I,逢愛哀   作:殺多鴉

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人生、楽あれば苦あり。
苦しんでも無いのに、楽しいと感じたならば、
それは地獄へと続く布石の一つだ。


死章

 次の日、俺は猫にいつもの石段へと呼び出されていた。何でも昨日の事について少し話したい事があるらしい。

 土砂降りの雨の中、壊れた絡繰人形の様に楽しそうに回り続ける猫は、今思い出すだけでも充分に寒気がする。

 俺からも聞きたいことが少々ある。主として蠍の事についてだ。

 時は夕刻。俺は呼び出しに従ってグラウンドの石段へと向かっていた。空には雲一つ無く、真っ赤な空が目に眩しい程だ。そんな紅の光は、どこか血の色を彷彿とさせる。

 猫は既に石段に座って俺を待っていた。俺もその隣へと腰掛ける。

 亀は居なかった。

 

「昨日は、ごめんね?」

「そうやってすぐ謝んの、やめてくれよな。今回のはお前は何も悪くないだろ?」

「でも、凪の目の前でおかしくなっちゃって……。凪が居なかったら大変だったよ?」

「それも原因はお前じゃないだろ? もう謝んなって」

 

 いつも猫はそうやって自分は何も悪くないのに相手の顔色覗って謝る。

 女の子は笑ってるのが、一番だ。尚も反省する猫にちょいちょいと手招きをする。不思議そうに身を乗り出した猫の髪を、同じように身を乗り出してくしゃりと撫でた。そのまま梳くように撫でてやると、猫は気持ちよさそうに目尻を下げた。

 この程度の事なら挙動不審にならずに出来るようになった。成長したんだなぁ、と自覚する。

 

「で、何だ? 話って。謝りたいだけじゃないだろ?」

「前に亀から色々聞いたでしょ? でもまだ言ってない事あった」

 

 俺は少し驚いてしまう。

 あの話だけでも充分に衝撃だったのに。少なくともアイツよりは残酷な運命を猫は歩まされている。

 それなのにまだ積み重ねる事がある。あの他にまだ猫は背負っている物がある。

 風が一度強く吹いて、凪いだ。猫の髪が風に嬲られ、その表情を一瞬だけ隠す。次に俺の目に映ったのは、泣き笑いを必死に(こら)えているかのような顔。

 

「私ね、両親が離婚してるんだ」

 

 俺は開きかけていた口を閉じた。それは俺には全く分からない世界だから。

 他人の不幸に素人が口を出すのは禁忌に等しい。玄人に半端な知識で助言をする素人に碌な人間が居ない様に。

 それに俺は折角(せっかく)開きかけた心を無理に閉ざすような鈍感でも無い。

 猫はゆっくりと話し出す。

 

「おかしいよね。愛し合ってるって誓ったはずなのに。好きだからって結婚したはずなのに。

 私が小さい頃からお父さんとお母さんは喧嘩ばっかりで。それを毎日私は震えて見てた。

 なんとかしようって思った。三人で一緒にご飯を食べに行ったりもした。

 でも、それでもどうしようもならなかった。

 お父さんは自然と家に帰らない日が多くなって。お母さんは私にきつく当たり始めた。

 アンタさえ居なければって、叩かれたりもした。

 でもお父さんは私に優しかった。時々お母さんの居ないときに帰ってきて、一緒に遊びに行ったりしてくれた。

 私がここに入学したのも、寮があるから。少しでもお母さんから離れてあげれば迷惑じゃないかな、って。

 私が入学して、寮に入ったその日に二人は離婚したんだ。

 やっと重荷が外せたと。私が居たがばっかりに二人は離婚してなかった」

 

 長々と話して猫は俯いた。膝の上に置いた手は硬く握り締められ、時々目の辺りを擦ったりしている。

 陽は既に沈みかけ。赤から紫じみた色へと空は姿を変え、いつの間にか先には無かった雲まで湧き出している。

 寮の窓が一つまた一つ黄色くなり始める。電気の付いた明るい部屋。中から漏れ聞こえるのは賑やかな笑い声。

 その残滓を聞きながら、俺と猫は薄暗い石段で二人、肩を寄せて座っている。

 

「猫。俺はそれに関しては何にも言えないし、言わない。俺にそんな経験が無いから。適当な事猫に言いたくない」

「ううん、いいの。聞いてくれただけでも嬉しい」

 

 人間は誰しもが愛に飢えている。それは猫でも、多分俺も。

 ただ、人に囲まれてるだけでは愛を感じる事は無い。

 どれだけ口で愛を語ろうと、満足する事は無い。

 こんな事を考えている今の俺の目はさぞドス黒いのだろう。

 俺は自分が人から好かれる様な人間だとは到底思っていない。愛されるなんて別の次元の話だ。

 家族にはどうでもいいように扱われるし、正直金さえあれば親は要らないものだと考えている。

 でも、猫は。

 

「居てくれ、って言ってくれたんだよな」

 

 それは嬉しかった。生まれてこの方失敗しかした事が無い俺。存在意義なんて見出せなかった俺に居てもいいと、そう言ってくれた猫。

 

「凪、何か言った?」

「いや、何でもねぇよ」

 

 流石に恥ずかしいからな。

 俺は猫から目を外し、暗くなりつつある空を見上げた。満月の筈の月の光が、一部分を雲に隠され三日月の様に見える。

 

「なんつー事があったんですわー」

『ふーん……。お前も面白い事してんな』

 

 俺は寮に戻って現在、例のSNSで知り合いにここ最近の事について話していた。この知り合いはネットで知り合った先輩で、俺より3つ位年上。それ故に色々な相談に乗ってもらったりする。進路とか。

 後は、中学の時のアイツの事とか。

 俺は今現在は猫とその周辺についてあれこれ話している。県どころか地方すら違うので、全部話しても問題ないだろうと、俺は特に編集入れないで先輩に話していた。

 

「んで、どう思いますよ?」

『正直、ソイツとは即縁切ったほうがいいな、ってのが本音』

「何故です? やっぱりそれも経験から?」

『俺じゃねぇよ。俺の友達。ソイツもそういう女の事好きになって、一緒に居たんだけど、最終的に訳わからん理由でフラれて、泣いてたな』

「猫はそんな事しないと思いますがね……」

『女なんて理解出来ない生き物だからな。ほら、あの人も言ってるだろ?【羽より軽い者は塵である。塵より軽いものは風である。風より軽いものは女である。】』

「そして【女より軽いものは無である】。我輩は猫である、ですか」

 

 以外な先輩の博識っぷりに吃驚した。たまたま俺が読んでなかったら今頃先輩に大笑いされている所だ。

 

「一応俺の方でも多少は調べましたよ? メンヘラについては」

 

 メンヘラ。

 

 ○誰かに愛情を向けてもらいたい。そんな自分が限りなく愛しい

 ○自分という存在が無視される事を何よりも恐れるが、自分以外の他人がどうなろうと知った事ではない。

 ○いつも何かに悩んでいる

 ○自称、男っぽい

 ○行き過ぎな自己中心的な行動

 ○大量の飲み薬。睡眠薬系なら完全地雷。

 

 ざっくり言えば、構ってちゃん。この認識で九割正解だ。

 後、特徴として挙げられるものはエロいと云う事。基本構って欲しいが故、寂しいが故の行為だ。

 一番大きいのはリスカ。腕や手首、体への自傷が見られるのもメンヘラの大きな特徴。

 

 つまり猫=メンヘラと云う方程式が完成する。

 

『だから止めとけって。お勧めはしないぜ』

「まあ、それでもやりますけどね。俺は」

 

 俺は中学時代に一人の女の子を壊している。正確には崩壊するきっかけを作ってしまっている。

 ソイツは親が反対する高校に行こうとしていた。俺は正直その学校には反対だったのだが、ソイツの為ならと応援していた。

 でも、俺はその事も先輩に相談して、一つの結論を既に得ていた。

 そういう奴が辿る未来を、俺は既に知っていた。

 今思えばあの時全力で止めていたほうがよかったのだろう。

 結果としてソイツはその高校へと入学した。

 しかし、親の賛成は最後まで得られず、親は学費を一銭も払わない。

 自分でバイトして稼がなくてはならなくなった。

 朝から夕方まで自分の金で学校へと通い、終わったら年齢詐称して夜中までバイト。フラフラのまま帰宅し、寝不足で学校へと足を運ぶ。

 そんな生活を続けたソイツは、遂に狂ってしまった。

 半年位して久しぶりに逢ったソイツの目は、最初の頃の猫と同じ。

 世界に絶望してしまった目をしていた。

 それっきり、俺とソイツは逢っていない。

ただ、風の噂程度だが、ソイツは学校を退学したとかいう話だ。

 

「確かに猫に比べたら軽いかもしれない、けど」

『自分の初恋の相手がそれじゃーな。気持ちは分かるぜ』

「だから、今回はよく考えて動く。猫をあの時みたいに壊しはしない」

『無理には止めないさ。やるだけやってみろ』

 

 

 俺が先輩と猫について話をしてから次の日の事だ。

 俺は明日の学校への準備を整えていた。何と云う事は無い。時間割を見ながら明日の持ち物を合わせるだけだ。

 さっくりと終わらせて、俺は布団へともぐりこむ。コンセントから延ばしたケーブルに携帯を突き刺し、ベッドから片腕を伸ばして卓上灯を消す。

 時刻が十一時半になり、消灯。天井灯が強制的に切られ、部屋の中は暗闇に包まれる。

 俺はその中で携帯の電源をいれ、いつもの趣味を始めた。ただのネットサーフィンだが、これが中々面白い。広大な電子の海から自分の趣味嗜好と絶妙に合う内容の物を見つけた時の興奮は誰でも一度は経験した事があると思う。

 後は小説を書いたりする。俺は一応小説を書く同好会にも所属している。挿絵も自分で描く二刀流。

 そんな感じで半時間位呆けていただろうか。イヤホンを付けていた俺の耳に、誰かからの着信を告げる電子音が鳴り響いた。文字のやり取りだけではなく電話も出来るとか、最近のSNSは本当に便利。

 画面を見ると猫からの着信だった。

 他の部屋の皆様は夢の中なので、俺は小声で電話に出る。

 

「……あ?」

『ごめんね。起こしちゃった?』

「いや、ずっと起きてた」

 

 答えながらも俺の脳内には疑問符が次々に沸き起こる。メッセージ飛ばせば良いだろうに態々電話をする意味も良く分からない。

 俺は部屋を抜け出し、寮の屋上へと向かう事にした。声を出さないのなら問題無いが、流石に電話となると同部屋を起こしかねない。

 寝巻の上からいつもの上着を羽織る。音を立てないように気を付けながら部屋のドアを開けて、閉める。少し廊下を歩き、安っぽいアルミ製の扉を開けて屋上へ出る。

 この時間は車もあまり走っていない所為か、十一月の空気は冷たく澄んでいて夜空の星が良く見える。同じ空には綺麗な月も浮かんでいた。

 改めて言うが、今は夜中の十二時。蝙蝠(こうもり)も黙る真夜中だ。本当に何の用事か分からない。

 

『ちょっと相談乗って欲しいんだ。あ、その前に一つ聞いてもいい?』

「俺に答えられる事ならな」

『じゃあ、聞くよ? 何で凪は私と一緒に居るの?』

「特に理由は無いよ」

 

 反射的にそう答える。胸中をアイツの事が()ぎるが、努めて意識から追い出す。

 

『あるでしょ? だって私から逃げてないもん』

 

 思わず口を噤んでしまう。

 実際問題理由はある。俺が猫とアイツを重ねて見てしまっているから。

 でもそれを猫に言いたくはない。自分でも上手く言葉に出来ない何かが俺を猫の傍に居続けさせてる。

 でもそれは何なんだ?

 最初はただの好奇心で。

 次は自分の贖罪として。

 じゃあ、今は何だ?

 勿論今も、罪の償いとしての気持ちが無くなったわけではない。

 だがそれだけでは【ナニカ】が俺の気持ちの中にある。

 

『私はね凪。亀も狐も、凪は嫌かも知れないけれど蠍も。皆が大切なんだ。でもね』

 

 猫は一度そこで言葉を切る。ほんの少しの間。それによって次の言葉がより一層引き立つ。俺が言いたい事があるときによく使うテクニックだ。

 

『凪は皆と何かが違う。ううん、凪も大切だよ? でも何か違うの』

 

 その言葉は不思議と俺の心に響いた。

 少し舌足らずだからこそ、本心から言っていると信じられる、そんな感じだ。

 ここで(ようや)く俺はその【ナニカ】に気が付いた。思えば簡単な事。自分で言ってたじゃないか。

 人は共に長い時間を過ごした相手に好意を覚えてしまう、と。

 猫はそのまま続けて俺に聞いた。

 

『ねぇ……。凪はさ、今彼女って居るの?』

 

 その言葉で俺は猫が今抱いている気持ちを理解した。

 男子の場合、好意のある女子に好きな人が居るのかをよく訊ねる。

 対して女子な場合はというと、好きな人の話題というのは単なる世間話でしかない。

 俺の中学時代の友達の友達から聞いた。その辺勘違いした某男子は勢い余ってその子に告白して見事に玉砕。それだけならまだ良かったものの、次の日ソイツが学校行くと、教室の黒板にチョークを何色も使って描かれた侮蔑の呪詛。荒唐無稽と馬鹿にする言葉。様々な文句の落書きが黒板一面に描かれていた。教壇に一人登らされ、土下座をさせられながら聞いたクラスメイト達の囃し立てる声(シュプレヒコール)は今でも俺の耳に残っている。……まぁ、そういう事だ。

 では女子は何て聞くのかというと、これが猫と全く同じ。今現在彼女が居るかを聞いてくるのが大半。思い切って好きな人を訪ねて「居るよ」と言われて舞い上がってから「だって俺彼女居るし」と言われて絶望の奈落に撃沈するよりは心理的負担が少ないからだと思われる。上げて落とされるよりは自由落下の方が被害は少ないというものだろう。

 端的に言えば、猫は俺に亀達とは別種の好意を抱いている可能性がある。

 ここまで理解して、俺は猫に問い返す。

 

「逆に猫はさ、今好きな人居るの?」

 

 先に長々と推測したが、それが間違っていても困る。一人だけ真実を知らずに喜んでいるなんて、二次会があると知らされなかった時の俺みたいで悲しくなる。だからこそ、直接聞く。勘違いはもう御免だ。

 

『それは凪には教えられないよ……』

「何でさ? 俺は秘密は守る人種だぜ?」

 

 話すような相手が碌々に居ませんしね。もうここまで来ると一種の自慢にすらなる。その自慢をする相手すら居ないと云うのが悲しい所。

 

『だって凪に教えたら秘密にならないよ……』

 

 手に持った電話越しに聞こえたその一言心臓がとんでもない力でぶん殴られた感覚に陥った後、今までと比べ物にならない程の速度で心臓が早鐘を打つ。

 猫の放った遠まわしな言葉の意味を一瞬で悟った俺は、文字通りに固まっていた。

 胸が早鐘を打つ。体は吃驚して固まってしまっていて、でも頭だけが妙に冷静。

 そのギャップが、今の言葉が夢でない事を証明している。

 緊張した俺の唇から漏れる言の葉は、自分でも驚く程に酷く幼稚に聞こえた。

 

「それ、は、どういう事?」

『あーっ、もう!! 私は凪の事が好きだって言ったの!!』

 

 改めて、今度は直接に「好きだ」と言われて、俺の心は限界に達した。

 人から嫌われ憎まれ厭嫌されることには慣れきっている。(むし)ろそれこそが俺の日常。だからこそ、人から好かれるという事に、俺は全く耐性がない。

 それでも何とか猫へと返事を返す。

 

「あり、がと。俺も猫の事」

 

 好きだよ。

 

 たった四文字。文字にすれば本当に短い。でも実際に言うと、その言葉は気が遠くなるほどに長く感じた。

 その言葉を俺は精一杯の気持ちを籠めて言う。

 自分で言いながら気付く。

 これは好き(like)じゃない。もっと何か別のモノ。

 

「なんで猫はさ、俺の事好き、になったの?」

 

 実際それが俺には全く分からない。

 人間観察で俺が見るのは人の習性や癖。後は汚点なんかだ。

 そういうものは当人の無意識下に行われるもの。

 故に俺は人間の倫理的思考回路についてはある程度理解しているつもりだ。

 しかし感情、というものはよく分からない。

 俺が全てを損得と機械的に考えてしまう性格からか、そういったものに俺はかなり疎い。

 

『凪はさ、私の事真剣に考えてくれたじゃん。一緒に考えて悩んでくれた。自分には何も言えないって思ったら、適当な事言わないで聞き役になってくれた。それがね、とっても嬉しかった』

 

 猫の言葉で俺の疑問は氷解する。

 狐も言っていたじゃないか。俺は真面目にやることやれば内面は良いって。

 俺は自分の昔故に、よく考えてから自分の意見を言うように努めていた。

 猫はその過去故に、人の心に重みを置いて人と接する。

 自分の事をちゃんと考えてくれているか。自分の事を見ているのか。

 それこそが、猫にとっては大事な事の様だ。

 

『凪はさ、何で私の事好きになったの?』

「そのうちに話すよ。ちょっと長くなりそう」

 

 俺が理由を話すとなれば、やっぱりあの『昔話』から始めなくてはならない。

 今の猫の前でその話をするのは、何故かは分からないが嫌だった。

 

「そっか、分かった。そのうちに、ね」

 

 ここで一旦会話が途切れ、屋上に再び元の静寂が訪れる。

 時刻は草木も眠る丑三時。月も前よりやや西へと動いている。

 眼下に映る電燈は線が切れ掛けているのか消えたり点いたりを繰り返し、吹き抜ける風が連絡通路のトタン屋根を揺らす。

 

 

『あの、さ。ここまで来たら告白してほしい、かな』

 

 吐息交じりに猫は俺に言う。

 ()()

 全てを犠牲にした覚悟の代償。答えが肯定であろうと否定であろうと、その後の関係に決定的な変化を(もたら)してしまう心の楔。

 それでも今までより深い関係になりたいと猫は望む。その勇気に俺の心臓は、何者かに握り潰されたかの様な痛みを覚える。俺は頬が赤らむのを暗闇の中で自覚した。

 嬉しい。素直にそう思う。こんな俺に対してそれだけの反応を示す少女に俺はある種の愛おしさの様なものを感じた。

 それが友情なのか愛情なのか。それははっきりとは分からない。俺が持っている判断能力では断定することは不可能だが、いずれにせよ好意的なものだろう。

 

「何て言えばいいんだ? 俺にはよく分からん」

『普通にそのままでいいよ。「付き合ってください」って』

 

 俺の間の抜けた返答にも猫は大真面目に答える。

 俺も覚悟を決めなくちゃならない。俺の答えは決まった。

 

「俺と、付き合って」

『っ……』

 

 猫が息を呑む声が聞こえる。ここで格好良く締めればいいのだろうが、そんな事、(のみ)の心臓を持つ俺には出来ない。好きだと言われた事だって生まれて初めてなのだ。慣れない事をしている恐怖からか、俺は反射的に保険を打ってしまう。

 

「ください、……か。言葉で言うだけなら、こんなに簡単なのにな」

『ふわぁ……。吃驚したぁ』

 

 慌てて取り消す。あくまでも練習。

 こんな経験は生まれてこの方初めてなのだ。彼女居ない歴が年齢だった俺にはさっぱり縁の無い事だっただけに、変な汗が止まらない。足だって震えている。原因は勿論寒さからではない。

 

「ちなみに俺が言ったら猫はどうするの?」

『ちゃんと返事するよ。多分凪の嫌じゃない返事』

「分かった。俺も言う」

 

 平静を装ってはいるが、誰がどう見ても今の俺は緊張している事だろう。体だって小刻みに震えているし、硬く握った左手の汗も酷い。

 唇を舐めて湿らせ、深呼吸。

 

「俺と、付き合ってください」

『……。うん。よろしくお願いします。かな』

 

 照れた様に猫は笑ったのが電話のスピーカー越しに伝わった。それを聞いて、俺も自分の仕出かした事を自覚し直す。心の(くさび)は打ち込まれた。俺から抜く事は恐らく無い。これは希望だが抜ける事も無いだろう。

 さっきまでは冷たいだけだった北風も、火照った自分の頬には涼しく感じられる。

 俺は猫と笑い合ってから、また明日、と電話を切った。

 

 

 十一月二十五日、午前二時半過ぎ現在。

 俺は猫の彼氏として。

 猫は俺の彼女として。

 

「まぁ、やるだけやるよ。おもしろそうだしね」

 

 付き合う、事になった。

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