「……驚いた……まさか、本当に片付けちまうなんてねぇ」
「……疲れた」
額から流れ落ちる汗を腕で拭いながら、俺は目の前の光景に満足する。
机の上に置かれた食べ物などのゴミは一つに纏めてゴミ捨て場に捨てて来た。
場所はイザベラに聞いたので何とか分かったが、まさかすぐ近くにあるとは思わなかった。
まるで本で見た活火山の中を覗き込んだかのような体験をして……少しだけ楽しかった。
ゴミ捨て場が分かってからは、いらない物といる物を分別して。
何往復もしてゴミを捨てて来た。
幸いにも、前線での傷もカレスでの負傷も四日間の旅の内に大体が癒えていた。
少し体の痣は残っているかもしれないが、概ね万全だろう。
掃除中は疲れを多少なりとも感じたが、それでも最後まで仕事を果たす事が出来た。
床に散乱していたゴミも全て捨てて。
散らばっていた良く分からない小さなパーツも空き箱に入れて置いた。
イザベラがいると言ったものは、この上にある彼女の工房に持って行ってある。
床は全く使われていなかった新品の雑巾を使ってピカピカに拭いて、窓なども掃除した。
壁の汚れも落とせるだけ落として、今では綺麗な……訳でもないコンクリートの壁がある。
汚れていたソファーは本来の色を取り戻して赤く光っていた。
木で出来た机も、インスタント麺の汚れなどを落としてある。
カウンターの上も完璧であり、邪魔なものは全て排除した。
イザベラは思いの外、何でも捨てて良いと言うのだ。
レアものだというパーツは置いておいたが、それ以外は全く躊躇が無かった。
掃除をしながら聞けば、そのほとんどがヴァンがゴミ捨て場から集めて来た物の様で。
奴は使えるんじゃないかという理由で、何でもかんでも拾ってくる癖があるらしい……厄介な奴だな。
俺は今後はヴァンに注意するつもりだ。
もしも、妙なモノを拾って来ればすぐに捨てさせて……いや、まだ俺は入る訳じゃない。
自分で自分の思考が可笑しくなったことを自覚する。
そうして、頭を振りながら思考を正そうとした。
すると、イザベラは何かを持って来て机の上に二つ置いた。
それは冷蔵庫から出してきた瓶で……酒か。
瓶についているラベルには見たことも無い文字で何かが書かれていた。
黒いラベルに金の文字が彫られていて。
その中心には黄金の丸と中心から十時に広がる……光か?
「仕事終わりはこれに限るよ……酒は飲めないか?」
「……いや、飲める」
「……アンタ、歳は?」
「……多分、今年で二十歳になったと思う」
「……思うって……まぁ、いいさ。遠慮せず飲みな」
イザベラはそう言いながら、瓶の栓を抜く。
ぽんと気持ちのいい音が鳴って。
イサベラはもう片方も開けてから、ゆっくりと手に握った。
彼女は笑みを浮かべながら、それを俺に差し出す。
俺はそれを受け取って、掌全体でひんやりとした瓶の感触を確かめた。
イサベラはもう一本を持ちながら、ゆっくりと俺の瓶に当てる。
「新しい友人に」
「……友人に」
互いにそう言いながら、瓶に口をつける。
ゆっくりと瓶を傾けて飲めば――独特な味が口を満たしていく。
ひんやりと冷たいそれはまるでパンのような甘みがある。
しかし、全体が甘いわけでは無く確かな苦みも存在した。
くどくは無い。比較的、飲みやすいと思える口当たりだ。
しゅわしゅわと気泡が口の中で踊り、するすると胃の中へと流れていく。
俺は喉を鳴らしながら、瓶の中身を飲んでいった。
喉を通るたびにひんやりとした感触が伝わり、火照った体を癒してくれる。
しかし、中身を飲んでいけば別の熱を感じるようになるが……嫌な感じはしない。
気持ちのいい熱であり、飲めば飲むほどに幸せを感じられる。
慎ましい甘みと程よい苦みが上手く調和していて。
俺はゆっくりと瓶から口を離して、思わず吐息を零した。
「……美味い」
「ふふ、味が分かるんだね……そいつは私のお気に入りのものでね。
「……世界の果てにあるとされる島国か……まさか、これが?」
「あぁ、そうさ。火乃国で作られている酒でね……はぁ……あそこは謎が多いけど。酒の味は本物さ」
イザベラは豪快に飲みながら、俺に教えてくれた。
確か、火乃国はあまり周りの国と交流は無かった気がする。
いや、俺の読んだ古い本での知識であり、恐らくは今は違うんだろう。
少なくとも、そこで作られた酒が流れて来るのなら交易くらいは行われている筈だ。
まだまだ、俺の知らない世界があるのだと思いながら。
俺は受け取った酒を味わうように飲んでいく。
イサベラは俺を面白い物でも見るような目で見ていた。
俺はそんな視線も気にせずに、酒の味を楽しんだ。
今まで飲んだ酒とはまるで違う。
いや、俺が酒だと思っていたものは違っていたんじゃないか?
仲間たちが他の兵士が捨てた空き瓶から。
残っていた酒を一つの瓶に移して。
溜まったそれを皆で回し飲みしていた事がある。
と言っても、少量口に含む程度で……アレはそんなに美味しく感じなかった。
初めて飲んだ酒は、色々なものが混ざり合い。
味も劣化してしまっていて、まるで医療用の消毒液のようだった。
俺は一口で飲むのを止めた記憶がある。
それ以降は酒を欲しなくはなったが。
今、再び飲むことが出来た酒はそんな苦い記憶を上書きしてしまうほどの味だ。
気づけば、瓶の中身を全て飲み干していた。
俺は少しだけ名残惜しさを感じながら。
ゆっくりと瓶をテーブルに置く。
イザベラに目を向ければ、彼女はソファーの背に腰を置きながら。
すぐに飲み干した俺を見て笑っていた。
「はは! よっぽど気に入ったみたいだね……でも、お代わりはないよ。悪いね」
「……いや、大丈夫だ……何処で売ってるんだ?」
「……私が教えるとでも?」
「……」
俺はイザベラを見つめる。
どうすれば、彼女が教える気になるかを考えて――彼女は腹を抱えて笑う。
「はははは!」
「……何で笑うんだ」
「あははは! いや、悪い! ただ、アンタが……ぷ、あはははは!」
「……もういい。自分で探す」
俺は眉を顰めながら、ソファーに座る。
そうして、瓶を手に取りながら手掛かりは無いかと探した。
すると、イザベラは笑うのを止めて何度も謝って来る。
「……いや、暗い顔の坊やかと思ったけど。案外、人間らしいなって思ってね……教えて欲しいかい?」
「…………あぁ」
「ふ、なら条件がある……ウチに入りな」
イザベラは俺を試すように言う。
挑発でも無ければ、条件にもなっていない。
そんな事で俺が入ると本気で思っているのか。
……いや、違うな。
彼女はそんな事で俺が入るとは思っていない。
いや、そもそもが俺の心は此処に所属したいと言っている。
誤魔化せないほどに、ヴァンやイザベラの気さくさに心が靡いていた。
まだヴァンはイザベラには俺の事は話していない筈だ。
もしも、俺が異分子だと言えば彼女の対応も変わるかもしれない。
そう思う筈なのに……何故だか、そんな事で彼女の態度が変わるようには思えない。
彼女の条件は、俺に対しての優しさだ。
俺が入り辛いからこそ、条件なんて言って入りやすい状況にしてくれた。
欲しい物があるから入った。彼女はそれで良いと思っている。
そんな彼女の優しさに――俺は誠実さで応えたい。
「……俺は……異分子だ」
「……へぇ……で? それが何か関係あるのか?」
イザベラは俺の告白にも全く動じていない。
優雅に酒を飲みながら、俺の返事を待っていた。
やっぱりそうだ。
ヴァンもイザベラも――変わっているよ。
俺は笑う。
そうして、もう迷う必要は無いと思った。
ゆっくりと彼女に視線を向けながら、俺は彼女に返事をする。
「――条件を呑む」
「……決まりだね。社員一同を代表して歓迎するよ。ナナシ」
「ありがとう……それで、イザベラ以外の社員は何処なんだ?」
「……あぁ今は仕事で外に出てるね……もう少ししたら帰って来るよ」
「……? 全員がか?」
「……まぁある意味で全員だね。うん」
イザベラは曖昧な答え方をする。
俺はそんな彼女を見つめながら、どういう事なのかと考えて――ガチャリと扉が開く。
「ああぁぁ! うるせぇな! 姐さんのカード使ったお前が悪いに決まってんだろ!?」
「あぁ!? だから、後で返すつもりだったの! ほら、全額振り込んだじゃん!」
「だったら、最初からその金持っていけよ! 間抜け!」
「はあぁ!? 社長に向かって間抜けだとこの三流メカニックがァ!!」
「上等だァ! 今此処でテメェの空っぽな頭かち割って――あぎゃぁ!!」
部屋の中に入っていた二人。
一方はヴァンであるがもう一方は知らない。
彼はヴァンと口論をしながら入って来て。
イザベラは煩いと思ったのか、音も無く彼に近づいて頭を叩いていた。
かなりの力だったのか彼は頭を抑えながら蹲っている。
イザベラは小さくため息を吐きながら「新人の前なんだからさ」と呟く。
「……それで? 金は用意できたのか?」
「は、はいぃ。全額、口座に振り込ませて頂きました」
「…………本当みたいだね……まぁ今回は許すよ。次は無いから」
端末を取り出して確認したイザベラは、どすの効いた声でヴァンを脅す。
彼は涙目で震えながら何度も頷いて……何となく此処のパワーバランスが分かった気がした。
俺は取りあえず、ソファーから立ち上がって痛そうにしている彼に近づく。
そうして、手を差し出しながら彼を心配する。
すると、彼はゆっくりと顔を上げて俺を見つめて来る。
肩まで伸ばした金髪で青い目をした少年で。
身長は恐らくは160あるか無いかだろう。
だぼだぼの不思議な絵がプリントされたパーカーを着ていて。
下もダボダボのズボンを履いている。
中世的な顔立ちであり、振舞からして男かと思ったが……女か?
ジロジロと見ていれば、彼……いや、彼女はキッと睨んでくる。
「何だぁ? 俺の顔がそんなに可笑しいかぁ? えぇ?」
「……すまん」
「……お前がこいつがスカウトしてきたって言う新人か?」
「あぁ、たった今、加入させてもらった」
彼女はゆっくりと立ち上がる。
そうして、鋭い目を俺に向けながら問いかけて来た。
俺がその質問に答えれば、今度はヴァンがキラキラと目を輝かせながら近づいて来た。
「お! マジ!? マジなのか!?」
「マジだよ。私のお陰だねぇヴァン……貸し一だよ」
「えぇぇ? それは無いでしょう。元は俺が引っ張って来たのによぉ……まぁ今夜は歓迎会と行くか! 仕事の話もあるしな」
「いいねぇ。店は何処にする?」
イザベラはニヤリと笑って聞く。
すると、ヴァンは親指を立てながらニカリと笑う。
「勿論――おやっさんの店だぜ」
「……だろうと思ったよ」
笑っていた筈のイザベラ。
しかし、行く店が分かった瞬間に真顔になる。
どうやら期待していた所では無かった様だ。
俺がイザベラとヴァンを見ていれば、隣に立つ少女が俺に声を掛けて来る。
「俺はミッシェルだ。此処では先輩で、お前が最も敬うべき――メカニック様だからな」
「分かった。よろしく頼むミッシェル」
「先輩をつけろ! ミッシェル先輩だ!」
「……分かった。ミッシェル先輩」
「うし! お前は素直な奴だな。気にいったぜ……で、お前の名前は?」
「ナナシだ。性は無い」
「……ふーん。ナナシね……まぁいいか。よろしくな」
ミッシェル先輩の握手に応じる。
彼女の手も、イザベラほどではないが少しだけ硬い。
仕事人の手であり、メカニックという肩書に嘘は無いだろう。
新しい仲間に出会えて少しだけ嬉しくなり……他の奴は?
俺は扉の方に視線を向ける。
しかし、ヴァンとミッシェル先輩以外は誰もいない。
俺は可笑しいと思いながら、ミッシェル先輩に聞いた。
「先輩。他の仲間は?」
「あぁ? いねぇよ」
「……は?」
「だから、俺と姐さんんとヴァン……と、お前だ。以上」
「……イザベラ」
俺は思わず彼女に声を掛ける。
すると、彼女はもうそこにはいない。
ヴァンに視線を向ければ、先に店に行ってしまったと言っていた……やられた。
俺は騙されたことを此処で認識した。
いや、彼女も騙す気は無かったかもしれない。
嘘は言っておらず、確かに”全員”帰って来た。
俺が言葉の真意を見抜けなかっただけで、彼女は悪くない。
悪くは無いが……。
「……今までどうやって仕事をしてきたんだ?」
「……姐さんは強いからな。一人で何でも出来ちまうんだよ」
「……全盛期でもウチのナンバーワンはアイツだったからな」
隣に立った二人。
扉の先を見つめながら、尊敬の眼差しを送っていた。
イザベラはすごい人間だと言う事は分かったが……もしかして、全部回して……。
俺が訝しむような視線をヴァンに向ければ。
ヴァンは俺の意図に気づいたように首を左右に振っていた。
「い、言っとくけど! ウチはホワイトだから! 馬車馬の如く働かせないから! な、なぁ!」
「……でも、忙しい時は俺たちに泣きついてくるじゃん。助けてくれぇぇ、って」
「……はは! さ、行こうか! たらふく食わせてやるからよ!」
「……調子のいい野郎だぜ」
ヴァンはわざとらしく話を終わらせて。
歓迎会の会場へと向かって行った。
ミッシェルはため息を吐きながらもヴァンを追いかける。
何となく、彼らの関係性が分かった気がした。
ヴァンはだらしなく、いい加減に見えるが部下からは信頼されている。
イザベラは見かけは怖そうに見えるものの、面倒見が良く頼りがいがあった。
そして、ミッシェルは言葉遣いは悪いが二人の期待に応えようとしている。
彼の手を握れば、何となく分かってしまった。
そんな新しい仲間たちを見ながら、俺はくすりと笑う。
一瞬、昔の光景がフラッシュバックして――
「どうした? 行くぞ」
「……あぁ」
先輩の言葉に頷く。
そうして、部屋から出ようとしてチラリと持ってきたナップサックを見る。
想い出の品が入っているアレは、俺にとっての”宝”だ。
しかし、宝はこれから先で増えて良くかもしれない。
こいつらとなら、もしかすれば……そんな事を想いながら俺は足を進めた。