【完結】死にぞこないの猟犬は世界を知る   作:オタリオン

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078:今はただ飯に感謝を

 ベッドに備え付けられたアラームが鳴る。

 ゆっくりと瞼を開けて、毛布を剥がして起きる。

 ゆっくりと窓のカーテンが開き始めて、朝の陽光が俺を照らした。

 完全に起床した事をシステムが自動で検知したのか音は鳴りやんで。

 代わりに別の音声案内が流れ始めた。

 

《ナナシ様おはようございます。朝食のご用意が出来ていますが、何方でお召し上がりになりますか?》

「……部屋で食べてもいいのか?」

《はい。共同スペースでもお部屋の中でも大丈夫です。何方に致しますか?》

「……部屋で食べたい。もう持って来ているのか?」

《畏まりました。お時間を指定していただければ何時でもお持ち致します。今すぐでよろしいですか?》

「……それで頼む」

《畏まりました。それでは三分ほどお待ちくださいませ》

 

 そう言って案内は消える。

 俺はゆっくりとベッドから足を出して床につける。

 そうして、立ち上がってから服を急いで脱いでいった。

 脱いだ服は一旦、ベッドの上に置いておいてから壁に掛けて置いた制服を取った。

 

 灰色を基調としたカラーリングのフライトスーツで。

 ツナギのようなそれを着てみれば、かなり大きいサイズだったようでダボダボだった。

 しかし、この制服と共に置いてあったメモは確認している。

 だからこそ、ゆっくりと襟のあたりを人差し指と親指で摘まむ。

 すると、シュッという音と共にスーツが勢いよく縮んでいって……ピッタリだ。

 

 ダボダボだった袖も裾もピッタリで。

 締め付けが強いのかと思ったが、柔らかいゴムのように抵抗感が薄い。

 暑くも無く寒くも無く、ほどよい通気性だ。

 触ってみれば皮のような質感であり、ポリウレタンかとも思ったが……少し違うな。

 

 こんなにも伸縮自在の繊維はあまり見た事が無い。

 そもそもが、あのハーランドが使うものならかなりの品だろう。

 知らないのも無理はなく、俺はゆっくりと手を降ろして――チャイムの音を聞く。

 

 靴下を履いてから、支給されたブーツを履く。

 そうして、コンコンと靴先を叩いてから扉の方に向かう。

 

 前に立ってノブを握ってロックを解除した。

 ゆっくりと開けて行けば、少し離れた場所で待機しているロボットがいる。

 配膳用のロボットであり、後部は食事を載せる為のカーゴがある。

 前部には一つのモニターが付けられていて、その画面に映った人間の顔が挨拶をしてきた。

 

《お食事をお持ち致しました。中に入ってもよろしいですか?》

「あぁ頼むよ」

 

 扉を固定してから、中に入る様に促す。

 すると、ロボットは中へと入っていきデスクの方に食事を置き始めた。

 チラリと大型のモニターがある共用スペースを見れば、二人くらいがいる。

 

 眠そうな顔で欠伸をしながらニュースを見ている。

 その前には朝食が置かれていて、彼らは黙々と食べていた。

 この時間で二人だけという事は、他のパイロットは既に仕事に行ったのか。

 そんな事を思っていれば、ロボットが配膳が完了したことを伝えて来る。

 俺は彼に礼を言いながら、喰い終わればどうすればいいか尋ねる。

 

《食事が終わりましたら、管理人室の隣にある。スペースにトレーごと戻してください》

「分かった」

《それでは今日も一日頑張ってくださいませ》

 

 ロボットはそう言って部屋から出て行く。

 俺はゆっくりと扉を閉めてから、小さく息を吐く。

 

「……取りあえず、食うか」

 

 デスクの方へと向かう。

 そうして、椅子を引いてから座る。

 目の前に置かれた食事は豪華というほどではない。

 しかし、質素というほど貧弱なものではなく。

 量や栄養バランスを考えたようなメニューの上に彩も鮮やかだった。

 

「……不思議なメニューだな……これは何だ?」

 

 小鉢の品が多い気がする。

 白くふっくらと炊き上がった白米は見覚えがあるが、他はよく分からないものもある。

 メインは焼いた魚であり、皮までパリパリだな。

 ピンク色のそれが焼き上がった事によって少し焦げ目がついている。

 

 ――が、焦がした訳ではない。これは意図的にこうしているのだろう。

 

 鼻を鳴らせば塩の香ばしい香りがして、視線を横にずらせば黄色の何かがある。

 恐らくは卵を使った料理であり、綺麗な黄金の塊だ……何か盛られているな。

 

 水っぽい白い何かだ。

 フォークを取って突く。

 そうしてぺろりと舐めて――あぁ、大根か。

 

 ほんのりと感じる辛味。そして、甘みだ。

 恐らくはこれを載せて食べればいいのだろうな。

 

 まだある。味噌の香りがするスープに。

 粘々とした豆の集合体。

 独特な香りがするが……もしかして腐っているのか?

 

「……いや、違う……異様に食欲をそそられるな」

 

 これ見よがしに置かれた小さな醤油ボトルとからし。

 何故だか分かる。これをミックスすればとんでもな味に出会えると。

 そして、最後に置かれているのは野菜そのものだ。

 輪切りに斬ったキュウリであり、これには流石に何もしていないと思うが……何だ、このプレッシャーは?

 

 この何の変哲も無い輪切りのキュウリから強い圧を感じる。

 まるで、戦場で出会ったネームドの傭兵と同じ圧で……食べてみよう。

 

 俺はゆっくりとフォークを握り直す。

 そうして、手始めに焼き魚の身にそれを突き立てた。

 身を解しながら入れて行けば、ふわりと蒸気が出る。

 それが俺の鼻に届いて、思わず変な声が出てしまった。

 

 これは凄いぞ……塩じゃない。潮の香りだ。

 

 まるで、さっきまで生きていたような新鮮味。

 ただ火で焼いただけのそれから生を感じた。

 気づけば口内は唾液で溢れていて、俺はほぐした身を口に放り込む――っ!

 

 熱い。熱いが――美味い。

 

 ほくほくも身には確かな熱が籠っている。

 しかし、噛めばほろりと身が崩れて口の中で溶けていくようだった。

 唾液と塩が混ざり合い、魚の旨味が口の中全体に広がって行く。

 メインの魚を一口食べただけで、俺の心が満たされていくようだった。

 

 俺はゆっくりと魚を味わう。

 そうして、次はこれだと卵の塊に目を向けた。

 

 こいつも見かけは大した事は無い。

 ただの卵を混ぜて塊にしただけのそれ。

 しかし、焼いただけの魚にアレほどの可能性があったんだ。

 恐らくは、これ自体にも凄まじいいポテンシャルがある筈だ。

 

 俺はそう思いながら、大根を擦ったものを少し載せる。

 そうして、ゆっくりと口へと運び――っ!!

 

 何だ、これは……やべぇ。

 

 口内に入れて噛んだ瞬間に、中から何かが溢れ出す。

 それは恐らくは出汁であり、まるで高級なスープを飲んだかのようだった。

 アッサリとした出汁であり、恐らくはかつおなどから取ったものだろう。

 俺がおやっさんに教わったうどんの出汁に近いが……これはまた違う味だ。

 

 かつおや醬油をベースにしているが。

 あくまで出汁はこの卵を引き立てる為のアクセントだ。

 卵自体の甘みと爽やかさは一切損なわれていない。

 いや、それどころか大根の甘みとほのかな辛味が調和して、一つの料理として成立している。

 ほどよい温かさの卵はほろほろと溶けていき、中から溢れ出す出汁と大根が絡み合う。

 ただの卵の塊ではない。これはメインにも匹敵する程の大物だ。

 

 俺は体が熱くなっていくような感覚を覚えた。

 まさか、たった二品でこれほどとは……これがハーランドの力なのか。

 

 俺はハーランドの恐ろしさを味わう。

 そうして、ごくりと喉を鳴らしてから……これは、どうなんだ。

 

 スープに目を向ける。

 湯気が立つそれを掴んで鼻の前に持っていけば……良い香りだ。

 

 味噌の香りとほのかな塩の香り。

 これなら問題ないと口をつけて飲めば、温かなスープが体を温めてくれる。

 ほどよい塩加減であり、ワカメや豆腐も手ごろな大きさであり飲みやすい。

 家庭的な味わい。非常に優しい味付けであり、胃が癒される様だった。

 

 ホッと息を吐き、俺は静かに口角を上げる。

 美味い。どれもこれも当たりだが……これは……うーん。

 

 腐ってねばねばしているように見える豆の集合体に目を向ける。

 本来であればあまり口に入れたいとは思えない。

 明らかに腐っていて、糸まで出ているのだから……だが、違うんだろ。

 

 これほどの技巧を凝らしたメニューだ。

 あのハーランドが大切なパイロットに対して腐った豆を出す筈がない。

 今なら分かる。これには途轍もない何かがある。

 

 俺はごくりと喉を鳴らす。

 そうして、醤油をちろりと垂らしからしをかけた……これくらいか?

 

 得体の知れないものだからこそ迷いが生まれる。

 どれくらいが適正なのか分からないのだ。

 しかし、恐らくはこれくらいでいいと思える気がした。

 そうして、意を決してそれにフォークを刺して――

 

 

《混ぜてください》

「――え!?」

《混ぜて、下さい》

 

 

 唐突に聞こえて来た音声案内。

 何処で見ているのかと思いつつ、俺はそれに従うように小鉢を持ってぐりぐりと混ぜ始めた。

 すると、混ぜれば混ぜるほどの奇妙な音が鳴り響く。

 

 ぐちゅぐちゃべちょ、そんな感じだ。

 

 絶対に食欲がそそられない音。

 こんなものが美味いはずがない――なのに、何だ、この胸の高鳴りは。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 混ぜれば混ぜるほどに臭いは増す。

 臭い、途轍もなく臭い――が、これがいい。

 

 混ぜながら混ぜながら、俺の呼吸は荒くなっていく。

 まるで、じらしにじらされて気が狂いそうになっているドラッガーだ。

 いや、そうかもしれない。今の俺は禁断症状を発症する前のそれだ。

 

《――そこまで》

「え、だが」

《――信じて」

「……分かった」

 

 もっと混ぜたい気持ちはあった。

 しかし、この料理について詳しいのは彼だ。

 俺は渋々ナイフを置いてから、どうやって食べようかと考えた。

 

 豆は糸が絡み合っていて、上に掛かっていたネギも混ざってしまっている。

 醤油とからしの香りもするが……このまま食べるべきなのか?

 

 俺はチラリとベッドに視線を向ける。

 しかし、頼みの先生は何も言わない。

 恐らく、ここからは一人で考えろと言う事だろう。

 

「……食ってみるか」

 

 俺は少しばかりの不安と恐怖を覚えながら。

 フォークを再び取ってぐちゅりち豆に刺す。

 そうして、もりっと取ってからナイフを震わせながらも口に運び――ぅ!

 

 これは、凄い……新食感だ。

 

 今まで食ったものの中で、中々に癖の強い品だ。

 噛めば噛むほどに口全体が粘体の何かで侵されていく。

 醤油やからしの味もするが、豆自体の癖がかなり強い。

 

 だが、これは――面白いぞッ!!

 

 この臭みも、この粘々も。

 不思議とこの腐った豆と噛み合っている。

 醤油とからしがその癖を和らげながらも、強みを生かしている。

 噛めば噛むほどにぐちゅぐちゅと音がして、豆自体に隠されていた甘みが現れていく。

 

 見た目やこの癖の強さで吐き出してはいけない。

 よく噛みしめて、この全てを受け入れた時に――こいつの全てが見えるようになる。

 

 ごくりと喉を鳴らして息を吐く。

 

「……美味い……だが、何かが足りない。何が……っ!」

 

 何故か物足りなさを感じた。

 視線をゆっくりと向けた先。

 そこには綺麗な白米が湯気を立てていて――体が勝手に動いていた。

 

 小鉢を掴み、ご飯の上に垂らしかける。

 何と悪魔的なんだ。

 背徳感すら覚える光景だ。

 

 穢れを知らず、大切に育てられた箱入り娘たちの園。

 そこに小汚いおっさんを挟むが如き所業。 

 だが、何故だ……これこそが至高だと思えた。

 

 俺はそのまま勢いのままに飯を掻っ込んでいく。

 ガツガツと豆と米を平らげて咀嚼し――おぉ!!

 

 これだ、これなんだ!!

 

 このポテンシャル、これこそがこいつの本来の輝き。

 米と豆が合わさり合い、噛めば噛むほどに甘みと旨味で満たされていく。

 ほかほかの米が豆の臭みを掻き消して、豆本来に隠された旨味を――いや、違うな!!

 

 これは隠していなんかいない。

 この臭みと粘々が旨味であり、それが米に絡むことによってより顕著に表れる。

 まるで、米と言う存在が豆という強烈な存在に塗り替えられていくような……破壊神だな。

 

 気づけば米が入っていた器が空だ。

 豆も綺麗さっぱり消えていて、後に残ったのはフォークについた糸だけだ。

 

 俺はそれをくるくると巻き取る。

 そうして、豆の味を消す為に水を飲んだ。

 口内を洗浄する事によって味覚をリセットする。

 そうして、最後に控えている……隠れた実力者に目を向ける。

 

 こいつだ、こいつは侮れない。

 

 この何の変哲も無い輪切りのキュウリ。

 こいつから途轍もないプレッシャーを感じる。

 だが、俺はさっきまでの俺ではない。

 数多くの修羅場を潜り抜けて、腐った豆という大物すら食した。

 つまり、今の俺は食の熟練者で……っ。

 

 ゆっくりとフォークをキュウリに刺す。

 しゃくりと音がして、軽いそれを持ち上げる。

 そうして、口へと運んで勢いよく噛んで――あぁ!

 

 凄い――凄いぞ!!

 

 ただのキュウリ――じゃない!!

 

 これにはちゃんと味がある。

 複雑なあじではあるが、それらが上手く調和している。

 コクがあるといえばいいのか……さっぱりとした酸味も感じられた。

 

 くどくは無い、後味は問題なく。

 複雑な味であるものの、確かな優しさを感じられた。

 豊かな味わいであり、質素に見えるこれにはすさまじい料理人の工夫が見て取れた。

 

 何よりも食感が気持ちいい。

 噛めばシャキリと音がして、瑞々しさが口いっぱいに広がる。

 こういうカリッとするようなものは食べているだけで気分が良くなる。

 

 口に運び、噛んで噛んで――胃に流し込む。

 

 それを何度も繰り返して行けば、小鉢の中身は空になる。

 俺はハッとしたように正気に戻る。

 

 恐ろしい、恐ろしいほどに胃袋に吸収されていく。

 やはり俺の目に狂いは無かった。

 このシンプルそうな料理の数々には、一流の料理人の技巧が施されている。

 ただの一般人では出せない技であり……完敗だ。

 

 俺は天を仰ぎ見ながら、目から涙をこぼす。

 これほどの至高の料理を出されては泣かざるを得ない。

 これは悲しみの涙ではなく、歓喜の涙で――ゆっくりと言葉を発した。

 

「シェフに礼を伝えたい……何処に行けばいい?」

《調理センターに行けば会えますが……お時間大丈夫ですか?》

「……ん? いや。まだ時間は――ッ!!」

 

 壁の時計を見る。

 すると、約束の時間までにもう五分ほどしかない。

 何という事だ。早起きして準備はバッチリだったのに……俺が朝飯にこれほど時間を?

 

「ハーランド……何て恐ろしいんだ」

 

 俺はハーランドの実力に恐れおののく。

 そうして、こんな場合では無いと正気に戻り。

 中途半端に食べていた料理をガツガツと平らげ始めた。

 

 飯を食って歯を磨き。

 顔を洗って――忙しいな!

 

 美味い飯に、感じの良い仲間たち。

 最初はどうなるかと思ったが――悪くないな。

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