藤原北家に転生した俺氏、ファムファタール羂索に脳が灼かれてしまう模様 作:砂漠谷
俺は今、火の宮様がいた寺にいる。
時刻は正午を少し過ぎた頃。宿儺が京に舞い戻り、呪術的警戒が宿儺に向いている時を狙った。
木造の寺は、当然の如く全壊。それも多人数――おそらく数十人――の術師の残穢が隠す気も無く至る所にバラ撒かれている。死体は無いが、致死量の出血をしただろう多量の血痕も。
それを出来るだけ視界に入れないように通り過ぎ、寺の離れ、火の宮様がいたところへ。
離れは完全に破壊されていた。完全に炭化し、崩れ落ちた離れの内側には、千切れたり焦げたりして無効化した呪符が散らばっていた。
彼女に贈った説法集は壺に入れられ地下に埋められていた。火の宮様の残穢と、父が良く使う呪力溶液の呪力が色濃く残っていたため、知覚出来た。
彼女と一緒に食べるつもりだった干飯を置き、両手を合わせて、祈る。
しばらくそうして、心の中で区切りをつけ、次の作業に取り掛かる。
指示された地下の蔵へ。人払い代わりの帳は張っている。
蔵の中。呪術的隠蔽を幾重にも通り過ぎた果てに。
もはや蔵というより洞窟の深奥とも呼ぶべき、呪符と注連縄が幾重にも張り巡らされた場所に。
その彼女はいた。
黒髪で背は同い年と比べても低いだろう、そして呪紋が縫われた布を纏っている。蔵暮らしの節食故だろうか、とても痩せこけた顔で。しかし、白く大きな壺を守るように手足で抱きしめ、強い意志を持った顔で俺を睨みつけた。
「妾は、誰にも殺されぬ、誰にも奪われぬ!星漿体としての役目を果たすその日まで!」
ああ、ここで火の宮様に匿われていたのだろう。しかし火の宮様が殺された後、もう一週間も経っている。きっと、それで飢えているのだ。
「安心してくれ、味方だ……けど。その様子じゃ、『お前の目的の味方』とは言えないかなぁ」
俺の言葉に、僅かに警戒を緩めた隙。彼女が握り締めるその壺に、手を添える。
すぐさま払いのけられるが、行動の意味を悟った彼女、星漿体・天部人御の眼が変わる。
「……まさか、お前。あ奴に……そうか、可哀想に」
俺を見る目つきが、憐れみの対象を見るソレに変わる。
意味が分からない。あ奴とは、火の宮様のことか?あの女性と逢ったことについて、憐れまれるような事情は一切ない。
「……?ともかく。これを渡してくれないか。大事な、娘なんだ」
力づくでも奪えはするだろう。しかしこの結界の中で呪術を使うと、全ての隠蔽効果が失われる。人間の死ぬ気の馬鹿力を制圧するのは、呪力抜きでは少し面倒だ。
「……渡せん。妾は、この子の乳母だ」
一瞬の憐憫の色が、再度敵対の視線に転じて俺を見つめる。
「それに、だ。
乳母。しかも、呪物である娘を育てることが目的らしい。なぜそう名乗っているのかは分からないが、それは……つまり。
「お前も、俺の娘を、受肉させようと?」
「受肉?ああ、外法じゃが、そういう方向性もアリじゃろう。じゃが、天元様なら、この娘をそのまま人間に転じさせることも出来る、ハズ、じゃ。天元様と妾が融合した暁には、この娘を人間にしてやれる。抹消の間際の願いを、天元様は必ず叶えてくれる。そういう『縛り』……否、天与呪縛じゃ。天与というより天元与じゃが、大して変わりはあるまい」
そうか。だったら、尚更のこと。
「駄目だ。俺は火の宮様に託された。その手柄を他人に遣る訳にはいかない。
答えは否しか、在り得ない。俺の存在意義を、天元如きに、日本の呪術中枢如きに、否定されてたまるか。
天部は、直立して自分と相対する俺を、睨むように下から見上げる。
「何も言えん。そういう『縛り』じゃ。だが……妾が抹消されることが一番手っ取り早いと、頭の片隅には入れておくことだな」
そう言われ、天部は白い壺を手放した。俺は、白い壺を手にした。
白い壺を上の穴から覗くと、そこには、赫と蒼のへその緒が天使の輪のように頭を囲っている胎児が、悠久の眠りについていた。
見紛うこと無き呪物であり、そして、見紛うこと無き胎児であり。そして、見紛うこと無き。
「俺の娘だ……火の宮様との、娘だ!」
呪力の似通い、だけではない。魂がそう直観した。
これは嬉し涙だ。きっと、そうに違いない。
涙を拭い、壺を抱え、立ち上がり。
「次は飯の樽と水樽を持ってくる。しばらくここで隠れていてくれ」
蔵の奥には、水樽はまだ残っていたようだが、飯樽は底を付いていた。
「……その子の、名はどうする」
天部に、背後から声を掛けられる。
そうだ、名。娘を抱きしめただけで満足してはいけない。
「藤原の名を名乗らせると権力闘争に巻き込まれる。賀茂斎王……火の宮様の前職から、賀茂――いや、貝のように壺に閉じこもって欲しくはないし、晴明の師匠と苗字を被らせたくもない。貝の字を抜いて、加茂。それに、笑う『門』には福来るから。門子。加茂、門子だ」
そう名付け、壺を抱きしめる。そして、蔵の出口に向かう。
蔵の出口。蔵と外の境界を定める門。閂の外れたそこに、空色の瞳が立っていた。
まるで、庭の端に植えている木のように、泰然自若に、しかしここが他人の所有地だという遠慮を一切感じさせず、傲岸不遜に、彼は立っていた。
服は着崩した黒の束帯。この時代の正装を、呪術師用に改造したものだ。右手には漆を塗られた笏を持っている。
「やあ、宿儺の義理の息子君。星漿体を渡して欲しいんだが、可能かな?」
「安倍晴明……!」
火の宮様の仇、かもしれない男。
六眼という全知の異能と、万能とも言える術式を持ち、平安京の呪術師を統べる、宿儺と並べて語られる術師。宿儺が災厄の具象である鬼神だとしたら、こいつは大日如来か何かの化身だ。
「僕の眼を誤魔化せるとでも?寺をごそごそ嗅ぎまわる術師なんて、十里先からでも分かるよ」
笏を振り回して適当そうに俺に告げる。自慢げさは一つも感じられない。
「宿儺が帰ってくるのを警戒しなかったのか?」
「
「一つ。尋ねたいことがある。火の宮様を殺したのは、お前か?」
「うーん。君の言う火の宮様の定義にもよるかな。殺した、ともいえるし、殺してない、ともいえる。ただ……君と生涯逢えない形にはした、かもね。そこは恨んでくれて構わない」
申し訳なさそうに。心の底から申し訳なさそうに、目を伏せる。
こいつは。俺に謝っているのだ。へらへらと最愛の人を殺しておきながら。開き直るでも言い訳するでもなく。圧倒的強者が、親蟻を踏みつぶしたことを子蟻に謝罪するように。
封印かもしれない、呪物化かもしれない。だが、火の宮様と俺を永劫引き離したことは、事実であるとソレは言う。
ならば俺から返すべき言葉は一つだ。
「殺す!」
「そうか……残念だ」
口角をピクリとも上げず。晴明は呪力を眼に籠める。
晴明は笏を片眼に翳し、その笏の裏側からずるりと落ちるのは蛇。蒼い炎を吐く蒼鱗の小蛇と共に。
真っ赤に染まった、燃え盛る炎を身に纏う巨蛇が、門の外の天空から墜ちてきた。
「『式神創術――前之壱・騰蛇』御存知かと思うが、六眼と併せなくても自由度が高すぎる術式でね。その分出力も弱い。だから縛りを設けている。『十二の式神しか同時には保有できない』、というものだ。これはその十二の式神の一種。以前君に披露した、『騰蛇』。その本性だ」
術式の開示。相手が事前に知っていても、術式開示による縛りは多少の効果を持つ。
俺が宿儺と出会う前。術式が発現して直ぐの頃。藤原北家に強力な呪力を持つ術師が生まれたという報を聞き、こいつは現れた。そして、「試す」などとほざき、いきなりこの『騰蛇』の小さい方の攻撃を放ってきたのだ。それをなんとか覚醒した『
それが裏梅戦で使った切り札の一つだった訳だが……。その本性、嫌な予感がする。
蛇は、呪術的には凶兆を表すことが多いが、その他にも……。
「お察しの通り、この蛇は二匹で一匹、双子の蛇さ。そして蛇は不死の象徴でもある。双方を同時に破壊しなければ、完全な破壊にはならない。さて、どうする?」
巨蛇は俺を睨みつけて晴明の周囲をずるずると這い廻り、小蛇は晴明の身体に絡みついている。小蛇とは言っても、二メートルはありそうだ。そして赫炎の巨蛇はその約十倍の長さと約三十倍の太さを誇っている。
「……上等だ。『喰札 霜凪・五累』」
壺を片腕で抱え直す。そして、裏梅から吸収した、最も威力の高い霜凪を五つ累ねて相手にぶつける。
絶凍の息吹をその身に受けた騰蛇は……しかし、体表を凍り付かせるだけに終わった。
だが、体表で燃え盛る炎の殆どは凍気により消し飛ばすことに成功した。
「十分!」
晴明は知っているだろうか。変温動物は、冷やすと動きが鈍くなることを。
式神というものは、様々な種類があるが、そのうち実在の動物の姿を象っているものは、良くも悪くも実際の動物の機能を不完全ながら再現していることが多い。
この『騰蛇』の片割れ、巨蛇例外に漏れず、凍気を浴びて動きが鈍っている。体表から発せられる炎で自身を温めることで欠点を克服したつもりなのだろうが、この量の凍気を完全に溶かしきるには数瞬ほどかかる。
それで十分だ。
動きが鈍った巨蛇を跳び越え、晴明の懐に飛び込もうとする。『騰蛇』のもう片方、小蛇の口から青い炎がちらつく、が。
「『喰札 霜降』」
纏う形の凍気を札から解放する。凍気の鎧は炎の熱を軽減するが、一方で俺にもかなりの凍傷を負わせる。壺の中の門子は呪物であるため、凍っても問題はないはずだ。
その程度、知ったことか。青い炎を凍気で散らし、一つの札を解放する。
「『喰札 共鳴り』」
釘が札から具現化する。
「芻霊呪法か!」
平安京の、朱雀門の奥の修繕に携わる宮大工の術師から吸収した術式効果だ。効果は『縁が繋がっているものへの波及ダメージ』。釘は本来実物を使うが、喰札の拡張術式による具現化釘で代替した。
釘を防ごうと手を伸ばす晴明だが、一手遅い。
「爆ぜろ!」
壺を抱えていない方の手で中指を立て、その瞬間、具現化された釘が加速して小蛇に突き刺さり、共鳴りは起動する。
小蛇の片割れである巨蛇はもちろん身体の中から大量の杭を撃ち込まれたような威力のダメージを喰らう。そして式神の主である安倍晴明も僅かながら動きを止める。
致命的な、隙。
この一瞬に、命を懸ける。
呪力の高ぶりと、肉体の高ぶりの波長が一致している。
今なら、きっと。
『黒閃』
黒い火花は、俺に微笑んだ。
だが、勝利の女神は……。
「イテテ……あの土壇場で黒閃、君凄いねぇ。しっかし半日で作って半日で調伏した『騰蛇』はやっぱ耐久性に難ありか……ふふ。ちょっと手数を増やしてみようか。『前之弐・朱雀』『前之肆・勾陳』『前之伍・青竜』。それぞれ作成に一週間掛けた式だ。さあ、行くよ」
顔をしかめているが、黒閃でも皮膚が少しめくれた程度の負傷しか負っていない。黒閃を純粋呪力による防御だけでほぼ完全に防がれた。その光景に、俺は絶望を直観した。
相手の呪力出力が向上していき、右目から溢した涙から、三体の強大な式神が零れるように顕現する。美しき紋様の輝く翼を持つ首の長い大きな鳥。金色に輝く一つ目の蛇。鰐と蝙蝠とカンガルーを足して3で割ったような、青い鱗を持つ二足歩行の竜。
死に直面した。その式神を見た瞬間、俺は壺を抱きしめて、一目散に逃げ出していた。
「あっ……まあいいか」
晴明の呆けたような声を聞きながら。
この逃げ足の速さが、宿儺から『面』の字を貰ってから今まで生き延びてきた理由の一つである、が。
しかしそれでも。悔しさは拭っても拭っても零れてきた。