お世辞にも広いとは言えない体育館。高い天井には剥き出しの骨組みと古い蛍光灯が規則正しく並び、窓には全校集会等で使う大きな遮光カーテンが掛けられていた。
上からの光が歪に反射する木製の床を、十人以上の生徒が一つのボールを追いかけ跳ね回る。ゴム底の体育館用シューズが床を擦る鋭い音が耳に入り、思わず顔を
今は体育の授業中。バレーボールが行われていた。六対六でそれぞれのコートに別れ、黄色のボールを打ち合い返す。審判役として得点板の前に立たされている俺は、友人と二人でそれを、点数が入ったのを認識出来る程度にぼんやり眺めていた。
「しかし、まぁ。面白くないね」
「ん? どうしたんだよ急に」
俺の呟きに友人が反応したその時、向かって右側のコートの男子がスパイクを決めた。綺麗な黄色の筋を描いて床に叩き付けられたボールは、その勢いを殺す事なく床に当たって飛び跳ね、近くに居た別の眼鏡を掛けた男子生徒の顔面に、肉が爆ぜる様な音を立てて衝突した。
「この光景がさ、つまらんなーって」
申し訳程度に片手を上げ、謝罪の色が全く見受けられない顔で男子生徒は謝る。顔にボールが当たった男子は、居場所が悪そうに照れ臭そうに地面に転がった眼鏡を拾い上げ、そそくさとチームの奥へ戻っていく。若干だが眼鏡の脚が歪んでいるのが見て取れた。
「そうか? 青春してる、って感じでいいじゃん」
謝った男子生徒はチームの輪に戻り、「ぶつけちゃったぜー」などと言って周囲の笑いを誘う。チームのメンバーの誰一人として、ボールを当てた事を咎めた者は存在しない。お互いに肩を叩き合い、日焼けで黒い肌と対照的に白い歯を見せて声を大にして笑う。
「あれはアイツらが一方的に楽しんでるだけさ」
華やかな雰囲気のコートの反対側、ネットを挟んだ向こう岸は、天国と地獄の様に雰囲気が違っていた。誰も笑顔を見せず、悲壮感すら漂う無表情。ただひたすらに終わりを乞い願う姿を見て
「彼等はアイツらが楽しむ為の
どう頑張っても、生まれ持った運動神経は覆せない。
ボールの風切り音が床を打つ音に変わり、得点。再びボールは
「それは彼等の練習量が足りないんじゃないか?」
お情けか慈悲か、ルールを無視して左のコートに手渡されたボール。左側のチームの一人がサーブを打つと、打ち返す瞬間、相手は
「だからといって、弱者がコケにされていい理由にはならないよ」
人の生き方と云うのは、要するに二種類しかない。自分の価値の低さを認識しながら生きていくか、世界の価値の低さを認識しながら生きていくのか。その二種類だ。
「アイツらは、『あんな弱い雑魚にもお情けでサーブ権を譲ってあげたり、
「そんな事……、さっきのミスは本当のミスだ。ダッシュの勢いを付け過ぎただけだよ」
「なら、その勢いを付け過ぎた所から自演なんだろうね」
口を開いて無駄話をしている間に再び得点。俺はパラリと得点板を捲る。
既に二倍近い差がついている数字を見て、俺は細く溜息を吐いた。
「なら何故アイツらは笑う?」
「それは、楽しんでいるから……」
「そうだ。楽しんでいるね」
左側のチームが打ったサーブを、一人がレシーブし、もう一人がトス。身長の高いエースが両足を揃えて踏み切り、その運動エネルギーを右腕一点に集中させ、振り抜く。
破裂音が鳴り響き、得点。歓声が泉の様に湧き、体育館が笑いの渦に飲み込まれる。
「獅子は兎を狩るのにも全力を尽くす。アイツらが本気でやれば一瞬で終わる筈のこの茶番を、
再び左側のコートからサーブ。弱々しい軌道を描いて飛んだボールを、意味も無くクルリと半回転し、背中を向けてレシーブする。当然見当違いの方向へ飛んでいき、周囲の笑いを誘う。水を得た魚のように沸く観衆。
サーブ権が譲渡されている事により、彼方へ飛んでいったボールを取りに行くのは左側のチームの役目になっている。特にそういった取り決めが為された訳でもなく、ミスしたチームが取りに行くというスポーツマンシップの欠片もそこには存在せず、それがそうあるのが自然であるが如く、当たり前の様に彼等が取りに行かさせれていた。
「お前の言う通り、アイツらはとても楽しんでいるよ」
左側のチームがサーブを打つ。高く浮き上がったそのボールは、五秒もしないうちに左のコートに叩き付けられ、
「試合ではなく、この状況を。だけどね」
人間の生活には嫌が応でも『悪』という概念が付き
虐められっ子が虐めに遭えば、それは虐められっ子の日頃の行いが『悪』い。
学級会での吊し上げが冤罪だったなら、それは疑われる様な存在である被疑者が『悪』い。
何の為に理由も思い当たらず周囲から目の敵にされ虐げられてきたならば、その誰彼の運が『悪』い。
「そこに救いの手など一ミリ足りとも入る余地など無く、また差し伸べられる事も無い。それは、そう云うものだからね」
左側のチームが敗北した事で、今度は審判をしていた俺達に声が掛かる。
クラスで除け者にされた者達が押し退けられて固められたのが俺達のチーム。メンバーの全員が全員、運動神経など母親の胎内に置いてきた様なもので、球技などスポーツどころか運動すら通り越して拷問に近い。
いつもなら俺達への嫌悪で
「さて、往きますか」
見ればチームの俺達二人以外は既にコートの中に立っている。再び役者を変えて再開するは、流れの決まった茶番劇。主人公と結末だけは決して変える事を許されない。
俺は左腕に嵌めた傷だらけの腕時計をポケットに仕舞い、板張りのコートへと足を踏み入れた。
短いし恋愛じゃないし…