「なんなんだよこの話は……」
「――どう? 読み終わった?」
「読み終わったけど……素直にいい話だったとは言いたくないな」
ガイアと別れた後、宿に戻った私たちは順番に『森の風』を読んでいくことにした。リサさんがあれほどまでに言葉にするのを躊躇っていた、モンドとトワリンの関係が気になったというのも、勿論大きな理由の1つだし。
図書館で借りた本――『森の風』の内容は、確かにモンドとトワリン、そして風神との関係についての逸話が数多く記されていた。それも、遥か古代にトワリンが誕生した頃の話から、500年前に激闘を繰り広げ、そのまま長い眠りについた話まで。
ただ、どの話を読んでも、モンドの人々はトワリンを真に理解することなく、トワリンの味方なのはずっと風神だけ。それでもトワリンはモンドのために戦ったという、やりきれない話だった。
――現在、モンド人の多くが彼を「風魔龍」と呼び、殺そうとしていることも既に知っている。この物語は現代に繋がっているけれど、故にこそバッドエンドであることが分かってしまう。
「まずこの――最初の辺り。このへんからもうトワリンが可哀想で仕方なかったんだよな」
「『村に降り立った龍は、恐怖に怯える人々から石を投げつけられた。彼には、人の怯えた声を理解する事はできなかった』か……」
「その後もだぞ。『墓地に降り立った龍は、人々のすすり泣く声を聞いた。彼には、人の悲しみに暮れた声を理解する事はできなかった。果実園に降り立った龍は、果樹を傷付けたため、人々から罵詈雑言を浴びせられた。彼には、人の怒りに満ちた声を理解する事はできなかった』。人とドラゴンだから、そりゃ身体の大きさとか色々違うだろうけどさ……これだけ良いヤツなんだぜ……?」
冒頭には、遥か昔の時代に誕生したトワリンが人間を知るために苦悩した姿が記されている。ただどれも実を結ぶことはなく、未知なる強大な力の前に恐れた人々によって拒絶されている。
悲しいほどに素直で健気なトワリンはしかし、そこでへこたれることはなかった。その章の最後は、『人間の世界は複雑怪奇。龍は迷い、戸惑うが、諦めずに挑戦した。』と締めくくられる。
――今私たちは、叙事詩を読むという形で過去を知っているから批判もできるけど、当時の状況はどうだったんだろうか。突如誕生したドラゴンという強大な力を持つ存在が人間に歩み寄ってきたとして、素直に受け入れられるだろうか。恐れ、逃げ、排斥するのは至極当然の流れだったのではないか。
そう考えさせられ、私はとてもこの人々を非難することはできない。
「そういえば、ライアーっていうのは楽器なんだよね?」
「風神の持ってたやつだな! そう、持ち運べるくらいの大きさの竪琴のことだぞ」
この本において風神は、何度も詩人の姿で登場している。世界一の詩人と称されている彼の手には「天空」という名前のライアーがあり、それを用いて演奏をしている描写が何度かあった。
「風神、いいやつだよなぁ……。自分の信徒がどれだけ『あいつはなにを企んでるか分からない!』って言っても、トワリンの心の本質を理解して、眷属にしたんだから」
「『古来より強大な元素を秘めた龍と、世界を司る神々は上手く共存した試しがない』の直後に、『龍は万物に自身の心を理解してもらうため、詩人のそばにいると決めた。彼は人間の言葉と風の詩人の御業を覚えた』だからね。どれだけ特別なコンビだったかって話だよ」
「そうそこ! 詩人である風神から人間の言葉を覚えるのがたまらなく好きなんだ!」
起承転結の、ここまでが「起」。続く「承」の部分では、トワリンと風神がどのように関係や信頼を深めていったかや、風神の助力もあってトワリンが少しずつモンドの人々に受け入れられていく様子が描かれている。
はじめは拒絶されていたトワリンが、人の言葉や心を理解し、交流することで相互理解が深まっていく。風神と人間はやはり本質的に違うから本能的な恐怖は拭えないけれど、それでも少しずつ、着実に大きな前進を続ける。穏やかで暖かな時代。
――それも、「転」で全て壊される。
「500年前の、カーンルイアの滅亡……」
全く詳しく説明されていなかったが、今から約500年前、カーンルイアという国が滅亡した。詩的な表現なんだろうけど、正しくは「地下に没落した」。
その影響で、各国に様々な災難が蔓延した。モンドには、「黄金」と呼ばれる錬金術師が大量に生み出した漆黒の魔獣の中でもひときわ強力な魔物。漆黒なる大蛇――悪龍「ドゥリン」が襲いかかった。
「これ、当時の
「ジン団長の称号ってなんなんだろうね。
「どうなんだろうな。けど、ジン団長かは分からないけどいるんじゃないか? だからこそ、今モンド人は風魔龍を倒せるって思ってるんだろうし」
「それだとより残酷だよ。だって、それを言ってる人は
「あ、そっか……」
『森の風』によると、北風騎士の「狼」、獅牙騎士の「獅子」、西風騎士団の「鷹」、そしてトワリン――「風龍」は古くから「四風守護」と見なされてきたらしい。それぞれモンドを守る守護者として、神殿が作られたとも書いてあった。先日回ったあの神殿たちだ。
初代獅牙騎士がモンドを解放し、西風騎士団が設立され北風騎士が入団した後、「四風守護」の伝統がモンドで形成された。そして、トワリンは遥か古より守護の一つとなっている。そう、その時はモンド人とトワリンの関係は良好だったはずなんだ。
「……オイラ、まだちょっとよく分かってないんだけどさ。その時、風神はドゥリンと戦わなかったんだよな? どうしてだと思う?」
「『モンドの人々の祈祷が最後に風神の意志を呼び起こし、そしてこの意志がまた風龍「トワリン」の召喚に至らせる』――だったっけ。つまり、モンド人が風神を起こして、その風神がトワリンを起こして、トワリンだけが戦ったんだよね」
「そうそう。どうして風神は戦わなかったんだ? 風神も一緒に戦ってたら、もっと楽に倒せたはずなのに……」
「風神は詩人だから、戦う力はなかったんじゃない?」
あくまで後方支援というか、恐怖に震える民草を安心させることこそ風神の役割だったのかもしれない。そう思えば、今のモンドに吟遊詩人がたくさんいるのも、当時の風神への敬愛の表れなのかもしれない。……まぁ、少なくともリサさんには見下されてるようだけど。
悪龍――毒龍とも書かれていた――ドゥリンがモンドを襲った当時、
そんな時代にあって、自分たちが崇拝する神が目の前に現れ、「安心しろ、じきに平和になる」と言いながら曲を奏でたなら、人々の安心感はいかばかりか。やっぱり、適材適所の役割分担だったんじゃないかと思う。
「そんな雑な……」と渋い顔のパイモンも、段々と「一理あるか……」となっていったし、あながち正解からそう遠くはないのではと思う。真相は当時の人、あるいは風神とトワリンのみ知る。
「――でも、なんとか勝てて良かったよな! ドゥリンがもういないのも、トワリンがまだ生きてるのも事実だしさ!」
「気には、なってるんだけどね。トワリンは、どうして目覚めたんだと思う?」
「え?」
「トワリンは、ドゥリンの喉を噛みちぎったときに猛毒の血を飲み込んでしまって、長い眠りについたって書いてある。じゃあ、その毒の侵食が完治したから目覚めたのかな」
「そうなんじゃないか?」
「それで、全く四風守護として敬われてなかったから怒って、モンドを襲った」
「それなら自然じゃないか?」
でも、あまりに動機が弱すぎる。それに、トワリンはどうして自分が現在信仰されていないことを知ったんだろうか。荒廃した神殿を見て? でも、現役で活躍している
誰かが唆した? それに、ことここに至ってなお姿を見せない風神は一体何をしているんだろうか?
謎は深まるばかりで、一向に解決しそうにない。まぁ、この1冊の本だけで遥か昔の時代の経緯を全て理解して現代の状況の解釈をしようだなんてかなり無理があるから仕方ないんだけどね。
「トワリンが起きて怒ったのも仕方ないと思うぞ。ほらここ――『モンドを守った、これで人々が自分のことを理解してくれると思い、風龍は長い眠りについた』って書いてあるだろ? それで自分のことを敬うだころか風魔龍と呼んで殺そうとしてくるなんて、そりゃ怒って当然だぞ。裏切りどころじゃない」
「それは少しズレてるよ。トワリンはただのドラゴン――きっと『風魔龍』という悪龍みたいな呼び名は、トワリンがモンドを襲い始めたから付けられた名前だよ」
だから、そのきっかけが知りたいんだ。仮にも自ら進んで風神眷属になって人間との相互理解を深めた存在だ。深い理由もなしに突然モンドを攻撃するなんてありえないはず。
風神もきっと現状を望んではいない。
『天空のライアーは悲しみのメロディを奏でた。長い眠りから目覚めた時、君には自由になってほしい。自由に大空を駆ける龍の美しさを、人々もいつか分かってくれるはずだから……』と、森の風はそう締めくくられている――。
森の風:数百年前の学者たちはモンドの数多くの無名の吟遊詩人の詩を整理・記録し、それらを集めて詩集『森の風』を出版した。