街の一角にある寂れたレストラン。
酒場の方は傭兵たちで溢れていたが、此処は夜でも静かで。
恐らくは、アルコールの類を取り扱っていないからアイツ等は来ようと思わないのだろう。
そして、此処は傭兵が使う為の施設であるから、街の住民が寄り付く事も無い。
若者が好きそうなポップな感じの内装。
レトロな雰囲気もあり、明るさがありながらも纏まりがある空間で。
年季の入った赤色のソファーに座りながら、俺は店内を観察していた。
店内で飲食をしているのは……三人か。
一人はニコニコと笑みを浮かべる肩に掛るぐらいの長さの黒髪の女。
目の前に置かれた三段のパンケーキを美味そうに頬張っている。
傭兵かもしれないが、ビジネス用のスーツを着ているから判断がつかない。
もう一人は壮年の男で。
静かにコーヒーを飲みながら、紙の新聞を読んでいた。
男の目は此方を見ていないが、遠目から見ても分かるほどには強いだろう。
常に警戒心を持っており、不審な動きをしようものなら何をされるかは分からない。
灰色のトレンチコートを着て、仕込んであるだろう銃は見えなかった。
そして、最後の一人は……新人か。
緊張している様子の男。
歳は恐らく、俺よりも下で十代後半くらいだろう。
肩に力が入っており、別に社交場でも無いのにガチガチだ。
明日が初仕事なのかは分からないが、アレではダメかもしれない。
声を掛けようとは思わないが……まぁいい。
視線を戻して前を見る。
すると、俺の前の席にはジョンが座っていた。
彼はウェイトレスが運んできたステーキを頬張っている。
分厚い肉であり、鉄板に焼かれる音が食欲を大いにそそる。
上に掛けられたステーキソースが鉄板に触れてふわりと匂いが広がった。
濃厚なガーリックソースであり、思わず喉を鳴らしてしまう。
彼はナイフとフォークを器用に使う。
静かに食事をしながら、チラリと俺を見て来た。
「……食べないのか」
「え、あぁ……」
ジョンに言われてハッとした。
警戒のし過ぎて周りに意識を向け過ぎた。
ウェイトレスは俺の分のステーキも運んできたのだ。
俺は冷静になりながら、ナイフとフォークを取り肉に刺した。
フォークで差してナイフで切れば。
まるでバターのように肉がするりと切れる。
それはナイフの切れ味が良い訳では無く。
肉自体が容易く切れるほどに柔らかいのだろう。
するりと切れば肉汁が溢れ出して鉄板から気持ちのいい音が聞こえて来た。
そうして、ふわりと匂いがあがって来て鼻腔を擽る。
肉の旨味が気化して、俺の口内を唾液で満たす。
てらてらと肉汁によってステーキが輝き、ミディアムレアのそれは中が綺麗なピンク色だ。
俺はナイフで切り分けた肉をフォークで刺す。
そうして、ゆっくりと口へと運び――入れた。
一噛み、二噛み……っ!
噛めば噛むほどに温かな肉から汁が溢れる。
肉のスープであり、唾液と混じり合い口内を大いに楽しませる。
そして、上に掛けられたソースは匂いで分かる通りかなりニンニクの味が効いていた。
目が覚めるような刺激。しかし、癖が強い訳ではなくほどよい濃さだった。
醤油や幾つかのスパイスを起点として、ピリ辛でありながらニンニクの香りを損なわないように作られたこげ茶色のソース。
バターのような塩味と甘さもあるから……それも使っているのか?
何方にせよ、これは当たりだ。
俺は肉をよく噛んで飲み込む。
喉をするすると通って行き胃へと運ばれて行った。
水のような、とまではいかないが……美味い。
ジューシーな肉を思う存分味わう。
ナイフで切り口へと運ぶ。
またナイフで切り口へと運ぶ。
もう二枚はいけてしまうほどに絶品だ。
俺は口角を上げながら、目の前の料理を食べていった。
「……ごちそうさま」
両手を合わせて食事を終わらせる。
目の前には肉が消えた鉄板だけが残されていた。
付け合わせのニンジンやジャガイモも平らげて。
俺は満足して冷えた水を飲んだ。
ふと気になってジョンを見れば、優雅にナプキンで口を拭っている。
俺は美味かったかと彼に聞いた。
すると彼は「美味しかったよ」とだけ言う……それなら、もっと笑ってくれても良いと思うが。
感情を出すのが苦手なのかと思ってしまう。
それほどまでに、ジョンは終始無言無表情であった。
別にオーバーリアクションを期待していた訳じゃない。
だが、少し笑うくらいはすると思ったが……俺だけなのか?
こんなにも料理で喜んでいるのは俺くらいなのか。
いや、違う。ヴァンやミッシェルも反応は良い。
此処に来る前に食べた俺の料理も喜んでいて――
「話をしようか」
「……あぁ、そうだな」
少し意識が逸れた。
ジャンはそんな俺の様子を見透かしたように口を挟む。
俺はそれに同意しながら、ピッチャーを傾けて奴のコップに水を注ぐ。
互いに水でコップを満たしてから、俺はそっとピッチャーを脇に置いた。
「……僕はこの街に用があって来た」
「その用は何だ?」
「古い友人……彼の残したものを見に来た」
「……抽象的な言い方だな……残したもの、ということは……」
俺はその先を言えなかった。
幾ら怪しい人間であろうとも、友人について詮索するのははばかられる。
言いたくない事であるのなら、無理には言わせたくない。
そう思って口ごもれば彼は「違う」と言う。
「死んではいない。生きているよ……もう随分と会ってはいないけどね」
「……それは何処かに飾ってあるのか?」
残したもものとやらが少し気になった。
名のある画家でそれは絵画であったのか。それとも彫刻のようなものか?
何方にせよ。価値あるものであればそれ相応の場所にある筈だ。
だが、この街に芸術品を飾るような施設は無かったと思う。
いや、まだ来て日が浅いから何も言えないが……。
「飾るようなものじゃない。ありふれたものだよ。何処にでもいるものの一つに過ぎないから」
「……よく分からないが……それを見て何か思ったのか?」
「……特には……友人が何を考えていたのか。もっと分からなくなった……結局、僕は彼の理解者にはなれない事が分かったよ。この先もずっとね」
ジョンは無表情で淡々と言う。
悲し気な言葉であっても、その心は見えてこない。
事実だけを言っているだけだ。それだけだ。
彼と話しても何も分からない。
彼の心も、残されたものが何かも。
聞きたかった事はあった。
不思議な空気を放つこの男は、何か知っているんじゃないかと。
都合よく俺が助けたこの男は、俺の誘いにもあっさりと応じた。
まるで、この巡り合わせが偶然では無く”必然”だったと言わんばかりで。
聞くべきか……だが、少し怖いな。
ジョンに聞けば、何かが分かるかもしれない。
しかし、聞いたが最後であり、その先に何が待ち受けているのかは分からない。
歳はそんなに変わらないように見えるのに、この男と会話をするだけで雰囲気に呑まれそうになる。
人を引き寄せる人間特有の空気を持っており、不気味なほど静かなこの男に対して興味がつかない。
もっと知りたい。もっと話してみたい。
気が付けば、ジョンを食事に誘ってしまっている。
この時点で、俺はジョンの策略に嵌っているのかもしれない。
ならば、此処で聞いても聞かなかったとしても変わりはないだろう。
俺は少し考えた……そして、意を決して聞こうとした。
「カワセ。聞きたい事がある」
「……何かな」
「……お前は、碧い獣を知っているか。俺は今、そいつを探して――!」
ジョンに質問をした。
そして、彼はそれに応じようとしてくれた。
その時に、扉が勢いよく開け放たれた。
夜の冷えた風が店内に入って来て。
特徴的な六極警察隊の制服を着た男たちが入って来る。
浅黒い肌にがっちりとした体格。
鋭い黒い目で店内を見て――視線が止まる。
警察官三名が俺たちの方を見ていた。
その脇には、首輪をつけたやせ細った異分子がいる。
その男は指を俺たちに向けていた……厄介事だな。
店内に入って来た警官たちはゆっくりと近寄って来る。
俺は冷や汗を流しながら、チラリとジョンを見た。
だが、彼は全く焦っていない。どういう事だ?
恐らく、あの異分子が通報したのだろう。
同じ異分子であると当たりをつけて、ジョンが首輪をつけていなかった事を見ていた。
首輪をつけていない異分子を発見した場合。
通報した者がいれば、その人間に情報量が支払われる。
だからこそ、異分子だけではなく普通の人間も見つけた場合は率先して警察に知らせるのだ。
この状況は非常にマズい。
もしも、ジョンを調べられて異分子であると分かれば……どうする。
俺は彼らが近づいている時に考えた。
残された時間が僅かしかない。
そんな中で、俺は頭を働かせて――立ち上がる。
警官が腰に手を当てる。
俺は両手を挙げながら彼らの前に立った。
店内で食事をしている人間たちが俺を見ている。
そんな中で俺はゆっくりと自分の首に手を当てて――布をずらした。
「すみません。首輪は付けています」
「……おい」
「は、はい!」
俺がニコやかに言えば、警官は顎をしゃくって通報者を呼びつける。
男は小走りで近寄り、無言で指をジョンに向けた。
「あ、あいつです。この男もそうですが……あ、あっちは首輪をつけていません!」
「……そこのお前。正直に答えろ……お前は異分子か?」
「……」
ジョンは何も言わない。
ゆっくりとコップに手を伸ばし、水を飲んでいた。
そんな落ち着き払ったジョンの動きに苛立ちを覚えた警官。
彼は俺を押しのけてジョンの横に立つ。
そうして、腰のホルスターから銃を引き抜いた。
警官はそれをジョンのこめかみに押し付ける。
「もう一度聞く……お前は、異分子か?」
「……その質問に意味はない。自分の目で確かめた方が早いんじゃないか」
「……おい。計測器を貸せ」
「ほらよ」
警官の一人が銃の形をした計測器を取り出す。
それはその人間が異分子であるかどうかを計る為のもので。
医療現場には必ず置かれているような高性能な機械だった。
男はゆっくりと拳銃を持っていない手でそれを掴む。
そうして、水を飲んでいるジョンに向けた。
「何時まですかした態度を取っていられるかな」
「……」
俺の頬を汗が伝っていく。
まずい。もう逃げられない。
周りは警官で固められて、逃げたとしてもどうする事も出来ない。
国外に逃げたところで意味は無いのだ。
六極は世界中に存在して、常に情報を共有している。
逃れる事は出来ない。もうおしまいだ。
こいつは知っている。
俺が求める情報を持っている筈なんだ。
それなのに、何も出来ないまま連れて行かれるなんて――音が鳴る。
計測器が測定を終えた。
警官が小型のモニターに映った情報を見て――驚いていた。
「……”異分子じゃない”だと……ガセか……悪かったな……お前は署に来てもらうぞ」
「そ、そんな! そんな筈は!?」
「うるさい。痛い目に遭いたいのか?」
「ひ、ひぃ!!」
警官は銃を仕舞う。
そうして、嘘の情報を言った男を連行していった。
店内は再び静寂に包まれて。
俺はどういう事なのかと思いながら、ジョンに視線を向けた。
……異分子じゃなかったのか? いや、それなら何故……。
分からない。益々、この男が分からなくなった。
異分子だと思った男はそうではなかった。
測定器の故障では断じていない。
奴らがメンテナンスを怠る事は無く。
そもそも、測定器の故障が偶然起こる確率はほぼゼロだ……つまり、こいつは……。
「座りなよ」
「……あぁ」
ジョンは落ち着いていた。
まるで、今しがた起きた事が嘘の様で。
俺は少しずつ冷静さを取り戻しながらゆっくりと席に戻った。
ジョンは置かれていた店の端末を取る。
そして、メニューを見ながら操作していた。
「……想像通りじゃなかった。嘘をついたのか?」
「嘘を言った覚えはないよ。君の感じた通りだ」
「……でも、違った……それはどういう」
「――違うだろ? 君が本当に知りたいのはそこじゃない筈だ」
「……っ」
視線をあげて俺を見て来るジョン。
その黒い瞳には俺が映っていて、ひどく動揺していた。
まるで、肉食獣を前にした小動物のようで……ペースを乱されている。
次から次へと謎が出て。
この男に対しての興味が湯水のように湧いてくる。
しかし、ジョンの言う通りその他の情報は俺を欲するものじゃない。
本当に欲しているのは碧い獣の情報だ。
「……それで、お前は知っているのか?」
「……知っているよ。次に何処に現れるのかも……仕事の話をしようか。ナナシ」
ジョンは端末を戻してから、机の上で手を組む。
碧い獣の情報を渡す代わりに仕事を受けろと言う事か……分かり易くて助かる。
「……仕事は何だ」
「とある工場への襲撃を頼みたい。そこはSAWの所有する生産工場だ。可能なら全て破壊して欲しいが……無理なら、施設内の中央部最下層にある”バイオリアクター”だけでも壊してきて欲しい。工場を守る警備兵の数や配置。設置された防衛装置についての情報は提供できる……どうかな」
「……俺はSAWの仕事を引き受けて」
「――関係ないよ。これは僕個人の依頼だ。襲撃した君には何も無い。それだけは保証出来る」
ジョンはハッキリとそう告げた。
恐らく、彼の依頼を受けて工場を襲撃しても……奴らが俺を計画から外す事はしないだろう。
狙われるのはジョンであり、俺たちはただの駒でしかない。
ジョンは依頼の説明をしたが、もしも俺が受けるのであれば正式に依頼を出す筈だ。
「決めるのは君で、時は今だ……嫌なら断ってもいいよ」
「…………分かった。受けよう」
「……取引成立だ。依頼が達成され次第、報酬と情報を渡す……”それなりに”期待しているよ」
ジョンはそう言って席を立ちあがる。
俺はまだ話があるからと彼を引き留めようとした。
すると、タイミングの悪い時にウェイトレスがやって来た。
トレーの上にはカップが一つ置かれていた。
「ホットコーヒーです!」
「頼んでいない」
「……あれ? でも」
「合ってるよ。ありがとう」
「あ、そうですか……では、ごゆっくり!」
コーヒーを置き、テキパキと机に置かれた鉄板を片付けたウェイトレス。
会釈をして彼女は去って行った。
彼は「ゆっくりと飲んでくれ」と俺に言う……まさか。
俺は店の端末を取る。
すると、いつの間にか食事の代金が支払い済みになっていた。
電子決済で勝手に終わらせたようだ……やられた。
「楽しい時間だったよ。また会おう。その時は……君が僕に奢ってくれ」
「……分かった……約束は守ってくれ」
「分かってる……それじゃ、おやすみ……あ、それと――君の操縦。面白いね」
「――ッ!!」
初めて奴が笑った。
少し口角を上げただけだ。
しかし、奴は確かに笑って最後に特大級の種明かしをした。
引き留めようとしたが、テーブルには既にコーヒーが置かれている。
飲まずに出るのは店に対して失礼で。
急いで飲もうとしたが、触れただけで分かるほどに熱かった。
全て計算づく。
奴が俺を試した事も、奴が依頼を持ち掛けてきた事も……そして、足止めの一杯も。
奴は優雅に店から出て去って行く。
もう姿は見えない。
追いかけようとしても無駄だろう。
俺は静かに息を吐いた。
そうして、カップの取っ手を持ちながら熱々のそれに息を吹きかける。
……抜け目のない奴だ……何処にでもいそうなのに、奴しか持ちえない何かを秘めている。
不思議な男について想像しながら。
俺はチビチビと酸味のあるコーヒーを飲んでいく。
少し冷えて来た時間帯には、この一杯が最高で。
抜け目が無いが、気遣いの出来る男でもあるのだろうと少しだけ感心した。