさか!」
『そのまさかだよ。頼りになる援軍だから!』
オーブによってキラに示された宙海図。キラの乗る小型シャトルとエターナルの中間地点を横断する様に、厳密な起動計算によって演算された予測放物線が通り抜けている。
それはオーブから何かが打ち上げられる証拠だ。その放物線の先端。まだオーブ国内に位置するそのシンボルには、吹き出しがひとつ。よく知る単語が記載してあった。
『STRIKE』
☆
オーブ軍マスドライバー発着場。緊急発進を義務付けられた技術班は、大急ぎでモビルスーツの出発準備を始める。
そこには…自身の体躯の数倍の大きさの巨大なロケットを背負った『ストライクルージュ』の姿があった。
マードックは大急ぎで、『ストライク』の最終調整を技術班に大声で命じ続けている。
「しっかし!アスハ代表の勘は当たるねえ!!」
「嫌な方はよく当たると彼女も嘆いてました!」
コックピットに乗り込む。初めて乗る機体だが、勝手知ったるコックピットの構造と同じで、少し安心する。多分問題はないだろう。キーボードを取り出し、オペレーション・システムを調整していく。微細なところは、自分で調整しなければ把握できないところがある。作業をこなしつつ、コックピットのモニター越しに、マードックとの通信を続ける。
「そうかい!で、こいつの装甲設定は?」
「…全て『ストライクブレヴィス』と同じで大丈夫です!こちらの準備は…いつでも出来てます!」
機体のすべての準備を整えた。オペレーション・システムは勝手知ったるかつてのモノにできるだけ寄せたし、同じフレームの機体は何度も乗っている。
「予測ポイントまで約十分で到着するやべえロケットだ!とにかく重力加速度がかかる!気合で耐えてくれよ!…よっしゃ!!行くぞ!!!」
マードックの掛け声と共にレバーを一息で前に押し出す。同時に、少しでも風圧を防ぐため『ストライク』のフェイズシフトがフル稼働する。背部に背負った大型ロケットの全てが、同時に点火する。増すドライバーが急激に加速し、一瞬で格納庫を飛び出す。とてつもない加速度が身体全身へとかかり、機体速度は宗俊で音速へと至る。マスドライバーに沿って、上向きのベクトルを持つ。機体には下向きのとてつもない重力加速度がかかった。轟音だけが耳に当たり、衝撃だけが、身体を支配する。晴れ渡る青空を真っ二つにするように、細長い雲が尾を引く。
「いけえぇぇええええ!」
身体が押しつぶされそうなほどの加速度を気合と根性で突破して『ストライク』は飛翔した。ぐんぐんと空へ上がる。スピードは音も置き去りにした。モルゲンレーテからはその機体はもう肉眼では捉えられなくなる。
最早飛んでいるのか、落ちているのか。全く分からなくなるほどの衝撃の中で、それでも必死に目を開き続ける。
目指すは蒼穹の向こう側。遥か遠い宇宙へと、一直線に突き進んでいく。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
仕事の関係で投稿が不定期になり申し訳ありません。
それでも読んでいただける方には感謝してもしきれません。
皆さまからいただく感想や評価、イラストなどが本当に筆者のモチベーションにつながっております。
感想は全て読ませていただいておりますが、全てにご返信できず申し訳ございません。
また感想や評価を気軽に書いていただけると嬉しいです。
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