ノイマンの命令は速やかに実行された。
万象と呼ばれる悪魔の技術。
それにより人工的に生み出された異分子が原材料となっていた事実。
それを知った壁の外の人間たちは激しく狼狽えていただろう。
発信源の特定を防ぐ為に、複数のサーバーを経由し。
元となるデータの送信器に関しても国外のものを使った。
あらゆるメディアや多くのジャーナリストの端末への情報の送信。
それにより今壁の外では、その事に関する情報が飛び交っていた。
SAWは今や多くから目の敵にされて。
会社の信用も失い株価も暴落している。
元々勢力を拡大していた北部では辛うじて責を逃れているが……時間の問題だろう。
もしも、アダム・ヘイズが行動を起こしていなければ。
彼らは万象の事も仕方のない事だと割り切っていたかもしれない。
それほどまでに彼らに根付いた異分子への負の感情と神の常識改変力は凄まじい。
寧ろ、積極的に異分子を生み出せと言い始め、いよいよ異分子と人間の間には埋められない溝が出来ていたはずだ。
しかし、今の世界ではそうなる事はない。
世界中であの新エネルギーの販売の中止を呼び掛ける運動が起きている。
それは何も、異分子が可哀そうだからとかでは無い。
単純にそんなおぞましいものを使えば自分たちの身が危険だからという理由だ。
アダム・ヘイズの起こした事件は、人間たちに消える事のない呪いを与えた。
それは異分子という存在を軽んじ虐げれば呪いがもたらされるというもので。
彼らはそんなオカルト染みた話を噂として広めてしまった。
真実は簡単であり、異分子への強い情を向けたりすれば感染率は高まるというだけで。
虐げたりするだけでは直接的に関係はないが……想像力が豊かで助かるよ。
今では不買運動も起きており。
八十を超えていた普及率も徐々に落ちて行っている。
二月もすれば普及率も五十パーセント以下まで下がる見込みだ。
これで奴らの計画進行の足止めにはなったが……ノイマンはそうは見ていない。
普及率を百パーセントにする事だけを警戒しただけで。
実際には七十だろうと五十だろうと奴らは計画を実行するというのが彼の見立てだ。
最早、彼らを止める事は出来ず……なら、何故、公表したのか?
僕でも詳しくは分からない。
だが、彼にとってはこれは必要な事だ。
これを打つことによって後の世が救われる。
彼は本気でそう思っているからこそ、万象の真実を明るみにした。
SAWは信用を失いつつある。
今は此方が流した情報の発信源を探っている頃だが。
奴らが此処を見つけ出す事は出来ない。
神であれば可能だが、彼女はこんなくだらない事に手を貸したりはしないだろう。
彼女の目的はあくまで万象によって生み出されたエネルギーの普及だけだから。
ノイマンのシナリオ通りであるのなら、神は何れノイマンに接触を図る。
その鍵となるのが、件の男――ナナシ君だ。
「……」
足を止める。
中央都市にある五角形上の建物。
此処がノイマンにとっての城であり、我々Kクラスが守護を任される場所……通称”オーライガ”。
意味については不明だけど。
名付けたのは他でもないアダム・ヘイズ自身で。
賢人と呼ばれるほどの男の考えは僕のような凡人では理解できないさ。
幾つものセキュリティを超えて、長いらせん階段を上がり。
そうして、最終チェックを終えてようやく此処へとたどり着く。
僕はゆっくりと扉に手を翳す。
すると、手が触れた場所を起点として波紋のようにそれが揺れる。
やがて扉は真っ白に染め上げられて、僕は迷うことなく何も見えないその中へと体を溶け込ませていった。
白い膜を超えていけば、そこには美しい庭園が広がっていた。
かつて不可侵領域と呼ばれたものの名残。
彼にとって記憶に名が残るほどの人物が重宝していた過去の技術。
多くの人間ではなく、たった一人の兄からの愛情を強く欲していたという歪んな存在か……耳が痛い話だ。
風が優しく吹き、草花が揺れる。
ふわりと鼻孔をくすぐる甘い蜜の香りは本物で。
これらが作りものであるとは到底思えない。
が、今立っている大地も優しく吹く風も偽物だ。
偽物の世界で作った偽物であり、僕たちが見て触れるものには紛い物しかない。
ゆっくりと足を動かす。
そうして、汚れ無き白い建物を目指していった。
ゆっくりゆっくりと進み。
ようやくたどり着いたそこは全面ガラス張りのテラスのような小さな建物で。
僕は目の前に立てばガラス戸が静かに展開されて僕を招く。
土足のまま中へと足を踏み入れて、周囲に軽く目を配らせる。
何も変わらない。
そこにあるものは変わっていない。
木でできた床に、中心には大きなベッドが一つ。
側に控えるのは顔のない”
彼女は僕に気づいて一礼をし、彼の眠るベッドから離れていく。
分厚い天幕が下ろされたベッドの中で、彼は眠りについている。
何時からだったかと言えば、正確な時期については不明だが……少なくとも、僕がKクラスになった時からだ。
「……コードネームCK。ご報告にあがりました」
「……聞かせてくれ……世界は、どう動いた?」
ひどくスローな声だ。
弱弱しいとも表現できる。
彼の言葉を聞きながら、目論見通りに世界中で不買運動が起きたことを伝える。
二月もすれば、目標としている五十パーセント切ることも伝えた。
彼はそれらを静かに聞きながら、天幕の向こうから指を動かす。
僕は静かに彼の下まで近寄る。
断りを入れてから幕を押して中へ入り。
穏やかな顔をする彼を見つめながら、彼が持つ何かを受け取る。
僕はそれを見てから、どういうものであるかをすぐに理解した。
「……CK……彼は……ナナシは……大きくなったか?」
「……はい。とても綺麗な青い瞳をしていました」
「……そう、か…………彼の、両親も…………とても、綺麗な、目をしていた…………もうすぐ、私は、役目を果たせる」
彼は静かに話す。
その瞳には迷いも後悔もない。
今までしてきた行動にも彼は迷いが無かっただろう。
しかし、彼がナナシ君の名前を出す時は、いつもこうやって過去を語りだす。
それは後悔しているからではなく。それこそが彼が託された役目だと認識しているからだ。
彼は何時の日か言っていた。
忘れてはいけない罪、記憶し続ける責。
それこそがこの力を持って生まれた者の役目であると。
彼は決して迷う事も後悔する事もない。
だが、感情を持っているからこそ忘れてはいけないと知っている。
人間の一番の罪とは忘れる事。
罪を犯してそれを忘れてしまう事こそが最大の罪……立派な人だ。
「……王よ。本当に……彼とお会いになるんですか。今からでも遅くは……っ」
彼は僕を静かに見つめる。
怒ってはいない、蔑んでもいない。
彼は純粋な好奇心で僕を見つめていた。
尋ねる事をせずとも分かる。
「……失礼しました……シナリオ通りに、僕は動きます」
僕はそう言って二度と彼に意見をしないと誓う。
そうだ、これでいい。
僕は駒だ。彼にとって体のいい駒になればいい。
そうすれば、彼は僕という存在を最大限利用してくれる。
兄さんを代行者にした時のように、その時に最も適した采配をしてくれるんだ。
頭を下げ続ける。
彼が下がれと言うまで僕が勝手に動くことは許されない。
だからこそ、僕は静かに――
頭に何かが触れる。
それは細い枯れ枝のようで。
優しく撫でるように動かしながら、目の前の老人は静かに言葉を発した。
「……シナリオ通りに、事が運ぶことはない……人生とは、上手くいかないから人生だ……君も、この国の住人達も……最早、私が勝手に動かせる事は、ない……逆らってもいい、自分で考えて動いていい……君は、人間だ」
「……っ」
やはりだ。
この男は、ノイマンは――既に自らの”死”が見えている。
前々から感じていた。
彼の纏う空気に諦めが混じっている事を。
それはつまり、自らの死期を悟って終わりへと進んでいる事を意味する。
それはダメだ。この国にとって王を失うという事は、この国が滅びる事を意味する。
私が聞いているシナリオの話。
それは件の男が成長しアクセスの力を使いこなし。
王との謁見を迎えて運命を変える決断をする事までだ。
彼がこの国の新たな力となり、神を殺すために動き出す事だけだ。
だが、違う――ノイマンは何かを隠している。
僕はがばりと顔を上げる。
そうして、彼の手を掴みながら尋ねる。
「王よ。教えてください……貴方には何が見えているのですか? ”仮想世界”の構築に、国民たちの移送計画に……」
「……すぐに分かる……君は、彼らを守りなさい……脅威はすぐそこに、迫っている……絶対に、それを、忘れてはいけないよ」
「王よ――ッ!」
彼への問いかけようとすれば、彼は激しくせき込む。
瞬間、控えていた筈のオートマタが入ってくる。
彼女の両腕が展開されて、彼の衣服を脱がせ診察を始める。
僕はその様を見つめて……!
「行き、なさい……君なら、優しい国を……作れる」
「……仰せのままに」
僕は一礼しその場を後にする。
振り返る事はない。
彼は真実をすぐには教えてくれないが。
それは神を警戒しての事だ。
もしも明かしてしまえば、神が強引な手を使ってくる可能性だってある。
シナリオの全てを知られる事が最も恐ろしい事で……少なくとも、今は上手く進んでいる。
果たして神のシナリオとノイマンのシナリオ。
最後の結末はどちらが望むものになるのか。
……だが、そこに王はいない……そんな世界に希望はあるのか。
僕は固く拳を握りしめる。
そうして、建物から出て準備に掛かる。
此処まですれば奴らは計画を急ぐしかなくなる。
五十パーセントを切れば”アレ”の成功確率はほぼ無いと言っても過言ではない。
そして、鍵を手にした後の奴らの行動は決まっている。
最大限の警戒を。
脅威はすぐそこであり、この国の終わりが迫っている。
滅亡の未来を回避し、新たなる世界への切符を手にする為には戦うしかない。
「……やるさ。それしか道が無いのなら」
叶う事ならば、隣に兄さんがいて欲しかったが。
僕の心の中には絵も言わぬ不安と恐怖が渦を巻いている。
兄さんは決して裏切らないと分かっている筈なのに……僕は何を怯えている?
王の死か、ナナシ君の事か。それとも兄さんか……分からない。
原因が分からない恐怖。
だが、足を止めてはいられない。
もうすでに手を打ってしまったから。
引き返すことも過去に戻る事もできない。
大丈夫だ。
今までに準備は進めてきた。
疑似世界の構築に、その世界で生み出した兵士たち。
エネルギー大量の生産も問題ない。
この時の為の準備を進めてきて、何時でも覚悟は出来ていた。
後は幹部たちの意思だけだ。
白い膜を潜り抜けて庭園から出る。
そうして、端末を取り出してメッセージを送る。
ようやくシナリオの一部を話す時が来た。
彼らがどんな反応をするかは分からない。
「……最後まで何人が残るか……っ」
熾烈な戦いになるだろう。
親衛隊であろうとも生き残れる確率は高くはない。
どれほどの戦力を温存し、最終決戦に持ち込めるか。
僕はそれだけを心配しながら、皆が集まる場所へと急いで向かった。