I,逢愛哀   作:殺多鴉

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「いいじゃないか、あの笑顔。発情期の猿みたいに喚いて耳が飽きない」


重意章

 向かい合わせに置いた鏡の様に無限に続く空間の中。空中に漂う巨大な銀色の十字架に貼付けにされた女性。

 一切の衣服を剥がされた彼女の裸体は、少々と言うには(はばか)られる程歪んでいた。

 錆びて朽ちかけた鉄の(いばら)で身体を十字に括りつけられ、茨とは対照的に真新しい鉄釘が開いた(てのひら)に深々と打ち込まれている。

 彼女の手首と腕には無数の切り傷の痕。その下には青い血管が一本、芋虫の様に這っている。心臓があったと思われる場所は、巨大な調理器具で()り貫かれたかの如く何も存在せず、底の見えない黒い虚無が広がっている。

 豊かな乳房には無数の痣。それは憎しみと快楽の籠った男性の手の形。彼女のきめ細かな白い肌が見えない程に数多。陰部から止めどなく流れ出ているのは赤と白がマーブルに入り混じった液体。鼻に障る錆びた鉄の臭いに混ざって、栄養の枯れた畑の土の様な(いや)な臭いがする。生が尽き果てた屍の香りだ。

 彼女はのろのろと首を動かして、乱れに乱れた黒髪の下に隠れていた死んだ魚の様な目を前に向けた。

 彼女の目の前にあるのはテーブルとラジオ。テーブルの四脚の内、一本はその長さの半ばで折れてしまっている。表面は傷だらけ、螺子が所々緩んでしまっている。ラジオは耳に不愉快な高い音を時々に挟みながらも、雑音混ざりの声をのんびりと吐き出す。

 

「人生をやり直せる機を前にして、お前は気が逸り過ぎていた。

 次こそ失敗出来ないと云う気持ちでガチガチになって、気負い過ぎていた。

 全く周りが見えていなかった。自分自身すら見えていなかった」

 

 幼少期の悲惨な境遇、家族で暮らせない絶望、そこにとある男からもたらされた降って湧いた希望に、多くのモノを見失ってしまっていた。

 

「誰かを愛したい。

 子供が愛されないという悲劇が起きないようにしたい。

 その信念は立派だ。正直尊敬する。

 ……だが。

 今のお前が血の繋がった子を持ったとして、それが実践出来るとは到底思えない」

「嗚呼ああァあぁあああアァアァァアア!!」

 

 男かも女かも分からない、乱雑に加工されたラジオの声に、彼女は狂った様に暴れだす。骨身を軋ませ、身体を縛る茨で傷付くのも(いと)わずに、喉が擦り切れそうな程に咆える。

 何も存在しない心臓から、黒黒とした百足が何匹も這い出てくる。緋色の目玉を爛々(らんらん)と輝かせて。

 ラジオは構わず音を吐き散らかす。

 

「愛情? 大いに結構。

 お前は少しの間違いをしなければ、正しく愛を注げる人物だろう。

 しかし程度を間違え、気負い過ぎ、隣をちゃんと見る事が出来なければ……」

 

 知性を失った獣の様に金切り声を上げていた彼女が突然声を止める。二、三回咳込んでから、彼女はねっとりと赤黒い血反吐を濁った咳と共に吐き出した。彼女が吐き出した血の塊が、声を発し続けていたラジオを直撃する。

 塗装の禿げた銀色のラジオは、少しだけ音を出すのを止めたが、スピーカーに付いた血を払わぬまま再び音を出し始める。

 

「その隣の人間はお前が愛を注ぐ為の対象以上のものではない、"愛する"為の道具になるだろう」

 

 ゴボゴボと、ラジオが音を発する度に、ラジオの表面に付いた血液から気泡が発生する。不自然な程の、異常な程の速度でそのまま乾いた血液は、二度と取れぬ滲みとなってラジオにこびり付いた。

 グラグラと傷付いたテーブルが軋み始める。木を構成する繊維が歪み、徐に螺子が緩む。

 

「それで、男を愛する為の道具にする、と云うのは……。

 子供を感情の発散の為の道具として虐待する事と、何ら変わらないんじゃないか?」

 

 テーブルが一際大きく揺らぎ、激しい音と共にラジオ諸共床に叩き付けられる。

 テーブルは見た目に合わない硝子が砕ける音と共に、宙に溶けて消えた。ここまでずっと耳障りな音を吐き続けたラジオの表面にも、茹卵の殻の様な罅が無数に入り始める。

 

「向き合う気持ちを持って欲しい。

 一つの命だ。

 俺達は、お前に"人を愛する"という娯楽を提供する為にやってるんじゃないんだ」

 

 最後まで雑音を混ぜたまま、ラジオは言葉を吐き続け、これきり二度と動く事は無かった。




いつぞやに見た夢
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