眠っているような……安定しない意識。
そこにいるのは分かる……しかし、目に見えるもの全てが幻想の様で。
――此処は、何処だ?
ぷかぷかと水の上を浮いているような感覚だ。
手足は全く動かないが、水のような何かが体に触れているのは分かる。
雨に濡れた草の香りがほのかに感じて、さらさらと吹く風の音が聞こえている気がした。
意識はハッキリとしていて、俺の目に映っているのは無数の光だった。
青白い光が無数に存在している。
星のように淡く光り輝き、暗闇の世界を漂っていた。
まるで、一つ一つが意思を持っているかのように動いていて。
何処かを目指して流れて行っている様に見えた。
俺の近くにもそれは漂っていて。
触れられなくともそれがとても冷たいものだとすぐに分かった。
青白い光の正体は分からない。
しかし、此処はとても落ち着く場所のような気がした。
何時までもこうして浮いていたい。
ずっとずっと、何も考えずに此処にいたい。
心の底からそう思いながら、俺は光を見つめて――俺は今まで何をしていた?
思い出せない……何も思い出せなかった。
自分の名前は憶えている。
過去と思わしき記憶も持っている。
思い出せない事は、何故、自分が此処に辿り着いたのか。
そして、辿り着く前は何をしていたのか。
軍は……兵役を満了して除隊した。
その後は……ヴァンの会社に入った。
初めての依頼を熟して、SAWが計画しているそれに加えられて。
そうして、俺は……そうだ。俺は敵と交戦して……もしかして、此処は……っ。
ゆっくりと思い出した。
自分は暗殺の依頼を受けて、標的がいる場所へと向かった。
そうして、出くわした漆黒のメリウスと戦って。
もう少しで手が届くと言う所で機体が限界を迎えて、そのまま敗北した。
敗れた俺はとどめを刺されそうになって、そこに現れた碧い獣により見逃された。
しかし、俺の体も既に終わりが迫って……そのまま意識を失った。
俺は死んだのか。
そして、此処は死後の世界なのか。
分からない。何も分からない。
だが、此処が俺にとってはひどく居心地のいい場所である事は確かだ。
ずっといたいと思えるからな。
まるで、気持ちのいい温度の湯船につかっているようで。
ひどく心が安らぎ、今にも深い眠りについてしまいそうだった。
もしも、此処で意識を沈めて行けば俺は永遠の眠りにつくのかもしれない。
だが、恐怖はまるで無かった。
死んでいるのだろうから、死というものは既に経験している。
だったら、後は自然の流れに沿うように全てに身を任せればいいだけだ。
眠ろう。眠ってしまおう。
俺は十分、戦ってきた。
英雄のような華々しい最期では無かったかもしれない。
本当の自由というものを掴むことも出来なかった……だが、それだけだ。
もう、いいだろう。
此処には俺を苦しめる存在はいない。
もう誰も俺を侮蔑の目で見て来る事はない。
心が傷つくことも、肉体が衰えていく事も無い。
安らぎの世界。今この瞬間に、此処こそが俺の求めた世界で――
『ダメだよ。ナナシ』
「――!」
――声が、聞こえた。
鈴の鳴るような綺麗な声で。
その声を俺は知っている。
軍からの教育を受け始めて、戦場に駆り出されてからも。
ずっと聞いていた声で……でも、そんな筈は……。
『まだ来ちゃダメだよ』
「待ってくれ。”エマ”……お前なのか」
俺は声を出した。
聞こえているかは分からない。
でも、お互いの声が響いているのであれば近くにいる筈だ。
”戦死”した筈のエマが、此処に居る。
俺の心に希望の火を灯し、世界の素晴らしさを教えてくれた存在。
今でも、彼女から貰った本を俺は持っている。
ずっと聞いていた。
彼女が話してくれる物語をずっと聞いていた。
仲間たちも彼女の話を楽しみにしていて。
彼女が語ってくれるこの世界に存在するもの全てを知りたかった。
海や川を泳いでいる魚たち。
大地を踏み締めて弱肉強食の世界で生きる動物たち。
色とりどりの花を咲かせて、病気を治す薬となる植物たち。
他にもまだある。
人間たちが生み出したテクノロジーの数々に。
歴史的に価値のある建築物や美術品。
知らなかった。こんなにも世界が広い事を。
知ろうとしなかった。俺たちには既に自由は訪れないと諦めていたから。
彼女は俺たちにとっての光……確かに存在する希望だった。
俺は彼女のような存在になりたかった。
暗闇の中でさ迷う人々を導く事が出来る太陽のような彼女に。
もう会えないと知って、彼女から貰った本を開いて。
全てを暗唱できるほどに読み込んだ本の知識があっても……彼女にはなれなかった。
彼女は死んだ。
戦場に駆り出されて、あっさりと死んだ。
任務が達成される事も無く。
上官は彼女たちを役立たずであると罵り。
帰ってきたのは冷たくなり、”つぎはぎ”になった抜け殻だけだった。
俺は独り彼女の遺体が入った袋を抱きしめながら泣き続けた。
もう二度と彼女の声は聞こえない。
もう二度と彼女の物語を想像する事は出来ない。
もう二度と、二度と――彼女の顔を思い出す事は出来ない。
写真も絵も無いのだ。
仲間はどんどん死んでいって。
在庫補充のように新しい仲間がやって来る。
その度に、俺の記憶は上書きされて行って。
過去に死んだ彼女ですら、その顔を思い出せなくなっていく。
辛かった。悲しかった……こんな自分が嫌いだった。
大切だったはずだ。
心の底から信頼していた。
他の誰でも無い、彼女だけには生きていて欲しかった。
それなのにこうして彼女の声を聞くまで。
俺は彼女という存在を曖昧なままでしか認識出来なくなっていた。
声も、姿も、どんな顔をしていたかも……でも、彼女は今此処に居る。
彼女の名を呼ぶ。
声を聞いて彼女だとすぐに分かった。
でも、彼女は俺の声には応えてくれない。
怒っているのか、悲しんでいるのか。
俺が彼女を忘れようとしていたからか。
それとも、俺が彼女が大切に持っていた本を勝手に持っていったからか。
謝りたい。もしも怒っているのなら謝りたかった。
「エマ! 何か言ってくれ……俺は、君に……君に、謝りたくて!」
分かっている。
エマが俺に対して思っている事があるのは。
彼女は俺を……恨んでいる。
あの日、彼女が任務に駆り出された日。
本当は俺がその任務を受ける筈だった。
しかし、その日の俺は前回の任務でひどい怪我を折ってしまっていた。
幾つかの骨が折れ真面に動くことも出来ないほどの怪我で、上官は俺が使えないと分かるや否や。
俺と同時期に入隊した彼女を無理やり作戦に加えた。
分かっていた。
彼女には無理だと最初から分かっていた。
彼女は確かに強い。
だが、その任務に連れて行くメンバーは全て実戦経験の浅い新兵だ。
時機が悪かった。
熟練の兵士たちは別の任務に向かっていて。
残されていた俺も怪我を負い動けなくなってしまっていた。
使えるのは補充要員として送られてきたばかりの人間だけで……纏められるのは彼女しかいなかった。
その任務はとある不穏分子の排除だった。
地上において神に対する冒涜を働き、多くの重要施設を破壊した異分子。
テロリストとして指名手配されたS級の犯罪者だ。
そいつが所属している組織を見つけ出し、潜伏している場所も突き止めたまでは良い。
問題なのは、その潜伏している場所が熟練の兵士が数人いただけでは落とせないほどの堅牢な守りであった事だ。
軍の上層部は手柄を立てる為に、愚かにも碌な計画も立てる事無く敵拠点へと強襲を計った。
その結果、集められたのは数名のエリート兵と数だけを多く募った異分子部隊だ。
エリートと言っても、碌な武功も無い名ばかりのクズどもだ。
そんな奴らが指揮を執ればどうなるかなんて目に見えている。
が、俺たちには拒否する権利も口を出す権利も無い。
反政府組織の殲滅。
事を起こせば戦場を生き抜いた元軍人や場数を踏んでいるテロリストたちと戦う事になる。
そして何よりも、奴らは異名を持つ傭兵を数名雇ったという情報が入っていた。
上位ランカーであり、俺以外では確実に全滅する案件だ。
任せられない。だからこそ、俺は痛みを無視してそれを伝えに来た上官に異議を唱えた。
待って欲しい。数日すれば動けるようになる。だから、俺を――結果は、分かり切っていた。
彼女は何も言わず任務に出て……全員が死体となって帰って来た。
彼女たちを先行させた正規部隊の兵士たち。
奴らだけが五体満足で帰還してきた。
疲れたような顔なんてまるでしていない。
ただ己の経歴に傷がついた事に怒りながら、死んでいった仲間たちを罵っていた。
理由はすぐに分かった。
現場を見ずとも分かってしまう。
奴らの態度と帰って来た死体の状態を見れば、誰でも理解できる事。
奴らは任務続行が不可能であると分かった瞬間に――エマたちを囮にした。
彼女たちは拒否できない。
敵前逃亡は重罪で、命令違反もその場で処刑されるほどだ。
もしも、帰還したとしてもすぐにその場で銃殺されるだろう。
エマは理解した。
だからこそ、新兵たちの分も前に出て……一番、彼女の遺体の損傷が大きかった。
痛かっただろう。苦しかっただろう。
どんな奴がエマを殺したのかは分からない。
その後に、仲間たちの助けを得て手に入れた彼女の機体の映像を見て……俺は激しい怒りにかられた。
エマの体を見ればすぐに分かる。
そして、彼女の戦闘データを見て、それが確信へと変わった。
敵はエマの乗った機体をなぶる様に追い詰めていた。
彼女は必死になって戦っていたが。
一機また一機と仲間の機体は破壊されて行った。
彼女と戦っていた機体は複数いたが、中でも黒と白のカラーリングの機体が彼女を執拗に攻撃していた。
彼女の息遣いでどれだけ恐怖を感じていたのかは手に取る様に分かった。
そして、そのツートンの機体は、オープンチャンネルで彼女に声を聞かせていた。
恐怖を刺激する様に笑いながら、その手に持つブレードで彼女の機体の四肢を切断して。
最後の記録では、彼女の機体はダルマのようにされて転がされて、奴がそれを上から見下ろしていた。
不快な声で笑い続ける――不気味な”ピエロ”のエンブレム。
敵はエマの機体を動けないようにした。
そうして、コックピッドから彼女を引きずり降ろして……彼女をあんな姿にした。
彼女の苦悶の表情を見れば分かる。
どれほどの苦痛の中で、彼女が死を懇願していたのか。
ゆっくりと体を切り刻まれながら、彼女は枯れ果てるまで泣いていた。
その目元は濡れていて、俺の心は殺意に満ちていた。
エマの仇を取る。
エマをこうした人間をこの手で殺す。
あのピエロのエンブレムをつけた奴を――最大の苦痛を与える。
条約により、異分子の死体は回収が義務付けられている。
敵対する組織であろうともそれは同じで。
誰も汚いそれを自分の手で埋葬しようなんて思う人間はいない。
しかし、必要以上に痛めつける奴は無数に存在した。
逃げていった組織の跡地にて、ほとんどがメリウスのコックピッドで息絶えていたパイロットたちを回収して……それだけだ。
遺体の修繕がされていたのは、それを送る時に受け取る人間に手間をかけない為だ。
異分子の死体は勝手に埋葬する事も焼くことも許されない。
原型がある程度留められているのであれば、全ての死体をある場所へ送り届ける義務がある。
死体を送れば金になるという話は誰であれ知っている。
だからこそ、どんな人間であろうとも異分子の死体はその場所へと送られる。
条約で決められている程だから、例外は存在しないだろう。
……でも、そんな事はどうでもいい……修繕されていたから良かったじゃないんだ……っ。
俺は分かっていながら、彼女を行かせた。
帰って来る事は無いと知りながら、俺は彼女を見捨てたんだ。
恨まれていてもおかしくはない。
あんな姿にされた彼女は、俺の事を死んでも許さないだろう。
もしも、彼女が望むのであれば俺は――
『笑って。ナナシ――貴方は笑っていた方が魅力的だよ』
「――っ! エマ、どうしてその言葉を」
『何時か一緒に世界を見に行こうね。そしたら、きっと』
「エマ! エマ!! 待ってくれ! 俺はまだ、君を――っ!」
彼女の声が遠ざかって行く。
そして、俺の体はゆっくりと下へと落ちていった。
会えたんだ。死んだ彼女の声が聞こえた。
それなのに、何も会話できないままに別れるなんて嫌だ。
俺は必死に彼女の名を呼ぶ。
すると、光の一つが輝きを増して――人の姿になった。
人の輪郭のそれは女性の姿をしている。
長い髪を一つに括り肩に垂らして。
そっと華奢な腕を伸ばして小指を差し出していた。
「――エマ!」
『約束だよ。絶対に――自由になろうね』
彼女の言葉を聞く。
そうして、動かなかった筈の手を伸ばす。
しかし、既に遠く離れた彼女には届かない。
それでも俺は必死になって彼女へと手を伸ばして――――
▽▽
「エマッ!」
「うおあぁ!?」
ガバリと起き上がる。
そうして、手を伸ばした先には誰もいない。
俺の手は何も掴めず、妙な声が聞こえて……此処は?
知らない場所だ。
簡易的な鉄製のベッドに寝かされていて。
それほど広くない部屋には、酒瓶を両手で握りしめながら眠っているだぼだぼの白衣を着た小さな老人がいた。
ベッドの数は三つで、すぐ近くにある窓を見れば外にはガラの悪そうな人間たちが歩いていた。
見慣れた街。
個性の強い人間たちが歩いていて、サイレンの音や人々の怒鳴り声が小さく聞こえて来る。
遠くには巨大な壁があって……此処は、もしかして……。
少なくとも現在までは、清潔感のある部屋で眠っていたらしい。
体を見れば包帯が巻かれていて、腕には点滴がさしてある。
あの不思議な空間から出て、俺は知らない病室で目覚めた。
「……生きて、いたのか」
体はまだ少し痛む。
しかし、動けない程ではない。
長い間、眠っていたのか――扉が開く音がした。
視線を向ければ、目つきの悪いナースらしき女が入って来た。
耳にはすごい数の金属が埋め込まれていて。
くちゃくちゃとガムか何かを噛んでいた。
髪の色は濃い青であり、恐らくは地毛では無いだろう。
その後ろにはイザベラやミッシェルが立っている。
彼女たちは目覚めた俺を見て喜んでいた。
俺はそんな彼女たちに手を振って……何だ?
何か声が聞こえた。
何の声かとベッドの下を見て――ヴァンが倒れていた。
「……何をしているんだ」
「い、いや! お前が行き成り叫んだから驚いたんだよ! 全くよォ!」
ヴァンは怒りながら立ち上がる。
そうして、こけていた椅子を戻してからドカッと座った。
イザベラたちはその手に缶ジュースを持っていた。
くれるのかと見ていれば、彼女たちはそれを俺の前で開けて飲み始めた……自分用か。
俺が少しだけ呆れた目で彼女たちを見ていれば。
ナース服を着た人間が、老人の肩を揺する。
「せんせぇ。患者、目覚めてますよー」
「うぅ、ぁあ? 何、何……うぉあぁ!?」
眠たげな眼を擦りながら、老人は俺に目を向ける。
そうして、驚きを露わにしながら物凄い勢いで近寄って来た。
ペタペタと俺の体を触りながら「気分はどうかね!?」と聞いてくる。
「……少し痛むが、問題ない」
「ほぅほぅ! 問題ないと……キャサリンちゃん。彼は素晴らしいねぇ!」
「いやぁありえないでしょー。スーパーな男さんですかぁ?」
何を言っているのか分からないが。
何となく怪我の治りが速い事に驚いているのだろう。
これは体質だから何とも言えないが……まぁいい。
「心配を掛けた……どれくらい眠ってた?」
俺が質問すればイザベラが応えてくれた。
「まぁざっと二週間ほどだね……ひどいもんだったよ。全身の骨が粉々で、ほぼ虫の息ときたもんだ……復活しただけでも驚きなのに。少し痛む、ねぇ……アンタ、本当に人間かい?」
「……だと思う」
「いや、そこは全力で肯定しなよ……まぁいいさ。それで、任務の結果を知りたいんじゃないの?」
「あぁ……失敗か?」
俺が不安そうに聞けば、彼女はバツの悪そうな顔をする。
何か説明辛そうだと言わんばかりの顔だ。
「……まぁ結果から言えば失敗だね……標的は既に死んでいた。私たちじゃない第三者だ……恐らく、奴らが関わっているんだろうさ」
「……その言い方だと、まだ何かあるのか?」
「あぁあるさ……大安共心社の重役様からの直々のメッセージでね。端的に言えば、これ以上の詮索はするなってさ……依頼者がどうなったかは知らないが。口止め料としてたんまり貰ったよ」
「……そうか」
「ん? 何でそんな顔をするんだい? 喜ぶところだよナナシ」
イザベラはけらけらと笑う。
依頼者の事なんて彼女にとってはどうでもいいのだろう。
俺もそうであり、金が貰えたのなら喜びたい……だが、奴らが気になる。
俺が不満そうな顔をしていれば。
イザベラは笑みを消して俺をジッと見つめる。
「やめときな。こういう事に首を突っ込んだ奴ってのは……総じてろくでもない結果になっちまうんだ。忘れるんだよ」
「……でも、俺は知りたい……聞こえたんだ。声が」
「声?」
ミッシェルが首を傾げる。
俺は静かに頷きながら説明した。
碧い獣と会う度に聞こえる声。
その声がこの前はハッキリと聞こえて――探せと言った。
「何を探せばいいのかは分からない。でも、それは俺にとって大事な事だと思った」
「……危ない事になってもかい?」
「……あぁ、俺は探したい……答えを。真実を」
これも俺の選択だ。
俺がしたい事、俺が心からやりたい事。
碧い獣との会合で聞こえた声。
そして、夢のような世界でエマの声を聞いた。
約束したんだ。俺はこの世界で――自由になると。
自由になる為に、己のやりたい事をする。
誰かから強制される訳でも無く、縛られる訳でもない。
俺が考えて思った事を実行する。
それこそが、今の俺が想う自由だと思うから。
俺が決意に満ちた目でイザベラを見つめれば。
黙って聞いていたヴァンがパンと手を叩いた。
「いいね! そいつは凄く良い事だ!」
「待ちな」
「いいや、待たないね! ナナシがしたい事なら俺は全力で応援するぜ!」
「……お、俺も……ごめん、姐さん」
「……はぁ、バカだね。本当に……勝手にしな」
「よぉし! 決まりだ!」
ヴァンはぱちりと指を鳴らす。
まるで自分の事のように喜んでいる二人。
そして、イザベラも少しだけ口角が挙がっていて……ありがとう。
俺は心の中で礼を言う。
二人は俺へと視線を戻しながら「それでどうする?」と聞いてくる。
「……探すものが何かは分からない……だから、碧い獣にもう一度接触してみようと思う」
「アイツにか……うーん。まぁ出来ない事は無いが……神出鬼没だからなぁ」
ヴァンは頭を掻きながら眉を八の字にしていた。
ミッシェルも腕を組んで考えていた。
まぁそう簡単には会えないだろうとは思っていた。
相手は異名持ちの凄腕で、データベースには登録していない謎多き傭兵だ。
履歴を辿ったりして足跡を辿る事は出来ない。
俺たちはどうしたものかと考えて――イザベラが端末を向けて来た。
「……未登録の傭兵の情報を集めている人間がいる……所謂、マニアだが。情報の精度は確かだよ」
「い、イザベラぁ! お前!」
「よしな。そんなんじゃないよ……時間を無駄にしたくないだけさ」
「……それでも、ありがとう」
「……私が話を通しておく。返事はすぐに来るから、事務所で会えばいい。後は好きにしな」
イザベラはそう言って端末を仕舞う。
そうして、何処かへと行こうとしていた。
ヴァンが必ず連絡しろと言えば、彼女は手をふりふりと振りながら出ていく。
扉が閉められて残された俺たちは顔を見合わせる。
「……ま、これで情報が手に入れば良いが……ナナシは、此処で休んでいろよ」
「いや、俺も一緒に」
「ダメに決まってんだろ! 普通は二週間で骨が戻る訳ねぇんだ! 良く分かんねぇけど……いいから、休め! いいな!」
ヴァンに休むように言われて反論すればミッシェルに怒られた。
俺は不満を顔に表しながら彼女を見つめる。
彼女は鼻を鳴らして去って行った。
ヴァンも準備があるからと出て行こうとして――扉の前で止まる。
「言い忘れてた事があった……おかえり!」
「……ただいま」
ヴァンはニカっと笑いながら言葉を俺に送る。
俺は一瞬驚いたが、すぐに言葉を送り返した。
ヴァンはそれだけ言って去って行く。
先生とナースはそんな俺たちのやり取りをニヤニヤしながら見ていた……早く行け。
「それじゃ、ごゆっくり」
「また後で来ますからー」
二人はそう言って部屋を出ていった。
扉が完全に閉められて俺だけが残された。
俺は小さく息を吐いてから外を見つめる。
壁に阻まれた向こう側には、綺麗な街が広がっているのだろう。
しかし、此処だって沢山の人が住んでいて多くの物語があるんだ。
ゆっくりと陽の光が差す世界に手を伸ばす。
彼女に届かなかった手で、俺は何が掴めるのか。
「掴んで見せるさ――自由を」
思い出した大切な約束。
それを胸に、俺は世界に意識を向けた。