【完結】死にぞこないの猟犬は世界を知る   作:オタリオン

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169:愛する世界

「……」

 

 小舟に揺られながら、静かに呼吸をする。

 クラウンさんが言っていたように、あらゆる事象を理解する為に。

 己の呼吸でさえも意識をして行う。

 

 口の中に吸い込まれ舌を撫でる空気の感触。

 今日は少しだけ肌寒く、口に入る空気もやや冷たいか。

 あの時にCKと戦うときは汗を掻くほどに暑かったが。

 あれは空調設備のないメリウスの中であり、コアから発せられる熱もほとんどダイレクトに受けていたからだろう。

 だからこそ、今と状況は違うから……ダメだ。集中だ。

 

 雑念を振り払い呼吸を整える。

 空気の感触に味。

 いや、空気に味はないかもしれないが。

 さらさらと舌を撫でるそれにはわずかばかりに草と土の味が……かな?

 

「……っ」

 

 頭を左右に振る――集中集中。

 

 耳を済ませればさらさらと風と木の葉の音が聞こえた。

 木々が揺れてざわめき赤い葉っぱがひらひらと落ちる。

 綺麗な赤色が宙を彩り、水面にちらちらと浮いていた。

 ぽつぽつと水面に浮かぶ赤と黄色。

 まるで、キャンパスに絵の具をさっと塗ったようであり奥ゆかしい色味だった。

 

「……ふぅ」

 

 呼吸を繰り返す。

 そうして、徐に手を挙げる。

 

 指を立ててればその周りに空気が通り抜けていく。

 指先が冷えていく感覚に、少しだけ指先が白い気もする。

 風に触れ温度を感じ……静かに船の横へと下げていく。

 

 ゆっくりと水面に指をつける。

 ぽちゃりと水面に指を沈めれば、冷たい感触がした。

 抵抗感はない。さらさらとして綺麗な水質で。

 よく目を凝らせば湖の中には少ないながらも魚が泳いでいた。

 クラウンさんが絶対に汚水を湖に流すなといった理由が今なら分かる。

 

 指を動かして水面を撫でる。

 指がスゥっと通っていけば二筋の線が後ろへと続き水面が揺れる。

 水の中を泳ぐ魚たちは驚き、バラバラに泳いでいく。

 

 綺麗な魚たちだ。

 色んな色の魚がいて、まるで海の中に虹が出来ているようだった。

 太陽の光に反射して輝く水面。

 その中を自由に泳ぐ魚たちは彩り豊かで……。

 

 水の中から手を抜く。

 ぽたぽたと水滴が落ちて水面を揺らし。

 空気に触れた手が急速に冷えていく。

 暫く見つめて、服でさっと拭う。

 俺は様々な光景を見てから、ゆっくりと周りに視線を向ける。

 

 朝の陽光に包まれてた平原。

 白い光に包まれた太陽が輝き。

 赤い葉っぱの木々に、大地に生える草はやや茶色く染まっている。

 緑と茶色が混在し、そこを駆けていく動物たちはちらりと俺を見てから巣穴へと駆けていった。

 空には白く大きな雲が浮かんでいて、黒い鳥が大空を舞う。

 獲物を求めているのか。それとも、行くべき場所があるのか。

 

 全ての景色を見つめる。

 そうして、感じるままに受け取っていった。

 

 何が好きで、何が嫌いか。

 どういう所が好きで、どういうところが苦手か。

 それら全てをひっくるめて、この世界を愛せるのか……正直、まだ分からない。

 

 世界を愛し、全てを受け入れる事が。

 一体、何に繋がるのかは分からない。

 メリウスに乗って戦闘技術を教え込まれたり。

 知らない戦術を叩きこまれたのならまだ理解できたが。

 この修行はひどく抽象的で、どちらかと言えばメンタル的なトレーニングのように思えた。

 

 ……クラウンさんが言うのなら間違いはない……今は言われたとおりに心を世界と通わせよう。

 

 俺はそう決心し、もう一度大きく深呼吸をした。

 そうして、冷たい空気が張り詰める色鮮やかな自然を目に焼き付けていった。

 

 

 §§§

 

 

「……で、どうだ? 理解できそうかな?」

「……正直、あまり上手くいっていません」

「ははは、それはそうだ。たった一日二日で全てを理解出来たら、君はあのノイマン以上の存在だろうさ」

 

 修行を終えて、昨日のルーティン通りに支度を済ませた。

 俺とクラウンさんは風呂を終えて、今は俺の作った夕飯を一緒に食べてもらっている。

 今日のメニューは少しだけ凝ったものにしている。

 

 トマトベースの大豆のスープと羊肉があったのでハンバーグ風の肉料理も作ってみた。

 後は適当にサラダの盛り合わせをボールに載せておいたが。

 中々に好評のようでクラウンさんも食が進んでいるようだった。

 

 彼から励ましの言葉を貰いながら食事をする……うん、美味い。

 

 大豆のスープは栄養価が高く。

 味に関してもほどよい酸味が感じられてすっきりとした味わいだ。

 そこまでしつこい味付けをしなかったのもよかったのかもしれない。

 そして、このハンバーグ風の肉料理も良い感じだ。

 羊肉の料理を想像したときにこのレシピを何処かで見た記憶がして。

 記憶を頼りに作ってみたが無事に成功した。

 食感はかなりしっかりとしていて噛み応えがあり、味はスパイシーだ。

 高齢なクラウンさんは食べられるかとも心配したがその心配は稀有で。

 彼の歯は今だ現役で安心した。

 

 スパイシーな肉料理にトマトの酸味を感じられるスープ。

 そして、休憩代わりにサラダを食べる。

 いい食事であり、俺は満足そうに頷いた。

 

「……それだよ。ナナシ君」

「え?」

「……君はこの食事を……どういう気持ちで食べた?」

「えっと……美味しくて手間暇かけて作った甲斐があったと?」

「ふむ、そうか……だが、実際はもっと複雑な感情があっただろ? 言葉では言い表せないだけで」

「はい、確かに……まさか、これが?」

 

 俺はハッとしたように気づく。

 無理矢理に言葉で理解しようとしていたが、それは間違いで。

 この料理を食べた時に心に表れた自然な感情こそが”理解する”という事だったのか?

 

「人間誰しも、言葉にして理解しようとするが……あらゆるものを既存の言葉で完璧に表現できる人間なんていない。だからこそ、私はこう思う……言葉を捨て、ただ感じろと」

「言葉を捨て、ただ感じろ……そうか」

 

 俺は彼の言葉を噛み締める。

 そうして、己の手を静かに見つめた。

 

「……まぁ君はまだ、このトレーニングの本質は理解できていないだろう……だが、今はまだ話す段階ではない」

「……それは何故ですか?」

「物事には段取りがある。段を飛ばしてしまえば、一気に全てが崩れるからね……先ずは第一段階。自然のままに世界を感じられるところからだ」

 

 彼はそう言って笑う。

 そうして、手を合わせて「ごちそうさまでした」と言う。

 俺も静かに手を合わせてそれを口にする……世界を感じる、か。

 

 中々に深い言葉であり、猟犬だった頃の俺ならば無理だっただろう。

 世界そのものに失望し、全ての色が消えていたから。

 だが、ヴァンと出会い。多くの出会いを通して色々なものを見て来た。

 その結果、俺の心にも少しずつ感情や希望が生まれた。

 

 今なら分かる。

 この世界がどういうものなのかを。

 例えあの神が作り出した世界であろうとも、俺には分かる。

 この世界を産む事を願った存在とそれを作り出した神。

 その両者の願いから生まれたのがこの世界であり……こいつは確かに愛されていた。

 

 アイツは紛い物と切り捨てた。

 そこに至るまでの経緯でどれほどの経験をしたのかは分からない。

 でも、紛い物の世界でも奴は容易に手放す事が出来なかった。

 

 

 ……それに、アイツが偽物というこの世界を……俺は愛している。

 

 

 俺は笑う。

 そうだ。愛しているんだ。

 どんなに傷つけられて、どんなに裏切られても。

 この世界には俺の大好きな人たちや大好きな景色が溢れている。

 嫌いになれる筈がなかった。

 いや、俺は知らなかったんだ。

 世界というものがこんなにも美しく、こんなにも色鮮やかであったことを。

 

 辛いことの連続。

 でも、確かにその先には幸せがある。

 

 例え小さくか細い火であろうとも、それこそが希望で。

 人間はそんな希望の為に、何時だって全力だったんだ。

 迷うこともある。絶望する事もある……だけど、諦めないのが人間だ。

 

「……後は洗っておきます。クラウンさんは休んでいてください」

「そうか。じゃ任せるよ……食後の晩酌に付き合って欲しいんだが……」

「ふふ、分かりました。何か軽いものを作りますね」

「……せがれもこれくらい気が利けば良かったんだが……アイツらは料理の才はゼロだったからな」

 

 彼は寂しそうな背中を揺らしてリビングの方に行く。

 まさか、あのCKとベンが料理が作れないなんてな……あぁそうだ。

 

 修行の事で頭が一杯だったが。

 結局、ベン・ルイスは此方側の人間でいいんだよな?

 

 あの口調からしてクラウンさんも現在のベンについては知っているんだろう。

 任務により代行者側についているとはいえ、心中は穏やかではない筈。

 しかし、おくびにもそれを表に出さないのは流石は元伝説の傭兵だ。

 

 ……まぁ自分の息子が記憶が無い状態とはいえ……仲間を三人も殺したと知れば……。

 

 俺から彼に話すなんて事はしない。

 それは誰も望んでいないからだ。

 不幸な事故であり、悪い奴がいるのならそれを命じたノイマンだ。

 だからこそ、ベンの事を悪く言う事は……いや、でも……。

 

 

 奴は何で、ハーランドの研究所を襲撃した?

 

 あの時は確か時間が無いと言っていたが……今にして思えばどういう意味だ。

 

 

 神の命令で動いていてすぐに連れて来いとでも言われたのか。

 いや、それならもっと別の言い方でもいい気がする。

 態々、時間が無いなんて言えば明らかに交渉ごとにおいて不利になるからだ。

 それでも敢えて時間が無いと言った理由は……まさか、別の意味が?

 

 あの時は完全に奴が神側の存在だと認識していた。

 だが、今ならば奴は神側ではなくこちら側の人間として発言していたようにも思える。

 つまり、あの言葉の意味は”神”の時間が無いのではなく……”ノイマン”の時間が無いという事か?

 

 いや、考え過ぎかもしれない。

 ただの勘違いかも……いや、でも奇妙には感じる。

 

 神ならば時間は幾らでもある。

 少しくらい奴の計画が遅れたところで。

 奴のそれは完璧であり何れは実現できる筈だ。

 それなのに、時間が無いなんて……明らかにノイマンが関係しているように思える。

 

 カチャカチャと桶の中で皿を洗いながら。

 俺は意味深な奴の発言と今判明している情報から、ノイマンの身に何かが起きている事を察知した。

 神としてもノイマンという存在を手に入れたいのであれば、奴を何かに……。

 

 俺如きでは神の考えもノイマンの考えも分からないが。

 確実によくない方向に進んでいる気はする。

 どうすればいいかなんて分からない。

 だからこそ、俺は今できる事を全力でする。

 

 この修行で更なる成長を遂げて。

 CKとの賭けに勝ち、ノイマンと会う。

 そうして、俺は――

 

「ナナシ君? まだかなぁ?」

「――っ! すみません! すぐに用意します!」

 

 俺はハッとして慌てて皿を洗っていく。

 考え事に夢中になって手元がお留守になってしまっていた。

 クラウンさんも待ちくたびれているだろう。

 俺は洗剤で皿を洗って中の液を流しに流す。

 そうして、新しい水で洗剤を落としながら皿を重ねていった。

 

 兎に角、修行だ。

 修行に集中してCKが言っていた力とやらを得る。

 その為ならば、どんなに過酷な修行にも耐えて見せる……やるぞ。

 

 

『がんばれよ!』

『がんばってください!』

「……ふふ」

 

 

 二人の声が聞こえた気がした。

 俺は笑みを浮かべながら皿をふきんで拭っていく。

 愛する人たちの為に――全力で。

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