音が聞こえて来る。
パチパチという何かを叩く音で。
それが連続して聞こえてきて――雨の音だと理解した。
優しい音であり、聞きなれた音。
耳に心地よく気持ちが落ち着く音だ。
静かに聞きながら、闇の中で俺は藻掻く。
嗅ぎなれた匂いがする。
水に濡れた鉄の匂いや消毒液の匂いだ。
体には何かが掛けられていて温かさがある。
露出した肌で冷たい外の空気を感じて、体を包む柔らかな感触に温かみを抱いた。
耳で音を聞き、鼻で匂いを嗅いで、体で温度を感じた。
ゆっくりと四肢の感覚が戻って来て、今なら瞼を開けられそうだ。
俺はゆっくりと瞼を開けていく。
すると、視界には光が満ちていき――見知った天井があった。
「……また、か」
自分の状況はすぐに理解した。
少しだけ体が痛みを発していて、腕を見れば点滴が刺されていた。
中身はただの栄養剤だろうな……皆は何処に?
やけに静かだ。
何時もなら、ミッシェルが機体の整備をする音が聞こえて来る筈だ。
それか、隣の部屋にいる筈のヴァンたちの声が聞こえて来るだろう。
でも、今は小さな雨音しか聞こえないほどに静かで。
妙な不気味さを感じてしまう。
俺はゆっくりとベッドから起き上がる。
そうして、点滴台を持ちながら歩き始めた。
一歩歩く毎に体が鈍い痛みを発していて。
眉間に皺を寄せながらも、少しずつ歩いて行った。
ひたひたと歩いて、扉の前に立つ。
部屋のノブを握りしめて回す。
そうして、部屋から出て行こうとして――
「まだ出ない方がいいよ」
「――ッ!?」
後ろから声が聞こえて来た。
俺は思わず振り返ってしまう。
するとそこには、俺が眠っていたベッドの縁に腰かける――ジョン・カワセがいた。
あり得ない。病み上がりとはいえ気配に気づかない筈がない。
いや、扉が開いた音は聞こえなかった。
それはつまり、最初から部屋の中にいたと言う事か……いや、もっとあり得ない。
最初からいたのなら、絶対に気づく筈だ。
この部屋はそこまで広くはなく。
隠れる事が出来るスペースも限られている。
もし隠れていたとしたのなら、奴の着ているスーツに汚れがないのは可笑しい。
窓から侵入しようとしても、成人男性があの小さな窓から入る事は不可能だ。
それに、もしもついさっき来たのであれば服が全く濡れていないのは可笑しい。
奴のスーツは新品同様に綺麗な状態で……なら、ジョンは何処から?
俺は黙って奴を見つめる。
すると、奴はくすりと笑ってから立ち上がる。
「驚かせたのなら謝るよ。でも、僕を招き入れたのは君の仲間だ」
「……ヴァンたちが? それは絶対に無い」
「……そうだね。言葉が足りなかった……君の仲間が受け取った荷物を通して、僕は君と繋がっていると言おうか」
ジョンは意味ありげな言葉を呟く。
その言葉の意味を考えれば、この空間の不気味なほどの静けさも理解できる。
此処は俺たちが生きている世界ではない。
もっと詳しく言うのであれば、此処は現実では無く――”仮想空間”だと思われる。
「ご名答」
「……心が読めるのか」
「あぁ、少しね……安心してくれ。もう使わないから」
ジョンはそう言いながら、片手をあげて人差し指と親指を広げるようなジェスチャーをした。
その瞬間に、狭い部屋の大きさが一瞬で変わる。
まるで、強引に手で押し広げたかのように空間が広がって。
次にジョンは指をパチリと鳴らした。
すると、俺とジョンの前に豪華な椅子と丸い机が現れた。
その上には、温かな湯気が昇る茶が置かれていて……まるで、手品の様だな。
「座ってくれ……約束の報酬を渡したい」
「……三人には伝わっているのか?」
「……ある程度はね……全てを教えるかどうかは、君が決めてくれ。一応は僕なりに配慮したつもりなんだ」
ジョンはそう言いながら椅子に座る。
俺も言われた通りに椅子に座った。
スーツを着たビジネスマン風の男と、上下ともにラフな格好をした男。
対照的な見た目の俺たちは互いに向き合って、目の前の茶が注がれたカップを見た。
「まぁ先ずは……お疲れ様と言わせてほしい」
「……あぁ」
カップを持って口につける。
赤色の液体の味を確かめれば、リンゴの味がして……アップルティーというやつか。
芳醇な甘みと僅かな酸味が感じられて。
冷え切った体が心から温まって行く感じがした。
くどくはなく、アッサリとしていると言ってもいいほどにスッキリとした味わいだ。
それを静かに飲んでから、ゆっくりとカップを置いた。
「……僕の想い出の味だ……気にいってくれたかな」
「……美味かった」
「そうか。それなら良かった……聞かせてくれ。君はあの施設で見たものをどう思う?」
「……」
ジョンは俺に質問をしてくる。
その内容は、あの施設で見たものの感想で……突然言われても答えようがない。
バイオリアクターとされたものは確かに存在した。
だが、その燃料となるものは俺の想像したものとはまるで違った。
ジョンは知っている。知っていて、こんな依頼を俺に出した。
バイオリアクターを動かす為に必要な素材は……人間だった。
悍ましい。考えただけでも吐き気がする。
人間が、人間を使って物を生み出そうとしていた。
それも、俺が見つけるよりも前から行っていたのだろう。
既に犠牲者は数えきれないほどにいるのかもしれない。
アレは世間の目には触れる事無く、闇の中で稼働し続ける。
アレを潰しただけでは終わらない。何故かは知らないが、そう思えてしまった。
人間の底知れない欲望と好奇心が、あんな悍ましい物を生み出したのだ。
狂っている。人道を外れた者でしかたどり着けない場所。
アレはそこから流れて来た忌むべきものだ。
「……分かった」
「……また、心を読んだのか」
「違う。君の表情を見れば、誰でも分かるよ……すまない。辛い事をお願いして」
「……意外だな。お前は謝らないと思っていた」
ジョンは静かに頭を下げて謝罪を口にする。
てっきりジョンは感想を聞くだけで、謝りもせず話を続けるものだと思っていたから。
俺がハッキリとそう言えば、ジョンはゆっくりと顔をあげる。
その表情は変わらず無表情であるが……瞳の奥には強い光が宿っていた。
「どんな事であろうとも、僕は責任を持つ。それは最低限、無くてはダメだと思うから……今回は、碌な情報を与えずに半ば強引に君を任務に誘ってしまった。理由は、全てを話せば君が依頼を受けなくなる可能性があったから。それと、この情報を第三者に渡す恐れもあったからね……だが、それは僕個人の理由だ。君に対して誠意に欠けていた事を、僕は謝ったつもりだ」
「……謝罪をしたが。許す許さないは関係ないと?」
「あぁ、そうだね。僕は責任を果たしただけだから」
「……素直だな。憧れるよ」
俺は皮肉を言う。
しかし、奴は全くに気に留めていない。
「約束の報酬……碧い獣の情報だったね……それを話す前に、SAWの事を教えたい……あぁ、時間なら大丈夫。此処には時間という概念は存在しないから」
「……分かった」
ジョンの話すSAWの情報。
それと碧い獣の情報には関連性があるのか。
そうでなければ、話す必要は無い筈だ。
俺はそうだろうと思い、ジョンに情報を渡すように言った。
「……先ず初めに、君があの施設で見たバイオリアクターは他の企業には公表されていない技術が使われている……それは人間を材料として使う事で従来のエネルギーでは届かない高濃度のエネルギーを安定して生み出せる技術――”万象”と呼ばれているものだ」
「……何故、人間なんだ。人間を使ったところで大した変化は無い筈だ。それに、それを使うのは効率が」
「――異分子だと言ったら、分かるかな?」
「……っ!」
ジョンが話した万象と呼ばれる技術。
そして、その技術によって使用される命は異分子だという。
人間ではない。人間じゃないから、何かが違うとでも言うのか。
世界の法則を乱す恐れがある異分子だからこそ、それが可能だと……馬鹿げている。
「あり得ない……そんな事は……」
「本当にそう思うかい? 突如として生まれた異分子という概念。この世界の神が、管理下に置けないそれらを抹消する事を命じるほどだ。あらゆる法則を乱す可能性を秘めた別の生き物たち……普通の人間じゃないのなら、強ち馬鹿げた話でもないんじゃないかな」
「……仮に、そうだとして……何処からだ。何処から異分子を集めている」
「方法は幾らでも。その中で最も効率が良いのは、異分子の細胞を使って無限に生み出す方法だろうね……作り、生み出し。薬剤により強制的に成長させ、出荷し材料に使う。そして、また作り……その繰り返しだよ」
「……っ」
淡々と事実を話すジョン。
奴の瞳の光は今だ強い光を発していた。
憎しみも怒りも無く、ただただ意思の光を発している。
話しの内容があまりにも常軌を逸しているからか。奴の口から聞いたからか……その何方もかもしれない。
吐き気が込みあげてくる。
悍ましい事実に加えて、それを話す奴は無感情で。
違うだろう。お前も異分子なら、そんな顔で語っていい筈は無い。
もっと怒れ、もっと憎しめ――もっと人間らしい感情を見せろ!
俺は奴を睨む。
それは奴に対して怒っているからではない。
奴自身を恐れて、睨みつけてしまっているだけだ。
そうしなければ、俺もこいつと同じになってしまうから……それだけは嫌だ。
「……万象によって生み出されたエネルギーはね。どんなものよりも安定していて、尚且つ、無限にも等しい可能性を秘めていた……あの狂った企業の中には、そんな眩いばかりの光を求めて集まる”蛾”が多くいた。倫理観も何もかもを無視してでも、可能性の光を求め続けた……その結果、奴らは二つの事に着目した。その一つが”災厄”と呼ばれる過去に存在した魔王。そしてもう一つは、異分子の国に存在する”
「……待て。過程が分からない……そのハイランダーとやらはまだ分かる……でも、何で災厄なんだ? 関係は無い筈だ」
俺がそう問いかければ、ジョンは僅かに眉を動かす。
そうして、両手を組みながら静かに机の上に置く。
少しだけ口角を上げながら、ジョンは「流石だね」と呟く。
「……やっぱり災厄の情報は得ていたんだね」
「……そんな事は今はどうでもいい」
俺はジョンに説明を促す。
すると、奴は笑みを消して真顔でハッキリと事実を言う。
「……アレはね。僕たちにとっては大いに関係がある。何故ならば、アレが根源となって――僕たちは異分子になったんだ」
「――は? 今、何て」
信じられなかった。
災厄によって、俺たちは異分子となったなんて……そんな筈、ないだろう……っ。
分からない。何も分からない。
異分子が生まれた理由を俺は知らないが。
遥か昔にいたとされるそれが関わっているなんて。
奴を見る。
目を逸らすことなくジッと俺を見つめてきていた。
その瞳が揺れ動く事は無い。
迷いは無く、嘘をつく人間の目ではない。
事実だ。奴は事実しか話していない……少なくとも、奴自身はそう認識している。
信じろと言うのか?
こんなバカげた話を……っ。
「……今すぐに、全てを飲み込めとは言わない……でも、君は何れ真実を目にする。その時は、絶対に目を背けてはいけないよ」
「……何れ、だって……それは何時だ。お前は俺に何を……いや、お前は俺の何を見ているんだ!」
声を荒げながら机を叩く。
意味不明な事を告げられて、奴は俺の全てを知ったような口で話す。
焦りや恐怖から、俺は声を荒げてしまった。
初歩的なミス。対話をする人間に対して、怒りなどの感情を向けてはいけないのに。
奴はくすリと笑う。
そうして、スッと椅子から立ち上がる。
「見えていないよ。君の未来も運命も……君しか知り得ないものだ」
「……っ。なら、お前は、お前は何の為に、俺をあの工場に」
俺は問いかける。
責任があるのなら、謝罪をするくらいなら理由を聞かせろと。
すると、奴はハッキリと告げた。
「君には知っていて欲しかったから。友人の残したものには……真実を知っていて欲しかったからね」
「友人の残したものだと……それは何――っ」
奴に問いかけようとした。
しかし、視界が大きく揺れた。
ぐにゃりと歪んでいき、立っていられなくなる。
俺は点滴台を押し倒すように倒れてしまう。
痛みはない。苦しくも無かった。
ただ純粋に眠気が俺を襲っている。
奴はそんな俺を見ながら「時間だね」と言う。
「碧い獣はハイランダーだ。SAWはハイランダーと災厄を探している。それらが秘めた可能性は異分子以上のものだろうと考えているからね。SAWは君に近々コンタクトを取って来るかもしれない……奴らを信用するな。奴らにその二つを渡してはいけない」
「ま、て……お前の、目的、は……」
俺は奴に手を伸ばす。
奴はそんな俺を見下ろしながら、静かに呟いた。
「同胞たちの楽園を――誰にも支配されない世界を作る」
「――ッ!」
奴はハッキリと自らの目的を告げた。
そうして、俺から背を向けて歩き出す。
意識は急速に沈んでいって、俺は抵抗も出来ずに、そのまま――――…………