【完結】死にぞこないの猟犬は世界を知る   作:オタリオン

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160:互いの心の熱を

 バイクに乗り山道を登っていく。

 冷たい風がスーツの生地を撫でて、ミッシェルの腕のぬくもりを感じていた。

 後ろには彼女が乗っていて、彼女は俺の腰にしっかり掴まっていた。

 彼女との約束で俺はまたあの場所に向かっている。

 俺が言うのも何だが、あそこはかなりの絶景で……喜んでくれたら嬉しいな。

 

 通り過ぎていく車のライトに照らされれば。

 彼女は呟くように「眩しい」と言う。

 バイクに乗っていれば嫌でも慣れるが、彼女とはあまりバイクで出かけた事は無い。

 慣れるのはまだ少し先であり、それまでにどれだけの街や自然を見られるのか楽しみだった。

 

 俺はそんな事を思いながら安全運転を心がける。

 バイクのエンジン音が静かに響き、タイヤが地面で擦れて僅かに揺れる。

 グリップを握りながら、道をゆっくりと曲がっていく。

 すると、ミッシェルが俺に質問をしてきた。

 

「最近は忙しいのか?」

「あぁまぁな……でも、充実しているよ。毎日が楽しい」

「……そっか。なら良かった……その……お前は笑っていた方が良いよ。そっちの方が……俺は好きだ」

「そうか……俺もミッシェルの笑顔は好きだ」

「……っ。そうかよ」

 

 彼女が腕に力を込める。

 俺はまた何か怒らしてしまったかと思いつつ、周りに目を向ける。

 木々は風でさらさらと揺れて、赤い木の葉が道の端を彩る。

 ヘルメット越しに聞こえる風の音は優しく、月は今日も丸かった。

 ハラハラと落ちて来る木の葉を眺めつつ、俺はゆっくりとあの場所に続く道へと入っていく。

 

「此処を入れば……よし」

「……へぇ、結構広いな」

 

 此方からは見え辛いので注視していたお陰で迷うわずに済んだ。

 俺は広いそこにバイクを停車させてから、ミッシェルに降りるように言う。

 ヘルメットを脱いでからキーを抜く。

 空を見ればほどよく暗くなっていて星も見えていた。

 少しだけ寒さを感じるが、スーツのお陰で凍えるほどではない。

 

 周りには同じようなバイカーはいない。

 今日も運よく空いているようで。

 俺が今日は貸し切りだと彼女に言えば、彼女は笑っていた。

 

 ミッシェルのヘルメットを受け取りシートに置く。

 そうして、こっちだと彼女を案内した。

 芝生を踏みしめて歩いていき、切り株で出来た椅子と丸太の削った机の前を通り過ぎる。

 彼女は此処じゃないのかと言うが、俺はその前に準備がある事を伝えた。

 ミッシェルは首を傾げていたが、自販機が目に入ってあぁと頷いていた。

 

 俺はコインを投入し、ミッシェルに順番を譲る。

 

「お先にどうぞ」

「ありがとう……おすすめは?」

「寒いからスープ系がおすすめだ。この前はコーンスープを飲んだから、俺は今回はトマトスープにしようと思う」

「……じゃ、俺もそうする」

 

 ミッシェルはそう言ってトマトスープのボタンを押す。

 からからと音が鳴って缶が出て来た。

 彼女はそれを掴みながら、あちあちと言って両手で転がしていた。

 俺はくすりと笑いながら自分の分のコインも投入し、トマトースープを選択する。

 

 出てきたのは真っ赤な缶であり、金字で”TOーMATO”と書かれていた。

 グローブをしている俺でも熱を僅かに感じる。

 恐らくは山頂だから少し温度を高めに設定しているんだろう。

 ミッシェルと共に缶を転がしながら、いよいよ景色を見に行く。

 

 木が開けた場所に立てば、眼下には煌びやかな光を放つ街が。

 車やバイクが小さな光を発しながら道を進んでいく。

 家の灯りに会社の光に、電波塔の灯りも赤く輝いていて。

 虹のような輝きを放つそれは、何度見ても幻想的で美しかった。

 彼女を見れば感嘆の息を漏らしながら目の前の光景に見入っていた。

 

「綺麗だろ?」

「……あぁ写真よりもずっと綺麗だ……あつ!」

「ははは、気を付けろよ?」

 

 俺はミッシェルにそう言いながら椅子に座る様に促す。

 俺たちは隣同士で座りながら缶を机に置いてカシュリと開ける。

 ゆっくりと持ちあげて匂いを嗅げば、濃厚なトマトの香りがした。

 

「いただきます」

「……いただきます」

 

 俺に続きミッシェルもミヤフジから教わった言葉を言う。

 そうして、飲み口から中身を口に注ぐ。

 温かな液体がとくとくと注がれ、舌で転がしながら味わう。

 とろとろとした液体にはトマトの酸味や風味が感じられるが。

 コンソメなどを混ぜた事で野菜独特の臭みが消えている。

 もしもトマトだけならトマトジュースだが、スープにするだけあって味わい深い。

 濃厚なトマトに調和する様にコンソメや玉ねぎなどの材料が溶け込んでいる。

 

 口の中の物を飲み込んで静かに息を吐く。

 

「美味い」

「……美味いな」

 

 ミッシェルも気にいったようであり、俺は良かったと思った。

 彼女と共にトマトスープを飲みながら、静かな時間を過ごす。

 美しい景色を眺めて、自然に溢れた空気を吸い込み。

 美味しいスープで身も心も温めて……。

 

「……知らなかったよ。異分子の国が、こんなに綺麗な所だってさ」

「俺もだよ。もしも、ヴァンたちに会わなかったら俺は一生知れなかったかもしれない」

「そうか? お前なら案外、此処まで自力で辿り着いていたかもしれねぇぞ……どうせジョンは、あぁなってただろうしな」

 

 ミッシェルはぼそりと呟く。

 確かにそうだ。

 俺がいてもいなくても、ジョンはあの計画を実行していただろう。

 偶々、俺が奴と関わっただけであり、計画自体には俺の存在は重要じゃない。

 精々が鍵を渡すかどうかだけで……それでもだ。

 

「俺は皆がいたから此処にいる。ヴァンがいなければ俺の世界は色褪せたままだった。イザベラがいなければ俺は酒の美味しさも人の優しさも知れなかった。ドリスやライオットに会ったから、俺は誰かを育て頼る事を知った。ベックもアニーもイヴもそうだ。アイツ等がいたから無茶も出来た。それに、アイツ等のお陰で今まで以上に会社も明るくなったからな」

「……俺は?」

 

 ミッシェルは目を手の平の缶に向けながら、それを転がし問いかけて来た。

 俺は笑みを浮かべながら、ハッキリと言う。

 

 

 

「ミッシェルがいなかったら――俺は愛を知る事が出来なかっただろう」

「……っ!」

 

 

 

 ミッシェルは大きく目を見開きながら俺を見て来る。

 その頬は少しだけ赤い。

 俺はそんな彼女を見つめながら、言葉を続ける。

 

「ミッシェルは何時も俺を気に掛けてくれていた。最初からそうだ。ピーキーなメリウスに乗せる事を躊躇して、怪我をした俺を心の底から心配して。陰で俺をずっと支えてくれて……ミッシェルの心は温かかった」

「……ストレートに言うなよな……恥ずいだろ」

「……? 何も恥ずかしくない。ミッシェルの気持ちは何時も俺を勇気づけてくれた。ずっと感謝している。これから先もだ」

「……そうかよ……はぁ、愛なんて言うから俺はてっきり」

「てっきり、何だ?」

「ううううるせぇよ! こっち見んな!」

 

 ミッシェルはそう言って俺の頬を掌で押す。

 俺は言われるがままに顔を背ける。

 彼女は俺の後ろでぶつぶつと何かを言っていた。

 ヴァンも言っていたが女心とやらはどんなシステムよりも複雑だ。

 俺はそんな事を思いながら、どうすればミッシェルの機嫌が直るかを――

 

 

「好きだよ」

「ん?」

「だから、好きだ……お前のそういうところ……いや、それを含めた全部。俺は好きだってんだ」

「……ありがとう。俺も」

 

 

 俺は彼女の方に視線を向けようと――頬に手が添えられる。

 

 

 ゆっくりと進む時の中で、彼女の顔が迫り。

 

 頬に柔らかな感触がした。

 

 数秒ほどの時間だ。だが――俺にとっては情報量の多い瞬間だった。

 

 

 静かに彼女は俺から離れる。

 そうして、また景色を見つめながら黙っていた。

 俺はそんな彼女の後姿を静かに眺める。

 

「……ぁ」

 

 俺はハッと正気に戻り、ゆっくりと指で頬に触れた。

 彼女の表情は見えない。だが、髪から覗く彼女の耳は真っ赤だった。

 

「……俺の愛はな……こういう意味だよ。バカ野郎」

「……そうか」

 

 どんなに馬鹿な男でも、こうまでされれば気づく。

 彼女の愛の意味を、彼女のした行動の意味を。

 俺は少し考えた。此処で言う言葉を間違えれば取り返しのつかない事になる。

 それを理解しているからこそ、俺は考える。

 

 彼女の事は好きだ。

 何かに一生懸命になる姿が好きで、俺が作った料理を喜んでくれる彼女が好きで。

 不器用ながらも真っすぐで温かな彼女の心が好きで。

 時折、顔を真っ赤にしたりして感情を曝け出してくれる彼女が好きで…………?

 

 

 好きだ。そう、好きなんだ。

 彼女のそういう所を含めて、全部が好きだから――あぁ、何だ。

 

 

 

「俺はミッシェルが好きだったのか」

「ぶぅ!!?」

 

 

 

 トマトスープを盛大に吐き出すミッシェル。

 彼女は俺へと視線を向けて来た。

 その眼は大きく開かれていて、顔はゆでだこのように真っ赤で。

 ジッと俺を見つめながらパクパクと口を開け閉めしていた。

 

 俺は首を傾げながら何かマズい事でも言ったかと考える。

 ミッシェルはそんな俺に指を指しながら、言葉にならない声を上げていた。

 

「お、おま、おま、え、おまえ――どういう意味だこらぁ!!?」

「異性としてお前が好きだ。いや、愛していると言った方が良いか?」

「――ッ!!!? そ、そんな真顔で言うなぼけぇぇ!!!」

 

 彼女は頭から湯気が出そうな勢いで取り乱す。

 俺はそんな彼女の肩をがっしりと掴む。

 俺の手が肩に触れた瞬間に、彼女はびくりと肩を震わせた。

 あわあわとしながらも、彼女は潤んだ瞳で俺を見つめて来る。

 

 

 信じられないのなら行動で示すしかない。

 

 

「……」 

「……っ!」

 

 

 

 俺は彼女を見つめながらゆっくりと顔を近づける。

 

 ミッシェルはキュッと目を瞑りながら口を結ぶ。

 

 俺はそんなミッシェルを見つめながら……ん?

 

 

 端末が震えていた。

 俺はミッシェルの肩から手を離す。

 そうして、誰なのかと見て……ヴァンか。

 

 俺は固まっているミッシェルにヴァンから連絡が来た事を告げて出ようとした。

 しかし、ミッシェルは静かに「スピーカーにしろ」と言う……怒ってる?

 

 俺は本能で恐怖を感じてそれに応じるしかなかった。

 電話に出てスピーカーにすれば、何とも言えない音楽が流れていた。

 端末越しに聞こえるヴァンの声は朗らかで……酔っているのか?

 

《よぉよぉよぉ!! こんな時間にデートとはやるねぇナナシ君! 若い事は素晴らしい! 社長であるこの俺も君たちを習ってね大人な店に来ちゃいましたぁ!! いやぁ前から気になっていたんだけどさぁ。ミッシェルの奴の監視が厳しいのなんのって……ありがとよぉぉぉナナシぃぃ! アイツを連れ出してくれたお陰で、このヴァン! 遂に夢の一つが叶いました! 此処は桃源郷だぁぁ!! 実りに実った果実が山のようにあってなぁ……ぐへ、ぐへへへ……お前にもこの幸せをおすそ分けしたいぜ、本当に。まぁ、ということで奴にはくれぐれも秘密ね? お礼に店ナンバーワンのHカップのチュン・リーちゃんの写真をお前に》

「――へぇ?」

 

 恐ろしいほどに冷たい声が響いた。

 その瞬間にびしりと空間に罅が入ったような感覚を覚えた。

 あれほど嬉しそうに騒いでいたヴァンの声が静かになる。

 奴は静かに呼吸を整えながら、蚊の鳴くような声で俺に奴にとって重要な質問をしてきた。

 

《…………なぁ、ナナシ…………お前、もしかしてさ…………違うよな?》

「何が、違う? 言ってみろよ」

 

 底冷えする様な声が静かに響く。

 電話越しのヴァンは酔いが醒めたのか無言で。

 ガチガチと歯を打ち付けるような音だけが響いていた。

 そんな彼の恐怖を理解できない店の女の子たちの楽しそうな声が聞こえる。

 

《誰誰ぇぇ? もしかして、貧乳ヤンキーって言ってた子ぉぉ?》

《ちょ、ま!? 黙って!! お願いだから!》

「……貧乳ヤンキーねぇ……はは、面白れぇ」

《ぁ、ぁぁ、ぅ、ぁ……っ!!》

《はは! ヴァンちゃん面白い顔ぉぉ》

 

 ヴァンの今にも吐きそうな声。

 そして、そんな彼の心の内を理解していない女性の笑い声。

 隣には濃厚な殺気を放つミッシェル……俺も吐きそうだ。

 

 ただただこの空気に適さないBGMだけが端末越しに空しく響いていた。

 俺はミッシェルの顔を見る事が出来なかった。

 恐らく、彼女の今の表情は見ただけで人を殺せるものだろう。

 俺は必死にヴァンの無事を心の中で祈りながら、この時間の終わりを待つ。

 

「ヴァン……家で待ってるからよ……逃げるなよ?」

《……はい》

 

 ミッシェルは静かに通話を終える。

 最後のヴァンの声からは生気が抜けていた。

 俺は帰ってきたらヴァンはどうなるのかと考えて……ミッシェルが立ちあがる。

 

「……帰るぞ」

「……あ、あぁ」

 

 俺は言われるがままに立ち上がる。

 そうして、彼女の背中を追う。

 自販機の横のゴミ箱に空き缶を捨てて。

 彼女は俺の横を通り過ぎてバイクの方へと行き……足を止める。

 

「……これからは……そういう関係って事で……良いんだよな」

「……ミッシェルが良いなら……俺は嬉しい」

 

 頬に熱を感じる。

 改めて彼女から聞かれれば、やはり少し照れくささを感じた。

 彼女は俺の言葉に頷きながら、くるりと此方を見て来た。

 綺麗な笑みを浮かべながらその頬を少し赤らめて。

 彼女はすっと手を差し出してきた。

 

「じゃ、握手だ」

「……? あぁ」

 

 何故、そういう関係になって最初にする事が握手なのか。

 俺は疑問に思いながらもそれに応じて――!

 

 

 

 手を掴んだ瞬間に、彼女がぐいっと手を引っ張る。

 そうして、俺の体が前に動いて。

 ミッシェルと俺の顔が接近し……。

 

 

 

 唇に感じる柔らかな感触。

 ほんのりとトマトの味がしている。

 互いに初めてであるのか――何方もつたない。

 

 

 

「……」

「……ん」

 

 

 

 気が付けば互いに背に手を伸ばしていた。

 強く。それでいて優しく抱きながら、俺は静かに目を閉じる。

 体に掛かる風はひんやりと冷たく。火照った体を冷ましてくれる。

 木々が揺れる音が聞こえて、虫たちの合唱を静かに聞きながら。

 俺はこの時間がずっと続けば良いと思っていた。

 

 もう戻れない。

 進んだ結果がこれで……だが、後悔はない。

 

 今はただ感じていた。

 俺はずっと彼女の小さな体を抱きしめながら。

 月明かりの下で、互いの熱を確かめ合った。

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