「……あ、れ?」
目を開ける。
視界に光が満ちて、俺は周りを見た。
街灯の光が俺を照らしていて、その周りを虫が飛んでいる。
周りには人影は無く、ただ俺だけがベンチに座っていた。
月は雲に隠れて、静かに風が吹いていた。
カラカラと丸めた紙クズが転がっていく。
虫の鳴き声が聞こえるだけで、今は夜で……?
端末をポケットから出して、俺は時間と場所を確かめる。
時刻は既に深夜の二時であり、場所は……輸送機の発着場から近いな。
端末を仕舞いながら立ち上がり――っ!
足がふらつく。
動悸がして、口を片手で覆った。
何だ、これは……この感覚は……。
俺の体が何かを欲していた。
喉がカラカラに乾いた時の感覚に似ている。
強い飢餓感で、俺はアレを――適応剤を欲していた。
今まで、こんな感覚を味わった事は無い。
何故か。もしかして、摂取すべき時期を見誤っていたのか。
いや、そうだとしても何故、こんなにも体が欲しているんだ。
これではまるで、薬物中毒者と同じで――っ。
「……行か、なきゃ……すぐ、に……」
ふらふらと足を動かしながら俺は輸送機を目指す。
心臓がドクドクと激しく高鳴っていて。
全身の血が沸騰したように熱い。
だらだらと汗が流れていき、呼吸が大きく乱れていく。
体が疲れを表しているのに。
足が勝手に動いていく。
何も考えられない。
アレを、適応剤を早く打たなければ――とても危険だ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――ぅ」
無数にある輸送機たちを超えて。
奥の方に停まっていた俺たちの輸送機を見つける。
足元がふらつく中で、何とかそこへと歩いていき手を伸ばす。
輸送機へとたどり着いた。
そうして、扉の前に立ち手をパネルに翳す。
俺の指紋をスキャンしてロックが解除されて扉が開かれた。
俺は急いで扉の中へと入り、扉が完全に閉められるのも確認せずに仮眠室を目指す。
胸が痛い。
心臓が口から飛び出しそうなほどに鼓動している。
さきほどまで熱かったのに、今はとても寒い。
ガチガチと歯を鳴らしながら、俺は仮眠室を目指す。
機体の横を通り過ぎて行けば声が聞こえて来た。
後ろから誰かが声を掛けて来たが無視する。
どうでもいい、関係ない――うるさい。
「どうしたんですかぁ? ナナシ――ひぃ!」
「……何でも、ない」
肩を叩いて俺の顔を覗き込んできたベック。
俺は奴に視線を向けながら言葉を発した。
邪魔だ。どけ。言葉に自然と怒りが加わって、ベックが腰を抜かす。
俺はそれを無視して仮眠室を目指して歩く。
後ろで煩わしい声が聞こえる……黙れ。
昇降機の前に立ち、ボタンを叩くように押す。
そうして、扉が開いた瞬間に転がる様に中に入る。
何とか立ち上がりながら、ボタンを押して壁に手をついた。
苦しい、苦しい、寒い、痛い、痛い――吐きそうだ。
胃の中のもの全てをぶちまけそうで。
体が、心が、アレを打てばこの症状が治まると告げている。
早く、早く、早く早く早く早く早く早く早く――早くッ!!
声が聞こえる。
耳元にこびりつくように、若い男女の笑い声が……っ!
『つらいのー? かわいそぉ……おもしろい!』
「うる、さい」
『早く早く! 死んじゃうよぉ? ま、誰も悲しまないけどね! きゃははは!』
「だま、れッ!」
『死ぬの? 死ぬの? 死んじゃうの? ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇ』
「消えろッ!!!」
壁に頭を打ち付けた。
何度も何度も打ち付ける。
パチパチと視界が弾けて。
それでも不快な音は消えず。ずっとずっと響いていた。
扉がゆっくりと開かれる。
全身から汗を流しながら、俺は体を一気に動かした。
その隙間に体を差し込んで強引に外へ出る。
つまずいてこけて、無理やりに体を起こして歩いていく。
廊下の壁に体をぶつけながら、何とか足を動かして行った。
そうして、早歩きで仮眠室を目指していく。
視界が歪んで見える。
全てが歪で、耳元には人の声もする。
嫌な声が響いていて、俺の心をズキズキと傷つける。
罵声や怒声、不快な羽虫の音に体をミミズが這うような感覚。
ぬめぬめとしていて粘体の体がずりずりと皮膚の上を……っ!
全身に爪を立てながら、ガリガリと掻くが一向に収まらない。
虫がいる。なのに掻いても掻いても潰れない。
これは何だ、この感覚は……あ、あぁぁぁぁあああぁぁぁ!!
「来るな、来るな、来るな来るな来るな来るな」
ぶつぶつと独り事を零す。
これは幻覚で幻聴で、何もいないんだ。
だけど、それでも――この痛みだけは本物だ。
視界が歪み地面が波打つ中で。
黒い影が視界の端で蠢いて、腕に注射器を打っているように見えた。
不快な音たちが耳元で――適応剤を打てと叫ぶ。
『早くッ! 早くッ! 打ってッ!! 打てッ!! 打て打て打て打てッ!!!』
「――ぅ!」
強い吐き気に襲われて口元を抑える。
そうして視線を上げれば、仮眠室の文字を発見し駆け寄る。
扉のパネルに勢いよく手をついた。
そうして、自動だと分かっているのに強引に開けようとした。
早く、早く、早く――楽に。
視線を向ければ俺のナップサックが机の上に置いてある。
俺は飛び掛かるようにそれを掴んで中身をバラまく。
大切な本が床に転がるも、それを一瞥してから必死になって薬を探し――あった。
薬液が入ったそれ。
俺は笑みを作りながら、それを注入しようとした。
腕を捲り、それをひたりと当ててボタンを――
『――』
「うぅ!!」
声が聞こえた。
何と言っているのかも分からない声で。
罵声や怒声が響く中でもハッキリと聞こえた。
その声を認識した瞬間に、薬を掴んでいた手が勝手に動く。
俺の腕から強引にそれを除けてから、手を振るわせてそれを壁に叩きつける。
ガラスの割れる音と主に中身がぶちまけられた……あぁ、そんな。
俺は両手で頭を抑える。
全身に虫が這うような不快な感覚が更に強まり。
頭の中に直接響くような嫌な音たちがより鮮明に聞こえて来た。
罵られる、怒られる。
嘲られ、馬鹿にされ。
その中に仲間の、家族の声も聞こえてきて、俺は――
「はぁ!! はぁ!! はぁ!! はぁ!! はぁ!!!」
やめろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろやめやめやめやめ――ああああぁぁぁ!!!
心の声が勝手に口から出る。
この苦しみを終わらせる方法は――これしかない。
俺は自分の服を捲る。
そうして、ホルスターに入った拳銃を取り出した。
俺はそれを自分のこめかみに押し当てて引き金に指を掛けて――
「ダメだッ!!! ナナシッ!!!」
「ヴァ、ン……?」
視線を向ければ、ヴァンが必死になって手を伸ばしていた。
その手には花束を持っていて、彼はそれを放り投げて俺に手を伸ばす。
歪んだ視界の中でも、奴の必死にな顔がハッキリと見えて俺は笑みを――――…………
〇〇
ナナシが帰ってこない。
でも、何も連絡が無かった訳じゃない。
少しバーで飲んでくるとメッセージが入っていた……それにしても遅い。
もうとっくに飯は済ませてしまった。
折角、ミッシェルたちがすげぇジオラマを作ってくれたのに……仕事熱心な奴だよ。
「……さて、これどうすっかなぁ」
俺の手には花束がある。
イザベラと見回りをしている時に、迷子の子供を見つけて。
その子から聞いた情報を頼りに親を探しに行けば。
その子の爺ちゃんが経営している花屋に行きついて。
お礼にとこんなに綺麗な花束を貰ってしまった。
何でも、綺麗な彼女さんの怪我が早く治りますようにって……ちょっと面白かったな。
その場では何も言わなかったイザベラだが。
俺がこの花いるのかと聞けば、花を愛でるような女に見えるのかと逆に聞かれてしまった。
まぁそうだろう。アイツが花を貰って喜ぶ姿何て想像できない。
他の奴に渡そうかと思ったが、女連中に渡せば要らぬ誤解を生みかねない。
ミッシェルは論外で、ベックやライオットは……いや、男が男に花って……絶対にやべぇだろ。
となると、消去法でナナシしかいない……いや、アイツも男だけどな。
こうアイツは男でも、俺にとっては特別な存在で。
何せ俺とアイツは相棒であり、切っても切り離せない関係で……気色悪いな。
自分で言っていて誤解を招く表現だと思ったが。
しかし、仲間たちの中で純粋に花を貰って喜んでくれて誤解も少なそうなのはナナシしかいない。
それに前々から気になっていたんだが……ナナシの誕生日って何時なんだ?
アイツは自分の過去の記憶がない。
まぁあったのなら、今ごろ俺と仲良く冒険何て出来はしないけど……いや、違う違う。
また気持ちが沈みそうになってしまった。
それを何とか堪えながら、俺は分からないのであれば勝手に決めてしまおうとした。
ナナシの誕生日は今日だ。もう深夜の二時過ぎだが、表現としては間違っていないだろう。
この花束を渡して、明日、皆でナナシの二十一歳を祝ってやろう。
そうだ、それがいい……何だ?
格納部の方から連絡が来た。
よく見れば、誰かが扉を開けて入って来た形跡もある……ナナシかな?
「……はいはい、どうしたぁ? 吞兵衛の御帰還か?」
俺はマイクをつけて笑みを浮かべながら質問する。
すると。、双子の片割れの声が聞こえて――
《アイツの様子が変だった。とても危ない。注意して》
「……あぁ? アイツってナナシか?」
《そう。いいから早く行って。仮眠室に行ったと思う……何かマズい事になる気がする》
「……分かった。念の為、そこで待機していてくれ」
俺はマイクを切る。
そうして、花束を持って立ち上がる……様子が変って何だ?
飲み過ぎて顔色が悪いと言いたいのか。
それとも不機嫌そうな顔でもしていたのか。
双子の声は何時もよりも真剣そうだったが……大丈夫だよな。
ナナシに限って、誰かを襲うような事は無い。
だからこそ、拳銃を持っていく必要はない。
大丈夫だ。ちょっと飲み過ぎて嫌な事があったんだろう。
花束を渡して水でも持って行ってやれば、きっと何時もの調子に戻る筈だ。
俺はそう考えて、扉を開けて……?
「……!」
今、奥の仮眠室の開くのが見えた。
あそこはナナシが使っていた部屋で……っ!
音が聞こえた。
ガラスの割れる音であり、俺はハッとして急いで向かう。
何かあったのか、つまずいてこけたのか。
叫び声も聞こえて来た。何だ、何が。
俺はナナシの名前を呼びながら、扉を開けて――ッ!!
ナナシは血走った目で銃を持っていた。
その銃口は己の頭に向けられていて。
俺は咄嗟に花束を放り捨てて、奴へと飛び掛かる。
スローモーションに感じる世界で、ナナシがゆっくりと俺に視線を向ける。
目が血走っていてポロポロと涙が流れていて――奴が笑う。
瞬間、乾いた銃声が響き――鮮血が舞う。
赤い。何処までも赤い液体が飛び散る。
壁にべちゃりとついたそれ。
ナナシの体が揺れて、倒れていく。
ゆっくり、ゆっくりと倒れて、地面に転がった。
ぽっかりと空いた穴からドクドクと血が流れている。
カラカラと奴の愛用している拳銃が転がって来て、銃口からは白い煙が出ていた。
俺はその光景をジッと見つめて――――え?
え、え、え……は、は……え……ぁ、ぁあ……っ!!!!
ゆっくりと認識する。
目の前で転がるのは死体だ。
そして、その死体は相棒であるナナシだ。
何故、どうして、俺の目の前で――死んでいる。
嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ――否、真実だ。
流れる血は本物で、壁に掛かっているそれも本物だ。
転がる拳銃も本物で、奴の瞳から光が消えているのも死んだ事実を表している。
「あ、あぁ、ぁぁ、そ、んな……俺は、まだ、お前に……お前に何も……何も……起きろ、起きて……頼むから。ナナシ……」
俺は奴の元へ寄る。
そうして、血だまりにの中で膝をつく。
ナナシの死体を持ち上げながら、必死でアイツの名を呼ぶ。
何度も揺すって何度も名を呼んで……返事は返ってこなかった。
死んだ。死んでいた……死んだ?
理解できない。理解したくない。
何も分かっていないんだ。
何も成していないんだ。
俺たちの物語はこれからで、俺たちはこれから先もっと、もっと……っ!!
「あ、あぁ、あぁああ、あああああぁぁぁぁ!!!」
ナナシの体を抱き寄せる。
そうして、俺は子供のように声を上げて泣いた。
何も分からないし、何も出来ていない。
でも、ナナシが死んだのは事実で……もう二度と……っ。
「――ヴァン! この状況は一体」
「何だよ、これ……ぅぅ!」
仲間たちが駆けつけて来た。
しかし、俺は何も言う事が出来なかった。
俺自身も何も分かっていない。
何が起きて、何がこいつを追い込んだのかも。
俺はただ泣き続けた。
涙が枯れるまで出し尽くす。
もう帰ってこない相棒を必死で抱きながら俺は――っ!
熱い――死体から熱?
俺はゆっくりとナナシの顔を見る。
瞳からは光が完全に消えている。
しかし、何故か薄くナナシの体が発行していて……白い、光?
白い光がナナシの体を優しく包み込む。
そうして、ナナシの空いた穴に纏わりつきゆっくりと修復していく。
飛び散っていた血たちも動き出して、ナナシの体に集まっていく。
俺のズボンについた血ですらも、ナナシの元へと移動していった。
仲間たちが何が起きているのかと取り乱している……俺にも分からない。けど、これは!
血がナナシの体に再び入っていく。
そうして、ナナシの頭に空いた穴が完全に消える。
バンダナに出来た穴だけが残り、ナナシはゆっくりと目を閉じる。
そうして、完全に呼吸を停止していた筈のこいつは――寝息を立て始めた。
「……生き返った、のか……嘘、だろ」
「……いえ、本当です……でも、これは……」
ライオットとドリスが驚いている。
メカニックたちも怯えているが、これがナナシの力なんだ。
死んだ状態から万全の状態へと体を修復する力。
この目で見るまでは信じられなかったが……信じるしかないな。
俺はナナシの体を横抱きにする。
そうして、体をベッドへと寝かせてから毛布を掛けた。
イザベラが俺の傍に近寄る。
そうして、どうするのかと聞いて来た。
「……交代で見張ろう……また、暴れるかもしれない……もしも正気なら、話を聞こう」
「……何で、こんな事に……ナナシさんは何を……」
「分からない……だが、あのメッセージはもしかしたら……別の誰かが送ったのかもしれない」
「――っ!」
「……今日は俺が見張る。皆は寝てくれ……これからは、最低でも二人一組で行動しよう……俺が迂闊だった」
俺はギュッと拳を握る。
ナナシをこんなに追い込んだのはジョンなのか。
分からないが、誰かが関わっているのは確かだ。
俺は自分の軽率さを恨みながら、皆に部屋に戻って貰った。
「……気に病むんじゃないよ……ナナシなら、大丈夫だ」
「……あぁ、分かってる……分かってるよ」
イザベラの言葉に重く頷く。
奴はそれを行ってから他の仲間と同じように帰っていく。
俺は穏やかな寝息を立てるナナシを見ながら、静かに謝罪を口にして……?
足元に何かが転がっている。
壁にぶちまけられた何かの残骸……いや、違う。
茶色く萎れた何かで……花びら?
俺はゆっくりと扉付近に視線を向けた。
そこにはラッピングに包まれた――枯れた花束がある。
「……何で、こんなに……っ!」
花束に触れた瞬間、砂のように消えていった。
まるで、ギリギリで形を保っていたようで……これは。
ナナシの身に何が起きたのかは気になる。
そして、この花束に起きた事も気になる。
死んで蘇った瞬間にこうなったのだろうが……何か仕掛けがあるのか?
俺は顎に手を当てて考える。
そうして、ゆっくりとナナシに視線を向ける。
得体の知れない存在、未知の能力を目の当たりにして俺は……。
ツゥっと額から汗が流れていく。
それが顎から地面に垂れ落ちて落ちていた花びらに当たりパラパラと溶かしていった。