「……やっとか」
徒歩にて移動する事……大体、五時間くらいか。
結局、奴らは俺を車には乗せてくれなかった。
病気がうつる、お前の座る席なんて無いか……。
分かってはいたから、それほど落胆する事は無かった。
ただ街までの移動が徒歩になるのは少し嫌だっただけで。
奴らの反応自体には特段、怒りを覚える事は無い。
黙々と足を動かして移動し続けて。
後方陣地の拠点から、荒れ果てた荒野を進んで此処まで来た。
すっかり空は暗くなっていて。
目の前にある街を見れば、ちらほらと明かりが灯り始めていた。
簡素な木道建ての家が並んでいて。
街へと入る為の道は開けていた。
車も疎らだが置いてはあるが、どれも古いモデルのような気がした。
動くだけマシで、中には扉が無い車だってある。
前線に最も近い街だからこそ、人も街もあまり管理されていないように見えた。
黒い肌に白いローブを纏う人間たちが、主な此処の住人だろう。
他にいるのは、軍服を着崩した酔っぱらいやスーツを着た目つきの鋭い男たちだ。
道の隅には無造作に器を置いてその後ろに座り込む人間もチラホラいる。
治安は見ているだけでそれほどいい物には見えないが……まぁどうでもいい。
昼間は蒸し暑く、夜は冷えるのがこの地域の特性だ。
だからこそ、野宿なんて真似はしたくなかった。
少しだけ急いで来たから何とか間に合ったが。
もし、少しでも遅れていれば俺は凍死していたかもしれない。
月明かりの下で歩いている人間はそんなに多くはない。
電気は通っていても、誰もが使える訳では無いのだろう。
道を照らす灯りは電気だが、家の中から漏れている光は火によるもので。
前線から一番近い街だからこそ、インフラ整備はまだそれほど十全ではないのかもしれない。
電気代に、水道代も満足に払えない……貧しい街だな。
ローブの人間たちを見てから俺は少し白くなった息を吐く。
冷たいそよ風に吐息は掻き消されて、俺は上着のポケットに片手を入れながら目を細めた。
死に場所は欲しかったが、くだらない理由で死ぬのは御免だ。
俺はチラリと星空を見た。下品な光が無いからこそ満天の星が見える。
俺は綺麗な空で心を癒してから、視線を前に戻しゆっくりと街へと足を踏み入れた。
少し錆びついた看板にはワイアット語で”ようこそ旅人よ”と書かれている……旅をする身分では無いがな。
砂利の道から一変し、アスファルトでそれなりに舗装された道になる。
コツコツと靴でそれを踏みしめながら、俺は夜にしては賑やかな街を散策する。
まだ、辛うじて幾つかの店は営業している。
店じまいを始めている人間もいるが。
今の俺には関係ない。
取り敢えずは、今日泊まれる宿を探す必要があるだろう。
あまり、この辺りには詳しくはない。
一人で外に出かけた経験は皆無で。
街に足を踏み入れた記憶も、あまり無かった。
ワイアット語で看板に文字が刻まれていたから。
取り敢えず、言葉は通じるだろう。
問題なのは……これだな。
首を静かに指で撫でる。
これが無ければ、俺が異分子であることは誰にも分からない。
外せるのならそっちの方が良い。
が、異分子が外を自由に歩く為にはこれの着用が絶対で。
もしも、勝手に外したり掛けずに出歩こうものなら……最悪、その場で射殺される。
そういう話は聞いていた。
異分子の子供が、首輪を掛ける事を拒絶して病院から脱走し。
保護した警官が、その子の身分を照合して異分子であることがバレて。
奴らにとっては触りたくないものに触れた事が怒りの琴線に触れて……胸糞の悪い話だ。
嫌な記録を思い出した事で顔を顰める。
今はそんな事は関係ない。
宿を見つけるのが先決であり……先ずは、あそこだな。
足を止めて視線を向けた先には、一軒の酒場兼宿屋があった。
古びた外観であるものの、それなりの大きさで。
看板には”極楽城”なんて文字が書かれているが、列記とした宿屋だ。
傍に立てかけてあった看板には、一階が酒場で二階が宿屋であると書かれている。
営業時間は午前二時までであり、外まで聞こえる騒ぎ声からして店が閉まるまでは眠れそうになさそうだ。
俺は冷静にそんな事を分析しながら、周りに視線を向ける。
何名か、路上で煙草を吹かしているガラの悪そうな連中が俺を見ている。
スーツを着た若い男たちで、ずっと殺気立っていた。
近寄ればもめ事が起きる事は想像に難い。
あまり、街の中をうろついていれば後ろから刺される危険性もある。
ただでさえ、目覚めてすぐに追いだされて此処まで五時間以上をかけて歩いて来たのだ。
過酷な戦場に身を置いていたとしても、幾分かは疲労を感じる。
「……ここにしよう」
贅沢を言える身分でも無い。
どんな所であろうとも、屋根があって壁があればそれで十分だ。
雨風を凌げるのなら、何処であるとも立派だろう。
俺はそう自分に言い聞かせながら足を進める。
そうして、賑やかな店内へと戸を押して入っていった。
カラカラとベルが鳴り、何名かが此方を見て来る。
酒をたらふく飲んで顔は赤らんでいて。
目を細めながら、俺の首輪をジッと見ていた。
嫌な視線だが無視する。そうして、俺はゆっくりとカウンターへと歩いて行った。
ゆらゆらと天井のみすぼらし電球が揺れている。
男たちの笑い声に反応しているように見えるそれ。
俺はそれを視界の端で捉えながら、カウンターの前に立った。
街の住人と同じように白いローブを着た色黒の店主。
角ばった顔には逞しい髭が生えており、彼は俺をチラリと見る。
俺は彼に一泊したいことを手短に伝えた。
すると、店主は「部屋は埋まってるよ」と冷たく言う……嘘だな。
明らかに、部屋が埋まるような人気店ではない。
旅人が訪れているのであれば別だが。
幾ら戦場からは離れていようとも、此処は異分子の国からそれなりに近い。
もしも、奴らが攻め込んでくるのなら此処は真っ先に戦火に包まれる。
そんな危険な場所に旅行に来るような好き者はいない。
いたとしても、もう少しマシな宿を取る筈だ。
俺はゆっくりとナップサックをカウンターに下ろす。
そうして、中に入れておいた財布を取り出した。
今までの給料のほとんどは勝手に作られた通帳の中にある。
が、万が一。銀行で金が下ろせなかった場合に、こうやって必要な分だけの金を入れておく。
昔からの決まりであり、徴兵によって集められた人間が退役する時はこういう気遣いがある。
あの意地の悪そうな男も、流石に俺が野垂れ死ねば後々面倒だと思ったのだろう。
これは優しさではなく、ただの義務で……俺は中から紙幣を全て出した。
「……これだけ払う。泊めてくれ」
今ある分だ。
小銭を出しても良いが、あまり意味はない。
神の顔を模ったそれが刻まれた緑色の紙幣が三枚……全部で三万バークだ。
この店の宿代がいくらかは分からない。
だが、三万もあればこんな治安の悪い場所ならそれなりの店に泊まれる筈だ。
世間の常識には疎い俺でも、それくらいは分かる。
俺が紙幣を差し出してカウンターの男を見ていれば、男はしかめっ面のままゆっくりと壁の鍵を握る。
「……一番奥の六号室が空いていたのを思い出した……さっさと行け」
「……ありがとう」
店主から鉄製の鍵を受け取る。
そうして、ナップサックを持って二階へと上がろうとして――声を掛けられた。
ゆっくりと振り返れば、三人組の男たちが立っていた。
酒瓶を持ちながら、肥え太った体をした長身の男が笑っている。
声を掛けてきたのは真ん中の毛だらけのそいつで。
脇の男たちは何が面白いのかニヤニヤと笑っていた。
「おい、お前だよお前……お前のご主人様は何処だぁ」
「……俺に主人はいない。俺は退役兵だ」
「退役兵だぁ? おい聞いたか。こいつ今、退役兵だってよ。はははは!」
「……用が無いなら俺は――ッ!」
奴から殺気を感じて体をずらした。
すると、奴が持っていた酒瓶を勢いよく振り下ろしていた。
もう少しで頭に当たっていただろうそれは、カウンターに当たり砕け散った。
バラバラに砕け散ったそれ。
ボタボタと中に残っていた酒が垂れて床を汚していた。
奴はゆらりと体を動かしながら、鋭い目で俺を睨んできた。
「……俺も退役兵だ。だから知ってんだよ。お前見てぇな異分子が、五体満足で退役出来ねぇって事はな……このまま、お前を警察に突き出してもいいんだぜぇ? 言ってる意味、分かるよなぁ」
「……金か」
「ひひひ」
こいつ等はただの揺すりだ。
のこのこと一人で入店した俺を、何処かで雇われた異分子だと思い込んでいる。
恐らくは、金を持ち出して逃げて来たと思ったのか……馬鹿の考える事は理解できない。
金を渡せば退いていくだろう。
しかし、今の俺に手持ちの現金は無い。
宿屋の店主に渡した金以外であるのは、小銭くらいで。
通帳を渡したところで、本人以外が引き出す事は出来ない。
つまり、だ。俺が言うべき言葉は――
「今は金が無い。明日にしてくれ」
「…………あぁ?」
嘘のように聞こえるだろう。
しかし、事実であることは間違いない。
問題なのは、俺の言葉をこいつが信じるかで――奴はくつくつと笑う。
「……表に出ろ」
奴は怒りに染まった顔で俺を睨む。
周りには奴の取り巻きが立っていて。
逃げる事も助けを求める事も出来ないだろう。
俺はどうしてこうも面倒事が舞い込むのかとため息を吐きそうになった。
ゆっくりと持っていたナップサックを置いて鍵もカウンターの上に置いた。
これ以上奴らの心を刺激しないように、促されるまま大人しくついていく。
反撃する事も、奴らの攻撃を回避する事も許されない。
俺たち異分子はあらゆる状況において不利で……耐えるしかない。
酒場から出ていく時に――チラリと目に映る。
一人で酒を飲んでいる男だ。
黒い髪を無造作に伸ばしていて。
いかにも胡散臭そうなサングラスを掛けた男。
黒いスーツを着ているが、それはだらしなく着崩されていて。
奴は片手でサングラスをずらして、猫のように細めた目を俺に向けていた。
そうして、酒の入ったグラスを持って――ニカリと笑う。
「……さっさと歩け」
背中を押されて、俺は強制的に店の外に連れて行かれた。
店の外に出れば、店の中の熱気が消える。
肌寒い空気の中で、俺は対面に立つ毛むくじゃらを見る。
奴は来ていた上着を脱いで、取り巻きへと投げた。
そうして、拳を構えて――動く。
奴の太い腕が振られて、目の前に奴の拳が迫る。
今までメリウスに乗って戦っていたからこそ。
ただの人の攻撃くらいは容易に視認出来る。
避けようと思えば簡単に避けられるが――っ!
少しだけ頭を動かす。
そうして、奴の拳を左の頬で受けた。
鈍い音を立てて、奴の力任せの一撃を受けた。
少しだけ口の中を切ってしまい、俺は唾と共に血を吐き捨てた。
奴は肉の感触に酔いしれながら、俺へと向かってくる。
「まだまだ、こんなもんじゃねぇぞ!!」
奴の声を聞きながら、奴の攻撃を受け続ける。
ガスガスと音が響いて、体中に痛みが走る。
俺はそれを受け続けながら、ただただ早く終わってくれと願い続けた。